戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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銃が手元にないと安心できない、寝れない、って少年兵は結構居ると元紛争地域ボランティアの方が本で書かれてました


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 ある時、クリスが問うたことがある。

 

 

「ゼファーってなんでいつも銃抱えながら寝てるんだ?」

 

 

 寝ぼけて引き金引いたりとか、銃の暴発とかが怖くないのかと、純粋な疑問だった。

 

 

「銃抱いてないと不安で眠れないのが普通だと思ってたけど、ユキネは違うのか」

 

 

 そしてその返しに、彼の当たり前のことが当たり前じゃなかったことに驚いたようなその顔に、彼女はほんの少しゾッとした。

 小さな子供を育てた経験がある人なら分かるだろう。

 幼少期の子供は特定の毛布・ぬいぐるみ・枕に異様に執着する時期がある。

 これがないと眠れなかったり、取り上げたりすると暴れたりもするのだが、親がきちんとやめさせないとその依存が数十年続いたという事例もある。

 大きな大人が、薄汚れた小さなぬいぐるみを抱いて「これが無いと眠れない」と口にするのだ。

 ゼファーにとって、そのぬいぐるみに相当するのは銃だった。

 

 

「それは『変』だろ、ゼファー」

 

 

 弾の込められた銃を抱いて安らかに眠る友人に、クリスが何を思ったのかは定かではない。

 

 

「じゃあ、どうすれば直せるんだ? その変な所は」

 

 

 ただ友人に、本当にどうしようもない部分が欠けていることを実感したことだけは確かだ。

 

 

「教えてくれユキネ。俺にはお前の言う『普通』が分からない」

 

 

 それでも。

 取り返しがつかないだとか、後戻りができないだとか、もうどうにもできないだとか。

 不可逆に壊れているとまでは、クリスには思えなかった。

 

 

「まずは銃がなくても寝れるようにしよう、な?」

 

 

 変わろうとしている友達が自分を頼ってくれていることが、クリスにはほんのりと嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三話:Final Countdown 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジェイナス・ヴァスケスは情報戦という一点において、この地で最も優れていると言っていい。

 どこからか誰からか手に入れた情報を活用し、立ち回り、銃の腕も格別優秀ではないのにこの地にて今日まで生き残っている時点で、その技能は本物だ。

 危険を事前に察知し、それを他人に教えもせずにすたこら逃げる。

 だから嫌われるし、ゼファー以外の味方は誰もいない。

 

 

「あ? それで人殺してセンチなあのメスガキ励ましたいって?

 ベッドの中にでも連れ込んどけよ。半々の確率でそれでどうにかなる」

 

「ジェイナスに意見聞いた俺がバカだった」

 

 

 ……普段の言動とか、他にも色々と原因はあるのだが。

 

 

「男と女が揃ったらそれしかねえだろ? あ、お前精通も来てねえか」

 

「せいつう?」

 

「ジジイにでも聞けば答えてくれるだろうよ、ケケッ」

 

 

 いつかの日にジェイナスがビリーに張り倒された空き地にて、二人は談笑していた。

 もっとも、ゼファーの心配事をジェイナスがひたすら茶化すだけのこれを、談笑と言っていいのかは分からないが。

 とてもじゃないが、十歳前後の子供に対する二十代半ばの大人の対応とは思えない。

 

 

「ゼファーが女に気の利いた台詞とか無理だろ? 頭使うだけ無駄だろよ」

 

「……痛いとこ突くなぁ。ジェイナスが女の人にモテるだけなおさらに」

 

「お前は意図的にモテようとしても出来ないタイプなんだよ。

 好かれるために適当な事言おうとか、一生思わないだろう真面目ちゃんだからな。

 お前が口説き文句を言えるとすれば、そりゃ口から出ること全部本音ってことにならぁ」

 

 

 ジェイナスの言う事は八割適当だが、悪口だけは正鵠を射る。

 彼はそれが真実であるならば悪口は反論されず、適当な罵倒をするよりもずっと深く心を抉れるということを知っているからだ。

 ゼファーに対しては多少なりともマイルドだが、まあそれだけだ。

 そしてゼファー以外には、完全に容赦が無くなる。

 

 

「あのメスガキはもうダメだろうよ。さっさと切っちまう事をオススメしとくぜ」

 

 

 クリスはあの日から、人を殺すのを躊躇わなくなった。

 けれどもその分、人を撃つ度に何かを自分の中に溜め込んでいっているようにも見える。

 ゼファーから見れば、それはパンパンに膨らんだ風船のようだ。

 無理を重ねて、いつか割れるのが目に見えている。

 

 

「死んでもないうちから、他人の生き死にを諦めたくないんだ」

 

 

 ジェイナスはもうダメだろうとクリスを評したが、ゼファーはそうは思わない。

 この程度の苦悩、彼女なら一人でも乗り越えられる。二人ならもっと早く乗り越えられる。

 それがゼファーの認識だった。そのために何が出来るか、という所で早くも躓いていたのだが。 生きている間は付き合いが短くとも、こんなにも心配し面倒を見ようとする。

 死んでしまえば忘れられもしないくせに、思い出さないようにとさっさと忘れようとする。

 誰がどう見ても、変だ。

 

 ジェイナスは昔芸能人が聞きかじった知識で少年兵について書いた三流書籍の内容、少年兵の社会復帰の困難さについての記述を思い出し、少し納得した。

 成程、将来この少年は真っ当な社会に混じるのにもそれなりに苦労するだろう。

 女関係でも苦労するかもしれないと、どうでもよさそうにジゴロの特有の勘もついでに働く。

 まさにどうでもいい未来予想図だった。

 

 

「死んでもないうち、ねぇ」

 

「なんだよジェイナス、なんか含みのある言い方だな」

 

「いーえーべつにー。ま、俺が心配してるのはあのメスガキじゃないしな。

 話に聞いたビリー野郎の妹の時みたいになったら、うちの小隊が困る」

 

「……は? ビリーさんの妹? 妹居たのかあの人」

 

 

 あの英雄に妹が居た、なんて寝耳に水にもほどがある。

 ゼファーの脳内に兄のように慕っていた記憶が蘇り、ビリーが死んだ事実が押し寄せ、その死から逃避せんと、頭痛と共にその記憶に蓋をする。

 ごちゃまぜの感情を全て押し込んだ後には、驚愕だけが残った。

 どこか他人事のように、英雄ビリーに妹が居ることに驚いているゼファーだけが残った。

 ただ、他人事で居られたのはここまでだった。

 

 

「は? じゃあガセネタだったのか」

 

 

 チッ、と舌打ち一つ。

 ジェイナスは悪意なく、他意なく、本当にガセネタだったと信じて疑わず、ゼファーにとっての致命傷となるその一言を発する。

 だからこの男は、嫌われるのだ。

 

 

「『リルカ・エヴァンス』なんてこの辺りにそう多い名前じゃないと思ってたんだけどよ」

 

 

 普段から熱のない顔に、明確な絶望と怯えの色が刻まれる。

 手遅れになってようやく、ジェイナスは自分が口にしたことが不味かったのだと気が付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フィフス・ヴァンガードにはノイズや隣国と殺し合っている者だけが住んでいるわけではない。

 それらを管理する者達、兵士達を顧客とする娼婦、人種差別政策によって押し込められた人達、ただそこに生まれたからそこに生きている民達、それらのどれでもない誰か。

 戦わない者達も多いのだ。

 戦いに巻き込まれて死ぬ者も多いため、この地における命の価値を引き上げる事は全くないが。

 

 今は亡きビリー・エヴァンスは、大人になってからこの地に流れ着いた者だ。

 それ以前は別の場所に住んでいたのだろうし、ゆえに兵士以外の交友関係もある。

 彼が過去を他人に語ることは全く無かったが、彼がこの地にやって来た時、共に居たビリーの旧知の男が一人居た事をゼファーは覚えていた。

 名前までは知らない。

 しかし、この地に目減りした兵士を補充する人材担当であるその男とは、ゼファーは何度も顔を合わせているため、会うこと自体はそこまで難しいことではなかった。

 

 聞きたかったのか。聞きたくなかったのか。

 事実を知りたかったのか。事実でないと否定して欲しかったのか。

 自分の本音すら分からず、頭が割れてしまいそうなほどの頭痛から逃げるように、ゼファーの足はそこへ向く。

 痛みから逃げることで、新たな痛みへと向かっていく愚かな過程。

 

 

「あー、あの人の妹。そういえばリルカとか言ってたね……

 聞いたのもう何年も前のことだから正確には覚えてないけれど」

 

 

 だから、逃げられやしない痛みを突き付けられるのだ。

 

 

「とは言っても私とあの人の仲ってそんなに良くなかったからね。悪くもなかったけど。

 妹さん探してるあの人と、この国長いからあの人に道案内できる雇われの私って感じだったし。

 それで妹さんがあんな末路だったんだから、そりゃあんな自殺部隊に入りたくもなるよ」

 

 

 ゼファーは、今自分がどういう表情を浮かべているのかも分からない。

 男は資料片手間に仕事をこなしつつ、ゼファーの顔も見ずに、ビリーは死に場所を探してたのかもしれないと、そう語る。

 

 

「ビリーさんは生活苦で昔親に事実上の奴隷として売られた過去があってね。

 そこから逃げ出して、親のもとに辿り着いて、自分に歳の離れた妹が居る事を知ったんだ。

 親が彼と同じことを妹で繰り返していた、という事実もね。

 顔も見たことのない売られたたった一人の妹のために、彼は自分の全てを捧げたんだ」

 

「元奴隷で何一つとして自分のものを持たなかった彼にとって、

 自分を売ったことで見限った最低の両親を除けば、妹は彼に残された唯一の生きる理由だった。

 自分が苦しかったからこそ、妹に救われて欲しかったのかもしれない。

 妹が救われてくれれば、自分も救われた気持ちになって、何か変われると思っていた節もある」

 

「私が彼に雇われたのは、彼が妹を探し始めたのとほぼ同時期だよ」

 

 

 ああ、そういえば、リルカとビリーさんは少し顔つきが似ていたかもしれない、と。

 壊れかけの蓋から漏れてきた記憶に、上からまた新しく蓋をして押し込める。

 意識が飛びそうになるくらい、少年の頭痛が増した。

 

 

「だから妹さんが既に凄惨に殺された後だと知った時の、彼の荒れようは見てられなかったね」

 

 

 辱められた死体を思い出して、吐き気が増した。

 

 

「あの人も最初は仇を取るのだと憎しみを滾らせていたが……結局、犯人はどこにも居なかった。

 皆既に、彼とは何の関係もなく、意味もなく死んでいた。

 本当に……やるせない気持ちだけが残る、どこにだってありふれた悲劇だった」

 

「妹さんとどんなことを話すんだとか、彼は毎晩のように語っていた。

 どんな子なのか、ずっと想像していたようだった。

 まずは自己紹介からだろうと私が指摘すると、恥ずかしげに頬をかいていた。

 名前を呼んで頭を撫でてやれば、兄はそれでいいんだと、偉そうにアドバイスしてしまったよ。

 兄と妹の二人でこれから『家族』として幸せにやっていくんだろうと思っていたんだ、私は。

 ……いや、違うな。思っていたんじゃない。そうなって欲しいと、願っていたんだ」

 

 

 ゼファーは気付いていないが、男の視線は手元の資料になんて向いていない。

 男がゼファーを見ないのは、瞳に滾る怒りの炎を見せたくないためだ。

 虚空を睨むのは、怒るべき相手がもうこの世に居ないことを知っているからだ。

 口が滑るのは、彼自身ずっと吐き出せない気持ちを胸の中に抱えていたからだ。

 

 二人の仲は良くも悪くもなかったのかもしれない。友ですら無かったのかもしれない。

 けれど、それでも、男はビリーの背負わされた運命を嘆いた。

 ビリーが死んだ時、エヴァンス兄妹が辿った運命を知り、この男は赤の他人という立場で人知れず自宅で涙した。

 あんまりじゃないかと、名も無き男は涙した。

 

 

「私は、他人事のように、あの二人に生きて幸せになって欲しいと願ったんだ」

 

 

 そして今、他人事のように嘆き、怒りと涙を堪えている。

 

 

「……悪いね、話を聞きに来ただけの君に愚痴ってしまって」

 

「いえ」

 

 

 いえ、と。少年にはそう一言返すのが精一杯だった。

 

 

「彼はその後、死に場所を探すように君と同じ自殺部隊に入った。

 彼には生きる理由がなかった。何もかもを失っていた。

 その時以来、私とあの人は一度も会っていない。

 互いに、互いの顔を見ると、あの件を……嫌なことを思い出してしまいそうなのが嫌でね」

 

 

 そして、ビリーとゼファーは出会ったのだ。

 それがもう、三年から四年ほど前のこと。

 

 

「ああいや、死に場所探しだけじゃなかったね。

 もう一つ、ガセネタだろうけどビリーさんが掴んでいた情報があったんだった。

 妹を見殺しにした一人が、まだ生きてるって話」

 

 

 その言葉を聞いて、ゼファーは。

 頭痛が、吐き気が、許容量を越えて自分を飲み込むのを感じた。

 視界が揺れて定まらない。五感が狂って気持ちが悪い。

 

 

「加害者でも犯人でもないけど、その場にいて一部始終を見てた奴が居たんだってさ。

 何もしてなくても、いや何もしなかったからこそ、加害者と同罪だろう?

 私だったら八つ裂きにしてもし足りない、復讐相手として相応しい相手だと思うよ。

 それ以外に何も情報がなかったから噂話程度のガセだと思ったけど、彼は違ったみたいだ」

 

「何か感じるものがあったのか、それとも復讐を諦めない心だったのか。

 自分の中の止まった時間を進めてくれる、決着を着けるべき復讐相手を求めたのか。

 ともかく、死に場所探し以外にも彼には目的があったんだ。

 妹を見殺しという形で殺した、その最後の復讐相手を探すために」

 

 

 ―――それは、絶対に絶対、ゼファー・ウィンチェスターのことだった。

 

 

 ビリーさんは、全部知っていて復讐の機会を伺っていたのか?

 今まで彼が見せてくれた全ては、偽りだったのか?

 優しさも、言葉も、全部嘘だったのか?

 思考が脳味噌をかき混ぜ、ゼファーの頭の中をぐちゃぐちゃにする。

 

 

「私見を言わせてもらえれば、その傍観者は絶対に許されて欲しくない」

 

「裁かれるにしろ、死ぬにしろ……救いのない終りを迎えて欲しいと思ってる」

 

「あの兄弟を、死人を想うなら、それだけが弔いになるはずだ」

 

 

 別れの挨拶に何を言ったのか、どんな道を通ってきたのかも覚えていない。

 思考が出来る程度の意識が戻ってきた時、ゼファーは既に自分の部屋に居た。

 そしてまたすぐに、思考するだけの余裕を失った。

 

 

「おれ、は」

 

 

 リルカが好きだった、ビリーが好きだった。

 それはゼファーの嘘偽りのない気持ちだ。だから、その死に向き合えなかった。

 人の感情は、いつだって主を殺す自殺という刃を携えている。

 好きだったという気持ちが、押し付けられた蓋の下から、ゼファーを殺そうと暴れ回っていた。

 

 

「……生きたかったんだっけ? 分からない……分からない……」

 

 

 結論は出せず、また逃避する。

 何も考えないようにして、なにもかもを忘れるようにと自己暗示を繰り返す。

 年齢で言えば小学校も卒業していないような子供が、そういう過程を繰り返す。

 誰かが見ていれば、気持ち悪いという感想しか浮かんでこないであろう光景。

 

 それでも、そのやり方で彼がもう一度立ち上がれるとはとても思えない(ざま)だった。

 

 

「俺は」

 

 

 虚ろなまま、常に肌身離さない銃の一つを手首に向ける。

 その拳銃の引き金を引けば、楽ではなくとも死ねるだろう。

 即死で楽に死ねなくとも、頭蓋骨で逸れる心配もない。

 元よりゼファーは、楽に死にたいなどと思ったことはない。

 ただ現実が辛くて、死ねればずっと楽になれるんだと信じていて。

 その気持ちが辛いことがある度、記憶の蓋の合間から思い出が湧き出てくる度、膨れ上がって。

 それでも、

 

 

「それでも……死にたく、ない」

 

 

 死にたいという気持ちに、生きたいという気持ちが最後に勝ち続けてきた、ただそれだけ。

 死にたい、死にたくない、だから死にたくなる理由を忘れよう。

 その繰り返し。

 手首に突きつけていた銃を取り落とし、また少年は虚ろな瞳で壁を見つめたまま、ぶつぶつと何かを呟きながら記憶を心奥に押しこんで、普段の自分に戻る作業に戻る。

 それはどこか、不具合が出たOSを再インストールする過程に似ていた。

 記憶を消すか過去を無かったことにできなければ、何度でもこの不具合は起こるのに、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼファーを始めとして、この部隊に所属する者の大半はめったに熱い風呂には入れない。

 金がどうとか設備がどうとかいう話だけではなく、国の成り立ちと度重なる戦争で地方部分の上下水道を初めとするインフラがダメダメなのだ。

 ならばやたら維持費も仕様費もかかる熱い風呂が貧して鈍する地方に定着するわけもなく。

 しかし人間である以上体も服も当然汚れるので、洗わなければならない。

 この辺りの生活用水は井戸から汲み上げる。服や体を洗う際はここから組み上げ、運んでいかなくてはならない。

 服を乾かす火をたいて、クリスは一人で洗剤もなく身体と服を洗っていた。

 

 

「……」

 

 

 服を洗い、それを火に当てて乾かしている間に体を洗う。

 洗剤だとかシャワーだとか湯船だとか、そんな上等なものは望めない。

 住居すらゼファーの家に間借りしている状況で、クリスがそんな贅沢を言えるはずもない。

 けれど最低限垢を落とさなければ、彼女の風貌は浮浪者と変わらなくなってしまう。

 

 体を洗って、次に髪。

 クリスの髪型はカントリースタイルのツインテール。

 縛ったままでも解いても、肘まで届く程度には長い。

 長い髪は洗うのが面倒で、水洗いしかできない今は尚更手入れが面倒だ。

 ふと、クリスは先日ゼファーに言われたことを思い出した。

 

 

『長い髪は掴まれたり、瓦礫に挟まったりするからあまりオススメはしない』

 

 

 動き回るなら長い髪は邪魔だ、というのはクリスにも分かっていた。

 地面をしょっちゅう転がるゼファーほどでなくても、動き回れなければいい的になる。

 クリスの手元には鈍い輝きを放つ銀のナイフが握られている。

 髪を洗う邪魔にもなるしと、髪に刃を当てて……その手が、止まった。

 

 

 母の声。

―――クリス、髪は大切にしないとダメよ? それは女の子の命なの

 

 父の声。

―――クリスの髪は綺麗でお母さん似だな

 

 

「っ」

 

 

 髪。

 それ一つとっても、そこには思い出が詰まっている。

 褒めてくれた母の言葉が、父の言葉が、その思い出が詰まっている。

 クリスには、そのナイフが切り捨てるのは……髪だけでないように思えた。

 押し当てた刃を止めたまま、乾かしている最中の服に目を向ける。

 

 それはクリスがこの国に来た時来ていた可愛らしい私服ではない。

 ゼファーがツテを使って手に入れてくれた、クリスの価値観基準ではとてもみすぼらしい服だ。

 クリスとゼファーが初めて出会った時着ていた服はボロボロで、もう直せる見込みもなかった。

 捨てた方がいいと言うゼファーの言葉に、その時クリスは躊躇った覚えがある。

 その私服は母が選んで、父が買ってくれた思い出の品だった。

 大切に着て、何度も着て、お気に入りにしていた幼心の勝負服。

 思い出が詰まっていた服だった。

 けれど、捨てた。捨てて、燃やした。

 

 平和な世界の思い出が刻まれたものを捨てる度に、両親と決別するかのように。

 その愛を否定するかのように。

 捨てて楽になるのではなく、むしろ溢れそうになる涙と痛みをこらえながらに。

 躊躇って、けれどその痛みを乗り越えて、過去と決別する。

 雪音クリスにとって思い出の詰まったものを切り捨てるということは、そういうことだった。

 過去を乗り越え、涙をこらえ、前へと進む儀式だった。

 

 

「あたしはッ!」

 

 

 ナイフが左半分の髪を切り捨て、右半分の髪を切り捨てる。

 残ったのはショートカットの、髪を切ることで新しい自分に生まれ変わった女の子。

 片手で髪を握りしめつつ髪を切ったことで、手の平に長い髪の毛が残る。

 それを可愛らしい容姿に似合わぬ男らしさで、炎の中に投げ込んだ。

 

 

「あいつの前でだけは、もう二度と泣かないって決めたんだ……!」

 

 

 他の誰の前で泣いてもいい。

 けれど、その友達の前で泣いてはいけないのだと、クリスは知った。

 全体重をかけて寄りかかるには脆すぎる。弱すぎる。情けなさすぎる。なのに頼りがいだけはあって、病人が人助けをしているような不相応さが目に余る。

 何よりも、そんな彼に今でも頼りっぱなしな今が、クリスは一番悔しかった。

 

 

「いつまでも、頼ってちゃ、あたしは……」

 

 

 ゼファー・ウィンチェスターに、思わせなければならないのだ。

 雪音クリスがどんな時でも守ってくれると、二人で戦えばどんな時でも死なないと。

 死にたくないという気持ちの源泉、その恐怖も取り除いてやらなければならない。

 

 初めは表情から何も感情が読み取れず、クリスはゼファーを信用しきれなかった。

 けれど同じ屋根の下で毎日を過ごし、距離が近づけば意外と分かりやすいものだった。

 一ヶ月弱という時間でクリスがゼファーの全てを理解したとは言いがたい。

 それでも彼女は、友の苦悩をただ見過ごすだけの十把一絡げの少女ではない。

 

 人殺しに苦悩しても、誰かを守るため引き金を引き、その苦悩と向き合える。

 自分が苦悩している中でも友を思い、その気持ちで自分を奮い立たせられる。

 ゼファーが掛ける言葉に迷う間にも、自分の過去に自分一人で向き合い答えを出しつつある。

 それが、雪音クリスという少女の持つ強さ。

 髪を切って一つの区切りとした彼女は、自分の右掌を見つめ、ぎゅっと握りしめた。

 

 

「自分の事にいっぱいいっぱいでも、あたしの手を握ってくれたあいつの。

 夜毎うなされてるくせに、あたしが悪い夢から起きるといつも手を握ってくれてたあいつの。

 情けないくせに、見てらんないくらい痩せ我慢してるあいつの。

 あいつの友達を、胸を張って名乗れない」

 

 

 『幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである』

 なんて、どこかの誰かが言った。

 大切な誰かが死んだ……その境遇は同じ。

 立ち上がるどころか向き合えないのがゼファーで、友のためと立ち上がれたのがクリスだった。

 人として強いのは間違いなくクリスだが、人間関係としてはゼファーにクリスが縋る形。

 ゼファーがクリスに寄りかかって初めて、二人は対等で正常な友人となる。

 

 

「頼ってばっかじゃなくて、絶対頼らせてやるッ!」

 

 

 ……まあ、その。クリスを見ていると、それも時間の問題にしか見えないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その男は、手の平の上で薬剤を転がしている。

 

 

「……」

 

 

 迷っていた。

 バーソロミュー・ブラウディアはその薬剤を使うべきか、迷っていた。

 それは少年兵によく用いられる薬剤。

 『不幸なことを忘れて幸せになれる薬剤』だった。

 このフィフス・ヴァンガードでも、それなりに流通している人気の品である。

 

 

「どちらの選択肢が、偽善なのかの」

 

 

 解決できない問題に苦しむ現状か、薬で未来と引き換えに得られる幸せか。

 分からない。分からないのだ。

 バーソロミューの長い人生は、正答を導き出せる方程式なんてものがないことを教えてくれた。

 苦しみだけを抱えて若くして死んでしまうかも知れない。

 いつかその苦悩を乗り越えて進める幸せな未来があるかもしれないのに、それを薬で奪ってしまうかもしれない。

 そしてどんな末路を辿ったとしても、子供が不幸になってしまったのなら、それは周りにいる大人の責任なのだと、バーソロミューは揺るぎなく思っている。

 

 

(薬で悲観からの自殺から逃れ、後に更生施設に入ってやり直せる場合もある。

 ワシが知るほどにはゼファーは弱くなく、一人で乗り越えられるかもしれぬ。

 ……いや、それは予想というより責任から逃げるワシの自己弁護じゃな)

 

 

 他の少年兵の一部はこれを飲んでいる。

 でなければ人を撃てない。人を撃った事に耐えられない。人に撃たれる事を受け入れられない。

 子供達は薬を飲むか、心が死ぬか、外道に堕ちるかの三択。ロクな未来は待っていない。

 それでも『薬』ではあるのだ。

 何の解決にならなくても、心が壊れるという決定的な破綻は防げる。

 現実から自分一人の力で逃げきれなくなった時、それを助けてくれる薬なのだ。

 それでも迷うのは、彼が大人で、ゼファーが子供だから。

 

 

「……ッ」

 

 

 迷い、迷い、迷い。

 バーソロミューはその薬を、そっと引き出しの奥にしまう。

 子に麻薬を勧める親など言語道断。

 そう思いつつも、それが最後の最後の救済になるかもしれないとも思い、先延ばし。

 薬を渡す決断も、薬を捨てる決断もできずに終わる。

 

 

「クスリに頼る前に、ワシにもまだできる事はあるかもしれん」

 

 

 決断の前に足掻こうと、大人は立った。

 筋骨隆々とした老骨が纏う筋肉の鎧の上に、上着を纏う。

 子供の体と心を守る、それもまた大人の戦場。

 

 ジェイナス曰く、バーソロミューは大人失格の最低の男。

 ゼファー曰く、心から尊敬する立派な大人。

 彼の評価は真っ二つに割れるが、少なくとも、ゼファーに対して大人の責務を怠ろうとしたことは一度もない。

 今思い悩んでいるクリスとゼファーにどう言葉をかければいいのか、彼は何も考えていない。

 それでも、薬に頼る気は今の所毛頭ない。

 それでも、声をかけに行かなければ何も変わらないことをちゃんと分かっていた。

 

 

 少年が蹲って、少女が立ち上がって、大人が駆ける。

 傷だらけの腕達(ワイルドアームズ)の物語は、少しだけ変わりつつもこうして回っていく。

 不器用でも、綺麗でなくとも、劇的でなくとも、足掻き続けるのであれば。

 隣に居る誰かにその腕を、手を差し伸べ続けられるのであれば。

 その果てには、きっと今日より少しはマシな明日が待っているはずだ。




少年少女大人の三人パーティ
五人組+隠しキャラのパーティ
1:3の男女比パーティ
男二人女二人パーティ
運命の六人

ワイルドアームズパーティテンプレはこっそり色んな場所で使う予定だったり

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