「あぁ……もう朝か……。蟲爺いつまで喋る気だよ。早く眠れよな……」
窓から射し込む朝日の眩しさに目を細めつつ、俺は間桐臓硯を監禁している部屋から体を這い出した。臓硯の時間感覚を曖昧にさせ精神的に追い詰める為に暗幕で光を遮断していたのだが、どうやらその負債が我が身に帰って来たらしい。
本来ならば手早くすませる手筈だったのだが、現在の俺は眠らないジジイに付き合ったせいでグロッキー寸前なのであった。
そんな俺の気配に気付いたのか、壁を背にして瞳を閉じていたアサシンは眠りから覚めその目を開いた。
「マスター、お疲れ様です。例の下郎との話し合いはどうなりましたか?」
「えっ? 外道?」
「下郎ですっ!」
アサシンは俺が部屋から出て来た事で話し合いが終わったと判断したのか、労いの言葉と問いを投げかけて来る。先程までは確実に寝ていた筈であるのに、聞き間違えた俺の言葉へと眠気を感じさせない的確な突っ込みを入れる様はやはり武士なのだと俺に再確認させた。
そんなアサシンの質問に俺は長時間の話し合いで凝り固まった背骨鳴らしながら、詳しい内容を省いた結果のみを伝える。
「ん、まぁ取り敢えずはコッチの有利になり過ぎず、かと言って向こうの有利になり過ぎずって感じだな。予定通りの落とし所と言って問題はない」
「なんだか不本意な所で称えられたような気がしましたが……。しかし、と言う事は……」
「あぁ、あの幼女の親権は勝ち取ってやった。まぁ、あのジジイに言わせたら所有権らしいがな」
「……っ! おめでとうございます!」
そう言った俺の言葉にアサシンは嬉しそうな表情を浮かべると、声を張り上げてそう言った。
しかし、この家は一軒家であるとは言え時間が時間である。隣接されてる家に声が届かない訳がない為、俺は人差し指を口元に一本立てて静かにしろとジェスチャーを送る。
アサシンは初めはそのジェスチャーの意味が分からなかったのか首を傾げ疑問符を浮かべていたが、俺が追加で布団に寝ていた幼女を指差すと漸くその意味を理解したようであった。
「すいません……」
「いいさ、お前は今回の作戦の立役者だったからな。大目に見ておく事にするさ。この程度の部下の粗相、近藤勇なら笑って許す」
「マスター……」
そんな俺の言葉に何を思ったのか、アサシンは目を細めて俺に笑顔を向けて来た。何故かわ分からないがイラっとした為、やっぱり頬を捻ってやる事にする。
「なんだその、『この外道にも人の心が……』と言いたげなその顔は」
「いひゃいですまふたーっ!? わらひくひにらしてまへんよ!?」
「ほほぉ、つまり心では思ったと……」
「――!?」
「フハハッ、貴様の考えてる事が手に取るように分かるぞ。お前、生前で詐欺にあった口だろう? 阿呆め」
「ぅぅっ……こふっ!?」
俺の言った事が図星だったのか、涙目になったアサシンは堪え切らないとでも言うように俺の頭へといつもの如く吐血の雨を降らせる。数ヶ月で鍛えたカウンターも、アサシンの両頬を抓り上げている状態では意味を成さず、俺は文字通り血を見る結果となった。
竜之介とは違う意味でネチャネチャにして来るアサシンにため息を吐くと、常に常備しているハンドタオルで血液を拭いながらある一点を指差し俺は口を開いた。
「ほらアサシン、どうやら幼女が起きたらしいぞ。お前にはない色気を放つ幼女だ。しっかり見て学べ」
「ぅぅっ……子供と比較される私って……」
先程の俺とアサシンのやり取りで目が覚めたのか、間桐から拉致って来た少女はハイライトの消えた瞳を開き、子供とは思えない雰囲気を放ちながら緩やかに上半身を起き上がらせた。因みに、アサシンより色気を放っていると言うのは心からの本音だ。
アサシンは俺の言葉に肩を落として暗くなりながらも、やはり彼女が心配だったのかすぐに優しげな笑みを浮かべて話し掛けていた。俺もそれに便乗し、幼女が少しでも話し易い雰囲気を作ってやる事とする。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「煩くて起きたのに快眠な筈ないだろ。バカなんだろ?」
「うぐっ……。あ、あはは、気分はどうですか?」
「遠慮する事はないから素直に言ってやれ。朝一番に自分を攫った誘拐犯の顔を見て良い気分なる奴がいると思うのかとな。バカなんだな?」
「ぅぅっ……。で、ですが安心してくださいっ! 私達は貴女に危害を加えるつもりはありませんからっ!」
「おい幼女、鏡はそこにあるから好きに使え。口元の血液のどこに安心出来る要素があるのかと、小一時間無垢な表情で問い詰めてやれ。バカだ」
「――こふっ!?」
最早問い掛けですらなくなった俺の言葉でとうとう限界が来たのか、アサシンはせてめ少女に掛からない様にと顔を背け吐血した。朝日に照らされた血液はキラキラと光を反射し、まるで最高級のルビーのよう。
「いや、やっぱムリ。血液は血液だわ」
表現を幾ら変えようとも俺の目に映る血塗れなフローリングに変わりはなく、結局いつものように掃除しなければならないのかとため息を吐く。
しかし、今はそれよりもと俺は視線を動かし上半身を起き上がらせた少女を視界に収め、その前に陣取り胡座を掻いて話し掛けた。
「やぁ幼女。興奮した大きなお友達の前に突き出されたくなければ、その完全に『私事後です』とでも言うような目を止めて早々に質問に答えろ」
「……はい」
ハイライトのない瞳は結局治っていないが、俺の質問には抑揚のない声で素直に返事を返して来る。これは重症だと思いつつも、これが心の壊れた人間なのだと認識した。幸い質問には答えてくれる様なので、俺はアサシンを放置して次々と質問を始める。
「まあ、取り敢えずおはよう。先ずは君の名前を聞いておこうか」
「……桜……です」
「じゃあ桜と呼ぶ事にする。良いな?」
「分かりました……」
あくまでも機械的に答える様子は、臓硯の言っていた通り出来の良い人形と言った感覚だ。必要な事だけを口にし、それ以降自分から口を開く事はない。
その反応を見た俺の感想を一言で表すのならば、色々とやり難い、と言うのが適切だろう。俺は相手を煽る事は大の得意だが、目の前にいる幼女改め桜はその煽るべき感情が極端に薄いのだ。煽った所で舞う火がない。
「これは、手こずりそうな予感がするな……」
面倒臭さいと思いながらも、俺は先ずは仕切り直そうと朝食の準備を始める事とした。
――――――――
数時間程前の事。
暗幕であらゆる光を遮った部屋の一室。その暗さのせいなのか部屋へと満ちる空気は重く、ドンよりと濁ってるいるように思える。
俺はそんな部屋の中で、現在は目の前のアクリルケースに閉じ込められている間桐臓硯と言う約五百年もの時間を生きた化け物と対峙していた。この話し合いは計画の第一段階の締めに当たる為、失敗は許されない。
『それで、詳しい話を聞こうではないか小僧』
「そうだな。それじゃあ、先ずはクソジジイを捕まえるまでの経緯を話す事としよう」
その臓硯の声に答えた俺は、癪に障ったのか射殺さんばかりの眼光を向けてくる臓硯の視線を受け流し会話を続けようとする。
実際のところ内心ではかなりヒヤヒヤしているのだが、命の価値を等価にしたと言った手前何があっても表面には出せない。この場合、流石は数百年生きた人外だと臓硯を褒めるべきだろう。
一度息を吐き、俺は呼吸を整える。さて、では今回の計画の概要を話す事としよう。
「先ず一つ。俺はある情報源から、アインツベルンの魔術師が前回の聖杯戦争でルール違反を起こした事を知った。勿論情報源については話せないが、その結果俺は今回の聖杯が使い物にならない事も知ったって事さ」
『だが、その情報源が話せんのなら儂が貴様の言葉を信じる理由はないの』
「その通り。だから信じる信じないについて俺は口を出さないし、例えアンタが俺を出し抜いて聖杯に願った所で何も思わない。どうせ思った通りにならずに破滅するのが落ちだからな。だから、これについてはアンタが自分で結論を出すと良い」
歪んだ形で願い叶える呪われた聖杯。そんな物の力に頼って不老不死を願ったが最後、碌な結末にならない事は想像に難くない。元より俺の交渉のカードは別の別のものなのだから、穢れた聖杯について話を続ける必要はないだろう。
臓硯は原作知識から知り得た情報故証拠の提示出来ない俺の言葉に何も答えなかったが、否定してこなかった辺り自分で調べる算段なのだと予想する。
「まぁ、それもその制作期間四ヶ月の封印擬きが解けたらの話になるがな」
『忌々しい小僧じゃっ。“封印術であったのならば”解除も容易だと言うにっ……』
そう言った俺の言葉に臓硯は苛立った様子でアクリルケースを小突くと、再び解析する類の魔術でも行使したのかイライラを隠そうともしなくなった。俺からすれば解析の魔術は超難易度の魔術なのだが、それをこうポンポン使われると嫌でも実力差を理解してしまう。良く捕獲出来たものだと自分を褒めてやりたい位だ。
「すまんな。封印術には明るくなくてね。知性のない獣相手には意味のない代物ではあるが、アンタには効いてくれたようで嬉しい限りだよ」
アクリルケースに手を這わせ口元を歪める俺は、今回の案は正解だったと改めて思いを馳せる。
元より俺は現象の再現をする魔術以外は専門外である為に、今回の捕獲作戦については封印術を使う事が出来なかったのだ。知識を無理やり頭に詰め込めば簡易封印は出来たかも知れないが、即席で覚えた付け焼き刃の魔術で臓硯と言う人外を捕獲するには余りにも心許ない。故に今回俺が考えたのは、別方向からのアプローチであった。
――封印術が使えないのなら、使わなければ良い。
そうして生み出されたのが、目の前にある二つの魔術を併用されたアクリルケース。
魔術師の家系に生まれたのならば普通は教えられる工房の作成方法と、俺の十八番である現象再現の数秘術。
何も獣を捕獲する訳ではないのならと、俺は生物であれば誰もが持っている命を握る事とした。
今回俺が相手にしたのは言葉を介する事の出来る相手で、その上“不老不死”を望むような最高の相手だ。命を握る事が出来たのならば、大きな行動制限を掛ける事が出来ると判断したと言う事である。
結果は、見ての通り。
「それじゃあ、アンタを捕まえるまでの経緯を話し終えた所で、議題を元に戻すとしよう。内容は言うまでもなく、俺がアンタに何をして、アンタが俺に何をするかだ」
『……』
俺の言った言葉を最後に、臓硯の雰囲気も苛立ったものから魔術師のそれとなる。これから行われる話し合いに、お互いの等価を持って挑むと言う事だろう。
数秒の沈黙。
先ず言葉を発したの、この場を作り上げた俺だった。
「俺がアンタに要求するのは二つ。知識と実物だ」
『ほぉ、一体なんの知識を欲する小僧。まさか儂と同じ体を手に入れる外法か?』
「まさか、冗談」
そんな事は頼まれてもお断りだと、お俺は大袈裟に大手を振って否定する。長生きとはとても魅力的ではあるが、目の前のジジイのようになると言うのなら話は別だ。
臓硯はそんな俺の嘲笑いの混じった言葉に自らの不老不死の願いを侮辱されたとでも思ったのか、アクリルケースの中から殺気を迸らせている。
それに対して少し苛ついた俺は、アクリルケースに新たな数列を刻みつつ、臓硯へと更に言葉を連ねた。
「そうカッカッするなよ。手が滑って術式を追加しちゃうじゃないか」
『おい小僧ヤメロ』
「それでだがな、俺が欲しいのはある魔術の知識なんだ」
『聞け。そんな事をすればこの術式が崩壊するかも知れんぞ? 良いのか?』
「生憎俺の属性は火だけでね。術式を用意すれば他の属性を使えない事はないんだが、なんと言っても効率が悪い上に今回のはそれじゃ逆立ちしても無理なんだ。……因みに、そのアクリルケースは全ての術式が単体で起動している故に崩壊はあり得ない」
『……この外道が』
外道に外道と言われるとは、俺の悪名も高まったらしいな。余りの嬉しさに、苛立ちと術式を刻む手の速さが神懸かって来たぞ。
「クハハハハハッ……!」
『……』
臓硯もう何も言わない。これでアクリルケースの術式解除は更に困難を極める事となるだろう。
そうして幾つかの術式を刻み終え満足した俺は、臓硯へとニヤついた笑みを浮かべながら再び話を元に戻す。
「それで俺が欲しい知識だが、それは――」
視線を隣の部屋へと飛ばしそこにいるだろう人物を頭に思い浮かべ、俺はその言葉を放った。
「――虚数属性の知識。それをあの部屋にいる幼女と共に欲しい」
『貴様それはっ!』
此処に来て初めて聞いた臓硯の焦った声。
だが、それもそうであろう。これから起こる事を事前に知っている俺からしてみれば、それは自らの計画を一つ潰す事と同意義だと知っている。既に魂が大きく磨り減っている臓硯にとってその要求は自らの寿命を差し出す事と違いないのだろう。
しかし、だが。
「断れないよなぁ? その体にガタが出始めている事は例の如くある情報源で知っている。だから俺がそのアクリルケースの術式を解除しなければ、アンタは蟲の交換すら出来ない。一体どれ位もつかな? 一年か、半年か。はたまた数ヶ月って事もあり得るかな?」
今俺は正しく臓硯の命を握っているのだ。臓硯ならアクリルケースの魔力の流れを変える事は容易かも知れないが、既に半分起動している術式に干渉するとなると話は別だ。ふとした拍子に完全起動等したら笑い話にもならない。
俺より長く生きている臓硯にそれが分からない筈もなく、奴は言葉を発する事無く俺の言葉に耳を傾けていた。
「それで、どうする? 勿論黙りを決め込まれたら俺も困るから、アンタにとって有益な情報をもたらそう」
『……先にその有益な情報とやらを話せ。虚数属性についてはそれからじゃ』
「ほぉ、つまり虚数属性については知っていると言う事か。これは良い事を聞いた。余裕がなくなって来た証拠だ」
『……チッ』
臓硯の放つ舌打ちに気分の良くなった俺はクツクツとした笑い声を漏らすと、本当に黙りを決め込まれても困る為軽い謝罪を述べて臓硯へとその情報を話す事とした。
「ハハハッ、すまんすまん! 俺も切羽詰まってるんだよ。本当にアンタに死なれちゃ俺も道ずれになるからな。情報はしっかりと話してやる。等価交換の鉄則だ」
『等価交換じゃと? 儂が差し出すのは『命』と『桜』と『知識』の三つじゃ。釣り合いがとれとらんわっ!」
臓硯の怒声により、この部屋の空気がピリピリ振動した錯覚が襲う。まるで、声そのものが物理的な力を得たかのよう。
俺はこれが数百年生きた人外の気迫かと思いつつも、臓硯の言葉へと首を振って答えた。
「いいや、釣りは取れてるよ。だから答えてやる。俺が差し出すのは、アンタの『今後の命』と『情報』。そして――」
――確実な根源への到達方法だ。
『――なっ!?』
臓硯の驚愕の声が、俺の言葉を真実だと判断した事を理解させた。数百年生きた人外だからこそ、真実と虚実を見通す目は凄まじい。故に、この場で俺は真実しか語らない。
「さあ、話を煮詰めるとしようか。『根源』へと繋がる――『両儀』の家について……な?」
それが実行可能かは、保証しないがな。
「クククッ……!」
まさに外道!
補足
『両儀』空の境界 出演
両儀式
直死の魔眼保有者。その身は『』(から)と言う場所に繋がっており、『』とは根源そのものであると言える。
故に彼女さえいるのならば態々根源へと辿り着く方法を模索する必要がなく、存在する道を辿るだけで根源への到達が可能。
しかし、その戦闘能力は凄まじく捕らえるのは容易ではない。