今回、ボルスさんの奥さんの名前を適当に捏造しています。
ご了承ください。
隊長が捕獲した新型危険種を無事に宮殿へと届け終えた僕が出会ったのは、見たことのある妙齢の美女と可愛い幼女だった。
理想の母娘というものを体現したようなその後ろ姿に、不埒な視線を向ける周囲の男性通行人たちへの牽制の意味も込めて声をかける。
「エニシダさん、ローグちゃん。お久しぶりです」
亜麻色の髪をした20代の美女、ボルスさんの奥さんであるエニシダさんがこちらに振り返る。前に家へとお邪魔させていただいた時と変わらぬ、若々しさと落ち着きの双方を感じさせる雲中白鶴の麗しさだ。
長いまつ毛に彩られたアメジストの瞳が僕の姿を認めて、友好的に細められる。同時に笑みの形を描く淡い薔薇色を帯びた唇は、ロブロイの花の美しさを思わせた。
「まあルカくん。こんにちは」
「ルカおにーちゃん! こんにちはー!」
エニシダさんの腕の中で、抱きかかえられたローグちゃんはローラーカナリアが囀るよりも愛らしい声を発する。ぶんぶんと片手を振って満面の笑みを浮かべるその姿のキュートさといったら、ロリコンが見ていたら即座に抱きついて全身を飴玉のごとく舐めまわすことだろう。
このお二人は聖母と妖精って感じで、本当に絵になる。天使のようなランさんとはまた違った美しさ。人形のようなクロメちゃんとはまた違った愛らしさ。うむ、本当に眼福眼福。
一人で満足げに頷く僕に首を傾げるボルスさん妻子。何の用でここに来たのかと疑問を呈するより早く、エニシダさんの手に布に包まれた弁当箱があるのを認めて早々とワケを悟った。
「そちら、ボルスさんのお弁当ですか?」
ああ見えて意外とうっかり者なところのあるボルスさんだ。
お弁当を家に忘れて来るとか、逆に仕事場へ持ってきたお弁当箱を家に持って帰り忘れるとか、そういった経験はわりと多いとご本人も語っていた記憶がある。
きっと今回もその例だろう。
「ええ、そうなのよ。あの人ったら一緒に作ったお弁当を忘れて行っちゃうのよ? 本当に困った夫だわ」
なんて言いつつも、語尾にハートマークがつくほどの甘ったるい響き。相変わらずボルスさんとエニシダさんのラブラブ夫婦ぶりは変わりないらしい。娘のローグちゃんも素直で純粋で可憐な子だし、この帝都でここまで幸せそうな家族というのも中々珍しいのではないだろうか。
真っ当に愛されて真っ直ぐ育ったような子供にはジェラシーを感じてしまうことの多い僕だけど、ローグちゃん相手には不思議とそういった感情も湧いてこない。たぶんボルスさんの娘だからだ。
「よろしければ、ボルスさんのいらっしゃる部屋まで案内します。ちょうど僕もそこに向かうところですので」
「うふふ、ありがとう。ルカくんは良い子ね」
……母性全開の顔で微笑まれて、嬉しいような居た堪れないような妙な気持ちになる。童顔ってほどではないけど若く見られることの多い僕だから、ひょっとして未成年だと思われているのかもしれない。
なんと返せばいいのか迷った挙句、軽く頭だけ下げてお二人の案内を開始。さっきまで興味津々の眼差しを送っていた通行人たちは、ボルスさんの奥さんと娘さんということがわかって手を出す気が消えたのだろう。みな視線を逸らして足早に歩いてゆく。
ボルスさんは内面がどうであれ見た目がコワモテなので、彼のことを知らない人間であればあるほど恐れられてしまう。そんなボルスさんの妻と娘にちょっかいかける人がいるとすれば、よほどの命知らずか怖いもの知らずのどちらか。そしてここの通行人たちはどちらでもなかった。
◇ ◇ ◇
「よければ俺がこれから相談相手にな……」
中からウェイブくんのシリアスチックな話し声が聞こえてきたけれど、気にせず扉を開けた。ついでに後続の邪魔にならないよう出入り口からどいておく。
「あーなたっ」
「パパー!」
桃色の声でボルスさんに呼びかける二人。愛する妻と娘が職場に来ていることに驚いたボルスさんは、皇拳寺の構えの一種みたいな謎ポーズをとっている。咄嗟のリアクションで大した意味はないと思うけど、ガタイの良い彼がやるとなんだか強そうに見えるのが不思議だ。
「ややっ! どうしてここへ?」
「貴方ったら、一緒に作ったお弁当忘れて行っちゃうんだもの」
「こいつはしまった!」
「パパのうっかりものー!」
一気に展開される家族愛たっぷりのアットホームな光景。
ウェイブくんはそのやりとりに固まったまま動かず、クロメちゃんは入室した僕に気付いているようで無表情のまま手を振ってくれた。静かに振り返す。
「つらいお仕事だからこそ、体力気力は充実させないと!」
「うん、気をつけるよ」
「パパ、抱っこー!」
愛くるしい顔立ちにあどけない笑みを浮かべたローグちゃん。大事な娘からのなんとも幼気なお願いに、ボルスさんは「よしよしいい子だ」と温かい言葉を投げかけながら彼女を抱きかかえる。
……うーん、眩しすぎてクラクラしてきた。離婚した当日に他人の結婚式に参加するハメになった人とかなら、似たような感覚を味わったことがあるかもしれない。負の感情は抱かないけど、自分の状況とのあまりの格差にただ耐え難さを覚えるこの感じ。
僕には刺激が強すぎるから、誰にもバレないようこっそり焦点をぼかしておこう。いつも病人みたいな目ェしてるって言われるからこっそりじゃなくても大丈夫な気はするけど。
「妻と娘は私のやっていること全部知ってて、なおも応援してくれるの! だから私は辛いことがあっても、家族がいれば全然平気」
キラキラ。ポカポカ。ピカピカ。
なんて効果音を付ければいいのかわからないけど、そこだけ世界が違うみたいに柔らかくて優しい色を放っている。
ボルスさん達の家族愛が織り成すキラメキに、僕のみならずウェイブくんまでもが視覚的ダメージを受けていた。あまりの眩しさに目を覆いそうになっている。
ふぅ……さりげなくクロメちゃんの背後に移動しておいて良かった。アレを僕なんかが近距離から直視していたら泡吹いて失神しかねない。
「ルカ、何で隠れてるの?」
「僕にはまだ早いから」
いや、“手遅れだから”って言ったほうが適切なのかな。
妙な返事と感じたのか眉根を寄せつつも、クロメちゃんは「ふうん」とそっけない態度で追求はしないでいてくれた。不器用ながらも優しい子である。
さてと、このままここにいても眩しすぎて精神がキツイだけだ。
貴重な美女と美幼女を観察する機会を捨てることになってしまうけど、この場を離れて、新型危険種の討伐を仕事外の時間帯でも自主的にやっているセリューちゃんと合流してこよう。
「それじゃあクロメちゃん、僕ちょっとセリューちゃんのお手伝いしてくるね」
「わかった。気を付けて」
何故だか落ち込んでる風なウェイブくんを慰める役目もクロメちゃんに任せておこう。
彼も『顔が良いほうとはいえ雰囲気のめっちゃ暗い男』と『雰囲気が暗いほうとはいえ顔がめっちゃ可愛い女の子』なら、断然後者のほうが元気になれるだろうし。
◇ ◇ ◇
(ほぅ……アレが噂のイェーガーズか。なるほど強ぇな)
真っ白なフードを深くかぶったシュラが、隠れるように木にもたれかかりながら口端を歪める。
視線の先にいるのはイェーガーズが一員セリュー・ユビキタスと、彼女の帝具である魔獣変化ヘカトンケイル。つい先程まで十体近い新型危険種の討伐において無双の活躍ぶりを披露していた一人と一匹だ。
しかしその力量を垣間見てなお、シュラには自分のスカウトしてきたメンバーのほうが僅かに彼女たちを上回っているという自信があった。
それが慢心か事実かは、実際に戦ってみなければわからないだろうが。
(奴らが集合するまで、もうちょっと玩具で遊ばせてもらうぜ)
なんてことを考えながら裾を翻し、場を立ち去ろうとしたその時だった。
「セリューちゃん、お疲れ様」
突如として飛来してきたエアマンタと、そこから飛び降りる人型のシルエット。
聞こえた声には弾いた者を不幸にする呪われたヴァイオリンのような、どこか浮世離れした透明感と不気味さがある。
身長は170cmかそれにギリギリ届かないくらいだろうか。ダボッとしたエプロンの上からでも、覗く手首や指先で細身の体格だと見て取れる。
退廃趣味の陶器人形を連想させる中性的な美貌といい、髪を伸ばして薄化粧でも施せば幸薄の美女と見間違えかねない。
もっとも、シュラはいくら美しかろうと醜かろうと男である時点で興味は無いはずなのだが……彼が立ち止まった理由はそこではない。
(あいつ、チャンプの野郎がしつこく語ってたガキと特徴が一致するな)
黒のアイシャドゥを目の下に塗りたくったような酷いクマ。
下に血が流れているとは到底思えぬ蝋細工じみて青白い肌。
そして何より、半分殺されているような、死体より哀れなあの陰鬱な雰囲気。
そのどれもが、シュラが声をかけた相手の一人であるシリアルキラー・チャンプが頻繁に口にする思い出話の少年の情報と重なっていた。
初めて自分の全てを受け入れて、愛してくれるなら殺されても構わないと笑顔で言ってくれた当時10歳の少年。心中の約束までした、チャンプ曰く「数いる天使の中でも最愛の天使」。何度陵辱しても態度を変えずに「ちー兄さま」と慕って甘えてくれた唯一無二の存在。
10年前の話だと言っていたから、それが確かなら今の少年は20歳前後、つまり目の前にいるあの青年くらいになっているはずだ。
確か名前は――。
「ルカくん! 手助けに来てくれたんですか?」
セリューが歓喜の笑顔を浮かべて、ルカと呼んだ青年に駆け寄る。
シュラは自分の想像が間違っていたらしいと溜息を吐いた。
(なんだ、別人かよ。『ディア』って名前なら当たりだと思ったんだがな)
興味を削がれた彼は会話を続ける二人を尻目に現場を後にする。
シュラは知らない。
ルカの故郷に名前を付ける習慣がないことも、ルカ・サラスヴァティーを名乗り始めたのは帝都に来てからであることも、今まで彼がいくつもの名前で呼ばれてきたことも。
――人生の中で、一人の男に『ディア』と名付けられた期間が確かに存在することも。