「あの……なんていうか……本当にすみませんでした」
下着一枚で石抱きの刑に処されているウェイブくんの隣で、僕は縛り上げられ地面に転がされたままの体勢から静かに抗議する。
今日はタツミくんを逃がしてしまったことへの罰という名目で呼び出されたはずなのに、どうしてこうなってしまったのか。
「隊長。タツミくんに逃げられたのは僕なのに、どうしてウェイブくんを折檻するんですか? しかもこんな、僕に見せつけるみたいな状態で……」
「お前をいたぶったところで別に大した罰だと思わんだろう。連帯責任でウェイブを罰したほうがお前の心理的ダメージも増える。違うか?」
違わない。
震える唇をこっそり噛み締めて僕は視線を落とした。
この人、本当に真性のサディストだ。
僕にどんな罰が最も効果的かよくわかっている。
ああ、これでウェイブくんに嫌われてしまったらどうしよう。せっかくこんな僕をただ『仲間』だというだけで良く想ってくれるような奇特な人間と出会えたのに。もしも彼に嫌われてしまったら、きっと僕はセリューちゃんの次に僕を愛してくれる相手を失うことになる。
嫌だ。絶対に嫌だ。
エスデス隊長に鞭を振るわれてもぜんぜん痛くないのに。ウェイブくんに失望を込めて睨まれると考えただけで心が抉られたみたいにズキズキする。
「お願いします、するなら僕にしてください。ウェイブくんに嫌われたくないです……」
高みの見物を決め込む隊長に哀願。直後、「しまった」と己の過ちに気付く。
普段であれば隊長は僕をいじめていい状況なら好きなだけいじめにかかってくる。が、今回は話が違う。僕を直接的に甚振るよりも僕が愛しく思っている相手を僕の目の前で甚振るほうが効果的だと彼女は察したのだ。
ならばサディストの極みである彼女がその事実を見逃してまで僕に効果の薄い甚振り方を選択してくれる訳がない。むしろ僕にここまでの反応をさせられたことに喜んでもっとウェイブくんを責めにかかるだろう。
「ほう。演技も良いが、本気で哀れみを乞うお前の表情も思った通りそそるな。クロメ、石」
「ん」
考えた通り、隊長は這いつくばってわななく僕を満足げに見下ろして、隣に立つクロメちゃんに命令を下す。
石版を抱えたクロメちゃんはそれを躊躇うことなくウェイブくんの上へと落とし、彼は痛みのあまりに仰け反りながら叫んだ。
噛みすぎた唇が切れて血が滴り落ちるのを自分で感じる。
「ウェイブくん、ごめん。本当にごめん。お願いだから嫌いにならないで……」
我ながら都合の良いことを言っている。
人に損をさせておいて好いて貰おうなんて。僕みたいな奴は人にどれだけ得してもらえるように尽くしたって嫌われることのほうが多いのに。
だからせめて、僕を愛してくれそうな人にはそんな風に思われたくなくていつも頑張ってきた。それでも捨てられたり置いて行かれたりして、そのたびに心臓よりずっと奥の、よく分からない場所が死にたいほど痛むんだ。
今だってそう。ウェイブくんに嫌われることを考えただけでまた死にたくなってきた。セリューちゃんの存在がなければ、もっと嫌われてしまう前にいっそ、とこの瞬間に喉をかっ捌いて自殺していたかもしれない。
「なに泣きそうになってるんだよ。仲間なんだから連帯責任くらい当たり前だろ? こんなことで嫌いになったりしねーって」
痛みで息絶え絶えになりながらも、ウェイブくんは生来の優しさゆえにそんな言葉を投げかけてくれる。
僕は思わず視線を逸らした。
「……でも僕、キミに損させた。僕みたいな奴にそんな迷惑かけられたら嫌いになるに決まってるよ」
普通の人間にだって迷惑かけられれば煩わしいと思うのに、相手が僕みたいなのならむしろそう思わないほうが可笑しい。
ウェイブくんは優しいから気を遣ってくれているだけだ。きっと内心じゃあ僕への好感度がダダ下がりして地面を抉るまで落ちているはず。
愛されたい。
ただそれだけの願いを叶えるために、昔から僕は命を懸けたって足りないんだ。でも仕方がない。魂が腐ってるんだ。どれだけ一心不乱に求めたって、誰もそんな異物に愛なんてくれない。
そう思って生きてきたけど、世の中にはそんな僕にすら愛をくれるかもしれない奇跡みたいな人種がいると知って。そんな彼ら彼女らから好かれようと必至に足掻いてきた。
でもやっぱり、人生そう上手くは行かない。また貴重な相手を失ってしまう。また捨てられる。
しだいに視線を地面に落として顔を青ざめさせる僕に、ウェイブくんは何を思ったのか溜息を一つだけ吐いて、仕方のない生き物を相手を見るような、それでいて暖かい眼差しを僕に向けてくれた。
「お前が俺に迷惑をかけたって思い込んでるなら無理に否定はしない。じゃあ、言い方を変えるぜ。……俺はお前に迷惑をかけられたかもしれない。でもそれが嬉しいんだ。それだけお前と深く関わりあえてるってことだ。頼られるきっかけになるってことだ」
「……頼る? 僕が? ウェイブくんに?」
彼の精悍に整った顔立ちを見つめてバカみたいに復唱する。
そんな反応しかできないくらい、その言葉は予想外だった。
「ああ。せっかく仲間なんだからさ。そんなに気ィ遣わないで、もっと俺に頼れよ。お前のワガママの一つや二つくらいドンと受け止めてやれるタフさはあるつもりだぜ」
海を照らす太陽のように明るく輝く笑顔。ギザギザした木の上に座らされて、重たい石をいくつも乗せられて。きっと拷問慣れなんてしていない彼にしてみれば絶叫したいほど痛いだろうに、それでもウェイブくんは僕にそんな表情を向けてくれる。
……誰よりも人に哀れまれてきたと自負する僕だからこそ分かる。ウェイブくんは僕を可哀想に思ってこんなことを言ってくれているわけじゃない。本気で僕を嫌いになったりしないと思っていて、本気で僕はもっとウェイブくんを頼るべきだと感じていて、本気でその主張を僕に示してくれている。
憐情ではなく友情で、ウェイブくんは僕に「頼れ」と言ってくれている。
この僕に迷惑をかけられておきながらそんなことを何の下心もなしに口にできる人間なんて、一体この世に何人いるのだろう。
きっと手足の数よりも少ないその貴重な相手に、僕は今、こうして笑いかけてもらえている。
「なんかクサいこと言っちまったな。つまりほら、アレだ。大船に乗った気持ちでいろってことだよ! 俺、海の男だし!」
「……どうしよう、ウェイブくん」
「ど、どうした? 今のギャグ寒かったか?」
「いや……なんていうか、嬉しすぎて死んじまいそう」
きっと真っ赤になっているだろう顔を地面へと押し付けて小さく言葉をこぼした。
なんてことだ。ただでさえイケメンのウェイブくんが中身までこんな天然の人たらしだったなんて。僕が女の子だったら今のトキメキだけで妊娠五ヶ月くらいにはなっている。
そして自分がそれなりに整った顔立ちをしていることにも感謝しなければならない。拘束された男が頬を紅潮させて嬉しそうにしているシーンなんて、並の容姿でも気持ち悪いのに不細工ならもはや視覚の暴力だっただろう。
「……せっかくルカが本気で苦しんでいる珍しい姿を楽しんでいたというのに、まったくお前という奴は。クロメ、火」
「んっ」
「あああづあああ!!」
隊長の命令で再びウェイブくんへの拷問をお手伝いするクロメちゃん。今度はロウソクから溶けたての熱い蝋を垂らす、ドSのトップクラスたる隊長にしてはかなり控え目な内容だ。
今まで隊長の拷問相手は何回か務めてきたからわかるけど、隊長は人に痛みを与えることより、痛みを与えられた人がどんな反応をするかというほうを楽しみに感じている。
だからウェイブくんみたいに我慢することなく叫んでくれる子ももちろん好きみたいで、タツミくんを逃がしたと聞いた時から下がりっぱなしだった彼女の機嫌はウェイブくんが叫んだり泣いたりするたびに徐々に上がって行っている。
……今ならお願いも聞いてもらえるかもしれない。
「隊長。後は僕がお相手しますから、ね?」
なにが「ね?」だよ。と自分でも思ったが、まあ意図は伝わるだろうし問題あるまい。
ウェイブくんに嫌われてないとわかった僕がさっきほど精神的ショックに苛まれていないことを隊長も察している。さらに機嫌が戻りつつあるこのタイミング。願いが通る確率は低くはないはずだ。
「ふむ。予定ではこのあと、ウェイブには水責めとムチ打ち程度のお遊戯がまだ残っているのだが……」
「今ウェイブくんと変えてくださったら、僕、審問椅子に重しつけて座りますし両手足の爪ぜんぶ自分で剥ぎますし硫酸くらいなら舐めますし脇腹の肉をペンチでねじり取られても大丈夫ですから」
多少は揺らいでくれているようなのでさらにダメ押し。
頻繁に僕を拷問相手に誘うエスデス隊長だけれど、さすがにノーマルコース以上だと仕事に差し支えるという理由で責め方をセーブしてくれることが多い。
だからいつもは精々、拘束衣と異端者のフォークの組み合わせを装着させられて放置プレイだとか、失神する寸前まで水桶に顔を押し付けられてギリギリで力をゆるめるのを繰り返されるとか、ストラッパードで吊り上げられるとか、その程度の外傷少なめのもので済ませてくれている。
しかし本来の彼女はサディストのてっぺんに君臨する者。当然そんなぬるい責めで本気の満足を味わっているわけがない。
それに我ながら妙な自信だが、僕を見て「いじめたい」と思わないサディストなんてこの世にいないんだ。僕から「可愛がってくださいね」と誘えば、それがサディスト相手である限り他人から僕になびかせることの成功率は100パーセントを誇る。
「ほぅ……今回はずいぶんと気前が良いな」
「いま嬉しいことがあったばかりですから」
ふふふ、と、思い出し笑いをしながらなんだか幸せな気持ちで僕は答える。
ウェイブくんが「頼れ」と言ってくれた。跪けでも舐めろでも平伏せでもなく頼れだ。世の中これほど優しい命令形が他にあるだろうか。
かっこいい上に僕を愛してくれるなんて、ウェイブくんとの出会いは僕の人生の中でもトップ5に入る奇跡だ。もちろんセリューちゃんとの出会いもこの中に入っている。
「おいルカ! 気ィ遣うなって言ったばかりだぞ!」
何故かちょっと怒った様子のウェイブくんに叫ばれたので、僕は彼にいらぬ心配をかけないよう満面の笑みを浮かべる。
「大丈夫。僕と隊長のスキンシップみたいなものだし」
「そうだぞウェイブ。それに、こいつほど加虐されるのが上手い人間は中々いない」
フォローになるかどうかは不明な援護射撃が隊長からも繰り出された。
「相手の嗜虐心を煽りつつ後遺症が残らない程度の損傷で満足させる演技力とスキル。アレは一度ハマると耐え難くクセになる。他の悲鳴が豚の呻き声ならルカのは金糸雀の囀りといったところか。こいつは本当に良い声で啼く」
艶かしいほどの熱い吐息が御柳梅の唇から漏れ出る。
欲情にも似た嗜虐心の疼きを感じ取ってか、隊長の頬は鮮やかに紅潮していた。
興奮を押さえつけるように己の体を抱きしめるその姿に、ウェイブくんはやや引き気味な様子。
思い出しただけでこれだけの反応をして頂けるほど、僕のいじめられっ子っぷりは気に入られているらしい。
そういえばこの間も、廊下ですれ違った拷問官の人に「見た瞬間に惚れました! 一度でいいから酷い事していいですか?」なんてハァハァしながら告白をされたばかりだった。
ひょっとしたら最近サディスト限定の誘惑フェロモンとか出始めたのかもしれない。だとしてもあまり嬉しさはないが。
「ス、スキンシップですか……まあ、それで二人が納得してるなら」
渋々ながらもウェイブくんは受け入れてくれた。
解放を指示されたクロメちゃんが彼の上に乗っけている石を除くのを眺めていると、タツミくんの捜索に出かけていたセリューちゃんが扉を開けて入ってくる。
表情から察するに結果は芳しくなさそうだ。
「隊長! 申し訳ありません! フェイクマウンテンを山狩りしてもタツミは見つからず、コロでも追跡は不可能でした!」
「ヘカトンケイルの本分は戦闘だろう。気にするな」
隊長の言葉に、コロくんが「いやぁ面目ないッス」みたいな顔で後頭部をポリポリやっている。懐かしの帝具スペクテッドならば彼の内心も読み取れたりするのだろうか。やってみたいようなみたくないような、そういう複雑な気持ちだ。そもそもあれはナイトレイドが所有しているので出来るはずもないのだが。
「スタイリッシュの方はどうだったんだ? あいつも捜しているんだろう?」
「はい。独自に動かれているようですが……まだ連絡入りませんね」
「まあ……望みは薄いか」
恋煩いにも似た溜息をこぼして軍帽を被りなおす隊長。
彼女にこんな切なげな仕草をさせるのだから、本当にタツミくんは凄い男だと改めて思う。僕は隊長に可愛がられてはいても愛されてはいないもの。
「隊長。そのタツミくんの件なんですが」
今までずっとだんまりを決め込んでいたランさんが、発言の機会を悟ったらしく静々と口を開く。
今日も今日とて雪花を欺くお麗しさは健在である。美人は三日で飽きるなんて言うけれど、あれくらい綺麗だともはや天使なのだ。そういう範疇ではない。
隣にエスデス隊長が並んでいることの相乗効果で余計にキラキラしい光景として僕の目には映っている。絶世の美女と常世の美男のツーショットなんて芸術家なら歓喜せずにはいられない。
「先程のお話では彼は反乱軍に入る可能性がある……そう仰ってましたね」
「ああ。大胆にも私を誘ったほどだからな」
マジか。僕を勧誘するだけじゃなく隊長まで引き抜こうとするなんて、タツミくんってば精神的なタフネス凄まじい。
……でもまあ、逆に言えばタツミくんは隊長と僕だけで終わっておいて良かったと思う。もしセリューちゃん相手なら問答無用で正義執行だし、他の面々でもあまり良い顔はしないだろうから。
「もし敵として彼が現れた場合、我々はどのように対処すればよろしいですか?」
ランさんの問いかけに、隊長はほんの一瞬だけ迷うような素振りを見せたあと、その名残を一切感じさせないいつも通りの凛々しい表情に戻った。
ランさんらしい素晴らしく有意義な質問と、隊長らしい颯爽とした切り替えの速さだ。
「正直……タツミのことは今でも好きだ。なかなか手に入らないからこそ燃えてくるものもある。だがそれよりも部下の命が優先だ。生け捕りが望ましいが、いざとなれば生死は問わん」
「承知しました」
「悪に染まっていた場合は裁くしかありませんもんね!」
「死体でも生体でも見つけたらちゃんとお持ち帰りします」
優雅に微笑むランさん、通常運転のセリューちゃん、発言に反して持ち帰るなら死体の状態でしか持ち帰る気のない僕。
そんな僕たちを見回して席を立った隊長は、何かに思いを馳せるような表情で窓から空を見上げたあと、縛られたままの僕に近寄ってきて体を掛け声もなく抱き上げた。
純朴な少年ならこれだけで気絶してしまいそうな婀娜めく笑みで僕の顔を覗き込んで、隊長は舌なめずりを一つ。
「さて、約束通りたっぷりと弄ばせてもらうぞ。せいぜい私好みに喘げ」
「誠心誠意励ませていただきますとも」
にっこり応じれば、背後でランさんから飲み物を貰っていたウェイブくんが「ブフォッ!」と吹き出す音。驚愕の目でこちらを眺めるクロメちゃん。そして妙に怖い笑顔で僕を見ながら絞め殺す勢いでコロくんをホールドするセリューちゃん。
「頑張ってくださいね」
ランさんだけはさすがの冷静さでエレガントに僕と隊長を送り出してくれた。
拷問室目指して歩く隊長の腕の中で揺られながら、僕は昨日別れたばかりのタツミくんの未来へと思いを馳せる。
だがまあ、考えるまでもなく決まっていた。
エスデス隊長が惚れた男の末路なんて、愛されるか、殺されるかだ。