画家が描く!   作:絹糸

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第8話:帝都の色町

 

 女が男に体を売る場所。

 色町というのはそういう場所だと大人だって勘違いしているだろうが、実際のところは違う。

 男が、女の体を、男に売る場所。

 それが古今東西の色町というものの実態だ。

 要するに、売り手も買い手も男で、その間に挟まる『女』というものは商品としてしか扱われていない。

 

 男が通る極楽道、女が通る地獄道。とはよく言ったものである。

 華やかさと惨めさ。美しさと醜さ。絶頂とどん底。それら全てが絢爛と花咲く色町に、響く娘たちの嬌声は断末魔となんら代わりない。

 惚れるにしろ惚れられるにしろ騙し合いでしかなく、稀に紛れる誠の愛すらも、苦痛の茨としかなりえない。

 ここはそういう世界だ。

 

 

「それでもやっぱり、同情心は湧いてこねーんだけどさ」

 

 

 吹き込む夜風は麻薬を含んでいる。

 あくび混じりに呟いて、僕は窓から見渡せる夜の色町を何の感慨もなく眺めた。

 

 ここで怒りを覚えたなら僕にも正義の味方の資格があるかもしれない。逆に愉悦を抱いたならば悪党の才能があるかもしれない。

 が、実際に生じたのは、普段自分が読んでいる漫画よりつまらないものを『稀代の名作』と偽って読まされた時のような感覚で、つまりは拍子抜けだった。

 

 この程度を地獄と呼ぶならば、僕の地元は一秒たりとも途絶えることなく常に地獄以上の光景が展開されていたことになる。

 

 殺した父親の死体との性交をその犯人に強要される娘、まだ肉の柔らかい体を食料として集団で踊り食いされる子供、少ない泥水をすする権利のために命の恩人にすらも刃を振るう男、珍しい食物を独り占めしたいがために己の夫と赤ん坊を何の躊躇いもなく背後から刺し殺す女、たった一つのパンのために血の繋がった孫を新薬の実験台として売り飛ばす老人。

 

 そんな外道と呼ぶにも足りぬ有象無象が“普通”のくくりに分類されるようなあの集落で、大勢いる『家畜』ではなく数少ない『愛玩動物』としてそれなりに丁重に扱われていた僕は、いま思い返しても本当に恵まれていたほうだと思う。

 

 籠の鳥が可哀想なのは籠の外が平和ならの話。

 自由の世界と謳われる“外”が、餌もなく水もなく、力無き身を貪ろうとする捕食者共がうようよしているような場所だという前提条件があれば、むしろ観賞用として狭い場所で保護されることは幸せとも言える。

 そりゃ首輪とか付いてたし、着せてもらった服もだいぶ薄っぺらくて冬はちょっと寒かったけど。それでも『家畜』として扱われた他の面々に比べればマシだ。

 

 なにせ彼ら彼女らときたら、雨の日も雪の日も全裸で外に放り出されるのが当たり前。

 食べるものは草木や糞尿、虫の死骸。ご馳走としてたまに人の腐肉。といった悲惨な生活にも関わらず、飼育主からムチでぶっ叩いて子供の繁殖を強要されるのだ。

 生まれた子供たちは、そこからある程度の年齢まで育て上げられたあとやはり『家畜』と『愛玩動物』に選り分けられ、もう繁殖能力を失った『家畜』は、解体されて食糧として格安で市場に出回る。

 

 『愛玩動物』も容色が衰えればやはり食用として解体されて最後には食卓のお肉になる運命だが、僕はそうなる前に逃げ出せたわけだし、やはり地元の人間の中でもぶっちぎりにラッキーな部類だったと思う。

 最底辺の中での最高にどれほどの価値があるかは謎だけれど。

 

 

「しかし、本当にナイトレイドが襲撃してくるってのかい?」

「ええ。最近、ここいらをこそこそと嗅ぎ回っている連中がいましてね。きっと俺が麻薬の密売組織の一員だってバレたんでしょう」

 

 

 呟きに反応して、近くで遊女を侍らせていた男――えっと、名前はなんと言っていただろうか。

 とりあえず眼帯つけててチンピラっぽい風貌だから、ヤクザから一文字とってヤーさんと呼んでおこう。ヤーさんが質問に答えてくれた。

 

 僕が帝都警備隊の所属と知っておきながら自らの悪行をバラすとは、この男、馬鹿なのかそれとも大物なのか。

 まあ、十中八九、僕を自分と同じ穴の狢だと判断しただけだろうけど。

 麻薬でラリって床に伏せている遊女のお姉さん方を見ても眉一つしかめなかった辺りでそう勘違いされたらしい。

 

 部屋の中央に置いてある巨大な香炉のようなものからは、気化した麻薬が毒霧の様相を呈して室内に立ち込め、なんともまあ禍々しいことこの上ない空間を演出していた。

 僕はこういうトリップ系のヤバイお薬とか耐性あるから良いんだけど、ヤーさんと、なんかその隣にいる爬虫類みたいなビジュアルしたお兄さんは何で平気なんだろう。

 中和剤とか飲んでるのかな。もしくは常時ラリってて今さら薬でハイになっても見分けがつかないだけとか?

 

 

「で、ルカさん。護衛代の件ですが、本当にタダでよろしいんですか?」

「ん。別に金欠じゃないしね。帝都警備隊としての仕事っていうより、同僚の好感度を上げておきたい僕。そして殺されたくないお兄さん方。利害は見事に一致したわけだ」

 

 

 本当はセリューちゃんと一緒にナイトレイドに狙われている噂のあるチブルさん家の周辺で張り込んでおく予定だったけど、こっちも狙われてるらしいという話をセリューちゃんに持ち込んだら、「ルカくんはそちらをお願いします。二手に分かれて悪を滅しましょう!」と託されてしまった。

 

 いま思えばそれで正解だ。

 セリューちゃんがこの色町の惨状を見たら問答無用で正義執行しちゃいそうだし。

 

 別にヤーさんたちが殺されても僕にはなんの痛手にもならないけれど、それでセリューちゃんに上から罰が下ったりして、最終的にセリューちゃんが今の帝国に疑問を持ってしまったりするのはとても困る。

 

 何度も言うが、きっとセリューちゃんが僕と仲良くしてくれるのは今のセリューちゃんが狂気に呑まれているからだ。

 正気に戻れば離れてしまう。そうなってしまわないために、僕はセリューちゃんの狂気を積極的に保護していこうと思う。

 その過程で誰かが死ねばその誰かが弱かっただけだし、僕が死ねば僕が弱かっただけだ。そこでいちいち善悪について考える上等な神経を僕は有しちゃいない。

 

 

「ルカさん、あんたも中々に情のない男だな」

 

 

 ニヤつきながらヤーさんが手にした酒をべろりと舐め上げる。

 生々しい音は、犬が水を飲む様を思わせた。

 

 

「腐った場所で育って腐るなら気は確かさ」

「はは、違いねぇ」

 

 

 軽口に乗ってやれば、どうやら返答がお気に召したらしいヤーさんは上機嫌で僕にも盃を渡してきた。

 それを手だけで断って僕は立ち上がる。

 

 

「どうかしましたか?」

「んー……なんか気配を感じた気がしたんだけど。勘違いだったかも。ちょっと薬が回ってきたかな?」

 

 

 手のひらをじっと見つめてグーパーしながら僕は唇を尖らせる。

 耐性があると言っても、効果がそこまで強烈に現れないってだけで完璧に効かないわけじゃない。

 これだけ長時間吸っていると、さすがの僕でもちょっと五感が鈍ってきた。

 もっと吸い続ければ地べたのお姉さんたちみたいにヨダレ垂れ流しハッピーモードになってしまう。僕のアヘ顔なんて僕でさえ見たくない代物だ。

 

 「そりゃ申し訳ねぇ。別室に酒と料理と女を用意してますんで、ささ、どうぞ」と、ヤーさんは何故か馴れ馴れしげに僕の肩を抱いて別室への移動を開始した。

 ……店で遊女しか扱ってないってことは、男色の気がある人ではないと思うのだけれど。

 それなのに男の僕にここまで密着するってことは、よほど気に入られたに違いない。

 

 

「他人の不幸好きが転じて、不幸そうな人間を好むようになった……とか?」

 

 

 こっそり独り言を漏らしながら気に入られた原因を思案。

 うん。この可能性がわりと高そうだ。

 

 自慢じゃないが、僕は見ただけで人に「可哀想」と思わせることにおいて他の追随を許さない。

 冷静に考えて僕よりよっぽど不幸な目に逢っているような人――たとえば四肢をもぎ取られている最中の女性だって、昔から、僕を目の前にすれば憐れみの光をその瞳に揺らしたものだ。

 この体質(?)を忌避するでなくむしろ積極的に利用してきたからこそ、僕は今日まで生き残ることに成功している。

 

 プライドとか高潔さとか、そういうのは生きていくために全部かなぐり捨てた。

 自分は人の同情心を餌にして生きる新種の動物なのだと、そう思い込めば子供のヤワな精神でも折れることなく日々を過ごせたし、浅ましく憐憫を乞う毎日も苦痛では無かった。

 嗚呼、本当にラッキーな僕。天国には生まれられなかったけど、地獄に生まれてその責め苦を少ししか味あわずに済んだなら、それは幸福と称してなんら変わりないことだと思う。

 

 たとえ人に否定されようとも。

 自分が幸福だと思い続けていられるうちは、どんな人生だって幸福なのである。

 

 

「なあ、お兄さん。あっちで転がってる遊女のお姉さん方、不幸だと思う? それとも幸福だと思う?」

「そりゃあ、不幸なんじゃないですかね。薬漬けで体売ってんだから」

「ふうん……」

 

 

 蕩けた笑みで喘いでいる彼女たちを見れば、とてもじゃないが不幸そうには見えないのだけれど。

 どうやらヤーさんの目には遊女のお姉さん方は不幸に映るらしい。

 

 何をもってそう判断したのだろう。

 麻薬に侵されているから?

 売春を行っているから?

 

 だからといって不幸だとは限らないのに。ひょっとしたら望んで今の道に堕ちたのかもしれないじゃないか。

 人生を捧げても悔いはないと感じるほどのものに出会えたならば、たとえそれが麻薬だろうと恋人だろうと、本人は満足しているだろうに。

 

 

「……なんてことを素で考えちまうから、僕はどっか可笑しいって人に嫌われるんだろうなぁ」

 

 

 だからこそ。

 だからこそ、セリューちゃん。

 僕はやっと出会えた気狂いの君を――僕を愛してくれるかもしれない君を、手放したくないんだ。

 

 

「そのためなら、命くらいは懸けるぜ」

 

 

 遠くにいる愛しのクレイジーガールを想って、僕は背中のアーティスティックをすっと指先で撫ぜた。

 

 さあ、早く来ておくれナイトレイド。

 僕が彼女に愛されるために君たちを殺させて頂戴。

 

 





インフルエンザやっと完治したと思ったら今度はウイルス性胃腸炎ですよチクショウ。
でもそれもだいぶマシになってきたので明日からはバリバリ更新していこうと思います。


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