戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
風鳴弦十郎は人類の中で最強、とまことしやかに語られている男である。
何故か? 強いからだ。
超能力が使えるだとか、最強の剣を持っているだとか、そういう『理屈』は一切ない。
彼が最強なのは、強いからだ。
血脈に恵まれ、非凡な才に恵まれ、誰よりも自分を鍛えてきたからだ。
彼の強さに『理屈』は無いが、『理由』はある。
「待たせたな」
そんな風鳴弦十郎が、アースガルズの前に立ち塞がった。
「司令……!」
司令部にて、二課の一人が苦い顔で画面を見つめて呟く。
大量のノイズが複数箇所に出現し、二課本部が襲撃されている今、二課のトップが司令部を離れるということはそれだけで大問題だ。
が、背に腹は代えられない。
"人類守護の砦"と呼ばれる二課本部を守れるのは今、風鳴弦十郎しか居ないのだから。
しかし、二課の人間の多くは弦十郎の勝利を確信してはいなかった。
今日までの戦いの中、ゼファー達の強さ、そしてゼファーや弦十郎を圧倒するアースガルズの強さを見ていたからである。
生身の拳では、対消滅バリアを突破できない。
そういった相性の悪さもまた、彼らが弦十郎の勝利を信じられない理由だった。
「大丈夫です」
この場において、誰もが風鳴弦十郎の勝利を信じていなかった。
ただ一人、緒川慎次を除いて。
「司令は負けません。皆さん、司令を信じましょう」
「ですが慎次さん、敵は間違いなく強大です。いくら風鳴司令でも……」
「司令は、本気を出すつもりです」
「え?」
弦十郎を信じる緒川に藤尭が口を出すと、思いもよらぬ言葉が返って来た。
「殺意を顔に漲らせ、獣のように吠える彼の姿を見たことがありますか?」
「ありませんけど……え?」
「ならばあなたは、『本気の風鳴弦十郎』を見たことがないということです」
今の二課本部に居る人員で、『本気の風鳴弦十郎』を見たことがあるのは、緒川慎次ただ一人だけだ。何故ならば、弦十郎はもう十年間は本気を出したことがないからである。
「本気で殺すための技を駆使する。
全力で壊すための業を披露する。
獣のように吠え、自分以外の何も背負わず、一個の戦闘者として全力を尽くす」
シンフォギアと戦う時、弦十郎は全力を出しているのだろうか。
空から降る大岩を拳で砕く時、彼は全力を出しているのだろうか。
コンクリートの路面を踏んでひっくり返す時、彼は全力を出しているのだろうか。
守るべきものをかばっている時、彼は全力を出せるのだろうか。
守るべき子供と共闘している時、彼は全力を出せるのだろうか。
司令として、怪我をせず生きて帰って職務を果たさなければいけないという責任がある限り、彼は自分の身を顧みず本気で戦うことはできないのではないだろうか。
大人になればなるほど、彼を縛る鎖は増える。
責任が増えれば増えるほど、彼を本気にさせない枷は増える。
だが、この瞬間。
これがフィーネとの最後の戦いであると直感し、自分が負ければ後が無いことを自覚した弦十郎は、"本当の意味で本気になった"。
「それが、風鳴弦十郎の『全力』―――始まりますよ」
緒川は自分が今よりもずっと若かった頃、何度か見た弦十郎の本気の戦いを思い出しながら、呟く。その瞬間、弦十郎は吠えた。
「おおおおおおオオオオオオオッ!!!」
二課本部に居た人間の全員が、反射的にモニターから目を外し、上を見上げる。
彼らの目は天井しか映さなかったが、彼らの目は天井の向こう、地上で戦う風鳴弦十郎へと向いていた。
誰もが自身に備わっていた原始的本能、生物的本能を刺激され、風鳴弦十郎という"生物的強者"の咆哮に身を震わせる。
今の弦十郎に、生きて帰るという思考はない。
職務に差し支えるから傷を抑えよう、だなんて考える意識すらない。
ただシンプルに"殺される前に殺す"という、原初にして最強の戦闘思考だけがある。
それが、二課の皆の本能を怯えさせたのだ。
まるで、ライオンが目と鼻の先に現れた時の、小動物のように。
グラムザンバーが最強の矛、アースガルズが最強の盾ならば、彼はまさしく最強の腕。
ゴーレムの中でも最強の防御力を持つアースガルズ。
そのスペックはフィーネの手によりフルに発揮するための追加行動ルーチンを組み込まれ、クリスの両親の歌がアルゴリズムに組み込まれたままであることで、読めない動きを時折混ぜる。
振るう対消滅バリアはあらゆる物質を消滅させ、核融合の比ではないエネルギーを内包しているためにエネルギー攻撃も通じない。
だが、アースガルズはバリアを展開しないまま、弦十郎に歩み寄る。
力においても技においても、人類の頂点に立つ風鳴弦十郎。
タンパク質やカルシウムなどで出来た体の限界と、金属で出来た体の限界の差を、彼は日々の鍛錬で得た技と動きで埋める。
その腕は天地を砕き、あの脚はゴーレムを砕き、技を駆使すれば完全聖遺物も凌駕する。
だが、弦十郎は何の技も使わないまま、アースガルズに歩み寄る。
そして、両者共に互いの拳が届く距離に立つ。
一拍置いて、両者はただシンプルに全力の拳を突き出して、爆撃のような音と共に衝突させた。
第三十二話:フィーネ・ルン・ヴァレリア 2
二課襲撃の報を聞き、クリスは密かに舌打ちした。
彼女のヘッドギアに飛んで来た二課オペレーターの声の慌てぶり、意図せず聞こえる司令部の喧騒が、今の状況を物語っている。
神々の砦に対向するには、立花響に聖遺物使いを同行させ複数名で当てるしかない。
しかし、立花響は短距離ならともかく長距離を速く動くことに向いていないのだ。
総合的な機動力はゼファーと翼が飛び抜けている。
逆に言えばこの二人以外の長距離移動は、どうしても遅くなる。
街のノイズを片付けつつ、ゼファーとクリスは声色から焦りを隠しきれていなかった。
「急いで片付けて戻るぞ!」
「あたしらんとこのノイズが一番多くて、一番本部から遠いってのは偶然じゃねえなこれは!」
二人がノイズを片付けるスピードと、ノイズが新規に出現するスピードが競合し、差し引きで徐々にノイズの数が減っていくという形に、戦場の流れが収束していく。
ゼファーとクリスは確信に至っていた。
この戦場のどこかに、ソロモンの杖を使っている者が居る。
ノイズを追加しながら、戦場を見つつノイズを足止めのために効率よく運用している。
それは途方もなく、厄介なことだった。
ノイズを無限に出し続け、永遠に操り続けるには、杖一本では到底足らない。
杖の機能の限界は、一度杖を奪いその機能を調査した二課も朧気ながら把握している。
この攻勢にも終わりはあるということだ。
だがそれは同時に、ソロモンの杖が"一息つく"まで、ゼファーとクリスがこの戦場を離れられないということを意味していた。
街の別所、翼が戦っていたその戦場に、"ノイズが増援として大量に追加される"ということはなかった。あっても本当に時々少数の追加のみであり、脅威というほどではない。
しかし最初に投入された数が多く、翼がゼファー&クリスほどに広域殲滅に長けて居ない上、彼女が単独で戦っていることもあり、ノイズの掃討にはそれなりに時間がかかりそうだ。
(ゼファーと雪音の方はノイズが倒される数に、追加される数が追い付いていない。
私の方や立花の方もそうだ。
つまり、今出せている数が、ソロモンの杖の性能限界……
今以上のペースでノイズが追加されることはない。それだけ分かれば僥倖だ)
翼は大技を使うたびに自分にかかる負荷とスタミナの減少、長期戦をバテず戦い抜くためのペース配分、このノイズ戦の後にもあるであろう戦いを考え、巧く戦っていく。
ノイズ殲滅の速度を落とさぬまま、余計な消耗を抑えて戦うという器用な真似を、歴戦の戦士である翼は見事に実践していた。
「立花、今のペースならあとどれくらいでノイズを全滅させられる?」
翼は通信を繋ぎ、響の戦況を響の口から聞こうとする。
『まだ10分以上はかかります!』
「その言い草なら私よりは早く終わりそうだな。
基本的に司令部の指示を仰ぎつつ、戦闘が終わり次第最速で本部に向かえ!」
『了解です!』
翼はノイズを眼前のノイズを切り捨て、周囲にノイズが居ないことを確認し、二課司令部作戦発令所から来るノイズの位置情報を確認。新たなノイズに向かって、一直線に駆ける。
走りながら、彼女は胸を指でなぞった。
今は直接触れることはできないけれど、普段ならそこには奏が残したペンダントの残骸、ゼファーとの友情の証である傷がある。
この行為で、翼は逸る心を少しだけ落ち着けていた。
(私と、立花と、ゼファー達。このまま行けば、一番早く片付くのはおそらく―――)
間に合えばいいが、と、翼はノイズを切り捨てながら一人呟いた。
リディアンには、地下に大規模シェルターが設置されている。
二課本部の近くであるというのもあるが、それ以上にリディアンが『避難所の役を果たす学校』としての機能を重視されていたというのが大きい。
ノイズ襲来時に近隣の町の住民、リディアンの生徒と教師の全てはシェルターに避難し、恐怖に身を震わせていた。
弦十郎が戦いの場所を選んだことで、避難する最中に戦闘に巻き込まれた者が居なかったというのが、不幸中の幸いか。
「わ、また揺れた……」
「今の大きな音、シェルターの真上から聞こえなかった?」
「こ、こここここ怖いこと言わないでよ!」
避難民は頑丈なシェルターの中に安全を求めたが、それと同時に戦闘が行われている地点の近くという、安全と等量の危険がある場所に逃げ込んでしまったのである。
彼らは自分達に迫る危機の半分も理解できていなかったが、それでも戦闘の振動と音は伝わって来るため、危機感を全く抱かないなんてことはない。
特に女生徒や子供達は身を寄せ合い、恐怖に震えていた。
「学校が襲われるなんて、アニメじゃないんだから……」
板場弓美もまた、その一人。
彼女は前向きで、向こう見ずで、熱意があるが、それは心が強いこととイコールではない。
彼女はアニメで主人公がピンチになる展開が好きだが、現実がそうなることを望みはしない。
彼女は現実とアニメをごっちゃにしないのだ。
現実は現実、アニメはアニメ。彼女の中でその線引きはハッキリしている。
だから彼女が現実の危機を"アニメみたい"と喜ぶことはない。
(……大丈夫なの……大丈夫よね……どうなっちゃうの……?)
弓美が横を見ると、そこでは、小日向未来が周囲の人間を勇気付けて回っていた。
今は不安がる詩織の手を取り、静かな語調で励ましている。
「小日向さん……」
「大丈夫」
「……ですが」
「大丈夫だから」
詩織と創世、不安がる二人に向けて、未来は不安など欠片も無いような微笑みを見せる。
未来とて、不安を感じていないはずがない。
彼女には力がない。人に踏み潰されそうになった蟻のような気持ちだろう。
それでも、何故か、彼女の表情に不安は見られない。
何かが在るのだ、彼女の心に。
あらゆる恐れを切り裂いて、他人に分けてあげられるほどの勇気を未来にくれる何かが、彼女の心の中にある。
「私は、大丈夫な理由を知ってる」
「ヒナ……?」
未来が周囲の人間に声をかけ、少しづつ、少しづつ、人の心を落ち着かせていく。
だが弓美は、未来の言葉など耳に入ってはいなかった。
彼女はただ祈る。
この時間が早く終わって欲しいと、この恐怖を終わらせる誰かに来て欲しいと、無心に祈る。
過去に助けてくれた背中を思い出し、彼女は震える自分に言い聞かせるように、祈る。
(いや……きっと、アニメみたいなピンチには、アニメみたいなヒーローが、きっと……!)
けれど、祈るだけで口には出さず。
ただ無言で、弓美は恐怖に身を震わせる。
ひとたび口に出してしまえば、来てくれないかもしれないと、そう思ったから。
ガシャン、とアースガルズの膝が地に落ちる。
「ハァ……ハァ……!」
続き、弦十郎も膝を地につけた。
彼の肉体は所々が焼け爛れ、対消滅の結果として所々が欠損し、それでも四肢が揃った状態で地に膝をつく。
よろよろと立ち上がる弦十郎。動かぬアースガルズ。
勝敗は明白。奇跡のような勝利だった。
アースガルズの攻撃は、一発も地面には当たってはいない。
なのに戦闘の余波として放出された熱だけで、地面はガラス化していた。
一部は溶岩のようにグツグツと煮え滾っている。
リディアン周辺の避難は完了したとはいえ、地形は完全に原型をなくしてしまっており、まるで荒野のようになってしまっている。
都市群のど真ん中にポッカリと穴が空いたように出来たこの荒野が、戦いの壮絶さの証明だ。
弦十郎が最後に渾身の力を込めた拳は、アースガルズのガードの上から、その頭部を叩いた。
強烈な威力、防御を"徹し"て衝撃を貫通させる技量、攻撃を当てるために死を恐れない心意気。その三つが組み合わさって、弦十郎は攻撃を神々の砦の頭脳に届かせたのだ。
PCで言うところの、CPU部分。
本来ならば衝撃に強いはずのそこに届いた一撃は、アースガルズの頭脳を停止させる。
結果、アースガルズは一時的なシステムダウンに陥っていた。
(勝つか負けるか、コイントスとさして変わらない戦いだった……)
表が出れば弦十郎が死に、裏が出ればアースガルズが負ける、そんな戦いだった。
勝敗を決したのは、完全に運。
どちらが勝ってもおかしくはなかった。
それどころか、スペック・能力・技能だけで見るならば、弦十郎に勝ち目はないはずだった。
にもかかわらず、風鳴弦十郎はアースガルズに勝利してみせた。
自分より強い敵に勝ってこそ、英雄。
絶体絶命の窮地をひっくり返してこそ、英雄。
不可能を可能にしてこそ英雄だ。
命を懸けた対価として得られた勝利が敵の機能停止というのが、両者の間に本来あったスペックの差を如実に表していた。
それでも勝利に変わりはない。
アースガルズはシステムダウンし、フィーネから入力されたコマンドのほとんどを初期化され、項垂れるようにして地に膝をついている。
対し弦十郎は負傷こそあれど、勝者として地に立っていた。
(あとは、こいつを完全に破壊するだけ―――)
しかし、彼が勝者としてその場に立っていられたのは、ほんの僅かな時間だけだった。
強者に勝利したその一瞬、弦十郎の意識に決定的な隙が生まれる。
それは漫画を読んでいた者が、手に汗握る大勝負で主人公が勝利したのを見て、ほんの少しだけ安堵の息を吐いてしまうのに似た、辛勝の次に絶対に訪れる小さな油断。
その一瞬で、弦十郎の腹から、宝石の鞭の先が生えていた。
「か、は、あ……?」
「悩んだものだ。
正面から打倒するか。
政治的に封じるか。
ノイズをぶつけるか。
騙し討ちも、人質も考えた」
下手人はフィーネ。貫いたのは、剣の如く直線状に硬化されたネフシュタンの鞭だ。
背中から刺された鞭は彼の脱力していた体を貫き、背中と腹を繋げる大穴を空け、刺した後は引っこ抜かれて、その形状を活かして体内の内臓をズタズタに切り裂いていく。
ノコギリが付ける治りにくく塞がり難い傷のように、傷口は外も中もグチャグチャだ。
「だが、どんな戦力を揃えようとも貴様は勝つ。
何故なら貴様は本物の英雄だからだ。
政治の縛りを引き千切り、騙しを見抜き、人質も助ける。
何故なら貴様は本物の英雄だからだ。
ノイズですら、奇襲で当てなければ貴様を殺すのは難しいだろう」
この瞬間を待っていたのだ。
フィーネの前に立ち塞がるのは、『英雄』。
英雄は生半可な手段では倒せない。
それゆえに彼女は、何年も何年も策を練り続け、今日という日に備えてきた。
「だからこそ、貴様に相応しい強敵を用意した。
貴様がその全身全霊をかけねば倒せず、戦いの後、貴様に決定的な隙が生まれるほどのな」
彼女が選んだ策は、常人には出来ないような割り切りから生まれた、弦十郎が何を想定していようが必ずその命に刃を届かせる一手。弦十郎は、それに驚愕の表情を浮かべる。
「アース、ガルズを、捨て駒に……!」
「何、破壊されなければ捨て駒にはなりはしない。現に、貴様は破壊できなかった」
息も絶え絶えな弦十郎は、歯噛みする。
そう、弦十郎はアースガルズを破壊できたわけではないのだ。
あくまでCPUに衝撃を与え、一時的機能停止に追い込んだにすぎない。
フィーネが手を加えれば、すぐにでも戦線に復帰するだろう。
状況は、戦況は、何一つとして好転してはいないのだ。
「……っ!」
なのに、弦十郎はもう戦える体ではなくなってしまっている。
弦十郎は残る力を振り絞り、フィーネに問いかけた。
「お前の、目的は、なんだ……!?」
「『魔神ロードブレイザーの打倒』」
「ロード、ブレイザー……」
「知っているはずだ。二課の者達には、さりげなくその情報を流してきたのだから」
櫻井了子は、ネガティブフレアをずっと『魔神の焔』と称してきた。
そして個人個人に差はあれど、"遺跡研究の過程で知った"とのたまいながら、この数年ロードブレイザーとは何かという情報を、二課の皆に流し続けた。
だから二課において、ある者はお伽噺の化け物として、ある者は永遠に打倒された大昔の怪物として、ある者はいずれ蘇るかもしれない災厄として、ロードブレイザーの存在を知っている。
しかし、このタイミングでその名が出て来るだなんて、弦十郎は想像もしていなかっただろう。
訝しむ弦十郎に背を向け、フィーネはその右手を空に掲げる。
「屹立せよ、『カ・ディンギル』!」
そして、崩壊と屹立が始まった。
フィーネ作・決戦兵器『カ・ディンギル』。
それは、地下深くにまで一直線に伸びる筒状の地下施設……『二課本部そのもの』である。
F.I.S.の地下研究所が筒状だったのも偶然ではない。
あれは、二課本部という本命を作るための試作品だったのだ。
「これは……二課本部そのものが、"塔"……いや、"砲塔"……!?」
完全聖遺物を、聖遺物でない物で作った砲塔の動力として稼働させる。
それがカ・ディンギルのシステムだ。
二課本部を設計したのも櫻井了子。
完全聖遺物のデータを偽装していたのも櫻井了子。
『カ・ディンギル動力部』を"聖遺物を保管する場所"に偽装していたのも櫻井了子だ。
だからこそ、フィーネは一手で『敵の基地』を『自分の兵器』に転換できる。
万が一を起こす邪魔者は全て二課本部から追い出した。
フィーネの企みを止められる者は、もうこの場には誰も居ない。
カ・ディンギルとその動力となるデュランダルが、彼女の指揮で明滅していく。
デュランダルを動力として1800mの砲身長を用意すれば、月も砕けよう。
だが、何度もこの物語の中で語られてきたように、今ここにある二課の全長は『数km』。
そのポテンシャルは群を抜き、天を衝き、星という枠を貫かんばかりだ。
「本部内構造、急速に変化していきます!」
「相対位置計測、本部上昇……このままでは、地上に出ます!」
「シェルターに過剰な圧力が! 圧壊の危険性があります!」
「計算終了! シェルターはギリギリ圧壊しません! ですが、むしろこの場本部の方が……!」
そして二課本部がカ・ディンギルに変形する過程で、最もその命を脅かされた者達が誰かと言えば、それは勿論本部に詰めていた者達に他ならない。
「総員退避ぃ!」
本部より、次々と人が駆け出していく。
だがそれを敗走と思う者は、誰一人として居なかった。
腹からを血を流し、
そんな弦十郎を前にしたフィーネの手にはグラムザンバー。体にはネフシュタン。その背後には一時停止に陥っているだけのアースガルズが控えている。
今では、そびえ立つカ・ディンギルでさえ彼女の味方だろう。
フィーネは理外の法により組み立てられた塔を仰ぎ見て、言葉を紡ぐ。
「カ・ディンギルは、擬似レイライン形成とエネルギー流の発生を成す砲台。
恒星を粉砕するほどの純エネルギーを、絶え間なく供給するパイプの始点でもある。
デュランダルは無限の出力を持つ永久機関!
グラウスヴァインは瞬間出力に優れた弾頭のみの破壊兵器!
デュランダルで砲塔の限界まで月にエネルギーを注ぎ込み……最後に!
グラウスヴァインを起爆し、デュランダルの力と合わせたエネルギーを月へと送り込むのだ!」
フィーネの手から離れたグラウスヴァインの心臓が、塔に向かって飛んで行く。
グラウスヴァインが吸い込まれるように塔と一体化し、塔が発する力の位階を引き上げた。
これほどの力を発しながらも、カ・ディンギルは『純粋な破壊兵器』ではない。
言ってしまえば、これはエネルギーを送る送信装置でしかない。
"純エネルギーのマスドライバー"とでも言うべきものなのだ。
「デュランダルとグラウスヴァイン。
二つの聖遺物は力を相乗させ、聖遺物の域に収まらないエネルギーを発するッ!
そしてロードブレイザーを封印した月に力を注ぎ込み……最後の仕掛けを起動するのだ!
人と人の間に
「月を、地球に落とす……だと……!?」
「そしてその過程で生まれる全ての力は、月封印内部の魔神に叩き込まれるようになっている!」
人と人に"永遠に分かり合えない"という呪いを押し付ける、バラルの呪詛。
それは先史文明期からずっと、
だがフィーネは月に魔神が封印されていると言い、月のバラルの呪詛を止めると同時に、魔神に一打を叩き込むのだと言い出した。
「二つの星がぶつかる衝撃!
月が壊れる力!
地球が壊れる力!
ロシュ限界を成り立たせるはずの力!
月に在る地球全域に恒久的にバラルの呪詛を降り注がせるための膨大なエネルギー!
地球のレイラインに行き渡っているこの星全てのエネルギー!
デュランダルとグラウスヴァインの全エネルギー!
それらに更に上乗せする力の数々を、私は準備してきた! その全てをぶつけるのだ!
この一万年にも届こうという日々の中、力の蓄積とこの日のための準備をずっと続けてきた!」
地球と月がぶつかる過程と、ぶつかった結果に生まれる力。
そのスケールを正確に想像できる者は、そうそう居ないだろう。
だが風鳴弦十郎は、現代に生きる数少ない英雄は、『何人死ぬか』くらいならば正確に想像できていた。フィーネの企みの結果、どんな地獄が生まれるかを想像できていた。
「月を落とせば、何人、死ぬと思っている……!?」
「だからこそ、人口が一定以上に増えるまでは、この策を選ぶ気はなかった」
「……あ?」
「今のところは、50億程度の死を想定している。
月を落とし次第、私が世界各地に用意した避難所が起動するだろう。
心体共に強く、諦めない者ならば、よほど運が悪くない限りは辿り着けるようにしてある」
淡々と、フィーネは告げていく。
「20億を残し、残る人類は全て間引く。
死の怨嗟と断末魔に呑まれた50億の魂は、私の仕掛けによって空のレイラインに流れ込む。
東京はレイラインの終着点!
地球全土で死した者達の魂は東京にて凝縮され、感情の反転作用で正の感情へと変わる!
言うなれば、それは50億の絶唱!
それも装者が命を捨てて撃つに等しい、通常の絶唱とは比べ物にならないほどの絶唱だ!
1000億の絶唱をゆうに超えるその想いの力は、アガートラームで増幅することすら可能!」
フィーネはスケールが違いすぎる攻撃手段を考え、それを現実にすべく手を尽くし、準備を続けてきた。
その果てに辿り着いたのが、この規格外の攻撃手段だ。
そのままでも、1000億の絶唱を超える破壊力。
今のゼファーをリセットし、ただの剣に戻ったアガートラームを媒介に使えば、その威力は更に跳ね上がるだろう。
彼女はそれを、魔神にぶつけようというのだ。
魔神に対し微塵も容赦のないフィーネに、弦十郎のこめかみに冷たい汗が一筋流れる。
「だがそれをぶつけてもなお、ロードブレイザーは多少弱らせることしかできまい」
「なん……だと……?」
「月と地球の衝突により生まれる極大災厄。
それにより、人類はふるいにかけられる。
心と体の両方が強くなければ、生きることも生かすことも出来ない地獄だ。
そこで生き残った者の中から『英雄』を選別する。一人の英雄と、八人の勇者を」
しかし、星と星をぶつけ、50億の命の断末魔を歌と束ねる絶唱をぶつけようとも、魔神は弱らせることしかできないと彼女は言う。
それらの攻撃ですら前座にすぎない。
巨悪を討つならば、それは英雄譚だ。
英雄譚には英雄が要る。
フィーネは今この地球に居る人間の中から、英雄を選別しようとしていた。
「数が居ようが邪魔なだけだ。
想いを束ねる担い手が居ない以上、数を揃えることに全く意味は無い。
必要なのは、あの時と同じく、滅び行く人類の中でふるいにかけられた少人数のみ」
アガートラームが正しく扱われる可能性は、既に失われてしまった。
思いを束ねる聖剣を戦力に数えないのであれば、人をいくら減らそうが支障はない。
必要なのは、種として滅び行く中で一際輝く人類を見逃さないことだ。
「その少人数の英雄に力を与え、魔神を打倒する牙を与える!
先史の時代と同じだ。
人は数が多い内は力を合わせず、足を引っ張り合う。
そんな状況では英雄はその全ての力を発揮できやしない! 私は知っている!
人類をふるいにかけ、本当の心の強さを持つ人間を残せば、自然皆は力を合わせるのだと!」
その戦いの果てに、人類は一億も残るだろうか。
一万しか残らなければ、今の文明は一度途絶えてしまうのではないだろうか。
種としては滅びずとも、文明としては滅びてしまった、先史の文明のように。
弦十郎は何十億という犠牲を許容するフィーネを前にして、彼女の生き方を絶対に認めないという意を込めて、言葉を発する。
「お前のせいで、どれだけの命が奪われると……!」
「奴を倒さねば、人類史に未来はない!」
しかしフィーネは、弦十郎の気迫にも物怖じせず倍の声量で言葉を返した。
「人の死が私のせいだと言ったな!
ならば今日までの人類史の中で、どれがどこまでが私のせいだ!?
戦争が起こると分かっていて止められなかったのは、私のせいか!?
先史の時代、魔神に殺された戦士達の命の喪失は、私のせいか!?
私が何もせず、この先の未来で人類が滅びたとしたら、それは私のせいか!?」
そうだ、私のせいだと、その目は言っていた。
未来に人類が滅びるならば、それは私の責任以外にありえないと、その目は語っていた。
それは優しい人間が、人の命の価値を分かった上で数千年を超える時間を生きた場合、"どう壊れるのか"が誰の目にも分かるような姿だった。
超越者の心とは、人の心のどこかが壊れることで変じたものなのかもしれない。
「
私が戦ってきた意味は何だったのだ!?
私が数えきれぬほど蘇り、死んで行った意味はなんだったのだ!?
私が復活するたびに塗り潰され生を奪われてきた者達の犠牲は、なんだったのだ!?
私がこんなにも無様に生を繋いできた意味は何だったのだ!?
私の恋慕の果ての破滅に付きあわせてしまったロディは、弟は、何のために―――!」
ゼファーの強さが、十数年の時間の中の積み重ねから生まれるものであるのなら。
フィーネ・ルン・ヴァレリアのその強さは、どれほどの高みにあるのだろうか。
「ロディには……あの子には、好きな女の子も居た!
親友も居た! 仲間も、恩師も、大切に想う人がたくさん居た!
そしてあの子が想う誰かの数よりも、ずっと多くの誰かにあの子は大切に想われていた!
あの子には帰りたい場所もあった! 帰ると約束した居場所があった!
守りたいものがあって、守りたい想い出の場所があって、生まれ育った故郷があって……!」
苛烈な言葉の最中に混ざる女言葉は、彼女が永遠の刹那の中で溜め込んでいた想いの欠片か。
その言葉を引き出せたのは偶然か、それとも、弦十郎が今日までの日々の中で僅かなりとも彼女の心を開かせていたという証だろうか。
「捨てさせた……私が、捨てさせたのよ……!
平凡な、ただの男の子として幸せになるはずだったあの子は……
私が無力だったせいで、私を守る為に、自分を守るための剣を掲げた……
私の家族の大切な物は、全部私が守るって約束したのに……!
ロディは生きることを諦めて、帰ることを諦めて、その命をもって魔神を封印した!」
フィーネの表情が、心持ちが切り替わる。
「もしもこのまま、惰性で人類が滅びに向かってしまえば……!」
今や後悔すらも、彼女の足を止めるものではなく、彼女の背中を押すものでしかない。
「まるで、『無駄死に』のようではないか!
希望のある未来を信じて逝ったあの子達が!
人類の未来を守れたと信じて逝ったあの人達が!
あの死が、あの献身が、あの戦いが、あの悲しみが、無駄だったみたいじゃないか……!」
人の汚さを数千年見続けてなお、"痛みがあれば人は繋がれる"と言い続けられるフィーネが、この世界に望む形はただ一つ。
「物語の終わりは、めでたしめでたしで終わらねばならない!
笑顔で終わらなければならない!
バラルの呪詛で分かり合うことも出来ず!
魔神にいずれ滅ぼされる運命にある今の人類の、どこに明るい未来があるというのだ!?」
人が繋がれる未来。人が脅かされぬ未来。人が愚かさを捨て、正しい道を選んでいける未来だ。
「未来に残してはならないのだ!
魔神も! バラルの呪詛も!
あの子らが望んだ未来は!
もっと明るく、幸せで、人が繋がれる未来だったはずなのだから……!」
でなければ、彼女は今日まで積み上げられてきた犠牲に、顔向け出来ない。
バラルの呪詛とロードブレイザーを排除できれば、人はいずれフィーネが起こした大災厄の痛みも忘れ、明るい未来に生きることも出来るだろう。
だが、その両方を排除できないのであれば……人の滅びは、避けられない。
心と情を捨て、犠牲を対価に、未来を掴むか。
心と情を捨てきれず、犠牲を認めず、未来を捨てるか。
フィーネはその選択を迫られ、前者を選んだ。
愛した弟が守った人類の滅びなど、恋した神の犠牲によって守られた世界の滅びなど、彼女が受け入れられるはずがなかった。
全てが滅び、全てが無駄に終わる結末など、認められるはずがなかったのだ。
だからフィーネは途方も無い犠牲を前提に、"そう"しようとしている。
彼女のそれは、見方を変えれば『正義』と言えるものなのかもしれない。
「このままでは絶滅の未来しか待っていない。
ゆえにここで全ての禍根を断つ。未来へ負債を残さないためにッ!」
―――だが、それでも。
多くの罪の無い人の命を踏み躙るのであれば、ゼファーはその正義を認めない。
「!」
フィーネは反射的に空を見上げ、その手の槍を振るった。
手にしたグラムザンバーの刃の上に暗色の虹が乗り、ネガティブ・レインボウと同種の力が物理攻撃に付加される。
槍は空から降り注いだ砲弾とミサイルの嵐を一つ残らず切り裂き、その質量ごと消滅させた。
空の色に重なる赤色のシンフォギアと、赤色のマフラー。
しかし攻撃は切り捨てられても、その中に混じって跳んで来た黒騎士は切り裂けない。
「貴様、アガートラームッ!」
「俺は、ゼファー・ウィンチェスターだッ!」
暗色の槍が、騎士の細剣と衝突し、槍がその刀身に食い込みながらも拮抗する。
ナイトブレイザーがグラムザンバーと切り結ぶその一瞬の隙を突き、クリスが負傷した弦十郎を抱えて安全な場所へと連れて行った。
ゼファーに迷いはない。
フィーネに迷いはある。
されど力は彼女が上で、覚悟であれば全くの互角。
「あなたを、止める!」
「小賢しいッ!」
運命に導かれるように、彼と彼女はその想いを解き放ち、ぶつけ合った。
魔弓と共に、魔槍に挑む