画家が描く!   作:絹糸

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第2話:首切りザンク

 

 セリューちゃんとの約束からすでに数週間は経過した。

 

 ナイトレイド捜索に協力すると申し出たものの、その影さえ掴めないうちにオネスト大臣の遠縁であるイヲカルという金持ちまでもが銃殺され、セリューちゃんは仕事中を除いてずっとピリピリしている。

 

 最近じゃあ『首斬りザンク』なんていう連続殺人鬼まで登場してきたのだから、もうセリューちゃんの狂おしいほど正義を愛する心は爆発寸前だろう。

 この際ナイトレイドでも良いのでザンクさんをどうにかして欲しいものだ。

 

 

「それじゃあセリューちゃん。夜の見回りの当番だから、僕ちょっと出てくるわ」

「わかりました。ルカくんの正義の心で、たくさんの悪を滅して来てください!」

 

 

 セリューちゃんは角度も決まり具合も文句なしの見事な敬礼で僕を詰所から送り出してくれた。

 “正義の心”なんてものが果たして僕の中にあったかどうか。

 自分に邪悪の心があるとも思わないが、良識より美意識に従って生きてきたのが僕の人生である。

 

 

「しっかし、いやに赤い月だな。これはこれで芸術的だが」

 

 

 夜道を一人でぶらぶらと歩きながら愚痴をこぼす。

 黄金の月がまだらな紅に染まり、闇夜を不気味に照らすその風景は、人々の感動よりも狂気を煽るもののように見える。

 今日は何かが起こりそうだ。

 

 

「とは言っても、帝都で何も起こってない日なんて無いな」

 

 

 それならば、今日どれほど残酷な場面に遭遇したとしても、それはいつも通りのありふれた日常なのかもしれない。

 なんて、下手な哲学者みたいなことを考えながら曲がり角を右に行く。

 ……錆びた鉄を連想させるあの臭いが鼻腔をくすぐったのは、僕がその“気配”に気づくのとほぼ同時だった。

 

 

「おっと!」

 

 

 背中のアーティスティックを素早く振るって相手の攻撃をガードする。

 見た目こそただデカいだけの絵筆だが、このアーティスティックはそんじょそこらの刃物程度なら拮抗しても傷一つつかない強靭な素材で製作されている。

 杖術の要領で扱えば鈍器としては中々優秀なのだ。

 

 防ぎがてらにさっさと後退して襲撃者と距離をとる。

 目測にして5mといったところか。達人ならば一瞬にして詰められる距離だろう。それなのに踏み込んで来る気配を見せないということは、ひょっとしたら遊んでいるつもりなのかもしれない。

 

 夜の暗がりに紛れ込む男のものと思しきシルエット。

 それを視界に収め、知らず知らずのうちに僕の唇は笑みを刻んでいた。

 もちろん歓喜の笑いなんかじゃない。苦笑いだ。

 

 

「アンタ――ひょっとして、噂の首斬りザンクさんかい?」

「その通り。いやぁ、たまたま目をつけた警備隊員が帝具持ちだったとは。愉快愉快」

 

 

 ケタケタと笑う男の腕には二本の刀。

 二刀流なんて扱いづらいもの、使うのは素人か玄人の二者択一。そして殺した相手の三割が警備隊員だというこの殺人鬼が――素人なわけがない。

 

 それにしたって、なんで僕が夜警の日にわざわざ辻斬りを刊行するんだ。

 セリューちゃんが一人で夜警の日に襲撃されるよりはマシだが、まったく、幸運の女神様は僕みたいなタイプの男はあまりお好みじゃないようだ。

 

 

「そのセリューちゃんってのは、恋人か何かかい?」

 

 

 出会った以上はやるしかない。

 そう意気込んでアーティスティックの能力を発動しようとしたところで、先手を打つタイミングでザンクさんがそんなことを言ってきた。

 無言のままに表情だけで驚愕する僕を見て、反応に満足したらしい彼は本当に愉快そうに笑みを深める。

 

 

「いんや。愛してるけど恋してない、イかしてイかれた僕のキュートな同僚だよ」

 

 

 ――心を読む帝具か?

 非常に厄介だ。舐めてかからず初めから攻めていこう。

 

 軽口とは裏腹に頭の中は穏やかじゃない。それが伝わったのだろう。ザンクさんのほうも相変わらずの嫌な笑いは消さないまま、両腕に装着した二本の剣を慣れた風に構えた。

 

 

「そう、五視万能スペクテッド! いまお前の心を読んだ能力は洞視! 相手の感情と思考を読み取る能力さ。まあ、観察力が鋭いの究極系だな」

 

 

 処刑人と聞いてたから、手練といっても大したことないと思っていたが……これは認識を改めたほうが良いかもしれない。

 こちらの情報が全て相手に伝わるならいくら警戒してもし足りないくらいだ。

 

 着用している割烹着みたいなエプロンの内側に手を突っ込んで絵の具のチューブを取り出す。

 帝都警備隊は制服が決まっているが、僕のアーティスティックは戦うたびに絵の具や墨汁をあたりに跳ね散らかすから、僕だけは例外としてこのエプロンを装備することが認められている。

 頭にかぶったベレー帽はせめてもの芸術家アピールだ。

 

 

「ほう。その絵の具を使って手にしている筆型の帝具で危険種の絵を描き、能力により実体化。それを俺に相手させている間に警備隊の詰所に戻って応援を呼んでくるという算段か」

「……本当に厄介だな、そのスペクテッドとかいう帝具」

 

 

 僕の作戦がモロバレしてやがる。

 しかも間接的にアーティスティックの能力まで察知されてしまった。これで僕の帝具を警戒したあの人は、もう二度と僕の手がポケットの内側に潜り込むことを許さないだろう。

 

 本当はここから、事前に完成の一歩手前まで巨大な紙に描き上げておいた危険種の絵を取り出し、それに最後の一筆を加えることで実体化。

 それが僕の命令に従いザンクさんの相手をしている間に詰所のセリューちゃんを呼んでくるつもりだったのだが、こうなってしまった以上、もうそれも通用しない。

 

 僕は片腕をポケットに突っ込んだり絵を描いたりしながらザンクの相手をできるほどの卓越した強さは持っていない。

 だったら夜警の前に危険種の絵とやらを実体化させておけばいいじゃないか。とツッコミを入れられそうだが、それも無理な話なのだ。

 

 千紫万紅アーティスティックで描いた絵が実体化できるのは十分まで。それを超えるとただの平面に戻り、同じ絵を二度続けて実体化させることも不可能。

 『便利だけど面倒臭い帝具ランキング』があれば、ナジェンダ元将軍が使っていたらしい浪曼砲台パンプキンの次の次くらいにはランクインされる代物だろう。

 

 

「能力の発動が無理っぽいとなると……しゃーねぇ。腹くくっての肉弾戦か、尻まくっての逃走劇か」

 

 

 呟きながら、僕の次の行動は既に決まっていた。

 

 アーティスティックを、ぶん、と空中で一薙ぎ。すると一本の筆でしかなかったソレが、まるで等間隔に切断されたようにあちこちバラバラになり、その間にはパーツを繋ぎ留めるための細やかな鎖がきらりと月光を照り返す。

 多節棍。鎖で伸びた分も合わせれば全長3m。これがアーティスティックの戦闘モードとでも言うべき姿だ。

 

 

「ほう……やる気かい?」

「アンタを殺せば喜んでくれそうな正義に狂った可愛い子ちゃんが一人、身内にいるもんでね」

 

 

 瞬間的に踏み込んだ。

 地面のレンガを砕く我ながら力強いスタートダッシュは、しかし相手にとって予測済みのものだったらしく、しならせたアーティスティックの一撃もあっさりかわされる。

 

 背後から迫り来るザンクさんの剣撃。

 それを空中に飛び上がって避け、そのまま近くの壁を蹴った勢いでザンクさんの脳天へ硬質の筆を見舞う。

 ――つもりだったが、相手の回避行動により僕の攻撃は脳天ではなくザンクさんの右肩を強打するに終わった。

 

 入れ違いに僕も脇腹を斬られる。

 真っ白なエプロンが切り裂かれて、中から滲んできた色は血の赤でなく墨の黒。どうやら服に収納していた墨汁の一つがやられたらしい。

 薄皮一枚は裂けたかもしれないが、肉と骨は無事。

 

 ザンクさんのほうもダメージは無さそうだ。きっとあのスペクテッドの能力で、僕がどんな攻撃をするのか全てわかっているのだろう。

 だから初撃も第二撃もいなされた。身体能力で劣っているとは思わないから、やはり帝具の能力を彼だけ使えていることのアドバンテージが大きい。

 

 

「こんにゃろう。このエプロン今日の昼休みに買ったばかりだぜ?」

 

 

 悪態をつきながらも相手を観察する眼差しはゆるめない。

 またエプロンを買い替えにいかなければならないようだ。これで同じ店に同じエプロンを購入しに行った回数が驚異の3ケタ代に突入してしまう。

 あの店での僕のあだ名はエプロンボーイとかで固定されているに違いない。

 

 

「未来視を使ってもかわしきれない速度……やるねぇ」

「半年間で全身の骨が一通り折れるくらい上司にしごかれたからな。嫌でも成長するよ」

 

 

 本当、部下をしごくのが趣味なんじゃないかってくらいオーガ隊長の修行は凄まじかった。

 セリューちゃん相手にゃそこそこ優しかったってのに。あれほど明確な男女差別を受ければいっそ清々しい気分になる。

 

 

「さっき遠視で確認したが、どうやらナイトレイドも近くをうろついているらしくてなぁ。早く片付けちまわないと俺も危ないんだ」

「マジかよ。それじゃあ僕もやべーな。ザンクさん、一生のお願いなんでさくっと殴殺されてくんねぇ?」

「断る」

「そりゃそうだ」

 

 

 愚にもつかない束の間の雑談を切り上げて、お互い武器を握りなおす。

 ザンクさんの額を飾る目玉のついたベルトのようなもの――恐らく帝具だろうソレが茫洋と光を放ち、それと同時にザンクさんがにやりと粘着質な笑みを浮かべた。

 

 

「お前とのおしゃべりは楽しかったよ。けど、もうお開きにしよう」

「そうだな。良い子は家に帰って幸せな夢を見なきゃならない時間だ」

「幸せな夢なら今すぐに見せてやろう――」

 

 

 幻視。と、そんな呟きが聞こえた気がする。

 

 ……気付けば目の前に立っている相手は、首斬りザンクと呼ばれる男とはまったくの別人になっていた。

 

 

「五視万能スペクテッドの能力が一つ“幻視”。これは最も愛する者の姿を、相手の目の前に浮かび上がらせる能力だ……さあ、お前は最愛の相手を殺せるかな?」

 

 

 ザンクさんの言葉を耳にして、僕は驚愕に固まるしかなかった。

 

 ――頭に被った赤系統のベレー帽。

 ――作り手のセンスを疑う給食着みたいな体のラインを覆うエプロン。

 ――下に着ているのはダサいを通り越してヒドいとしか言い様のない洗いざらした芋ジャージ。

 ――便所スリッパと良い勝負ができるだろう安物特有のテカりを放つビニールサンダル。

 ――邪魔にならない程度の長さでざん切りにされ寝起きのようにあちこち跳ねている黒髪。

 ――血色の悪い病み上がりどころか末期患者じみた肌。

 ――まぶたの下をアイシャドウさながら縁取る真っ黒なクマ。

 ――それら決して美しいとは呼べない要素で構成されていながら、それでも「薄気味悪い」程度の印象でストップをかけ、決して「気持ち悪い」とは思わせないことの理由となっている、それなりに恵まれた端整な顔立ち。

 

 ああ、間違いない。

 いま目の前に立っている人間は。

 僕にとっての最愛の相手は――。

 

 ふらりとその影に歩み寄る。

 何かをこらえるように表情をこわばらせながら、僕はわななく唇をそっと開いた。

 

 

「――っははははははは!」

 

 

 握り締めたアーティスティックを一閃。

 同時に、口を引き結んで忍ばせていた笑いが腹の底から溢れ出す。

 

 ダメだ、こらえきれない!

 

 こめかみにまともに喰らって平衡感覚を失ったらしいザンクさんは、あっさりと地面に倒れ伏せている。

 よほど反撃が予想外だったのだろう。ふらつく視界の中でなんとか顔だけをこちらに向けた彼は、信じられないとでも叫びたそうな表情で僕に手を伸ばした。

 

 

「何故だ……何故、最も愛しいものを笑いながら殴れる……」

 

 

 伸ばされたその腕をアーティスティックのひと振りで骨だけ粉砕する。

 未だ余韻を残す笑いをなんとか口内で噛み殺しながら、僕は答えた。

 

 

「だってさぁ。ザンクさんのその能力で見えた“最愛の相手”が自分の姿だったんだぜ? そりゃぶん殴れるに決まってるさ。自分が二人もいるなんて気色悪い。さっさと消えてくれって思っちまう」

 

 

 続いて左腕を粉砕。次に右足を破砕。最後に右足に向かってアーティスティックを振り下ろす。

 骨の砕ける鈍い音と同時に、能力を発動し続けるだけの精神力が途切れたのか、目の前に見えていた自分の姿がザンクさんの姿に戻った。

 

 

「お……まえ、は……」

「あー、そんな汚物を見るような目で見ないでくれよ。アンタがどんな聖人君子ばかりを相手にその能力を発動してきたかは知らねーが、自分が誰よりも愛おしいって手合いはこの世にゴロゴロ転がってるもんだぜ?」

 

 

 それに、自分が最愛だからといって他者を愛せないわけじゃない。

 誰かのために殺すことも、誰かのために死ぬこともできるだろう。

 

 ただ、その『誰かのために』が、本当は『誰かのために何かをしてやりたいと思っている自分のため』だと気付いているだけだ。

 

 ザンクさんの目の前にしゃがみこんで、額につけられたスペクテッドと思しきアイテムをもぎ取る。

 

 始皇帝の作りし48の超兵器の一つ。

 そんな貴重なものを「正義のために役立つと思ったんだ」なんて一言でも添えて持って帰れば、セリューちゃんはきっと快く絵のモデルを引き受けてくれるだろう。

 

 

「待っててくれよ、セリューちゃん。いま帰るから」

 

 

 念の為に指の骨と肋骨も何本か砕いて、よっこらせ、とザンクさんの巨体を担ぐ。

 殺してもお咎めはないと思うけれど、こういうのは余裕があれば死体よりも生かして連れ帰ったほうが評価が高い。

 別に権力者の後ろ盾で好き勝手やってる犯罪者ってわけでもないし、順当に裁判にかけられれば死刑で決まりだろう。

 

 ――はっきり言って、この時の僕はかなり気が抜けていた。

 

 

「……待て」

 

 だから、今日の夜空に浮かぶ赤い月のようなその鋭く玲瓏とした声が己の耳朶を打ったとき、自分でも情けなくなるくらい振り向くのが遅れたのだ。

 

 

「おいおい、勘弁しとくれや。まさか首斬りザンクが実はコンビ名で殺人鬼は二人いるとかそういうオチじゃ――」

 

 

 緊張を紛らわすために軽口を叩きながら体ごと後ろに向き。

 その先にいた人物の姿を認識した途端――思わず絶句した。

 

 

「嘘、だろ……」

 

 

 ぬばたまの黒髪は宵闇よりもなお深く夜風に揺らめき。

 未だ少女期のあどけなさが色濃いその可憐な容貌は、しかし血でできた宝玉のように呪わしく美しく、鋭い意思をたたえた真紅の双眸に剣呑と彩られている。

 ゆるやかな凹凸を描く細身の肢体は暗殺部隊のものとよく似た衣装に包まれ、そして何より人目を引くのは、腰にぶら下がった朱塗りの鞘と、彼女が手にしたその中身。

 

 抜き身の妖刀。

 一斬必殺『村雨』。

 すなわちその持ち主とくれば。

 

 

「ナイトレイド……アカメ」

 

 

 乾いた喉から絞り出した声は、月光に染まる夜の町で嫌というほど綺麗に響いた。

 

 

 


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