「ヒャッハー! この道は通さねぇぜー!!」
「大人しく金目のものを置いて行きなぁ!!」
「そうすりゃ命だけは助けてやってもいいぜぇ!!」
白目を剥いてベロを突き出したマッスルボディの男性達がそんなことを叫ぶ。
――フェイクマウンテンに入ってチームごとに別れ、散策をはじめてから十分とたたないうちに遭遇してしまったのがこんな光景だ。
あからさまな盗賊団アピールの激しい五十人ばかりの集団で、僕とタツミくんとウェイブくんを囲い込む形で木々の隙間から湧き出てきた彼等。
本当のことを言ってしまうと、彼等がここで僕たちを襲うように仕向けたのは他の誰でもない僕自身だ。
彼等は近所のいたって凡庸な盗賊団で、基本的に考えなしというか頭が抜けているような人たちばかりなので、頭と仰ぐ男に命令されればどれだけ不自然な内容でも我先にと言うことを聞いてくれる。
それを前々から知っていた僕はまず彼等の頭が飲み屋で都合良く泥酔していたところを闇討ちし、不得意な拷問でアジトの場所を聞き出しその死体を埋めたあと、実体化させた彼の絵をアジトに向かわせこう言わせたのだ。
「明日はフェイクマウンテンで張り込んで通りがかりの奴らから金目のものを巻き上げてこい」と。
だから僕は盗賊団の皆様がここいらで登場することを知っていたのだけれど、昨日の時点じゃ二手に別れるとも西側に行くとも決まっていなかったので場所までは指定できなかった。
それなのに見事に僕たちを襲おうとしてくれている盗賊の皆様には心の底で万歳三唱を贈りたい。
「ひー、ふー、みー、よー……いやぁ、数多いね。どうするウェイブくん? 生かして逮捕か死なせて廃棄か。前者だと連れて帰るのかなり手間だけど」
「今回は殺せって命令されてないんだから生かして逮捕に決まってるだろ」
「了解。愛しのキミに従うぜ」
「お前そういう勘違いされるような言葉のチョイスやめてくれって」
白々しい演技と共に僕はDrスタイリッシュに貰ったマイオトロンを取り出す。
これは効果的にはいわゆるスタンガンのようなものらしいのだが、なんでもドクターいわく脳の中枢神経に直接的に働きかけて身動きがとれないようにするものだという。
効果は個人差あれど30分は確実に立ち上がれない強力なもの。片手サイズで持ち運びにも便利。スタンガンと違ってバチバチとうるさい音もそんなに鳴らないから静かだし、何より人からの好意の贈り物って時点で僕のテンションがちょっと上がる。
「それ何だ?」
「マイオトロン。ドクターにデートに誘われて付き合ったらお礼にくれた」
「デ、デート!? ドクターってあのDrスタイリッシュだよな!? なにか変なことされなかったか?」
「……変なプレイはしてないよ」
「変じゃないプレイはしたって事なのか!?」
知りたくないことを知ってしまったような青ざめた顔で絶叫して頭を抱えるウェイブくん。
ショッピングからのレストランっていう至って健全なデートコースだったからもちろん宿屋に雪崩込んだりはしなかったし、本当は頬にキスされたり手を繋いだりしただけなんだけど、ウェイブくんのリアクションが楽しみでついつい悪ノリしてしまった。
彼の脳内ではドクターと僕が半裸でベッドインみたいな映像が流れているのかもしれない。でもさすがの僕も「セリューちゃんはドクターのこと敬愛してるみたいだし、僕もドクターのこと嫌いじゃないから仲良くなっとけば楽しいかなー」なんて適当な理由で援助交際じみた真似はしない。
そもそもドクターの好みは僕みたいに病的なのよりウェイブくんのような健康的なイケメンだ。本格的に狙うならドクターはそっちに行くだろう。
「テ、テメェら……人を無視しておしゃべりだぁ良い度胸じゃねぇか……!!」
「くびり殺してやらぁッ!」
「テメェら三人とも生きて帰れると思うなよ!!」
「え、ちょ、俺も!? 喋ってないのに!」
激昂して襲いかかってくる盗賊さんたちにタツミくんは律儀に反応を示しつつも、腰に引っさげていたなんだか格好良さげな剣を抜いてしっかりと構える。
この中でいちばん弱く見えるのはたぶん僕だけど、タツミくんもどこかお人好しそうなオーラが出ているし、何より彼はまだ年端もいかぬ少年だ。殺しやすいと踏まれたのだろう。
「おっと、そうはいかないぜ!」
しかしタツミくんはあのエスデス隊長が恋の相手と見込んだ男。
当然、通りすがりの一般人にすら不意打ちで倒されそうな盗賊さん達の実力では勝てる要素が一つもない。
刃を使わず鍔で叩いて次々と盗賊さんたちを気絶させていくタツミくんに、恐れ慄いた彼らは標的を僕のほうへと変えた。
「そっちの病人みたいなにーちゃんから殺してやるぜ!」
「綺麗な顔を傷付けたくなけりゃあ避けるんじゃあねぇぞ!」
そう叫びながら粗悪品の銃を乱射しようとする盗賊さんの懐に素早く潜り込んで剥き出しの腹へマイオトロンを押し付ける。
綺麗と褒めてくれたのは満更でもない。
「うぐぉっ」
珍妙な唸りと共に力なく崩れ落ちていく盗賊さんの膝、そして顔面から沈み指先の一つも動かす様子は無い。
さすがドクター作の武器は護身用といえども威力が半端ない。市販品のスタンガンじゃここまで鮮やかに気絶しちゃあくれないもの。
そしてもう一人の盗賊にも振り向き様にマイオトロンの一撃を叩き込む。
「僕をあっさり死なせたいなら、三途の川の向こう側で隊長やランさんと同じくらい美しい人に手招きさせるのが一番だよ」
そしたらたぶん舞い上がってひたすらその美人を誉めそやしながら三途の川を渡りきったあたりで死んだことに気付くはずだ。
「ランさんって誰だよ……」みたいな顔をしながら後ろ向きに倒れ伏す盗賊さんその2。
残されたウェイブくんはというと放心している他の盗賊さんたちの意識を無双の活躍で流れるように刈り取っている。
ウェイブくん、抜けてるところあるけどああ見えてイェーガーズじゃエスデス隊長の次くらいに動ける子だ。少なくとも僕は素手の勝負で彼に勝てる気が微塵もしない。卑怯な手を使えばワンチャンスあるかもしれないけど。
「やべぇ、こいつら強いぞ!」
「くそっ! こうなったらトンズラこいてやる!」
「ヒャッハー! 逃亡だぜー!」
恐れを成して何人かの盗賊さん達が山の奥へと二方向に分かれて逃げ込む。
それを見逃すウェイブくんではない。
「待て! ルカ、タツミ! そっちは任せたぞ!」
「任せろ! そっちこそしくじんなよ!」
僕より仲間らしい返事をしたタツミくんが盗賊たちを追って駆け出す。
同時にウェイブくんも逆方向の連中へとスタートダッシュを決めたことを確認し、充分に距離がとれたのを確認したところで僕は並走するタツミくんの肩を叩いた。
「タツミくん、ストップ」
「でも、あいつらさっさと追いかけないと逃げちまうぞ!」
「大丈夫だよ。もう手は打ってある」
ほら、と指したその先では、ちょうど背中を見せて逃げ惑っていた盗賊さん達が音もなくバタバタと倒れ伏せていくところだった。
頭の上に『!?』なんて文字が浮かんでそうな表情でそれを見つめるタツミくん。そして倒れ込んだ彼等の周囲にぼんやりと光るなにかが複数漂っていることに気付き、彼はその正体を確かめる為に近づいてゆく。
「これは……ピクシー?」
「そ、三級危険種のね」
跡のついた折紙を何枚かひらつかせながら僕は答える。
「実体化させたこの子たちにドクターお手製の即効性弛緩剤をたっぷり入れた小型の注射器を持たせて、こうプスッと静脈に打ってもらったの。この子たち飛べばチーターより素早いから」
僕のアーティスティックで描いた絵が実体化されるのは、正確に言えば『絵が完成された時』。
だから特定の形に折りでもしない限り繋がらないような絵を紙に描いておけば、僕の手元にアーティスティックが無い時でもその紙を決めた形に折ってしまえば絵を実体化させることが可能なのだ。
これはアーティスティックを背負って入れないような場所でその能力を行使するための、いわば裏技のようなものなのだが、今みたいにいちいち穂先を墨汁とかに浸すのが面倒臭い時にも使える。
ちなみに弛緩剤はウェイブくんとランさんのスケッチ画をドクターに横流ししたら快く頂けた。私室の一番よく見える位置に飾ると言っていたので、きっと気に入ってくれたんだと思う。
「さて、と。それじゃあタツミくん。せっかく二人きりになれたんだ。メモの通りに良い話をしてあげよう」
「……何だ?」
「隊長から逃がしたげる」
「……は?」
タツミくんは虚を突かれたように口をあんぐりと開けてこちらを見つめる。
僕はといえば、彼のそんなリアクションは想定済みだったので気にせず続けることにした。
ここから先も彼が想定通りの対応をしてくれることを願って。
◇ ◇ ◇
「僕はあそこの盗賊さん達をふん縛ってる間にきみの姿を見失っちゃったことにするからさ。セリューちゃんに嘘がバレないようにしなきゃいけない以上、君をナイトレイドの一員として上に報告することはできない。どこで顔を見たんだよって話になっちゃうしさ。だからきみが近くにいないほうが精神的に落ち着くというか、いや、別にきみのことが嫌いってわけじゃないぜ? とにかく早くフェイクマウンテンから脱出して二度と隊長に捕まらないように気をつけとくれよ」
ルカは気絶した盗賊たちを植物のツルで緊縛しながら淡々と語る。
ひたすら黒いその瞳を見つめても彼の真意は掴めない。女性的とまでは行かないものの男臭さを感じさせない繊細な玉貌は、相変わらず表情に乏しく人間味も無かった。
高嶺の花ならぬ地底の花。陰鬱たる美青年は、それに相応しい暗晦の琴声でさも気軽に嘯く。
「ただし改めて敵として再会しても僕が逃がしたって言わないでよね。まあ、君がそう言っても僕はとぼけるけどさ。こう見えて演技にはわりと自信があるし」
「俺としてはありがたい申し出だけど、アンタ……俺を逃がしたらエスデスさんから罰とか喰らうんじゃないのか? ひょっとしたら死にたくなるような目に遭わされるかもしれないんだぞ?」
「生きてるんだから、死にたくなるなんて当然のことじゃないか」
何を今さら?
そんな風に思っているのか、ルカは背景一面に疑問符を貼り付けて首をかしげている。
タツミは無意識に息を呑んだ。
(生きていれば死にたくなるのが当たり前? そんなワケないだろ。普通に生きてても悲しいこととか辛いこととかあるけど、それと同じくらい楽しいことも嬉しいこともあるんだ。ずっと死にたいと思いながら生きてる奴なんて……そんなの……)
いるわけがない。
そう言い切るには、目の前にいるこの青年はあまりにも『そういう考え方』が似合いすぎていた。
(そうか、この人は……それが普通だと思わなきゃ生きられないような人生をおくってきたんだ)
タツミは思い至った。顔には哀れみの色があった。皮膚の内側全てが同情心で満たされるような衝動は、始めて味わうものであった。
「でもまあ、最近は前に比べてそう思うことも少ないかなぁ」
ルカの声はひどく遠くに聞こえた。昔の記憶を探るような、地獄に思いを馳せるような、精気の欠損した空虚な表情。
ああ。一体どのような仕打ちを受ければ、かくのごとき表情をこんなにも自然に浮かべることができるのか。
「なあ、ルカ――ナイトレイドで一緒にやっていかないか?」
気付けばタツミはそんな言葉を投げかけていた。
熱にうかされるように、憐憫の情に突き動かされて。
彼は自分を愛してくれそうな人の為に何でもすると言っていた。人を殺すことすら厭わないとも。そんな彼がもしも外道に目を付けられれば、彼は「愛している」というたった一言のために死地へと飛び込むことにもなりかねない。
愛してくれそうな人なら誰でも良い。ならば、別に自分達だって良いではないか。
レオーネはルカのことを毛嫌いしているが、彼女はああ見えて一度懐に入れたものには甘くなる節がある。
アカメはルカを引き抜こうとしたこともあると言っていたし、きっと心の底から相容れないということもないだろう。
マインは反対するだろうが、時間をかけて仲良くなっていけばなんだかんだ言っても彼女は優しい。
シェーレは敵に容赦ないぶん仲間に限りなく優しい。きっとナイトレイドに入った瞬間からルカにも快く接してくれるはずだ。
ラバックはルカと既に知り合いで彼のことを憎からず思っている風だった。きっと引き抜けば表にはあまり出さずとも心の中で喜んでくれる。
ボスは戦力になるなら警戒の目を向けつつも無下に追い払ったりはせず、とりあえず組織の一員として彼を中に置いてくれるだろう。
そしてタツミ自身、ルカのことが先ほどから心配で心配で仕方がない。
その身と命を惜しむことを『愛』というならば、タツミは多少なりともルカの望む愛を彼へと向けられることになる。
期待を込めてルカへと真剣な眼差しを向ける。
対するルカは一瞬、呆然とした様子で目を丸めたあと、ふいに俯き震える声で返した。
「……ありがとう。でも、無理だよ」
「何で!」
「ナイトレイドは革命軍の暗殺組織なんだろう? その目的は帝国の腐敗を根絶して民を幸せに導くこと」
「そうだ。アンタ、昨日山賊に酷い目に合わされた女の子たちに『僕も汚い』って言ってただろ? 詳しいことは分からないけど、アンタだって帝国の腐敗の被害者なはずだ! だったら現状を変えたいとは思わないのか!? 平和な国を望まないのか!?」
懇願のようなタツミの説得に、しかしルカはその顔を上げようとはしない。
ただ地面を見つめて首を緩慢に左右に振り、服の袖口をきつく握りしめている。
「たしかに僕は、たぶんキミたちが言うところの『帝国の被害者』ってやつに当てはまるんだと思う。けど駄目なんだ。国を変えようとは思えない。民を幸せにしようとは思えない。それどころか、僕は圧政に苦しむそこら辺の人たちに嫉妬すらしてる」
「嫉妬?」
「だってずるいじゃないか」
空気に掻き消えるほどの小さな呟き。
同時に上げられたルカの顔に刻まれた表情は、身の毛もよだつほどに痛ましかった。
「どうしてあの程度の目に遭っただけで助けて貰えるのさ。僕はもっと酷かったのに。貞操なんてものは赤ん坊の時に失ったよ。パンくずより貧相な食事のために皮膚を剥がれる痛みに笑って耐えたよ。飼い主に飽きて捨てられないようにプライドも何もかも捨てて媚びへつらったよ。人としての尊厳なんて生まれる前から無かったよ。煮えたぎった熱湯を喉に直接注がれた直後なんて息をするのも苦しかったよ。それでも容赦なく地面に押さえつけられて他の場所にもぶっかけられたよ。ふやけて真っ赤になった肌を彫刻刀で肉ごと削り取られたよ。嘔吐しながら泣き叫んだらうるさいって舌に焼きごてを押し付けられたよ。そのあと床に吐いたものを自分で綺麗にしろって火傷したばかりの舌で舐めさせられたよ。時間がかかったら遅いって罵倒されて舌を思い切り踏みつけられたよ。舌が動かせないから顔を見上げて目だけで謝ろうとしたらもう片方の足で蹴り飛ばされて根元が三分の一くらい千切れたよ。壁にぶつかって失神したら片足の骨を踏み砕かれる痛みですぐに起こされたよ。許可もなしに勝手に気絶した罰だって足の裏を裂いてそこに生きたムカデを何匹も無理やり突っ込まれたよ。押し込められた虫たちが自分の体の中で潰れる感覚を必至でやり過ごしたよ。そしたら叫ばないなんて生意気だって口の中にもムカデを突っ込まれたよ。お礼をしろって言われたから頑張って満面の笑みを作りながら『こんな僕にプレゼントを下さってありがとうございます』って呟いてムカデを飲み下したよ。そのあと――――」
――青い空は変わらない。流れる雲も変わらない。そよぐ風、金色の日差しもそのままだ。
だが、その中で、ひとたびこれを聞いたものは悲痛のあまり耳を塞ぎ、その場を離れぬ限り涙を流し尽くして枯れてしまうのであろう。
それは、生きとし生けるもの全ての精神をゆさぶる悲鳴のようであった。
そしてタツミの耳は、その中に紛れもないルカの傷と闇を聞き取ったのである。
「ああ、五寸釘を太ももにいくつも打ち込まれたこともあったっけ。前歯にアイスピックで穴を貫通させられた時は久しぶりに痛みで眠れなかったなぁ。ああ、そうそう。タツミくん鍋責めって拷問知ってる? まず仰向けに寝かせた人間を身動きとれないように縛り付けるんだけどさ。用意した大鍋にネズミをたくさん入れてその人の腹部に逆さまに乗っけて、鍋の上で火を焚くんだ。鍋に熱が伝わるとネズミたちは出口を求めて、下にいる人間の皮膚と肉を食い破って体の中に入ろうとしてくるんだよね。腹の中で無数のネズミたちが蠢く感触のおぞましさったら我ながらよく耐えられたもんだと――」
「――もうやめてくれ!」
だからこそ、耐え切れなかった。
人という存在の全てを同情心で染め上げて塗り潰してしまうようなその声に。ルカの感情の吐露に。
手のひらできつく押さえた両耳の中、鼓膜の内側で、彼の悲劇そのもののような声が退廃的に反響し続けて途絶えない。
頬には気付けば涙が伝っていた。いつ流したのかもわからない。いつ止まるのかもわからない。
喉から漏れ出す嗚咽と泣き声。目の前にいるルカはうすら笑いを浮かべているというのに、本当に泣くべきは彼だというのに、何故自分だけがこうも軽々しく泣いてしまうのか。
「……ね、これで分かったでしょう? 僕がどれだけ手遅れな奴なのか」
泣きじゃくるタツミの前で、ルカは泣き顔よりもよっぽど悲惨な笑顔を浮かべている。普通に笑っているつもりなのだろうか。ふざけるな。そんな風に笑うくらいなら泣いてしまったほうが楽に決まっているのに。泣けばそれで全てが壊れてしまうとでも言うように、彼は見るも無惨な微笑みを崩さない。
不自然に大きく見開かれた目。両端を引き上げた口元。病的なほどの蒼白に彩られた相貌の上で、不自然なその表情がなおのことタツミの脳内をぐちゃぐちゃと掻き乱す。
「今更まともに生きるとか無理なんだよ。さっき言った内容だって僕の体験した中じゃかなりマシなほうだぜ。あれ以上の苦痛と恥辱に見舞われる夢を今でも毎日のように味わってるんだ。生まれてこのかた一度だって健やかになんて眠れた試しがない。寝ても痛みで醒めても苦しいんだ。こんな風に生きてきた奴が、唯一の心の安らぎを得られるのが、美しいものを見ている時と誰かに愛されている時なんだ。でもね。美はともかく、こんなゴミ溜めの端で腐ってるだけの汚物みたいな僕を愛してくれる人間が一体どれだけいると思う? キミのいう平和な国なんて誕生したところで、僕を愛してくれる人が増えるわけじゃないんだ。そんなのに命懸けられないよ。それなら僕は、たとえ狂ってようがなんだろうが僕を愛してくれるかもしれない人のために全てを尽くすし、そのせいで自分が死んだって他人が死んだって構わない。だって何が何でも愛されたいんだ。誰かが僕を愛してくれなきゃ世界に存在してることさえ辛いんだ」
『可哀想』。『可哀想』。『可哀想』。
脳内でその感情だけがひたすらに渦巻いて絡み合って隅々まで満ちていく。
他の何を差し置いてでも彼に救いの手を差し伸べてやらなければいけないような気がして、タツミはよろよろとルカの傍に近づこうとする。
しかしその歩みをなんとか途中で止めた。自分がナイトレイドの一員であること、彼を説得している最中であること、今の今まで忘れていたその二つをギリギリのところで思い出したからだ。
けれども冷静であれたのはそこまで。さっきよりも近い距離で彼の姿を視界に収めてしまえば、もう流し尽くしたと思った涙が再び湧き上がってくる。タツミの脳内はまたしても洗脳じみた同情心に埋め尽くされた。
「アンタ、可哀想だ」
震える唇がそんな言葉を紡ぐ。
ルカはタツミの挙措に、嬉しがっているような悲しがっているような、どちらとも取れない曖昧な感情を浮かべて破顔した。
「あはっ、こんなウジ虫のたかる死体みたいな人間を想って泣いてくれるの? キミは本当に優しい子だね」
彼の一挙一動がまるで救いを求める迷い子のように見えて、タツミは無意識のうちに彼へと駆け寄っていた。
早く。早く彼を守ってやらなければ? 何から? わからない。とにかく世のあまねく苦痛からこの哀れな青年を遠ざけてやりたい。傍にいてその震える手を握りしめてやりたい。
その瞬間まで何を考えていたのかなんて全て忘れ去って、タツミは『同情心』と『庇護欲』だけに支配される形でルカの傍へとやって来た。そして血の気の失せたその指先をいたわるように手のひら全体で強く包み込む。
「大丈夫、大丈夫だから。アンタも幸せになれるような国を絶対に俺達が作り上げてみせるから。だから!」
潤む視界の中でルカは目元をふと綻ばせた。
彼の目元にもまた、歓喜の涙が浮かんでいる。
ルカはタツミの肩にふわりと寄りかかり、幸福感に上ずった声で囁く。
「ありがとう、タツミくん。キミがそこまで言ってくれるなんて。でもね――」
次の瞬間、タツミの首筋にチクリと痛みが走った。
ぐらり。傾く体。揺れる脳内。ぶれる視点。四肢に力が入らない。
引きずるようにして前のめりに倒れ伏せた彼の視界の隅、だんだん霞んでいく頭の中で、ルカは常と変わらぬ茫洋たる無表情だった。
泣いてなんていなかった。
「悪いねタツミくん。今のほとんど演技なんだわ」
――「こう見えて演技にはわりと自信があるし」。
彼が数分前に口にした言葉が脳裏をよぎる。
指先に小さな注射器をプラプラさせながら、ルカは至極上機嫌に言った。
「優しいキミなら、僕を説得しようとしてくれるって信じてたよ。ありがとうタツミくん。この僕を哀れんでくれて。おかげで戦うことなくキミの隙を突けた」
「あ、ん……た……」
「俺を騙したのか」。そう続けようとしたタツミは、しかし襲い来る眠気に抗えずそのままがくりと頭を落とす。
ルカは彼が完璧に意識を失ったことを頭を撫でて確認。お決まりの給食着のようなエプロンのポケットからアトマイザーを取り出すと、その中身をタツミの顔の近くでワンプッシュ吹きかけた。
「芳香流転パフュームメイジ、大臣に届ける前にちょっとずつ中身を取っておいて良かったよ。僕のアーティスティックじゃ人の記憶を奪うなんてできないしね」
12の香水瓶からなる帝具、芳香流転パフュームメイジ。
金色の瓶から移した液体、つまり今タツミに振りかけたものは『デオドラント』。消臭を意味する名前が冠されたこの香水の能力はすなわち記憶の消去だ。
一発で一日分の記憶を相手から奪うと文献には記されていた。ちなみに三発で相手を記憶喪失にできるそうだが、そこまでやるとキッカケがあれば記憶を取り戻すこともあるらしいので、確実に忘れてほしい記憶があるなら最低でも二発目までにとどめておくのが吉だという。
「隊長から逃がしてあげるのは本当だけど、みんなの帝具の情報とか持ち帰られちゃ困るものね。そこはしっかり忘れてもらわねーと」
あっけらかんと呟き、ルカはよっこらせの掛け声と共にタツミの体を持ち上げる。
きっとフェイクマウンテンの外では彼を心配したナイトレイドのメンバーが何人か張り込んでいるに違いない。つまり適当な場所で彼を寝かしておけば勝手に持って帰ってくれるだろう。
「ウェイブくんが戻って来る前にやり終えないとね。逃げ足だけは早いことで有名な盗賊団だし、時間稼いでくれてるとは思うけど。……『盗賊を拘束してる間に目を離したら逃げられた』って言い張っても、やっぱりエスデス隊長にゃあ怒られるだろうな。あーあ。愛以外に失って困るものはないけど、それでも美人に糾弾されるのはやっぱりショックかも」
実体化させたペガサスにタツミごと乗って、あまり高く飛びすぎ見つからないよう注意しながら木々の隙間をくぐり抜け下山してゆく。
帰ったら十中八九サディスティック女王様からの拷問フルコースだ。与えられるだろう痛みよりも美女に怒りの眼差しで見られることに気を重くして、ルカは静かに溜息を吐くのだった。
人の事を心から思いやれるお人好しであればあるほど、ルカの毒牙(哀れまれ体質の全力)にかかりやすいです。
逆にエスデス将軍とかにこの手を使っても普段より興奮した状態でいじめ抜かれるだけになります。