『三獣士』が死んだ。
殺された。
その情報は、我が帝都警備隊の隊長であるオーガさんが殺された時を遥かに凌ぐ話題性と共に帝都各地に広まり、そして新たなる噂で終息を迎えた。
曰く、「エスデス将軍が帝具使いだけの特殊警察を組織する」。
その話はもちろん僕の耳にも入ってきた。
“噂”などという曖昧な形ではなく、その特殊警察への“転属話”というはっきりとした形で。
「セリューちゃんと離れ離れになるのは寂しいけど、僕の家と警備隊の詰所って距離近いし……大丈夫。縁は切れないはず」
未練がましく同僚のことを考えながら集合場所である特別警察会議室を目指す。
どうやら宮殿の敷地内にある塔のような建物らしい。
行ったことはないが、たぶん宮殿に入ってそれらしき建物を片っ端から回ればたどり着けるだろう。
とりあえずは宮殿を目指すために警備隊の詰所から出た僕は、自分でも呑気としか形容しようのないそんなことを考えつつぶらぶら歩く。
「……階段、やっぱ降りるの面倒臭いや。こっちから飛び降りよ」
宮殿へと向かう道中にある橋には階段がついているのだが、これが中々歪曲した形の橋なので、必然的に階段を使おうと思えば無駄に歩くことになる。
それが面倒でいつもこの道を使う時は途中で飛び降りている。
雰囲気が陰鬱なせいでしょっちゅう投身自殺に間違われては悲鳴が上がったものだが、この近辺の住民たちにはもう慣れた光景なので最近はリアクションもされなくなってきた。
僕としても騒がれて目立つのそれほど好きでもないし、そっちのほうがありがたい。
よっこらせ、と橋の欄干に立ち、そのまま躊躇うことなく飛び降りる。
地面との距離は目測10メートル前後。鍛えてまだ半年の僕でも余裕をもって着地できる高さだ。
だから今さらビビる必要もなく表情はいつも通りの呆けたような面構えのまま。
後で思い返すと、この変わらぬ表情が傍目に見れば一種の悲壮感を纏っていたのかもしれない。
それゆえ自殺しようとしていると勘違いしてしまったのだろう――
「まだ若い命を、そう無下に散らすこともないでしょう」
――僕の体を空中で抱きとめた、この目を逸らすのがもったいないほどの美貌の天使も。
まだ真昼だというのに、一筋一筋に月光の輝きが詰まっているとしか思えぬ幻想的なプラチナブロンド。
不純物のない黄金をそのままはめ込んだような双眸。
至高の曲線を描くまつ毛は神秘的なその瞳を華やかに縁取り、まばたきの度にぱさりと音をたてそうなほどだ。
雪も青ざめ己の地位を危ぶむだろう白い肌は、ともすればどこの深窓の令嬢か箱入り娘かと考えかねない。
しかし僕の右腕に当たっている胸元に女性特有の脂肪の柔らかさは感じられないので、なるほどこの天使は男性だったのかと初めて気付いた。
これだけの条件ならば、彼が天使ではなく輝くばかりの麗姿の青年でしかないと、僕も判断したかもしれない。
けれども僕は、あくまで彼を天使であると決定した。
そうでなくては、誰が己の背中に、汚れなき白翼など生やせようか。
「あ、あの――違うんです」
僕は緊張で喉を乾かしながらもなんとか目の前の優雅な天使へと弁解を始める。
きっとこの天使様は、僕が橋から飛び降りようとしているシーンを目撃して、その目的が投身自殺に違いないと誤解してしまわれたのだ。
それを阻止し、そして二度目がないようにと説得のためにわざわざ天界から下界まで降りてこられたのだろう。
なんとお優しいことか。しかし勘違いだ。ドジっ子エンジェルなんて、漫画の中にしかいなさそうな生き物にまさか現実世界で遭遇することがあろうとは。
しかし気分は害さない。
むしろ眼福だ――さすが天使というべきか、僕の地元でも帝国に来てからも、ここまで美しい青年に出会ったことは無かったのだから。
綺麗な男性は綺麗な女性よりも稀少だ。
「天使様にご足労をおかけしたことは申し訳ないと思っております。しかし、その、決して僕に自殺願望があったわけではなく……」
ダメだ、ほぼゼロ距離で見るにはこの天使様の顔はあまりにも整いすぎている。
視界に入るたびに魂を揺さぶられる気分だ。
挙動不審かつしどろもどろになりながらも言葉を重ねてなんとか事情を説明しきった僕。
天使様はお美しいだけでなくご聡明であらせられたのか、一度の説明で全てをご理解してくださったらしく、どこか気まずそうに眉を下げながら僕を抱えたまま地面へとご着陸なさった。
ばさりと、大きな翼がどこかに畳まれて消えてゆく。
天使の翼は出し入れ自由だったのか。
「なんといいますか、その……すみません。てっきり貴方が世を儚んで自死を選んだものだと……」
尊い生き物に気まずさなんてものを感じさせていることへの後悔で、やや焦りながら僕は言い募った。
「お気になさらないでください天使様! 大丈夫です、むしろありがとうございます! 貴方との出会いのおかげで朝から下がっていたテンションが回復しました! やっぱり美は花ですね。多くの人の眼を楽しませ、心に潤いを与える素晴らしいものです!」
「……その“天使様”というのは、ひょっとして私のことなのでしょうか?」
「は、はい。そりゃあもちろん」
ひょっとして、天使様ではなく大天使様だったのだろうか。
階級を間違えてしまったならそりゃあ天使様も気になさるに決まっている。
急いで訂正を入れようとした僕だったが、しかし天使様の涼やかな声が先んじて発した言葉の内容に、思わず「え」と面食らってしまった。
「私は天使ではありませんよ」
「……ああ、なるほど。大天使様ということですね」
「いえ、人間です」
「…………」
「…………」
「…………マジですか?」
「はい」
クスクスと上品に微笑んで頷く天使様――もとい天使にも及ぶ容姿をした人間の青年は、その仕草さえも宮廷舞曲のように洗練されており、育ちの良さを感じさせた。
……しかし、まさか天使じゃなかったなんて。
ならば何故、彼の背中には羽があったのだろう。
あまりにも天使じみたルックスだから僕が勝手に翼を幻視した?
そういえば、昨日は徹夜で絵を描いていたから今日は睡眠不足気味だ。
ちょっと疲れているのかもしれない。
目を擦り改めて相手の背中を凝視する僕に、青年は「お世辞とわかっていても、ここまで『天使』と連呼されると照れてしまいますね」なんて謙遜する。
うぅむ……決して世辞じゃないどころかまだまだ褒めたりないくらいなのに。
自分が美形であることを自覚していないタイプには見えないけど、たらふく賞賛されることにはそこまで耐性がない、といったところだろうか。
無自覚とナルシストの中間。非情に美味しい。
「おっと、このままでは遅刻してしまいますね。勘違いしてしまってすみませんでした。私はこれで失礼します」
「あっ、ちょっと待ってください。お名前だけでも教えて頂ければっ」
貴重な美青年の情報を何も掴まずにみすみす逃すのは芸術家として惜しい。
長衣を純白の花のように揺らして立ち去ろうとしていた彼は、その細身の肩越しにゆっくりと振り向いて、空気を薔薇色に染め上げてしまいそうな微笑みと共に言った。
「ランです。エスデス将軍の指揮する組織に所属することになっていますので、帝都にいれば、またお会いする機会もあるかもしれませんね」
「ラン、さん……」
口の中で、香りさえ纏っていそうなその名前を噛み締める。
ラン――蘭か。
あれはとても綺麗な花だ。
種類は色々とあるが、彼は蘭の中ならファレノプシス類の趣を感じさせる。
東の島国だと確か胡蝶蘭と呼ばれていたはず。
白い蝶が慎ましく羽ばたいているような大輪の花。
「エスデス将軍の指揮する組織ってことは、たぶん同僚になるんだよな……よし。やりすぎて引かれない程度に下手に出て何が何でも絵を描かせてもらおう」
なんなら、エスデス将軍とランさんのツーショットも捨てがたい。
冬の女王のようなエスデス将軍と春の天使のようなランさんは、系統こそ違えど同じくらいに華やかで朧たけた容姿をしている。
考えただけで胸が高鳴る光景だ。
「あれ? ルカくん、まだこんなところにいたんですか? 早く行かないと集合時間に遅れちゃいますよ!」
いつまでもランさんの去っていった方向を見て幸せオーラ満載のポヤポヤ顔を浮かべていた僕に、もはや振り向くまでもなく分かるセリューちゃんの声が聞こえてくる。
集合時間……その口ぶりはまさか、セリューちゃんにも僕と同じ転属話が持ち上がっていたのだろうか。
「まさか」という顔で目を白黒させる僕に、察したらしいセリューちゃんは呆れ顔で溜息を吐いた。
「もう。ルカくんってば、渡された紙の端っこに私の名前もあったのに気付かなかったんですか?」
「うん……離れ離れになると思って、昨日はずっと頭の中にあるセリューちゃんのイメージをキャンバスに描き殴ってた」
「何でまた」
「寂しくないように部屋の壁ぜんぶセリューちゃんで埋めようかと」
でも、また同じ所属で仕事できるなら意味のないことだった。
毎日本物に会えるのだ。愛しい彼女の絵に囲まれて心を慰めずとも、職場に顔を出せばそれで事足りる。
「うー……ストーカーじみた発言にまんざらでもない気分の自分が悔しい……」
何故かよそを向いてモジモジと体をくねらせるセリューちゃん。
その顔は耳まで真っ赤に染まっていて、ひょっとして羞恥心を刺激する発言をしてしまったかと、足元のコロくんに報復で襲いかかられることを恐れた僕は慌てて話題を変えた。
「そういえばセリューちゃん。さっき物凄い美人さんに会っちまってさぁ」
「――へえ」
先ほどまでの緩んだ雰囲気から一転。
背景にブリザード吹き荒れる極寒地獄を背負ったセリューちゃんは、地の底を這うような声と共に僕の顔を見て口だけで笑った。
そのあまりの威圧感に僕は人知れず冷や汗をかく。
何故だ。どこで選択肢を間違えた!
「もう解語の花ならぬ解語の月って感じでさぁ。帝都に来てから未だ片手で数えられる程度しかお目にかかったことのない金髪金瞳。しかも上品で優しくて、何より男と分かっていない状態で見たらオネスト大臣もヨダレを垂らして顔を赤らめて目をうっとりと細めながら感嘆の息を漏らすレベルの美貌の持ち主。初めて会った時は天使が僕の眼前に舞い降りたと思ったね。しかも奇跡的なことに僕とセリューちゃんの同僚になるっぽいんだ。名前はランさんって言ってね」
挽回のために言葉を重ねれば重ねるほど、セリューちゃんの目だけが笑わなくなっていく。
人の好奇心をそそるような言葉選びに成功している自信はあるのに。
セリューちゃんがちっとも食いついてくれやしない。
「金髪美人……前にスラムで口説いたって言ってた女性も金髪でしたよね……ルカくん、金髪お好きなんですか?」
「好きだけど……」
「そうですかぁ……うふふふ……金髪美人の同僚ランさん……うふふふ」
僕は綺麗なら金髪でも茶髪でも黒髪でも銀髪でも白髪でも赤髪でもすべて愛するのだが、僕の返事を聞いたセリューちゃんはもう恐ろしいくらいに魅力的なスマイルと共に怪しい笑いを漏らすだけだった。
そのまま数十秒ほど笑い続けたあと、突然いつも通りの明るい笑顔に戻ったセリューちゃんは、僕の腕を凄まじい力強さで掴んでそのまま走り出した。
「さあ、早く行きましょうルカくん! 私、ランさんに挨拶しなくちゃなりません!」
「え、あ、ちょっと! セリューちゃん!?」
他にも同僚はいるだろうに何でランさんだけなんだろう、とか。
何でいつも通りのセリューちゃんなのに妙に怖く感じてしまうんだろう、とか。
色々と思うところはあったが、僕は普段よりやけに速いセリューちゃんの全力疾走についていくのがやっとで、そんな疑問を口にすることはできなかった。
……まさかセリューちゃん、ランさんが『男』ってところ聞き逃した?
イェーガーズ出るとか言っておきながら新登場したのがランさんだけですみません。
次回こそ出ます。
ちなみに『男と分かっていない状態で見たらオネスト大臣もヨダレを垂らして顔を赤らめて目をうっとりと細めながら感嘆の息を漏らすレベル』という表現ですが、アカ斬る!劇場の第玖斬「面接」のシーンを参考にしました。
アニメは見ているがアカ斬る!劇場は見ていないという方がいらっしゃいましたら、意外と見応えのある内容ですので是非ご覧になってください。