文中に出てくる『スカリフィケーション』が何かわからず検索しようとしている方がいた場合、一応グロ注意の部類に入る代物であると警告を一筆させていただきます。
「起きたか? ルカ・サラスヴァティー」
……冷水をぶっかけられる感覚で目が覚めると、そこにはバケツを構えたエスデス将軍が何故かスーツ姿で立っていた。
よくよく観察してみれば彼女の後ろにいる僕の同僚たちも同じようにきっちり正装に改まっている。
みんなそういう格好をしていると普段とは違った印象になるなぁ。
なんてボーッと夢想していたら、エスデス将軍からビンタを喰らった。
小気味好い音をたてて僕の頬がうっすらと赤くなる。
まぶたを開いたくせに返事は忘れていたから、どうやら意識が定まっていないと思われたらしい。
「起きています」
「む、そうか。お前だけ少々強くやりすぎたからな。てっきり記憶喪失にでもなったかと思ったぞ」
「僕が記憶喪失になったとしても、エスデス将軍の血まで凍りついてしまいそうな美貌を目視すればその嬉しいショックでさっさと過去を取り戻しますよ」
「それだけ口が立つなら問題あるまい。さっさと立て。これから陛下と謁見だぞ」
地面に手をついて立ち上がったところで聞こえてきた言葉に、僕は「なるほど」と手を打った。
そのためにみんなスーツに着替えていたのか。
しかも自分の体を確認してみれば、いつの間にやら僕のいつもの服もスーツに替えられている。
……これは。果たして誰が着替えさせてくれたのだろうか。
女性陣は無い。となると、残りはボルスさんにランさんにウェイブくんにDrスタイリッシュ。まさかまさかの大穴でコロくんという可能性も考慮して、この五択に限られる。
「い……いきなり陛下と!?」
「初日から随分飛ばしているスケジュールですね」
「面倒事はチャッチャと済ませるに限る。それが終わればパーティだ」
僕が静かに悩んでいる間にも話は進んでいく。
本当、誰が着せ替えてくれたのかな。
ランさんやウェイブくんなら「美青年とイケメンの手を煩わせたことになるのか」と気落ちするし、ボルスさんでも「優しい人に嫌なもん見せちまったなぁ」と妙に申し訳ない気分になると思う。
となるとコロくんか、スカリフィケーションやら刺青やらただの傷跡やらで結構アレな感じになっている僕の体を見ても気にしなさそうな精神性の保有者であるDrスタイリッシュが望ましいのだが……。
チラッとDrスタイリッシュに目を向ければ、彼はなんだか意味ありげなウインクを一つ僕にくれたあと、「それよりエスデス様」とさりげなく視線を外した。
あの反応、彼で確定と見ていいかもしれない。
「アタシ達のチーム名とか決まっているのでしょうか?」
その有意義な質問に、将軍は牡丹色の唇をニィと歪ませて答えた。
艷やかで冷ややかな彼女らしい笑み。
「うむ。我々は独自の機動性を持ち、凶悪な賊の群れを容赦なく狩る組織……ゆえに」
――特殊警察、『イェーガーズ』だ。
◇ ◇ ◇
陛下との謁見を早々と終えた僕たちイェーガーズは、ウェイブくんが地元から持参してくれた海の幸をメインにお食事パーティーという名の親睦会をする運びとなった。
エスデスしょうぐ、じゃなくてエスデス隊長にセリューちゃんにクロメちゃん。
この空間には三人の女子がいるというのに、キッチンに立っている面子はまさかのウェイブくんにボルスさんという男二人組。
ランさんは給仕人を買って出て、V襟のベストと細身のワンタックスラックス、フォーマルな白シャツに慎ましやかな蝶ネクタイという装いを似合いすぎなくらいに着こなしている。
僕はといえば、時折そんなランさんに熱視線を飛ばしながら頬に手を当てているDrスタイリッシュと部屋の隅でこそこそ密談の最中だった。
「あの、ドクター。ありがとうございます。気絶している間に着替えさせてくれたの、ドクターですよね?」
「ええ、まあね。しっかし驚いたわよ。奴隷でもやってたことあるの? 相当趣味の悪い変態にいたぶられなきゃあんな跡は残らないわよ?」
どの部位にあった何に対するリアクションかはわからないが、わずかに眉を寄せながら耳打ちするDrスタイリッシュ。
人体改造に手を出すくらい世間の常識を逸脱した彼がこの反応を示すのだから、ひょっとして、いっぺん全裸にひん剥かれて全身くまなく観察されたのかもしれない。
そうでなくては、一部の傷跡を見ただけじゃ彼がここまで興味を持ってくれるとは思えない。
「奴隷の経験はありませんが、10歳まで優しい老夫婦に飼われてました」
「……子供を飼う優しい老夫婦って、ちょっと意味がわからないわね。じゃあその跡は別人につけられたものなのかしら?」
「いえ。古いのはぜんぶ飼い主の手ずから刻まれたものですよ」
「それでも老夫婦は“優しい”ワケ?」
頭のおかしい相手を目にした時のように僕を見て、Drスタイリッシュは胡乱げに尋ねた。
「はい。もう僕の地元では聖人君子と言えるレベルで」
元ご主人様たちも、帝都でならクズだのゲスだの呼ばれる人間であることは保証する。
が、僕の地元ではむしろ滅多にいないくらいの人格者であった。
まずペットに服を与えてくれる。
これだけで『ゴミ溜め』において五本の指に入る優しさだ。
それに飲み食いさせてくれるのも排泄物や虫じゃなくちゃんと水と穀物だったし、なんなら年に一回くらい卵も出てきた。
風邪をひいた時は僕を斬ったり焼いたりするのも控え目にしてくれたし、うっかりやりすぎて殺しそうになった時はちゃんと手当もして生きながらえさせてくれた。
他所とは“普通”の基準が大幅に違っていたのだ。
僕がいわゆる世間一般の人々と馴染めないのは、未だにこの頃の価値観が抜けきらないからで。
感性が腐っている、などと称される所以も恐らくはそこにある。
「嬲るのは老夫婦の妻のほうで、同情してくれるのは夫のほうでしたね。とはいってもお二人の仲が険悪なことはなくて、アメとムチを夫婦で役割分担しているだけといいますか。たぶん中途半端なサディストと中途半端なヒーロー願望の持ち主の二人組でバランスがとれてたんだと思います」
中途半端なサディストである妻は僕を死なない程度に痛めつけて良い反応が返ってくればそれで満足。
中途半端なヒーロー願望の持ち主である夫は傷だらけの僕を介抱して「可哀想に」と呟ければそれで満足。
互いが互いの邪魔をすることもなく、僕という存在をただ自由に扱って心を満たす。
僕も僕で二人の主人に飽きられないために泣いたり叫んだり甘えたり媚びたり色々と頑張った。
そんな毎日が10年。
けれどもそれに絶望したことは一度もなくて、だからこそ、「アレを不幸だと思える精神の持ち主ならもっとまともな生き方ができたのかもしれない」なんて、ふと考えたりすることもある。
もしそうだったなら、適当な人間に泣きついて慰めて貰って心の平穏を取り戻して、なんて流れで幸せが掴めた。
けど実際のところ過去の記憶がちっともトラウマになんてなってやしない僕じゃ、そんなことをしたって途中で自己嫌悪に苛まれて気が沈むだけだ。
だから常識がズれてるままの僕でも愛してくれそうな少数の人々を探すことに決めた。
そうなると今度は大勢の健全な人間に疎まれることになって、まったく愛されるというのは本当に難しいものだと悟った。
汚い場所で育った反動か美しいものが大好きになったので、しばしの間は綺麗なモノをひたすら愛でていればその“愛されたい願望”も誤魔化すことはできるのだが。
「……良い趣味してたのねぇ」
Drスタイリッシュが溜息と共に額に手を当てる。
この場合の“良い趣味”は、彼の好むスタイリッシュさという意味ではなく明らかにジョークの部類だろう。
「ルカ、ボルス。確かこの帝具はお前たちが回収してきたものだったな?」
すっかりDrスタイリッシュとの会話に没頭していたもので、エスデス隊長から声をかけられた時も反応が遅れた。
振り向いて女性陣が腰かけているテーブル席のほうに目をやった僕は、そこに所狭しと並べられている香水瓶を見て、覚えのあるそれらにしっかり頷いた。
「はい。芳香流転パフュームメイジ。たしかに僕とボルスさんが賊から取ってきたものです」
「でもそれ、たしかオネスト大臣に渡したと思うんですけど……」
「ああ。それを私がついでに頂戴してきた。個人的に願い出た褒美がまだだったからな。その繋ぎとしての、まあ利息のようなものだ」
ボルスさんの質問にしれっととんでもない発言を返す隊長。
利息感覚で帝具を大臣に要求するとは、やはりこの人はとんでもない御方である。
……しかし、隊長個人の願い出た褒美とはやはり“恋人”なのだろうか。そういえば帝具の回収は成し遂げたけど隊長の恋の相手探しはすっかり忘れていた。
「しかし帝具だけあって適格者がいないのでは話にならん。使える人材を探しつつ、余興でもしようかと思ってな」
なるほど。
部下の中に適格者がいなくて大臣も宝の持ち腐れみたいになっていたから、エスデス隊長の下にこのパフュームメイジがやって来たのか。
……帝具への第一印象が良かった僕でも適正は示したがスリープッシュで疲労を感じるという最低限のものだったし、ひょっとしてこのパフュームメイジ、とんでもなく適格者が少ない代物なのかもしれない。
しかし余興とは何をなさるおつもりなのか。
底知れぬ魅力をたたえた隊長のお顔をじっと眺めれば、もったいぶるように咳払いを一つしたあと、華奢な顎の下で指を組んで彼女は言い放った。
「武芸大会を開催するぞ。お前たちも手伝え」