「裏切られたぁ……」
飲み干したばかりのビールジョッキでテーブルを叩く。
不貞腐れてテーブルへ頭を乗せだらりと上半身だけうつ伏せになり、煽りに煽った酒のせいでやたらと血色が良くなってしまった僕に、目の前に座るセリューちゃんは「まあまあ」とたしなめるような仕草を見せた。
アルコールが回ってきたせいで口数も増えてくる。
なんだか愚痴ばかり言いたいようなブルーな気分に飲み込まれて、そのくせやたらと絡み上戸になるのだから、まったく厄介な酔いどれだ。
「なんで裏切ったのさぁー……迷子の少年を見つけたらモデルになってくれるって言ってたじゃんかよー……ぐすっ。金髪美女ぉ……イイ女は嘘で着飾る生き物ぉ……神秘のベールで己が身を包むぅ……」
「後半は何が言いたいのか全然わからないですけど、とにかく元気出してください! きっとルカくんとその女性には縁が無かったんですよ!」
「ぐすん……もう僕は駄目だ。セリューちゃん、傷心の僕を慰めておくれ……結婚したら子供は一個小隊ができるくらい欲しいな……うぅっ」
「なんでルカくんを慰めるために私が結婚しなくちゃならないんですか、もう! あとちょっとドキッとしたのが悔しいです!」
お互い酒が入っているせいで、ちょっと支離滅裂な会話になってしまっている感は否めない。
セリューちゃんはややテンションが高くなってるくらいだが、僕に関してはまともなのが思考回路だけで、口から出る言葉にほとんど制御が効いていない状態である。
傍から見ればいい年こいた大人がヘベレケでなんとも見苦しいに違いない。なにせこの会話の合間にも酒瓶を空け進めているのだから。
何故こうなってしまったのかというと、話は数時間前に遡る。
無事にタツミくんを見つけ出しスラム中央まで戻った僕。
合流し、これでレオーネさんに約束通りモデルやってもらえるぜイヤッホーと歓喜しつつ彼を引き渡せば、そこで彼女は首をかしげてこんな発言を投下したのだ。
――「え? たしかにお姉さん、人探しを手伝ってほしい、お金ちょうだい、とは言ったけどさぁ。アンタの『タツミくんを探し終わって、お金を渡したら絵のモデルお願いしますね』って言葉にYESと返した記憶はないよ?」
思い返してみれば確かにそうだった。
僕はレオーネさんの返事を待つ暇もなくタツミくん探しに駆け出してしまったし、そう言われてしまえばもう自分の不注意という形で飲み込むしかない。
せっかく休日返上で迷子探しなんてしたのに、まさかこんな罠があっただなんて!
そう強い衝撃を受けて地面に這い蹲る僕を尻目に、レオーネさんはタツミくんの肩を抱いてさっさと帰って行ってしまったのだ。
そしてセリューちゃんが路上で悲嘆にくれる僕を見つけて保護。
帝都警備隊の詰所近くにある馴染みの飲み屋でやけ酒に付き合ってもらう流れとなった。
「騙されるほうが悪いんだけどさぁ……それでも愚痴をこぼすくらいは自由だよな……はぁ」
いつもならすぐ吹っ切れるネガティブな気持ちが、酒のせいでむしろ深まっている気がする。きっと百薬の長が体に合わない人種なのだろう。
「そんな年上のいかにも経験豊富そうな女性に手を出そうとするから痛い目を見るんですよ。やっぱり付き合うなら同い年が一番です」
ちらりと、頬を桃色に染めて意味ありげな視線を僕にくれるセリューちゃん。
そういえば、僕も彼女も共に20歳だ。
「おやおや? そういう目で見てくれるってことは、僕ってひょっとしてセリューちゃんの“男”になる資格があったりするのかい?」
「うふふー。さあ、どっちでしょうー?」
互いにすっげーニヤニヤしている。
酔っ払い同士の笑顔が絶えない適当な対話。
本気か冗談かなんて、そんなのやりあってる当人たちですら理解していない。
酒が回っているせいもあるのだろうか。
童顔気味で普段は『女』よりも『少女』を感じさせるあどけないセリューちゃんの容姿が、今日はなんだか蠱惑的でしっとりとしたものに映る。
小ぶりなチューリップが大輪の牡丹に変わったような、そういう雰囲気だ。
「そういえばルカくん。さっき言ってた『愛してるけど恋してない』みたいな言葉、あれの意味解説してくださいよー。ちょうどいい感じで酔っ払ってきたところですし」
備え付けのうちわでパタパタと顔をあおぎながら、セリューちゃんはそう切り出した。
「ああ、アレなぁ。詳しく語りだすと長いタイプだから、だいぶ略して話すけどそれで良い?」
もちろん、とばかりに頷いてくれた。
揺れるポニーテールの毛先にコロくんがじゃれている。
「えっとな。わかりやすく説明すると、僕にとっての愛と恋は、別物だけど完全に別物ってわけでもねーんだ。愛の中でも『無償の愛』とか『見返りを求めない愛』とかそういう風に定義づけられてるものを、僕は勝手に恋って呼んでるのさ」
「ほほう。つまり『愛してるけど恋してない』は、イコール『貴方を愛しているから何か下さい』ってことなんですか?」
いんや、と僕は首を横に振る。
「見返りには、“何か”じゃなくて“好意”が欲しいの。つまるところ、僕が人に愛してるって言うときは、直訳すると『大好きな貴方のために色々と頑張るので貴方も私を好きになってください』とかそんな感じだね」
「それが“恋してる”だとどういう意味になるんですか」
「『貴方が幸せでさえいてくれるなら私を嫌いでも構わない』、かな」
だから僕は恋ができないのだ。
残念ながらそこまで高尚な気持ちを抱けない。
好きな相手には好かれたいし、嫌われたくないし、冷たくされたくないし、傍にいて欲しい。
僕の愛はいつだって欲深いのだ。
だからそんな、相手の幸福さえ守れるなら自分の傍にいてくれなくても良いとか、相手が不幸にならないためなら自分が嫌われても良いとか、真心のこもったことは考えられない。
むしろ僕は、不幸なままじゃないと僕を好きでいてはくれないような相手を愛しく感じた時、その相手に優しく接しながらじわじわと逃げ道を塞いでいくタイプだ。
だって君が幸せになったら僕を嫌いになってしまう。そんなのイヤだ。だったらずっと不幸せなままで、僕を好きでいてほしい。
なんてことを、悪びれもせずに考えて。
「つまりね、セリューちゃん。僕は君に嫌われたくないの。僕を好きでいて欲しいの。君が幸せなら僕を嫌いでも構わないなんて、そんなことは思えないね。君に微笑みかけてもらえないのは嫌だよ。そんなの寂しいじゃないか」
「それがルカくんの『愛してる』ってことなんですね」
「ああ。打算と我欲に満ちあふれた感情だよ」
けど僕は、いざとなったらその愛のために――愛しい相手に嫌われたくないという想いのために、たぶん、命くらいは平気で懸けられるのだと思う。
だって、誰かのために死ねば、たぶんその誰かは僕との思い出を永遠に好ましいものとして記憶し続けてくれるだろうから。
そんなことを素で考えているから、僕の“誰かのため”は、やっぱり“自分のため”でしかなくなってしまうのだ。
「それで良いんじゃないですか?」と、セリューちゃんは呟いた。
「好きな人に好かれたいとか、当然の心理だと思います」
「……そうかな。でも僕、好きな人が地獄でしか僕を愛してくれないなら、天国に行こうとするのを徹底的に邪魔するタイプだぜ」
「それはまあ、ちょっと珍しいかもしれませんけど」
まさか自分のことだとは思っていないセリューちゃんは、僕をフォローするために頑張って言葉を探してくれているようだった。
――彼女は今、彼女自身が気づいていないだけで、きっと不幸な状況にあるのだと思う。
正義に命を捧げておきながら、その正義の実態が、実は信じるものとはかけ離れている。
そして、それを知る由もなく彼女は日々狂奔とでもいうべき正義執行を繰り返す。
きっと彼女の真の幸福を願うなら――彼女に恋をしているなら。
僕は彼女の語る正義をひたすら肯定したり、彼女の正義執行に協力したりすることなく、たとえそれによって彼女が傷つき僕を嫌いになったとしても、彼女にその“正義”の真実を突きつけることだろう。
一度はぽっきり折れてしまっても、強かなところのあるセリューちゃんならきっと立ち直って新たな正義を見つめ直してくれるはずだから。
が、僕はそうしない。できない。
だって彼女がまともな正義に目覚めてしまったら、狂気から正気に転じてしまったら。
僕みたいな《ゴミ溜め》生まれの感性が腐った異物は、もはや彼女と一緒にいられなくなってしまう。
「本当に嫌な奴だよ、テメェは」
グラスに映った自分の顔を軽蔑混じりに嘲笑って、静かに酒を飲み干す。
ごくごく小さな僕の声は、周りの客たちの喧騒に紛れ込んでセリューちゃんの耳には届かない。
僕は僕が嫌いだけれど――最も気に入らないのは、嫌いなはずの自分が、結局のところ最愛の存在であることだ。
ずっと自分が一番だから。だからきっと、人に向ける愛がこうも薄汚い。
僕の故郷は空さえも醜い場所だったけれど。
その中でもひときわ気持ち悪く感じていたのは、いつだって自分自身の心だった。
なんかしみったれた事ばかり考えていますが、酒が入っているからです。
普段のルカはここまで考え込む前に適当に切り上げます。
次回はついにアニメ版だと第6話にあたる“あの回”です。
さて、何日で書き上がるかな……。