戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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人と死しても、戦士と生きる


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(どういうこと?)

 

 了子は画面に映し出される数字から、ひたすら分析と考察を繰り返していた。

 今や二課の誰もが走り回っている。

 二課の大人達は、歳を食っている大人達は翼とゼファーを息子娘のように思っているし、若い大人達は翼とゼファーを妹や弟のように思っていた。

 ゼファーが二課在籍四年、翼が二課在籍十年ともなれば、そうもなる。

 そのため、暴走したゼファーと翼が戦っているというこの状況は、彼らの労働意欲を天井知らずに引き上げていたのだ。

 

 そもゼファーの精神的フォローが長期に渡って疎かになっていたのも、二課の皆が自主残業で動き、この風潮をどうにかしようとあくせく動いていたから、というのもあった。

 ゼファーの『友達を助けたい』という気持ちを助けてやりたいと、そう思って動いていた、というのもあった。

 それがなくとも、二課は仕事の増量と人員不足でブラック企業真っ青の労働環境ではあったが。

 

 櫻井了子の分析により、ゼファーが何故暴走したのか、ゼファーが今どういう状況なのかという99%正解に近い推測が、二課の全職員に伝えられていた。

 だがその了子当人は、ナイトブレイザーの各種観測データに戸惑っていた。

 測定脳波を見る限りゼファーの心に変化は無いはずなのに、ゼファーの心に反応してエネルギーを発するナイトブレイザーのエネルギー値が、徐々に変化を示しているのだ。

 ネガティブフレアのエネルギーが抜ける形で、少しづつ。

 つまり、考え方が変わっていないのに、感情の度合いだけが変化しているということ。

 

(感情が……流出してる? どこに? 何故?)

 

 周囲が天才と呼ぶ櫻井了子にも、その理由は分からない。

 

(正直焼け石に水レベルだけど……このままネガティブフレアの弱体化が進んでくれれば)

 

 だが、好都合だ。

 本当に僅かだが暴走を抑えてくれているこの作用が続けば、翼にも勝機が見えてくる。

 本当に最後の最後に、ほんの僅かな差で勝利する要因になってくれるはずだと……そう希望を持った了子の目に、現地カメラを利用して転送された戦場映像が見えた。

 翼が追い詰められ、ピンチの中のピンチとでも言うべき状況。

 

「翼ちゃん、頑張って……!」

 

 いつでもこっそり抜け出せる私室待機を続け、私室でのデータ分析を続ける了子は、翼が解決してくれることが最良であると判断し、彼女が解決してくれると信じ、待機を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二十六話:私の好きだった人の分まで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翼はどうやってここまで来たのか?

 それはリリティア戦を思い出せば容易に想像できる。

 リリティア戦の時、翼はMrk-3から自己判断できるAIが搭載されたジャベリンを呼び、戦闘中に海辺まで移動することに使った。

 それと同じで、彼女もまた急行するために近場にあったウィンチェスター宅に向かい、そこに置かれていたジャベリンに乗りここまで来ていたのだ。

 必然、最高時速・700km/hのモンスターマシンがこの戦場に居るということになる。

 

「なっ……」

 

 翼は自分を助けに来てくれた、自分の傍を走り抜けに来たそれを掴み、体捌きのみでその上によじ登り跨がりながら、『それ』が助けてくれたことに心底驚いた。

 

「ジャベリン!?」

 

 それは、ただのバイクだったから。

 これほどまでに高い自己判断能力があっただろうかと、翼は瞠目する。

 ただのバイク。だが、速さを尊ぶ黒騎士の騎馬だ。

 バニシングバスターを回避される万が一の可能性を考えたのか、ナイトブレイザーは胸部装甲の展開を元に戻し、アクセラレイターでバイクの後を追う。

 

「……そうだな。ゼファーは、お前の主人でもあったな」

 

 翼はジャベリンを走らせながら、ジャベリンに語りかける。

 今の彼女の隣に(ガングニール)は居なくとも、(ジャベリン)は居る。

 青髪と青のギアを持つ翼がそのバイクに跨る姿は、まさしく蒼の騎士(ペイルライダー)

 翼はレイザーシルエットの負荷が抜けてきた体の調子を確かめながら、両足の剣と愛用の刀を再度形成し、ジャベリンで近場の建物の壁を垂直に一気に駆け上がる。

 

「共に戦おう。ゼファーを獣から、お前という騎馬に跨る騎士に戻すために!」

 

 そして屋上間際で反転、同じように壁を駆け上がって来たナイトブレイザーへと振り返る。

 建物の屋上近くから駆け下りる翼とジャベリン。

 建物の根本近くから駆け上がるナイトブレイザー。

 両者は建物の半ばほどの高さで衝突し、そして……今回競り負けたのは、黒騎士の方だった。

 黒鎧の端の尖った一箇所がペキンと折れて、胸の傷を抑える翼の前で、地に突き刺さる。

 

《《     》》

《 月煌ノ剣 》

《《     》》

 

 そして、奏でられる曲が変わる。

 紡がれる歌の形が変わる。

 奏がそうであったように、翼の成長と心境の変化に応じ、ギアが彼女に相応しい歌を新たに創り上げたのだ。

 戦いの流れが、塗り替えられる。

 

『翼ちゃん! 通信をスピーカーに!』

 

「藤尭さん? ……! 分かりました!」

 

 翼はジャベリンを全力で走らせつつ、並走してくるナイトブレイザーと、走りながら剣と拳を打ち合わせる激戦を繰り広げる。

 そのさなかに、朔也からの連絡を受け取り、彼の策――策と言うにはあまりに理論的でないものではあったが――に乗り、ヘッドギアの通信機をスピーカーに切り替える。

 するとそこから、三人の男の声が届いた。

 

「おらさっさと戻って来い! 難しいことなんざ考えなくていいんだ!

 しっかり働いて夜におでんの屋台で酒あおって休日に昼まで寝る!

 男の毎日なんざ、それで十分よ!」

 

「あー、その、なんだ……僕はお前のこと別に嫌いじゃないし、悪意とかないよ」

 

「君が帰って来たら……お互いに、誰にも話せなかったことを!

 私と君で、恋し愛した人を亡くした者同士で、明かし合おう!

 我々はきっと、同じではなくとも似た気持ちを明かし、膿を吐き出し合えるはずだ!」

 

 天戸、甲斐名、土場。

 三人の声がスピーカーから響き、ゼファーに届く。

 

「ゼファーッ!」

 

 そして三人の声に乗せるように、翼が叫ぶ。

 翼一人だけの声と想いでは届かない。

 なら、四人なら?

 その答えは、ほんの一瞬、コンマ一秒にも満たない時間だが動きを鈍らせたナイトブレイザーの姿が、何よりも如実に証明している。

 その一瞬の隙を、翼もジャベリンも見逃さなかった。

 

「稲光より、疾きこと風の如く!」

 

 ジャベリンは最大まで加速し、接近。かつ、ハンドルも持たずシートの上に立つ翼を落とさないよう安定した姿勢で走る。

 翼は鞘のアームドギアを作り、そこに刀を収めると同時に鞘内部のエネルギー圧を高め、エネルギーの圧力と早撃ちの絶技を重ねた一閃を放つ。

 翼のギア式抜刀術、蒼刃罰光斬だ。

 蒼の輝きを纏った抜刀術がナイトブレイザーに叩き込まれ、バイクの速度も相まって、黒騎士は跳ね飛ばされるように吹っ飛んだ。

 

 だが、多少ダメージが通ってはいるものの、動きを鈍らせることもできていないようだ。

 翼はシートの上に立っていたが、反撃に放たれたナイトブレイザーの衝撃波咆哮に車体をグラつかされてしまい、あわやシートから落ちかける、という危機的状況に。

 そこを隙だと判断し、付け込もうとした獣のナイトブレイザーの耳に、スピーカー越しの声が届いた。緒川の声に、あおいの声。

 

「ここで終わるつもりですか!? 辛いまま終わるつもりですか!?

 あなたにはまだ未来がある! 幸せになる権利がある!

 辛いからとやめて、辛い時が終わり、幸せな時が来る前に終わらせてしまうんですか!?」

 

「生きてさえいれば、誰だっていつかは幸せになれるのよ!」

 

 いつかどこかで友達に聞いたような理屈。いつかどこかでこの二人の大人に聞いたような理屈。それがゼファーの胸を打ち、翼の叫びがそれに続く。

 

「ゼファーッ!」

 

 ナイトブレイザーがほんの一瞬、コンマ一秒にも満たない時間動きを鈍らせた瞬間に、翼は崩れた己の体勢を逆に利用した。

 体勢が崩れた程度のことで、どうにかなる翼ではない。

 シートの上に立っていた状態で、咆哮により揺らされ前方向に倒れた翼は、そのままハンドルを掴んで"逆立ちした"のだ。

 そしてそのまま逆羅刹。

 バイクのハンドルの上に逆立ちしながら逆羅刹という、見ていて頭が変になりそうなくらいの、人間の極致たる絶技を披露した。

 

「無の境地なれば、(しず)かなること林の如く」

 

 林の剣は体に刻み込まれた無数の型と技が、考えるより前に無我の境地の行動として行われ、敵を強襲するとても静かな攻勢だ。

 今度は当たった逆羅刹が、ナイトブレイザーの額に斬撃を叩き込む。

 のけぞったその姿からは、与えたダメージの量がよく見て取れた。

 

 翼は逆羅刹の後、シートの上に立っていてはいつか落とされると判断したのか、逆立ちの姿勢からシートに跨る姿勢に移る。

 すれ違いざまに逆羅刹を繰り出した後反転し、ダメージが通ったからかまだ振り向いていないナイトブレイザーに向けて突撃した。

 にもかかわらず、直感による超反応で反撃の気配を見せてくるゼファー。

 そこでまた、彼に対する声が届けられる。

 

「ゼファー! 俺も、"それ"が守るべきものなのか、悩んだことはある……

 裏切られ、悪意をぶつけられ、絶望したこともある……

 だが、保証する! "それ"は守る価値のあるものだ!

 辛い今を乗り越えれば、その先には光があると、俺が保証してやるッ!」

 

「しっかりなさい! 男の子でしょう! あなたはそんなものに負けやしないわ!」

 

 風鳴弦十郎の声に、櫻井了子の声。

 

「ゼファーッ!」

 

 そこに翼の呼びかける叫びが加わり、一瞬以下の隙が生み出される。

 ナイトブレイザーが振り向く速度が一瞬遅れ、翼はその一瞬で両足の剣を巨大化し、ジャベリンと接続。

 更には高めたエネルギーを青い炎と化し、バイクに接続した足剣の回りに纏わせる。

 騎刃ノ一閃・月煌。

 騎士の騎馬ジャベリンの協力により翼がこの場で編み出した、新たな必殺技であった。

 振り向いたナイトブレイザーの燃える両腕と、翼の燃える合体剣が、バイクの加速と勢いのままに空中にて衝突する。

 

「怒りの焔、侵掠(しんりゃく)すること火の如く!」

 

 一呼吸か二呼吸か、拮抗したのはそれだけのほんの短い時間。

 ナイトブレイザーの燃える腕は弾かれ、騎刃ノ一閃・月煌がナイトブレイザーの腹部を切り裂いて、両者は攻防の後にすれ違う。

 攻撃終了と同時に翼の足の剣は元の形状へと戻り、ナイトブレイザーは腹を抑えながらも咆哮。

 三回連続で攻撃を叩き込んでもなお、その戦闘力はいささかの衰えも見せていない。

 

 ナイトブレイザーは、陸地を消し飛ばした咆哮を細かく分散し、連続で放つ。

 熱波と衝撃波による絨毯爆撃。ネガティブフレアに強力な耐性を持つ翼は耐えられても、直撃すればジャベリンの方が耐えられないだろう。

 更には、ナイトブレイザーまで四足から二足に切り替えた状態で飛びかかってきた。

 突っ込めば逃げようもなく、焔に焼かれる。

 

 それゆえに、翼は突っ込まなかった。

 バイクのブレーキを全力で動かし、その上なんと、両足の剣を伸長して地に突き刺したのだ。

 ジャベリンのブレーキ、翼の剣のブレーキの二重停止により、バイクと乗り手の力を合わせた常識外の緊急停止が現実となる。

 結果、焔の咆哮は全て翼達の前方に着弾し、目測を外したナイトブレイザーは空中にて隙が出来る。ナイトブレイザーは空中走行にて隙を消そうとするが、そこで直感的に危機を感じ取る。

 

 ナイトブレイザーの背後から、千ノ落涙が迫っていた。

 

 彼は千ノ落涙をかわすために動かざるをえない。

 そして翼は落涙の軌道を一本一本完全に制御し、一歩間違えれば自分が生み出した剣に自分が串刺しにされるという剣の雨の中、ジャベリンを巧みに操り雨の中を抜けていく。

 

『ゼファー君! ここで終わるような奴じゃないだろう、君は!』

 

「ゼファーッ!」

 

 ほんの僅かにあった、ナイトブレイザーが無傷で千ノ落涙をくぐり抜けるという可能性も、かつて四人でチームを組んでいた朔也と翼の呼びかけにより、消え失せる。

 ならば、あとは翼の読み通りの展開だ。

 彼女は動かないということで黒騎士の咆哮をかわした。そして今、剣の雨の中を狙った位置まで移動し、千ノ落涙で逃げ道を限定されたナイトブレイザーを動かず待ち伏せ、斬る。

 技の名前は風輪火斬。

 静かに王手をかけるがごとく、音もなく燃え盛る炎剣の一閃だった。

 

「動じぬ心は、動かざること山の如く」

 

 物理的に逃げ道の存在しない包囲攻撃、及び逃げ道を一つだけ残しての大技。

 直感持ちのゼファーに対する有効策の一つだ。

 何年も、何百日も、ずっとずっと。

 翼は一万回近い模擬戦を、ゼファーと共に繰り広げてきた。

 戦場においても、誰よりも多くゼファーと肩を並べてきた。

 ゼファーの戦いのことは翼が一番よく知っている。

 戦いの場におけるゼファーのことは、彼女が一番よく理解している。

 

 なればこそ、彼女の炎は、物理的な熱さを無視して、ゼファーが纏う焔よりもずっと熱く彼の心を暖める。

 折れて曲がった剣を叩き直す前に、一度熱する過程のように。

 

「我が名は翼」

 

 呼びかけでゼファーが止まる時間は、徐々に伸びていた。

 翼が一撃、一撃と当てるたび、まるでゼファーの闇が削り取られていくかのようだ。

 彼女の剣は天羽々斬。

 あらゆる災厄、あらゆる『人を苦しめるもの』の天敵である。

 

「お前は私が乗れる風、飛ぶ後押しとなる風で居てくれた。

 私がこの身を剣と成せば、振れば鳴る風で居てくれた」

 

 翼はジャベリンと力を合わせ、ダメージで動きが鈍り始めたナイトブレイザーと幾度と無く斬り合い、殴り合いを演じる。

 新たな歌・月煌ノ剣が技と共に、翼の想いをゼファーに叩き込んでいく。

 翼はバイクでドリフト気味に停止し、剣をゼファーに向けて叫ぶ。

 

「今こそ私が、お前の翼となる時!」

 

 そして再度、激突した。

 ゼファーの直感を、翼とジャベリンは意図せずして惑わせていた。

 翼が、ではなく。ジャベリンが、でもなく。翼とジャベリンが、だ。

 無機物と生命体の微妙に息が合っていない、でも少しくらいは息の合ったコンビネーションは、翼とジャベリンが考えてもいなかったようなコンビネーション攻撃を時にぶちかます。

 翼の意志の流れを読み取る彼の直感が、ジャベリンの意識なき行動に読みを外される。

 彼がジャベリンの単純な動きを読んでも、ジャベリンと息が合っていない翼の変な行動で読みを外される。

 

 人と人でないもののコンビだからこそ。

 息が合わない、即席のコンビだからこそ。

 同じ想いでゼファーのために戦うコンビだからこそ。

 翼とジャベリンのコンビは、今のゼファーに届きうるのだ。

 

「ジャベリンッ! くっ……!」

 

 今、ナイトブレイザーの攻撃にてジャベリンが走れなくなるだけのダージを受けてしまった。

 だが、ジャベリンは身を挺して翼を無傷で生かした。

 まだ繋げる。希望は繋げる。ジャベリンが繋いだのだ。

 そして構え直す翼に向かって、海の方から拡声器による大きな声が届く。

 

「翼嬢! 俺らのとっておきだ、外すなよぉぉぉぉぉッ!!」

 

 聞こえて来た声は、天戸のもの。

 翼はそれを聞き、笑んで、建物の壁を駆け上がり、跳び上がる。

 ナイトブレイザーもそれを追って建物の壁を駆け上がり、跳び上がった。

 そして、そこで、翼の影と重なる巨大なものの存在に気付いた。

 

「斬艦刀、展開!」

 

 ここは海辺の戦場だ。

 ならば使えるものがある。

 シンフォギアが手にすることで、巨大剣に変わる潜水艦がある。

 何か一つボタンが掛け違えば、二課が仮設本部として使っていたかもしれない潜水艦がある。

 

 翼が手にした潜水艦はフォニックゲインを吸い上げて、アームドギアと同等の強度へと変化。

 そして内部機関の出力を全てブースターへと注ぎ込み、翼の振るう斬撃の威力を桁違いの次元へと押し上げる。

 莫大な威力が翼の技量により練り上げられ、至高の斬撃と化して放たれた。

 

「―――ッ!!」

 

 だが、アガートラームとネガティブフレアの二重奏、侮りがたし。

 ナイトブレイザーは「この身は炎となる」と言わんばかりに、全身に炎を纏い赤熱化して、翼の振るう斬艦刀に体ごとぶつかりに行ったのである。

 肉体への負荷を一切考えていない、恐るべき捨身戦法と言えよう。

 蒼い光を纏った斬艦刀と、燃え盛る黒鎧が空中にて激突。

 

 後手に回った不利・支援機によるパワーバックアップ・質量差などなどありとあらゆる不利な要素を跳ね返し、その激突を制したのはナイトブレイザーであった。

 ナイトブレイザーはその熱量で潜水艦一つ分の質量を持つ斬艦刀を焼き切り、1/3と2/3の二つの断片に溶断し、斬艦刀を潜水艦だったものへと変える。

 翼がその可能性すらも考え、次手を打っていたことにも気付かずに。

 

「―――ッ♪!」

 

 斬艦刀を撃破したナイトブレイザーの眼前に迫っていたのは、斬艦刀と同サイズの巨大な刃であった。

 

戦場に刃鳴裂き誇る(Gatrandis babel ziggurat edenal)

 

 翼は棒高跳びの選手が棒で地面を突いて高く跳ぶように、斬艦刀でナイトブレイザーを斬った際の反動を利用し、更に高く跳んだのだ。

 そして更なる高みから、超巨大剣を生成し蹴り込む天ノ逆鱗を発動。

 絶唱を途中で止めるレイザーシルエットを上乗せし、最大威力の一撃を撃ち放った。

 

 絶唱と比べれば格段に反動が少ないとはいえ、今日二回目のレイザーシルエットに骨と内臓がギシギシと悲鳴を上げるが、翼は歯を食いしばってそれに耐える。

 斬艦刀で終わりと、獣の短絡的な思考で全身赤熱化状態を解除してしまっていたナイトブレイザーは、直感で攻撃前に気付くももう遅い。

 その腹部にモロに、翼の全力の逆鱗を喰らってしまうのだった。

 

「ッ!」

 

 地に激突、土煙が上がり、翼が着地。

 息を切らせて土煙を見つめる翼の前に黒騎士が現れ、翼は思わず歯を噛み締めた。

 これでも立ち上がるナイトブレイザーは本当に規格外の耐久力だ。

 地金が聖剣であることは伊達ではない、といったところか。

 この装甲を短時間に削りきったのは、数ある強敵の中でアースガルズという規格外一体しか居ないというのも、また笑えない。

 

 それでもダメージはちゃんと通っている。

 翼の努力は無駄にはなっていない。

 ナイトブレイザーの戦闘力は、ダメージにより相当に削られていた。

 意志ある弱者なら、心のみで限界を超えることもあるだろう。

 だが意志なき獣は、どんなに強かろうとも、追い詰められて限界を超えることはない。

 

「ゼファー」

 

 もう少しで勝てる……そう思われた、その時。

 翼はなんと、剣を捨てた。

 地に突き立てられた剣が、主を失い霧散していく。

 

「燃えるその腕は、あなたの覚悟。

 たとえ自分が業火に焼かれようとも、たとえ誰の手を取ることができずとも……

 誰かを救うために、痛みをこらえて握った拳を構えるという貴方の覚悟!」

 

 翼はゼファーの目を覚まさせるために、ゼファーを倒すための剣を捨て、ステゴロを選んだ。

 翼のその選択は、ゼファーと殺し合いなどしたくないという意思表示。

 そして"友達同士のただの喧嘩"で、彼を正気に戻すという覚悟の表れだった。

 

「もう一度、私の前で! 焔と共に(しつら)えた、胸の覚悟を構えてごらんなさい!」

 

 ナイトブレイザーはそこに何かを感じたのか、飛び掛かり、左拳を振るう。

 四足歩行の獣の爪攻撃ではないとはいえ、原始的な二足歩行の獣が使う拳の攻撃。

 身もふたもないことを言ってしまえば、ただのテレフォンパンチであった。

 速度とパワーを失った現状で翼にそんなものが通用するはずもなく、翼の右拳によるクロスカウンターで、あっさりと顔面にいい一発を叩き込まれてしまう。

 

「しからば私が、もう一度立ち上がれるくらいに、あなたを叩き直す!」

 

 ゼファーの左右の拳撃をくぐり抜け、懐に飛び込んで顎にアッパー。

 黒騎士の空中回し蹴りを身を沈めてかわし、脇に両拳のスレッジハンマーを叩き込む。

 ナイトブレイザーの咆哮を受け流し、腹にほんの一呼吸で十数回拳を叩き込む。

 

 風鳴翼はそれらの一発、一発に魂を込める。

 

 一撃目には友情を込めた。

 二撃目には信頼を込めた。

 三撃目には親愛を込めた。

 翼は彼女の中にある、ゼファーへ向ける千の思いを、千の拳撃に込めていく。

 一つ一つを丁寧に、それでいて激烈に叩き込む。

 この想いよ届けと、叫びながら。

 

「早く起きなさい……ゼファーッ!」

 

 熱した後、強く叩き上げる。

 それはまるで、鍛冶の工程のようだった。

 折れて曲がった剣を叩き直し、鍛え直し、更に強くする過程のようだった。

 

 ナイトブレイザーの装甲は硬く、殴っている翼の手の方が傷は深い。

 ゼファーの体自体に傷は付かず、蓄積されるダメージも剣と比べても微々たるもの。

 それでも翼は、これで届くものがあるはずだと、信じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所は変わって、響達の中学校の屋上。

 英美と響は、一対一向かい合っていた。

 互いにその目に涙はない。

 真剣に、真摯に、互いに対し向き合っている。

 

 二人はどちらも互いに向けて、直接的でない敵意を持っていた。

 英美は響に対してではなく、響だけが生きて帰って来たことへの敵意を。

 響は英美に対してではなく、英美に追随して危害を加えてきた者達への敵意を。

 英美に対して、響に対して、といった憎悪はないというのに、二人はお互いを視界に入れるだけで嫌な気持ちになってしまう。

 できれば、一生顔も合わせないで居たいくらいだろう。

 

 それでも響が対話を投げようとしなかったのは、英美がここに来て響を突き放さないのは、この二人が本質的に分かり合おうとする人間であるからだ。

 関係が歪んでも、曲がっても、間違っても、それでも二人の胸の中に正しいものがあるからだ。

 計斗の死から季節が一周りしようとし、響が退院してから半年近くの時間が経った今日。

 英美に中にあるものは憎しみと悲しみだけではなく、響の中にあるものもまた嘆きと悲しみだけではなかった。

 

「ねえ」

 

 英美が響に問うた。

 

「なんで立花さんは、笑えるようになったの?」

 

 それは罵倒ではなく、純粋な疑問。

 英美は計斗が死んでしまったあの日から、笑えていない。

 幼馴染で、親友で、初恋だった少年の写真と空っぽの棺桶を葬式で見つめ泣いたあの日から、英美は一度たりとも笑えていない。

 なのに今日、彼女は久方ぶりに笑っていた立花響を目にしていた。

 響と自分を比べ、その違いを知りたいと思おうと同時に、何かそこに……自分が探していた何かがあるような気がして、英美は問わずにはいられなかった。

 

「ちょっと前まで、学校では笑わなかったじゃない」

 

 英美の問いに、響は微笑む。

 作った笑顔が何割か、心からの笑顔が何割か、隠し切れない悲しみが何割か、といった割合で構成される頑張り屋の笑顔。

 仮面の笑顔ではない、頑張って笑う笑顔。

 

「私が笑わないと、笑えない人達が居るんだ」

 

「それって……」

 

 響は己の胸に手を当て、服越しに胸の傷に手を当てる。

 

「私が笑わないと……友達も、家族も、私を気遣って心から笑えないみたいなんだ」

 

 響が苦めば、悲しんで俯けば、辛くて泣けば、響を大切に想う周囲の者達の顔は曇る。

 ゼファーも、未来も、響の家族もだ。

 響が立ち上がり、笑い、心からの幸せな笑顔を見せなければ、彼らの顔は曇ったままだ。

 だから響は、頑張ろうと気合を入れた。

 

「痛くても、苦しくても、自分から率先して笑ってくれるお父さんは、もう居ないから。

 ……他の誰でもない、私が笑わなくちゃ。私が、その笑顔を奪っちゃったんだから」

 

 英美は人伝に聞いた話を思い出す。

 立花家は今大変なことになってるらしい、という真偽定かでない噂話のことを。

 

「本当は、私も無理して笑うの辛いんだ。

 だけど私は、辛い時こそ、へいき、へっちゃらだって言いたい」

 

 まだ『へいき、へっちゃら』は言えないけれど。

 へっちゃらじゃないよと、誰も見ていない所で言ってしまうくらいだけれど。

 それでも響は、"言いたい"と言った。

 

「辛い時に笑えないなら、ずっと辛い時間が続いちゃったら、ずっと笑えないでしょ?」

 

 辛い時に、人は笑えない。響はそんな『当たり前』に逆らおうとしている。

 

「そんなの、嫌だよ。

 幸せな時間がずっと続く中でも、辛い時間が続く中でも、誰かは笑っていて欲しい」

 

 誰もが笑っていなくとも、自分が率先して笑う。

 自分が笑ったことで、他の誰かが笑えるようにする。

 そんな自分になりたい。そんな自分になるために、頑張りたい。

 響はそう決意した。

 

「できれば、その笑ってる誰かは、家族か友達であって欲しい。私、そう思ってるんだ」

 

「―――」

 

 それが立花響が今日まで思い悩み、得た答え。至った信念。

 今日まで続いた彼女を包む凄惨な環境が、響の中に育んだ強さ。

 絶望の中、示され続けた希望と繋がりを糧に、彼女が紡ぎ上げた胸の響きであった。

 

 いかなる絶望の中でも、陽だまりは、人の繋がりは、希望は無くならないと、信じられる。

 過酷すぎる運命は、いずれとてつもない人物に成長するかもしれない、そんな可能性を立花響の内に芽生えさせていた。

 それはまだ可能性でしかないが、普通の中学生らしからぬその強さは、人の心を震わせる。

 

「笑顔、か」

 

 特に、英美に対しては抜群に効いていた。

 災厄がもたらしたものの中で、かつて英美も響も涙を流す以外の何も出来なかった。

 なのに今では、こんなにも差が付いている。

 響は全てを跳ね除け、傷を呑み込む強さを手に入れた。

 英美はまだ、計斗を失ったあの日から一歩も前に進めないでいる。

 

「今日まで"頑張って笑おう"だなんて、私、一度も考えなかったな……」

 

 英美の脳裏に、家族の顔、流知雄の顔、友達の顔が浮かび上がる。

 誰も彼もが、あの災厄の日から笑っていなかった。

 きっと、英美が笑えていないから、気を使って笑顔を見せようとしなかったのだ。

 この日ようやく、英美は自分のせいで奪っていた大切な人達の笑顔の存在に気が付いた。

 眼前の立花響という少女に、気付かされたのだ。

 

「立花さん、強かったのね。私なんかより、ずっと」

 

「え!? い、いやいや、そんな!」

 

「いいの。弱くて、悪かったのは、私だから」

 

 空を見上げて、英美は憑き物が落ちたような表情で、静かに空を流れる雲を見つめる。

 

(現実の中で無駄に足掻いて、納得する理由を探すのは、今日で終わり)

 

 じわりと涙が出てきて、それを響に見せたくなくて、英美は空を見上げ続けた。

 

「ごめんなさい。私のこと、恨んでるわよね」

 

「そんなことない! これからまた、友達としてやり直せばいいよ!」

 

 今回の事件の前と後で、響の懐は本当に深くなったようだ。

 発端と言っていい英美に友達になろう、だなんて、寛容にも程がある。

 悲劇を乗り越えた人間はこうなるんだろうか、なんて思いつつ、英美は泣きながら笑った。

 

「やり直せばいい、壊れたって! 全てが終わったわけじゃないんだから!」

 

 こんなことを言ってくれる子に、悪意をぶつけてた自分が馬鹿みたいだと、英美の涙の量がまた増した。

 

「ダメ。立花さんと私は仲良くできない。……色々、思い出しちゃうから」

 

「そんな……」

 

「でももし、その友達になりたいって気持ちが本当なら……

 厚かましいかもしれないけど、一つだけ、お願いを聞いてくれない?」

 

「! うん、なんでも言ってくださいな!」

 

 英美が響に願うことは、ただひとつ。

 

「計斗は、私の大好きな人だった。

 お願いは一つだけ、たった一つだけ。ねえ、立花さん―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翼は拳を構え、ゼファーに語りかける。

 何度も何度も拳を叩きつけ、想いを叩きつけ、言葉を叩きつける。

 

「私の傍に居ると……私を一人にしないと、そう言っただろう! 約束を違えるつもりかッ!」

 

 あと少し、あと少しで言葉が届きそうなのに、届かない。

 それでも諦めない。

 風鳴翼は諦めない。

 

「そんな有り様で……奏のことも、忘れてしまったのかッ!?」

 

 ピクリ、とこれまでぶつけたどの言葉よりも露骨な反応が返って来る。

 ここだ、と翼はチャンスを見つけた。

 ゼファーがここまで落ちた理由の一つ、初恋の無残な終わりと天羽奏の死。

 翼は、そこに突破口を見た。

 

「今のお前を見たら、奏はどう思う!?」

 

 黒騎士の足が止まる。

 

「奏が認めたお前の情けない姿を、奏はどう思う!?」

 

 獣の様子に、惑乱が混ざる。

 

「奏はお前に、どういうふうに生きることを望んでいた!」

 

 奏の存在が、この窮地においても翼を助けてくれる。

 ゼファーの心に、その言葉を届けてくれる。

 

「私は、奏のことが大好きだった。

 ゼファーまで居なくなったらって思うと……それだけで怖い……

 奏だって、ゼファーに生きて欲しいと思ってるはず。だから、ゼファー―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――私の好きだった人の分まで、生きて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 響はその言葉を噛み締める。

 

「委員長の、好きだった人の分まで……」

 

「私が言いたいのは、それだけ。

 立花さんと私はもう友達にはなれないけれど……

 それでも私達は分かり合えたと思うし、私は立花さんに、生きていて欲しいと思う」

 

「!」

 

「不幸になればいいだなんて、もう思えない。……それじゃ、また明日」

 

 英美が涙を見せぬまま屋上を去り、屋上には響一人が残される。

 響は、先程まで英美がずっと見上げていた空を見る。

 夕日に照らされ、雲が流れる空は美しい。

 響の胸に満ちる達成感と並べても、遜色ないほどに。

 

「……きっと、人と人は、話せば分かり合えるんだよね」

 

 この日響は、とても大切なことを学び、心の芯に据えた。

 

 

 

 

 

 生きたいという想いから始まり、生かしたいという想いに至り、生きたいという気持ちに生かしたいという想いが勝ちつつあったゼファー。

 その心を蝕んだのは、生きたいという気持ちから他人を犠牲にしてまで生き残った者達と、生かしたかった身内が死に至ったがために生還者を非難する者達の対立。

 そしてその対立に巻き込まれた無関係の被害者と、無関係の加害者だった。

 

 生きたい、生かしたい。その気持ちの坩堝の中で摩耗し、折れ曲がるゼファー。

 

 その果てに暴走した彼にぶつけられたのは、混じりけなしの『生きて欲しい』だった。

 

 生きたいと思い。

 生かしたいと思い。

 生きて欲しいと願い。

 それらがごちゃごちゃに絡まっていたところに、『生きて欲しいと思われている』が来る。

 横合いからぶつけられたそれが、ゼファーの胸中の暗雲を消し飛ばす。

 

「お前は言ったな。

 お前は、私に一度たりとも勝っていないと。

 ならそうしよう。あの日の戦いを、引き分けということにしよう」

 

 翼の正拳がナイトブレイザーの顔面に刺さる。

 ナイトブレイザーの正拳が翼の顔面に刺さる。

 口の端から血を流しつつも、その口から漏れる翼の言葉の力強さは傑物のそれだ。

 

「これまで私はお前に一度も負けはしなかった。

 そしてこれからも、私はお前に絶対に負けはしない。

 風鳴翼は未来永劫、最強のシンフォギア装者で在り続けると約束する」

 

 翼は無敗の誓いを立てる。

 今日も、明日も、一年後も、十年後も、ゼファーには負けない、と。

 

「お前が暴走した時は、何度でも止めてやる。

 お前が止まりたくても止まれない時、私が代わりに止めてやる。

 お前がどんなに強くなろうとも、お前が間違えた時、止めてやれる私で在り続ける」

 

 ゼファーが安心して、好きなように生きられるように。

 未来に選択を恐れ過ぎないように、ゼファーが失敗しないよう助けるだけでなく、ゼファーが失敗した時誰も傷付けないように助けるのだと、彼女はそう言う。

 

「……だから、そう強がるな。

 無理して弱さを隠すことも、無理して強くなる必要もない。

 私はずっと、お前より強い私で居てやるから。

 ゼファーは私の前では、弱いゼファーのままで居ていいんだ」

 

「―――」

 

 弱くてもいい。涙を流してもいい。

 翼が伝えたことなど、それだけだ。

 悪意に痛め付けられ、奏の死を引きずり、心が強ければこんなこと気にもしないのに……と自分を情けなく思い、心に鞭打ってきたゼファーだからこそ、響く言葉であった。

 

「私はお前に、強く在って欲しいだなんて言わない。

 お前は今のままでも、私の知る人間の中で一番強く在っていると思っているからだ。

 これ以上強くなる必要なんてない。今のままのお前が、きっと一番素敵なんだ」

 

 仮面の下に涙が流れる。

 涙は溜まり、宇宙と宇宙の垣根を超えて、仮面の上に流れ出る。

 ナイトブレイザーの仮面の上に、涙が流れる。

 

「あ、ああ、あ……ツバ、サ……」

 

 翼が言葉遣いや戦闘スタイルを変えてまで、強く在ろうとした理由。

 ゼファーが翼の寄りかかれる自分で居ようとしたのと同じように、翼もまた、ゼファーが寄りかかれる自分で居ようとしていたのだ。

 奏の時の失敗は繰り返してはならないと、翼は肝に命じている。

 自分がどれだけ思われているか、それが翼の強さから伝わってくるたびに、仮面の下のゼファーの眼から涙が溢れていく。

 

『やり直せばいい、壊れたって! 全てが終わったわけじゃないんだから!』

 

「……ぁ……」

 

 耳ではないどこかの器官が、ゼファーへとその声を届け響かせる。

 響の声が、ゼファーに巣食う闇を払う。

 あと一撃。

 あと一つ何かを叩き込めば、ゼファーは正気に返る。

 

(次の攻防が、最後)

 

 拳を構える翼も、もう限界に近い。

 二回のレイザーシルエットに、胸には血が流れる浅からぬ傷、想いを叩きつけた両拳は見るに耐えないくらいボロボロだ。

 次の攻防で決着が付くという確信が、今はただただありがたい。

 あと一回、最後の一回。

 戦いの場に、緊迫した空気が流れる。

 ナイトブレイザーが燃え尽きるまで、藤尭朔也計算であと30秒。

 

 翼は足を地に擦るように踏み込み、ナイトブレイザーは跳ねるように踏み込んだ。

 

 翼は損傷の大きい右拳ではなく、左拳を振り上げる。

 だがそこで息を呑み、目を見開いた。

 ナイトブレイザーは右手に焔のガングニール、左手にエネルギーベクトル操作による焔帯を纏わせて、ここに来て大技を繰り出そうとしていたのだ。

 おそらくは左手の焔で翼の足場を崩し、右手の焔の槍を叩き込む算段なのだろう。

 バニシングバスターほどの威力はないだろうが、バニシングバスターほどの隙もない。

 暴走状態にある思考が、ほんの僅かに『考える頭』を取り戻してしまったこのタイミングだからこそ、翼の予想を超えた最悪がやって来る。

 

(ここで、このタイミングで、奏の技……!?)

 

 翼は回避できないことを確信し、覚悟を決める。

 ゼファーのガングニールに腹を貫かれた瞬間に、カウンター気味に拳を叩き込むつもりだ。

 今の無制御な状態のネガティブフレアを、バリアフィールドを貫く貫通力を持つあの槍で叩き込まれれば、翼はほぼ確実に死に至るだろう。

 だが、この状況で翼が選べる選択など他にない。

 

(せめて最期は、風鳴の者と、風鳴翼と、武士(もののふ)と生きて―――!)

 

 覚悟を決め、歯を食いしばり、息を止める翼。

 だが、その覚悟はとても綺麗に空振った。

 

「……え?」

 

 ナイトブレイザーが左手から放った焔が全て軌道を曲げ、翼に向かわず空へと飛んで行く。

 エネルギーベクトル操作能力が、今のゼファーから離反する。

 ナイトブレイザーの右手の槍が勝手に動き、黒騎士の顎をかち上げる。

 ガングニールの力が、今のゼファーから離反する。

 まるで「この瞬間を待っていた」「今だ」と翼に言わんとしているかのように。

 

(――奏――!)

 

 翼が駆け、引いた左拳を全力で突き出す。

 だが、腐っても暴走してもナイトブレイザーだ。

 顎を自分の腕の槍にかち上げられ、衝撃がほとんど逃げないダメージを受けたにもかかわらず、超直感超反応で翼の拳撃にカウンターを合わせてきたのだ。

 翼の左拳は、ナイトブレイザーの左拳を合わせられ、受け止められる。

 

 だがここで、奇跡が起きた。

 

 ナイトブレイザーの左腕が一瞬にして分解される。

 そしてぶつけ合った翼の左手に、分解された粒子が纏わり付き、再構築される。

 それは天羽々斬の装甲の上に形作られた、『銀の左腕』であった。

 

「銀の、左腕……!? いや、今は!」

 

 暴走を止めんとしたアガートラームまでもが、今のゼファーから離反する。

 諦めなかったからこそ辿り着いた、泥の中から希望を拾うような奇跡。

 "青い髪の剣士に託された銀一色のアガートラーム"が、翼の振るう左の拳撃と共に、がら空きのゼファーの胸へと叩き込まれる。

 

「―――ゼ、ファーッ!!!」

 

 銀の腕が溶け、彼の胸に溶け込んで行く。

 銀の閃光が全てを飲み込み、彼の体に吸い込まれていく。

 翼の思いがそれら全てに混じっていき、彼の中へと余すことなく届けられていく。

 

 光が、翼の視界を銀一色に染め上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闇の中、泥の中。

 もう見ないと思っていた、闇色の泥の夢。

 何も考えず、何も感じないようにと心がけ、息もできない苦しさの中まどろむゼファー。

 そんな彼の尻が、蹴り上げられる。

 

「!?」

 

 誰だ、と思ったが、ゼファーの生涯の中で"尻を蹴り上げる"を『元気付ける方法』と認識していたような奴は一人しか居ない。

 フィフス・ヴァンガードでは、何回かそういうことがあった。

 ゼファーは周りを見渡すが、広がる精神世界の中にあの少女は居ない。

 微睡みを終わらせ、思考を取り戻したゼファーの目に、多くの大人の背中が見える。

 

 死んでしまった大人達。

 どこに行ったかも知れない大人達。

 身近にいる大人達。

 二課の大人達。

 

 ゼファーはその背中を追った。

 昔からずっと、あの背中に追いつきたくて、追い越したくて。

 大人になりたくて仕方がなかった。

 自分より多くのことが出来る大人になりたくて仕方がなかった。

 なのに背が伸びて、自分が大人に近付いて来ると、その憧れから漠然としたものが抜けてくる。

 

 大人に傷付けられた。

 大人に悪意をぶつけられた。

 大人に騙された。

 大人にうちのめされた。

 良い大人と悪い大人を一緒くたに扱うことができなくなってきて、ああなりたいと思う良い大人と、そうでない悪い大人がよく分かるようになってきた。

 子供の頃見た、悪い大人が良い大人になる光景は、本当に素晴らしい奇跡だったんだと分かるようになった。

 悪い大人にも、相応の事情があることもあるんだと、実感してしまった。

 良い大人が良い大人のまま居られないこともあるんだと、理解してしまった。

 

 自分より心が弱い大人が居るんだってことも、身に沁みて知ってしまった。

 

 やがて大人は消え、ゼファーが追う背中がなくなってしまう。

 どこを向けばいいのか。

 どこに進めばいいのか。

 何もかもが分からない、今のゼファーの心を表す闇の世界だ。

 

 迷うゼファーの耳に、切歌に似た声が届いた。

 

「……いや、まだいいよ。キリカに貰った元気はまだこの胸にある。

 貰うとちゃんと増えて、あげても減らないこの元気……

 もっとたくさんの人にあげたいんだ。みんなに、元気になって欲しい」

 

 切歌に似た声が聞こえた方向に、ゼファーはとりあえずで歩く。

 何も見えない世界の中、友の声だけを頼りにするゼファーの耳に、調に似た声が届いた。

 

「そう言ってくれるのは嬉しい。

 だけど、まだ大丈夫だ。

 これしきのことで頼ってたら、もしもの時に俺がシラベを守れなくなっちまいそうだ」

 

 調に似た声が聞こえた方向に、ゼファーはとりあえずで歩く。

 進めば進むほど闇は濃くなって、泥の底を必死に歩いているような気分になってきて、肺の中に泥が詰まっているかのような苦しさが生まれる。

 そこでゼファーの耳に、マリアに似た声が届いた。

 

「全てを投げ出して逃げることは弱さじゃない、って……

 あの時そう言ってくれたのは、こうなるって分かってたからなんですか?

 俺のこと、全部分かってたからなんですか? マリアさん」

 

 進む。

 進む。

 進み続ける。

 諦めることも、完全に絶望に染まり切ることも、足を止めることもしない。

 どこまでもゼファーらしく、彼は前に進んで行く。

 

「ここは……」

 

 気付けばゼファーは、あの日奏を失ったドームの真ん中に立っていた。

 彼の周りには、三人の少女が居た。

 三人は揃って、彼を見ている。

 

 未来が見ている。隣から、共同戦線を組んだ少女が見ている。

 響が見ている。後ろから、救いを求める儚い少女が見ている。

 翼が見ている。前から、彼を止めようとする少女が見ている。

 

 戦場で共に戦ってくれた少女が。

 戦って守ろうと決意した少女が。

 戦ってでも止めてくれる少女が。

 

 隣から、後ろから、前から、少女達が彼を見ている。

 ゼファーに、仲間が居ると、守りたいものはまだ残っていると、友は居るのだと伝えてくれる。

 そして、遠い遠い場所から届いた一つの声が。

 

『きっと、人と人は、話せば分かり合えるんだよね』

 

 「そう考えているのは君一人じゃない」と、彼に伝えてくれる。

 困難ではあっても不可能ではないこの道を、同じ考えを持って歩く誰かが居るのだと、ゼファーに教えてくれる。

 どんな時でも一人じゃないと、信じさせてくれる。

 

 たとえそれが、幻想でも。

 

 その夢は、確かに彼の暴走を止める楔となっていた。

 

「そうだ、たとえ膝をつく日が来ても……

 この心は、志した夢は、決して……いや、絶対に、絶対……!

 『皆』に幸せで居て欲しいと、そう願って、夢にしたのは俺じゃないか!」

 

 ようやく目が覚めたか、と言われた気がして、おかえり、と言われた気がして、ゼファーは振り返る。

 生きていれば同い年だったはずの、生きていないはずの二人の少女がそこに居た。

 

「泥にまみれた奇跡でも」

 

 彼女はぶっきらぼうに言う。

 ゼファーは右手の拳で、彼女の拳と打ち合わせた。

 

「きっと、天は見てくれてるよ」

 

 彼女は優しく、いたわるような声色で言う。

 ゼファーは左手の手の平を、慈しむように彼女の手に重ねた。

 

 そして二人の間を通り過ぎて、ゼファーは闇の泥の中を進む。

 進む、進む、進む。

 そうしていく内に、銀色の光が見える。

 

 光の中から差し伸べられる誰かの銀の左手を掴み、ゼファーは闇の中を脱出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、ゼファーと翼は地面の上に大の字になって寝っ転がっていた。

 もう指一本動かす力も残っていない。

 暴走が解除されたゼファーも、ギアが解除された翼も、疲労困憊極まっている。

 

「……なあ、ツバサ」

 

「なに?」

 

「俺、弱くて、強くないと守れないものがあるのに、守れなくて……

 それで生きてていいのかな……弱いままじゃ、また守れないかもしれないのに……」

 

 ゼファーが弱音をこぼすと、翼は呆れたように言葉を返した。

 

「違うでしょ。ゼファーは、弱かったから沢山のものを守れてきたのよ」

 

「……え?」

 

 ゼファーを見るゼファーではなく、ゼファーを見る翼にこそ、見えているものもある。

 

「私は最強になると言ったけど……最強は、無敗じゃないわ。

 私が無敗で在り続けると誓ったのは、ゼファーとの戦いだけ。

 最強だって、負けることはあると思う。戦いに絶対はないもの」

 

 目を閉じ、翼はこれまでの戦いの全てを思い返す。

 ゼファーも倣って、目を閉じこれまでの戦いの全てを思い返した。

 

「でも、ゼファーが居ると私達は、いつだって自分より強い相手にも勝てた気がした」

 

 ノイズ、リリティア、ディアブロ、ベリアル、アースガルズ、オーバーナイトブレイザー。

 

「みんなで力を合わせたら、どんな最強にだって勝てる気がして、実際に勝ってきた」

 

 どの戦いも、ゼファーらしく泥にまみれながら泥の中から掬い上げるような勝利ではあったが、泥まみれでも絢爛に輝く奇跡の勝利だった。

 

「完全無欠に最強な人に、手を貸す人なんて居ない。

 だって、"どうせ手を貸さなくても勝つじゃん"って、思っちゃうでしょ?」

 

 あいつは一人でも大丈夫だろう、と誰も手を貸してくれなくなった英雄も居る。

 強すぎるがゆえに、一人は皆のために、皆は一人のために、の原則が成り立たなくなった悲しき英雄も歴史の中には居るものだ。

 

「でも、弱い人なら……

 心なり、力なりが弱くて、いつも皆の力を借りて勝ってる人なら……

 私なら、そういう人にこそ、力を貸したいと思う」

 

 だが、ゼファーはそういうタイプの人間ではない。

 今はまだ、どういう人間に完成するかは分からなくとも……孤独に終わることだけは絶対にないと、そう断言できる少年だ。

 

「そうして戦うあなたと私と仲間達は……きっと、どんな最強より、負けなかったはずよ」

 

「ツバサ……」

 

「あなたが誰よりも強くはなかったから守れなかったものもあったかもしれない。

 でもね、あなたが誰よりも強くはなかったから守れたものだってあるって、私は思う」

 

 翼は体力の限界が近いからか話し疲れたようで、息を整える。

 

「私の前では、いくらでも弱さを見せたっていいから、ね」

 

 そして、彼女はそう言った。

 

「……ありがとな」

 

 そして、彼はそう言った。

 

(生きて欲しいって、その弱さが守ったものもあるって言われて、俺は……)

 

 ゼファーは仰向けのまま、暗くなり始めた空を見上げる。

 空の星を見ると、ゼファーは色んなことを思い出してしまう。

 特に、空の星になってしまった人達を。

 

「カナデさん」

 

 ゼファーは答えなど返って来ないことを知っていて、それでも心に整理を付けるために、空の星に向かって問いを投げる。

 

「俺、暴走も抑えられないくらいに弱いけど……

 一人じゃ何も出来ないかもしれないけど……

 それでも、生きていくことを、許してくれるか……?」

 

 答えが返って来ることなど、期待していなかった。

 なのに。

 聞き覚えのある声が、ゼファーの耳へと柔らかに奏られる。

 

 

『許すさ、当たり前だろ?』

 

 

 それは幻聴だったのだろうか。

 ゼファーにだけ聞こえた、奇跡の残滓だったのだろうか。

 どちらにせよ、彼の耳にその言葉がハッキリと聞こえたことだけは確かなことで。

 

 夜空に走る流れ星のように、つぅっと輝くひとしずくが、彼の目尻から流れ落ちていた。

 

 

 

 




高く奏でる明日の調べ

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