画家が描く!   作:絹糸

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第3話:アカメ

 

「その男はナイトレイドの標的だ。悪いが帝具と共に置いて行って貰おう」

 

 

 水晶を打ち鳴らしたような可憐な声だが、残念なことに、紡がれる内容は決して可愛らしいものではなかった。

 

 少しでも斬られれば即死の妖刀を構えられれば、能天気な僕もさすがに動こうとは思えない。というか、さっきから冷や汗が止まらなかった。

 背中のザンクさんはいつの間にか骨を砕きまくった際の痛みで気絶している。なんて羨ましい。

 

 

「えっと……一応、一応な。そんなつもりは決して無いんだけど聞くだけ聞かせてくれ。断ったら僕どうなるよ?」

「葬る」

 

 

 ぎらりと光る村雨の刀身。

 慌てて両腕を上げながら、僕は「タンマ!」と叫んだ。

 手が離れたせいで背負っていたザンクさんの体は地面へと落下する。ごめんよザンクさん。謝ったけど罪悪感は微塵も無い。

 

 帝具とは別に警備隊から支給されたシンプルなナイフを取り出す。

 それと同時にアカメちゃんから飛んでくる殺気が強くなったが、まだ様子見のつもりか襲いかかられなかった。ありがたや。

 

 

「わかった。ザンクさんの命ね。ちょっと待っててくれ」

 

 

 仰向けに気絶しているザンクさんの隣にしゃがみこむ。

 手っ取り早く急所である喉笛をナイフで一突き。

 数秒前から意識の無かったザンクさんは、特に呻き声も断末魔もこぼすことなくあっさり天に召された。

 

 この時点で刃こぼれをしているヤワなナイフに、内心「こりゃ安物だわ」と愚痴を漏らしつつも、のこぎりの要領で左右に引いてズブズブと首の肉にナイフを沈めていく。

 ちょっと手間取ったが、なんとかザンクさんの肉体を生首と首なし死体に分断することに成功した。

 

 顔に飛び散った返り血をエプロンの袖口で乱暴に拭いながら、僕はザンクさんの生首だけを左腕に抱えて再び立ち上がる。

 エプロンは墨汁と血液でなんだかおぞましい極彩色に染まっていた。もう洗濯でどうこうなるレベルじゃないから、やっぱり捨てるしかない。

 

 

「……何のつもりだ」

 

 

 警戒心をむき出しにしてこちらを伺うアカメちゃんに、僕はできるかぎりの友好的な笑みを浮かべつつ答えた。

 

 

「いやぁ、本当は生きたまま連れ帰って裁判にかけるつもりだったんだけどよ。そしたらアカメちゃんと真正面からぶつかり合うことになるんだろ? 僕まだ死にたくねーし、諦めて殺ったって証拠になる生首だけ持ち帰ろうかと」

 

 

 傷口から滴り落ちる血が僕の足元を濡らす。

 ただでさえ不気味なその赤が、禍々しい紅月の光に照らされて、より一層おぞましい、一つの凄惨美とでも呼ぶべき風景に昇華していた。

 

 もう刃こぼれで役立たなくなったナイフを地面へぽいと投げ捨てる。

 首を斬るのに邪魔になるから脇に挟んでいたスペクテッドも、そのナイフと同じ位置、アカメちゃんと僕のちょうど中間くらいに放った。

 

 熊と遭遇した時のようにじりじりと後退しながら、目線だけはアカメちゃんと合わせたまま提案する。

 

 

「ほら、これでアカメちゃんの標的のザンクさんは死んで、彼の帝具も手に入った。僕もう用無しだよね?」

 

 

 セリューちゃんへの手土産のレベルが格段に下がってしまうが、背に腹は代えられない。

 

 アカメちゃんの強さは見ただけでわかる。

 さっきのザンクよりも暗殺者として数段は上にいるはずだ。

 そんな敵が、たった一撃でも喰らえばその時点で死が確定するような物騒すぎるにも程がある武器を持っているのだ。

 「戦ってアンタの首もお持ち帰りしてやるぜ!」なんて啖呵を切れるほど、僕は強くもなければ自信家でもない。

 自分を過小評価も過大評価もしないのが戦場で長らく生き残っていくコツだ。

 

 

「…………」

 

 

 対するアカメちゃんは、村雨を構えたまま無言で僕を見つめている。

 ……くそう、見れば見るほど可愛いなぁ。こんな状況じゃなけりゃあ目の前に現金積んででも絵のモデルを依頼してるってのに。

 

 綺麗な花には刺があるが、可愛い花にも毒がある。

 セリューちゃんといい、このアカメちゃんといい、僕は無害な花よりも有害な花を選んで蜜を吸おうとする酔狂な蝶々なのかもしれない。

 

 

「……一つだけ聞かせて貰いたい」

 

 

 無言で視線を飛ばし合うこと数十秒間。

 やっとこさ喋ってくれたアカメちゃんのその一言に、僕は「なんなりと」と手揉みして返した。

 

 

「お前は、今の帝都についてどう思っている?」

 

 

 てっきりオーガ隊長の仇であるナイトレイドに襲いかからない理由とか、あるいはスペクテッドの能力を体験した感想でも聞かれるものと思い込んでいたが……予想はかすりもしなかった。

 

 思わずきょとんとした表情でも浮かべてしまったのだろうか。

 即答しなかった僕に、アカメちゃんは再び同じ質問を投げかけた。

 

「んー……」

 

 

 頬をポリポリと掻きながら首をわずかに傾げて、いかにも“悩んでます”な態度。

 実際、アカメちゃんの質問内容は僕にとって青天の霹靂といっても過言ではないもので、素振りだけでなく本当に悩んではいるのだが。

 

 今の帝都、ねぇ。

 

 ある程度まで語る内容を整理したところで、僕は返り血の混じった鉄臭い唾液を仕方なしに飲み込んで、ゆっくりと口を開いた。

 アカメちゃんの前で地面にツバを吐くのは侮辱ととられかねない。

 

 

「そうさなぁ……帝都は腐ってるけど、でもそれだけだ。別に腐り果ててるわけじゃない。この程度の腐臭にまみれた程度で今さら葛藤したり絶望したりできるほど、僕は上等な人生歩んじゃいない」

 

 

 元はといえば、道徳という道徳が欠如し、者も物も、ありとあらゆるモノが内外関係なしに醜く荒廃した場所。『ゴミ溜め』と呼ばれるほどの集落で生まれ落ちたこの僕だ。

 比較すれば帝都のスラム街なんて極楽浄土としか感じないようなあの環境を生き抜いてきた僕には、腐敗しただの何だの言われている今の帝都の現状だって、大したことないように思えてしまう。

 

 なんというか……親に虐待されている子供が、食卓に嫌いな食べ物が出てきただけで泣き喚いている隣家の子供を見る時の気持ちに似ているのだ。

 不幸か幸福かなら不幸な状況だとは判断できるけど、そのわりに哀れみの気持ちは微塵も湧いてこない。

 むしろ「その程度で泣けるなんて今までどれだけ幸せだったんだろう」くらいの羨望を抱きかけたことすらある。

 

 

「だからわざわざ帝国を革命したいとは思えないし、まあ、革命されたらされたで別にそれも良しなんだよな。いま警備隊で働いてるのだって元はといえば大臣の強制だ。あ、だからといって裏切るつもりも無いぜ。こう見えて一度所属した組織にゃ愛着が沸くタイプなんだ。クレイジーで可愛い同僚もいるしさ」

「……なるほど。引き抜きは無理なようだ」

 

 

 僕の回答をどう受け取ったのか、アカメちゃんは村雨を鞘へと収めた。

 そしてザンクさんの死体にちらりと目を配ると、それには触れずに、僕が投げたスペクテッドだけを手にとりくるりと踵を返す。

 

 どうやら見逃してくれるらしい。

 まだ油断はできないものの、それでもほっと一息吐いた僕に、アカメちゃんはこんな言葉を残して消えていった。

 

 

「まともな感性が無くなるほど酷な人生だったらしい。――だが同情はしない。敵として現れたなら次は斬る」

 

 

 

 

 

 

      ◇      ◇      ◇

 

 

 

 

 

 

「ただいまー」

「おかえりなさい、ルカくん」

 

 

 詰所に帰ったら、ちょうどコロくんのお食事中だった。

 死刑囚の死体が床の上に山盛りに積み上がっていて、コロくんは口の周りをべっとりと血で染めながら美味しそうにディナーを楽しんでいる。

 

 そんな光景を目の前にして平然と普通の食事をとっているセリューちゃんは、本当に頭おかしいなこの子って感じで非常に安心感を覚える。

 やっぱり僕にとっては自分と似たような異物とつるんでいるのが最も楽しい時間なのである。

 もちろん美を愛でている時間の次にだが。

 

 

「ルカくん、その手に持っている生首はどこの悪のものですか?」

 

 

 デザートのゼリーで頬を膨らませながら小首をかしげるその仕草が非常に愛くるしい。

 眼福眼福、と僕が内心セリューちゃんを愛でていることに気付いたのか、死体を咀嚼中のコロくんから怒りの視線が飛んでくる。

 「ご主人様は僕のもの!」とでも言っているのだろうか。あいにく犬語はわからない。そもそも彼の一人称が僕であるという保証もない。

 俺かワシか、いや、ひょっとしたら実は女の子でアタシという可能性もある。帝具は本当に摩訶不思議な存在である。

 

 

「噂の通り魔『首斬りザンク』だぜ。コロくんの餌にどうだい?」

 

 

 本当は体のほうも持って帰ろうと思ったのだが、途中で良い感じの穴があったのでそこに首から下だけ置いてきた。

 墓標は無いが、まあ、コロくんの餌になるよりは極めて上質な扱いと言えるだろう。近くに花も咲いていたし。

 

 僕の言葉を聞いたセリューちゃんが、

 

 

「私との正義の約束を守ってくれたんですね! さすがルカくん! ありがとうございます!」

 

 

 と満面の笑みを見せてくれた。

 

 ……本当は生首をダシにしてモデルを依頼するつもりだったのだが、やっぱりやめておこう。

 こんなにプリティな表情を見せられてはもう後出し要求なんてセコイ真似できない。

 

 差し出した生首を「コロー、おやつですよー」とコロくんにあげるセリューちゃん。

 それをモグモグとなんとも幸せそうに食べるコロくん。

 

 そんな見慣れた日常をほのぼのとした心持ちで眺めながら、僕はふと、アカメちゃんの言葉を思い出した。

 

 

「『まともな感性が無くなるほど酷な人生』――か。ぶっちゃけあの地獄絵図の中じゃ、僕はそこそこマシなほうだったと思うんだけど」

 

 

 そう感じているという事実すら“まともな感性”の喪失に当てはまるのだろうか。

 

 小さな呟きはセリューちゃんの耳にもコロくんの耳にも入ることなく、血の香る空気に溶けて掻き消えていった。

 

 


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