「みんなお疲れ様……あれ、その子たちはどうしたの?」
元いた場所に帰還した僕とランさん。
そこには同僚たちや崖から降りてきた隊長たちとは別に、何人かの女の子が震えながら座り込んでいた。
ウェイブくんとセリューちゃんとタツミくんの分の上着を羽織っているから大事な部分は見えないが、剥き出しの足やその縮こまり方から察するに下は全裸だろう。
しかも風に乗って届いてくる匂いは塩素系漂白剤か栗の花のようなもの。
つまりは男性の“アレ”から放たれる体液の臭気で、それだけで彼女たちがどのような目に合った直後が僕は一瞬で理解できてしまった。
なるほど。
だからドクターやエスデス隊長以外はみな沈痛だったり憤怒だったりの面持ちをしているわけだ。
特にセリューちゃんなんてもう屠った山賊さんたちの魂までも殺しにかかりそうな勢いで激怒している。
僕の後ろにいるランさんもそっと目を伏せて「心中お察しします」って感じの表情だし、場の空気はかなり暗めだ。
「ルカ、ラン。あの子たち、まだショックが抜けきってないみたいで俺だけじゃなくセリューやクロメが触るのも怖がるんだ。隊長はいざとなったら気絶させてから運べば良いって言ってるけど、それじゃあ目覚めた時に怖いと思うんだ。どうにか安心した状態で帝都の病院まで運んでやれる方法はないか?」
俯き気味のウェイブくんが小さな声で相談を持ちかけてくる。
男だけじゃなく女の子との接触まで嫌がるとは、よほど重傷らしい。
うーん……ここでどうにかしてあの子たちの恐怖心を和らげてあげられればウェイブくんやクロメちゃんやセリューちゃんからの好感度が上がるかも、なんて考えてる自分の卑しさにはほとほと困り果てる。
「わかりました。一応、私も声をかけてみます」
頷いて女の子たちにそっと歩み寄ったランさん。
しかしその姿を見た女の子の一人が、「駄目!」と叫んだ己の体を抱きしめた。
その様子は、恐怖というより拒絶に見える。
「駄目よ……私達、汚れてるの……触ったら綺麗な貴方達まで汚れるわ……」
「気にしないで捨てて行って……」
「お願いだから……」
ああ、やっぱり。
彼女たちは人に触られるのが怖いわけじゃない。
自分たちに触れた相手が汚れてしまうという強烈な感情で助けを拒絶しているに過ぎないんだ。
それなら、案外この状況を解決する役目は僕にピッタリかもしれない。
僕はセリューちゃんにコロくんの餌としてプレゼントする予定だった山賊さんの首を地面に置くと、ウェイブくんの制止の声も振り切って女の子たちのすぐそばに屈み込んだ。
そして震える肩に躊躇うことなく指先を伸ばす。
「さ、触らないでください! 汚いから……っ」
「なら問題ないね。僕も綺麗じゃないもの」
女の子の黒髪にこびりついた白い汚れを取りながら、できるだけ何でもなさそうに続ける。
こういうのは気取るよりも自然体でやったほうが効果が強い。
僕みたいに素で可哀想に見えるビジュアルをした奴ならなおさらだ。
「むしろ一度陵辱された程度で汚れたって感じるくらいなら、君たちの在り方は綺麗すぎるくらいだと思うぜ。こうして触れてる僕が結果的に君たちを汚してることになるんじゃねーかって申し訳なくなっちゃうくらいだ」
貧乏人を励まそうと思えば、金持ちが「君は貧乏なんかじゃない」と口にするよりも、それ以下の貧乏人が「君なんか僕からすれば金持ちみたいなもんさ」と愚痴をこぼしたほうが手っ取り早いし効果的だ。
男に連れ去られて輪姦された経験なんぞさすがにありゃしないが、それでも僕の雰囲気と風貌はそれ以上の苦渋を幾度となく舐めてきたような感じがするらしい。
まあ、熱した鉄製の細い棒を舌に押し当てながら動かしてじわじわと火傷で模様を描かれるとかなら経験したことあるけど。
ぶっちゃけ今の味覚異常もその時の後遺症だと思う。
舌の表面ほとんどやられて今でもケロイドアートみたいになってるし。
デザインはなかなか凝ったもので、これを一発で見事に刻んでみせた元飼い主の器用さには感服すらしている。
「で、どうよ。僕が綺麗に見えるかい?」
わざと軽い響きを作って膝の上に頬杖をつく。
反面、瞳はできるだけ無機質に、暗い光も明るい光も揺らさず、ガラス玉に墨を塗ったみたいな意思の見えづらさをキープ。
大体の相手はこういう様子の僕を見れば勝手に脳内で悲惨な過去を想像してくれる。
創造、と言ったほうが早いかもしれない。
帝都に流れる僕の過去のデマ話はほとんどがやたら作り込まれたストーリー仕立てになっていて、それを参考にした登場人物を書こうとする小説家さんもいるくらいだ。
「……いいえ。貴方は私たちよりずっと汚いです」
女の子たちは小さくしていた体を弛緩させた。
その瞳には哀れみの色が浮かんでおり、彼女たちの脳内世界で僕はどのような目にあってきた人物として扱われているのか少し気になる。
なんにしても良かった。
この段階で駄目だったなら、体の傷跡でも見せてさらに汚れた自分アピールをしなくちゃいけないところだったもの。
そこまでやると周りからの視線が痛くなってしまうし、別になんとも思っていないものをさも悲劇的であるかのように語るのは精神的な疲労が大きい。
必要とあらば人の同情はいくらでも引いてみせるけれど。
「ちょっと! ルカくんにそんな言い方はあんまりじゃないですか!?」
女の子の発言に眦を吊り上げてセリューちゃんが噛み付く。
悪に嬲られた被害者である女性でも、仲間を侮辱したととれる発言をすればさすがにセリューちゃんは怒る。
でも女の子たちは別に僕を馬鹿にしたり軽蔑したりする意図がある訳じゃない。
彼女達はただ、自分たち以上に汚れている僕ならば触っても汚してしまうことがないと安心して、その気持ちを素直に言葉に吐き出しただけで。
「本当のことだし、僕から振った話なんだ。セリューちゃん落ち着いて」
「でも!」
「綺麗だろうと汚れてようと僕は僕さ。大して変わりゃあしないよ」
腐った死体にボロ布を着せようが絹地を纏わせようが、それが腐っているという事実になんら変化は起こらない。
僕が僕である時点でどんな言葉を使おうとも僕でしかないのだ。
「……わかりました。ルカくんが気にしてないなら良いです」
まだ不満を残しつつもセリューちゃんは引き下がってくれた。
それにありがとうと感謝を述べて、僕は女の子たちに向き直る。
とりあえず目の前にいる子に手を貸して立って貰い、他の子たちも同じようにしたあと念のために聞いておく。
「君たちが汚したくないのは人間だけ? 馬とか犬とかなら大丈夫?」
「はい、大丈夫です。畜生に貞操観念はありませんから」
オーケー、それなら危険種も許容範囲内だ。
僕はアーティスティックで地面に二級危険種であるバイコーンの絵を4体ぶん描くと、それに指示があるまで大人しくしているよう言い聞かせる。
急に現れた危険種に女の子たちが怯えの表情を見せていたが、しかし何もしてこないことを察したのかすぐに恐怖心を薄らげた。
一人なんてバイコーンの頭に生えた二本の角を物珍しげに撫でくりまわしている。
「この子たちは二級危険種の『バイコーン』って言ってね。同じ馬型で一本だけ角の生えたユニコーンが純潔を愛するのに反して、この子たちは不純を愛するの。だから君たちや僕みたいなのを背に乗せた時はとびきり優しく走ってくれるぜ」
近くのバイコーンの首筋をよしよしと叩きながら解説すれば、ヒヒーンと鳴き声を上げて嬉しそうに前足をパカパカやっている。
純潔の乙女を見たら穢しに行くくらい不純が大好きなこの子たちのことだ。
きっと見るからに汚されたばかりの少女三人を目の前にしてテンションが頂点まで達しているに違いない。
まったく、ユニコーンは処女好きでバイコーンが非処女好きだなんて、馬型の危険種には特殊性癖の持ち主しかいないのだろうか。
「さ、お乗り。手は貸すよ」
「ありがとうございます」
背中に乗り上がる女の子たちに手を貸しながら、バイコーンの視界にセリューちゃんとクロメちゃんとエスデス隊長が入らないよう気を付ける。
大人しくしておいてって命令してるから問題ないと思うけど、本来バイコーンは根っからの処女嫌いで処女を見つけると殺すか犯すかしに行くような連中ばかりなのだ。
万が一のことがないように気を遣うくらいはしておいたほうが安心できる。
……っていうかこの『処女』って言葉、隠喩的に男にも使われることがあるけどそっちの意味でもバイコーンは非処女が好きなんだろうか。
だとしたら、バイコーンたちが視界の直線上に入っているDrスタイリッシュにまで熱い眼差しを送っている理由はちょっと考えないほうが良いかもしれない。
いや、たぶん処女嫌いは女性限定でドクターへの反応はドクターがどう見ても純粋な人じゃないからだと思うんだけどさぁ。
「よっこらせ、と」
女の子たちが騎乗したのを確認して僕も最後のバイコーンに飛び乗る。
手綱なんて便利なものは無いが、この子たち本当に不純な人間が大好きなので当然僕が落ちてしまうような乱暴な走りはしない。
よって問題無し。
「では隊長。僕はこの子たちを医者に送り届けてから詰所に戻りますので……帰るの遅くなるかもしれませんし、明日の任務内容とか聞いておいても良いですか?」
「わかった。明日はフェクマで賊を探しつつ危険種の狩りだ」
「ありがとうございます」
馬上で一礼して前へと向き直る。
バイコーンたちに「ゆっくり走って」と命令を飛ばせば、4匹は同時にその通りに動き出した。
背中から落ないようにバランスを整えつつ振り返って僕は同僚たちに言葉を残す。
「セリューちゃん! ウェイブくん! タツミくん! 上着は後で回収して持って帰るねー! この子たちには新しい服を買っておくからそこは心配しないでー!」
この一連の流れで少しでもセリューちゃん達からの好感度が上がっていることを期待しつつ僕は帝都の外れにいる医者の家を目指す。
メインストリートの医者の元に向かうとか半裸のこの子たちにとっちゃ羞恥もいいところだろうし。
下手すりゃ僕がそういう格好で女性を連れ回す趣味の変態と勘違いされかねない。
「――ルカくん! 私、やっぱりルカくんが汚れてるなんて少しも思ってませんからねー!!」
「なんかよくわかんねーけど、俺はお前のこと大事な仲間だと思ってるからなー!!」
背後から響いてくるセリューちゃんとウェイブくんの大きな声。
なんか僕とこの子たちのやりとりをシリアスな雰囲気で眺めてたから、たぶん色々と考え抜いた末に今の言葉を叫んでくれたんだと思う。
ランさんやクロメちゃんはそういうことするタイプじゃないからしょうがないとして、愛しのセリューちゃんとウェイブくんからこういう好意を感じられる言葉が貰えるのは凄く凄く嬉しい。
「ふふふっ」
思わずゆるむ口元。
あー、僕ってば本当に幸せ者。
「……お兄さん、嬉しそうですね」
「うん。だって僕、重度の構ってちゃんをスらせてるんだもの。人に自分のことを考えてもらえる時間って大好きだぜ」
「……お兄さんみたいな人が生きてて幸せを感じられるなら、私もいつか幸せになれるかもしれません」
「そうそう、その意気だよ。血と涙に濡れているからといって不幸だと誰が決めたのか。ってテンションで生きちゃえばわりとどうにかなるもんさ。汚れたら汚れたなりの特権ってやつもあるしね」
「たとえば?」
「寂しい時に全力で可哀想な自分アピールすれば誰かしらが僕を抱き締めたり僕のことを思って泣いてくれたりする」
「それは……乱用しすぎると自己嫌悪も湧いてきそうですね」
「ぶっちゃけね。だから諸刃の剣っていうか、まっとうに愛されることに成功するまでの繋ぎって感じかなー。後のことはどうでも良いからどうしても誰かに愛されたい今、みたいなのってあるじゃん?」
他愛のない雑談を女の子たちと繰り広げながらのバイコーンでの疾走。
この子たち相手には愛してもらうために尽くす必要がないから気楽で、わりとリラックスした状態で会話が楽しめている。
だからこそ、あんまり気を抜きすぎて大事なことを忘れないようにしないと。
――この子たちを病院に送ったあとはフェイクマウンテンに“仕込み”をしに行く。
タツミくんも明日までにはちゃんとメモの内容を確認してくれているだろう。
失敗したらセリューちゃんに嫌われた上に隊長から嬲り殺しにされかねない重大な作戦だ。
失敗しないようしっかり気を引き締めていこう。
全ては彼ら彼女らに愛されるために。