ルカ・サラスヴァティーは何を考えているのかわからない。
そんなことは初めて出会った時から感じていたが、思いが強くなったのは再会してからのことだ。
タツミはエスデスの抱き枕にされろくすっぽ眠れなかったせいでショボショボする目をなんとか癒そうと瞬きを繰り返しながら、そんなことを考えていた。
そもそも善人か悪人かも定かではない。
姐さんと慕うレオーネが過去に口走っていた言葉――「覚えておきな、タツミ。良心も悪心もなく私心だけで生きてる人間ってのは、たまに良い奴に見えることもあるし、悪い奴に見えることもある。けどどっちも不正解だ。あのルカって男は“異常をきたした状態が正常”って感じのイかれ野郎でしかない。どんな相手かなんて考えるだけ無駄だよ」――を参考にすれば、彼はどちらでもないという事になるのだろう。
(けどどっちでもないってことは、ひょっとして説得次第でこっちの味方になってくれる可能性もあるんじゃないか? そりゃあ、姐さんの手足をもいだ時のことはまだ怒ってるけどさ。なにか理由があってああいう行動を平気でとるような奴になっちまったなら、その理由さえどうにかしてやれば改心してくれるかもしれないし)
昨晩似たような考えでエスデス説得を目論みあえなく失敗したことを忘れたのか。
寝ぼけた脳内でポジティブな事態を想像しながらも、足はちゃんと目的地である会議室へと向かっている。
扉の前に到着。軽くノックだけして返事を待つことなく入室すれば、そこでは既にウェイブとクロメとルカの三人がいて談笑の最中だった。
タツミの到来に気付いたウェイブが爽やかに手を上げる。
「よお。昨日は休め――なかったみたいだなその様子じゃ」
「緊張して朝まで眠れやしなかった」
目の下にクマを作った顔を見て気遣わしげにこちらを窺うウェイブ。
しかしその隣に立っているルカの目の下には何倍も鬱々しいクマが常に存在を主張しているので、心配するならそっちを心配してやるべきだと思う。
それとも冷え性でクマが酷いだけで睡眠不足なわけではなかったりするのだろうか。それならそれでやはり不健康である。
「何だ。隊長と同じ部屋で寝るって聞いたから、てっきり夜伽の相手でも務めさせられちゃったのかと思ったのに。タツミくんの痛めた腰をいたわるべく用意したこの湯たんぽは無駄になったんだね」
陶器製の湯たんぽを両手で抱えたルカが朝からあっけらかんと下ネタをかます。
悪意が無いぶんなおさら厄介だ。この部屋に唯一いる女性のクロメは気にせずお菓子をポリポリやっているからいいとして、もしもセリューがいたら顔を真っ赤にして恥ずかしげにルカを怒鳴っていたに違いない。
「そういうコトして女性が腰を痛めるってのは聞いたことあるけど、男でも痛めるのか?」
「初体験だと慣れなくて変に力入れちゃうから男女共に痛めることが多いらしいぜ。僕のハジメテは物心つく前だったっぽいから覚えちゃいないけど」
「そういう反応に困る情報を下世話な話に混ぜてくるのやめてくれよ……」
表情を変えることなくさらりととんでも話を繰り出してくるルカに、ウェイブは困りながらも慣れた様子で控え目にツッコミを入れる。
しかし田舎暮らしで純朴に育ったタツミはというと、そもそも『夜伽』の意味からして分からなかったらしく首をかしげるばかりだ。
その純粋な反応にルカはしみじみと呟く。
「大事に育てられてきたんだねぇ」
軽い口調であっさりと吐き出されたその言葉に、羨望と諦念が込められていることにルカはきっと気付いていない。
羨ましいけど、羨ましがったところで手に入るものじゃない。そんな感情を裏に含んだ、聞く者の気分に哀れみの影を落とすような言い方だった。
それを聞いて話題を変えたほうが良いと思ったのか。ウェイブは慌てて部屋の中を見回し、お菓子を食べているクロメに不自然なほど明るい笑顔を向けると無理やりにも程があるトークチェンジに臨んだ。
「クロメはまだ午前中だってのにお菓子か?」
「余計なお世話」
「もう少し海産物を口にしたほうがいいぞ」
「そしたらウェイブみたいに磯臭くなる」
「えっ、マジ? 俺って臭う!?」
わりと本気でショックを受けながら己の服を嗅ぎだすウェイブに、タツミとルカは、
「いや、そんなことは……ないかも」
「魂にまで染み付いた潮の香りなんて、海の男らしくて素敵じゃあないか」
と、内容こそ違えどウェイブが磯臭いことを肯定する台詞。
落ち込むウェイブをどうにかして励まそうと、ルカは相変わらず間食タイムを満喫しているクロメに話を振った。
「確かに匂いはするけど、波風の香りって感じで決して嫌な要素はないよね。クロメちゃんもそう思うだろ?」
「このお菓子はあげない」
「ダメだ。話の流れが繋がってない」
お菓子袋を引き寄せるクロメにがっくりと膝を折るルカ。
そんな二人の様子を見ていたタツミは、ふと、前々から気になっていたことを聞いてみることにした。
「そういえば、クロメって手配書のアカメって人に似てるよな」
「あ、それは思った」
「僕は勝手に姉妹だって考えてたけど、ひょっとして違ったりする?」
アカメと似てる、という表現ではあまりにも親しみを込めすぎているので、『手配書のアカメって人』という言い回しで面識のない相手であることをアピール。
どうやらウェイブも同じことを考えていたらしい。ルカはといえば質問するまでもなく姉妹だと結論づけている。
「ああ……優等生の身内だよ。帝国を裏切っちゃったけどね」
冬の夜を収めた黒瞳にどろりとした感情の渦巻き。
同じ黒でも、ルカの瞳が鬱々しいとすればクロメの瞳は禍々しい。
「早くもう一度会いたいなぁ。会って……」
暗澹と歪む乙女椿の唇。
微笑みを形作ってはいても、整いきった面輪にその表情が加味する印象は決して明るいものではなかった。
「私の手で処刑してあげたいの。大好きなお姉ちゃんだもん」
うっそりと笑うクロメを見たタツミとウェイブの背中を悪寒が駆け抜ける。何この子ヤバイ。おそらく二人の感想はそんな感じで一致しているはずだ。
しかし同じようにクロメの言葉を聞いていたルカだけは違った反応を示す。
気になる女の子が男友達の話を楽しげにしている光景に遭遇してしまった時のような嫉妬と羨望の滲んだ表情で、少し唇を尖らせながら小さく呟いた。
「……いいなぁ、アカメちゃん。クロメちゃんにこんなに愛されてるなんて」
(いやいやいやいやいや。羨ましくはないだろ。『大好き』って言葉の前に『処刑』って付いてるんだぞ?)
心中ツッコミを入れるも口には出さない。
この人がちょっと可笑しいなんてことは、今更指摘するまでもなくわかっていることなのだから。
ウェイブも同じ考えらしく、引きつった笑いを漏らすだけでその言葉に触れようとはしていない。本当に親近感の湧く男である。敵対関係にあるのが惜しいほどの。
「タツミ! 今日から数日は狩りだ! フェクマに行くぞ!」
さっきやっと離れられたばかりのエスデスが扉を開け放ちながらそう宣言する。
逃げるチャンスと内心ガッツポーズを決めながら、そういえば、と、ルカから貰ったメモの内容を思い返して不安になる。
(『二人きりになったら君に良い話がある』……だっけ。アレってどういう意味なんだ?)
昨晩こっそり読んだメモの内容は、やはり翌朝に思い返してみても不明瞭な内容だ。
ちらりとルカに視線をやるも、彼は見る者を病的な精神状態においやりかねない悲劇的な美貌に、相変わらず反比例してののほほんとした無表情を浮かべているだけだった。
「ウェイブとクロメとルカも共をしろ。フェクマは潜伏には持ってこいだ。危険種を狩りつつ賊を探すぞ!」
「了解」
「了解」
「了解」
三人の返事が被る。
セリューは朝から自主的に都内のパトロールに出ているし、ランもボルスも他の仕事を任せられているらしく姿を見せていない。
Drスタイリッシュだけが何の用でここにいないのか謎のままだが、危険種の狩りと賊の炙り出しという任務内容なら彼はここにいても参加対象にはならなかっただろう。
タツミとしても、郊外に出られるのは逃亡のチャンス。この流れは願ったり叶ったりだ。
「現地についたら私とクロメで東側。ウェイブとルカとタツミで西側を探索。今ひとつクロメは底が見えないからな。これを機に隊長としてその実力を見極めさせて貰おう」
「え? 俺ってもう見極められちゃってるんですか?」
「僕も、可愛がられたのと気絶させられたのしか記憶にないんですけど、隊長ってばあれだけで実力把握しきったんですか?」
ウェイブとルカの疑問に、エスデスはブーツの靴紐を結びながら答える。
ところで“可愛がられた”とは一体どういう意味なのだろうか。
「ウェイブ、お前は良い師に巡り合えたのだな。既に完成された強さだ。胸を張れ」
「は、はあ……ありがとうございます」
「そしてルカ。セリューに聞いたところによると、帝都警備隊に入って半年とたたないうちに『帝具なしで武器ありの接近戦』という条件でセリューに勝ったらしいな。ズブの素人から短期間でそこまで至る成長率は見事だ」
「ありがとうございます。……でも、武器も無しの素手勝負ならセリューちゃんとは相打ちになることが多いですし、帝具戦とかになったらたぶんセリューちゃんのほうが僕より強いですよ」
謙遜ではなく本気で言っているのだろうルカの冷静な補足情報に、エスデスはニヤリと笑って頷く。
「だろうな。だが、それは何の下準備も無しに突然勝負になった場合だ。千紫万紅アーティスティック――ある意味ナジェンダの使っていた浪曼砲台パンプキンよりも難物だが、仕込みに時間をかければかけるほどとんでもなく厄介になっていく帝具だと聞いている」
「それは、まあ。便利で面倒臭いがキャッチコピーですから」
「文献には『血を使う』としか書かれていない奥の手も中々えげつないらしいではないか。……まあ、それは置いておいてだ。条件次第で強さが大幅に変わるお前とお前の帝具を、フェイクマウンテンで共に危険種を狩る程度の交流で測りきれるとは思えん。ゆえにお前の力量を見極めるのはまた今度だ。今はある程度まで戦えることが判明していればそれで良い」
「わかりました。そういうことでしたら納得です」
血を使う。
その言葉に、タツミはかつてルカと相対した色町での戦いをふと思い出した。
(あの時は途中で笛の音が聞こえて有耶無耶になったけど、いきなりリストカットしだしたのって奥の手を使うためだったのか。……戦闘中に自傷行為に走り出す情緒不安定な奴だと思ってた)
そんな失礼なことを思われているとは露知らず、ルカはタツミとウェイブの手を握りしめてぶんぶん上下に振りながら友好的に挨拶を繰り出す。
「何はともあれ、親しみやすさと凛々しさを両立させたイケメンのウェイブくんと、少年らしい可愛さの中に芯の強さが垣間見えるタツミくんっていう二人とご一緒できるのは個人的に嬉しいことだ。よろしくね。隊長とクロメちゃんが視界にいないっていうのがかなり勿体無いけど」
「夜からは私とタツミで組む予定だ。代わりにクロメはそっちに行くぞ」
「うぇっ!?」
思わず素っ頓狂な声を漏らすタツミ。
何がなんでも昼のうちに逃亡を成功させなければ、と心に決めた。
もっと欲を言えばルカのことも一度説得してみたかったが、ウェイブも一緒となれば流石にそれは無理だろう。
そちらはまたの機会に移すべきか。
(もちろん、都合良く二人きりになるような事があったらチャレンジはしてみるつもりだけど)
呑気に考えるタツミは知らない。
たとえ敵だとしても心を込めて説得すれば仲間になってくれるかもしれない――そんな心優しく甘い考えを、ルカにこれから利用されてしまうことを。
ルカの『哀れまれ体質』が本領を発揮することを。