戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

124 / 188
グラムザンバー・ネメシス


5

 

 窮地に見参。

 

 

 

 

 

 第二十七話:だから笑って

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光弾は、ゼファーに当たるはるか手前で爆裂した。

 

「!」

 

 突如飛来した鉄パイプに貫かれ、黒騎士の鎧に当たる前にもろとも誘爆してしまったのだ。

 ただの鉄パイプ? と思うなかれ。

 ジャイロ回転で空気抵抗をぶっちぎり、メジャーリーガーのストレートの五倍か十倍の速度はあろうかという、尖ってないだけの鉄の槍である。

 唐突に現れ、常識外れの鉄パイプ投擲を成したその男は、ゼファーが支えきれなかったビルの一つをその身一つで掴んで支える。

 

「……! ゲンさんっ!」

 

「よく頑張った! 殊勲賞ものだ、ナイトブレイザー!」

 

 空中歩行能力でビルを支え、焔の鎖でビルを支えるナイトブレイザーの視界の先で、風鳴弦十郎がその身一つで倒れそうなビルを掴んで支えている。

 長く、重く、自重で折れる程度には脆いビルを壊れないよう掴んで支えるなど、どれだけの力と技が要されるのか想像もつかない。

 

「この状況で、司令が司令部離れて大丈夫なんですか!?」

 

「構わん!

 ……と言いたいところだが、二課の処理能力がパンクするのも時間の問題だろうな。

 今は天戸さんに代理を頼んでいるが、そう長くここには居られん。俺も時間制限付きの身だ」

 

 弦十郎は二課の総責任者であり、有事の総司令である。

 よくある言い回しだが、「貴様では話にならん、責任者を呼べ!」というクレームが来た場合、弦十郎が居ないと二課の処理能力がそこに大幅に割かれてしまう。

 そして二課の場合、そういうクレームをつけてくるのは、災害時に焦りに焦った議員や高官などのお偉いさんである。

 弦十郎が応対しなければ、そういった人物達はまず止まらない。

 

 なので弦十郎は、こうした大規模な避難誘導などを伴う事態においては、他人に作戦発令所を任せて前線に出る、という選択肢を取ることができないのだ。

 頭のいい人間が代わりに指揮をすればいい、なんて理屈が通るわけがない。

 一定以上の統率力と一定以上の地位を持っている人間が司令部に居なければ、いずれ二課の処理能力がパンクしてしまうことは目に見えている。

 

「俺も時限式のようなものだが、精一杯やらせてもらおう!」

 

 二課はLiNKER、ナイトブレイザー、今の弦十郎とどうにも時限式と縁が切れないようだ。

 弦十郎はビルを支え、ビルを壊さないよう慎重にゆっくりと押し戻していく。

 ゼファーも同じように、二つのビルをゆっくりと押し戻していく。

 

「助かります!」

 

 一刻も早くビルを押し戻し、地上の人々の逃げ道を塞いでいるビル一つ分の瓦礫をどけ、人々を逃がさなければ真っ当に戦うことも出来ないというのに、急げばビルが壊れてしまう。

 ビルが壊れないように、中の人達が傷付かないように、ゆっくり、ゆっくりと押し返す。

 ヨトゥンヘイムが追撃して来ないことを祈りつつ、されどその希望的観測は叶わないだろうと考えながら、それでもゼファーは誰一人見捨てず、ビルを元の位置に戻そうと裂帛の気合を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヨトゥンヘイムが翼へと撃った光弾は、翼ではなく翼が居た地点の地面に着弾した。

 翼の体が動いた結果光弾は翼に当たらなかったが、それは翼が光弾を回避したからではない。

 彼女の後ろから駆けて来たそれが、ひき逃げアタックで翼を跳ね飛ばし、彼女を光弾の斜線上から逃がしたのである。

 音楽のバリアに守られた翼はこの程度の衝突ではダメージすら受けないが、自分を助けてくれた誰かの姿を見るやいなや、驚愕にその目を見開いた。

 

「ジャベリン!?」

 

 ゼファーはこの戦場にジャベリンに乗って参上し、常に戦場の近くに待機するよう、ジャベリンにコマンドを入力していた。

 そしてビルが攻撃された直後、彼は街に向かう最中に通信機でジャベリンに指示を出し、翼の援護に向かわせていたのである。

 役に立つかどうかも分からず、翼のピンチに間に合うかどうかすら怪しいという援軍であったが……ゼファーの読み――と言うより勘――は見事に当たり、ドンピシャで翼を救うのだった。

 

「縁があるな、私達は!」

 

 ジャベリンは翼を跳ね飛ばした後、跳ね飛ばされ空中に居る翼の下に回り込む。

 翼も驚いたのは一瞬で、ジャベリンがゼファーの送った援軍だと即座に理解し、空中でバランスを取りつつジャベリンの上に跨がるように着地する。

 翼はそのままジャベリンを一直線に森へと走らせ、木々の合間をジグザグに、かつ時速数百kmという恐るべきスピードで駆け抜けた。

 

 ヨトゥンヘイムの追撃が翼に迫る。

 翼に攻撃を絞ったらしく、双銃を翼に向けて連射力フルでぶっ放していた。

 木々が吹っ飛ぶ。

 丘が平たくなっていく。

 地盤が崩壊し、人が避難し終えた周囲の家屋が地面の崩壊に従い次々と地に飲み込まれていく。

 地形を変えるほどの絨毯爆撃を向けられつつも、翼は木々や舞い上がる土砂で身を隠し、双銃の爆撃をジャベリンと共に回避していく。

 

 ゼファーが乗っているのでなければ、ジャベリンは700km/hの本領を発揮することに何一つ問題はない。リミッターは既に解除されている。

 そこに天羽々斬のサポートが加われば、ヨトゥンヘイムの微妙に雑な光弾の連射を回避することなど、彼女には容易い。

 

『こちら友里。翼ちゃん、聞こえる?』

 

「はい、こちら翼、聞こえています! 藤尭さんは今日はお休みですか!?」

 

『……有給よ』

 

「労働基準法も強敵ですねッ!」

 

『あの隠れ料理上手のことは置いておきましょう。支援、来るわよ!』

 

 翼が空を見上げれば、そこには銃を横に向けるヨトゥンヘイム、双銃より放たれる光弾、それに貫かれ撃ち落とされる空対空ミサイルがあった。

 そして、爆発。

 翼がジャベリンをドリフト気味に止め空を見渡すと、そこには空を舞う四機の戦闘機。

 オーバーナイトブレイザー襲撃前に広木防衛大臣の手で再整備されていた法、オーバーナイトブレイザー襲撃後に強まった自衛隊をもっと自由に動かせるようにすべきという世論。

 それらが、以前タラスクとの戦いの時、二課が40時間の根回しで実現させた『自衛隊の援護』をこんなにも早く可能とさせていた。

 

 飛べない天羽々斬とジャベリンのコンビにとって、この援軍はまさしく渡りに船と言えよう。

 戦闘機の一機にゴーレムが銃口を向けて引き金を引くも、横合いから放たれた別の戦闘機の機銃により腕を揺らされ、光弾は明後日の方向へと飛んで行く。

 

 純粋な戦闘能力では、戦闘機『F-15J』はヨトゥンヘイムには敵うまい。

 普通の人間には持てない威力の砲弾を連射しても、ゴーレムの装甲には傷一つ付きはしない。

 ミサイルが当たったところで、倒せるかは怪しいものだ。

 ヨトゥンヘイムは戦闘機達よりもはるかに速く、戦闘機とは違って360°全て全方向に飛翔可能で、センサー類などにいたっては技術水準の次元が違う。

 が。

 それでも、戦闘機達は数と連携で食らいつく。

 

『撃つな、回避しろ』

『焦るな。バディの死角を塞ぐことを怠らなければいい』

『司令部、指示を!』

 

 たとえそれが、数分の時間稼ぎにしかならないのだとしても、だ。

 稼いだ時間が無駄にはならないと知るからこそ、彼らは決死の想いで食らいつく。

 彼らが戦い続ける数分間は、ゴーレムが戦闘機との戦いにかまけ、力なき人々に手を出すことがない時間でもある。足掻けば足掻くだけ、彼らは命を守ることが出来るのだ。

 彼らはヨトゥンヘイムを倒すためにここに来たのではない。

 ヨトゥンヘイムから人々を守るために来たのだ。

 

 彼らに強敵を討つ力は無い。が、巨悪相手に屈しない意地はある。

 彼らに英雄になれるだけの力はないが、英雄の『手が足りない』という無力感を補い、"奇跡に手を届かせるための数分"の時間を稼ぐことはできる。

 何故ならば。

 日々血反吐を吐くような訓練を積み重ね、戦闘機を乗りこなす彼らもまた、男だからだ。

 

「空を走るぞ、ジャベリン」

 

 翼はナイトブレイザーが戻って来るまで持ちこたえるため、時間を稼ぐために、その戦闘に参加せんとする。

 彼女は空を飛ぶことは出来ない。

 ジャベリンも空を飛ぶことはできない。

 が、空を走ることは出来る。

 

「行くぞッ!」

 

 翼は千の落涙を展開。

 剣の硬度、大きさ、切れ味などにこだわらない雑な千ノ落涙であったが、これは攻撃目的で放たれた技ではなかった。

 千ノ落涙が組み合わさって、地上から空に繋がる鋼の道を作り上げる。

 翼とジャベリンはそれに乗り上げ、それを通って空を走り始めた。

 

 剣は空中に固定され、自在な空中走行を可能とする道となる。

 翼とジャベリンが通り過ぎた部分の剣はまたバラバラになり、翼達が走っていく先に先回りして新たな道を作るという、剣の数はそのままなのにいくらでも道を作れる永久機関。

 新たに現れた援軍達が、先程まで翼が選べなかった戦闘選択肢を可能としてくれていた。

 ジャベリンは機動力をくれる。自衛隊は、攻撃のチャンスをくれる。

 

 空を駆けて行く剣士と騎馬の進行方向では、ヨトゥンヘイムがその戦闘能力を余すことなく発揮していた。

 ヨトゥンヘイムに同時攻撃を仕掛ける三機の戦闘機。

 一機は機関砲で動きを牽制し、二機がミサイル攻撃を仕掛ける。

 音の三倍から四倍の速度で飛んで来るミサイルを、尋常な手段で回避する事などできはしない。

 

 それゆえに、その瞬間のヨトゥンヘイムの動きは尋常ではなかった。

 

「―――!?」

 

 ゴーレムはまず射線を外す、という形で戦闘機の機関砲を撃たれてから回避する。

 そしてその場で二丁銃を二方向へと乱射した。

 右手の銃の光弾は機関砲を撃って来た一機の両翼をもぎ取って、撃墜に至らせる。

 左手の銃の光弾はミサイルをぶち抜き、ミサイルを撃って来た一機にかすり、あわや撃墜かとパイロットの肝を冷やさせる。

 

 そして両翼を失った戦闘機からパイロットが脱出し、乗り捨てられた戦闘機の残骸が慣性で海に落ちていく中、最期に残ったミサイルがヨトゥンヘイムに迫る。

 音の何倍という速度で飛ぶそれを、ヨトゥンヘイムは……なんと、『受け止めた』。

 かわそうと思えばかわせただろうに、これみよがしに両の手から発生する"バリア"で受け止めたのだ。戦闘機のパイロット達に、見せつけるように。

 

「なんて、野郎だ……!」

 

 マッハ3以上の速度で飛ぶミサイルに反応する超反応に加えて、ミサイルもかわそうと思えばかわせたスピードに、かわせなければ受け止められるバリアまで加わる。

 これ以上なく露骨に、パイロット達の心を折りに来ていた。

 アースガルズを模倣したものの、対消滅バリアには遠く及ばないヨトゥンヘイムのバリア。

 されどゴーレムの出力でなされるそれは、戦闘機のミサイル程度ではビクともしない。

 ダメなのか、と彼らが思ったその瞬間。

 

「―――♪」

 

 空を走って距離を詰めた風鳴翼が最速で放った蒼の一閃が、横から機械人形の足を切り弾く。

 飛ぶ斬撃はヨトゥンヘイムの足を切断することは出来なかったが、装甲表面に刃の斬撃痕を刻み付け、内部まで届かせた衝撃で脚部の機能を麻痺させる。

 

 ヨトゥンヘイムはシンフォギアかナイトブレイザーしか自分を倒せないことを知っている。

 だから敵として見ていたのは、ゼファーと翼の二人だけだった。

 にもかかわらず、ヨトゥンヘイムは戦闘機に"気を引かれてしまった"。

 結果、翼は敵が自分から意識を逸らした隙を見逃さずに、攻撃を成功させることができたのだ。

 

 ヨトゥンヘイムは聖遺物を扱えない者をナメている人間が組んだルーチンを元に動いていて、パイロット達の心を折るなどという無駄な行動を取り、結果翼に隙を突かれてしまった。

 ベースに敷かれているベリアルの行動パターンの強みが、後付けのルーチンのせいでより悪辣になりつつも、その正道の強さが半ばほど死んでしまっているのだ。

 翼は螺旋状に作り上げた剣の道を走り降り、重力加速も加えて地上に走り戻りつつ、叫ぶ。

 

「そこなゴーレム! 貴様が喧嘩を売ったのは、聖遺物使い相手だけではないと知れ!」

 

 残った三機の戦闘機の中で、男達が奮い立つ。

 強い言葉に、響く声に、声に宿る不思議な力に心を震わせられる。

 強敵に立ち向かう少女の姿が、男達に勇気をくれる。

 

 心折れない限り、後に繋がるものもある。

 

 地を這う青い翼に付き従うように、空で鉄の翼が唸りを上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翼達が命がけで戦い、歯を食いしばり、一分一秒でも長く食らいつくためにギリギリの戦いを繰り広げている、まさにその時。

 ゼファーの方は、更に厳しい状況を余儀なくされていた。

 

「う、ぎ……!」

 

 ゼファーの右手が巨大なビルを支え、足が空を蹴り、ビルをゆっくりと押し返す。

 左手は焔の鎖をゆったりと動かし、相当に精密な力加減を要されつつも、万トン単位の重さと体感的には豆腐に近い脆さのビルをゆっくりと引き戻す。

 だが、ヨトゥンヘイムの攻撃で脆くなったビルは細心の注意を払っても崩れてしまう。

 角が欠け、ガラスが割れ、壁面が砕けて落ちていく。

 

 ナイトブレイザーはこのビルに押し潰されたとしても、ダメージを受けることはないだろう。

 だが、一般人は別だ。

 手の平に乗るサイズの瓦礫でも、手の平に乗るサイズのガラスの破片でも、落ちて当たれば人は死ぬ。ビルが揺れれば、人を容易に殺せるそんな凶器達が落ちていく。

 なればこそ、ゼファーはそれすらカバーしなくてはならない。

 

「あああッ!」

 

 ビルより落ちていくガラスの破片と、拳大の瓦礫。

 傾くビルの真下には、逃げ道を塞がれて団子になった街の人々が居る。

 両腕が塞がっている状態で、気力のみでゼファーは新たな焔を放った。

 焔はガラスと瓦礫を焼滅させるが、無茶の代価として焔の制御が不安定になり、ゼファーが支えていた二つのビルがまた傾き始める。

 それどころか腕の焔の制御まで疎かになってしまい、意識のブレーカーが落ちるような錯覚を生むほどの激痛が腕に走ってしまう。鎧の隙間から、肉が焼ける煙が漏れて来た。

 ゼファーは歯を食いしばってこらえたが、危うくビル二つを巻き込んで失神する所であった。

 

「気張れ、ナイトブレイザー!」

 

 弦十郎の声が響いて、ゼファーはかろうじて立て直す。

 だがこの状況が続くようなら、長くは保つまい。

 倒れゆく三つのビル。

 最初に倒れたビルと光弾による破壊痕のせいで逃げ道がなくなり、ビルが倒れていく場所にて逃げようにも逃げられない民衆。

 一課二課の避難誘導ができていないという状況と、道がないという最悪の状況が重なってしまっている。

 せめて人々がどこかへ行ってくれないと、この状況は打開できない。

 また一発、ヨトゥンヘイムの攻撃の流れ弾が街を壊して人々の逃げ道を塞ぎ、余波でビルを揺らして破片を落として、ゼファーの負担を引き上げる。

 

「ぐ、う、ぃ、じっ……!」

 

 ゼファーの声は仮面越しであるため、変身前と変身後の声を聞き分けることは不可能に近い。

 それでもゼファーは自分の正体が露見することを防ぐため、一般人の目がある所では極力喋らないようにしている。

 一般人の前では静かに、無言で、淡々と戦い続けることを意識している。

 それでも、ここまで追い詰められれば苦悶の声とて漏れてくる。

 漏れた声は、ナイトブレイザーに守られている人々の耳にも届いてしまう。

 

 この場に居た者の大半が、ナイトブレイザーの声を聞いたことがなかった。

 ゆえに初めて耳にしたナイトブレイザーの声に、戸惑う者も多かった。

 彼らはナイトブレイザーを見上げ、自分達を守りながら命をヤスリで削っているかのような苦しげな声を漏らす騎士の姿に、"考えること"を促される。

 

「おい、どうする……?」

「どうするって……」

「……どうにもならないだろ」

 

 今ゼファーが守っている者達の一部は、愛歌が言っていた通り、他人を押し退け踏みつけにして逃げて来た者達だ。

 あの日、オーバーナイトブレイザーの焔に追われ他人を犠牲にしてしまい、響を初めとする多くの人間に『殺人者』の汚名を着せた者達と、同類の人間である。

 死の恐怖を前にすれば優しさを捨ててしまう、そんな"普通の人間"達である。

 

 だが今は、そんな者達も周りの人間に危害を加えてはいなかった。

 理由は二つ。

 一つは、他人を押し退けようが窮地からは逃れられないという、この状況。

 そしてもう一つが、"ナイトブレイザー"であった。

 

 ナイトブレイザーが命を削っているかのような苦悶の声を漏らしつつ、必死にこの場の全員を守ろうとしている姿を見て、この場の皆は何かを想う。

 何もしていない自分を見て、この場の皆は何かを想う。

 黒騎士が守るべきものを見る視線で自分達を見ているのに気付き、この場の皆は何かを想う。

 

 少なくとも、自分を守ってくれているナイトブレイザーの目の前で、人同士の醜い争いを始めるような人間は、この場にはただの一人も居なかった。

 親の前で、親友の前で、恋人の前で、子の前で、人が情けない姿を見せたくないと考えるのと同じこと。ナイトブレイザーが見ていると思うだけで、皆は自然とほんの僅かに背筋を伸ばす。

 情けない部分を、醜い部分を、弱い部分を抑えつけて、ほんの少しだけ格好つける。

 

(何か、俺達にも、出来ることがあるんじゃないか?)

 

 一人の男がそう思った。その隣の男もそう思った。別の男もそう思った。

 ぽつりぽつりと、数えきれないほどの人が集まって身動きが取れなくなっている集団の中で、誰一人として言葉を交わさぬままに、皆が同じ考えを頭の中に思い浮かべていく。

 『私たちは何もしないままでいいんだろうか』と。

 皆の心がやんわりと、曖昧に同じ方向を向き、一つになっていく。

 

 ある者は、自分達が足手まといになっているこの状況を理解していた。そしてこのまま足手まといで居続ければ黒騎士は負け、自分も死ぬだろうという未来をちゃんと予測できていた。

 ある者は、苦しんでいるナイトブレイザーを心配していた。

 ある者は、他人の力ではなく自分の力で生還を勝ち取ろうとしていた。

 ある者は、英雄の勇姿に触発されてその真似をしようとしていた。

 ある者は、人してすべきことがあるはずだと奮起した。

 

 ある者は隣に居る家族を守ろうと、愛で己を鼓舞していた。

 ある者は勇気を振り絞った。

 ある者は希望を捨てていなかった。

 

(来た道を戻って……戻れないし、あの金色の騎士が居る方向に進んじゃうな)

(人が多すぎて、自由にも動けない)

(あの道を塞いでるデカい瓦礫さえなければ)

(どうすりゃいい? 何が出来る?)

(ナイトブレイザーが支えてるビルが倒れたら……そうでなくても攻撃が飛んで来たら……)

(おしまい)

(どどどどどうしよう!?)

(どうにもならないなんて……そんな……そんなの嫌よ)

(何か)

(何かないか?)

(何がある?)

(何が出来る?)

(何をすればいい?)

 

(俺達に)

(私達に)

(僕達に)

 

(何か、できることをすれば)

 

(そうすれば)

 

(きっと、今ああやって頑張ってくれている、ナイトブレイザーの、助けに―――)

 

 バラけていた皆の思考が、徐々に形を揃えていく。

 極限の環境が、英雄の存在が、外敵の存在が、選択肢が極端に少ないこの状況が、集団の心理を一つの形に寄せていく。

 ライブという環境に音楽と歌を注ぐことで、その場の全員の心を一つにするのと同じように。

 社会という器と風潮という流れを作れば、人を皆流れに乗せることができるように。

 心が重なる流れができる。

 

「……? おい、あんた何やって……」

 

 そうして必然的にそうなるかのごとく、一人の男が前に踏み出した。

 粗暴そうな顔をした髭面の中年男性。

 髭面は前に踏み出し、どれほどの重さがあるのか分からないビルの破片に体からぶつかって行く。

 

「! お、おい! 何やって……」

 

「こいつをどければ先に進める……!

 オレ達が逃げられれば、あのナイトの足手まといも居なくなる……!

 単純な理屈だ! 分かりやすいだろうが! 男の理屈だ!」

 

「……! だ、だけど、こんなデカくて重い瓦礫……!」

 

「そういう台詞はやってみてダメだった時に言えや!」

 

 髭面の中年は、体当たりで瓦礫にぶつかって行く。

 それを見て、数秒と立たずに、高校生らしき少年が続いた。

 

「……お、俺も!」

 

 呆れたような息を吐きつつ、小綺麗なスーツが汚れるのも構わず加わった男性が居た。

 

「やれやれ、卒業でラグビー部を離れて以来か」

 

 いいガタイの割りに気弱そうな大男が、頬を強く叩いて駆け出した。

 

「ぼ、僕だって、あそこで頑張ってるヒーローみたいに……!」

 

 ガテン系らしき、体格のいい男達が数人同時に加わった。

 

「やるぞお前ら!」

「ウス!」

「ウス!」

「ウス!」

 

 一人、また一人と瓦礫を押す作業に加わっていく。

 

「「「 せーのッ! 」」」

 

 瓦礫は動かない。

 けれど諦めず彼らは挑み続け、彼らが諦めず挑むたびに、一人、また一人と増えていく。

 

「「「 せーのッ! 」」」

 

 人が加わって、加わって、加わって。

 最後には、50人ほどが横一列に並ぶ事態となった。

 

「「「 せ―――のッ! 」」」

 

 50人の心が、声が、力が一つとなって、瓦礫を押す。

 1人の力を50回分足し算したのではなく、50乗したかのような力が、瓦礫を押しどける。

 轟音と共に瓦礫は移動し、地面と衝突すると同時に土煙を巻き上げた。

 

「よ、よっしゃぁ……!」

「やった! やったぞ!」

「……って向こうに、まだ瓦礫が……」

「ここからは俺達に任せろ!」

 

 50人の男達が現状を打破する奇跡を起こしたものの、一難去ってまた一難、瓦礫の向こうにまた瓦礫。疲労困憊の50人にはすぐにどけられそうもない。

 されど後続より現れたるは、新たに一歩を踏み出してきた20人。

 疲労困憊の50人の代わりに、先程の瓦礫よりかなり小さな瓦礫をどけようとする、運動部やスポーツマン等の男女混合で寄せ集めた20人であった。

 その20人が瓦礫をどけて、50人の中から体力が回復した者達から順に戦線に復帰し、『数』というとんでもない武器を用いて人々は道を作り上げていく。

 

「大丈夫ですか?」

 

「おお、おお、ありがとう……」

 

 体力に自身が無い者達も、止まらない。

 近くに居た一人ぼっちの子供や老人の手を引いて、出来た道を進んでいく。

 隣に居る誰かに手を差し伸べることは、誰にだって出来ることだ。

 

「おい、こっちにも怪我人だ!」

 

 手の空いた者が崩れたビルの周辺を捜索し、怪我人を見つけ次第担架を作って運んでいく。

 これもまた、腕力がなくてもできること。

 そしてどこかで、血塗れた女性に対して、罪を犯した者の謝罪が差し出される。

 

「あ、あの……大丈夫ですか?」

 

「……あんたに突き飛ばされて、瓦礫に挟まって怪我した私が、大丈夫に見える?」

 

「……すみません。それと……ごめんなさい!

 本当に、本当に、ごめんなさい……!

 私、怖くて、逃げようとして、あなたが前に居たからって、最低なことを……!」

 

「ったく……謝るんなら最初からしないでよねもう……

 逆の立場なら、もしかしたら私がしてたかもしれないけどさ……

 ……後悔して反省して助けに来てくれたから、1/3くらいは許してあげる」

 

「!」

 

「財布の中身の半分で勘弁したげるわ」

 

「!?」

 

 どこかで、殺されかけた女性が自分を犠牲にした人間から差し出された謝罪を受け取り、許す。

 カツアゲを本当に実行するかは定かではないが、許されたことだけは本当だ。

 男に突き飛ばされて瓦礫に挟まれ、血を流し、死の恐怖に涙していたその女性が、ピンチに来てくれた誰かに心から感謝する……と書けば良い話だが、女性を突き飛ばした男も女性を助けた男も同一人物であるというのだから、素直に美談にならないというこのややこしさ。

 まあ、被害者が許しているのだから、とやかくは言うまい。

 

 これもまた、"あの日"になかった光景だった。

 他人を犠牲にしてして生き残ろうとした者が、逃げた後に後悔して戻って来て、自分が犠牲にした者を助けに来る。

 殺されかけた者が、自分を殺しかけた者を、許す。

 他人を犠牲にして生き残ろうとしてしまったことが、自分の弱さに負けてしまったがゆえの10の罪ならば、その後に戻って来て助け出すことは、せいぜい1か2の償いにしかなりはしない。

 それでも、しないよりかはずっとマシだ。

 開き直って何も償わないよりかは、ずっと良い。

 

(……これが……)

 

 天羽愛歌は、そうやって『人』が変革していく様を目にしていた。

 先程まで互いに傷付け合い、不和(バラル)を産んでいた者達が手を取り合う光景を目にしていた。

 人の心が一つになるという奇跡が成された光景を、目にしていた。

 あの日、オーバーナイトブレイザーの災厄があった日に無くて、今ここにあるもの。ゼファーが望み、夢見て、現実にしようとしていたものを目にしていた。

 

 ゼファー・ウィンチェスターはずっと信じていた。

 善い人は、善いことをしてくれると。

 悪い人も、いつか善い人になって、善いことをしてくれると。

 今は正しくなくてもいいと、時には間違えたっていいと、それでもいつか、誰もが皆に優しくなれる日は来るはずだと、信じていた。

 

 大切な、本当に大切な親友だった響を傷付けた者に、ゼファーは暴力を振るわなかった。

 時に叱り、時に怒り、時に微笑み、時に歩み寄り、時に話しかけ、時に手を差し伸べた。

 自分に唾を吐き、罵倒し、非難し、小馬鹿にし、足蹴にして来た者達とも、敵対しなかった。

 言葉を尽くして、分かり合おうとして、説得しようとして、頼み込んで、味方に付けた。

 その日々は彼の心を痛めつけるものであり、それが洸の死というきっかけでナイトブレイザーの暴走に至ってしまったのだから、その苦難は並大抵のものではなかっただろう。

 

 それでもゼファーは、力ではなく言葉と想いを尽くした。

 良い人にも悪い人にも、正しい人にも間違っている人にも、等しく生きて欲しいと思った。

 誰にも死んで欲しくない、誰にだって幸せになって欲しい、そう願っていた。

 

 それは混じり気なしの本気の思い。誰にも等しく向けられる揺らがぬ『大好き』という気持ち。

 

 本気の想いは伝わり、周囲に伝搬し、徐々に、徐々に、ゼファーを中心として数えきれない人達を加速度的に変化させていった。今日までの日々の中、ずっと、ずっと、ずっと。

 

(これが、ゼファーさんの言っていた、『人の輝き』……)

 

 それは蝶が羽ばたいた結果嵐が生まれたかのような、巨大な変革。

 彼が助けたカメラマンが、名も無き警察官が、二課の誰かが、男達が、女達が。

 彼が向き合った被災者が、家族を失った者が、加害者が、被害者が。

 更に多くの人間に、英雄を発端とした優しい影響を伝搬させていく。

 誰かが人を変える英雄になれるなら、誰もが人を変える英雄になれるのだと、言わんばかりに。

 

 風にそよぐ(あし)のように、こうして皆が同じ方向を向く。

 英雄に頼るだけでなく、自分達の手でどうにかしようと立ち上がる。

 隣に居る誰かと心を一つにすることを、誰もが躊躇わない。

 この場の誰もが、生きることを諦めていなかった。

 

(……あー……あたしも、お腹に穴開いてなきゃなきゃ、あそこに、加わりたかったのに……)

 

 愛歌が頑張っている人達を見る。

 ビルの瓦礫の中から人を救助している人達が来て、愛歌を見下ろして、口元を抑えて愛歌の『致命傷』とそこから流れる血を見て、彼女の生を絶望視する。

 愛歌は自分が助からない確信を持ちつつ……それでも、今目にしている人の輝きに、どこか不思議な心地良さを感じていた。

 

(……眩しいなあ……)

 

 それは、オーバーナイトブレイザーが来たあの日の過程を変えたもの。

 他人を足蹴にしていた者達ですら、他人を手を取り合っているという、輝かしい現実。

 

 綺麗であっても、醜くあっても、人は輝ける。

 罪を犯せば、他人を傷付ければ、命を殺めれば、人はその時点で綺麗な人生を失ってしまう。

 手が汚れ、その人の想い出に罪の意識がずっと残る。

 一度汚れ傷付けば、その人は無垢で綺麗な昔の自分には戻れない。

 

 それでも―――ひとたび汚れれば、二度と輝けないなどという道理はない。

 

 泥にまみれた奇跡にこそ、宿る価値もある。痛みの過去が、輝きに生まれ変わることもある。

 

「「「 せーのッ! 」」」

 

 また一つ、瓦礫がどけられる。

 

「怪我人もう一人だ!」

 

 また一人、怪我人が救助される。

 

「よし、これで――」

 

 所要時間10分。

 ナイトブレイザーと弦十郎がビルを必死に支えていた10分。

 自衛隊と翼が決死の思いでヨトゥンヘイムの足を止めていた10分。

 その時間を使って、街の人々は自分達の力だけで、自分達を救う道を切り開く。

 

 それは回り回って、人々を見捨てられないナイトブレイザーの手助けとなっていた。

 

「――もう大丈夫だ、ナイトブレイザー!」

 

 人々の中から、何人かが叫んでいる。

 

 ゼファーはタラスクの時のことを思い出していた。

 あの時、皆の心は限りなく一つに近かった。

 ゼファーはオーバーナイトブレイザーの時のことを思い出していた。

 あの時、皆の心は限りなく一つから遠かった。

 

「私達のことは心配いらない!」

 

 今、この場の誰もが、ナイトブレイザーを送り出そうとしている。

 

「だから思う存分、戦ってくれッ!」

 

 彼らは、自分達という足手まといさえ居なければ、『俺達の英雄は負けない』と、そう信じている。ゼファーは、彼らの気持ちを受け取った。

 彼の心が、震えに震える。

 そして彼の血であり肉であるアガートラームが、人の心の輝きに応え、莫大な力を生み出した。

 

「う、お、お、おおおおおおッ!」

 

 ビルの下の人々が居なくなり、そこをカバーする必要がなくなったこと。

 そして、新たな力が体の底から湧いて出て来ること。

 その二つがナイトブレイザーに、二つのビルを押し返し、正常な位置にまで押し戻すことを可能とさせた。

 後はビルの折れた部分を焔で溶接すれば、ビルの中の人々が全員逃げる間くらいは保つだろう。

 

 これで後顧の憂いは断った。

 街の人は相応の時間をかけて避難を完了させるだろう。

 人質に取られるかもしれない者達は、いずれ街の中には居なくなる。

 ゼファーがヨトゥンヘイムの方を見れば、ちょうど最後の戦闘機が撃墜されたところであった。

 急がねば、と、ゼファーは弦十郎の方を見る。

 最後のビルを押し返しつつも、そろそろ安定した位置まで押し返し終わりそうな様子だ。

 言葉を交わす時間すら惜しいとばかりに、彼らは視線だけを交差させ、アイ・コンタクト。

 

―――ゲンさん、こっちはお任せします!

 

―――ああ、行って来い!

 

 一瞬で互いの意志を疎通させ、ナイトブレイザーは風より速く飛び出した。

 今日ゴーレムと最も長く、最も濃密に戦っているであろう青髪の少女を彼が思い浮かべると、その速度は一層増して、空を駆けて行く。

 その背中に人々の声援がぶつけられると、声援に背を押されたかのように更に加速する。

 

(負ける気が……しない!)

 

 過去最速と言っても過言ではないスピードで、ゼファーは空を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 血塗れで動きが鈍くなった左腕を剣から離し、翼は右手一本で剣を握り締める。

 ヨトゥンヘイムの装甲にはいたる所に傷が付いているものの、それだけだ。

 最初に四機居た戦闘機も、もはや一機しか残っていない。

 シンフォギアと自衛隊のチームが絶体絶命にまで追い詰められているのに対し、ヨトゥンヘイムは両肩のビーム砲も両手の二丁銃も失ってはいない。

 互いの被害の差が、互いの地力の差をそのまま表しているかのようだった。

 

「……だがッ!」

 

 ジャベリンを駆る翼に、ヨトゥンヘイムが銃撃を放つ。

 翼はそれを、シートの上に立ってから跳躍することで回避した。

 跳躍した翼と地を這うジャベリンの間を光弾が抜け、地面にぶつかり爆裂する。

 

「―――♪」

 

 歌を歌い力を溜めつつ、翼は空高く舞い上がる。

 そしてそのまま、"戦闘機の上に着地した"。

 

『振り落とされるなよ、嬢ちゃん』

 

 シンフォギアの脚部仕様と、バリアフィールドの応用だろうか。

 翼は難なく戦闘機の上に立ち、空気抵抗の大半を無効化していた。

 結果、戦闘機は普段通りの仕様に加えシンフォギアという新たな武装を手に入れていた。

 翼も同様に、飛べない自分を飛行させる鋼の翼を手に入れる。

 

『外すなよッ!』

 

 戦闘機はミサイルをあるだけ全て吐き出し、機関砲の弾丸も全てヨトゥンヘイムに叩き込み、最高速度で敵へと距離を詰めていく。

 ヨトゥンヘイムが張ったバリアはミサイルも機関砲も悠々と弾き、翼と戦闘機を待ち受ける。

 瞬間、衝突。

 

 両者がすれ違うと同時、三者三様の崩壊が彼女らを襲う。

 戦闘機はヨトゥンヘイムのバリアで片翼を融解させられ、パイロットは脱出を余儀なくされた。ヨトゥンヘイムはすれ違いざまに目にも留まらぬ速度で放たれた『早撃ち』により、バリアのカバー範囲の隙間を狙われ、銃の片方を切り捨てられた。

 銃の破壊と引き換えに耐久限界を迎え砕けた刀を捨てて、翼は地面に落ちていく。

 

 逃がすか、と言わんばかりにヨトゥンヘイムは残った片方の銃を落下中の翼に向ける。

 片方の銃を破壊されたところで止まるゴーレムではない。

 容赦もなく、優しさもなく、淡々と引かれる引き金の音。

 翼は空中では身動きなど取れず、背後から迫る光弾を防御するすべを持っていなかった。

 

(よし)

 

 しかして、彼らはチームである。

 一人で補えない死角があるならば、仲間に補って貰えばいい。

 

(来たわね、ゼファー!)

 

 翼の背を守るように、焔の障壁が展開される。

 何もかもを食らうネガティブフレアは、十分な厚みと密度を与えられたことで、ヨトゥンヘイムの光弾すら喰らい尽くしていた。

 ゴーレムが横を向く。

 するとその視線の彼方に、街の上空から空を走り抜けてくる、一人の黒騎士の姿。

 

「貫け! ガングニィィィィルッ!!」

 

 まだまだ距離があるというのに、遥か遠方で黒騎士が右の拳を振るう。

 するといかなる原理か、その右手から焔の槍が伸びて来るではないか。

 その速度、実に音速の十倍。

 物理法則の多くを無視するゼファーの焔は、まさしく次元違いの一撃となって放たれた。

 

 ヨトゥンヘイムは避けようと動くが、避けきれない。

 たまらずバリアを展開し、途方も無いスピードとナイトブレイザーの拳力を両立した槍先を、バリアでなんとか受け止めた。

 受け止めた……かに、見えた。

 

 焔のガングニールが、ネガティブフレアが、命中した箇所からバリアを"喰い始める"。

 この程度のバリアで防げると思うなど、ネガティブフレアも舐められたものだ。

 先史の時代に概念も、時間も、空間も、一緒くたに燃やしていたネガティブフレアを、この程度のバリアで防げようはずもない。

 炎のガングニールはほんの一秒か二秒でバリアを文字通りに食い破り、その奥のヨトゥンヘイムを貫通せんとする。

 ヨトゥンヘイムはやむなく、全能力を回避に傾倒させ、体勢をしっちゃかめっちゃかに崩しながらもなんとか回避。

 遮二無二で不格好で落下するような回避であったが、なんとかよけることができていた。

 

 一度喰らえば、その時点で即死がほぼ確定するのがネガティブフレアの恐ろしい所だ。

 ゴーレムも必死にかわそうとするのは必然である。

 だがしかし、回避に戦力を注ぎすぎた結果、ゴーレムは致命的な隙を晒してしまっていた。

 

「♪ッ!」

 

 叫ぶように歌を歌い、出力を引き上げたギアのエネルギーを剣に集中した翼の蒼の一閃。

 それは威力・速度・精密性全てにおいて非の打ち所のない、お手本のような一撃であった。

 敵の隙を見逃さない翼の抜け目のなさも相まって、放たれた斬撃はヨトゥンヘイムの顔面に直撃し、体を引っ張るくらいの勢いで顔を上方に打ち上げる。

 翼の一撃はヨトゥンヘイムの顔のカメラアイやセンサーアンテナを粉砕し、人間で言えば片目を潰し、額を割ったに等しいダメージを叩き込んでいた。

 

「―――!?」

 

 だが、止まらない。

 このクリーンヒットですら、ゴーレム相手にはトドメにはならないようだ。

 ヨトゥンヘイムは顔を砕かれながらも、片手の銃を翼とゼファーに向けて交互に連射する。

 威力は十二分にあれど、今や双銃でもなくなった上に的が倍に増えたことで、ゼファーと翼のスピードであれば容易にかわせる弾幕密度。

 されど毛の先ほどの油断もせずに、翼は下から、ゼファーは上からヨトゥンヘイムに攻撃を仕掛ける。

 

「! 避けろツバサ!」

 

「!?」

 

 だが次の瞬間、ゼファーの直感が危機を知らせ、直感を疑わず彼は横に跳びつつ声を上げ、彼の声に反応した翼が横に跳んだその直後、二人が一瞬前まで居た空間が薙ぎ払われた。

 ヨトゥンヘイムが両肩の超大型ビーム砲・ダークネスティアを発射しながら、その場で一回転するという、とんでもない攻撃を仕掛けて来たのだ。

 ヨトゥンヘイムは回転さえもマッハ単位の速度で行っており、ビームで薙ぎ払った、と認識できないほどの速度で薙ぎ払ってくる始末。

 直感という反則がなければ、最悪今の一撃で二人まとめて仕留められていた。

 

「こんな強力な武器、なんでここまで温存して……! ……ん?」

 

 ゼファーは一旦地上に降りて、翼と合流。空中戦を長く続けていても勝ち目はないからだ。

 ヨトゥンヘイムはまた高速飛翔を繰り返し、空の高みから片手の銃で絶え間なく地上のゼファーと翼を撃ち続ける。

 だがスピードに自信のあるナイトブレイザーと天羽々斬相手では、片手銃で当たるわけもない。

 

 まして、二人は連携して動いている。

 そのコンビネーションは最高と言っていい域にあるものだ。

 二人は極力ヨトゥンヘイムの弾を広範囲に散らさせて、自分の方に飛んで来る光弾を撃ち落としつつも、互いに相方の方へ飛んで行く光弾を撃ち落としている。

 片方が囮になる時もあれば、片方が壁になる時もあった。

 銃二つならばともかく、今のヨトゥンヘイムの銃一つでこのコンビを仕留めきれるわけがない。

 

 にもかかわらず、ヨトゥンヘイムは先程から超大型ビーム砲を撃って来ない。

 訝しむゼファーは直感的に敵ゴーレムに何かがあると気付き、戦闘と平行してヨトゥンヘイムの観察を続け、ほどなくその謎の答えに辿り着いていた。

 

(……あのカートリッジ)

 

 背部バックパックと直結している両肩の超大型ビーム砲。

 その根本に、挿さっているカートリッジが左右二本づつ見えたのだ。

 更に言えばその横には、カートリッジが排出された跡も見えた。

 ヨトゥンヘイムが体外に放出している熱量、カートリッジがそこにある意味、などなど今この場にある様々な情報を分析し、勘で『これだ』と思うものを選べば、答えは自然と見えてくる。

 

(冷却用のカートリッジ……か?)

 

 強さが弱さ、長所が弱点。よくある話だ。

 つまりヨトゥンヘイムは、大火力装備を搭載するのと引き換えに、その大火力装備を排熱の問題でそう何度も使えない、という弱点があったのだろう。

 先程の回転によるビーム薙ぎ払いも、おそらくは排出したカートリッジを薙ぎ払いの過程で巻き込んで破壊して、自分の情報を隠すという意味もあったのだ。

 ヨトゥンヘイムの光弾をかわしながら、ゼファーは思考を続ける。

 

(カートリッジが二つということは、敵が撃って来るのはあと三回。……三回も撃てるのか)

 

 ナイトブレイザーの活動限界時間は、今はHEX込みで20分といったところだ。

 すでに15分が経過してしまっている。

 ちんたらと勝機を待っていれば、それだけで時間切れになってしまいそうだ。

 そして無理に攻めに行けば、超大型ビーム砲ダークネスティアの餌食となってしまう。

 敵が飛べる、敵が速い、敵が遠距離型という三重苦。

 地味に窮地であった。

 

「!」

 

 そこに降って湧いた一つのチャンスを、ゼファーは見逃さない。

 あまりにも完璧にゼファーと翼が攻撃を回避し続けるものだから、ヨトゥンヘイムが彼らを仕留めるために高度を下げ始めたのだ。

 ヨトゥンヘイムの視点では、自分の攻撃が有効になりやすい位置でかつ、ゼファーらの攻撃が届かない位置と踏んだのだろう。

 そこに付け入る隙がある。

 

「ツバサ!」

 

「任せなさい!」

 

 ナイトブレイザーが前に出て光弾をかわす。シンフォギアが後ろに下がって光弾をかわす。

 結果、二人の中間地点ほどの地面に光弾が命中し、炸裂した。

 ゼファーは走り、更に加速。

 翼は地に手を付けて、ゲインを流し込む。

 そして二人は、ヨトゥンヘイムに真正面からの奇襲を仕掛ける。

 

 ナイトブレイザーの足元からとてつもなく長く細い剣が生え、剣先を踏んだ黒騎士を斜め前上空へと押し上げて、ヨトゥンヘイムとの距離を一気に詰めさせたのだ。

 

 一歩間違えれば、一呼吸ズレれば、指一本分位置を間違えてしまえば、それだけで失敗する奇襲型コンビネーション。

 だがこの二人にとってこの程度は息をするようなものだ。

 ヨトゥンヘイムが光弾で迎撃するが、移動にも攻撃にも焔を使わず、焔での防御に徹したナイトブレイザーはそれでは倒せない。撃っても撃っても、焔の壁に飲み込まれてしまう。

 

 ここでヨトゥンヘイムは、距離を調整しつつダークネスティアという切り札を切る。

 ピンチをチャンスに、接近してきたゼファーをカウンターで消し飛ばすつもりなのだ。

 ヨトゥンヘイムはギリギリゼファーが拳を振るっても届かない距離を保ちながら、ダークネスティアの発射準備を整える。

 

「どぅらッ!」

 

 ゼファーはそれに対し、拳が届かないならばそれ以外でと、足掻く。

 右拳のガングニールを伸ばす。回避される。

 左掌の焔を様々な形状に変化させて飛ばす。回避される。

 この期に及んでも、ヨトゥンヘイムの速度と回避能力は圧倒的だった。

 距離を詰めているというのに、カメラの一部とセンサーアンテナを翼が壊した後だというのに、真正面からではゼファーの焔がまるで当たらない。

 

(どういう、回避力だッ!?)

 

 そうこうしている内に、超大型ビーム砲口から光が漏れる。

 あと一秒も経たない内に、ダークネスティアは発射されるだろう。

 

(こっちが当てる前に、先に撃たれる……!)

 

 チャージしていた焔は先程全て回避されてしまっており、焔を今から再チャージして大技を撃つほどの時間はない。

 ゼファーはなけなしの焔を拳に集め、一か八かの賭けに出る。

 拳を振り上げ、今の全力をダークネスティアの一撃に叩き付け、"失敗したら死ぬ"という覚悟で生き残る道を掴み取る。

 今の自分にできることはそれしかない、とゼファーが覚悟を決めた、まさにその瞬間。

 

「……ッ!?」

 

 ゼファーのARMがかき集め、彼の耳に届けた声があった。

 

『頑張れっー!』

 

 それは一人や二人の声ではない。

 10人? 20人? 30人? 否、もっとずっと多い。

 それは街のいたる所で上げられている声であり、ナイトブレイザーに向けられた声援であり、一つに重なる声だった。

 一つに重なる気持ちだった。

 一つに重なる心だった。

 彼らは英雄に頼り切りにはならない。自分達に出来ることをして、その上で応援をしている。

 彼らは英雄に未来を託す。英雄の勝利を信じ、英雄が自分達の未来を守ってくれると信じる。

 

 任せるのではなく。英雄に、未来を託すのだ。

 

「みん、な……!」

 

 ARMが波打つ思いを束ねて、彼に届ける。

 アガートラームが、想いを力に変える。

 生み出された爆発的な出力が、彼の右拳の先で、天高く轟く一撃を解き放った。

 

「あああああああああああッ!」

 

 ゼファーが足裏より放出した焔を踏み締め、空中で放った絶招。

 それは外部から得られた想いを束ねて力と変えてなお、ダークネスティアと拮抗していた。

 ヨトゥンヘイムの水色のビーム砲と、ゼファーの紅色の焔と銀色の光が混ざった拳は、完全に互角の威力を空中にてぶつけあう。

 

「う、ぐ、ぎ、あッ、ガンッ、グニィィィィルッ!!」

 

 そこにダメ押しのガングニール。

 弦十郎より学んだ拳撃に、幾多の人々の思いを乗せて、更にそこに奏が残してくれたものを加える。右腕から生えた焔の槍が、ダークネスティアを切り裂いて伸びていく。

 だがそれも、途中で止まってしまう。

 ダークネスティアの圧倒的な圧力に、焔のガングニールですらも前に進めない。

 それどころか超大型ビーム砲の余波・熱量・衝撃波は、完全に拮抗している状態ですら、拳をぶつけているゼファーの肉体に多大なダメージを与えていく。

 

「づ、ぐ、ぎぃっ……!」

 

 それでもゼファーは、一歩も退()かない。

 

(まだだ! 皆の思いを束ねたこの力が、負けるわけがない!

 勝てないのなら、それは俺が正しく扱えていないからだ!

 もっと力を収束して、一点に集中させて、細く長く強く鋭く、剣を鍛えるように、そう――)

 

 その心が、諦めない姿勢が、絶対に折れない意志が、奇跡を引き起こす。

 それは彼が"将来扱えるかもしれない力"の『先取り』に近かった。

 剣であり、剣でないものだった。

 

「――細剣(フェンサー)のように、もっと圧縮を、もっと細く、もっと強く―――!」

 

 創り上げられるは、今日この時この一瞬のみの奇跡の一撃。

 ガングニールの刃を転化させた、"光の剣のような何か"。

 拳の先より伸びる、剣を目指しながらも未だ剣ではない何か。

 

 『騎士の細剣』(ナイトフェンサー)のもどきとでも言うべきそれは、先程まで拮抗していたはずのダークネスティアを、右肩の砲塔までもを巻き込んで、一閃にて両断していた。

 

 光の一閃が水色の閃光を断ち切って、その硬質な残光がキラキラと周囲に舞い上がる。

 

「―――でき、たッ」

 

 ゼファーは追撃に再度その擬剣を振るうも、ヨトゥンヘイムの機動力で一瞬にて距離を取られてしまい、あえなく空振る。

 騎士の細剣もどきが霧散すると、今しがたした無茶の疲労と反動がゼファーの肉体に一気に降り注いで来て、彼の体は一気に重くなった。

 

(ヤバい……変身を維持できる時間が、一分も残ってない……!)

 

 こと、かき集めた力を集約し、エクスドライブにも似た奇跡の一撃を成し、ダークネスティアの直撃を受けた右腕は重傷の一言であった。

 肉体も全体的に傷めつけられている上、先程のダークネスティアが効いている。

 立て直さなければ、追撃しなければ、戦闘態勢を整えなければ、そう思うも彼の体はまるで付いて来てくれない。

 

「ゼファーッ!」

 

 翼の声を耳にして、ゼファーは朦朧とする意識に鞭を打つ。

 彼がヨトゥンヘイムの方を向き直せば、そこにはダークネスティアの砲塔の一つを失った直後だというのに、ゼファーに残ったもう一つの砲塔を向ける敵が居た。

 

「連射……だと……!?」

 

 全力を出し尽くした結果、死に体を晒しているゼファー。

 全力を出し尽くした直後に、ダークネスティアで追撃しようとしているヨトゥンヘイム。

 比較対象が居るからこそ、その化け物ぶりはなおさら際立っていた。

 

(逃げ、きれない!?)

 

 ナイトブレイザーの変身時間限界は、ほぼイコールでゼファーの肉体の限界でもある。

 体に反動が来る能力の多用に加え変身解除直前ということで、ゼファーは頭も肉体も限界状態、何をしようと反応もキレも鈍りに鈍っているという有り様であった。

 そこにご丁寧に射角を逐一修正してくるヨトゥンヘイムの射撃技能をぶつけられれば、詰む。

 右に跳んでも左に跳んでも、上に跳んでも下に跳んでも、回避は間に合わない。

 

 ヨトゥンヘイムもダークネスティア連射の負担は軽いものではないだろうが、直撃を食らうゼファーとは比べ物にもならないだろう。

 砲口が輝き、水色の光が放たれる。

 それは一直線に地に足付けられていない空中のゼファーへと向かって飛んで行き――

 

「……危機一髪に間一髪!」

 

 ――天ノ逆鱗をジャンプ台として空中に飛び上がり、千ノ落涙を足場として空を走るジャベリンと翼の介入により、またしても決着を逃す。

 翼はナイトブレイザーの首根っこを掴んで空を駆け抜け、なんとか間一髪ダークネスティアを回避することに成功した。

 もう時間がない。

 ゼファーの変身が解けてしまえば、"僅かな勝機"が"皆無の勝機"へと変じてしまう。

 

 ナイトブレイザーに当たらなかったダークネスティアが海の彼方に飛んで行き、海を爆裂させ、あまりの威力に軽い津波を引き起こす音を耳にしながら、彼と彼女は腹を括る。

 

「ツバサ!」

 

「分かってる!」

 

 次が、ラストアタックだ。

 

「! あいつ、また……!」

 

 だが、わざわざ最後の力勝負に乗ってやる必要などどこにもない。

 ヨトゥンヘイムも、ゼファーの活動限界が近いことに気付いたようだ。

 このタイミングでゼファーらの注意を引き、集中を乱し、最高の展開であれば時間も稼げる一手を打ってきた。

 

 すなわち、手の銃を横に向けてからの街への攻撃である。

 まだ人が居るかもしれない街に向けての攻撃である。

 ゼファー達が対応せざるを得ない攻撃である。

 実に悪辣であり、卑怯であり、効果的な一手であった。

 

 『卑怯者は英雄や正義の味方に打倒される』という、一つの真理がなければの話だが。

 

「……!?」

 

 ヨトゥンヘイムがもし人間であったなら、たいそう驚愕していたに違いない。

 街に向かって撃った光弾のことごとくが、空中にて叩き落とされる。

 それもその辺で拾ったであろう普通の瓦礫や鉄パイプが普通ではない速度で投げつけられ、空中にて誘爆を余儀なくされているのだ。

 ヨトゥンヘイムがいくら撃とうと、その光弾が街へ届くことはない。

 今のこの街には、時間制限付きで戦闘を許された、偉くて強い一人の漢が立っている。

 

 その男が飛び上がり、どデカい鉄骨で光弾を叩き壊し、ひしゃげてちぎれた鉄骨を放り投げつつ笑う。ヨトゥンヘイムをまっすぐに見据えて、男らしく雄々しく笑う。

 

「俺が何故街に留まっていたのか、その理由を考えるべきだったな」

 

 今日の風鳴弦十郎は敵を倒すためではなく、街を守るためにそこに立っていた。

 

「―――♪!」

 

 ヨトゥンヘイムが街と弦十郎に気を取られていたほんの僅かな時間を費やし、翼とゼファーはジャベリンの速力で上空へと上がっていく。

 そしてヨトゥンヘイムのはるか上方を取り、そこから足場に使っていた千ノ落涙を撃ち放った。

 刃の雨が、上から下へと重力に従って降り注いでいく。

 ヨトゥンヘイムはそれを悠々とかわすが、直後、その動きが止まる。

 

「狙ったのはお前ではない。お前の影だ」

 

 風鳴翼と戦う時、誰もが気を付けねばならない、とても難しいことがある。

 それは自分の影がどこにあるかを、常に把握していること。

 空を飛んでいる時とてそうだ。

 それができなければ、今ヨトゥンヘイムがそうなっているように、"影を取られる"。

 風鳴翼と戦う時は心せよ。

 己の身も、影も同時に守らなければ、避けられない敗北が待っている。

 

「ラインオン・ナイトブレイザー、天羽々斬!」

 

 ゼファーの右腕と、翼の左腕はダメージでほとんど動いていない。

 ゆえにゼファーは左手を差し出し、翼は右手を差し出し、互いにしっかりと握ってエネルギーを循環させる。

 このコンビネーションアーツこそが、最後の一手。

 彼らが選んだ、勝つために最適であると考えた一撃だ。

 

「コンビネーション・アーツ!」

 

 翼はありったけのエネルギーを注いで天ノ逆鱗を形成。

 そしてゼファーと翼が手を繋いだまま共に片足を刃に添え、二人一緒に刃を蹴り込む準備。

 更にはナイトブレイザーの全身より噴出した焔が剣の周りに纏わり付いて、剣の上からガングニールの刃を作り上げ、その威力を爆発的に高めていく。

 これこそまさに、ナイトブレイザー、天羽々斬、ガングニールの合体攻撃。

 

 空より大地へと、空気も空間も空気抵抗をも切り裂いて、音速の十倍以上の速度で落ちていく紅蒼二色一体の刃。

 二人により蹴り込まれるそれが、ヨトゥンヘイムの頭上に迫る。

 

「「 シンフォニックレイン・ネメシスッ! 」」

 

 街の人々の想いを最後の一滴まで力に変換し、その威力を更に跳ね上げる。

 コンビネーションアーツのエネルギーを注ぎ込み、その威力を更に跳ね上げる。

 ゼファー・ウィンチェスターと風鳴翼の絆を相乗させて、その威力を更に跳ね上げる。

 アースガルズを模して作られたバリアを頭上に張り、ヨトゥンヘイムは選択の余地なく、それを真正面から受け止める。

 バリアと剣先がぶつかり合い、大気が弾けて大地が震える。

 人の意志と、ゴーレムの強さの真っ向勝負だ。

 

 拮抗し、伯仲し、鍔迫り合い、エネルギーの余波を炸裂させながら、双方の力は衝突する。

 互いの力はここに来てまたしても完全に互角。

 ならば、疲労や負傷で弱くなる人間の方が不利なのか?

 否。断じて否だ。

 戦いの中で成長し、意志一つで限界を超え、一秒前の自分より強くなり続けるゼファーと翼が、不利であろうはずがない。

 

「これで終わりだッ!」

 

 力が砕ける。

 ぶつかり合っていた力が砕ける。

 砕けたのは剣の方ではなく、バリアの方だった。

 

「やあああああああッ!」

「だあああああああッ!」

 

 バリアを抜け、剣は上から下へと一直線に突き抜ける。

 

「これがッ! 『俺達』のッ! 力だああああああッ!!」

 

 ナイトブレイザー、天羽々斬、ガングニールの力が一体となった一撃が、ヨトゥンヘイムを左右に綺麗に切り分けた。

 生成された超巨大剣が地に突き刺さり、世界に己が雄々しき姿を見せつける。

 同時、ゼファーと翼が剣の上より跳び降りて、軽やかに地上に着地。

 

 そして二つに別れたヨトゥンヘイムの機体が空中にて、大爆発。

 勝利者である彼らを照らすように、彼らの後方はるか彼方にて赤色の爆炎を上げていた。

 この戦いの決着に相応しい、勝利を知らしめる狼煙であった。

 

「……ふぅ」

 

 とうとう限界を迎えたのか、ゼファーの変身が解け、その場に倒れ込む。

 

「おつかれさま」

 

「ああ、お疲れさん」

 

 翼も疲れたのか、変身を解除してその場に座り込む。

 敵が比較的脆いゴーレムであったとはいえ、難敵であった。

 アースガルズはもちろんのこと、リリティアやディアブロと比べても多少格が落ちるくらいの戦闘力でしかないヨトゥンヘイムであったが、それでも彼らにとっては強敵であったに違いない。

 そもゴーレムは、正規適合者三人で戦ってようやく勝てるという次元の強者なのだから。

 

「……休んでる暇ないな。急いで街の方に行って、合流しないと。

 実働部隊も、ゲンさんも、アイカもきっと待ってる」

 

 休む時間もそこそこに、ゼファーは立ち上がる。

 苦しい時間を一つ越えるたび、彼が耐えられる苦痛の種類は増える。

 今の彼が、この程度の疲労困憊で動けなくなるはずもない。

 彼の意志に追随するように、再生能力の副次効果として次第に肉体の疲労も抜けていく。

 

「ああ、かもしれないな」

 

 最近武士のような話し方が板についてきた翼も、ダメージが抜けきっていない体に鞭打って立ち上がる。

 ゼファーのような"一生の全ての時間を戦いに費やすことも出来る"ような体とは違い、翼の体の傷は勝手には治らないため、翼の腕の傷も医者に見せる必要がある。

 翼にもゼファーにも、街に向かわない理由はなかった。

 

「アイカ、無事だといいんだが……」

 

 それが一つの結末に至る道筋の上に足を乗せることなのだと、気付きもせずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「もう助からない」と、彼の直感が囁く。

 なんでこうなるんだ、と、ゼファーは乾いた唇を噛み締めながら呻いた。

 

「……アイカ」

 

「……や。どうやらあたし、これにて終わりみたいで」

 

「終わりなわけがあるか! 今から病院に連れて行く、だから!」

 

「……ったっく、なんだかなあ」

 

 翼と手分けして、街中で愛歌を探しに出て行ったまでは良かった。

 ゼファーが直感を駆使して、愛歌を早くに見つけられたところまでは良かった。

 だが最低限の止血を施され、死を待つだけの状態の愛歌を目にした瞬間、ゼファーの頭の中から『平静』という概念は消え失せた。

 死なせてたまるかと、彼は愛歌を優しく抱きかかえる。

 周囲の誰もが"助からない致命傷だ"と思っている愛歌の命を、消えかけのロウソクのような愛歌の命を、ゼファーだけは絶対に諦めることはない。

 

(ここに救急車は来れない……!

 せめて、救急車が来れる所までは、運ばないと……!)

 

 ゼファーと奏の関係、奏と愛歌の関係、ゼファーの初恋の終わり方、それらを鑑みて考えてみれば、ゼファーが愛歌の命を諦めることなどありえない。

 愛歌は、奏がこの世界に生きていた証の最たるものでもあるのだ。

 愛歌は、奏が生きていて欲しいと願った最たる人でもあるのだ。

 奏に恋していたゼファーが、そんな愛歌の命を諦められるはずがない。

 奏のことを抜きにしても、彼女に好感を抱いていたのだから、諦められるはずがない。

 

(ブレードグレイスさえ……ブレードグレイスさえ、使えれば……!)

 

 ゼファーは愛歌を極力揺らさないように運びつつ、その前提で最大限に速く走りながら、ブレードグレイスがどうしても使えない自分に苛立つ。

 ブレードグレイスさえ使えれば、ゼファーは自分の命を削る代わりに愛歌を生かすことなど造作も無い。造作も無いはずなのだ。

 "何か"に止められているせいで、ゼファーは自分の命を削れない。

 それゆえに、彼は愛歌の傷を治すことができない。

 

「……いいって、いいってば……助からないってことは、あたしが一番よく分かってる」

 

「黙ってろ! 気をしっかり持ちながら、喋らないで体力を温存しておけ!」

 

「いや、ほんと、そういうの、いいから。……聞くだけ、聞いてっての」

 

 ゼファーは愛歌の体から流れる血の量も、失われていく体温も、消えていく命も、全て触れ合う肌を通して実感できてしまっている。

 だからこそ愛歌が喋ろうとするのを止めようとしているのだが、愛歌に口を止める気は無い。

 彼女は呼吸を整えて、弱々しく途切れ途切れな言葉を極力元の調子に戻していく。

 

「姉さんがさ、昔さ、言ってたんだ。

 『ゼファーはお前の命の恩人でもある』って。

 何言ってんのかその時はさっぱり分からなかったけど……

 今なら、ちょっとだけ分かる。

 きっと、どこかで、あたしもこうして助けられてたのかなあ、って」

 

 仮称"大きなのっぽの古時計"にまつわる事件の時、過去に舞い戻った奏とゼファーは、過去の天羽姉妹の命を助けた。

 奏は妹にそのことを暗に言っていたのだろうが、愛歌はその言葉を、もっと大きな意味で受け取ったようだ。

 今、ゼファーが愛歌を必死に助けようとしているのと同じように、自分の知らないところで自分は彼に助けられていたんだろうなと、彼女はそうふんわりとした確信を持つ。

 

「本当に、ありがとう」

 

 その確信から生まれる万感の想いを、愛歌は余すことなく一言に込めて彼に告げる。

 きっとこれが礼を言える最後の機会だからと、わけもなく思いながら。

 

「それだけ。お礼、言いたかったから……

 これ言わないまま逝ったら、死んでも死にきれなかったから」

 

「死にきれないって……

 死んだら苦しいだろ! 死んだら不幸だろ!

 誰だって、死ぬのは嫌だろ! だったら……!」

 

「そりゃ、あたしだって死ぬのは嫌よ……でも」

 

 瓦礫から瓦礫を越え、割れ物を扱う以上に丁寧にかつ速く彼女を運ぶゼファー。

 息も絶え絶えに、彼に運ばれる愛歌。

 至極当然の理屈を話すゼファーに、愛歌は心強き者の理屈を語る。

 

「苦しいだろうけど、不幸だなんて、あたしは思ってない」

 

「え?」

 

「自分の行動の結果に『ああそうか』って思ってるくらいよ」

 

 彼女が語るのは、人生という問いにゼファーが見出した"誰の中にも輝きはある"という解答と同じように、20年にも満たない波乱の人生の中で、愛歌が見出した解答だった。

 

「死ぬのは苦しい。そりゃそうね。

 でも死ぬのは不幸? は? 何言ってんの?

 人間なんて誰もがいつか死ぬのよ。

 だから死んだらバッドエンドだなんて、ありえないわ。

 そうじゃなきゃ、人間皆誰しもバッドエンドしか迎えられないじゃない」

 

 ゼファーは人が死ぬことは悲劇だと、救いがないと、不幸な終わりであると考えている。

 だから彼は、皆を死なせないために戦い続ける。

 それは彼の青臭さでもあるが、とうの昔に信念へと変わったものでもあった。

 

 だが、愛歌の考え方は違う。

 彼女は極めてシンプルに、死は悲劇でしかないという主張を否定する。

 例えば、笑って死んで行った人の死は、"悲劇でしかない"と断言できるものなのだろうか?

 

「"死んだらそこで終わり"ってのはただの事実でしかないわ。

 それは希望を否定するものでも、絶望を肯定するものでもない。

 笑って死ねたなら、その人にとってその人生は結構いいものであったということ。

 笑って死ねたなら、その人にとってその死は不幸でも何でもなかったということ」

 

 愛歌の言葉がきっかけとなり、ゼファーの脳裏に蘇っていく過去の記憶。

 あの日の記憶を、彼が忘れるはずがない。

 あの時、彼女は笑っていた。

 笑顔のまま、セレナは光になった。

 彼女が最期に見せた笑顔は、まだゼファーの目の内に焼き付いている。

 

「翼さんから聞いてない? 姉さんは、笑って死んだって話」

 

「……え」

 

「うちの姉、それなりに満足して逝ったみたい。そんなもんでしょ、死なんてものは」

 

 そしてゼファーは、目を見開く。

 奏が最期の時にどんな表情をしていたか、奏が最期の時にどんな言葉を残したのか、知っているのは奏の最期を看取った翼ただ一人だけだ。

 そして翼は、何故か誰が聞いてもその時のことを話そうとはしない。

 愛歌相手だからこそ、少しだけ話したのだろう。

 彼にとっては、奏が最期に笑顔で居たという情報はまさしく青天の霹靂。

 目を見開いた彼の腕の中で、今にも死にそうな真っ青な顔で、愛歌も笑う。

 

 マリアの妹であるセレナの姿と、奏の妹である愛歌の姿が重なる。

 あの日、死にかけながらも笑っていた、言葉を残そうとしてくれていたセレナの姿と、愛歌の姿が重なる。

 過去に彼の腕の中で光になった少女の姿と、今彼の腕の中で息絶えそうになっている少女の姿が重なる。

 

「見てなさい。

 天羽愛歌は、世界で一番かっこいい母さんと、世界で一番優しい父さんと……

 世界で一番素敵な姉さんの居た家庭に生まれた、世界で一番幸せな女。

 あたしは、ちゃんと幸福なあたしのまま、あんたの前で笑ってくたばるからさ」

 

 愛歌が吐くのは強者の理屈だ。

 心強き者にしか吐けない言葉だ。

 それゆえに他者の心に強烈に打ち付けられる、右ストレートの如き言葉であった。

 家族を皆失い、自分までもが死を迎えようとしている現実を前にしてなお『自分は幸せだった』と笑える彼女の心は、途方もなく大きく強い。

 

「だからちょっと、前向きに考えるようにしてみなさいな。

 あんたの周りで死んだ奴らは……

 あんたが思ってるほど、自分の悲運を呪いながらくたばってったわけじゃないかもよ?」

 

 ゼファーの脳裏に、今まで死んでいった人達の背中が浮かび上がってくる。

 最後にどんな表情だったのか、結局知る事ができなかった者達の背中が浮かび上がってくる。

 あの人達は笑って逝ったのだろうか。

 笑わずに逝ったのだろうか。

 神ならぬ身のゼファーでは、分からない。

 

「だからさ、笑ってよ」

 

 血塗れの愛歌は、必死に自分を運んでくれてるゼファーの腕の中で、言う。

 夕焼けの赤が、血の赤に混じって眩しい。

 

「笑って逝くから、笑って見送って」

 

 ゼファーの腕の中には、土気色の顔をした少女の姿。

 流れ出す血の量が減ってきた。体内の血が減りすぎたせいだろう。

 体が冷たくなっていく。抱えた体から、人らしい熱が感じられなくなってくる。

 肌越しに感じられる鼓動もどんどん弱々しくなって、ゼファーの腕に『腕の中で人が死ぬ実感』が蘇り始めた。

 

「人の死が辛いのは分かる。

 こんな短い付き合いしかなかった奴が死んで、そんな顔するあんたの性格もよーく分かる。

 だけど、あたしが死んだことにシケたツラしてうだうだやってたら……

 あたしは地獄の底で、あんたのことを嫌いになって、あんたのことを許さない」

 

 自分が死んでも笑って見送れと、愛歌は言う。

 身近な人が死に、それを笑顔で見送ったことなど、ゼファーにはないというのに。

 

「だから笑って」

 

 "だから笑って"と彼女は言う。

 愛歌を抱きかかえてからずっと、一度も笑っていないゼファーの顔を見つめながら。

 

「あんたが笑ってる限り、あたしが死んでも、責めやしないから。全部許してあげるから」

 

 愛歌はゼファーの頬に手を伸ばそうとする。

 ゼファーのことを恨んでないと断言してから死ぬ故人になろうとしている。

 彼の心に、余計な負担をかけないように。

 伸ばされた手が彼の頬に、放たれた言葉が彼の心に、届きそうになったその瞬間――

 

「……だから……笑って……」

 

 ――ゼファーの腕の中で、愛歌の胸の鼓動が止まる。

 彼女の手は彼の頬に届くことなく落ち、力なくだらりと垂れ下がる。

 言葉の続きは紡がれず、言葉にならない想いは届かず。

 

「……」

 

 この場に第三者が居たならば、ゼファーの心境を『絶望』と予測したに違いない。

 

「……」

 

 無言のゼファーの膝がいつ折れるか、戦々恐々としていたに違いない。

 

「……」

 

 奏の死に始まった悲しみが、愛歌の死によって最悪の相乗効果を産んでしまう。

 

「……」

 

 そんな未来を予測して、もう終わりだと、そう思っていたに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「生きることを、諦めるなッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが泣くでもなく、嘆くでもなく、折れるでもなく、曲がるでもなく、悲しむでもなく。

 

 彼は叫び、運命を変えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初にオチから明かしてしまおう。

 山のように立っていた死亡フラグはゼファーの叫び一つで全てへし折られ、病院に運ばれた天羽愛歌は無事生還を果たした。

 話の流れ、大崩壊である。

 

「完璧あたし死ぬ流れだったよね」

 

「死ぬ流れなんてあってたまるか。あったら俺がぶち壊しにしてやる」

 

「……それで実際にしちゃうんだから、なんというか、もう本当に……」

 

 そも、医者志望とはいえ医大付属高校に入学すらしていない少女や、ズブの素人が『この傷では助からない』などと格好付けて言ったところで、実際にそうであるわけがないのだ。

 負傷してから時間が経ち過ぎたことで結果的に愛歌の心臓は止まってしまったが、それでもゼファーは諦めず、前に進み始めた。

 そこに現れたるは、忠機ジャベリン。

 一か八かと直観的に、ゼファーがジャベリンの一機能として搭載されているAED――自動体外式除細動器――を愛歌にぶち込んでみれば、これがドンピシャ。

 彼岸に行きかけていた愛歌は、此岸へと帰還した、というわけだ。

 ジャベリンが希望を繋ぎ、ゼファーもその後救急車が来られる場所まで愛歌を運んで救急車に任せて希望を繋ぎ、愛歌が運び込まれた先の病院の医者が、繋がれた希望を形にした。

 

 そして、愛歌は生き残る。

 愛歌の心臓が止まろうが、"それがどうした"と愛歌を生かすことを諦めなかった、ゼファーの奮闘の結果として。

 

(あたしの心臓が止まっても、それでも諦めなかったんだもん。

 そりゃ……最強だ。

 生きることを諦めるなと言いながら、絶対に生かすことを諦めないんだから)

 

 『助からないことは自分が一番よく分かってる』という台詞からの流れとしては、ちゃぶ台返しに近い奇跡の生還。こりゃもう、笑うしかない。爆笑している者など誰も居やしないが。

 

「ああもう死ぬー、言いたいこと全部言わなきゃ。

 よし全部言えたー、これで心残りなし!

 ……って思ってたら生き残るってあたしこれどうなん。格好悪くない?」

 

「知らねえよ」

 

 愛歌は朦朧とする半死半生の意識の中、自分の体が死んでいく感覚を覚えている。

 自分が死を受け入れる覚悟を決めていたことを、覚えている。

 それがゼファーの咆哮で、少しだけ変えられたことを覚えている。

 

―――生きることを、諦めるなッ!

 

 死を受け入れる覚悟を決めていた意識が、その一言で足掻こうとし始めたことを覚えている。

 死にかけていた体に電気が流れて、体が息を吹き返した感覚を覚えている。

 朧気な意識の中で、ゼファーがかけ続けてくれた言葉を頼りに、生にしがみついていたことを覚えている。

 

 満足して死を受け入れた愛歌の言葉を噛みしめることなく、ゼファーは彼女のスタンスを真っ向から否定して、『いいから諦めず生きろ』と彼は渾身の言葉を叩きつけた。

 その結果、愛歌は生きることを諦めず、生を繋いだ。

 ゼファーが頑張ったから? 瓦礫の下から救い出してくれた人達が居たから?

 いや、それ以上に彼女が『生きたい』と本気で願い、生きることを諦めなかったからだ。

 

「……でも、ま、よかったよ。こんなに早く後を追ったら、姉さんに怒られたかもだし」

 

「……かもな」

 

 ゼファーの直感が、愛歌が、名も無き人々が、"天羽愛歌は助からない"と口を揃えていた。

 で、ありながら、生を諦めないゼファーの意志はその予測を覆した。

 言い方を変えるなら、『天羽愛歌の死の運命』を変えたのだ。

 本人にすらその自覚はないままに。

 

「また明日、見舞いに来るよ。怪我が治ったら本格的に新居探しだな」

 

「分かってる分かってる。

 生活サイクルが完成したらあたしは二課から出てくって約束だものね。

 もう、あたしが二課ですべきこともなさそうだし。

 時々しか顔見せないようになるけど、寂しくて泣かないようにね、ゼファー少年」

 

「あっはっは、ジョークが上手いな、アイカ」

 

 結果論ではあるが、ブレードグレイスを使う必要もなかった。

 ブレードグレイスなんてものに頼らなくとも、ゼファーは愛歌の命を助けることができた。

 逆説的な考え方になるが、『ブレードグレイスがあれば助けられる』という思考は、『ブレードグレイスが無ければ助けられない』という諦めにも繋がりかねないものだ。

 今日のように、ゼファーが命を削らなくとも、ゼファーが安易にブレードグレイスに頼らず諦めない心で踏ん張れば、助けられる命もあるのだ。

 諦めなければ運命だって変えられる者にとって、ブレードグレイスは能力に対する甘えを呼び、その輝きを損ないかねないものなのだ。

 そんな彼が人助けをしようとして、思考放棄し安易で手軽で代価が重い方法(ブレードグレイス)に頼るようになってしまう以上の最悪などあるものか。

 

 もしもゼファーのブレードグレイスの使用を禁止している力が実在するのであれば、それはゼファーをよく理解し、彼を安易な道に堕とさないようにしているのだろう。

 

「それじゃあ、また明日」

 

 ゼファーは病室を出て、ドアを閉め、廊下の壁に背中を預けて深呼吸。

 そして今回の事件における死者0という、奇跡中の奇跡を噛み締めていた。

 ヨトゥンヘイムが引き起こした騒動は、あの日の災厄を思い返させるものばかりで出来ていた。

 金の騎士。押し合い圧し合う人々。人と人の軋轢。壊される街。格上の強敵。

 にもかかわらず、その過程と結果は、あの日とは比べ物にならないものだった。

 

 力なき人々は誰も死んでいない。

 『天羽』も死んでいない。

 そして何より、ゼファー・ウィンチェスターが、何も失っていない。

 

「―――」

 

 目を閉じ、大きく息を吸い、ゼファーは奏のことを思い出す。

 

 彼は天羽奏のことを、ずっと忘れはしないだろう。

 しばらくの間は異性を好きにもならないかもしれない。

 けれど先日、彼の中で天羽奏に向ける恋慕は終わりを迎えた。

 されど今日、彼の中で天羽奏に向ける罪悪感は終わりを迎えた。

 

 こびり付くように残っていた恋慕と罪悪感は、今日この時この場所で全ての決着を付けられて、彼の中から吹き散らされていく。

 彼の中に天羽奏が残した負債を、天羽愛歌は一つ残らず片付けてくれた。

 姉に始まり、妹に終わる。

 姉妹がもたらした影響を見れば見るほど、この姉妹が本当に血の繋がった姉妹なのだということがよく分かる。

 

 奏を助けられなかった昔。愛歌を助けられた今。

 

 現在(いま)の奇跡が、過去(あのとき)の悲劇を塗り潰す。

 

 奏が死したあの日の災厄は、彼の中で、この日ようやく終わりを迎えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いは終わり、この戦いの裏で糸を引き、戦いの顛末を観測し終えた男もまた笑う。

 

「なるほどなるほど」

「ようやくここまで戻った、と。

 運命に関する力は、F.I.S.に居た頃の方が、やはり……」

「やはりあの時に……」

「しかしこの程度の劣化で済んでいるのは幸運と言うべきか」

「……量産化、急がないと間に合わなそうですねえ、ゼファー君?」

「僕の夢、やはり叶えようとするならば、立ち塞がる相手は……」

 

 その男の企みを完成させる最後のピースが手に入ったことに、男は一人ほくそ笑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒビキ、ミク。悪い、待ったか?」

 

「ううん、全然待ってないよ。このくらい、へいきへっちゃら!」

 

「ゼっくん、今日はどうしたの?」

 

「……いや、なんとなく、お祝いしたい気分でさ。

 ヒビキやミクとどこかで一緒に飯食いたいな、って思ったんだ」

 

「……ふーん?」

 

「さ、行こうか」

 

 

 

 

 

 日常が戻り、ゼファーがその日常に帰り、響や未来と平和な世界でご飯を食べて。

 

 そうして、丸一年の月日が経った。

 愛歌は自分の夢に向かって一歩を踏み出し、二課を出て行った。

 ゼファーも翼も強くなり、二人だけの連携もより高い次元へと成長していく。

 翼は高校三年生に、響や未来も高校一年生に。

 大人も、子供も、誰もがそれぞれの道を進んで行った一年だった。

 

 ゼファー・ウィンチェスター18歳。

 風鳴翼17歳。

 雪音クリス16歳。

 立花響15歳。

 小日向未来15歳。

 

 マリア・カデンツァヴナ・イヴ20歳。

 暁切歌15歳。

 月読調14歳。

 

 誰も彼もが、出会った頃の小さな子供ではなくなった頃、戦い始まる春の季節。

 

 世界の命運を決める大舞台は、ここから始まる。

 

 前座は終わりだ。

 

 さあ、幕を上げよう。

 

 

 




二十八話より六章、戦姫絶唱シンフォギア編です
今話で伏線だいたい終わり。起承転結の起承終わり。です
実は特撮の一年放映話数に揃えようとしていたのにエピソードカットで地味に足りなくなったという裏事情

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。