草木も眠る丑三つ時。最低限の光源のみで視界が確保された建物の中に、俺の足音は響いていた。
俺は一度立ち止まると、手に持ったパンフレットへと視線を向けて目的地を確認し、その方向へと今度は急ぎ足で進んで行く。
「やっぱり、光源が無くなったせいで雰囲気が変わってるな。物も移動させられてるし、パンフレットを取っといて正解だったな」
記憶頼りに動き回り、失敗してしまう事は出来れば避けたい。昼と夜では見え方が変わると聞いた事はあるが、まさかここまでとは思わなかった。
そうして目的の″書物″が置いてある部屋を淡々と目指し、俺はここを警備しているだろう人間達へ気を配る。
「と、早速お出ましか。ま、博物館に警備員は付き物か」
そう言って周囲を見渡せば、そこらかしこに沢山の展示物を確認する事が出来る。
そう、現在俺は展示物としてこの博物館に公開されているある″書物″を手に入れる為に態々こうして侵入していたのだった。
「さて、何の意味もなく昼間来ていた訳ではないと証明しようかね」
懐中電灯片手に制服姿の警備員が近付いてくるも、俺はそれを見ても焦る事なく指を弾く。乾いた音が静かな博物館へと浸透すると、薄っすらとした光が警備員の足元へと現れ、それは俺が呟くのとほぼ同時に効果を発揮した。
「眠れ」
バチン、と言う大きな音が響き渡ると、警備員は一度体を大きく仰け反らせてから意識を失う。
そんな彼を気にする事なく、俺とその隣を通り過ぎ先へと急いだ。少なくとも、彼が目覚めるのは一時間後の事となるだろう。
先程行使したのは電撃の術式であり、言わば死なない程度に手加減されたトラップである。頑張れば脳内信号に干渉し意識の停滞を引き起こすような術式を仕掛ける事も出来たのだが、一つの場所で立ち止まり続けるのはいかにも怪し過ぎる為断念する事となった。
人が一人仕事中に倒れてしまったと言うのも十分に大事ではあるのだが、まあ目撃されてしまうよりかは随分とましだろう。
「さて、それじゃあパパっと行きますか」
目的地を目指す俺の足は気を配る為軽いとは言えないが、それでも龍之介を連れて来るよりかは随分と早い筈である。
そんな思いを抱きつつ、俺は漸く目的の部屋へと辿り着いた。
その部屋の中にはやはり沢山の展示物が置かれていたが、その中でもやはり一際目立つのは″一枚の書物″が飾られているショーケース。それは人が触る事すら出来ないよう厳重に南京錠で鍵を掛けられている事から余程貴重な物なのだと判断出来る。
「それじゃあ、早速偽物とすり替えようかね」
そう言って俺は懐から飾られている物とそっくりな″偽物の書物″を取り出すと、ショーケースに付けられている南京錠へと近づいて行く。
この偽物は俺が似たような質感の紙を探しだし、魔術で風化させた事で一見見分けが付かないように出来ている。まだ科学の進んでいない今の時代ではオリジナルの方も詳しく調べられていないだろうし、この先調べられたとしても最初から偽物だったのだと思う事だろう。
「まあ、監視カメラが普及しだしたのは1999年からだから、今の時代ならこれが普通か。バンプキーで開けられるような物で鍵を掛けてるんだから……」
俺は呆れたような顔をしながら鍵穴へと特殊な鍵を射し込むと、鍵の頭をそこら辺にあった展示物で叩きながら捻った。
「はい、終わり」
そうすると、僅か一秒も掛からずに南京錠を開ける事に成功。最後の障害は呆気なく開いたのであった。
南京錠はピンシリンダーと言う構造で出来ている為、バンプキーと言うピッキングツールさえ手に入れば簡単に解錠する事が出来るのだ。
やり方も同じく簡単で、同じ形の鍵に加工を加え鍵穴に挿し込み、鍵の頭を叩きながら回すだけ。後はニュートンの法則に従って一秒も掛からずに開ける事が出来る。
時代が違うと言うのは色んな意味で便利なのだが、自分でやっておきながら少し不安になってしまった。
そうして偽物とオリジナルをすり替える事にまんまと成功した俺は、再び南京錠を掛けると何事もなかったかのように博物館の出口へと向かって行く。
「龍之介は近くのマンホールにいるって言ってたな。それにしてもまた寝床が下水道とは、俺の人生はどうなってるんだろうか……」
警察のお世話になる訳にはならない現状であるが故に仕方がない事だが、冬木に帰れば絶対に家を借りようと考えた。
――――――
翌日となるその日、俺は昼間の内に博物館へと赴き問題が起きていなかったかを確認した。
だが、ある意味拍子抜けの結果とも言える程に騒ぎは起きる事もなく、前日と同じように営業をしているだけだった。
恐らく、あの気絶した警備員が目覚めた後も報告をしなかったのだろう。仕事中に寝てしまったと思いその事が発覚する事を恐れたのか、俺にそれを知るよしはないが問題が起きていなかったのは俺に取って良い事である。
「ふむ、触媒も準備も整ったな……。そろそろ召喚する事にしようか」
そう呟いた言葉を目敏く拾った龍之介は俺が思わず引いてしまう程の速度で此方へと這い寄って来ると、興奮した様子で頬を染めながら口を開いた。
「え、やっと亡霊召喚するの旦那!? 俺スッゲー楽しみにしてたんだよ!」
「あ、ああ……まあな……。亡霊じゃなくて英霊なんだが、とにかくそうだ」
「やったぁ! どんな奴が出てくるのかな? 悪魔見たいなのかな? だとしたら生け贄とか要るから、俺今から捕まえて来るよ!」
「待ちやがれ変態野郎」
「ファガッっ……!」
立ち上がり下水道の出口へと向かい出した龍之介へと、俺はすかさず必殺魔術鼻穴バーストを叩き込み押さえ付けた。
これから召喚を行うと言うのに、何故こんな燃費の悪い魔術を使わせるのだ。
俺は龍之介を睨み付けながら立ち上がると、前日買い込んだある魔術を使う為の道具を手に取る。
「生け贄とか必要ない。必要なのは、今から作る簡単な魔術礼装だけだ」
詳しく説明するのなら、俺が作るのは結界を展開する限定礼装であり、予め定められた神秘を術者の魔力を用いて実行する物である。
龍之介が作っているカバラ数秘術の術式もある意味その限定礼装に入るのだが、残念な事に使い捨てであり使っている紙がなんの神秘も宿していない為本来の魔術礼装とは比べるまでもない。
「それに龍之介、召喚するのは丑三つ時だ。その時間じゃないとダメなんだよ」
「丑三つ時って何時?」
「夜中の2時頃」
そう言って準備に取り掛かった俺は、用意した品を改めて見直した。
結界を起動させる為の道具は系統で言えば陰陽五行に分類される類いの物や清められた塩等が殆ど。西洋の聖水でも問題はなかったかも知れないが、俺がやる事を考えれば念には念を入れる必要がある。
「聖杯戦争のルールを破るんだから、それ相応の事をしないとな」
そう言った俺は、恐らく非常に悪どい笑みを浮かべていただろう。
――――――
そして、時刻は亡霊が現れると言われている丑三つ時。
俺達は六本木に埋葬されているとある人生の墓の前でいそいそと準備に取り掛かっていた。
「あ、龍之介そこ違う。五芒星にするんだからもう少し右……。そう、そこ。そこに礼装置いてから塩盛っといて」
「亡霊の召喚ってめんどうだ……」
俺の指示にブツブツと文句を言う龍之介であったが、指示にはしっかりと従ってくれる。こうして見ると、龍之介を仲間にして本当に良かったと思う。
そうして龍之介が五芒星を書いている間に、俺は水銀を用いて英霊召喚の魔法陣を描いて行く。この水銀を揃えるだけで一体何個の体温計を買って砕いた事か。
本来ならば冬木市でしか召喚出来ない英霊ではあるが、それは聖杯のある土地の霊脈を使っているからである。英霊を招くのが聖杯ならば、聖杯の力の届く範囲でしか召喚出来ないのは必然だ。
アインツベルンの魔術師はそのシステムに介入する事でドイツでの召喚をしていたが、俺には残念な事にそれ程の腕はない為本来ならばここでの召喚は不可能なのである。
だが、英霊が元々その場にいるならば、話はその限りではない。
「悪いなハサン・サッバーハ。今回の聖杯戦争は休んでくれ」
そう、俺が行おうとしているのは、第五次戦争戦争でキャスターがした例外的なサーヴァントの召喚なのである。
アサシンのクラスはどんな触媒を使用しようとハサン・サッバーハと言う英霊しか召喚出来ないのだが、それを覆し可能としたのが神代の魔術師であるキャスターの力。
アレはその場にあった無名の剣士の魂を佐々木小次郎と言う偽りの形に変化させた故にとんでもない実力を必要としていた。俺では逆立ちしても真似する事は出来ないだろう。
だが、何度も言うようにその場に英霊がいるのならば話は別なのである。
ここでは冬木の聖杯の力が及ばない故に聖杯の補助を得た召喚は出来ないが、逆に言えば聖杯がハサン・サッバーハを押し付けて来る事もないと言う事。
問題となるのは、英霊の体を形成するエーテルを全て俺の魔力で補わなければならない事だが、それも冬木に行けば解消される。
後は、俺が英霊の魂と契約を結ぶだけなのである。
「さて、始めるぞ龍之介」
「これから殺し合いが始まるんだ……。暫く退屈ともおさらば出来るっ……! クゥゥゥッ……! 旦那っ! 早く召喚してくれよ!」
「分かったから、良いから、邪魔だから離れろよ」
相変わらず興奮すると人の話を聞かない奴だ。
とにかく、先ずは英霊の魂を呼びつけなければならない。その為の触媒として、目的の英霊の遺品である″書物″も用意した。
降霊術は専門外だが、ここまでの物が用意されているならそれも容易い事だろう。
俺は墓へと近付き″書物″を広げると、魔術回路を走らせてお経を紡ぎ始めた。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減」
その瞬間、周囲の空気が変わり生温い風が吹き始める。
龍之介も断絶した魔術師の家系とは言え、元々サーヴァントが召喚出来るような人間だ。魔術回路がある故に、この変化を感じ取ったのだろう。それでも、興奮している辺り色々と手遅れであるが。
とにかく、これは周辺の魂が寄って来たと言う証だ。ここからが正念場であり、少しでもタイミングを間違えれば失敗してしまう。気を引き締めて行こう。
「無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵依般若波羅蜜多 故心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究境涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提」
段々と周辺の温度も下がり、異臭が漂って来る。周辺を見渡せば、異様な数の白い人影が此方へと向かって歩み寄っていた。
それを見た俺は、すかさず足先を地面へと叩き着けて陰陽五行の結界を発動させる。
その直後、白い人影達は戸惑ったように動かなくなった。
急いで作った礼装故強い魂魄にはそれ程の効果は期待出来ないのだが、この程度の霊にならば効果はあったらしい。
そうして、結界を発動させた俺はお経を唱えるのを止め、目の前墓へと近付き首から下げる親父がくれたネックレス型の魔術礼装をその上へと置く。
「お前の願いは俺が叶えてやる。最後まで戦いたいなら、さっさとここに降りて来い」
呟き、魔術回路を痛みを感じる程に走らせる。
しかし、周辺に変化はなく結界の周りへと霊が近寄って来るだけだ。
眉を寄せ必死に耐えてはいるが、そろそろ限界である。このままでは不味いと考えた俺は、仕方なく礼装へと手を伸ばそうとした。
その時。
『――本当……ですか……?』
霊達の呪念を弾いていた結界を貫いて、そんな声が結界内へと届いて来た。
周囲を見渡せば、そこには未だ結界に弾かれている魂魄達だけ。
しかし、俺は確信を持った。
「本当だ。舞台は違うが、絶対に最後まで戦わせてやる。いい加減そろそろ限界なんで、決めるなら早くしてくれ……」
『――』
どうしようもなく体が痛い。平均的な魔術師以下の回路しか持たない俺に取っては、これだけでもとんでもない苦痛なのだ。しかし、ここまで来ればやるしかない。
苦痛に耐え、待つ事数十秒。
声の主は、漸く決断した。
『――分かりました』
それを聞いた俺は龍之介へと目配せをし、声を上げて指示を出した。
「やれ――!」
「分かった旦那!」
その声に答え、龍之介は足元にあった盛り塩の一つを蹴り飛ばした。
それは結界を越えて周辺の魂魄へとぶつかり、それに驚いた彼等彼女等はその場から離れて行く。
俺はその様子を横目に墓へと視線を向け問い掛けた。
「お前をアサシンのクラスとして現界させる。良いか?」
『――良く分かりませんが、はい』
同意を得た俺は、それにより漸く本来の詠唱を始める事となった。
閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。
繰り返すつどに五度。
ただ、満たされる刻を破却する。
――――告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者。
我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天。
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ。
その詠唱は周辺へと響き、墓の上にある礼装を発光させる。
目映い光を遮る為に手を伸ばし、光が収まってくれるのを待つ。
そして、光の収まったその時には、俺の目の前に彼女は現れていた。
「――新撰組一番隊隊長、沖田総司。貴方を主として、共に戦わせて頂きます」
色の白い、金髪のような白髪。
新撰組の代名詞とも言える羽織を着た彼女が、俺の目の前で膝を着き頭を下げる。
俺は口元を緩め、満足気に目を細めた。
聖杯戦争のルールを厳守するマスターが見たら激怒するだろうその光景だが、俺はそんなマスターに逆に言ってやりたい。
ルールとは、破る事で意味を成すのだ。ペナルティがあるからこそ、人はそのルールを守る。
だが、もしも最初からそのゲーム自体が破綻していた場合は?
手に入る筈の優勝商品がなく、勝ったとしても喜びすら与えてくれないゲームならばどうだ?
どうしようもなく、意味のない遊びだとは思わないだろうか。勝っても負けても得るものはないのに、破ったとしてもペナルティのないルールだけはしっかりと敷かれている。
そんな物であるのなら、一体どこに守る必要があるのだろうか。
破って破って破りまくって、楽しむ事が唯一の景品となるのなら、俺に取って正しいのは悪にならない程度のルール違反だ。
さて、全ての準備は整った。
それじゃあ聖杯戦争にカチコミと行くとするか。
これが俺の、聖杯戦争のやり方だ。