画家が描く!   作:絹糸

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第32話:ご訃報

 

 

 ――僕、傷物ですけど。それでもよろしければ。

 

 

 たまたま見つけた綺麗な青年を適当な宿の一室に連れ込んで無理やり押し倒した時、怯えることも笑うこともなくそんな第一声を吐かれて、思わず目を丸めてしまったことをノウケンは未だに覚えている。

 

 青年が自ら着衣の襟ぐりを大きく開いて見せた肌。

 そこには確かに、打撲傷、掻き傷、火傷、刀傷、咬傷、擦過傷、刺傷、銃傷、突傷、湯傷、爆傷、裂傷……およそ『傷』と呼べるもの全ての痕跡がありありと刻まれていた。

 生半可な神経の持ち主ならば見るに耐えないだろう。指先で触れただけで痛みがこちらにまで移ってきそうな、引きつった責苦の爪痕たち。おぞましいそれらも、しかし青年の夜の光に晒された骨のように青白い皮膚の上に在るならば、毒を持った花びらが散っているみたいで一種の退廃的美しさを感じさせる。

 綺麗で哀れでグロテスク。陰鬱さも極めれば美に転化するという真理の証明は、痛ましい目の前の青年に出現していた。

 

 仮にノウケンが、ただ性欲が旺盛で良識が欠落しているだけのどこにでもいる凡庸なクズでしかなかったならば。

 彼女はこの青年に対して涙を流して謝り、訳のわからぬ膨大な罪悪感と同情心に煽られるがまま彼を抱きしめていただろう。

 しかしノウケンは違った。彼女はクズはクズでも、どこにでもいない非凡なクズだったのだ。

 

 

 ――いいねぇ。大好物だ。

 

 

 吐き出す息が熱くなっているのを自分でも感じる。

 べろりと舌なめずりをすれば、その拍子に口からこぼれおちた彼女のヨダレが青年の胸部をネトネトと濡らした。

 己を組み敷く女に何の前触れもなく唾液を垂らされたというのに、当の青年はといえば、顔をしかめる様子もなく、どころか気の抜けたような妙に幼い表情でこちらを見上げていた。

 そしてふにゃりと相好を崩す。

 

 

 ――お兄さん、物好きですね。

 

 

 胸に穴の空いたような笑顔だった。見栄えするというのにどこか物悲しげで感情の欠落した微笑みは、内心に関係なく、この青年が笑った時は常に人目にそういう風に映ってしまうのだろう。

 それもまたノウケンの心を昂ぶらせた。彼女はサディストではないが、犯したがりの殺したがりだ。こういう酷く扱われることに慣れていそうな人材は相手をしてもらうのに丁度良い。行為の最中興奮のあまり殺しかけても、彼ならば生き伸びてまた相手をしてくれそうだ。

 

 

 ――きししっ。俺ちゃんお兄さんじゃねーよ?

 

 

 八重歯をむき出しにして悪戯っぽく笑えば、青年は初めて人間味を感じさせる驚愕の表情を浮かべて口を開けた。そんなリアクションを引き出せたことに静かに満足する。

 青年の着ている服を片手でビリビリと破きながら、それが何でもないことであるかのように彼女は会話を続ける。

 

 

 ――っていうかアンタ、男に押し倒されてると思ってたのにあの反応の薄さかよ。さすがに警戒心無さすぎじゃね?

 ――すみません。向けられた視線に性欲は感じましたが殺意は無かったので、自分より強そうな相手に逆らって殺されるよりは大人しく食べられておこうかと。

 ――アハハ! 潔すぎィ!

 

 

 あんまりといえばあんまりな物分りの良さに、どう生きればこういう反応をするようになってしまうのかと僅かな同情心を感じつつも、それ以上の愉快さが湧き上がってノウケンは失笑した。

 良い拾い物をした。一度ヤったきりで斬り捨ててしまうには惜しい。つなぎ止めておくためにも、先に餌はぶら下げておこう。

 そう考えて、ノウケンは青年の傷まみれの腹に指を這わせながら、耳に唇を寄せてねっとりとした声で囁いた。

 

 

 ――なぁ、なにか欲しいもんとかあんのかい? 俺ちゃん相手してくれた子のおねだりならその都度に聞いてあげることにしてんの。宝石とか食べ物とか、どんな高級品でも良いんだぜ?

 

 

 この青年が宝石に興味を持っているようにも食べ物に関心が在るようにも見えないが、それでも人間である以上は欲しいものの一つや二つくらいあるはずだ。しかしノウケンの言葉に青年は無表情のままに首を振ると、少し残念そうな口調でこう返してくる。

 

 

 ――命と引き換えにしたって構わないほど欲しいものはありますけど、貴方におねだりしても無駄なんですよね。僕、『それ』をくれそうな人とくれなさそうな人を見分けるのはわりと上手いつもりです。貴方は僕の最も欲しいものを僕にくれません。

 ――ほぉん。でも俺ちゃん、アンタのこと気に入っちゃったからさ。欲しいもの無くてもまた何度かアンタに迫ると思うぜ? 二番目でも三番目でも良いから、他に俺ちゃんから貰えそうな欲しいもんを言っといたほうが得策じゃね?

 ――それもそうですね。ちょっと考えてみます。

 

 

 そう言ったきりぼんやりと天井を仰ぐ青年の体を、ノウケンもまた好き勝手に撫で回している。時おり皮膚を噛みちぎったり、引きつった傷跡をわざと爪で抉ってみたりしたが、青年は眉をしかめることすらなく茫洋とベッドに寝そべるだけ。

 

 

 ――ノーリアクションはさすがに堪えるなぁ。俺ちゃん人形犯す趣味はねーんだけど。

 

 

 ノウケンがふてくされていることにやっと気付いた青年は、僅かに眉を下げて困ったように目を合わせる。

 

 

 ――僕を強姦しようとするくらいだから、てっきり反応の薄い相手を無理やり泣かせるのが好きな方かと思っていたのですが。

 ――ああ、アンタ相手の性癖にあわせてリアクション変えるタイプの子? そんな色町の玄人さんみたいなことしなくても、俺ちゃん普通に喘いでくれるだけで大満足よ?

 ――そうは見えません。

 ――アハハ、半分正解! 初めのうちは本当に普通に犯してるだけで充分なんだけど、だんだん殺したくもなってきちゃうからさ。そうなるとプレイも必然的に拷問じみてくるんだよねー。

 

 

 笑いながら青年の指を手にとり、その爪を歯で勢いよく引き剥がす。外気に晒される白とピンクの柔肉に血が滲んだ。居場所を失った爪は乾いた音をたて木張りの床へと落下し、それをこともなさげに眺める青年はやはりまともな環境で育ってきた風には微塵も見えない。

 

 

 ――なるほど、殺しながら犯すのが趣味の人なんですね。

 ――……なんだかなぁ。もうちょいビビってくれないと、俺ちゃんペース崩されちゃってどうしようもないんだけど。

 ――……とりあえず泣きましょうか?

 

 

 言うが早いか黒瞳を潤ませる青年に、呆れを通り越して一種の敬意すら感じる。自分もかなりマトモじゃないが、彼もだいぶマトモじゃない。人を喰ったような態度というか、人に喰われたような態度というか。とにかく飄々としていてこちらのペースに持ち込むのが難しい相手だ。

 やはり今回で殺すのは勿体無い。爪を剥がして骨を外して肌を切るくらいに留めておこう。それで殺りたい欲のほうが収まらなければ死刑囚の殺害役を代わってもらって発散すればいいだけの話だ。

 

 

 ――なんかアンタとは長い付き合いになる気がするべ。ね、名前は? 俺ちゃんはノウケンってんだ。こう見えてこの国の将軍サマだぜぃ。

 ――ルカ・サラスヴァティーです。帝都警備隊の隊員やってます。

 

 

 安っぽいベッドの上でもつれ合いながらの自己紹介。

 情緒も風情もあったものではなかったが、このなんとも形容しがたい空気感がノウケンはなかなか気に入った。

 

 そして二時間後。

 嬉々として性欲を満たし、殺人欲を軽く消化し。透明や真紅の様々な体液にまみれて妖しい匂いを放つ青年は、一通りの行為が終わった後で、ボロキレのようになった己の服をつまみ上げ眉を八の字に下げた。

 

 

 ――あの、欲しいもの何でも下さるんですよね? 全裸で帰るわけに行かないので、とりあえず服お願いします。

 

 

 

 

 

 

      ◇      ◇      ◇

 

 

 

 

 

 

「……あの出会いからはや半年以上か。いやぁ、何度も美味しく頂かせてもらって、ルカルカにゃあ本当にお世話になったもんだぜィ」

「それはどうも。……あとノウケン将軍、寝込みを襲わないでください」

 

 

 起き抜けに見えたのは天井ではなくノウケン将軍のやたらと男前な顔面だった。

 ウェイブくんもイケメンだけど、垢抜けていないぶん色気とか洗練度は彼女のほうが上。けどこの人には爽やかさと純朴さが微塵もない。個人的な好みをいえば僕はウェイブくんの格好良さのほうに軍杯を上げる。容姿のみならず、もちろん中身も。

 

 

「可愛い子ちゃんがベッドにいたらとりあえずマウントポジションとるのが俺ちゃんの流儀でね。さっきまではここにセリュりんもいたけど、ルカルカ的にはそっちのほうが良かった?」

 

 

 馬乗りになったノウケン将軍は僕の頬をあやしい手つきでさすりながらニタニタ笑う。この人、僕が気絶している間にセリューちゃんにセクハラしてないだろうな。

 ……というか、駄目だ。セリューちゃんの顔を思い出したら連鎖で抱きしめられた暖かい感覚も蘇ってきちゃって、それだけで妙に気恥ずかしくなる。顔を赤らめるとノウケン将軍にからかわれそうなので、誤魔化しと抗議を兼ねてとりあえず目つきを険しくしておく。

 

 

「おーおー、そんなに睨むなって。心配せずともあの子に手は出してねーよん。ヘカトンケイルに噛まれちまう。ルカルカに話があるからって医務室から出て行ってもらっただけ!」

「……クロメちゃんとランさんにも駄目ですからね」

「えー。クロメっちのあの権力で迫れば仲間に迷惑かかることを気にして嫌々ながらも股開いてくれそうな感じとか、ランたんの内心こちらを利用しようって腹積もりを抱えつつも表面上はにこやかに相手してくれそうな感じとか、わりと大好物なんだけどなー」

「貴方のストライクゾーンは広すぎるんですよ……」

 

 

 さすが初対面で僕を押し倒してヨダレと血液まみれにした女性なだけのことはある。

 エスデス隊長の部下であるセリューちゃんたちを本気で手篭にしようって気はないと思うが、なにせ『オネスト大臣にすら“色キチガイ”呼ばわりされた』『オネスト大臣のご子息にセクハラかました前例もある』『エスデス将軍の胸を揉んで顔面を凍らされた』『将軍時代のナジェンダさんのケツを撫でてパンプキンで撃たれた』『異民族討伐にかける時間の半分は愛人と戯れるか美形の敵を陵辱している』『強姦魔を逆に強姦し返す』『娼館の女性全員を半日で抱き潰した』……そんな内容の噂を数知れず持ち合わせているノウケン将軍のことだ。

 あんまり油断していると、気付いた時には愛しのセリューちゃんやクロメちゃんやランさんやウェイブくん達がぺろりと頂かれているという事態になりかねない。ボルスさんは顔を隠しているから大丈夫だと思うけど、マスクを脱いだ顔は中々に精悍だったから「もしかしたら」という可能性は残る。

 ……ちゃんと僕が相手して気を紛らわせておかないと。

 

 

「……そういえば、話って何なんですか? 貴方がこの状況で僕をひん剥きにかかってこないってことは、セリューちゃんを追い出すための方便じゃなく本当に言うことがあるんでしょう?」

 

 

 枕の両側に手のひらを置いて完全に起き上がりを阻止されたこの体勢について、僕はもう変更を要求するつもりはない。そもそもこの人と同じ空間にいて性的な意味で襲いかかってこないならそれだけで自重してくれているのだから。いつもなら三秒で脱がされるコースだ。

 

 

「ああ、そうそう! ルカルカこないだ俺ちゃんの相手してくれた時、『ナイトレイド関係で新情報が入ったら何でもいいのでコッソリ教えてください』って言ってたっしょ?」

「……まさか、もう入ったんですか?」

 

 

 それをお願いしたのは確か、都民武芸大会の前夜くらいだったはず。あれから一週間も経過していないのにもう仕入れてくるとは。この人の性欲と情報収集能力は本当に常軌を逸している。

 

 

「えっへん。俺ちゃん優秀だかんね! お礼にもっぺん相手してくれて構わねーよ?」

「それは情報を聞いてから決めます」

「うーん、相変わらず淡白だこと。まぁいいや。これは革命軍の下っ端にいる俺ちゃんの愛人の一人が始末覚悟で横流ししてくれた情報なんだけど」

 

 

 悪びれもせず、しかし色悪めいて、ノウケン将軍は僕の眼球を舌で飴玉のように舐め上げながら卑猥に笑った。

 

 

「『神ノ御手パーフェクター』、革命軍の本部に回収されたんだとさ」

「……そう、ですか」

 

 

 それはつまり――ドクターが死んだということなのだろう。

 

 

 


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