戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ 作:ルシエド
花の香りよりも、硝煙の匂いの方が落ち着く。
ペンよりもずっと強い銃を両の手で抱え、ゼファーは一つ深呼吸。
ゼファーとクリスが友人となってから、二週間が過ぎた。
しかしそれで彼らの境遇が何か変わるわけでもなく、今日も今日とて彼らは戦場に居る。
(……ふぅ)
心中で溜息一つ。
今日の戦場は珍しく大混戦だ。バーソローミューの策が珍しく裏目に出ていた。
少数が自陣深くまで入ってくることは割とあるが、双方互いの陣形深くまで踏み込み、陣形がしっちゃかめっちゃかに絡み合ってしまっている現状は珍しい。
まるでゲーム機のコードが絡みあったままほどけなくなってしまったかのごとく。
それでいて大規模な撃ち合いには発展しておらず、息を潜めつつ移動している兵士が散発的に敵兵と遭遇し、その度に小規模な戦闘が発生するということが続いていた。
「……大丈夫、かな」
「大丈夫だろ。ユキネは周囲の警戒に気を配ってくれ」
ジェイナスは相も変わらず戦況が面倒な局面に移る前にどこかへ行った。
クリスあたりはそのことに憤慨しそうなものだが、何故か何も言っていない。
それも当然というか、彼女も人のことをどうこう言えない自覚があるからだろう。
雪音クリスは今日に至ってもまだ、人を撃てないでいた。
(……静かだ。あー、こういう戦場は本当に俺苦手だ。西風も吹いてないし)
クリスはノイズは撃てるが、まだ人を撃てるほどに割り切れていなかった。
それをクリスは申し訳なく思い、ゼファーは仕方ないと思う。
そう簡単に割り切れるものではないし、クリスはその一線を越えるために何か一つ強い理由が必要となるタイプなのだろう。
静かに、二人は周囲を警戒しながら移動する。
ゼファーの勘は常時警報を鳴らし続け、反応する危険が多すぎて頭の処理が追いついていない。
そも数値化出来ず曖昧で、ムラも波もあるからこその直感なのだ。
(まあ、建物周りや建物の中を極力移動するようにしとけばそうそう……)
貧乏辺境紛争に高い火力はそうそう用いられない。
安っぽい銃弾に低コストの手榴弾や地雷がせいぜいだ。
なのでゼファーは常に遮蔽物を意識して立ち回り、移動ルートを考える。
が。
しかしその行動は予測が容易な
「ッ!?」
細い路地から身体を出したと同時、ゼファーの背筋に走る悪寒。
直感に従うままにクリスを後ろに突き飛ばし、その反動に無駄なく乗って前に向かって走る。
普通は危機を見て取ってから危険を感じ走るのを、少年は危機を感じて走った後に危機を視認する。順序が逆転しているが、きっとそうでもしないと間に合わない。
ゼファーが右を向けば、そこには滅多に見ないグレネードランチャーを構えた敵兵の姿。
おそらくは複数人で警戒網を張り、自分の受け持ちの場所だけを見張っていたのだろう。
だから、反応が早い。直感で反応したゼファーと反応速度はほぼ互角。
(かわせるか……いや、どうだ!?)
路地から身体を出してしまった以上、振り向いて後ろに戻っても間に合わない。
銃撃で応戦するとしても敵兵の方が先に構えている以上、当然間に合わない。
ならば前に向かっている身体の勢いを殺さないように前に跳び、射線をぶらしつつ向かい側の路地へと駆けこむしかない。
路地と路地の間は10mもない。跳んで転がれば十分間に合う距離だ。
しかしながら敵兵もそこまで無能でもなければ雑魚でもない。
油断なく照準をゼファーの予想移動先に合わせ、引き金を引く。
それとゼファーが跳んだのは、ほぼ同時だった。
「ゼ―――」
何が何だか分からないまま尻餅をつき叫ぶクリスの目前で、爆音と閃光にゼファーが包まれる。
突き飛ばされてから本当に一瞬、一秒あるかないかという刹那の駆け引き。
結果的に言えば、ほんの僅かに敵兵がゼファーを上回った形となった。
「っ、う……」(マズい、立てるか……?)
ゼファーはグレネードが炸裂するその一瞬前に、路地に駆け込むことに成功した。
しかしグレネードランチャーの爆風やその爆風に乗った破片のほとんどは、建物の角に阻まれてゼファーまで届かなかったものの、余波だけでゼファーを吹き飛ばし建物を砕く。
十歳前後の子供の軽い身体は容易に浮き、壁に叩きつけられた。
爆風はクリスの居る場所までは殺傷力を発揮しなかったものの、それでも余波だけで子供一人を吹っ飛ばす風圧。それほどの爆風。
建物の角で殺傷力のある爆風の大半をしのいだものの、ゼファーは立ち上がれる気配もない。
頭から血が流れ、立ち上がろうとするも腕と足に力が入っていない。
そこに、死体を確認するために敵兵が歩み寄ってきた。
賢明と言うか、慎重と言うべきか。しかし英断なのは間違いなかった。
グレネードによるダメージを過小評価せずに、少しでも息があれば確実に仕留める思考。
今のダメージを受けたゼファーならば容易に殺せることは間違いない。
(動け……動いてくれ……俺の身体……!)
しかしゼファーがいくら強い意志をもって体を動かそうとしても、指先がピクリと動くだけ。
やがて路地の前に敵兵が立ち、その銃口をゼファーの頭に向ける。
殺すことに何も思わない、生活のルーチンの一環として殺そうとする男の顔だ。
ゼファーに抗うすべはない。反抗できるのは唯一動かせる視線でだけだ。
「くっ、そ……」
いつものように、フィフス・ヴァンガードで無情に命が奪われる。
その順番が今ゼファーにまで回ってきた、ただそれだけ。
銃弾よりも軽い命が、埃のように軽く散らされる、ゼファーがいつも見てきた光景が巡り巡って自分のもとにやってくる。
ただ、それが悔しかった。
生きたいのに、死ねない理由ができたのに、こんなつまらない所で、死ぬ理由も意義もなく死ぬことが悔しかった。
ゼファーは無念を噛み潰し、歯を食いしばり、せめてすぐ近くに居るクリスの存在を気取らせないようにと――
「が、ふ、ぅっ……?」
――手を打とうとしたその瞬間、血の泡を吹いて呻き倒れる敵兵に、思考を混乱させられた。
「な、に?」
動かない身体を必死によじらせて、ゼファーは顔を上げる。
倒れた敵兵を挟んでゼファーの反対側に、銃を持ったクリスが立っていた。
銃口からは硝煙、敵兵の後頭部には血の流れる穴。
何も変なことはない。ゼファーの居る側の路地を向いていた男は、クリスの存在に気付かぬまま彼女の居た側の路地に背を向け、そこを撃たれたというだけのこと。
何も問題はない。
クリスが今日ここに至っても、人を撃てない少女であったという、その一点に目を瞑れば。
「あ、あたし……」
いつかは撃たねばならなかった。先送りにしていた問題だった。
何より、人を撃ってでも生きる道を選んだのはクリス自身なのだ。
それでも、それでもと。
ゼファーはクリスの『こんな顔』は見たくなかったと、そう思わずにはいられない。
動かない身体を動かして、その手を握ってやらなければと、少年は全身の力を振り絞る。
しかし体を動かす歯車が外れてしまい空回りしているかのように、絞り出した力がどこかへ消えて行く。
それどころか、瞼まで重くなってきた。
「―――ファ―――ゼ―――しっか―――大丈―――」
音までもが遠ざかり、いつしか意識まで薄れていく。
睡眠不足で布団に入った人間でもここまで急速に意識を失いはしないだろう。
気を確かに持たなければと思うものの、身体のダメージには逆らえない。
霞む視界の中に、青ざめた顔で涙を浮かべるクリスの顔が見えた。
ゼファーの手を握り、必死に声をかけている。
「せめて安心させないと」と、ゼファーは残る全ての力を込めて、右手でぎゅっと握り返す。
そこで力尽き、意識を失った。
第三話:Final Countdown
「それじゃお大事にー」
「もう来ないようにするよ、ヤブ医者」
安っぽいリノリウムの床を蹴り、そう言ってゼファーは名も無き医者に背を向けた。
ここはゼファーが掛かれる唯一の医者であり、近隣の患者全てから『ヤブ医者』と断言される悪名高い医者の医院だ。
骨折程度ならともかく、外科手術なんてものを依頼した日には麻酔で眠らせてる内にこっそり内蔵を幾つか抜き取ってよそに売っぱらっている、なんて噂すらある。
医院そのものもクリスが見れば「ウジがその辺に湧いてそう」と言いかねない不潔さだが、ゼファーのような生い立ちの人間が掛かれるような医者はここくらいのものだ。
あまりの評判の悪さに誰も彼の本名を呼ばず覚えずヤブ医者と呼び続け、結果的に『ヤブ医者』の呼称が定着してしまう始末である。
左腕に添え木をくっつけ、頭や各所傷口を消毒してゆるゆるに包帯巻いただけで大金を巻き上げようとするここに、誰とて頼まれても二度とは来たくないだろう。
なお、ゼファーはよくお世話になっている。
「ん? もう終わったのかの」
「ん。帰ろう」
待合室で待っていたバーソロミューと合流。
この医院に来るには距離的に車が必要であり、怪我をしたゼファーを見たバーソロミューが血相を変え、当然のように過保護を発揮しここまで送って来ていたのだ。
まあ、それだけではない。
ここのヤブ医者とバーソロミューは知り合いらしく、ゼファー一人だとぼったくろうとするが二人だとほとんど料金は取らないという、熱い手のひら返しを見せてくれる。
ゼファーがバーソロミューに関係を問うても、彼は曖昧にはぐらかすだけだ。
バーソロミューはゼファーの過去を全て知っているが、ゼファーはバーソロミューの過去を何一つとして知らない。
それが、二人の関係だった。
特にそこに不満も持たず、ゼファーはバーソロミューに続いて車に乗り込む。
「気絶したお前さんをクリスの嬢ちゃんが運んできた時には肝が冷えたわい。
残り少ないワシの寿命を縮めんでくれ」
「ごめん。まあでも、前に脇を弾が抉った時よりは軽傷だと思うんだよ」
「あれと比べるでない! あれより軽傷でも死ぬ時は死ぬんじゃ!
全く、お前さんはなまじしぶといからタチが悪い……」
生き残れるだけの腕も、姑息に立ち回る頭もないくせに、勘でギリギリの場所で致命傷だけは避けるから生き汚く生き残る。
見てる方は冷や汗ものだろう。
本当に有能な人間とは窮地を乗り越える人間ではなく、そもそも窮地に陥らない人間である。
病院に行くほどでなくとも、戦場に行く度に傷だらけになって帰ってくるのだから、ゼファーのある種の無能っぷりは彼と親しい人間であるほど頭が痛い。
こうやって重い傷を負う頻度もそう低くはないというのだから、もうどうしようもない。
「ユキネ、どうしてた?」
「気落ちしておったよ。病院まで付き添うと最後まで粘っておった」
「あの医院はガラ悪いの多いし、置いてきて良かったと思うけどな」
「それでもお前さんが、よっぽど心配だったんじゃろうよ」
「……俺は、あんまり関係ないと思う」
「む?」
何か言いたげな顔をしつつも、バーソロミューは視線で続きを促す。
そしてブレーキ、鍵、ギア、サイドブレーキ、アクセルの順に車を稼働させ、車を発進させた。
向かい風が肌を撫でる中、顔は前を向くも耳はしっかりと助手席のゼファーの方を向いている。
少年は淡々と、自分が気を失うまでの顛末を話す。
普段は情動の読み取りにくい表情に、今ははっきりと憂いの色が浮かんでいた。
「ユキネに人を殺させてしまった……他でもない、俺が」
誰が、何が、雪音クリスにその一線を越えさせたか分からないほどゼファーは愚かではない。
ゼファーとクリスが友となったことで、この二週間で友好を深めたことで、天秤が傾いたのだ。
また一人になる恐怖、友達を見捨てること、大切な誰かが目の前で失われる痛み。
それらと、人を殺すことへの忌避感を天秤にかけた時の重みが逆転した。してしまった。
皮肉にも、友達が出来たという幸運がクリスに最後の一線を越えさせてしまったのだ。
大切な物を得てしまったこと、それを失いたくないと思うこと。それは道を踏み外す理由としてはありきたりだが、それを「よくあることだ」で納得できるほど少年は大人ではない。
「はぁ」
「溜息をつくと幸せが逃げるぞ? しかし、のう」
頬杖をつき、バーソロミューは片手で適当に運転しつつ、横目でゼファーを見る。
「お前さんを赤ん坊の頃から見てる身としては、吃驚仰天じゃがの」
「え?」
「この前までのお前さんなら死んでもそんな台詞は口にしなかったはずじゃ。
なんとまあ、大した娘っ子じゃの。クリスは」
ここまで短期間に変えられては親代わりの立つ瀬がないわい、と初老の顔の顎髭をいじる。
生まれてからずっとゼファーを見守ってきた彼の身からすれば、今のゼファーには新鮮味に加えて懐かしさも感じる。
昔、たった一人の親友だった少女が死んでしまう前のゼファーに戻り始めている。
子供の頃のゼファーは誰でも簡単に好きになって、その上で好きになった相手には無条件に優しく、今よりもずっと可愛げがあった。
いつからかゼファーは、だんだんと熱のない顔をするようになってしまった。
大人げないとは思うものの、ゼファーを簡単に変えてしまったクリスという少女に、ほんの少しの嫉妬と羨望と尊敬を、バーソロミューは抱いていた。
「それより、左腕は大丈夫なのかの?」
「ヒビ入ってるってさ。頭と背中は薄く切っただけ。まあどうでもいいこった」
「安静にしとけい。無理しても誰も喜ばんぞ」
「今俺が抱えてる問題はそれじゃないんだよ、バーさん」
「お前さんが痛めた腕を見て、周りがどう思うかということを言っとるんじゃ。
ワシも、クリスの嬢ちゃんも含めての」
「……あ……あ、うん。分かった。ごめん」
「無理は美徳ではない。隠せず不器用にやるなら、やらん方が百倍マシじゃ」
「うん、ありがとう」
まあそれでも、ゼファーを今日まで育ててきたのは彼なのだから、胸を張ればいいのだ。
文句無しに立派に育てたとは言いがたいが、そんな客観的事実はゼファーには関係ない。
バーソロミューが思う以上に、ゼファーは彼を想っているのだから。
「さっきのもそうじゃ。人を初めて撃ったこともそうじゃが、それだけではなかろう。
クリスの嬢ちゃんにとってはお前さんの大怪我もショックだったはずじゃ。
『俺はあんまり関係ない』などと言うもんではない」
「……そうかな?」
「お前さんがお前さん自身を貶めることは、お前さんを大事に思う誰かを傷付ける。
今すぐには分からんだろうし、変えられもせんじゃろうが……覚えておくんじゃの」
「ぶっちゃけよく分からない、ごめん。いやなんとなく分からなくはないんだけど」
「ほっほ、素直でよろしい」
車上にて、益体もない雑談に花を咲かせる二人。
気安く語り合う二人は誰がどう見ても家族で、それでいて家族ではない他人だった。
やがてほどなくブラウディア家車庫へと辿り着き、ゼファーは別れを告げて駆けて行く。
その背中が見えなくなってから、バーソロミューはひとりごちた。
「はぁ……自分の心配より女の心配か。また早死にするタイプに成長しおってからに」
優しい奴はすぐ死ぬ、それがゼファーの知る法則。
そして、優しい奴より戦場で女の話をする奴の方が早く死ぬ。
それがバーソローミューの知る戦場の鉄則だった。
もっとも、どういう奴なら死なないとかそういう天則は一つもなく、死ぬ奴は死ぬという身も蓋もない前提の上での話なのだが。
雪音クリスは、部屋で一人震えていた。
まだ手の中には、人の命を奪った瞬間の銃の反動が残っている。
まだ瞳の奥には、血を吹き出して倒れる人の姿が焼き付いている。
まだ耳の裏には、殺してしまった敵のうめき声がこびり付いている。
けれどそれよりも、倒れたまま何度呼びかけても起き上がらないゼファーの姿の方が、揺れ動く意識の大半を占めていた。
「……っ」
ただ、一人が嫌だった。
一人になってしまうことを、雪音クリスは恐れていた。
それは両親が目の前で殺されたことで空いてしまった胸の穴を埋める行為であり、十歳にもなっていない子供特有の寂しさであり、心に脆い一面のある彼女の性質でもあった。
人はいとも簡単に死んでしまうということを、自分がある日突然に一人になってしまう事もあるということを、彼女は身をもって知っている。
この地で誰にも気を許せず、これから先もずっと一人で生きていく未来を想像をして、クリスは真っ青になっていく顔色を止められなかった。
「く、ぅ……!」
クリスはベッドの上で膝を抱えて、その膝の中に顔を埋める。
これが普通の人間の感性だ。
人を殺せば、大切な人が大怪我をすれば、真っ当な心根を持つがゆえに心傷ませる。
それが分かるからこそゼファーは、人を殺しても大切な人を殺されても問題なく戦い続けられる自分よりも、彼女の方がずっとずっと生きる価値があるのだと、そうクリスを大切に思っている。
ゼファーに生きる価値が無いというのは、あくまで彼の自己評価でしかないのだが。
「あたし、何してんだろう」
人を殺して、手を汚して、したくもないことを繰り返して。
なんでもない幸せな日常を恋しく思う気持ちが、クリスの胸中にぶり返していた。
人を殺さなくても生きていける世界に焦がれる気持ちが、新たに生まれていた。
そんな気持ちを、クリスはぎゅっと押さえつける。
銃を取ったのは自分自身の選択だから。
それでも、気持ちは止まらない。
「あたし、なんでこんな所に居るんだろう」
なんでこんな所に居るか? それは彼女をここに連れてきた両親と、殺した誰かのせいだろう。
両親のせいではないと、クリスはそう思い込もうとしてきた。
けれど。
けれども、現実はそんな綺麗事が通じないほどにひたすら辛い。
事故で家族が死んでしまった時、加害者が居なくても誰かが悪いと思い込もうとする、誰かのせいにしようとする遺族が居るように。
クリスには顔も知らない誰かではなく、両親という分かりやすい憎悪の対象が居た。
分かりやすい、元凶が居てくれた。
(なんで、なんであたしを、こんなとこに連れてきたんだよ、パパ、ママ……!)
好きだったから、愛していたから、むしろ『その気持ち』は反転という過程を経て大きくなる。
愛憎という言葉があるように、無関心とは違いこの二つの気持ちは容易に反転しうる裏表。
両親へ向けられた愛情は憎しみへと、少女の中で反転しつつある。
目の前で人がゴミのように死んでいく光景が、自分が人を殺した光景が、目を覚まさない友達が横たわる光景が、ごく普通の感覚しか持たない少女の心に、過度の負荷をかけていた。
(パパとママがあたしをこんなとこに連れて来なければ、こんな、こんな……!)
クリスの父雅律、クリスの母ソネットは最後まで娘にここに連れてきた理由を語らなかった。
だからクリスには心中で二人を理屈で擁護することができない。
その結果、バル・ベルデ共和国の使い捨て兵士として動員されている今の現実があるのだから、尚更だ。
少なくとも、両親がクリスをここに連れて来さえしなければ。
彼女は両親の死を目の前で見せつけられることはなかったし、この地獄に落ちる事も無かった。
それだけは間違いの無い事実である。
(泣くな、泣いちゃだめだ、雪音クリス)
じわりとにじみ出る涙。
少女はその涙を拭い、ゴシゴシと目の周りをこする。
クリスは心は強くないが、しかし負けん気だけは強かった。
負けてたまるかと、泣いてたまるかと、そんな気持ちがあればそれだけで踏ん張れる。
辛くても、嫌なことがあっても、きっと一人で折れず曲がらず真っ直ぐに生きていける。
それでも泣いてしまうのは、彼女がまだ子供で、女の子だからだろう。
「うっ、えぅ、ぐずっ」
両親への怒り、人殺しへの罪悪感、ゼファーへの心配、それらを涙がぐちゃぐちゃにする。
涙は胸の中に収まりきらず、溢れ出た感情の奔流だ。
流し切ってしまえばスッキリするが、色んな感情が混ぜこぜになっている時に流れ出すと、自分自身でも何故泣いているのか分からなくなってしまう。
拭っても、拭っても、涙は溢れ出す。
もう嫌だと、そんな弱気が少しだけ頭の中に顔を見せたその時。
「ユキネ、居るかー?」
病院から帰って来た、この家の主の少年の声が聞こえた。
「……屋上? いや、部屋かな」
クリスもこんな時ばかりは、その勘の良さを恨めく思わずにはいられない。
直感は万能じゃないと普段言ってるくせに、その足音は真っ直ぐにクリスへと向かってくる。
顔を見られないようにと、クリスは急いで毛布の中に潜り込んだ。
その直後、部屋の扉が開け放たれ、家の主がずかずかと入り込んでくる。
「あ、居た居た。居るなら返事してくれよ」
「……怪我は」
「全然平気だよ、なんなら明日からでも戦場出れるぜ」
相当痛んでいるはずだがその素振りも見せず、ゼファーは左手を開いたり閉じたりして見せる。
バーソロミューの忠告を「心配させないため無理するな」ではなく「心配させないため無理をバレないようにしろ」と解釈しているあたりこの少年らしい。
毛布の中からそんな様子を見て、クリスは自分にしか聞こえない程度の安堵の溜息を吐く。
本当は駆け寄って無事を確かめたかった。平気そうなことを喜びたかった。
が、クリス自身あまりそういう方面に素直でないのと、泣き顔を絶対に見せたくないという気持ちで、なんとか踏みとどまる。
「今日はユキネのおかげで助かった、ありがとう」
「……」
「あそこでユキネが撃ってくれなかったら、俺はきっとあそこで死んでたよ」
感謝の言葉だけは、ちゃんと言わなければならない。
ゼファーが撃って欲しくないと思っていたとしても、クリスが撃ったことに罪悪感を感じていたとしても、撃ったことで守れたものを否定してはならない。
人殺しは悪いことではあっても、あの状況ならばゼファーの友として間違いなく正しいことで、間違っていたはずがないのだから。
他の誰でもなく、救われたゼファーがそれを肯定してやらないといけない。
「ありがとう」と、救われたと、そう伝えなければ、クリスは何のために引き金を引いたのか。
ゼファーは子供だ。けれど、年齢不相応ではあれど、それが分からないほど無知でもない。
その言葉だけは面と向かってちゃんと言わなければならないと、そう思っていた。
「人を撃たない奴の方が価値があるって言ってただろ、ゼファーは」
「いつかは撃たないといけない、とも思ってたよ。
こうやって人を撃ったことに罪悪感を感じるユキネに対して感じるものに、何の変わりもない」
「……あたしは、嫌だよ」
「ユキネ……」
「今感じてるこの嫌な気持ちも、何もしないのも出来ないのも、
いつか慣れて罪悪感無しに人を殺せるようになるのかもしれないのも、
全部全部嫌だ……!」
クリスは毛布に潜ったまま、ゼファーに顔も見せずに嘆く。
いや、嘆きではない。これは怒りだ。
感謝の言葉で薄れた罪悪感の下から、湧き出てきた強く荒々しい感情だ。
嫌だと思いつつもそうしないといけない現実を受け入れ、なおも反抗する叫びだ。
ふざけるなと、折れず曲がらず貫く意地だ。
寂しがりやという彼女の弱さと裏表の、心を奮い立たせる怒りという強さだ。
「戦い合って、殺し合って、そうでないと生きていけないこの場所なんて!
あたしが、あたしがいつか否定して、全部全部無くしてやる……!」
戦場を、戦争を、争い合う人の心を憎む気持ちが、少女の心に芽生えた瞬間だった。
「落ち着けって。俺達個人ができる事なんて、たかが知れてる」
毛布の上からポンポンと、ゼファーはクリスの肩を叩いて安心させる。
そこだけ切り取れば、二人の似た髪色からして兄弟のようにも見える。
……話の内容は物騒極まりないが。
「まずは生きることだ。俺も、ユキネも。余分なこと考えてると足元掬われるぞ」
「……ゼファーも」
「うん?」
「ゼファーも、いつか死んじゃうんじゃないか。今日みたいなことがまたあったら」
人を容易に殺せる武器は、人を容易に殺せる腕は、必然的に人が容易に死ぬものなのだという現実も知らしめる。
簡単に人が殺せるという実感は、クリスにゼファーも簡単に死ぬという確信も与えていた。
自分は簡単に一人になってしまうのだと、自分も簡単に死んでしまうのだと、分かっていたつもりで分かっていなかった恐怖。
生きるか死ぬか。
それすら、きっと運次第なのだ。
「家族の次は、きっと友達だ……皆どうせ、あたしを置いてって一人にするんだ」
人を殺した罪悪感は消えていない。両親が目の前で殺されたトラウマも消えていない。
今の理不尽な現状に対する不安や遣る瀬無い怒りもある。
けれども、それらのどれよりも、今の彼女には孤独が怖かった。
誰も手を差し伸べてくれず、悪意と敵意しか向けられない、こんな国で一人ぼっちになってしまうだなんて、クリスには耐えられるとは到底思えなかったのだ。
そんな彼女の手を、毛布の中から唯一出ている手を、ゼファーは両手で包み込む。
「『一人にしない』って約束する。だからユキネも、約束してくれ」
一人が怖い、誰かと死別するのが怖い……その気持ちは、彼にも分かる気がしたから。
雪音クリスがこの地に来て、二人が友になって。
本当に救われたのは、どちらなのか? それは誰にも分からない。
「何があっても、俺達はずっと友達だ」
ゼファーが添えた手を、クリスが無言で強く握り返す。
毛布の向こうから漏れてくる何かを噛み殺すようなくぐもった声を、ゼファーは聞かなかったことにした。
一人が怖い、だって二人は孤独に耐えられない、まだ小さな子供なのだ。
だから、手を繋いで確かめる。
友達がそこに居てくれる、そんな優しい現実を。
一時間か、二時間か。
クリスが落ち着くまでゼファーがその手を握っていたのか。
ゼファーがこの友達は自分を置いていかないと自分自身に言い聞かせるため、その手に縋り付いていたのか。
どちらかは分からない。どちらもなのかもしれない。
窓から覗ける陽の光は、既に地平線に沈みかけていた。
「……もう、夜になった?」
「いや、夕方になったくらいだ」
「そっか」
毛布をかぶったままのクリスには外が見えていない。
意地を張っているとか泣き顔を見せたくないというより、出るタイミングを逃した感じだ。
互いに別々に昼飯を取っていたとはいえ、流石に小腹が空いてくる時間帯だ。
「あのさ」
またぽつりと、クリスがゼファーに話しかける。
日がまだ傾いていない時からずっとこうだ。
手を離すタイミングすら逃したまま、クリスがぽつりぽつりと何かを口にして、ゼファーがそれに淡々と答える。
空気を変えるトーク術なんてものをこの二人が持っているわけもなく、会話が途切れるのと再開するのを散発的に繰り返している。
その会話は大抵が意味のない、ただ場を繋ぐだけのものだったが、
「あたしもう、パパとママが好きなんだって胸を張って言えなくなっちまった」
それら全てがここまでの前振りでしかなかったかのように、その一言は重かった。
「なんで、なんで、あたしをこんなとこに連れてきたんだよ……
夢ばっか追って、現実見ないで、死んで、それにあたしを巻き込むなよ……」
柔らかく握られていた手に、クリスは更に強く力を込める。
愛憎。
好きな気持ちが大きかったからこそ、嫌いという気持ちも大きくなる。
彼女の中で「両親のせいじゃない」は「両親のせいじゃないかもしれない」に変わり、何年もかけてその心中の天秤はもっと傾いていくだろう。
どうしようもなく擁護できない点が一つ、突き付けられているのだから仕方ない。
「いい大人が歌で世界を平和にするとか、夢見てるんじゃねえよ……!
そんなのに巻き込まれる娘の方はたまったもんじゃないんだよッ……!」
事情があったのかもしれない、という言葉をゼファーは飲み込んだ。
何も知らずに言葉を重ねるには、雪音クリスの抱える苦悩は重すぎる。
彼女の言葉の否定も肯定も、彼女の両親の否定も肯定も、想像で語るしかないからだ。
雪音クリスの両親を、無責任とも考え無しとも考えたくはない。
けれど、死人は何も語れないのだ。
死人の弁護も、死人の否定も、ゼファーの浅い人生経験では上手く出来そうにはない。
「……かもな」
なら、せめて彼女が少しでも楽で居られる、誰かのせいにできる選択を。
ゼファー・ウィンチェスターにできる事がそれしかないのなら、それを成す。
「少なくとも、ここに来るまでの経緯の中で、ユキネは悪くないってのは俺も思う」
それに紛争地域に娘を連れて来た事に関しては、ゼファーも同意見だ。
何か事情があったのかもしれない、それなら連れて来る事が完全に間違っていたとは言えないかもしれない。
それでも…もう少し、どうにかできたのではないか。
その結果として今ここに居るクリスを見ると、ゼファーはそう思わざるを得ない。
結果論でしかないかもしれない、死人に責任を問うこと自体間違いなのかもしれない。
それでも、責任があるとすれば雪音クリスの両親なのだ。
ゼファーがここで生きている原因が、彼を捨てた顔も知らぬ両親であるように。
(親の勝手でここに流れ着いて、そのまま死んでいく子供は少なくない)
私情が混じっているというのもあるだろう。だがそれでも、子供がここで生きていかないといけないなんて不運は、親の責任だとゼファーは思う。
ここで出会った何人かの人とは生まれ変わってもまた会いたい。
けれどここには二度と生まれたくはない。それが彼の正直な気持ちだった。
その理由が忘れよう、忘れようとしている、死んで行った者達の死に受けた衝撃であるというのだから救えない。
クリスは愛であれ憎悪であれ、死人を忘れようとまではしていないのに。
「でも、ユキネの両親を悪く言うとユキネは怒りそうだから言わない」
「……そんなこと」
「飯食ったら、少し早いが今日はもう寝とけ」
嫌いになれたことと愛していること、それを切り離せて考えられるならクリスも楽に生きられただろうに。
愛していたからこそ憎いということは、憎く思っても愛はなくならないということ。
感情は面倒なのだ。それがたとえ、大人と比べて分かりやすい子供であっても。
それぞれ少女は愛憎、少年は逃避の一言で説明できるのだから理解は楽なもんである。
なお、ゼファーがクリスの両親を悪く言わなかったのは別に「他人に両親を悪く言われたくない」という屈折したクリスの心中を理解したからではない。
なんとなく「そうしない方がいい」と思っただけだ。つまり、勘である。
死人に愛憎を抱くという割とありふれた感情の機微を、ゼファーが分かるわけもなく。
「夢の中に逃げた方が楽な時もあるんだ。そういう時は、寝ちまった方がいい」
それでもクリスの痛みだけは、勘でもなく理解でもなく、繋がる手から伝わってきたから。
現実というものは、甘い理想や言葉が通じない、そびえ立つ鋼鉄の壁のようなものだ。
砂糖菓子の弾丸で、鋼鉄の壁は撃ち抜けない。
きっと何も救えず、足を掬われるだけに終わる結末だけが待っている。
……それでも、自分が一人じゃないと、根拠もなく信じたいと。
未来への甘い希望的観測に縋る子供が、ここに二人居た。
どうでもいいことですが翼さんは乳無しあんま気にしてない感じですが、エクスドライブ時の調アフロダイAは超巨乳だったりしてこっちはモロに気にしてる感じですよね