「うぉらぁっ!!」
迸る気合はまさに裂帛。
ライオネルを発動したレオーネの拳により繰り出されるのは、並の人間であれば一目見ただけで戦意を喪失しかねない必殺の一撃であった。
えぐれる地面。飛び交う土くれ。地割れの轟音。ずん、と立っていた場所が崩れるのを感じた瞬間、ルカは即座に飛び退いて岩の上へと移った。その背後から薙ぎつけられるは閃く二本の白刃。万物両断エクスタスによる猛攻。
「すみません」
抑揚のない謝罪と怒涛の連撃。素人目には白い線が幾重にも舞っているとしか映らぬだろう攻めの数々を、ルカは全て無駄のない動きで避けきっていた。その整った顔に焦りもなければ、余裕もない。全ての感情をシャットアウトしたような意図的な無表情。それはシェーレに一切の情報を与えず、そしてレオーネの怒りを煽った。
「澄ました顔してんじゃねぇぞ!!」
空気を震わすほどの大声を発しながらルカへと殴りかかる。当たれば骨折どころか腕が千切れることが明白な突き。当たらなければそうはならない。
しゃがみこんでパンチをかわし、その隙をついて迫り来るエクスタスの双刃には、距離をとるのではなくクラウチングスタートの要領で突っ込み回避と攻撃をはかる。
懐に潜り込まれたことをシェーレは悟った。いつの間にかルカの右手には小ぶりのナイフが握られている。最小限の動きで振るわれるソレを避けきるには、彼女は体勢を崩しすぎていた。首の動脈めがけての一閃。しかしシェーレの体は既のところでレオーネに押し飛ばされ、ルカのナイフは空振った。
しかし振りきる前に掌で回して逆手に持ち替えると、彼はナイフのグリップについたレバーを押す。炭酸が抜けるような音をたてて発射されるナイフの刃。ルカが今手にしているものは、俗にバリスティックナイフと呼ばれる刀身を射出可能のナイフだった。
飛び出したナイフの進む先にはもちろんシェーレ。意表をつかれたシェーレは避けきれずに右肩へと刀身を埋められる形になった。この攻撃はさすがに予想外だったのか、今度ばかりはレオーネも庇えなかった。
「心臓狙ってたんだけど、さすがにそう上手くはいかないか」
ルカは刃のなくなったバリスティックナイフを手早く投げ捨て、二本組の胡蝶刀を慣れた様子で掴む。どこからともなく現れた風に見える全長50cm程度のその短剣たちは、しかし足元に二枚の紙が落ちていることからアーティスティックの能力で実体化されたものだと察しがつく。危険種を描くばかりがこの帝具の使い道ではないようだ。
「……二段構えですか。意外と策士なんですね」
「ありがとうございます。一度しか効かない凡策ですけどね」
血の流れる肩口を押さえつけながらシェーレは呻く。銃だと警戒されるから、多少スピードが落ちてもバリスティックナイフのほうを選んだのだろう。その思惑は見事に成功だ。エクスタスのような大物の武器を使う以上、片方とはいえ肩を痛めたのはかなりキツイ。戦いへ及ぶ悪影響は無視できない。
タツミやレオーネから聞いていた情報では、ルカは基本的に実体化させた危険種に戦わせるばかりで自らが戦うことはあまり無かった。アカメと相対した時もすでにザンクとの戦いを終えた後で、どの程度動ける相手かは把握できていないと言っていた。
つまりルカ・サラスヴァティーがどこまでの戦闘技術を有しているか把握しきれている人間はナイトレイドに一人もいなかったのだ。だから油断してしまっていた。アーティスティックは“仕込み”さえされなければ接近戦に不利な帝具であると。
それには間違いなかったのだが、ナイトレイドはルカ本人がかなり動ける人間であるという可能性のほうはあまり考えていなかった。結果がこれだ。気を引き締めていかなくてはならない。
「僕ごときを相手にシェーレちゃんとレオーネさんの二人がかりとか、人員配当ミスってますよ。あっちでクロメちゃんのデスタグールが暴れ倒してますもん。そっち行ったほうが良くありません?」
「スーさんが任せろって言ってたんだ、任せるさ。それに私はハナからテメェを殺る気だぜ」
この期に及んで飄々と進言するルカに、レオーネは好戦的な眼差しで応える。
参ったなぁ、とルカは嘘か真か判別のつかない溜息を吐く。
「二対一はちょっと自信ないし、クロメちゃんに手伝ってもらおう」
ルカがそう呟いた瞬間、レオーネの足首に紐状の何かが絡みついた。正体を察する余裕もなく、縄のようなそれは強烈な力で引っ張られ、浮き上がったレオーネの体を断崖へと叩きつける。かは、と短く絶息。一瞬だけ身動きがとれない。
それを好奇とみなし胡蝶刀を二本とも投擲したルカだが、仲間の危険を察したシェーレによって弾かれた。「残念」と眉をわずかに下げ、ルカはまたしても線の描かれた紙を決まった形に折り上げる。平面からニュッと飛び出す十本ほどの棒手裏剣。
「いっつぅ……おっさん、やってくれたなぁ」
レオーネは怒気を孕んで立ち上がる。視線の先にいるのは30代ほどだろう精悍な顔つきの男だ。今となってはクロメの八房に使役される骸人形でしかないが、生前はさぞ高階級にいたのだろう身なりの良さ。手にしている鞭が先ほど足首に絡みついた何かの正体。
男はしゅるりと音をたてて新たに鞭を振るう。そんな攻撃くらい見切れるとタカを括っていたレオーネ。その余裕も次の瞬間には崩れ去り、彼女は驚愕に目を見開きながら即座に防御体勢に入った。
「くっ……コイツ! なんつー鞭さばきだよ!」
一本の鞭が幾重にも分裂して見える。シェーレの振るうエクスタスの斬撃よりも断然素早かった。一撃一撃が確実に体力を奪い、皮膚の上に裂傷を刻んでゆく。ライオネル発動中でなければとっくに意識を失っていた。動体視力が追いつかない。防戦一方。
シェーレのほうはといえば利き腕側の肩を負傷した状態でルカとの一騎打ちを余儀なくされている最中だ。ただ避けるだけで良いルカと違って、シェーレはエクスタスを振るうたびに動かした肩の中でナイフが動いて傷口が広がり、流血と刺痛によりいつもより格段に消耗している。
だが攻撃を一瞬でも止めれば、その瞬間にルカは攻めへと転じてくるだろう。実体化させたばかりの棒手裏剣を両手指に八本と口に一本挟んで、相変わらず嫌というほどぼんやりした無表情のまま回避に専念しながらも、彼は隙あらば攻守交代に打って出るつもりという姿勢を崩さない。
既に棒手裏剣のうち一本は投擲されて弾いたあとだ。レオーネ目掛けて打たれてものだったため、何が何でも通すわけにはいかないと無理な体勢でエクスタスを振るってしまった。そのせいでナイフの刀身はさらに深く埋もれ神経までいってしまったような気さえする。
「ジリ貧ですね」
「降参します?」
「代わりにレオーネを助けてくれるなら」
「良いですよ」
「嘘つき」
「バレましたか」
短い会話のやりとりの間にも、しだいに息が上がっていく。
(……おかしい)
シェーレは心中で眉を顰めた。
いくら出血が激しいとはいっても、それだけの事でここまで体力が早く減ったり動きが鈍ったりはしない。それに手足の先がなんだか痺れてきた。視界も明瞭さを欠いている。
(――まさか!)
思い浮かんだ可能性に、シェーレはハッと目を見張った。
「毒……!」
「はい。ナイフのほうに塗っておきました」
素直に首肯するルカに、シェーレは冷や汗を流し苦い表情を浮かべる。
症状から察するに神経毒と出血毒の混合物。毒蛇あたりから採取したものか。即効性か遅効性かはさておき、このまま動き続ければ毒の回るスピードが早くなってそのうち完全に動けなくなるだろう。
だからといってここで動きを止めれば、機動性の落ちたこの体では相手の攻撃を捌ききれる気もしない。万事休すとは正にこの事。
「いずれ地獄のどこかで再会しましょう。僕も長生きはしないでしょうから」
劣悪な素材から作り出された美しい人形のように不気味で奇怪な青年は、唇に親愛の花を綻ばせて、苦しませるつもりはありませんよと、そう伝えるように丁寧な仕草で棒手裏剣を打った。
総頸動脈、橈骨動脈、大動脈、冠動脈、腕頭動脈、鎖骨下動脈、上腸間膜動脈、卵巣動脈、大腿動脈――主たる血管めがけて放たれる棒手裏剣の数々。
攻撃箇所に殺害の意図はあれど加虐の意図はない。痛みを感じる間もなく失血死できるようにと、そういう気遣いすら感じ取れる。
シェーレの体はこれら全ての攻撃をかわしきれるほどの力をもはや残してはいない。一つや二つ落とせたとしても他の棒手裏剣が動脈を裂くことは免れず、無理やり全ての急所を外そうと変に動けば、刃が少しずれた場所に刺さったせいで苦痛を味わう時間が長引くだけでやはり死ぬ。
どうせ死ぬ運命が変わらないならば、人はより痛みの少ないほうを選ぼうとするはずだ。
「っ――エクスタス!!」
しかしシェーレは違った。
痛みなき死ではなく、痛みある死を選んだ。
身をよじったせいで狙った動脈からことごとく外れた位置に刺さった棒手裏剣たちは、しかし急所でなくとも数の利によって確実にシェーレの命を奪おうとしている。無数の傷口。にじみ出る鮮血の量はおびただしい。放っておけば一分とたたないうちに死ぬだろう。
その苦痛に満ちた一分の生存を、シェーレは何のために得たのか。
決まっている。
彼女の選択は、いつだって仲間のためのものだ。
「! エクスタスの奥の手……」
血まみれのシェーレの手の中で光輝くエクスタス。
あまりの眩しさに両目を腕で覆って、それでも遮りきれぬ明度にルカは耐え切れず瞳を閉じる。
それは骸人形である男にしてみても同じだったらしい。とめどない猛攻を咄嗟に中断した彼は、隙を突いて放たれたレオーネ渾身のパンチに腹をぶち抜かれたはずみで後方へと吹き飛んでいった。
「シェーレ!」
殴った骸人形の生死の確認も後回しに、レオーネは悲鳴のような声を上げて横たわったシェーレの体へと駆け寄る。
今なら追撃可能かと、未だ発光の余韻で満足に働かない目をなんとか薄く開き、スティレットを携える。そんな彼を不意に襲ったのは、真横から飛んできた機械製の拳だった。
「うあっ!」
予想外の攻撃に対処しきれずモロに喰らったルカは、素っ頓狂な声と共に勢いよく地面をすべっていく。血と胃液と吐き出しそうになりながら視線を前に移せば、そこにいたのは凄まじい速さでこちらへと駆けてくるナジェンダだった。
「ナジェンダ、元将軍……」
「悪いが、イェーガーズがエスデスの部下である以上は大臣の私兵であることに変わりない。ここで死んでもらうぞ」
淡々と言い放ち、ルカの体を地面へと押さえつけるナジェンダ。
絶体絶命の彼は、それでも血の滲んだ唇でいっそ艶やかに笑った。
「ロクゴウ将軍、後ろにいらっしゃいますよ」
「何!?」
振り返ると同時、自分めがけてスイングされる骸人形ことロクゴウ将軍の鞭。ルカの体の上から飛び退いてそれを回避しながら、胴体に大穴が空いているにも関わらず戦いを止めないロクゴウにナジェンダは歯を噛み締めた。
「ロクゴウ将軍……! 元同僚として、一刻も早く貴方を呪縛から解き放ちます」
命拾いをしたルカ。開始されるナジェンダとロクゴウの戦い。
(……目ェ潰すくらいなら出来るかと思ったけど、さすがは元将軍。そんな隙も無かったや)
口の中に含んでいた針を舌で転がしたあと、ぺっと吐き捨てて起き上がる。含針術は得意なのだが、不発に終われば意味もない。ルカは服についた汚れを払いながらシェーレとレオーネのほうに視線をやった。
「あの人、帝国の将軍だったんですね……道理でお強いと思いました」
「シェーレ! もういい、喋るな!!」
「……そんな顔しないでください、レオーネ。覚悟はしてましたから」
何リットルかもわからない流血に浸った中で、限りなく死体に近しい肌色をしたシェーレが息も絶え絶えに微笑んでいる。血で汚れることも厭わずそんな彼女の体を掻き抱くレオーネ。毒のせいか、どれだけ傷口を押さえつけても布をきつく巻いても血は止まらない。
ルカの視界の端で、崖の上にいるクロメが八房を握り直すのが見えた。彼女の意図を察したルカは「譲るよ」と唇でメッセージを送る。妖しい笑みを浮かべて、クロメは頷いた。
シュンッ。
刀の一閃する鋭い音。遅れて宙に舞うレオーネの左腕と――――シェーレの首。
「ふふっ。駄目だよ、私から完全に目を離したら」
血飛沫の中で寒気がするほど禍々しく美しいクロメの姿。
地に落ちた自分の左腕には目もくれず、レオーネは微笑みを浮かべたまま切り離されたシェーレの生首に愕然と視線を向ける。
「シェーレ……嘘だろ」
気丈な彼女らしからぬ震えた声。
悲しみ、戸惑い、喪失感、呆然――めまぐるしく彼女の中で様々な感情が渦巻き、それら全てが目の前のクロメとシェーレの生首へと繋がった瞬間、彼女は己がこの場で優先すべき感情を一つ決定づけた。
「やってくれたな、お前……ぜったい許さねぇ!!」
――すなわち怒りである。