「なあタツミ、お前エスデス将軍と噂のイェーガーズに興味ないか?」
貸本屋の地下にあるナイトレイドのアジトに入るや否や、ラバックからもたらされたその質問。
タツミはもちろん、ソファーの上でしどけなく寝転がっていたレオーネも内容に食いついた。
「そりゃあ興味あるけど、急にどうしたんだよ?」
「いや、さっきルカさんにエスデス将軍主催の武芸大会のビラ貰ってさ。賞金も出るそうだし、お前の故郷への仕送りついでに敵の顔を覚えるのも悪くないんじゃねーかと思って。いっちょ出てみねぇ?」
「ルカってあのルカか? 私の手足もぎ取った? 何でラバがあいつをルカさんなんて呼んでるのさ」
苦々しい表情で舌を突き出して嫌そうにルカの名前を口にするレオーネ。
憎いというほどではないが、無性に気に入らない相手。レオーネにとってのルカはそんな存在だ。もう理屈とかではなく魂レベルで相性が悪い。
なまじルカはレオーネを嫌っておらず飄々と接してくるあたり、さらにストレスがかかってささくれだった衝動に拍車がかかってしまう。
人でなしとしての同族嫌悪プラス単純に好みのタイプじゃない。あと敵対関係。仲間を傷つけられた。後輩の前でいいところを見せるチャンスを潰された。向こうのほうが有利な状況なのに弱い者いじめしてる気分になるあの雰囲気が鬱陶しい。
――ちょっと考えただけで、レオーネがルカを忌む理由は湧いて湧いて止まらない。
「いや、この貸本屋の常連客だからさ。つい癖で。別に深い理由とかはないって」
不機嫌な姉貴分の様子を察したラバックは慌てて弁明を開始。
ラバックとしてもレオーネとタツミをボコボコにされたことに怒りは感じているが、それと同時に自分が殺し屋であるがゆえの冷淡さもあり、感情的にはなっても激情化はしていなかった。
もちろん二人がただ怪我を負っただけでなく殺されていたなら話は別。店に客としてやって来たルカをクローステールで縛り首にするくらいは平然と行うはずだ。
多少の惜しみを心の端に残しつつ。
「あの人、ここの常連客ってことは……俺とか姐さんがここに来るの見られてないよな? 俺と姐さんあの人に顔バレてるんだから、見つかったらラバもナイトレイドだってバレちまうぞ」
「っていうかあいつ、人質交換の時に言ってた『なんならレオーネさんとタツミくんがナイトレイドだってことを誰にも漏らさないって誓ったって構わない』って台詞、本当に守ったんだね」
タツミが顔を青ざめさせる隣で、レオーネは意外そうな、もっと言うならば予想が外れて悔しそうな表情を浮かべる。
セリュー・ユビキタスと自分たち二人の身柄を交換する例のやりとりで、彼は破格の条件を出してセリューの命の無事を求めた。
その中の一つにいま口にした条件があったのだ。
それをレオーネはその場限りのハッタリだと思っていたのに、新しく出回った手配書を確認してみれば、そこにあったのはマインの絵が載ったもののみ。
つまりナイトレイドの情報を帝国にリークしたのは、マインの顔は見たがタツミとレオーネの顔は見なかったセリュー・ユビキタスということ。
ルカは約束を破らなかった。
レオーネにとって、どころかナイトレイド、ひいては革命軍にとってもそれは好都合なことであるはずなのに、どうにもレオーネは不服の形相を崩さない。
獣を自負する己の勘が外れたことが気に食わないのか。それとも別の何かか。
「ああいう男は惚れた女にだって嘘を吐くって相場が決まってるのに」
偏見でありながら真実に近い発言であった。
事実、ルカはあの後セリューに対し白々しい嘘を吐いたのだから。
「あははははは……で、どうだタツミ。出るか? 別に興味ないなら無理強いはしねーけど」
レオーネの小さな罵声に曖昧な笑いで返したあと、タツミに結論を問うラバック。
対するタツミは「うーん」と腕組みをして唸っていたが、再びビラにちらりと目配せすると、そこにある賞金の二文字を見て最終的には頷いた。
「よし。ちょっと行ってみる。故郷への仕送り、もう少し増やしておきたいし」
「ルカさん以外のイェーガーズに絶対バレるなよ。あの人、自分に守るメリットがある約束しか守らないからな。もしお前が死ねばもう守らずに済むような約束なら速攻で無かったことにされるぞ」
ルカの性格をナイトレイドの誰よりも把握しているラバックならではのアドバイスだ。
実際のところ、タツミが死んでもレオーネが生きている限りセリューへの嘘をバラされてしまう可能性があるわけで、つまりルカがタツミ一人しか殺せない状況で約束を破る可能性はゼロに等しい。
だから心配する必要も大してなかったりするのだが、生憎、さすがのラバックもルカのそんな事情までは知らなかった。
……本当に警戒すべきはルカではなかったと、知るはめになるのは後々のことである。
◇ ◇ ◇
「ふむふむ。呉服屋のノブナガさんに肉屋のカルビさんですね。ではお名前が呼ばれるまで控室で待機してください。クロメちゃん、次の人はどちら様?」
「鍛冶屋のタツミ」
「オーケー、鍛冶屋のタツミくんね。ではこちらの登録書にサインしてから控室のほう……へ……」
営業用スマイルのまま思わず動きが固まる。
クロメちゃんと共に選手登録の受付をしていた僕だったが、まさかこのタイミングこの場所で彼と再び出会うことになるなんて。
――なんで平然とエスデス隊長主催の大会なんて参加しようとしてるんだい、タツミくん。きみナイトレイドの一員だろ?
そう叫びたいのをぐっと堪えて引き攣る唇を無理やり笑みの形に持っていく。
「ど、どうも」
タツミくんのほうも冷や汗ダラダラで目が泳いでるし、そんなに緊張するくらいならもう今すぐ帰ったほうが良いんじゃねーかとさえ思ってしまう。
僕は一度帝国に彼とレオーネさんのことを報告しないと誓ったし、第一セリューちゃんに嘘がバレる危険性が高まるくらいなら約束無しでも顔を見なかったことにしようと考えていたくらいだ。
だからここで彼がナイトレイドのメンバーだと声高々に言って回るつもりはない。
ないのだが、だからといってここで僕と再会することを恐れないのはあまりにも肝が据わり過ぎているんじゃなかろうか。
僕がイェーガーズに入ったことなんてナイトレイドにはもう知られているだろうし、ならばエスデス隊長主催の大会でばったり僕と鉢合わせる可能性なんてあちらさんにゃあお見通しのはず。
本当、なんで参加しようと思ったんだろ。
「そ、それじゃあ俺、控室に行きますね」
「うん。きみ強そうだから、あんまりやりすぎないように気をつけてね」
暗に「本気で戦って隊長とか同僚たちに目ぇ付けられないでくれよ頼むからさぁ!」とアピールしつつ、震える声のまま僕と最後まで視線がかち合わなかったタツミくんを見送る。
……絶対に僕の本意は伝わらなかった気がする。
適当に苦戦してちょっと強いだけの一般人みたいにボロボロで優勝してくれれば、たぶん隊長に目をつけられることはない。
けど、もし圧勝してしまうと……。
「年下、強さ、将来性、笑顔……辺境で育ったかどうかはさて置き、タツミくんってばエスデス隊長の求める恋人像にジャストヒットしてんだよなぁ」
前回の任務でオネスト大臣から教えられたエスデス隊長が恋人に求める条件を思い出しつつ、なんだか嫌な予感に胸を重くする。
毒々しい蘭のように花を広げていく不安を、なんとか蕾のままにしようと努めたが、うまくいかなかった。
「……ルカ、そんなに見られてもこのお菓子はあげない」
この不安を少しでもやわらげようと、クロメちゃんの可憐という言葉がふさわしい横顔を眺めていれば、お菓子を食べたがっているとの勘違いからすっと遠ざかられた。ジト目も可愛い。
「大丈夫。僕ってば昔からちぃとばかし舌がおかしいみたいで、たまに甘いもの食べたら苦く感じたりするんだよね。だからお菓子はいらないよ。苦手だもの」
なんかそんな感じの病気があったような気もするけど、あまり生きるのに不都合はないから気にしちゃいない。
それに、水を飲んだら日によってランダムで違う味に感じたりとかして面白い側面もある。ものは考えようだ。
「確かに、苦いお菓子は嫌だね」
「カカオ99パーセントのチョコとか、もう健康食品みたいな味がするってセリューちゃんも言ってたしね」
「ルカが食べた時はどんな味がしたの?」
「初めて食べた時はなんか塩辛くて、二回目は酸っぱかった」
「どっちのお菓子も嫌だ」
「だね。だからほら、クロメちゃんのお菓子は絶対に取らないって。こっち戻っといで」
ちょいちょい手招きすれば、そのまま大人しく横にスライドして僕の隣にすとんと腰を落とすクロメちゃん。
美しいモノが隣にある喜びは至高だ。それだけで、汚いモノばかりの自分の記憶の中に素晴らしいものがだんだんと増えていく。
死の間際に走馬灯が走るなら、泥に塗れたような思い出より花に彩られたような思い出のほうがずっと嬉しいに決まっている。
いつか殺される時はやっぱり綺麗な走馬灯を見ながら逝って、できることなら僕の死体に涙の一滴でも落としてくれる相手が欲しいものだ。
それが一人きりではなく何人もいてくれたなら、もう僕はその時があまりにも楽しみすぎて途中で自殺してしまうかもしれない。
……なんていうのはさすがに冗談だが、要するに僕にとってそのくらい幸せなことなのである。
僕という存在の消失を惜しんでくれる、つまり愛してくれる者がたくさんいるというのは。
「ねえ、ルカ。ルカのその筆って帝具?」
さっきのタツミくんが最後だったのか、受付終了時間はまだだというのに、もう参加者の姿は周囲に見当たらない。
それでも時間まで仕事は続けなければならないから移動することもできない。
ということで暇になったらしいクロメちゃんは、さしあたって暇潰しのために僕との雑談を選び、トークのきっかけとして帝具に目を付けたようだ。
「うん、千紫万紅アーティスティック。平たくいえば描いた絵を十分間だけ実体化させることができるんだ」
「へえ、便利だね」
「ところがそうでもない。ぶっちゃけ準備に時間かかりすぎるっていうか、奇襲に対する防御力の低さは48ある帝具の中でトップ3に入るんじゃねーかな。クロメちゃんの帝具はその刀?」
「そだよ。死者行軍八房。斬り殺した相手を最大で8体まで“骸人形”として操れるの。生物ならなんでもいけるけど、私は気に入った子しか仲間にしないよ」
刀の鞘を撫でながら自慢げに能力を語るクロメちゃん。そんな子供っぽい表情も非常にキュンとくる。
しかも八房の能力も素敵だ。
斬り殺した相手限定というのが惜しいが、それでも好きな相手が瀕死になったらトドメを自分がさしてしまえばずっと一緒にいられるということ。
それってつまり、僕がクロメちゃんに気に入られて愛されることにいつか成功したら、僕が重傷でもうどうしようもない場合はクロメちゃんが斬ってくれるんじゃないだろうか。
死んで肉体だけになってもその亡骸を愛でてくれるなんて、想像しただけで背筋が震えそうなくらい嬉しい。
決めた。
セリューちゃんやウェイブくんだけでなく、僕はクロメちゃんにも愛されてみせる。
「うっとりしちゃうくらい素敵な能力だね。ねえクロメちゃん。いつか僕が致命傷喰らって死にかけた時は、僕のこと斬ってくれる?」
「んー……今はまだ駄目かな。もっと仲良くなったら」
「そっか。じゃあ、クロメちゃんに掛け替えのない大事な仲間だと思ってもらえるように頑張るね」
絶対に嫌とは言われなかったことにこっそりガッツポーズ。
クロメちゃんにはひとまず断られはしたものの、しかし
「私の八房の良さをわかってくれる人、初めてかも」
となんだか嬉しそうに微笑んでいるので、きっと僕への印象は悪くないと思う。
この調子で死んでもずっと傍にいて欲しい大切な仲間と認めてもらえるよう、きっちり尽くそう。
セリューちゃんにウェイブくんにクロメちゃん。
僕を愛してくれそうな人がたくさん。こんなにもハッピーな気持ちはなかなか味わえるもんじゃない。
エスデス隊長は僕を愛してはくれなさそうだけど、それでもあんなにお美しいのだから視界に入ってくれているだけで目の保養になる。
ランさんは……まだ僕を愛してくれる可能性のある人かない人か不明。でもエスデス隊長と同じく、近くにいてくれるだけで感動ものの容姿。
ボルスさんは、たぶん僕を愛してくれそうな人なんだけど、向こうが何か僕に対する罪悪感や遠慮みたいなものを持っているみたいでこれが弊害になっている。
Drスタイリッシュは僕を愛してくれない。でもきっと、僕を嫌いになったりしない。彼と駄弁っているのは楽しいし、ひょっとしたら他人以上友達未満にはなってくれるかもしれない。
これはなかなか恵まれた環境なんじゃないかな。
少なくとも、僕を愛してくれそうな人がセリューちゃんしかいなかった帝都警備隊に比べれば奇跡と言える内容だ。
問題といえば、同僚というだけで愛着を持ってくれそうなウェイブくんと違って、クロメちゃんに僕への好感度を上げてもらうための方法がわからないことだけど……。
それはこんな風に会話を重ねていくうちに察しがついてくると思う。
「あ、時間だ。そろそろ会場に行こっか」
時計を見たクロメちゃんが受付終了の札をデスクの上に置いてパイプ椅子から立ち上がる。
僕もそれに倣いながら、途中でタツミくんのことを思い出し、雲一つない快晴の空を横目にして小さく呟いた。
「……嵐の前の静けさじゃありませんように」
もちろんルカの願いなんて大半が叶いませんから嵐の前の静けさですよ。