戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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GXのマリアさんの銀腕、ゼファー君の逆転シーンで毎回頭の中を流れそうで困ります


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 "この戦い"も終わりが近付いている。

 社会という曖昧な枠の中に満ちる人々の心という水、そこに魔神の端末が生んだ波紋は、時間の流れと共に薄まり、人を呑み殺すほどの荒波はもやや小波(さざなみ)に等しかった。

 そこに決定的な終わりをもたらすであろう人物。

 名を、広木威椎という。

 並み居る百戦錬磨の怪物たる政治家達を押しのけ、防衛大臣となった大人物である。

 

「広木防衛大臣! 正気ですか!?」

 

「ああ」

 

「最悪の反応が予想できます! これで得られるものなど何も……」

 

「人権派の支持なら相当に稼げるだろう。今はそういう世論だ」

 

 広木は後日記者会見を行おうとしており、それを彼と同派閥の別の政治家が止めようと必死に食い下がっているというこの構図。

 一見何が何だか分からないかも知れないが、彼がやろうとしていることはシンプルだ。

 

「『生きて帰って来た人を責めるのはやめよう』と言うだけの楽な仕事さ」

 

 つまり、生還者を非難する風潮の真っ向否定である。

 

「もう決めたことだ。私も腹を括っている」

 

 人類の歴史の中には、極端な物事があった場合、その反動で歴史が動くということが多々ある。

 人間は、特に理由もなく同調圧力や多数派といったものに反発することもある生き物だ。

 現在世間は、生還者を非難する風潮があまりに絶対的であった反動で、生還者を非難する者を非難する者の発生という形の反作用が強くなり始めていた。

 自分が『絶対的に正しい側』に付くのはよくても、『間違っていると言う人が何人も居るけど多数派が正しいと言っている側』に付くのはちょっと……と考える人間も、世の中には多い。

 "お前達は間違っている"と複数の人間に言われるようになると、生還者を正義面して叩いていた民衆の中から、徐々に、徐々に人が抜け始めた。

 

 そうして今、広木が生還者の擁護をしても希望的観測が出来る環境が出来上がる。

 彼の読みでは八割から九割ほどの確率で、自分の政治基盤を更に盤石に出来ると読んでいた。

 日本社会を一色に染め上げた理不尽な風潮の反動は、それほどまでに大きなうねりとなっていたのだ。

 今はこの国の中には、"災厄の生還者"に対し正反対のスタンスを取りながら、自分が正しいと信じて疑わない二つの勢力が対立する構造がある。

 

「民主主義を何だと思っていらっしゃるんですか!

 軽率な発言だと思われれば、国民の支持を失えば、それだけで……!」

 

 だが、当然危険な賭けだ。

 八割から九割で成功するということは、一割から二割の確率で失敗するということでもある。

 じゃんけんで初手にて負ける確率が三割と考えれば、低い確率とはとても言いがたい。

 失敗すれば当然、彼の政治家生命は終わりだ。最悪、死ぬまでまともな生活は出来ないだろう。

 彼は関係各所に裏で密かに話を通し、有事には自分を切り捨てるよう頼んであるが、最悪に最悪が重なれば内閣不信任決議にまで転がりかねない。

 生還者非難派と生還者擁護派の形勢は覆りつつあるが、完全に覆ったわけではないのだ。

 

「今回の苛烈な世論の動きは、国民の不満の矛先を政治から逸らし、ガス抜きにもなる……

 明確な敵の存在が定義され、攻撃という形での不満発散の構図があったわけだ。

 放置でいいと考えていた議員も多かろう。だが情勢が変わった。

 『ナイトブレイザー』の注目度が上がりすぎたせいだろう。近隣諸国の動きが少々きな臭い」

 

 されど今、そのリスクを理解した上で、国民の足並みを揃えなければならない理由があった。

 日本国内はナイトブレイザーが年単位で積み上げてきた信頼により、黒騎士VS金騎士の対立構造と、その善悪を脳内補完することが出来た。

 だが、国外はどうだっただろうか?

 年々ノイズの出現率が増える中、国それぞれが特色ある対策を練ってはいるものの、シンフォギアもナイトブレイザーも居ない国ではノイズを根本的に対処できない。

 

 そこに現れた、オーバーナイトブレイザーという最悪の怪物。

 

 最大限の悪意をもって暴れ回ったネガティブフレアの脅威、及び『単独の生命体がほんの数分でもたらした甚大な被害』は、世界中の首脳陣を震撼させていた。

 魔神の端末が生んだ波紋は、国の外へも広がっていく。

 

「ナイトブレイザーが居ない我が国にあれが来たらどうなる?」

「いや、そもそもナイトブレイザーが日本と明確に手を結び、あの国の戦力となったら?」

「あの黄金の騎士を撃退したほどの戦力が日本の側に付いてしまえば?」

「ナイトブレイザーは日本にしか現れない」

「日本政府と裏で繋がっているのは明白」

「我が国にもああいった存在が味方してくれれば」

「一国だけが味方されるというのも、不公平だな」

「危険だ。どちらの騎士も、仮面の上からでは信用などできようはずもない」

「外交的圧力で縛るしかあるまい。あの騎士の力は、国が持つ力としては核の上を行く」

 

 日本は島国だ。

 島国は海を隔てた各国との貿易が成り立たなくなればその時点で王手となり、大国から武力で喧嘩を売られればその時点でチェックメイトとなりかねない。

 今は、"そうなりかねない"だけの危機的状況なのだ。

 外交の雄・斯波田外務次官がなんとか外交的に保たせているものの、今の『国民が国内しか見ていない』『国民が相争っている』状態は非常にマズいのだ。

 最悪、ここが付け入られる隙になりかねない。

 

「私は国防を預かるものだ。そのために国民を一丸とするのも、職務の一環だよ」

 

 広木防衛大臣は目の前の人間に分かってもらうために、言葉を尽くす。

 彼は堅実なタカ派、とでも言うべき人物だ。

 改定九条推進派の一人としてよく知られ、つい最近それを施行まで持って行ったという実績も持つ。つまり、外堀を全て埋めてから改革を行うタカ派であるということだ。

 そういった人物は、賭けに挑むことを恐れないし、賭けの勝率を高めるために裏で何だってするし、勝ち目の無い戦いはしない。

 

「子供に正しい道を教えるのが大人なら。

 大人に正しい道を示すために選ばれるのが政治家(わたしたち)だろう」

 

 綺麗な建前も掲げる。立派な外面も見せる。汚いことを迷わずできる。

 生還者への凄惨な加害も国民の不満のガス抜きとして見過ごせる。

 自分の政治家生命をかけて、国民の対立構造を解消しようと動くことができる。

 広木威椎は、そういう政治家だった。

 

「子供が大人の背中を見るように、政治家(わたしたち)が大人に背中を見せないことには……

 国民(かぞく)が暮らす(いえ)の大黒柱として、上手くやってはいけない。そういうものだ」

 

 彼は"子供にとっての大人"のように、"大人にとっての大人"として、政治家は在るべきだと考えている。

 

「大人が子供にするように、大人が喧嘩した時は、我々が仲裁せねばならんのだよ」

 

 風鳴弦十郎が心から信頼する政治家の一人、広木防衛大臣。

 ゼファーに影響されずとも。誰に影響されずとも。

 彼はずっと昔から"そういう男"であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第二十七話:だから笑って 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 椅子に座らされた愛歌。その後ろに立つゼファー。彼女らを囲む大人達。

 捕らえられた愛歌を見て、弦十郎は昔のことを思い出していた。

 あの日、運命を選び取った日のことだ。

 天羽奏の未来を、弦十郎が決めてしまった日のことだ。

 

――――

 

「寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞオッサンッ!」

 

「あたしはノイズが死ねばそれでいいんじゃねえ!

 ノイズが滅びればそれでいいんじゃねえんだよ!

 あたしが、あたしの手で、あたしの意志で、あたしの望むままぶっ殺してえんだよ!

 『ざまあみろ』と言いながら、この手で一匹残らず地獄に送ってやりてえんだよッ!」

 

「家族の仇を取って欲しいんじゃなくて、家族の仇を取りてえんだよッ!」

 

「あいつらを皆殺せるのなら……あたしは進んで地獄に落ちる!」

 

――――

 

 奏が死んだ後、後悔したのはゼファーや翼だけではない。

 子供を死なせてしまいながら、のうのうと生き残ってしまった大人達もまた、悔いていた。

 特に奏を二課に受け入れる選択をした弦十郎の苦しみはひとしお大きかっただろう。

 

 弦十郎が奏を二課に受け入れなければ、彼女は一人でノイズに突っ込んで死んでいた可能性が高いだろうと、当時そう思われてはいた。

 奏の前に、ゼファーという"復讐者から更生した復帰例"があった。

 弦十郎が期待した通りに、二課が奏を受け入れた結果、奏は復讐心から救われた。

 弦十郎の思惑は、何一つとして裏目に出てはいなかった。

 それでも、奏がああして死んだのは、二課に居たからという事実は揺るぎなく。

 

 過程ではなく、結果に生まれた責任を背負う義務がある。

 それが組織のトップ、責任者というものだ。

 三年前に狂犬のようだった奏を諭した時の記憶と、今こうしてゼファーに捕らえられた愛歌を見る視界が、弦十郎の脳内でダブる。

 弦十郎は愛歌の姿を見るだけで、罪悪感を感じてしまう。

 奏の死の遠因を生んでしまったと、たった一人の肉親を奪われてしまった愛歌に対し罪悪感を感じつつ、弦十郎は愛歌と向き合うことから逃げはしなかった。

 

「天羽愛歌君、だな? 俺は風鳴弦十郎。ここで一番偉い人だ」

 

「……! しょっぱなから、大物登場?」

 

「そうだ。ここに忍び込んだ理由を聞きたい。

 ……君の動きは、最初からモニターされていた」

 

「ああ、たまたまここに来ちゃったんです~、は通じないってことね」

 

 少し前の時期のこと。ゼファーの視界の外、彼の物語の舞台である東京より遠く離れた場所の愛歌の学校にも、かの災厄の余波は来ていた。

 愛歌に対し周囲は同情するのみで、何かしらこじらせた者が騒動を起こすなどということはなかったが、何か起きていれば二課の誰かが動いていただろう。

 これを始めとして、ゼファーがカバーできない彼の視界の外を、二課の面々がカバーするという構図は多々あった。目に見えずとも、彼らは支え合っている。

 まあカバーされていない現状でも、愛歌は姉の死や災厄の被害者である自分達を御旗に暴れ回っている者達を「くそうぜえ」と辟易していたりするのだが。

 

 当然、愛歌が二課について探り始めた時から、二課は彼女の動きを察知していた。

 そしてリディアン敷地内に入った瞬間から、監視カメラにて愛歌の動きは監視されており、侵入と同時にゼファーが取り押さえにあたった……という流れである。

 愛歌はそのシステマチックな対応に感嘆しつつ、背後をゼファーに取られつつも聞きたいことを聞けそうなこの状況に、むしろ感謝していた。

 

「そういう容赦の無さ、嫌いじゃないわ。

 何、難しいことじゃないわよ。

 このやたら大仰な施設のことと、姉さんのこと。全部洗いざらい話してくれればいい」

 

 物怖じせず、堂々と話す愛歌の姿に、大人達は在りし日の奏の姿を思い出した。

 奏とよく似た、けれど奏よりかなり幼い顔立ちに、二課の皆は何を思ったのだろうか。

 

「教えて。本当はあの日、何があったの?」

 

 包み隠さず話そうとし、深呼吸する弦十郎。

 言いづらそうにしている気配を察したのか、ゼファーが前に出て代わりに話そうとする。

 だが、弦十郎はその動きを手で制した。

 

(俺が話すべきことだ。あの日、奏に力を与えることを選んだ、俺のな)

 

 これが、彼なりの"天羽奏を死なせてしまった責任の取り方"なのだろう。

 何からも逃げず、目を逸らさず、向き合い受け止める。

 弦十郎は奏の死に感じた責任から、愛歌に機密を話したという責任ですら、自分一人で背負い込もうとしていた。

 重荷を進んで背負いに行く、漢の背中がそこにはあった。

 

「全てを話そう。

 あれは君のお姉さんが、君と同じようにここに侵入し、捕まった時のことから―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弦十郎から話を聞き、二課の機密の多くを知り、二課の一室を借りて就寝した夜。

 愛歌は何度目かも分からない、姉と楽しく話し合えていた、もう戻らない遠い日々を思い返していた。それは悲しみを伴う夢ではあったが、悪夢ではなかった。

 姉との会話の記憶を胸に刻み付け、彼女は目覚める。

 朝起きて、二課本部から監視付きという条件で地上に出る。

 愛歌が監視の人に名を問えば、その男は緒川慎次と名乗った。

 

「さて、と」

 

 監視の人に誘導されるまま、愛歌はリディアン高等科の大型ホールに足を進める。

 今日このホールで、高等科の生徒400名が卒業する、らしい。

 私立リディアン音楽院高等科は小中高一貫教育を掲げ、編入生も受け入れるというスタンスを貫いているだけはあり、生徒数も多い。

 高等科だけで生徒数約1200。卒業生だけで400人。

 その家族も含めて受け入れられるこのホールは、ゆうに2000人は収容できそうだ。

 素人の愛歌がホール一つ見ただけでも、リディアンが学校の設備に相当に金を使っているのだということがよく分かる。

 

「愛歌さん、こちらに」

 

「どうも」

 

 緒川と名乗った監視の男に勧められた席に、愛歌は座る。

 そのまま開式を待っている間、通り過ぎる人が愛歌の顔を見てハッとする、といったことが何度かあった。

 在校生も卒業生もその家族も、奏と似た容姿の愛歌に気付く人は気付くだろう。

 そしてその内の一部は、愛歌がここに来た理由も察するはずだ。

 彼女が何を見に来たかを、察するはずだ。

 

(姉さんの学友、か)

 

 愛歌がここに来た理由は二つ。

 姉の心に暖かさをくれた友達、姉と同学年の三年生達をこの目で見ること。

 そして、姉の代わりに卒業生達の卒業を祝うことだ。

 

 天羽奏はこの卒業生達と一緒に卒業できない。

 彼女は永遠に学生のまま、卒業を迎えることなく終わりを迎えた。

 友の卒業を祝い、周りの皆に卒業を祝われたい気持ちだってあっただろうに。

 だから愛歌はここに居る。

 そうと名乗らず、密かに目立たず、姉の代わりとしてここに居る。

 

 彼女が座ってから十数分後式は始まり、何の問題もなく進んでいった。

 

『在校生代表、風鳴翼さん、お願いします』

 

 そこで、退屈な式の内容にちょっと緩んでいた愛歌の心を、一瞬で引き締める者が現れた。

 一年生であるというのに、在校生代表を任されている少女を愛歌は凝視する。

 そして姉との会話で出た名前の一つを、鮮明に思い出した。

 

――――

 

「翼は……そうだな、愛歌といいダチになれると思う。

 あたしが今日まで会ってきた奴の中で一番、お前と仲良くなれそうな奴だ。

 なんせお前はあたしの妹だからな。遺伝子が対して変わらないなら多分そうなる」

 

「なあにそれぇ」

 

「話してみりゃあ分かるさ」

 

――――

 

 愛歌が姉から『大親友』と聞かされていた、たった一人の人物だ。

 つまりは今並んでいる卒業生の誰よりも奏に近しい友であった、ということでもある。

 今在校生代表として翼がそこに立っているのも、例の大事件で死んでしまった奏との関係を、誰もが知っていたからだろう。裏では色々とあったのかもしれない。

 

「――初めて先輩方と出会った日のことは、今でも昨日のことのように――」

 

 愛歌の目から見ても、風鳴翼は立派な姿で答辞を贈っているように見えた。

 姉から聞いていたような情けない部分は全く見えない。

 だが、凛としてはいても、立ち姿が格好良くても、在校生代表として見せている姿が立派に見えても、愛歌はそこに"力強さ"に類するものを全く感じられなかった。

 よって、翼のその様子をハリボテに近い強がりと判断する。

 "まだこの子は姉さんの死を完全に乗り越えてはいない"と、愛歌はきちんと理解していた。

 

「――卒業式が近付くにつれ、私達は一抹の寂しさを感じていたように思えます。しかし――」

 

 そして教員用の席の方に愛歌が目を向けると、そこに座るスーツ姿のゼファーが居た。

 ゼファーは翼の方を見て、今にも感涙しそうな顔をしている。

 そして時折卒業生の席の中の空いた席――奏が座るはずだった席。生徒の善意で詰められていない――を見て、悲しみの涙を流しそうな顔もする。

 分かりやすい人だと、愛歌は思った。

 式の前に式の会場を嬉しそうに掃除していた青年と、同一人物なのか疑ってしまうくらいに。

 

――――

 

「困ったらゼファーって奴を頼れ。

 もしくはあいつが困ってたら助けてやってくれ。

 頼りになる時は翼より頼りになるし、落ちると翼より更に深くどん底まで落ちるからなあいつ」

 

「頼りになるのか頼りにならないのかどっちなのよ」

 

「頼りになるけど頼りにしちゃいけない時があるってことさ」

 

――――

 

 愛歌の姉は、翼を大親友だと言った。

 だが困った時は、彼を……ゼファーを頼れと言った。

 大人ではなく、ゼファー・ウィンチェスターを指名した。

 そういう意味で愛歌の姉にとって、彼は特別な人物だったのだろう。

 

 ただ、愛歌は姉がしょっちゅう言っていたような情けなさや弱さを、彼の中に見付けられなかった。心の強さは、堂々とした態度や雰囲気の力強さに出るものである。

 心弱い人間のそれが雰囲気や姿勢、表情に出るのと同じだ。

 愛歌が見る限り、ゼファーという青年に鉄鉱石のような脆さはなく、折れ曲がっても打ち直し強靭になる鋼のようなタフさしか見て取れなかった。

 卒業証書授与の段階に入ると、愛歌は姉が彼を気に入っていたわけをまた一つ知る。

 

(……ん?)

 

 壇上に上がって卒業証書を受け取った生徒が一人降りて来るたびに、降りて来る生徒にゼファーが花束を渡していく。

 愛歌がゼファーの背後を見れば、そこには山ほど詰まれた、一つ一つに違う花が包まれた花束があった。

 

(あれ……卒業生全員分見繕ったの? 一つづつそれぞれの人に合わせて?)

 

 今日卒業する生徒は、彼がこの学校に就職した時一年生だった生徒達だ。

 彼が三年間、ずっと付き合ってきた生徒達だ。

 

 ある生徒には、"バラが好き"と話していたことを覚えていたから、バラを贈った。

 ある生徒には、"白い服が好き"と話したことを覚えていたから、白い花を贈った。

 ある生徒には、二年前に一度だけ聞いた誕生日を覚えていたから、誕生花を贈った。

 ある生徒には、"素敵なあなた"という花言葉がある花を、花言葉のカードと共に贈った。

 ある生徒には、自信を持って欲しいと"自信"の花言葉を持つ花を、激励の言葉と共に贈った。

 

 ある生徒は、そこでこらえていた涙をこぼしてしまった。

 ある生徒は、ゼファーに素敵な自分になると誓っていった。

 ある生徒は、初めてゼファーに握手を求めた。

 ある生徒は、ゼファーに将来の夢を一言だけで語った。

 ある生徒は、自信を持ってまた会いに来ると、そう言って泣きながら去って行った。

 

(これ……これ、400人分? 全員と仲良くしてなきゃ、こんなの……)

 

 愛歌の脳裏に、姉の言葉が蘇る。

 

――――

 

「あいつは世間一般的に言うバカの部類に入る。

 頭が悪いからじゃない。あんまりにも打算や損得より善意を優先するからだ」

 

「へー」

 

「露骨に損してたら言ってやれ。言わなきゃあいつは分からないし、止まらない」

 

――――

 

(ああ、あれは確かにヤバいね。私は嫌いじゃないけど)

 

 教師陣は、卒業生の身内は、在校生は、卒業式でこんなに泣くものだっただろうか?

 ただの式でしかないと、冷めた目で見ている人が居ない卒業式って、あっただろうか?

 愛歌は鼻をすする音が増えた式の会場を見回して、かの青年が周囲に与えている影響と、彼が周囲の人をどれだけ真剣に見ているのかを実感する。

 

(400人生徒が居て、嫌いな人が1人も居なくて全員大好きじゃないと、ああはなれない)

 

 あの生徒の中の何人が、卒業後もゼファーという青年と親交を保つのだろうか?

 卒業して、疎遠になって、もう二度と話さない人の方が多いに違いない。

 そんなこと、彼だって分かっているはずだ。

 だからこれは投じた費用と労力の割に、得られるものの少ない行為。

 つまり、見返りを求めない善意ということだ。

 

(人が400人居て、本気で『みんな嫌いじゃない』

 『みんな大好きだ』って思わないとああはなれないし、普通はそうはなれない。

 なんというか、すんごい人が居たものね、姉さん……)

 

 誰だって好きな人のタイプはある。

 誰だって嫌いな人のタイプはある。

 普通なら、全員と仲良くするなんてことは不可能だ。

 だが、愛歌は思う。

 

 全員と仲良く出来ない『普通の人』では、今目の前に広がる"皆が泣いているこの光景"は作り出せやしなかっただろうと、確信に近い形で、そう思う。

 皆の心を一つになんて出来やしなかっただろうと、そう思う。

 思いながら、彼女の目も少しだけ潤んでしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 卒業式が終わり、愛歌は緒川の監視つきのままゼファーを迎えに行った。

 花のことなど、色々と聞きたいことがあったからだ。

 だがゼファーはその時、女生徒の一人と話している最中だった。

 

「ユウリィさん、卒業おめでとさん」

 

「ありがとうございます、ゼファーさん。お花も嬉しかったです」

 

 愛歌は邪魔するのも何かな、と思い、既に気配も姿も消している緒川に続いて物陰に隠れた。

 

「知ってます? 私の"ユウリィ"ってあだ名、天羽さんが考えてくれたんですよ」

 

「へぇ……」

 

「だから今日は、天羽さんの分までって思いながら、考えながら、式をこなしました」

 

「……」

 

「天羽さんが亡くなられてしまった時、泣くことしかできなかった私だけど……

 今日は、今日だけは、今日くらいは絶対に、天羽さんの友達として頑張ろう、って」

 

 愛歌の視線の先で、その少女が卒業証書入りの細長い箱をぎゅっと抱きしめる。

 

「だから、ってわけではないですけど。

 ゼファーさんに会いたいって人を連れて来ました。南さん、大丈夫ですよ」

 

「ん」

 

「あ、君はあの時の……」

 

 状況が読めない愛歌の前に、紙がひらひらと落ちてくる。

 またしてもあの緒川という男の筆談用手書きメモのようだ。

 あのユウリィと呼ばれていた少女の名前は林田悠里。

 二課の研究者とリディアンの教師を兼任している母、最近トップが責任をとって辞任したせいで一課のトップになった父、という両親を持つ娘なのだとか。

 そして今現れた南という名の少女に至っては、愛歌の姉の死が原因で起こった大騒動で、あわやリンチされる寸前だったところをゼファーに助けられたらしい。

 

 なるほど、と状況が読めてきたと同時に、愛歌はここでも姉の名前を御旗に他人を責める人間が居たことに、ほんの少しの苛立ちも感じていた。

 

「一つ、卒業する前に言いたいことがあって」

 

 南は、ゼファーの目を真っ直ぐに見て、それから目を逸らしながら、一言だけ言った。

 

「……ありがとう。卒業できたことが、なんだか、とても嬉しい。

 たぶん、あの時助けてもらわなかったら、あの時止めてもらわなかったら……

 卒業式を今日迎えることなんてできなかった。きっと、学校にも来てなかった」

 

「え?」

 

「それだけ。じゃ」

 

 それだけ言って、スタスタスタと早足に南は去って行く。

 呆気に取られるゼファーの隣で、悠里がくすくすと笑った。

 

「照れてるんですよ。あの日からいじめも止まったから、本当に感謝してるはずなんですけどね」

 

「……そっか」

 

「南さん、将来音楽教師になるって言ってました。

 生徒が誰も喧嘩しないような、そんな場所を作るんだ、って」

 

「素敵だな」

 

「素敵でしょう?」

 

 愛歌の視点では、彼らの会話に含まれる意味は理解できまい。

 心が壊れていた南。

 命は守れたのに心は守れなかった後悔を抱えていたゼファー。

 悠里がゼファーを呼んでいじめを止めたものの、結果的にゼファーがあの災厄の中で守れなかったものを目にしてしまい、結局南は感謝の言葉を言いもしなかった、あの結末。

 F.I.S.の面々が居なければ、ゼファーへのトドメの一つになっていたかもしれない、あの日リディアンの生徒100人以上が南を囲んで散々に罵倒していた事件。

 

 あの日の事件は、この日ようやく終わりを迎えたのだ。

 善意は遠回りに遠回りを重ねてようやく届き、南の『ありがとう』は回り道に回り道を重ねて、ようやくゼファーに届いたのだった。

 ゼファーは一人の少女の心を守れはしなかったが、救うことはできたのかもしれない。

 少なくともあの日南へのいじめを止めて、彼女が卒業するまでの毎日だけは、ゼファーが確かに守ったものだったのだから。

 

「私、お父さんの一課に入ります。試験はなんとか通れたみたいです」

 

「!」

 

「オペレーター配属になるだろう、ってお父さんが。

 お父さんは一課の一番偉い人。お母さんは二課の人。

 そして、これで私も一課です。大変な時には、あなたと一緒に働く仲間になりました」

 

 悠里がこう言っているということは、父からある程度の事情は聞いているのだろう。

 

「一生懸命頑張りますから、一緒に頑張りましょう! ……ね、ヒーローさん?」

 

「……知り合いが学校卒業して、就職して、仲間になる、か。

 時間の流れって速いもんだな。俺ももう、リディアンに勤めて三年か……」

 

「おっさんくさいですよ、もう。あ、そうだ。

 卒業生の皆がですね、この後皆で合同の打ち上げやりたいので、あなたも誘うようにと――」

 

 生粋のナイトブレイザーファンである悠里が成長した姿をゼファーに見せたところで、話について行けなくなった愛歌は、「後でいっか」とゼファーに聞きたかったことを後回しにする。

 どうせこの後、あの青年は卒業生に引っ張りだこで暇じゃなくなるだろう、と愛歌は判断した。

 そして二課に帰り、夕飯を食べ、ベッドで不貞寝する。

 

 人気者の姉が生きて居たら、あの人の輪の中に入っていたはずだと、脳裏に浮かんだそんな未練を、平然と噛み潰しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 愛歌は翌日の朝、ボーッとしながら食堂のテレビを見ていた。

 

『――ですが、私はあえて言いたい。誰も悪くなかったのだ、と。何故なら――』

 

 テレビの画面の中では防衛大臣とテロップが付いた、何やら偉そうな人が話している。

 食堂では他の二課職員が食い入るように画面を見ているが、偉い人のもったいぶった言い回しが苦手な愛歌に対してはまさに馬耳東風、馬の耳に念仏であった。

 全く興味を持たないまま、彼女は朝食をパクパクと食べていく。

 

『――カルネアデスの板というものがあります。

 これは人を殺した罪を許すための免罪符ではありません。しかし――』

 

「こんなのいくらしても意味ないでしょうに……」

 

「いや、これは成功するよ」

 

 ぼそっと呟いた愛歌が、自分の声に対する返答が出て来た方向へ目を向けると、そこには厨房で食堂装備のゼファーが鍋をかき混ぜていた。

 どうやら、朝食に使われていたエビのカラから出汁を取っているらしい。

 手つきがところどころ危なっかしいが、何故か手馴れた様子だった。

 

「成功する……って、なんで?」

 

「俺の勘だ」

 

『――罪ではない。ならば今生きていることは? これも罪ではない。

 生きていることが罪であるなどと記した法はありません。ならば――』

 

 ゼファーが成功する、勘、と言った途端、食堂の何箇所かから嬉々とした声が上がり始める。

 愛歌にはその辺、いわゆる二課のノリがよく分からなかったので無反応。

 ただ、いいことがあったんだろうな、という理解だけはできていた。

 

「いいことなの? これ」

 

「いいことだよ、これ。幸せになれる人がいっぱい増えると思う」

 

「ふーん……」

 

「できれば、こうやって良い事した人にも悪い事した人にも、幸せがあると良いよな」

 

 ゼファーは同意を求める。

 が、愛歌はそんな寛容と好意と善意だけで構成された理想論は持ち合わせていない。

 

「いや、ないない」

 

 半目になって顔の前で手を振って、愛歌は微塵の容赦もなくゼファーの言葉をぶった切る。

 

「あんたがそんな甘い奴だったから、姉さん死んじゃったんじゃないの?」

 

「―――」

 

「嘘嘘、冗談よ。そんなんでうちの姉の生死が決まってたまるもんですか」

 

 冗談めかした物言いで、愛歌はゼファーに傷を付けない顔面ストレートをぶつける。

 ゼファーの心を傷付けなかったばかりか、この言動は完全に計算なく放たれたものであるにもかかわらず、彼の心にこの手の言葉に対する耐性を付ける。

 自然にゼファーのせいにする言葉と、その言葉を否定する言葉をセットでぶつけることで、彼の心が耐えられる言葉を増やす愛歌。意図せずして成されているというのがまた恐ろしい。

 

「でも、今こう言われてちょっとギクッとしたでしょー?

 姉さんが死んだのは自分のせいとか、そういうのちょっとは思ってたんじゃない?」

 

「それは……」

 

「嫌いじゃないけどね、そういうの。うちの姉さんも大概理想論者だったし」

 

 愛歌の中にゼファーを責める気持ちはない。

 が、ゼファーの中にゼファーを責める気持ちはある。

 

「……俺は、守れなかったんだ。君のお姉さんを」

 

 ゼファーは深々と頭を下げ、愛歌に謝ろうと、口を動かそうとして。

 

「すまな――」

 

「仲間に守ってもらわなかろうが、ただ死んだなら殺した奴とそいつのせいよ」

 

「――え?」

 

「姉さんが死んだなら、それは下手人と姉さんだけの責任ってこと。

 だって死にたくないなら、死なないための努力をすればいいのよ。

 それはどこだって同じ。死なないための努力を尽くさないから死ぬことは多い。

 姉さんが死んだのは、姉さんが危険な場所から離れなかったせいでもあるんだからさ」

 

 またしてもバッサリ、自分の発言を切り捨てられた。

 

「守れなかったらそいつのせい、あんたのせい、なんて理屈が通るわけないでしょ。アホなの?」

 

「―――」

 

「戦争で国民が死んだのが兵士のせいになるなら、誰も軍隊に入らなくなるわよ」

 

 息を呑む彼をよそに、愛歌は床に置いていたカバンを開き、そこから一枚の紙を取り出した。

 

「他人の死を『自分のせいに出来る』仕事なんて、指で数えるほどしかない」

 

 それは医大の附属高校の合格通知であった。

 両親が死に、天羽奏は戦うことを選んだ。

 最初は復讐のため、次は仲間のため、最後は自分の歌を覚えていてくれている多くの人の命を守るため。

 だが愛歌は、戦うことを選ばなかった。

 両親の死を目にした彼女は、いつからか"人の命を助けたい"と強烈に思うようになり、それを己の職種としようとしていたのだ。

 

 姉が人を殺す化物を倒す未来を選んだのなら。

 妹は人の命を救う未来を選ぼうとしていた。

 

「だからあたしは医者になる。

 あれだけが、他人の死を無かったことにできる、他人の死を自分のせいにできる仕事だから」

 

 何万人の死を自分のせいにしようが揺らがないであろう、ハートの強さ。

 何万人救おうと止まらず人の命を救い続けるであろう、メンタルの強さ。

 今はまだ医者の卵でも、その大器の片鱗は伺える。

 愛歌もまた、奏に匹敵する傑物であった。

 

「あたし、"その死が誰のせいか"ってきっちり分かってる構図が好きなのよ」

 

 愛歌は熱々の味噌汁を一気飲みし、口元を拭いてから箸先をゼファーに突き付ける。

 

「だからさ、はっきりさせよ。姉さんが死んだのは、あんたのせいじゃない」

 

「……っ!」

 

 ゼファーの記憶に、少し前の日のことが蘇る。

 マリア・カデンツァヴナ・イヴと話した時のことだ。

 妹であるセレナの死を、姉であるマリアが『セレナが死んだのはあなたのせいじゃない』と否定してくれた、あの日のことだ。

 

 他の誰でもなく。

 他の何でもなく。

 "奏が死んだこと"を理由に他人を責める権利を、誰よりも持っている愛歌が、「ゼファーは悪くない」と彼を許した。

 それにゼファーは、心の震えを抑えられない。

 

 『セレナの死』という罪悪感を消してくれたのが、セレナの姉のマリアなら。

 『奏の死』という罪悪感を消してくれたのは、奏の妹の愛歌だった。

 

「……アイカ」

 

「なに?」

 

「ありがとう」

 

「あんたがみんな大好きー、誰が死んでも罪悪感ー!

 みたいなノリの人間じゃなければ必要なかった許しだけどねこれ」

 

「うっ……す、すまん」

 

「冗談よ冗談。だってそういうノリ、あたし嫌いじゃないし」

 

 愛歌はデザートのゼリーをかっこんで、席を立つ。

 

「よーく分かったわ。

 私がここに来れた理由。

 多分、雲の上の姉さんが導いてくれたのよ」

 

「え?」

 

「私はここに、『許し』に来たんだわ」

 

 そして食堂の皆を見渡し、壁越しに二課全体を見渡すように周囲をぐるりと見回し、一度溜め息を吐いた後、拳を手の平に叩き付けて気合を入れる。

 天羽愛歌は、自分がこの地に今立っている理由を理解した。

 今、自分が何をすべきか理解した。

 そうして彼女は歩き出す。

 

「姉さんの死を引きずってる人達に、新しい一歩を踏み出させるために」

 

 今日この日を境にして、彼女は二課の男性陣の間で密かに『天羽奏の死が生んだ罪悪感絶対殺すウーマン』の異名で呼ばれることとなる。

 一週間も経てば、辛気臭さがまだ少し残っていた二課の空気は、彼女一人の手でガラリと変えられてしまうのであった。

 

 

 




足りてないのはシンフォギアの才能だけだよ姉妹

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