「殺気を向ける相手が違いますよ、レオーネさん」
言いながら、口唇に付いた自らの血をペロリと舐め取るルカ。動作だけで充分に妖しいその行為も、美貌の青年の仕草ともなれば、官能的を通り越してむしろ潔ささえ感じさせる魅惑の何かがある。こんな場所こんな状況こんな面子でなければ、熱い溜息を洩らす者も少なからずいたはずだ。
「そうだよ。私に斬られるっていうのがどういう意味なのか、まさか知らないワケないよね?」
絢爛たる毒花のごとき笑顔でクロメも追随する。
共に人形じみて整った顔立ちの青年と少女。二人揃って意味ありげに嘯くその様は、耽美主義の悪魔に口付けを受けた物語の一ページような、暗澹でいてどこか凄艶な匂いを見る側に感じさせる。
というのは俗に云う一般論というもので、無論レオーネなどはそれに属さなかった。属せるわけもなかった。
「お前、まさか――!!」
嫌な予感、などという生易しいものではない。絶望的な確信。そんな不快で空恐ろしいものを腹の底から感じ取り、レオーネはシェーレの死体へと振り返る。
そして可能性は現実へと昇華された。
首のないシェーレの死体が。
頭と胴体が切断されてバラバラになったシェーレの死体が、立っていた。
片腕にはエクスタス。もう片方の腕には自分の頭を抱えて。
微笑んだ美しい死に顔のそれを――壊れたマリオネットのようにぎこちない動きで、あろうことかレオーネに向かって投げ捨てた。
シェーレの体が、シェーレの生首を、自らをゴミのように扱ったのだ。
いや、違う。
クロメがシェーレの体を操ってそうさせたのだ。
「ロクゴウはお腹に開けられた穴のせいで上半身と下半身別れかけちゃってるし、もういらない。代わりにそいつが新しいコレクション」
ほくそ笑むようなクロメの声も、今のレオーネには聞こえない。ごろりと転がる生首。薄紫の澄んだ瞳と、レオーネの視線がかち合った。
その瞬間に味わった気持ちを、なんと形容したものか。気付けばレオーネは声にならない絶叫を迸らせ、クロメへと殴りかかっていた。
「冷静になれ、レオーネ!!」
制止するナジェンダの声も届かない。
激情に身を任せて振るわれる拳は、しかし割って入ったエイプマンによって防がれる。クロメの使役するものではない。ルカがいつの間にか実体化させていたものだ。攻撃のダメージで半身を損失しながらも、エイプマンは残った右腕でレオーネの首を鷲掴む。そして壁面に自分ごと叩きつけた。
そびえ立つ崖の上に一足飛びで戻ったクロメは、優雅に足を組んで嘲りの眼差しをレオーネに注いでいる。アマリリスをあしらったような唇が残酷に引き上がった。可憐だが、おぞましい。怖気の走る娘の仕草。
「シェーレ。そいつにトドメ刺して」
八房の命令を受けたシェーレの首から下は、生前と変わらぬ動きでエクスタスを構えレオーネへと向かっていく。同時にルカが太腿のレッグホルスターから引き抜いたリボルバーの銃口をレオーネの胴部に合わせた。
エプロンに隠れて見えない位置にあったそれを手にしてからトリガーを引きハンマーを起こすまで、わずか零コンマ数秒。それから全弾分のファニングショットを決めるまでも1秒とかかっていない。
精度よりも連射性を重視した早撃ちは、しかし全弾がレオーネの肩や腹を貫通する。遅れて振り上げられたシェーレのエクスタスは、満身創痍のレオーネの肉体を確実に刺し貫くと思われた。
「させるか!」
それを邪魔したのはナジェンダの義手が繰り出す強烈な横殴りの一撃。
頭部と血液という重りのないシェーレの体はぬいぐるみか何かのように軽々と浮き上がり、そのまま離れた場所で戦っているスサノオとデスタグールのもとまで吹き飛んでいった。
飛来してくる異物を敵だと認識したのか、デスタグールはシェーレに向かってビームのような咆哮を放つ。稀有な硬度を誇るエクスタスは傷一つ負うことなく地面へと落下していった。が、シェーレの肉体は跡形もなく焼き消える。当然の結果だ。戦場では火葬された骸に手を合わせる暇さえない。
「さすが『燃える心でクールに戦う』ナジェンダさん。死んだ同胞と生きた同胞ならちゃんと後者を優先してくる」
「レオーネ、立てるか?」
本気で感心しているらしいルカの軽口を無視して、ナジェンダは背後に庇ったレオーネの安否を気遣う。痛む良心と働く頭脳。彼女は血も涙もある策略家だ。仲間の死を悼むのは、きっとこの戦場を切り抜けてから。一人きりで誰にも見られず悲哀に顔を歪ませるのだろう。
壁に叩きつけられ銃で撃たれたことで血の気が抜けたのか、先程よりだいぶ落ち着いた様子のレオーネは、それでも無尽蔵に湧き上がってくる怒りをなんとか抑えながら両足に力を込めて体を起こした。
「……大丈夫だ。ちょっとだけ冷静になった」
「へぇ、まだ大丈夫なんだ。タフだね。コレクションに欲しくなってきたかも」
常人なら死んでいるほどの怪我を負いながらふらつきもしないレオーネに、クロメは揶揄とも称賛ともつかない言葉を投げかける。
野性的な美貌を憤怒の形相に歪めながらも、レオーネは怒りに任せて襲いかかりはしない。野晒しに放置されていたシェーレの首を無言で抱き上げ、ゆっくりとクロメを視界に入れる。瞳には激情の他に決意があった。
「待ってろよ。他の奴ら全員始末したあと、絶対そっち行くからな」
「……残念。落ち着いちゃったんだ」
つまらなさそうに頬杖をつくクロメ。
いつの間にか移動していたらしいルカが、そんな彼女の真後ろで巨大な紙を広げていた。チューブの絵の具をひねりかけたアーティスティックの穂先で最後の一筆を加えれば、そこから現れたのはなんともう一体のデスタグール。
伝説とまで謳われる超級危険種と日に二度もあいまみえる形となったレオーネとナジェンダは、驚愕に空気を強ばらせながら素早く戦闘体勢をとった。アーティスティックによって召喚されたものである以上、こちらから倒さずとも10分すれば勝手に消える。
ならば戦うよりも避け続けたほうが効率的である。そう判断できないこともないが、代わりにその10分の間に他の仲間たちの手助けが出来ず、みな悪戦苦闘を続けることになるのだ。ここは最終手段を使うべきか。ナジェンダの思考回路は逡巡に突入した。
「っ……やっぱり超級危険種は実体化させるのキツイね。これなら特級を何十体も描いた時のほうが消耗量少ないや」
ただでさえ血の気の失せた顔色をさらに青白くして、隣のナタラに軽くもたれかかる。彼はナジェンダからのロケットパンチのあと唇に血を滲ませていたが、あれは口が切れただけでなく内臓の損傷もあったのかもしれない。吐血を飲み干して誤魔化したならこの蒼白ぶりも頷けるというものだ。
ルカは己の描き上げたデスタグールに向かって命令を下す。
「そこの銀髪と金髪の美女二人、何がなんでもクロメちゃんに近付かせないで。できれば殺して」
その言葉を聞いてやっとナジェンダは選択を決定した。
早々に誰かがクロメにたどり着かねば被害は増える一方。超級危険種と敵対中。うち一体は野放しにしておけば自然に消え失せるが、もう一体は倒さない限り暴れ続ける。
ならば打つ手は一つしかない。
「――スサノオ! マスターとして、“奥の手”の使用を許可する!!」
「――了解した」
常人ならばこれだけ遠い距離で声など通ろうはずもない。
しかしスサノオは人にあらず。帝具である彼の過敏な聴力は遠所にいるナジェンダの声を確実に聞き入れ、それを実行した。
『禍魂顕現』。
電光石火スサノオの奥の手。すなわち狂化。胸の禍魂からマスターであるナジェンダの生命力を吸い、その力を発現させる。
三度使えば主を必ず死に至らしめる代わりに、得る力は絶大だ。
「皆苦戦しているようだ! 状況を覆すぞ!!」
二体のデスタグールが再び咆哮するべく口内にエネルギーを貯めている。
奥の手によってパワーアップしたスサノオは、ナジェンダの凛々しい叫びに呼応するかのごとく片腕を突き出し高々と跳躍した。
「天叢雲剣」
高密度のエネルギーが凝縮され物体となり、剣という形でスサノオの手の中に収まる。
デスタグールが咆哮するよりも早く、振り上げられた天叢雲剣はその巨大な怪物の脳天を貫き打ち砕き、驚異的な破壊力を以てして伝説の超級危険種をただの骨の欠片たちへと様変わりさせた。
「八尺瓊勾玉」
次いでスピードと打撃力をさらに増幅する技を使い、倒したばかりのデスタグールには目もくれずもう一体へと神速で駆け寄るスサノオ。
残ったデスタグールの口から貯まりきったエネルギーが発射されると同時、ナジェンダ達とビームとの間に滑り込んだ彼は、迫り来る光線に怯えることなく力強く手のひらを翳す。
「八咫鏡」
身の丈を裕に超える巨大な鏡による、飛び道具の完全反射。帝具の奥の手に相応しいさすがの性能である。
跳ね返されたデスタグールの一撃は、元の威力を保持したまま発射した当事者へと害を為す。
――グャアァァァァァァァァァァァァ!!
鼓膜が破れそうなほどの叫び声がその場にいる全員を襲った。ある意味この断末魔が、致命傷を受けて地面へと倒れ伏すデスタグールの、最後のしっぺ返しだったのかもしれない。
両耳を押さえてもなお続く耳鳴りに苛まれながら、召喚者であるルカは「あの渋いイケメンさん強すぎ……」と静かに愚痴をこぼした。
せっかく気合を入れて実体化させた超級危険種がすぐに殺られてショックなはずなのに、あまり落ち込んでいる様子は無い。実行犯であるスサノオが彼にとって『格好良い』に分類できる容姿の持ち主だからだろうか。戦闘中まで面食い癖は抜けないようだ。
「さすがは私の帝具だ、スサノオ」
「ハッ、ざまあみろってんだ!」
ナジェンダは満足げな顔で己が帝具の活躍を褒め称え、レオーネは意趣返しとばかりにクロメとルカに対しドヤ顔をかます。
せっかくラッキーで手に入れた超級危険種を失って残念そうにしていたクロメだったが、レオーネのそんな挙措を見て感情が苛立ちにシフトチェンジしたらしい。口の中に突っ込んだクッキーをぞっとする表情で噛み砕き、八房片手にゆらりと立ち上がった。
「シェーレとデスタグールが殺られて、ヘンターが動いてないから……残り五体か。私の八房で人形にできるのは八体までだから、お前らで埋めてもまだ一枠余るね」
夜色の瞳と八房の切っ先をスサノオ達に向け、骨の髄が凍えるほど強烈な殺気を纏う。これまでどこかナイトレイド戦に余裕綽々の態度で臨んでいた彼女だが、ここに来てスイッチが入る。
いやに緊張感の高まるその場を切り裂いたのは、どこからともなく飛んできたエイプマンが地面にぶつかって摩擦で焼ける音だった。ズザザザザザッ! と激しく擦れながらぐったりした様子で足元まですべってきたエイプマン。
それから一秒ほど遅れてクロメの立つ崖に降り立ったのはインクルシオに身を包んだタツミだ。もっとも、クロメもルカも中身を死んだブラートだと認識しているのだが。
「なかなか手強い相手だったが、その猿とは訳あって戦い慣れてるんだ。動きを見切るのは簡単だったぜ」
「……特級危険種と戦い慣れてるなんて、さすがはナイトレイドってところかな」
呟くルカは、自分がその原因であることをもちろん理解していない。脳筋だが使い勝手がいいからと、色町での戦いにおいてエイプマンをやたら重用した時のことを思い出していれば、ここでインクルシオの中身がタツミだと気付いていた可能性もあるというのに。
「これで残り四体か……やるもんだね」
エイプマンが既に絶命していることを横目で確認し、クロメは唇を三日月の形に歪める。彼女の隣で騎士のごとく直立していたナタラが、生前からの愛器である臣具トリシュラを構えた。ルカもいつの間にか回復していたようで、手榴弾の安全ピンを口に咥えて引き抜いている。紙に描いた大量の武器を惜しみなく活用。これもまたアーティスティックの使い方だ。
「でも、ナタラはその猿の十倍強いよ?」
――かくして戦場は、まだまだ荒れてゆく。
現在死者一名、負傷者複数。どちらの勝利で終わるかは、まだわからない。
タツミくんのエイプマンに対する戦闘技能が原作よりややアップしています。
大体ルカのせい(おかげ?)です。