あれから一ヶ月近くたった。
その間、僕はセリューちゃんと買い物したりウェイブくんと組手したりクロメちゃんとスイーツ談義したりランさんと折り紙したりボルスさんに料理してもらったりした。
セリューちゃんは相変わらずパワフルで荷物持ちをさせてもらおうにもその隙がなく、食事を奢ろうとしても割り勘で済まされてしまった。というか僕がゴネて回避しただけでむしろ奢られそうになってしまった。「私が誘ったんですから私が払います!」と言われたけど、パトロンさん達が付いてるぶん僕のほうがお金はあるんだし、ああいう場面くらい役立ちたかったのだけれど。あと慰めてくれたお礼だと着衣一式までプレゼントされてしまった。もったいないから家宝として家にしまいこんでおくつもりだったけど、着てくれないと拗ねるとセリューちゃんに釘を刺されてしまったので、仕事のない日はできるだけ着て歩こうと思う。僕も今度お返しで装飾品でも見繕おう。
ウェイブくんとの組手はほとんど惨敗で終わった。やはり僕の才能は肉弾戦よりも暗器の扱いのほうに割り振られてしまったらしい。隊長に『既に完成された強さ』とまで言われているウェイブくんに帝具も武器もなしの戦いで勝てるとは初めから思っていなかったけど、ちゃんとすればあんなに動ける彼が普段は抜けていることをちょっぴり残念に感じる。常からあれだけ格好良ければいじられキャラで定着することはなかっただろうに。でもそんなところだってウェイブくんの魅力だ。
クロメちゃんとのスイーツ談義は熾烈を極めた。いつの間にかお互いがお菓子についての知識を披露しあう発表会みたいになってしまって、僕はイラストも交えて本で仕入れた世界各国のお菓子の情報を放流、クロメちゃんは帝都の美味しいケーキ屋さんやスイーツの豊富なカフェの話を盛り込んできた。浅く広い僕と狭く深いクロメちゃんのスイーツ情報対決。けっきょく決着がつかないまま、最終的には今度イチオシの甘味をお互いにお土産として持ってくることでこのトークは終わった。
ランさんの趣味は折り紙だと初めて知った。僕がたまたま見かけた時、彼は会議室の机の上に放置しっぱなしだった紙を使って、なんだかとんでもなく複雑なものを折っていたのである。聞くところによるとそれは『ユニット折り紙』というようだ。なんでも一枚の紙を一つの形にしていく普通の折り紙と違い、ユニット折り紙はくす玉や多面体といった立体を、異なる形に折り上げた何枚もの折り紙を組み合わせて形成していくらしい。ランさんに教わって箱を一つ折ってみた。才能があると微笑んで僕の頭を撫でようとした彼は、途中で動きをピタリと止めてそのまま上げた手を下ろしてしまった。「すみません、つい癖で」と眉を下げるランさん。僕を記憶の中の誰かと重ねかけたのかもしれない。なんだか悲しげな様子だったから。
ボルスさんの料理の腕は素晴らしいものだった。僕の好物は『人が僕のために作ってくれた料理』なんだけど、その点、ボルスさんの料理は食べる人への愛情がたっぷりと込められている。「口に合うといいけど」なんて言いながら差し出されたおにぎりの味があんまりにも心に染みたもので、咀嚼しながらボロボロ泣いてしまったのはちょっとマズったかもしれない。ボルスさんにオロオロしながら料理が酷かったのかと質問されまくってしまった。否定しながらもおにぎりを食べ続ける僕の様子から味に不満があったわけじゃないと察してもらえたけど、何故だかよっぽど酷い食生活をおくっているとの誤解を受けたらしく、後日ボルスさんの自宅に招待されてしまう。彼の奥さんと娘さんはとても美しい方々だった。
とまあ、こんな感じで僕はわりと満ち足りた日々を楽しんでいたのだけれど……。
「……何で休日にぶらりと立ち寄っただけのカフェでこんな場面に遭遇しちゃうかなぁ」
頼んだチョコレートパフェに付属しているスプーンを口にくわえながら、僕はテーブルにだらしなく肘をついてそうごちった。
別に店内のカップルが急にイチャイチャしだしたとかではない。その程度の光景なら日常的にどこでも見られるし、第一ボルスさんが家族の話をしている時のほうがもっと桃色のオーラを放っている。
目の前で展開されている光景は、そんなものとはむしろ真逆の――。
「おや、他の客たちは空気を読んで外に逃げたのに。キミはそうしないのかい?」
――人身売買。
三人の娘さんたちが黒服のコワモテお兄さんたちに羽交い絞めにされて、それをソファーの上で足を組んでいる貴族らしき青年が微笑んで眺めている。
いかついお兄さんたちの後ろから出てきた金持ちっぽい何人かの男性たちからは異常性癖者特有の慣れ親しんだ雰囲気を感じるし、落札だのなんだのと言っているあたりもう間違いはないだろう。
「それとも、キミもついでに買われてみる?」
人の良さそうな笑みを浮かべた貴族青年が再び話しかけてくる。
……僕を見たことがないって人でも、僕の肩書きとどんなビジュアルかはわりと知っていることが多いのだけれど。今の僕はセリューちゃんにプレゼントされた着慣れないファッションに身を包んでいるから、このお兄さんたちも僕を一般人だと思っているのかもしれない。
重ね着だのシルエットだのアクセサリーだのサロン系だの、服屋の店員さんに色々と説明されたがほとんどど理解できなかった。そんな感じのダボッとした服装。もちろんベレー帽だって脱いでるし、アーティスティック本体だってせっかくセリューちゃんがコーディネートしてくれた服の邪魔になるから家に置いてきた。これは軽率だったと今になって後悔している。
一応ひどいクマとかはそのままだけど、髪なんかはめずらしく梳いてきちゃったし……そんなありきたりな特徴だけで僕を『ルカ・サラスヴァティー』だと判断しろと言うのは酷な話だろう。
「んー……遠慮しておきます。飼われたことも買われたことも囲われたこともありますし、狂気の沙汰にゃあそら慣れっこですけどね。だからといってそれが好きなわけでもないんです」
言いつつ、視線を三人娘のほうにやる。
三人とも震えて青ざめた顔をしているあたり、あまりの困窮から自分の体を自分で出品したってタイプの子たちには見えないし、あの怯えようじゃたぶん処女だろう。
あるていど経験豊富で肝の据わった女性だと、逆に自分を買った相手をたらし込んでのし上がってやろうって意気込んでいたりするものだ。
他の客たちを逃がしたってことは、たぶん誰かが警備隊とか軍に報告しに行っても取り合ってもらえないように根回しはされてるはず。じゃなきゃこんな余裕の顔は見せない。
……さて、これからどうしようかと僕は頭の中だけで腕組みのポーズをとってみる。
お客さんは僕以外オール逃走。店員さんも奥に引っ込んだ。この場にいる黒服のお兄さん達は全員で20人くらい。あとはボス的風格を漂わせた貴族青年が一人と、金持ちのおじ様と可愛い娘さんが三人ずつ。
この場にいるのは僕を抜いて27人。そのうち3人は戦力外通告で、仮に娘さんたちを助けようとすれば僕は24人を相手に帝具本体なしで挑むことになるわけだ。
貴族青年や金持ちおじ様たちはまだしも、黒服のお兄さん達なんて全員拳法の心構えがありそうに見えるし、既に何人かが僕に向かって銃口を向けている。
こうしてこの場に立ち会ってしまった以上、娘さんたちを見捨てる気はさらさら無い。
だって万が一にも、僕が娘さんたちを見捨てたって情報が店員さんやお客さん達からセリューちゃんの耳に入ったりなんてしたら。僕は彼女から蛇蝎のごとく嫌われる上に殺されることになりかねないし、たぶんウェイブくんとかクロメちゃんからの好感度もダダ下がりする。
そんなことになるくらいなら死んだほうがマシだ。だから僕にはこの娘さん達を助けなきゃいけないって使命があることになるのだけれど……。
「装備が心もとないんだよなぁ」
ぼそりと呟いて、唇に挟んでいたスプーンを空の容器へと戻す。
帝具なし。武器なし。あるのは自分の体と念の為に持ち歩いているボウイナイフ一本のみ。そしてこれが一番大事で、セリューちゃんから貰った服を血で汚したり破いたりするわけにもいかない。
……しゃーない。ここは無傷で目的達成のため一芝居打つとしよう。まずは圧勝を確信できる間合いにまで敵だと認識されず踏み込む必要がある。
「でもまあ、買うほうなら興味ありますよ。代わりに金でも何でも払いますんで、そこの娘さんたち僕に譲ってくれません?」
テーブルに頬杖をついてアンニュイぶった笑みを浮かべつつ、細めた目をゆっくりと動かしておじ様たち一人一人の反応を観察するように視線を巡らせてみる。
……一人目のおじ様はサディストらしく、僕を見る目に妙な熱が込められていた。性欲じゃなく嗜虐心のほうだ。身近な人間で例えれば、ノウケン将軍が僕を見る目ではなくエスデス隊長が僕を見る目のほう。あんな美人とこんなおじ様を比べるのは失礼極まりないけど。
他の二人に比べて、あの人だけは娘さんたちよりも僕のほうに集中して粘着質な眼差しを注いでいる。人を可哀想な目に合わせるのが好きって人種から男女問わず迫られなかった経験はないし、落とすならあのおじ様が一番チョロそうだ。
「ワシは構わんぞ。この娘の代わりにキミがワシの相手をするのならな」
案の定、サディストっぽいおじ様はS心を刺激されたみたいで僕に予想通りの提案を振ってくる。その言い方じゃホモと勘違いされますよ、なんて思い浮かんだ言葉は口にすることなく飲み込んだ。
僕は努めて自然な動作で立ち上がりながら、彼に向かってうっすらと唇を吊り上げる。
「お好きにどーぞ?」
肩を竦めたあと、そのまま僕に目を付けたおじ様のほうへと歩み寄りを開始。
ゆっくり焦らず、しかし臆している様子も感じられないような速度。ノウケン将軍には「今さら何をしても汚せなさそうなくらい元から汚れきってる感じが、逆の逆でかえって背徳感を煽られる」なんて形容された僕だ。下手に怯えた演技をするより、素のままでやったほうがあのおじ様も食指を動かすだろう。
相変わらず黒服のお兄さんたちは僕に銃口を向けているけれど、引き金にかかる指はさっきより力がゆるんでいる。僕の自然体から何もする気がないと察したらしい。もちろん何もしない訳がない。
「他人に自分を売って第三者を買うとか、なんかもうゴチャゴチャしてて訳わからないって感じですよねぇ」
適当なことをほざきながら距離を詰めていく。
残り3メートル、2メートル、1メートル……ここまで来たらもう大丈夫だ。
僕はベルトの内側にこっそり忍ばせていたボウイナイフを素早く引き抜くと、こちらに向かって手を伸ばしていたおじ様の動脈を踏み込み様に一撃で掻き切る。
返り血を浴びる前にその場から勢いのままに走り去って、店の最奥にいた、サブマシンガンを構えている黒服のお兄さんの脳天に向かってボウイナイフを投擲。
まだおじ様が殺されたことにすら気付いていないお兄さんの頭にナイフが深々と突き刺さるのと同時、その死体がふらつくよりも早くマシンガンをもぎ取って構えた僕は、女の子たちがしっかり床に這い蹲らされているのを横目で確認しながらトリガーを引いた。
「キミたち、そのままじっとしててね」
一秒くらいの間に二人の人間が殺されたことをやっと察したらしい他のお兄さん達は、けれども手にした銃から弾丸を発射するよりも早く、こちらのサブマシンガンの乱れ撃ちに飲み込まれて穴だらけの状態で後方へと吹き飛んでいった。
薬莢が地面に落ち続ける乾いた音。硝煙の臭い。せっかくセリューちゃんがくれた服に染み付いてしまうかもしれないけど、これくらいなら洗濯すれば大丈夫かな。もし駄目でも一緒にアロマオイルでもぶち込んでおけば誤魔化せるはず。
「……お、もう弾切れか。まだ何人か息あるね」
弾丸を吐き出さなくなったサブマシンガンをポイと放り捨てる。
死体の頭部に突き刺さったままのボウイナイフを抜いて、刃こぼれしていないかを確認。いつもはナイフを使い捨ての投擲武器として使っている僕だけど、今回はこれ一本しか所持していないので多少ガタが来ていても使い回さざるをえない。
向こう側の景色が見えるくらい穴だらけになってもまだ息のある、立派な生命力をお持ちの何人かのお兄さんにトドメをさして回りながら、僕は呆然とした表情で床に這いつくばったままの娘さん達に声をかける。
「とりあえずキミたち、大丈夫? 怪我あったら病院くらいは紹介できるけど」
「だ……大丈夫、です」
娘さんたちの中の一人、青い髪をショートカットにしてうさ耳フードを被った女の子がなんとか絞り出したような声で答えてくれる。なんとなくだけど、ジト目っぽいところと表情に乏しい感じがクロメちゃんに似ている気がした。
まだ腰が抜けているみたいなので、とりあえず手を差し伸べてみる。
「ひっ」
……ビクつかれてしまった。
仕方がないので地面にボウイナイフを投げ捨てて、両手をヒラヒラと振りながら無害をアピールしてみる。
「ほら、お兄さん怖くないぜ。なんなら他に武器を持ってないことを示すために脱ごうか?」
「いえ、あの……さっきはすみません。驚いてしまって。大丈夫です。脱がなくていいです」
「そうかい。そいつは良かった」
たぶん脱いだら傷跡とか刺青のせいで余計に引かせちまうだろうし、元から街中ストリップする気なんてさらさら無かったのだけれど。
青い髪の女の子を立たせたあとは、ピンクの髪と金色の髪をした他の二人にも同じように手を貸す。これだけの死体を見て青ざめてはいても吐いてはいないあたり、この子たちわりと神経強いほうなのかも。
「何事だ!」
「こっちだ! 大量の死人がいるぞ!」
遠くのほうから聞こえてくるのは懐かしき帝都警備隊員たちの声。
誰かが銃声を聞いて呼びに行ったのだろう。これから事情説明にどれほどの時間を費やさねばならないのかと、ちょっとした面倒臭さを感じつつ娘さん達に頭を下げる。
「ごめん。病院あと。やっぱ先に事情聴取のほうに付き合って」
……ただ目を丸めるだけのリアクションじゃあ、YESなのかNOなのか全然わからなかった。