「受付終了しました、隊長」
受付の仕事を終えてクロメちゃんと別れた僕は、任された仕事をきっちり終えましたという報告のために隊長とランさんがいる特等席へとやって来た。
エスデス隊長が氷華ならランさんは月華。蒼穹と黄金の競艶。
それをこの至近距離で見られるだけで、うっかりタツミくんの件を忘れそうになるくらいの至福を感じる。
やはり美とは平和な時も戦争の時も人々の心を等しく癒すこの世の宝だ。
「ああ。ご苦労だったな」
「お疲れ様です、ルカ。もう少しで始まりますよ」
椅子に足を組んで座ったまま首だけ振り向いて労ってくれた隊長と、微笑みと共にこちらを見て今の状況まで教えてくれたランさん。
ここら辺の対応は性格もあるが地位の差だ。
上司にあまり丁寧に接されすぎても逆にやりづらいし、このくらいが丁度良い。
隊長がそれを分かってやっているのか素でやっているのかはもちろん不明だけれど。
「ありがとうございます。ところでランさん。ひと仕事終えた自分へのご褒美にちょっと鑑賞させてください」
「鑑賞? ああ、観戦のことですね。どうぞ」
すっとその場から移動して試合会場が見えやすい立ち位置を僕に譲ろうとしてくれるランさん。
違う。そうじゃない。
鑑賞は芸術作品を味わうこと。
つまり芸術品の域に達したお麗しい姿を持つランさんを凝視させてくださいという意味なのだが、端折りすぎて伝わらなかったらしい。
エスデス隊長は迂闊に何かを頼むとその見返りに拷問の相手を要求されるので、彼女と同等に美麗極まる容貌をし、なおかつ痛みを伴う要求もしようとしないランさんの存在は非常にありがたい。
まさに僕にとっての救いの天使である。
もちろん無料で堪能させてもらうのは申し訳ないので金や物は一方的に貢いでいるが。
「いえ、そうではなく。ランさんを鑑賞させてください」
「……またですか」
「またです」
「あなたも物好きですね。構いませんよ、私でよろしければ」
苦笑いと表現するにはあまりにも華やかすぎる微笑みを浮かべるランさん。
彼くらいの容姿になればどうしたって美しい。
性別がどうだとか常識がどうだとか、そんなものは胸を貫くばかりの美しさの前では塵芥と変わりない。
性的な対象として捉えているわけじゃないんだから、相手も嫌な気持ちにはならないだろうし。
……ならないよね?
「では遠慮なく。あ、どうぞお好きに動いてくださいね。四季の移り変わりを楽しむように美人の一挙一動を愛でるのも僕の至福ですから」
「ですが、動いては描きにくいのでは?」
スケッチブックと木炭を手に気合を入れる僕の発言にランさんが気遣ってくれる。
べっぴんさんなだけじゃなく博識で有能でしかも優しいとか、前世でどんな善行を積み上げまくればこんな人間が生まれてくるのだろう。
やはり彼は間違って地上に生まれ落ちた天使なのかもしれない。
ああもう、やっぱりこの人にも愛されたいなぁ。愛してくんねーかなぁ。
なんてぼやきたい気分。口にするのは別の言葉だけど。
「ご心配なく。これでも僕、18歳で帝都に来てから1年たたないうちに王族御用達まで上り詰めたんですよ。画家としての才能ならピカイチ。速筆にも自信アリです」
ちょっと自慢話みたいになってしまったがまぁ良い。
嘘ではないのだから。
という訳で、タツミくんが試合会場に現れるまではランさんの麗姿をひたすらスケッチして心の栄養をストックしておくことにしよう。
彼が何かをやらかした時、きっちり正気を保てるように。
◇ ◇ ◇
(……変わった人ですね、ルカは)
こちらをじっと凝視してどことなく幸せそうな顔をしているルカ。
残像が発生するほどの速さで木炭を巧みに操り、彼の持つスケッチブックは数十秒に一度のペースで次のページがめくられている。
そのスピーディーさといったら本当に絵が描けているのか不思議なくらいだ。
が、巷では『狂画家』と『聖絵師』なんて大仰なあだ名が付けられているらしい彼のこと。
きっと紙面を覗き込めばしっかりと完成された線画がいくつも並んでいるのだろう。
たとえ手元を一切確認していなかったとしても。
(不幸そうな雰囲気の割に日々飄々と生きていますし、そもそも何の為に戦っているのかわかりません。私を頻繁にもてはやす理由もわかりかねます。断っても現金やら宝石やら下さいますし)
ルカに直接尋ねれば、「今は愛されるために戦ってます。ランさんを褒める理由はそりゃあ胸が破裂しそうなほどのお美しさゆえに決まってるじゃないですか。ランさんマジ天使」なんてざっくばらんな返答が来るだろう。
しかし出世のためとあらば己の優れた容色を利用することも厭わない計算高さを持つランにとって、ルカのそういった「ただ美しいから褒め、ただ美しいから貢ぐ」という見返りを求めぬ姿勢は理解しがたいものであった。
こちらに害はない。
むしろとある目的のためにできるだけ早く上に行かなければならないランとしては、策の一つとして賄賂などに使える金品の類は有用な存在だ。
それがただ己の姿を嬉しそうに凝視されるだけで得られるというならば、昔のように女性権力者をたらし込むよりもずっと楽で良い手段ではあるのだが……。
(こういうことを考えていると、自分がとっくに汚れた人間であることを自覚させられて憂鬱になりますね)
こんな自分を『天使』とちやほやするルカに対して一抹の罪悪感みたいなものを抱く。
誘発される軽い自嘲めいた気持ち。
それらを振り切るようにして試合会場に視線を移せば、そこでは刀を持った和装の男と斧を持ったほぼ裸の男が競り合っていた。
刀を使う男のほうがやや有利か。しかしこのレベルではどんぐりの丈比べでしかない。
「いかがですか隊長、あの者達は」
「つまらん素材らしく、つまらん試合だな。やはり帝具を使えそうな人間はそうそう出てこんか」
エスデスも同意見を示し、あまりの退屈さにあくびまで漏らしている。
白い目尻を伝い落ちる涙。
帝国最強の女を泣かせたくば、戦うよりも暇を与えたほうが早いようだ。
「勝者! 呉服屋ノブナガ!!」
「やったぞおおおおおお!」
舞台の上では審判役のウェイブが明るく声を張り、ノブナガと呼ばれた和装の男は高らかに勝ち名乗りを上げる。
次の試合が最後の組み合わせだ。それを口に出してエスデスに知らせながら、ランは舞台に向かって歩み寄る新たな選手たちに視線をやった。
「東方、肉屋カルビ! 西方、鍛冶屋タツミ!」
「おや、片方はまだ少年ですね」
意外そうなランの背後で、ルカが妙に緊張したような気配を醸し出す。
規則的に聞こえてくる木炭の走る音と紙を捲る音が、さらにペースアップした気がした。
「大丈夫、まだ大丈夫だ僕……心を落ち着けろ……今はただ神が与えたもうたランさんの美しさだけに意識を集中させるんだ……」
言われた側が恥ずかしくなるようなことを呟きながらも無表情に筆を振るうルカ。
当人が、呪われた何かから産み落とされた球体関節人形のように病的な美貌をしていることも相まって、さながらゴシックホラー作品の登場人物に見えなくもない。
失った恋人に似た人間を何人も攫ってきて監禁してはその絵を描き続ける狂った画家とか、そんな感じのキャラクターはこういう雰囲気を纏いながら創作活動に打ち込んでいるはずだ。
(何か嫌なことでもあったのでしょうか)
ルカの様子に気がかりを覚えつつも、カルビVSタツミの試合に目を戻す。
皇拳寺の修行経験者特有の動きをするカルビは今までの選手たちより圧倒的に強い。
が、それでも目の前の少年のほうが優勢だ。
攻撃を飛び上がって避ければ落下ざまに胴体へと蹴りを叩き込み、防がれた反動を利用して距離をとる。
ついで連続で繰り出される突きを流れるような手さばきで受けきれば、一瞬の隙を見て空いた腹に痛烈な一撃。
咄嗟にのけぞるカルビ。
バランスを崩しかけたその体にトドメを刺す形で足払いをしかけて、後ろ向きに倒れようとするカルビの側頭部に骨が砕けそうな回し蹴りの一閃。
「……あの少年、逸材ですね。隊長」
「……ああ」
軽やかな着地を決めるタツミを驚き混じりに高評価すれば、エスデスも静かに頷く。
もう彼女の表情に退屈は見えない。
舞台の上でタツミの勝利を宣言するウェイブも、心なしさっきよりテンションが上がっているようだ。
「いつも通りの……いつも通りのことだけどさぁ……やっぱり僕の願いなんて滅多に叶わないよな……あはは」
反対に、何故かルカのテンションは下がっている。
本当に彼の身に何があったのだろう。
会場にこだまする声援。
その向かう先はもちろん先ほど鮮やかな勝利を決めたタツミだ。
人々の賞賛の声を浴びて、舞台の上のタツミはガッツポーズと共に少年らしい無垢な笑顔を浮かべる。
心温まるその表情にかつての教え子たちを思い出しそうになった。
「……見つけたぞ」
椅子からふらりと立ち上がったエスデスが、どこか熱に浮かされた声で呟く。
彼女にここまでの反応をさせるとは、あの少年の素質には自分が考える以上に素晴らしいものがあるのかもしれない。
「帝具使いの候補ですね」
「それもあるが……別の方でだ」
「……隊長?」
エスデス本人が直接リングに出向く予定はなかったはず。
だというのに、彼女は自ら特等席の階段を降りてリングに立ってしまった。
驚愕の表情を浮かべるタツミ。
不思議がるラン。
目頭を抑えて天井を仰いでいるルカ。
上機嫌のエスデス。
それぞれが思い思いの反応をする中で、最初に動いたのはエスデスだった。
「タツミ……と、言ったな。いい名前だ」
「ど、どうも」
「今の勝負は鮮やかだった。褒美をやろう」
「ありがとうございます!」
なるほど、タツミを気に入って賞金を手渡しに行くことに決めたのか。
上司の突然の行動に疑問を抱いていたランは納得したように微笑む。
それが見当違いだとわかったのは、エスデスが己の服の内側から取り出したものを目撃した瞬間だった。
「え?」
思わず呆けた声がこぼれる。
エスデスの懐から現れ、そしてタツミの首にはめられたもの。
それは紛うことなきペット用の首輪だった。
「今から――私のものにしてやろう」
「……え? え? え?」
うっとり頬を薔薇色に染めて囁くエスデスと、口を開けたままそれだけしか言えないタツミ。
ランは突然の珍事に何を言えばいいのかわからず押し黙り、後ろのルカはもはや悟りを開いたような形相で目だけが死んでいる。
しばらくして、気絶させたタツミをその腕に抱えてエスデスが戻ってきた。
「ラン、ルカ。帰るぞ。今日の余興はなかなか楽しかった。他の者にも帰還しろと伝えておいてくれ」
「……承知しました」
「あははは……じゃあ僕が伝えてきますので、ランさんと隊長はお先にどうぞ」
肩に首輪突きの少年を担ぎ上げたまま、何事も無かったかのように帰っていくエスデス。
その指令になんとか平静を装って返事をしたランの切り替えの速さはかなりのものである。
相変わらず乾いた笑いを吐き出し続けるルカは自ら言付け役を引き受け、どこか精気を失った足取りで他の仲間たちのところへと向って行った。
一人で特等席に残されたランは、諦めの境地に達したいっそ神々しいまでの微笑みで、吹っ切れたように言う。
「……本当に、飽きの来ない職場ですね」
涼やかな響きをわずかに残して、ランも特等席を颯爽と後にする。
いまだ衝撃抜け切らぬ観客席はわざめき続けていた。
この空間で最も落ち着いているのは、ある意味、一連の出来事の衝撃でずっと固まったまま動くことすらできないウェイブかもしれない。