画家が描く!   作:絹糸

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第17話:任務完了

 

 

「ちょっと、叫ばんといてーやー。ウチが悪いことしとるみたいやないの」

 

 

 宝石を着ているように煌びやかなウエディングドレス姿の女が、造花を縫い付けた純白のヴェールの向こう側で朗らかに笑った。

 

 浅黒い肌を覆うホワイトカラーの衣装は引きずった裾が地面の土で汚れている。

 ふんわりとふくらんだスカート部分の腰元にいくつもの香水瓶をリボンで絡ませており、スプレケリアの色をした髪もまた毛先を踏みそうなほど長ったらしい。

 フリルとレースが幾重にも重なった姫袖の内側で、貴金属の腕輪が擦れ合い音楽を奏でる。

 20cmはあろうかという高いハイヒールと、隙のない化粧。

 それらは彫りの深い彼女の顔立ちに華を通り越してどこか威圧感を与えており、にも関わらず、声だけは幼い少女のように甘ったるい。

 酷くアンバランスだった。

 

 そんな女の目の前で、ぐったりと意識を失っている男の体を抱えたワンピース姿の少女が、涙混じりの怒声を上げつつ彼女のことを睨めつけた。

 

 

「人殺し! 貴方、この人に何したの!? ちゃんとお金は渡したじゃない!」

 

 

 腕に掻き抱くその男は少女の恋人なのだろうか。

 命失うともこの人だけは離すまいとばかりに力を込める少女に対し、ウエディングドレスの女の背後にたむろする賊たちはバカにするような嘲笑をおくった。

 女も「せやかてぇ」と唇を尖らせる。

 

 

「その人、ウチが性的な意味で大好きな兄さんにそっくりなんやもん。お持ち帰りしたいやん? それに殺しとらへんよ。“コレ”で眠らせただけ」

 

 

 言って、腰にぶら下がった12の香水瓶のうち紫色の瓶を手にとって、女はどこか得意気にそれをちらつかせた。

 

 

「帝具、芳香流転(ほうこうるてん)パフュームメイジ。12の香水瓶からなるコイツは、香水瓶の一つ一つに異なる能力があるんや。そのにーちゃんに使った紫色の香水瓶は『リラックス』。

 一発吹きかければ意識朦朧として立ってられへんようになるし、二発目でどんな猛り狂った獣でもすぐ夢の世界へGO。三発目で二度と眠りから醒めへんようになる。

 そのにーちゃん、今は二回目やで? あと一回かかったらどうなるかなー」

 

 

 ケラケラと笑う女の発言内容に、顔をさっと青ざめさせた少女は抱きしめた男の肩を揺らす。

 

 

「起きて! 起きてよ貴方! 早く逃げなきゃ!」

 

 

 しかしその行為も虚しく、まぶたを閉じた男の体は時おり上げられる呻き声以外の反応を示さなかった。

 いや、その呻き声の頻度すら、時間の経過と共にだんだん減っている。

 少女はますます己の指を男の体に食い込ませた。

 

 

「お願い……起きて……!」

「駄目駄目! そんなんで頭領の帝具の力が破れるかよ!」

「そーそー。いつもお前らイナカ村の連中は大人しく何でも渡してくれるだろ? 今回もそうしちまえよ」

「頭領が気に入ったものを差し出さなけりゃ、お前ら全員どうなるかわかってるよなぁ?」

「女は輪姦で男は惨殺だぜ! お嬢ちゃんもたっぷり可愛がってやるよ」

「俺は綺麗なツラしてりゃあ男でもヤるけどな」

「お前そっちの趣味もあんのかよ!」

 

 

 ギャハハハハハハ――と、下劣な笑い声が快晴の下にこだまする。

 ニヤニヤ笑いを消さぬまま、頭領と呼ばれた女は肩を竦めた。

 

 

「ま、この帝具はあんまり戦闘向きとちゃうんやけどな。回復用の『リフレッシュ』はともかく、若返るだけの『アンチエイジング』なんかはもう美容にしか使われへんで? ビビるやろ?」

「ぎゃははっ! その情報のどこにビビれってんですか頭領!」

「アホ。ホンマにビビれ言うとるわけやあらへんわ。ノリじゃノリ」

「さすが頭領! 意味わかんねぇッス!」

「しばくぞボケ!」

 

 

 即席漫才じみたやりとりを交わす頭領と取り巻きの賊たち。

 その隙を突いて抱える男と一緒に逃げ出そうとした少女は、しかしその重みに耐え兼ねて派手に転倒してしまった。

 それを見てまた取り巻きたちがはやし立てる。

 

 

「かっわいそー!」

「大丈夫でちゅかぁー?」

「膝すり剥いてるよー。絆創膏いるぅ?」

 

 

 あからさまに見下した視線をいくつも向けられて、少女は顔を俯かせたままぐっと唇を噛み締めた。

 八重歯で切れた口元から血が滴り落ちて地面を濡らす。

 その上に重なるようにして落ちる透明の雫は、少女の頬を伝う涙だった。

 

 

(ごめんなさい……ごめんなさい貴方……! 貴方一人を抱えて逃げることもできない不甲斐ないアタシを許して……! あんな女に貴方を渡すくらいなら、せめてアタシと一緒にここで……!)

 

 

 思い詰め、心中という覚悟を決めた少女のたおやかな指先が男の無骨な喉をするりと巻く。

 徐々に気管を締めていく少女の動きを、しかし唐突に見舞われた側頭部への蹴りが止めた。

 

 

「ぐぅ!!」

 

 

 鈍い悲鳴を上げて地面をすべっていく少女の華奢な体。

 こめかみから血を撒き散らして大きな岩に激突し、「かは」と短く息を吐いたあと、そのままズルズルと地面に倒れ込んだ。

 蹴りの実行者である頭領の女は、先ほどまでの気楽な笑みをかき消した鋭い顔つきで瀕死の少女に近づいていく。

 

 

「なに勝手なことさらしとんねん。ウチがいつ勝手にそいつ殺してええっちゅーた?」

「あ、がっ……!」

 

 

 少女の柔らかな腹を尖ったヒールの先で踏みにじり、ドスを利かせる頭領。

 内臓を圧迫された少女の口端からは飲み込みきれないヨダレがこぼれていた。

 腰にぶら下げた香水瓶の中から赤色の瓶をとって、女は最終勧告とばかりに少女の耳元で囁く。

 

 

「なあ、嬢ちゃん。ウチも別に鬼やあらへんねん。ただ、帝都で宗教の信者やってる兄さんがお金いっぱい必要やって言うとるからな、妹として力になってあげたいだけなんよ? せやから、金づるであるここの村人たちの命を無駄に奪うようなことはしとうないんよ……」

「ぅ…………」

「返事せんかいこのアマぁッ!!」

 

 

 激情の形相を浮かべる頭領が香水瓶のフタを投げるようにして外し、吹き口の先を少女に向けてプッシュしようとしたその瞬間。

 

 ――グオォォォォォォォォ!!

 

 凶獣の遠吠えする声が闘気を伴って肌を粟立たせた。

 

 

「な、なんや!?」

 

 

 混乱した頭領が振り向くのとほぼ同時。

 後ろで控えていた取り巻きたちの姿が、べしゃりと、とてつもなく大きな“何か”によってすり潰された。

 

 

「あ――――え?」

 

 

 よく見れば、取り巻きたちを踏み潰したものの正体は特級危険種であるワイバーンだった。

 地面と、ワイバーンの体のわずかな隙間から、ぴゅくぴゅくと取り巻きたちの血液が吹き出しては勢いを失っていく。

 圧死か出血死か、どちらにせよ、この速さでここまでされたら瞬殺だったのは間違いない。

 ならば彼らは幸せだろう。

 

 少なくとも、今から消えることのない炎に焼かれることになるこの頭領と比べれば。

 

 

「ごめんね。これもお仕事だから」

 

 

 そんな声が近くから聞こえた瞬間、頭領の体は灼熱の紅蓮に包まれた。

 

 

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁッッ!!」

 

 

 全身の細胞という細胞を丹念に火炙りされるようなその痛みに、頭領は訳もわからず叫ぶ。

 悲鳴を上げるための喉すら熱と激痛に引きつり、かきむしった皮膚から流れるはずの血液すらも瞬時のうちに蒸発、気化。

 神経や魂すらも煉獄の責め苦に苛まれ、自棄になって地面を転がり回っても火は消えなかった。

 

 熱い。

 熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!

 

 思考が全て、体の痛みに支配される。

 そこに理性などというものが入り込む余地はなく、この皮膚を全て剥いでしまえば楽になれるのではないかと、頭領は絶叫しながら己の皮をべりべりと剥ぎはじめた。

 しかし剥いだそばからその下の肉すらも炎の侵略を受け、なすすべもなくただ狂乱するだけの頭領。

 

 もはや内臓を残して体のほとんどが炭化し、命もあと数秒しか残っていないだろう。

 その僅かな時の中で最後に頭領が呟いたのは、こんな言葉だった。

 

 

「ホリマカ……にい、さん……」

 

 

 炎を纏った腕が力なく土の上へと落ちる。

 ワイバーンの上でその様子を観ていたルカは、きょとんと首をかしげてボルスに問うた。

 

 

「誰でしょう、ホリマカさんって」

「さあ……あ、そういえば帝具! どうしよう! 私この人ごと燃やしちゃったかもしれない!」

 

 

 とんでもない事実に気付いて取り乱すボルスに、ルカはワイバーンから飛び降りつつ「大丈夫です」と返した。

 その腕にはいくつもの香水瓶がしっかりと抱えられている。

 

 

「ボルスさんがルビカンテで攻撃する前、ちゃんとくすねときましたから」

「い、いつの間に? 速いんだね」

「僕じゃないですよ。この子たちを使いました」

 

 

 見れば、ルカの回りにいくつもの小さな光が点々と浮かび上がっているのが見えた。

 ランタンよりは小さいが、ホタルよりは大きい。一体なにが発光しているのか。

 

 

「三級危険種のピクシーです。動きはとても素早いですが、悪戯くらいしかしないのでこのランクに指定されてるんですよ。描きやすいので結構重宝してます」

「そうなんだ。ルカくんの帝具って、色々できるんだね」

「ただし十分に限る、しかも下準備が不可欠、ってあたりが難点ですけどね」

 

 

 苦笑いして頬を掻くルカ。

 そこでやっと岩に激突した少女の姿が目に入ったのか、「あ」と小さくこぼしつつ瀕死の少女に駆け寄った。

 目の前で膝を折って視線を合わせ、ひらひらと手を振る。

 

 

「大丈夫ですか? 意識あります?」

「…………」

「んー……駄目だこりゃ。息はかろうじてあるけど持って五分ってところですね。お医者さんも間に合いそうにないので、サクッと介錯してあげたほうが苦しまずに済むかもしれません」

「そんな……」

 

 

 気落ちするボルスに、しかしルカは自らの発言を即座に撤回するようなことを言い出した。

 

 

「あ。やっぱりどうにかなるかもしれません」

 

 

 「本当?」と嬉しそうに反応するボルス。

 「可能性の話ですけどね」と返しつつ、ルカは回収した帝具、『芳香流転パフュームメイジ』を形成する12の香水瓶から銀色のものを抜き取った。

 それを無駄にシャカシャカと振ったあとフタを外し、途中で思い出したように背中のアーティスティックをボルスへと渡す。

 

 

「これちょっと預かっておいてください。帝具ってどうも併用できないらしいので」

「? わかったけど……それをどうするの?」

「第一印象はかなり良かったので、ひょっとしたらイケるかな、と」

 

 

 曖昧に呟きつつ、少女に向かって銀色の香水瓶の中身をワンプッシュする。

 少女の体に吹き掛かる甘い匂いの液体。

 それを不安げに見つめていたボルスだったが、しかし次の瞬間、少女の顔色が良くなってきたのを理解して驚きの声を上げた。

 ルカもルカで「よっしゃ」と無表情で小さくガッツポーズする。

 

 どうやらあの銀色の香水瓶は『リフレッシュ』、つまるところ回復用のものであるらしい。

 この場合、一発でそれを引き当てたルカの勘の良さと、たまたま敵が持っていた帝具に適正を示したことと、一体どちらがより奇跡的なのか。

 

 とにもかくにも、瀕死の少女は一命を取り留めた。

 それでも重傷であることに変わりはないので、念の為にもうツープッシュくらいしておく。

 それだけでよほど体力を持って行かれたのか、どこか倦怠感を滲ませた顔でルカは立ち上がった。

 

 

「やっぱりアーティスティックほど相性良くはないみたいですね。使えるっちゃ使えるけど、使いこなすのは無理って感じです。たった三発ですげー疲れます」

「気に入ったルカくんでそうなら、きっと私は無理だね。香水ってどうしても女性の使うものだってイメージがあるし……」

「まあ、男で香水使ってるのなんてお洒落さんか風呂に入ってないから体臭ごまかしてる人の二択ですもんね」

 

 

 駄弁りつつ、少女の体をよっこらせ、とボルスの馬の上に担ぎ上げる。

 彼女を村のお偉いさんまで届けて、ついでにそこで眠っている浅黒い肌の金髪男性も送って、それで任務は完了だ。

 道中に残してきたルカの馬を拾わなければならないが、とにかくこれで帝都に帰還できる。

 パフュームメイジと交換する形でボルスから受け取ったアーティスティックを地面に突き立て、土の上に馬の絵をさくさくと描く。

 とりあえずの移動のために実体化させたただの馬の上に乗って、ルカは後方のボルスに振り向いた。

 

 

「帝都に帰ったら、さっきの話の続き聞かせてくださいね」

「……うん」

「まあ、決心がつかなければ一ヶ月くらいは待ちますんで」

 

 

 ありがとう、なんて小さな声がルカの耳を掠めた。

 それに手をひらひらと振るだけのぶっきらぼうな返事をあえてして、それで何事も無かったかのようにルカは馬を駆り出す。

 

 さあ、家に帰るまでが任務だ。

 気を引き締めて行こう。

 

 





今回収穫したこの帝具『芳香流転パフュームメイジ』ですが、主にワイルドハント編あたりでサポート的に活躍します。

あと次回の話でやっとイェーガーズが出せそうです。



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