戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
ゼファーは人から貰った物を特に大切にする。
彼が今手にしている了子から貰った携帯端末も、彼女の手により何度かのハード・ソフト両面のバージョンアップを繰り返されてはいるが、四年間ずっと使い続けている携帯だ。
紛失も故障もない。了子から新しい携帯端末を貰ってもこれの使用をやめないほどに、彼はこれを大切に長く使っていた。
製作者の了子としては、最新技術をフルに使った携帯端末を使って欲しいという気持ち、自分があげたものをずっと大切に使ってくれることが嬉しいという気持ちで板挟みだろう。
夜の公園の滑り台の上に座り、ゼファーは今、その携帯端末で通話している。
通話の相手は小日向未来だ。
『じゃ、ゼっくんは明日はライブの現地の方に居るってこと?』
「そうだな。最初の休憩の時、こっちからミクとヒビキを探しに行くよ」
『合流できたらいいねー』
「だな。横断歩道を渡る時は――」
『子供扱いしたら怒るけど、どうする?』
「……すまん」
『よろしい』
電話の向こう側で、未来がくすくすと笑う。
常識的で、良識的で、普通にいい子だ。ゼファーに無い"普通"をいくつも持っている。
だからか、ゼファーはふと思って彼女に問うてみる。
彼は"それに何かしらの答えを見出そうと思索する日々を送っていたから。
「そういえばさ、ミクって好きな人とか居たりする?」
『は?』
「うおっ!?」
『なに、その声?』
「いやなんかお前、今凄い声出してたぞ……」
『そう? 私は居ないけど、それはそれとして』
ぎょっとするゼファー。
未来は響と違って鈍感ではない。その察しの良さは時にゼファーの上を行く。
電話越しでも伝わるものはあるのだ。
ゼファーが何故その問いを発したのか。
何故それを未来に聞いたのか。
どんな種類の答えを聞きたかったのか。
そう考えれば、未来の目にもゼファーの真意は見えてくる。
『ゼっくん、好きな人、できたの?』
友は己の心を映す鏡という。
小日向未来は、ことさらそういう面に長けている。
ゼファーは更にぎょっとしたが、電話越しであったことが幸いした。
電話越しなら誤魔化せる。そう考え、冷静になれと自分に言い聞かせて平静の声色を維持し、ゼファーは短めの一言で未来の問いを否定する。
「いや、そういうのはないな」
『ふーん……』
まあ本当に冷静なら初恋の内容ぶっちゃけ相談をしていたであろうことは明白なので、実際は冷静でもなんでもなく、"なんか恥ずかしい"くらいの気持ちで誤魔化していることは確実なのだが。
そして誤魔化せていない。露骨に怪しまれている。
これで相手が翼や響のような者なら誤魔化せていたかもしれないが、相手は未来だ。
残念でもなくむしろ当然と言えよう。
『まあ、いいけど。それじゃまた明日、メールするね』
「あ、ああ」
未来はここでゼファーを問い詰めることはせず、さっさと電話を切る。
電話だとのらりくらりと逃げられる可能性があること。キリキリ吐かせるには直接会うことが必要なこと。よってここで電話を長々と続けること自体が時間の無駄遣いであること。
その辺をよく分かっている、未来らしい割り切りだ。
切れた電話をじっと見つめるゼファーからすれば、こっ恥ずかしい暴露までのカウントダウンの開始と同義だが、恋愛関連で脇が甘くなってきた彼の自業自得なので仕方ない。
「……明日、ライブ終わったらこりゃ大変なことになるな……」
はぁ、と一息吐いて、ゼファーは風景を見渡した。
そして夜の公園の滑り台の上から飛び降りる。
大きめの公園だが、この時間帯であることと、この辺り一帯で行われている避難誘導のせいで、人の気配は全くない。
ゼファーはほんの数秒の暇潰しのために滑り台から飛び降りて、滑る部分を下から上に歩いて逆走。子供がよくやるそれをやり、再度滑り台の上から周囲へ警戒の波を飛ばして行く。
そして、世界の壁を越え、滲むようにノイズが現れる。
HEXの補助のない今のゼファーが戦えるのは、全力戦闘で三分間。
しかし奏や翼を連れてくるわけにはいかない事情があるわけで。
ゼファーは自らの肉体を黒騎士のそれへと反転させて、明日のライブコンサートに向けてぐっすりと眠っているであろう、ツヴァイウィングの両翼を思う。
「一分だけ付き合ってやるよ」
完全聖遺物・ネフシュタンの再起動実験、ツヴァイウィングコンサートを明日に控えた夜。
されど大一番の前だって、ゼファーの仕事が減るわけもなく。
空気を読まない224体のノイズの襲撃を、ゼファーは56秒で片付けるのだった。
第二十三話:抗え、最後まで
時は少し遡る。
これは、ある日のこと。
ゼファーが『ブレードグレイス』を扱えるようになった、翌日のことである。
了子はゼファーに、有無を言わせない様子で告げた。
「今後、"何があろうと"ブレードグレイスの使用は禁止よ」
「え? でも便利ですし、人命救助にはこれ以上無く――」
「私の目を誤魔化せると思ってるの? 何を消費してるのか、分かってないとは言わせないわよ」
「……」
「あれは聖遺物アガートラームの基礎機能の一つ。
使用者の命を保護し、励起状態でなくともあなたを守る、再生能力と呼ばれていたものよ。
アガートラームを使いこなせていない状態で、あなたはあれを使った。
騎士鎧の修復と、奏ちゃんの肉体の修復にね。代価は、あなたの知っての通り」
ブレードグレイスは、アガートラームにデフォルトで搭載されているシステムだ。
ゼファーの肉体を再生させるプロセスの中核を担っている機能、と言った方が分かりやすいか。
先史文明期に作り上げられたリフレッシュシステム、プロバイデンスシステム、エアリアルカードシステム、サルベイションシステム……その他諸々を複合させた、万能特化型汎用生命維持システムである。
これが正常に作動している内は、アガートラームの担い手はそうそう死なない。
が。
ゼファーは製作者が想定していない形でトンチンカンな起動・制御・使用をしている担い手だ。
肉体が聖遺物ってなんだよ、という話。
当然のことだが、肉体が聖遺物で出来ている人間を修復することなど想定されていない。
肉体がアガートラームという前提で起動することも想定されていない。
結果、再生能力という中途半端な形で発現してしまっていた。
それに加えて、今では"装着者の命を脅かす"という、本末転倒かつイレギュラーな使い方をされてしまっている始末。
ゼファーは自身の体である聖遺物を扱いきれていない。
筋肉だって脳が力を出し過ぎないよう制御してくれていなければ、関節を痛めたり折ってしまったりするというのに、聖遺物の力ともなれば更に制御は難しくなる。
製作者の想定以上に機能の応用を利かせているが、製作者が想定したほどに正常に機能を扱えていないというしっちゃかめっちゃかなこの状態。
そこで無理をすれば、命も削れるというものだ。
「大丈夫ですよ、了子さん。まだ全体の2%も使ってませんし」
「あなた、年間出撃回数が100を超えているのよ?
出撃の度にそれを使うと仮定したら、一年で燃え尽きるって分かってる?」
自身の鎧を修復するのに0.5%、瀕死の奏をなんとか死なない域にまで回復させるだけで1%。
対象に外傷があれば消費率は更に跳ね上がるだろう。
そしてここで問題になるのが、ゼファーの期間あたりの戦闘回数だ。一例として、アースガルズ戦から二ヶ月と少しの期間を遡るように数えてみる。
ノイズの出現で出撃した回数が18回、完全聖遺物スケベ本、リリティア、ディアブロ、過去の天羽夫妻を殺したノイズ、ベリアル、アースガルズ。これで合計24回の戦闘だ。
どれも強敵。これでブレードグレイスなんて使っていたら、どうなるか?
「もし、無断でブレードグレイスを使った場合……あなたは一ヶ月の謹慎。
どんなに強い敵が出ようとも、出撃は許可しないわ。これは弦十郎君と相談して決めたことよ」
「う、もうそこまで話詰めてるんですか」
「もしもの仮定で話をするけど、ゼファー君。
少しづつ使う分にはすぐ死なないから大丈夫……
なんて浅はかな気持ちで言ってるんじゃないでしょうね?」
「あの、いや、そのですね」
ゼファーだって死にたくはない。
普段は「頼まれたって使わない」というスタンスを崩さないだろう。
だが、目の前で人が死にかけていたならば……その人が死ぬことが怖くなって、結局使ってしまうに違いない。後で後悔するのは、ゼファー自身だというのに。
「こうまで私が言った上で、あなたがその力を使うなら。
あなたは私の言いつけや心配を踏み躙り、信頼を裏切ったとみなすわ」
「―――っ」
そのため、了子は事前に徹底して釘を刺す。
過激過ぎる上に卑怯な言い回しかとも思ったが、このくらい強く言いつけておかないとこの少年は絶対に約束を破ると、そう了子は確信していた。
能力を使おうとした際に、ふとこの言いつけを思い出して踏み留まってくれればいい。
"ブレードグレイスがあるから"なんて前提で戦うのではなく、そんなものに頼らずとも全員が死なない道を目指して欲しい。
少なくとも、今日までブレードグレイス抜きで実現できていたことなのだから。
了子は彼に対しそう考えているし、そう信じている。
「そんなものを使わなくても、人を救える道を探しなさいな。
きっとそんなものに頼るより、仲間を頼る方がきっと確実よん?
今日まであなたが人を守れて来た日々を思い出せば、それは確かなことじゃないかしら」
それに何より、個人的な嗜好の話ではあるが……櫻井了子は、特別な個人が命を削りながら凄い力で皆を救うより、皆で力を合わせて皆で救われるお話の方が、好きなのだ。
「……そうですね。確かに、その通りだ」
「ん、よろしい」
だからだろう。
彼女の言葉は聞き流されることはなく、よっぽどのことがない限り彼を必ず踏み留まらせる一本の楔となって、彼の胸の奥に突き刺さっていた。
これは、ある日のこと。
了子がゼファーの説得に時間を割いたまた後日のこと。
今度は奏を呼び出した了子は、ゼファーの時並みに深刻な表情で奏へと話しかけた。
「……奏ちゃん。その、言いにくいんだけど……」
「あたしの体のことだろ?」
「!」
「自分の体のことくらい、自分でよく分かってるさ」
了子は視線を一瞬泳がせて、眼鏡を押し上げてから手元のパソコンを操作する。
そこには奏の全身のシルエット、そのシルエットに重なるように表示されている幾つもの赤色、危険域を示す数多の数字が映し出されていた。
画面に痛々しく塗られた赤が、奏の今の体の状態を如実に示している。
「あたしが戦えるのは、後どのくらいだ?」
「……今のペースだと、希望的観測でも半年経てばもう今のようには戦えないと思うわ」
「うわっ、短っ」
「もうそろそろ、日常生活にも支障が出てくるはずよ。あなたの体はもうボロボロなの」
年単位のLiNKER使用による薬物中毒症状。
それでも抑えきれないギアの負荷によりズタボロな体。
年々増加していくノイズの出現率、ゴーレムの登場、増える出撃回数。
決め手は先日のエクスドライブによる瀕死の重傷だった。
ゼファーによりなんとか持ち直せたものの、奏の肉体に積み重ねられて来た負荷がこれをきっかけに一気に表出し、彼女の命を蝕んでいるのだ。
適合係数制御薬LiNKERは劇薬である。
一人の適合者を生み出すために、山ほどの死人と廃人を生み出すことが予想されるほどだ。
もしもここにかつて研究所でゼファーを気に入っていたウェルのような、生化学分野における稀代の天才が居たならば、どうにかしてくれたかもしれない。
何年使っても負荷の少ないLiNKERを生み出してくれたかもしれない。
LiNKERの後遺症を洗い流すための新たな体内洗浄法を生み出してくれたかもしれない。
だが、ここにウェルは居ない。ウェルに匹敵する天才も居ない。
どうにもならないのだ。
「それでも戦うってあたしが言ったら?」
「止めるわ。ギアの負荷だけで早死すると分かってて、戦わせるわけないでしょう」
弦十郎も、死ぬと分かっていて奏を戦わせることを承知するはずがない。
奏は自分の戦いの終わり、一つのゴールが、見えてきた気がした。
「戦いたいのかしら?」
「いんや。最悪、二課のオペレーターにでも転職するさ。でもそれは、今じゃない」
奏は右の拳をドン、と胸に当て、真剣な表情で了子を見つめる。
「大切なものを奪われたからじゃない。
大切なものを奪わせないために戦うんだ。
守りたいものが出来たから……あたしの歌は、そのためにある」
それは復讐から始まり、思い
彼女の胸の内に息づく、確かな思い。彼女がどう生きるかを定める命の旋律だ。
手負いの獣のようだった奏のかつての姿を覚えている了子としては、こうまで成長してくれた子供に、明日も未来も生きて欲しいと、そう願う。
だが『彼女の目的』からすれば、奏には引き続き戦ってもらっていた方が都合が良くて。
そう考えて、その上で、了子は奏が戦いの場から身を引くよう忠告する。
「ライブコンサートが終わった後、今まで以上の精密検査を行うわ。
もしもそこで、まだ見つかっていないような大きな異常が見つかったら……」
「あたしは引退。あたしの装者としての最後の仕事は、完全聖遺物の再起動になるわけか」
奏はやけにすんなり、了子の申し出を受け入れる。
本人が言った通り、彼女の体の状態は彼女が一番分かっているのだ。
走る痛みも、溜まる気怠さも。奏の限界を奏が一番理解しているのが奏であるのは当然で。
「ラストバトルになんなきゃいいけどな。ゼファーも翼も……なんつーか、心配だ」
「気持ちは分かるわ。でもあの二人もあなたと同じように、あなたを心配しているのよ?」
「ままならねえなあ」
奏は手で髪をさすり、手の平を天上に向けて広げる。
癖っ毛な髪は傷んでちぢれて、本当に時々だが白髪も見つかる。
手はささくれ立っている上に爪に白点が多く、血管が変に浮いている。
内臓の痛みや口内炎も今更だ。
目に見える所、目に見えない所、奏はどこもかしこもボロボロだった。
奏は自分が翼やゼファーよりも、戦いに向いている自覚がある。
あの二人が自分よりも思い悩みやすいことを知っている。
……なのに、そんな自分が、欲した力を後付けした自分が真っ先に離脱しようとしている。
「ちょっとこの世界、戦いたい奴に力がなくて、戦い嫌いな奴に力渡しすぎじゃね?」
どう思うよ、了子さん。と彼女は問うて。
櫻井了子はその意見に、かつて誰も見たことがないくらいの勢いで同意した。
これは、ある日のこと。
今度は呼び出すまでもなくやって来た風鳴翼と、了子の対面の時間だ。
「あの、友達のことなんですけど……恋の悩みで」
「ほほう!」
きらりーん、と了子の眼鏡が光る。
なんだかんだ翼と彼女の付き合いは十年にもなる。十年前に了子の前で翼が天羽々斬を起動させた日のことが、彼女の脳裏にまるで昨日のことのように思い返された。
まさかあんなに小さかった子が恋愛相談とは。
了子はエクステンションするテンションのハイテンション化を止められない。
「ええとですね。
親友の一人が私の家族に恋を患い……もう一人の親友がその親友に懸想しまして……」
「はい解散。帰っていいわよ、翼ちゃん」
「ええっ!?」
が、一気に冷めた。
「はぁ……『友達のことなんですけど』から始まる恋愛相談よ?
そこで本当に友達の恋愛事相談してきちゃうなんて。そんなだからあなたはそんなんなのよ」
「何故そこまで言われないといけないんですか!?」
ふぅ、と溜め息を吐く了子。意味が分からないと食って掛かる翼。
「ま、時間さえあればどうにかなるわよ、ゼファー君ももう子供じゃないもの」
「そうでしょうか……」
「そーよ。変には転がらないでしょ、なんだかんだ彼も精神的に成長してるもの」
「うーん……了子さんがそう言われるのなら……了子さんは私より頭いいですし……」
「そそ、私の年の功を信じなさい。
でも背中を押されたそうにしていたら、ちゃんと背中を押してあげなさい。
恋愛に大切なのは一歩を踏み出すこと。そしてそのために、背中を押してあげることよ」
「背中を……ありがとうございます! 流石了子さん! 恋愛経験も豊富なんですね!」
「そりゃもう」
あるとは言ってない。
「では、失礼します! コンサートのリハーサルの時間なので!」
「頑張ってね翼ちゃん~」
駆け出して行く翼を見送り、了子はほぅと息を吐く。
「ふぅ……あの子マジ癒やしだわ」
ゼファーと奏が背負わせに来たストレスが、吹っ飛んで行ったのを彼女は実感していた。
二課の大舞台に向け、どこもかしこも大騒ぎだ。
こと、二課の構成員達は自分達のこれまでの全てが実を結ぶであろう実験なのだ。
絶対に失敗はさせられないと、皆が皆意気込んでいた。
「おばちゃーん、僕定食Aで」
「なら私も」
「んじゃまあ俺もだな」
「はいはい、定食A三つね」
甲斐名、土場、天戸がカウンター席に横並びに座り、食堂長・絵倉に注文を投げる。
三人にはそれぞれ濃い疲労の色が見えたが、それ以上に漲る活力が見て取れた。
「天戸さんは私達とは違い当日の現場警備が主な仕事でしたか」
「おう、弦坊が外国の特殊部隊のちょっかいの可能性を提示してきたからな。
俺たちゃ私服でこっそり現場のパトロールよ。甲斐名の坊主の方は設営だけで楽そうだが」
「冗談! あんなクソ重い音響機材運んでんだよ!? 頭しか使わない土場達とは違うんだよ!」
「私達も中々寝る時間が取れていなくて大変なんだがね……」
コンサート会場にて仕事がある者達と、その地下で完全聖遺物再起動の仕事がある者達。
必要最低限の人員は本部に残し、ノイズ出現にも備えなければならない。
猫の手も借りたい状況の中を男達は駆け回る。
ノイズ根絶への第一歩を踏み出すという悲願に向けて、皆で力を合わせながら。
「それに、できればゼファー君の恋愛問題もコンサート前には片付けておきたかったのだよ。
予定は予定通りに行かないのが常道とはいえ……
私も少し自信喪失だ。子供の恋愛くらい上手く着地させてやれる自信があったんだがなあ……」
「んー、土場のやったことも無駄だったとは思わないけどね、僕」
土場は卵を割って器に入れ、醤油を入れてかき混ぜてからご飯と混ぜる。
そんな土場の自嘲に、甲斐名が反応してその自嘲を否定した。
「ほら、土場が結構前に僕らにこの話の相談した日のことだよ。
土場がゼファーに現状の恋愛模様から目をそらすなー、って言ってた日のこと。
あれ効いてんじゃないかな、たぶん。
変に溜め込んだり歪んだ方向に向かったりしてないし、そういうのあったら行動に出るでしょ」
「そうだろうか」
「そうそう」
若い二人がそんな感じに話しているのを、ご飯に醤油をぶっかけてかき混ぜてから、その上に卵の黄身だけを乗せてかき混ぜ食う天戸が、口を挟まず見守っている。
「地味ーにあの面倒くさい方向に行きやすいゼファーが健全に初恋終えられそうだけどさ。
案外、一番貢献してたのは土場じゃないかなーって思うわ。地味にだけど」
「私が? どういうことだ?」
甲斐名は卵をご飯の上にぶちまけ、醤油をぶちまけ、豪快にかき混ぜながら言う。
「土場がゼファーの恋愛をずっと応援してたからでしょ。
ゼファーの視点では、たぶん二課で一人だけ、土場だけが」
「―――」
「そういうの、救いになってたんじゃないかな」
ゼファー視点で、少年の恋を知っていた人物はそう多くない。
そして同時に、少年視点で彼の恋をよく知った上で言葉で肯定してくれたのはただ一人。
その一人が土場であり、その一人がゼファーの心の救いとなってくれていた。
大切なのは、そこなのだ。
ゼファーが奏への恋を自覚した、その日に土場が言ったこと。
土場がゼファーの恋を応援し、その成就を願ったことが何よりも重要だった。
恋を殺すのはやめておけと、土場はあの日にゼファーに言ったのだ。
少年に自覚があったかは分からない。
されどそのおかげで、自虐的な少年は自分の恋を『間違ったものだ』とは思わなかった。
彼の性格からすれば、己の恋を間違ったものだと断じていてもおかしくはなかっただろうに。
土場の言葉は、ゼファーの内に、己の恋を肯定する気持ちを植え付けていた。
あの日あの時あの瞬間に、土場はゼファーの恋に根付く可能性があった、悲劇の種を摘み取っていたのだ。
歪みのない恋。
土場の片手で数えられるような言葉が刺さり、彼の恋が歪む可能性を消す。
ゼファー・ウィンチェスターが、まっとうな少年に戻れる可能性を復活させる。
かつて、セレナ・カデンツァヴナ・イヴが見た、彼の幸せに続く未来への道筋の通りに。
「まあ、くっつく気はしないけどね。ゼファーと天羽は」
「甲斐名は身も蓋もない事を言うな。私はまだ可能性はあると信じているぞ」
ただし、ゼファーの恋が成就するとは限らない。
初恋は失恋に終わりぬ、だ。
それは終わりではなく始まりだと、男衆は思っている。
「そういえば甲斐名も、母親と会ってきたそうじゃないか。どうだった?」
「……」
そうして話している内、自然と"それ"が話題になる。
今の甲斐名がゼファーには話せないこと。土場や天戸には話すこと。
つまり、現在進行形の身内の恥の話だ。
甲斐名は仕事をクビになった挙句アル中になった父に、母と共に虐待されていたという、本人曰く"どこにでも転がってるような人生"を過ごして来た青年だ。
母はやがて蒸発し、彼は一人で虐待をその身に受け、やがて父の中毒死と同時に虐待の事実が明らかにされると、彼は周囲の同情の視線を嫌がって、一人で故郷を後にした。
そんな彼の母が見つかったのだと、少し前に土場と天戸は酒の席で打ち明けられていた。
甲斐名の様子を見るに、もう会ってきたのだろう。
虐待されていた自分を置いて逃げた母という、複雑な関係の相手に。
気を遣って聞かない、とかそういうことはしない。
年単位で続いている男同士のむさ苦しい付き合いとは、そういうものだ。
「なんか、母さんにびっくりするくらい何も感じなかったよ、僕」
土場は甲斐名の愚痴でも聞いてやるつもりであったのだが、返って来たのは意外な言葉。
無理をするでもなく、本当に本心から何も感じていないような語調。
「あの子らのおかげかもなあ……」
呟く甲斐名は、今の二課の主戦力達のことを思い出す。
両親と引き離された翼。
両親を殺されてしまった奏。
両親というものがそもそも居ないゼファー。
甲斐名は家族に、両親に恵まれなかった環境で育った青年だ。
だから、彼は一つの行動理念を胸に抱いて日々を生きている。
親に恵まれなかった子は、何があっても、絶対に守ってみせると。
「あの子らがああいう目で僕を見るから、僕もなんかつられちゃったのかもね」
「ああいう目?」
「あの子らには、きっと……僕が『大人』に見えてるんだ。
そう思ったらさ、なんか"だらしなく生きてる"のが恥ずかしいっていうか。
背筋伸ばして生きようって、ちょっとはそんな風に思うようになってさ……」
「……ああ、それは、私にも覚えがあるな」
そして今では、そんな子らに情けない姿を見せたくないと思っている。
自分を大人として見てくれる子供達に、見られても恥ずかしくない自分で居ようとしている。
甲斐名はまだ25を超えたばかりの年齢だ。
若造な自覚だってあるだろう。
それでも、『子供に大人として見られている自覚』が生まれたならば、変わるものもある。
ゼファーが来てから、二課に生まれた変化の波。
ある者は一瞬で、ある者は数年かけて、大きくあるいは少しづつ変化していく。
誰もが変わらずにはいられない。その者が若者ならなおさらそうだ。
天戸は口を挟まずに甲斐名と土場の二人を見つめ、二人の成長に感慨深いものを感じる。
(……こいつらもまあ、立派になって来たもんだ)
天戸とは違い、この二人もまだ若いのだ。
アースガルズ戦でゼファーの成長を実感した天戸は、それがきっかけで広がった視界の中で、ここ数年で成長していた甲斐名と土場の二人を見つめる。
そして心中で大笑いして、味噌汁を流し込んで行った。
誰も彼もが変わっていく。若者を中心に変わっていく。
変わらないままに、そんな変わっていく彼らを見守る天戸は、それが楽しくてしょうがない。
「あ、そうだ。聞こうと思ってたことがあったんだわ。
なんでゼファーが名前呼ぶ時、あんたらだけ妙に発音いいのさ。
僕は妙になまった発音で呼ばれてるっていうのに」
「それは」
「なあ」
「「 二人でみっちり発音教えたから 」」
「なんでそういうのだけ僕ハブってんの!?」
ぎゃーぎゃーわーわーと騒ぐ男衆が食べ終わり、去った後、十数分後の食堂。
そこにゼファーがやって来て、男衆がさっきまで居たカウンターに座る。
「えーと……定食Aで」
そしてなんとなくで注文を申し付けると、絵倉が出してきた定食に、メニューにはないプリンが一つ付いていた。
「? エグラさん、これ……」
「アタクシのサービスさ。言っておくけど、あんたのためのサービスじゃないよ」
「……?」
ツンデレじみた、よく分からない言にゼファーは首を傾げつつ、いただきますと箸を持つ。
「ゼファー。あんたは周りに恵まれてるねぇ」
「? そうですね」
「迷った時、辛い時、幸せな時は周りを見な。きっとどうにかなるよ」
「はい? あ、はい、そうします。もちろんです」
絵倉の言葉は唐突でどうにも会話が成り立たないが、それでも彼女が何を言いたいかは伝わったので、ゼファーは力強く頷く。
鼻を鳴らす絵倉の真意は、彼女にしか分かるまい。
「聞いたよ。デカい実験するんだって?」
「はい。必ず成功させてやるって、皆張り切ってますよ」
「アタクシもお祝いのために美味い料理を仰山沢山作っておくからね。
成功したらパーティと行こうじゃないか。料理を無駄にしたら、承知しないよ」
「ぷ、プレッシャーかけないでください。俺、研究者組じゃないんですから」
ニッと笑って、絵倉はエプロンの位置を正す。
「全員無事に帰って来て、アタクシの料理を残さず食いな。
アタクシからすれば、そいつが一番嬉しいことだからさ」
そうして、また一つ。ゼファーがこの実験にかける思いを強くする、その理由が増えた。
大騒ぎなのは二課だけではない。
二課ではなく、それでいて二課に親しい一課もまた、この実験に動員されていた。
「行って来る」
林田もまた、天戸と同じように不審人物の排除、及び初動が遅くなるであろう二課のカバーのために部隊を率いなければならない。
「いってらっしゃい」
そんな父を、悠里が見送る。
悠里の後ろには婦人も居て、休日に出勤する父を快く送り出す娘の姿にご満悦のようだ。
妻と子を背に、林田は車に乗り込み、一課本部へと向かう。
(とうとう明日か。二課もとうとうここまで来たのだな……)
二課の躍進を喜び、この実験に手を貸す者達は、二課の外にも多く居るのだ。
林田は残業代も出ない休日出勤かつ泊まり込みの仕事に眉をひそめてはいるが、本心では二課がここまで来たことを喜びたいと思っているので、なんとも言えない表情で車を加速させた。
響や未来もまた、明日のコンサートに向けてウキウキしながら準備をしていた。
「タオル、パンフ、チケット、応援うちわ、携帯電話……」
「うん、全部揃ってるね、よし」
「まっさか、このタイミングで未来の持ち物チェックが入るとは思わなかったよぅ……」
「明日は水筒入れるのも忘れちゃダメだよ?」
「はーい」
良い明日が来ると信じてやまない、希望に満ちた二人の笑顔。
明日会場でゼファーと合流することさえ、彼女らには楽しみで楽しみで仕方がないことだった。
二課のトップ達もまた、実験を成功させるための努力を惜しまない。
実験サイドのトップに立つ弦十郎、コンサートサイドのトップに立つ緒川は、コンサート前日にも綿密な打ち合わせをし、もう何百回目かも分からない計画の見直しを繰り返している。
「動員数は平気か? 慎次」
「問題ありません。コンサートそのものの不安要素は全て取り除きました。
後に残った問題は、完全聖遺物をライブという形で再起動する実験が初めてであることと……」
「外部からの介入、か」
第一の不安要素は、これがテストも模擬実験も出来ないものであるということ。
大量の客の声をフォニックゲインに変換するという仕様上、実験は事実上のぶっつけ本番だ。
第二の不安要素は、今日まで何度も襲来してきた謎の敵達。
ゼファーはノイズが人に操られていた可能性を提示したし、ゴーレムは聖遺物を取ろうとしたり周辺住民を脅かしたり装者をさらおうとしたりと行動がまちまち、紫のギアの装者まで居る。
特に後者は、特大の不安要素だ。
「来ると仮定すれば、やはりゴーレムか」
「あるいはノイズでしょうね。どれほどの規模かは分かりませんが」
彼らは外部からの襲撃者の介入を予想し、戦巧者の思考でそれを確信に至らせている。
何かは来ると、そう予測していた。
それは今日までの戦いを漠然と切り抜けてきたのではなく、切り抜けた後もデータをひたすら蓄積し、分析し、話し合い、予測のための材料としてきたということだ。
「緊急避難誘導のための人員を三倍にしました。
かつマニュアルの暗唱も徹底させています。
もし会場内で『何か』あっても、問題なく避難を進められるかと」
「そうか……現地にはゼファー、奏、翼も居る。これ以上の備えはないな」
彼らの陣営は万全。何が来ようとも揺らぎはしない自信があった。
その上で、彼らの心には毛の先ほどの油断もない。
実験を成功させるためのチーム、ライブコンサートを成功させるためのチーム、その両方のトップだけが頑張っているわけもない。
その手足となって頑張っている者達もまた、ここ数日根を詰めている。
特に事務仕事をとてつもない速度で片付けている藤尭朔也、対人業務を高効率でこなしている友里あおいの両名は、他の人間の数倍の仕事を片付けるという八面六臂の大活躍だった。
そんな二人は今、給湯室で休憩を取っている。
「正直、藤尭君が居なかったらここまで完璧に細部詰められなかったかもね。流石の能力だわ」
「そんな、大げさですよ」
「大げさなもんですか。ゼファー君なんて、もう私よりあなたに懐いてるくらいじゃない」
「いやいやいや、懐いてるって、そんな」
仕事をする時は鬼のように速く。
休むべき時は、こうやってほんわかしながら休む。
このオンオフの切り替えと、能力の高さからくる余裕が、この二人の武器なのかもしれない。
「はい、藤尭君」
「これは?」
手にした茶碗のお茶を飲み干した後、あおいはふと一つのことを思い出して、ポケットから無地の袋でラッピングされたクッキーを取り出した。
「『いつもお世話になってるので渡しておいてください』って頼まれてね」
「もしや女の子が!?」
「ゼファー君が」
「あの子かよ! 乙女か!」
ぬか喜び。
童貞には厳しい威力のぬか喜びであった。
「ちくしょう割と美味い……これで女の子からのプレゼントだったら素直に大喜びだったのに」
「二課の『女の子』枠がクッキーあげるのなんて、司令かゼファー君だけでしょ」
「あの師弟はもう! そういうとこばっか似て!」
くすくすくす、とあおいは笑う。
「嬉しいなら嬉しいと素直に言いなさいよ」
「いやなんか、男同士というのが虚しいんですよ……俺……嬉しいは嬉しいんですが……」
もにょった顔をした朔也に、あおいはいいチームやってるなあと、ゼファーと朔也の絆を見て、そう思うのだった。
かくして、決戦の朝は来る。
ゼファーは夜にノイズを蹴散らし、いつもより多めに六時間ほど睡眠を取る。
そしてライブ当日の朝も、日課のランニングを始めるのだった。
"継続は力なり"。欠かさない鍛錬が、彼に窮地での爆発力をくれるのである。
「やあ、おはよう」
「おはようございます!」
朝、ウォーキングをしていた老人に挨拶をされ、挨拶を返す。
ゼファーとこの老人とはほとんど話したことがないというのに、毎朝会うせいですっかり互いの顔を覚えてしまった。
互いに互いの顔を見るのが日課のようなものである。
老人を追い越し、ゼファーがここに来てすぐの頃は大学生だったらしき青年、今では社会人になったらしい青年が駆るロードバイクを目にし、互いに頭を下げる。
少年は走り、走って、走る。
「む……『至った』か……」
「パパー、いいかげんにしてよー」
歩道橋の上の親子に目もくれず、ゼファーはただ走る。
そうして二課本部へと、走って辿り着いていた。
二課の本部のシャワーを借り、汗を流して、ゼファーはスーツへと着替えた。
胸には名前と顔写真付きのタグ。
腕にはSTAFFと書かれた腕章。
180近いタッパのゼファーがフォーマルな格好をすると、中々サマになって見えた。
「ん? ゼファー君か」
「土場さん?」
「ちょうどいい。これから会場に向かうんだが、一緒に乗るか?」
そこで幸か不幸か、土場とばったり鉢合わせ。
ゼファーからすれば願ってもない話なので、それに乗り、土場の車の助手席に座らせてもらうのだった。なのだが、発車後ぽつりぽつりと話題は出ても、話が繋がらない。
やがてどちらからともなく黙り、沈黙。
静かな会話の間が広がっていく。
互いに分かっているのだ。
ゼファーと土場が二人で話すとなったなら、あの話題を避けては通れないのだと。
―――君は恋を殺す道を選ぶのか
あの日、自分の恋に気付いた日に土場から突き刺された言葉が、今でも少年の胸に残っている。
その言葉があったから、目を背けずにいられた。
その言葉があったから、決定的な思い違いをせずにいられた。
その言葉があったから、今日まで正しく思い悩むことが出来た。
「土場さん、俺」
ゼファーは土場への感謝の気持ちを再確認し、土場の言葉から始まって、今日までずっと考えていた『答え』を、彼に向かって口にした。
「カナデさんに告白します」
「―――」
「そんで、フラレてきます。……そう、決めました」
「……そうか」
土場は、それが難しいと知りつつも、できればゼファーの恋が報われて欲しかった。
それでも。それでもだ。
ゼファーにこんな『答え』を示されたなら、もう何も言えやしない。
「なら、もう私が何か言うのも無粋だな」
前だけを見て運転を続ける土場に、ゼファーは助手席から深く深く頭を下げる。
「ありがとうございました」
過去形の感謝を、ゼファーは告げる。
色んなことを過去形にするために、ゼファーは奏に色んなことを告げようとしている。
告げられた感謝に、土場は何の言葉も返さなかった。
二人の視界に、大きなライブ会場が見えてくる。これから一時間の後に、全ては始まった。
ツヴァイウィングコンサート、開幕。
評価くださった100名様ありがとうございます。うひょーって感じです。うひょー