ドクターの死体は結局、見つかることはなかった。
彼の帝具と一緒に革命軍に回収されたのかもしれないし、欠片も残らないほど木っ端微塵に破壊されたのかもしれない。
どちらにせよ、僕は彼の死体を土の下に埋めて手を合わせるのを諦めた。
代わりに彼の姿を上等の紙に描いて、それを木箱に詰めたものを掘った穴に置く。上から土を被せて、スコップで叩いて慣らし、ちょっと迷いながらも宝飾店で購入してきたいくつかの真珠をそこに散りばめる。ドクターなら墓石よりも宝石のほうが喜んでくれそうな気がしたから。
詰所の庭の片隅で僕は静かに座り込む。土はわずかばかり湿っていた。
「ねえ、ドクター。貴方の魂は天に昇ったのかな。それとも地に堕ちたのかな。……死んだ貴方のことなんてどうでもいいか。今どこにいようと、僕は生きていた貴方を憎からず思っていたんだから」
死んでからどうなったって、生きていた頃のドクターとの記憶には別段影響しない。死んだ彼が天国にいても地獄にいても、僕は彼への感情をこれ以上の『好き』にも『嫌い』にも変動させるつもりはないし、彼ならばどこにいたってスタイリッシュの追求を諦めず邁進していることだろう。
僕を愛しちゃくれないけど、僕を嫌いにならないでいてくれる人だった。
僕みたいな奴に普通に話しかけてくれる人だった。
僕を見下しも見上げもしない人だった。
僕を親しみの目で眺めてくれる人だった。
一緒にいると呼吸が楽になる人だった。
死んで欲しいとは一度も思ったことのない人だった。
どころか、どちらかといえば――。
「……一人きりでいると気分が沈んでいけないや」
なんだか人肌が恋しくなってしまった。
今頃ランさんがドクターの家宅捜索を済ませて隊長に結果を報告しているはずだ。今日は仕事も入っていないし、この少しの寂しさを埋めるために道行く適当なお姉さんに泣きついて抱きしめて貰おう。
セリューちゃんはドクターのことでショックを受けていてそれどころじゃないだろうし、ノウケン将軍だと抱きしめて貰うんじゃなく抱かれることになる。今はそういう気分にはなれない。
狙うのは庇護欲や母性が強くて面倒見の良さそうな年上の女性だ。僕が沈痛な面持ちで立っていればそれだけで同情して、心配しながら近寄ってきてくれる人。
そんな人格者を相手に自分の都合だけで接するのは後で湧き上がる自己嫌悪がとんでもない事になるけど、今はそんな事に構っていられる精神状態じゃない。なんだか胸の一部に小さな穴が空いたみたいで、とにかく心細いんだ。早く誰かのぬくもりに包まれてしまいたい。
「……ルカくん、こんな所にいたんですか」
即席の墓場の前から立ち上がろうとした僕を、聞き慣れたセリューちゃんの声がその場に縫い止めた。
振り向いた先にいる彼女は泣いていなかったけど、ただそれだけだ。決して傷ついていない訳じゃない。
「……セリューちゃん」
「それ、真珠ですよね。どうして地面にバラ撒いてるんですか?」
「……真珠は涙の象徴だって本で読んだことあったから」
僕なんかが意図的に泣いて雫で土を濡らすより、こうして綺麗なものを振りかけたほうがドクターも喜んでくれると思った。
セリューちゃんは僕の返事だけで土の下に何があるかを察したようだ。背後から僕の左隣に回って、僕と同じようにしゃがみこむ。
「真珠、まだありますか?」
「うん」
コロくんと同じくらいのサイズの布袋をセリューちゃんに渡す。中にぎっしりと詰めて貰った真珠はまだ3分の2ほど残っている。毎日ちょっとずつ撒きにくる予定だったけど、一気にやってしまったほうが派手好きのドクターには合っているかもしれない。
パラパラと、夕日の光を鈍く弾きながら雨粒のように降り落ちる真珠。セリューちゃんの指先からこぼれるそれは、本物の涙と違って形に残る。だからこそ、落としても落としても彼女の心は晴れる様子はなかった。涙が落ちて乾くのは悲しみを消化するためだ。目に見えるものとして残してしまえば、それは悲しみのままそこに在り続ける。
「……私の父は、賊に殺されたんです」
真珠を撒きながらセリューちゃんが口を開く。震えた声だった。僕は頷く。
「オーガ隊長もナイトレイドに殺されて……今回はドクターも失いました」
「……それもきっと、ナイトレイドの仕業だろうね」
アカメちゃん? タツミくん? レオネーさん? シェーレちゃん? マインちゃん? ナジェンダ元将軍? ブラートさん? それとも他の誰か?
それはわからない。でもあの人を殺せる敵勢力なんて、彼と同じ帝具使いのナイトレイドくらいしかいない。
あるいは全員の手にかかって殺されたか。考えても分からないことだけど、それでもあの人の最後を僕は想像してしまう。
心の中に自分ただ一人しかいないような、そういう自己完結した世界で生きてる強靭な狂人。僕から見たDrスタイリッシュはそんな男だった。人と関わることはあってもそれは心の底からの交流ではなく、いざとなったら平気で何でも切り捨てられる。
あの人と同じだけの精神的な強さがあれば、僕もこんな訳わからない生き方せずに済んだのかもしれない。愛されたいっていうのは、結局のところ一人じゃ生きられないという弱さを認めていることになるのだから。
僕よりおかしくて、僕より強くて、僕より先に死んでしまった人。ドクター。彼は人生の終わりに何を想ったのだろう。どのみち彼が死んでしまったことに代わりはないのだから、せめて満足して逝っていればいいと思う。
「親も、師匠も、恩人も……!!」
思考する僕の隣で歯を噛み締めながら小さく俯いて、セリューちゃんは『涙の象徴』と呼ばれた石の群れの中に本物の涙を一つこぼす。土に染み込んでさっと消えたその一滴が、僕には煌く真珠よりも眩しいものとして映った。
「私の大切な人が……みんな賊に殺されてゆく……!」
「セリューちゃん……」
「ルカくん……私……悔しいですっ……!」
己の体を両腕できつく抱きしめて、身を引き裂く悲しみを押さえつけるように、セリューちゃんは肩を震わせる。
「早く……早くアイツらを根絶やしにしたいっ!!」
裂帛の叫び。
空気をビリビリと震わせて、庭にしげる草木までもが怖気づくように揺らめいた。
彼女の声に込められた感情はとても複雑だ。怒りと、悔しさと、悲しみと、決意と。
僕はそんな彼女の首にするりと腕を回す。真正面から抱きつくような体勢。そのまま彼女の額に自分の額を合わせて、互いの息のかかる距離で静かに囁いた。
「キミの望み、絶対に叶えてみせるよ。セリューちゃん」
僕の命を懸けてでも。
そう小さく付け足せば、彼女と僕の視線が絡み合う。それだけで、脳髄が痛むほどに痺れた。
涙に濡れた瞳には、間違いなく彼女から僕への信頼の色があったのだ。
「ルカくん……ありがとうございます。でも気負いすぎないでくださいね。ルカくんは責任感が強すぎて自罰的になりやすい人ですから」
「……自覚はないけど、セリューちゃんが言うなら。そういう行動に出ないよう努力はしてみる」
掠れた声で気丈に笑おうとするセリューちゃん。
彼女は僕の首に同じように腕を回して、ソプラノの声で言葉を紡ぐ。熱い吐息が唇にかかった。
「ねぇ、ルカくん。このまま――」
「――セリュー! 俺が来たぞ!」
セリューちゃんの発言が終わる前に、どこからともなく現れたウェイブくんの大きな声が庭一面に響いた。
セリューちゃんの動きが止まる。視線だけをウェイブくんのほうに移せば、彼は登場して早々に何故だか固まってしまっていた。しかも妙に顔が赤い。
彼の後ろにいるクロメちゃんはウェイブくんの肩を慰めるように叩きつつ、こちらに興味津々な視線を送っている。
「す、す、す、す、す、す、す――すまん!! 邪魔したな!!」
「? 僕はキミの存在を邪魔だなんて感じたことは一秒たりともないぜ、ウェイブくん。むしろこの世に生まれてくれたことに感謝してる」
「そうか、ありがとう! でもそういう意味じゃねぇ!!」
やっと喋ったと思ったらすごく慌てふためいている。
百面相とパントマイムの合わせ技みたいな大袈裟なリアクションは見ていてとても楽しいけれど、何をそんなに焦っているのだろう。
なんて考えていたら、ずっと活動を停止していたセリューちゃんから「うふふ」と単調な含み笑いがこぼれ落ちる。なんだか底冷えのする響きだった。そして目が据わっている。
「ウェイブ……ひょっとしてわざとですか?」
「なっ……違う! 断じて違う! 許せセリュー! 俺が悪かった!」
「せっかく良い雰囲気になったのに……貞操観念ガタガタなのに私にはちっとも手を出してくれないルカくんが自らスキンシップをはかってくれたのに……」
「うっ……その、本当にごめん……」
「今回はウェイブが悪い」
「クロメまで!?」
僕を置いてけぼりにして三人で繰り広げられる会話。
……セリューちゃん、人とスキンシップするの好きな子だったっけ? 半年間の付き合いで初めて知った情報だ。
しかし改めて考えると、今の格好ってなんだかキスする一歩手前みたいだ。僕みたいな奴にキスされるのセリューちゃんは嬉しがらないだろうけど、この距離まで近付いて嫌がられてないってことはだいぶ心を許されてるんだと思う。
なんてったってこのあいだはギューッってしてくれたわけだし……うぅ、思い出したらまた意識ふっ飛びそうになった。危ない危ない。一日三回ハグするって言われたけど、あれ実際にされちゃうと僕は一日三回気絶することになるかもしれない。任務に支障をきたす前になんとかして慣れないと。
色事はOKで抱擁はNGとか、我ながら訳のわからない神経をしている。込められる感情の違いによる反応の差だから全然別物ではあるんだけどさ。
なにはともあれ、セリューちゃんが少しでも元気を取り戻してくれたならそれで良い。
オーガ隊長の時は100パーセント『セリューちゃんからの好感度のため』って理由で動いてたけど、これからのナイトレイド討伐は『ドクターの仇討ち』って理由も数パーセント含んで動くことになりそうだ。
……亡くなるまではっきり気付いていなかったけれど、どうやら僕はわりとドクターのことが好きだったらしい。
それだけに惜しい。
ああ、なんであの人は僕のことを愛してくれない人だったのかなぁ。
その条件さえ満たしてくれていれば、僕はわざわざ真珠なんか用意しなくたって、心の底からの喪失感で本物の涙を流せただろうに。