戦姫絶唱シンフォギア feat.ワイルドアームズ   作:ルシエド

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ハメでは初投稿


第一章 フィフス・ヴァンガード編
第一話:5th Vanguard


 花の香りが漂ってきて、少年は思わず顔をしかめた。

 綺麗過ぎる香りが肌に合わなくてどうにも好きになれないのだと思うも、口にはしない。

 硝煙の匂い、銃のサビと似た血の匂い、皮脂と汗が染み付いた不潔感漂う少し酸っぱい匂いの方がまだ慣れ親しんだ分マシに思える。

 太陽が強く照りつける今日のような暑い日は、特に草花は数割増しにその香りを強めているような気がするものだから不思議なものだ。

 

 

「……」

 

 

 カチャリカチャリと金属が軽く触れ合う音。

 音の発信源は少年の手元で分解される銃であり、それを手早く滑らかに手入れする少年の手だ。

 数日前にくたばった男から拝借した銃は新品ではあったものの、状態は最悪。

 手入れはロクにされておらず、手入れの油は塗りすぎで、所々に詰まった砂やゴミが原因でいつ暴発を起こしてもおかしくない。

 このまま使うにはあんまりにもあんまりだという事で、少年は青空の下で銃をバラしてから丁寧にゴミを拭き取っていく。

 

 

「……」

 

 

 作業中は終始無言。別に集中しているわけでもないが、銃の手入れの最中に話しかけてくるような、気さくな友人も少年には居ない。

 話さないのではなく、話す相手がロクに居ないのだ。

 薬室を中心に汚れを取り、汚れ塗れになった布を替え、油をスッと塗っていく。終わったらようやく組み立てだ。

 手入れを怠れば銃はあっという間に使い物にならなくなり、さんざん働かせた駄賃代わりに持ち主の命を頂いて行くことを、少年はよく知っている。

 先週、それで逝った阿呆を目の前で見送ったばかりだ。

 

 

「……ん」

 

 

 組み立てを終えた少年の労をねぎらうかのように、西から穏やかな風が吹く。

 風はまばらに地に生える草木を揺らし、雲を空の端から端へとゆっくりと運んでいく。

 肌を撫でる優しく暖かな風に思わず開く少年の口。

 

 

「ああ、やっぱこの風の香りが一番だな……」

 

 

 太陽がどんなに照りつけても開かせられなかった少年の口を、西風は開かせた。

 今日の所は童話と違い風の勝利に終わった様子。

 陽が傾き始めた空の下、荷物を纏めて布で包んで少年は悠々と帰路につく。

 背中を押す西風が心地よく、その香りにほんの少しだけ幸せな気持ちになりながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一話:5th Vanguard

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バル・ベルデ共和国という国がある。S国という国の過剰な少数派民族弾圧や重税に耐えかねた一部の国民が蜂起し独立した国だ。

 

 当然ながらS国とバル・ベルデ共和国は長きに渡って対立しており、隣接しているという最悪の関係性にあった。

 隣接している国と国の仲が悪いというパターンは数あれど、国連という抑止力が存在する現代において、事あるごとに小規模な紛争にまで発展するほど仲が悪い関係はそうそう無いだろう。

 「時間さえあれば殺し合っている」と先進国の住民から揶揄されるこの二国の関係の歴史とは、非常に面倒くさい紆余曲折によって成り立っている。

 ピンと来ないかもしれないが、S国は民主主義から一党独裁を経た米国寄りの独裁国家、バル・ベルデは独立後に民主主義国家から社会主義国家に転じた反米寄りの元独裁国家である。

 

 S国の民はあるべき社会がどうのと言って紛争を仕掛けてくるバル・ベルデ共和国の民が正論を振りかざし平穏を脅かすテロリストにしか見えず、バル・ベルデ共和国の民は資本主義死ね議会死ね多数派民族死ねといった過去の遺恨を持つ人間が集まっているので和解の目がまるでない。

 両国は互いを見下し合い憎み合い、元は同じ国の民であった両国の民は今では修正不可能なほどに互いの国を憎むようになってしまった。

 

 バル・ベルデ共和国は他国の介入を全く許さず、S国も少しはマシな程度で同じ穴のムジナ。

 赤十字すら支援を躊躇う血と飢えと硝煙の世界である。

 そんな共和国の端の端、まばらな草木と荒れた大地が広がる地方。

 二つの国の紛争が一番激しい場所の国境でもなく、しかし間違いなく多くの紛争の舞台となる国境の一つ。

 

 国境に七つある紛争の頻発地域の中で五番目に紛争が起こる場所。正式な名称よりも異名の方が通りがいいその地方は、人々から五番目の先陣区(フィフス・ヴァンガード)と呼ばれていた。

 

 

 子供が銃を取ることも少なくない激戦区、少年はそこで生まれ育った。

 適当にナイフで短く切りそろえられた白い髪、ボロ布のような服と身に付けた布切れにしか見えないローブのようなもの、そして身の丈に合わない整備したてのアサルトライフル。

 歳は十歳前後だろうか? 生まれつき肌の黒い人種ではないのだろうが、生きてきた場所と過去が彼の肌を浅黒く染めている。

 薄汚れた身なりは同情を、体躯に似合わない銃は物騒なイメージを、そして活力の無い死んだ瞳は不気味な印象を目にする者に沸き立たせる。

 

 少年はフィフス・ヴァンガードの外の世界を知らない。汚れていない服も、銃を持たずに生きていける世界も、花の香りがどこにでもある街も知らない。

 だから少年は格別自分が不幸だの幸福だの考えた事はない。

 考えないようにしている、とも言う。

 物心ついた時から少年の周りにあったのは生か死かの二択だけで、死んで当然の世界の中で今日という日を生き残れたという事だけが幸福の証明だった。

 

 笑い話にもならない、そこそこにありふれた恵まれない子供。明日をも知れぬし知る気もない。

 

 少年の名は『ゼファー・ウィンチェスター』。

 

 物心ついた時には両親は居らず、糧を得るために銃を握り、ふと気付いた時にはもう戻れない場所に居た戦災孤児の少年だった。

 

 

(腹減ったな……)

 

 

 帰路につく途中に懐から取り出した干し肉を齧る。

 干し肉のストックがあまりない普段は、端の方を少しだけ噛みちぎって口の中で何度も噛んで味わって、それでおしまい。

 以前にしゃぶって味わうだけに留め、長い間肉を味わおうと考えた結果唾液で腐って痛い思いをした経験から、ゼファーは肉を細かく食いちぎって食べるクセがついたのだった。

 もっとも、今は干し肉が今月分残り三枚と比較的ストックはある方なのだが。

 

 

「……あ、パンねえや。バーさんまだ持ってるかな」

 

 

 肉の後は乾燥させたパンと水……とまで考えた所で、空っぽの袋に気付く。

 長持ちする上にしっかりとエネルギーになる炭水化物は食事に必須だ。食わなければ身体にロクに力は巡らず、それは結果として死を招く。死にたくなければ食うべきなのだ。

 よく噛んで水と一緒に流し込む乾燥パンは重要なエネルギー源である。食料を食い切ってしまった、それはイコールで明日明後日戦場にいい的が一つ増えるということ。

 しかし少年にはこういう苦しい時そんな時頼りになるジジイ、略してクソジジイの知り合いが居た。

 

 

「『ノイズ』にやられてなきゃ、家に居るよな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――『ノイズ』。

 

 

 生態系の頂点、万物の霊長とまで自らを称するほどに繁栄した人類に対し、突如現れた天敵種。

 アリにとってのアリクイ、ミツバチにとってのスズメバチ、虫にとっての鳥。生物は自然界に存在する以上、一対一では絶対に勝てない何らかの上位種というものが存在するものだ。

 草は虫に食われ、虫は鳥に食われ、鳥は獣に食われ、獣は人に食べられ、そして人を脅かすものは居ない。

 生態系の頂点に立ち、天敵という上位種が存在しなかった人類が、安心と驕りに満ち満ちたその時代、何の前触れもなく『彼ら』は現れた。

 

 

 ノイズは無差別であった。

 生きるために食べるでもなく、人類がその生息圏を侵したわけでもなく、憎悪や確執を原因とするわけでもなく。

 相手が人間であれば、問答無用で皆殺しにし尽くす。

 

 ノイズは無敵であった。

 彼らはこの世界に己が存在する比率を操作する事ができる『位相差障壁』という、あまりにも理不尽でどうしようもない能力を持っていた。

 存在比率を上げて人を殺し、逆に人からの反撃は存在比率を下げて回避することで彼らはあまりにも一方的な虐殺を行った。

 

 ノイズは必殺であった。

 彼らに触られた人間は、たとえ分厚い装甲服越しであっても即死する。

 人に触れたノイズは、自分ごと対象の人間を炭素の塊へと転換させてしまうのだ。

 

 ノイズは短命であった。

 彼らは何の脈絡もなくどこにでも現れ、発生してから少しの時間を置いて自壊する。

 それが「人を殺さない自分達に存在意義など無い」と言っているかのようで、それがまた人々の不安を掻き立てた。

 

 

 突如現れ破壊の限りを尽くし人から恐れられる、相互理解など到底不可能な現象に近い殺戮者。

 人々がそれに抱いた感情は大量殺人犯に向けるそれでも無く、国民を虐殺した国家に向けるそれでもなく、台風や地震に向けるそれ――災害に向けるそれ――であった。

 ファンタジー小説の中での話ならノイズを操っている魔王が居て、ノイズは世界を滅ぼさんと頻繁に虐殺を始め、人々は国境や確執を捨てて一致団結してそれに立ち向かっていく……なんて話が繰り広げられていただろう。

 

 しかし現実には魔王は居ない。ノイズの被害も散発的。国家としての対応こそ迫られたものの、人類としての対応が求められることはついぞ無かったのだった。

 

 ゆえに大抵の人々は「新種の災害か、怖いなぁ」と、テレビを見ながら他人事のように呟くだけに終わる。

 それでも、ノイズに奪われる人の命は確固として存在する。恐れおののく人々と他人事にしたままの人々の間に、確かな境界線が存在する。

 それはテレビの中で報道される交通事故を他人事のように聞き流していた人が、自分の家族が交通事故で死んでしまった時に越えてしまう境界線と、ひどく似ている。

 

 

 

 さて、ゼファー・ウィンチェスターはこのどちらかと言えば、間違いなく『ノイズの脅威に晒されている方の人間』だと断言できる。

 

 何故か?

 それは少年が生きる糧をどうやって得ているかという話と無関係ではない。

 ゼファーは生みの親がくれた自分の本名すら知らない戦災孤児だ。

 親も金も能力も国籍も無い子供が生きる糧を得る方法は三つある。

 

 一つ目は盗みを働くこと。二つ目は体を売ること。

 そして最後に、命をチップにその対価を得ることだ。

 

 

 

 ノイズは確かに人類の天敵だ。……だが、無敵ではない。

 彼らの位相差障壁はその性質上、攻撃の際に『自分が世界に存在する比率』も引き上げなくてはならない。

 自らが世界に存在する比率を下げれば受ける攻撃もスカるが、放った攻撃もスカってしまう。操作するものが世界に存在する比率なら、当然の理屈だろう。

 つまりあくまで理屈の上での話だが、『ノイズが自分に触れそうになった瞬間にマシンガンを撃つ』等の捨て身の戦法でノイズにダメージを与えることが可能なのだ。

 

 正確なデータが出されているわけではないが、S国とバル・ベルデ共和国の国境付近のノイズ発生率は『異常』の一言に尽きる。

 「一生の間に一度でもノイズに遭う人間の方が圧倒的に少ない」とはとある国の記者が苦笑交じりに語った言葉だが、この国境付近――特にバル・ベルデのフィフス・ヴァンガード付近――に限っては、相当に頻繁に発生している。

 それでも紛争が無くなったりはしないのだから、人間とは相当に罪深い生き物なのだろう。

 

 何人かの慧眼を持つ研究者はこのノイズ発生率に目を付け、実地調査に乗り出したいと申し出ているほどだ。

 「そこにはノイズが欲するもの、あるいは恐れるもの、あるいは引き寄せられるものがあるかもしれない」と、彼らは仮説を立てている。

 が、ノイズに殺されるより先に流れ弾で死ぬであろう紛争地域にそう安々と行けるわけがない。

 調査の為にと学者が政治家に要請し紛争の仲裁を頼んでみても、他国からの口出しにS国とバル・ベルデ共和国が姿勢を頑なにするだけに終わる。

 何かがある、でも調べられない、そんな場所。

 

 

 

 さて、話を戻そう。

 

 ここまで分かれば自明の理ではあるが、ゼファー・ウィンチェスターが生活の糧を得る方法とは『ノイズ退治』という事だ。

 無論、ノイズだけでなくS国との紛争でも銃を握らなくてはならない。

 少年は命を賭け(ベットし)て銃弾をノイズと他者の心の臓にぶち込み、対価に次の戦いのための銃弾と死なないだけのパン・干し肉・時に野菜を受け取ることで生を繋いでいく生活。

 

 語るまでもなく生存率は悲惨だ。

 

 ノイズが出現する度に現場に急行し、自壊するまでの時間を稼ぎつつ逃げ切れないと思ったら一か八かで相打ち覚悟で触れられる寸前に引き金を引く、その繰り返し。

 銃の威力で押し出す事も出来ず、触れられたら死ぬノイズとの戦闘では熟練の先輩が全体に指示を出しても一度の戦闘で十人に三人は死ぬ。

 奇跡的に……否、悪夢的に三日連続でノイズが出現などしてしまった日にはほぼ確実に全員生きては帰れないだろう。

 

 

 ならばあっという間に皆死んでしまってどうにもならないのではないだろうか? 実はそんなこともない。

 

 S国は独裁国家らしく、政治犯を動員してノイズの処理に当たらせている。

 ノイズそのものはS国よりバル・ベルデ共和国の方が多く、損耗率をそこまで気にしなくてもいいからだ。

 

 バル・ベルデ共和国はそれに対し、戦災孤児・死刑囚・生活に困窮している者に対し募集という形で人員を用意する。

 あくまで募集、というのがいやらしい。志願しなければ死んでしまう人間に対して「ノイズに突っ込んで死ね」と言っているのだから。

 バル・ベルデ共和国は彼らに減刑・食料の配給などをちらつかせ、国に発生したノイズを処理させつつ紛争の際は正規軍の盾代わりとする。

 これが上手くハマって国内の治安向上などに繋がったのだから、世の中は分からないものだ。

 ノイズに炭素の塊にされていく人間は『死刑』を否応なく人に意識させる見せしめとなったし、死んでも国内生産力にあまり支障のない人間――悪い言い方をすれば犯罪者予備軍達――も一括して処理できる。

 原理で言えば国内のスラム街の住人を軍役に付かせるようなものだが、その内容がえげつない。

 

 これの欠点は強いて言うなら若者の損耗が将来的にもたらす悪影響が懸念される、その程度。

 が、そもそも国内の子供の大半は孤児ではないし戦災孤児は圧倒的に少数派だ。

 戦災孤児が社会に参入出来るだけの教育等の恩恵を受けられる制度の新設、そこにかかる労力と金を考えればすり潰した方が楽という、過激な考えなのかもしれない。

 数十年も経てば、死後遺族を残してしまう軍人達を中心に反対意見が出揃うであろう野蛮な方策だが、今を生きているゼファー達にとってはそんな未来の事は関係ない。

 

 

 ゼファーが向かっているのは、そんなクソッタレな戦場を共に駆ける仲間の一人の家だ。

 少年が知る限り、このどうにもならない場所でノイズと戦いながら三年以上生き残っている人間は六人しか居ない。

 今向かっている家にいる男と、ゼファーを含めて六人だ。

 

 

「バーさん、居る?」

 

「ん? ゼファーか、ここに来るとは珍しいの」

 

 

 先週銃弾で蜂の巣にされてドアからただの穴へとジョブチェンジした入り口からのぞき込むと、そこには還暦まであと少しといった歳の男が、本棚を整理していた。

 

 身長150cmもないゼファーが身長190を超えるその男と目を合わせるのは、それだけで一苦労だ。

 自称50代半ばの年齢が信じられないほどに盛り上がる筋肉と猛禽のような目つき。

 強いて言えば初老特有の筋が目立つ肉体や白髪交じりの金髪が身体に刻んだ年月を表している。

 唇の端から頬に一直線に走る刃傷などどこからどう見てもカタギの人間には見えやしない。

 

 ジジイと言うには若々しすぎて、オッサンと言うには老成しすぎている。しかし喋り方は完璧にジジイ。

 

 それが『バーソロミュー・ブラウディア』という男に対する、大抵の人間の評価であった。

 

 

「干し肉とパン交換しない?」

 

「なんじゃ、パン切れたのか。干し肉なんぞ要らん、持ってけ」

 

「え、いやでも」

 

「ワシの手元にゃ食い切れんほどある。お前さんが持って行こうが無くなりゃせん」

 

「……じゃあ、ちょっとだけ」

 

 

 ゼファーは干し肉が好きだ。むしろ干し肉を交換で求めるタイプだと言える。

 が、それだけの推理材料からゼファーのパン切れを見抜くなんてことが赤の他人にできるわけがない。

 

 

「どうじゃ、そろそろワシのことを爺ちゃんと呼ぶ気になったか」

 

「いや別に」

 

「……そこで迷いもせず即答すんのがお前さんらしいのぉ」

 

 

 バーソロミューは、ゼファーの育ての親だ。

 

 赤子だった頃のゼファーを拾い数年かけて育て、子育てとノイズ退治と紛争参戦を全て乗り越えてきた超人――OTONA――である。

 二人が三年以上生き残っている、というのはそういうことだ。

 

 対ノイズ部隊はひどく大雑把に三~十人程度の小隊、小隊が適度に慣れ合ってチームを組んだり住んでいる地域で一括りにした中隊、全ての部隊を一括して呼ぶ際の呼び名としての大隊がある。

 あまりにも適当だが、そもそも学の無い人間達に難しいことは覚えられない上、小隊単位でポンポン死んで行くのだから意味が無いのだ。

 そこで指示を徹底させるため、損耗を極力防ぐため、戦時の脱走を防止するために適当な人物が任命されるのが中隊長であり、バーソロミューがまさしくこれだった。

 

 彼の指示の下では対ノイズ戦闘において驚くほど戦闘一回あたりの死亡率が低く――運が良ければ死者が出ないことすらある――ゼファーが今も生き残っていられるのは間違いなく彼のおかげだろう。

 中隊長は配給も多く、一人で食べるものも得られなかったゼファーを養う程度の余裕があった。まあ、そういうことだ。

 今もこうして食料をあっさりと分けてあげていたりと、祖父が孫に向けるような優しさは今でも続いている。

 

 二人には多少のすれ違いもあるが、

 

 

(爺ちゃんって呼ぶってことは家族になるってことだ。

 ……これ以上、バーさんの背負う荷物を増やしたくない。荷物にもなりたくない。

 俺は育ててもらった恩を返してすらいないんだ)

 

(まだそこまで好かれてないんかのう、寂しいわい)

 

 

 微笑ましいもんである。

 

 

「他に足りんものは無いかの?」

 

「大丈夫。それより裏の的借りていい?」

 

「おお、使え使え。あんなんお前さんぐらいしか使わんしの」

 

 

 ゼファーは裏口から家の裏に回ると、簡素な雨よけと棚がいくつか設置してある、射撃訓練場と呼ぶにはあまりに失礼な射撃訓練場もどきで弾を込め始める。

 現在位置から木の板を置いてあるだけの的までの距離は約100m。

 弾を込め、静かに構え、照準を合わせ、後方の窓から覗いているバーソロミューを意図的に無視し……そして、引き金を引く。

 

 風ではなく音の振動で髪が揺れるほどの騒音が鼓膜を揺らし、遠く離れた板の端が弾け飛んだ。

 

 少年は自慢にもならないが、頭が良い方ではないと自覚している。

 一を知って十を知るなど夢のまた夢、痛い思いをして初めて何かを覚える人間だ。

 特に銃は音で耳をやられたり、反動でひっくり返ったり、熱で火傷したりとロクな思い出が残っていない。

 それでも、学べたものは多かった。

 

 銃は腕で撃つのではなく身体で支えて撃った方がいい。身体で支えるより地面や建造物で支えて撃った方がいい。

 近ければ少し下を、遠ければ少し上を狙う。これの具合は完全に体感で調整する。

 練習では狙って撃つが、本番ではある程度の狙いを付けて複数人で一つの目標に向かってとにかく撃つ方がいい。

 

 プロの軍人や同業者達がどう撃ってるのかまでは知らないが、これが少年の身に染み付いた少年にとっての正しい撃ち方だった。

 

 

(……よく当たるなこれ)

 

 

 今少年が練習に使っている弾も、使っている銃も、死体から拝借したものなので配給されていた銃弾が本番前に尽きるという事はまずない。

 死んだ人間からの剥ぎ取りはここでは暗黙の了解となっており、生き残った人間は死んだ人間の残した武器や食料を懐に仕舞いこんでまで生きようとする。

 少年も同じであり、食料はともかく銃弾は練習に使っても問題ない程度には蓄えている。

 

 が、銃弾の規格は同じでも銃の規格までは同じではない。

 死体から頂いた銃に習熟するための時間と訓練は必須。ゆえに、少年は今ここに居る。

 

 

「そいつはトニーの銃じゃなかったかの?」

 

「この前の出撃でノイズにやられた。聞いてない?」

 

「……そうか、奴もか……」

 

 

 声色に混じったほんの少しの寂しさと喪失感。

 自分を見守るバーソロミューのそんな悲しみを、ゼファーは気づいていないフリをした。

 口にしても悲しみが増すだけでどうにもならない物があるということを、子供だてらに少年は知っている。

 

 数日前はトニーという男が死んだ。昨日も今日も誰かが死んだだろう。明日には自分達が死ぬかもしれない。

 フィフス・ヴァンガードは、命が一発の銃弾より安い場所。

 それでも、ゼファーには簡単に死んでやる気なんてものは毛頭ない。

 

 

「……」

 

 

 無言で再度引き金を引く。

 ゼファーの手元から放たれた銃弾は綺麗な軌跡を描き、100m離れた的の中心に吸い込まれた。

 マガジン一つ、弾丸30発ほどをセミオートで打ち終わる頃にはそれなりに当たるようになったようだ。

 ポケットから取り出したマガジンと交換、今度は近い的にフルオートでの運用に切り替える。

 

 

「のうゼファー、お主このヤクザな界隈から足を洗う気は無いか?」

 

「?」

 

 

 ……が、横合いの窓からかけられた声に引き金を引くのを止める。

 

 

「足を洗うも何も、どこに逃げて生きてくんだ?

 俺は金もないし、学もないし、金を稼ぐ方法も知らないよ」

 

 

 ゼファーにとってはこのフィフス・ヴァンガードこそが生きる世界の全てだ。

 ゼファーにとっては殺し合いこそが生きる糧を得る方法の全てだ。

 ゼファーにとっては今日を生き残ることこそが人生の目標の全てだ。

 

 そしてバーソロミューは子供をそんな風にしか育てられなかった自分を恥じ、後悔している。

 

 

「ワシが推薦状を書いてやる。正規軍の入隊試験を受けて来い。ここに居るよりかはマシじゃ」

 

「ああ、中隊長はそういうのもできるんだっけ……いいよ、どうせ受かんないし」

 

「ワシが教えた範囲の事を忘れとらんかったら英語の読み書き出来るじゃろ。

 アレで特別配点が貰えるようになっとる」

 

「あの宿題にそんな意味が」

 

 

 ふぅ、と一息。少年は的を見たままで、育ての親はその背中を憂いの瞳で見つめていた。

 

 

「ワシは後悔しとる。お前を育てるなら、もう少しマシな選択肢があったかもしれん……

 ワシの背中を見て育ったお前さんは、自然と銃を取ってワシの真似を始めた」

 

 

 神にでもなく、自分にでもなく、最悪と言っていい生き方を選ばせてしまった少年への懺悔。

 

 

「このままではお前さんもいつか死ぬじゃろう。それは……ワシには耐えられん。

 正規軍の方がまだいくらかマシなはずじゃ。英語ができれば後方に回される確率も高かろう」

 

「いいよ別に、今のままで」

 

「真面目に聞けい。 昔色々あったワシはもうここ以外に行ける場所はない。

 だがお前さんは別じゃ。その気になればどこへも行ける、どんな大人にだってなれる。

 お前さんには……まだ未来がある。その若さで死にたくはなかろう?」

 

 

 バーソロミュー・ブラウディアは自分の事を滅多に語らない。

 何故ここに来たのか、何故頭も良く技術もありながらこんな場所に定住しているのか。

 まともな人間がほとんど居ないこの地では彼のような常識人はひどく浮いて見える。

 

 それでも付き合いが長ければ見えてくるものもある。

 特に育ててもらったゼファーだからこそ、よく見えているものもある。

 バーソロミューがここまで世話を焼こうとする、ゼファーの未来に固執する理由。

 それは彼の優しい性格であり、情の深さであり、家族愛であり……彼が絶対に語ろうとしない過去に起因するであろう、執着や妄執に近い感情ゆえにだ。

 

 それを理解しても、ゼファーはどうでもいいと思考を一蹴する。

 恩義を感じているのは本当だし、そこにどんな感情や代償行為が混じっていいたとしても、優しくしてくれた過去と受け取った気持ちが霞むわけがない。

 

 だから、バーソロミューがいくら言葉を尽くしてもゼファーがその申し出を受けられない理由ができる。

 

 

「俺は死にたくなんかない。死にそうになったら、きっと他人を囮にしててでも生き残ると思う」

 

 

 ゼファーという少年に歳相応の夢や願いといったものはない。

 強いて言うなら「死にたくない」という誰にでもある当然の欲求が、少年の持つ唯一の願いだ。

 それしかない。

 狭い世界で生きている少年はそれしか知らないから、それ以外に願うものがない。

 

 欲しいものも願うものも無い人間は生きているのだろうか? それはある意味、死んでいるのと同じなのに。

 そしてそれを自覚した所で何にもなりはしない。自覚しただけで変われるほど、人間の心というものは都合よく出来ていないのだ。

 バーソロミューはそれに気づき、愛する子がそうなったことを嘆いていた。

 

 だが、少年は欲しいものはない。願うものもない。

 ……けれど、そんな現状でいいと思っているわけでもなかった。

 

 

「でも死なないだけってのも嫌なんだ。なんで生きてるのか分からなくなりそうで。

 ……それだったら、俺は恩人を守る為にここに居たい。

 それなら俺はまだ生きている理由を見失わなくて済む」

 

 

 死にたくない。

 そこから少し欲張って、生きている理由が欲しいと最近は思うようになっていた。

 

 

「生きたい、生かしたい、だからここに居たい。守りたい。それじゃダメかな?」

 

 

 生きることが自分の全て。そう思ってはいても、いつかはそうじゃない願いを持ちたい。

 

 少年はない頭で必死に考えた。

 自分は死にたくない、じゃあ他の人はどうか。

 死んで欲しくない人が居た。そうすると、死なせたくないともほんの少し思うようになった。

 死なせたくないと思えた人を守る事を、自分の生きていく理由に出来るんじゃないかと思えた。

 

 子供は視野が狭い。

 その上知っている事があまりにも少なく、成功と失敗の経験から選択肢を取捨選択することすら難しい。

 ゼファーが懸命に考えて出した結論はあんまりにも思慮が足らず、明日にも少年の死をもって悲惨な結末を迎えてしまいかねないものだった。

 けれどそれでも、彼の中に初めて生まれた小さくとも強い気持ち。

 

 生きたいという気持ちの次に芽生えた小さな気持ちは、誰かを守りたいという尊いものだった。

 

 

「俺はあなたを守りたいと思ったから、ここに居たい」

 

 

 だからこそ、その言葉は育ての親の胸を打つ。

 

 

「……バカもんが」

 

 

 最初に銃を構えて的を見てから、ゼファーは一度も振り返らなかった。今も振り返っていない。

 長い付き合いで育まれた、互いに対してのみ働く勘が、ゼファーに「後ろでバーさんが目頭を抑えて泣いてるよ」と囁くが、少年は無視して引き金を引く。

 二人は互いに言葉を発する事もなく、人の声ではない銃声のみが響き渡る時間が過ぎる。

 

 

 その日の夜に二人で食べた夕飯は、少しだけいつもより暖かった気がした。

 

 

 

 この物語は、出来損ないの子供が、どこにでも居る、普通のありふれた大人になるまでの物語。




この作品はダメダメで情けなくて時々精神を病んだりする主人公がシンフォギア装者やOTONAと出会ってちょっとづつマシになっていく話です

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