「一緒にお仕事に行く子、一体どんな子なのかな……遅いなぁ……」
穏やかな口調でそんなことを呟いてキョロキョロしているのは、ガスマスクを被った上半身裸の男だった。
胸元に走る数本の傷痕。隆々とした筋肉に包まれし頑強な巨躯に、背中の火炎放射器の存在もあって、もはや子供の視界に入ればそれだけでトラウマになりそうなほどの絶妙な威圧感をはからずも放ってしまっている。
彼と付き合いのある者ならば、その見た目を裏切って中身の優しい人であるということは知っている。
が、そうでない相手にしてみればその姿はもはや『なんかヤバイ奴』もしくは『ベテラン拷問官』としか映らず、現に道ゆく内政官や宮殿警護の兵士たちも彼を避ける形で遠巻きに去っていくばかり。
しかし今さらそんなことを気に病む彼でもない。
男が――帝国焼却部隊の隊長であるボルスが今考えていることは、これから一緒に任務で遠出することになるという帝具使いの同伴者がいつまでたっても姿を現さないのは何故かということであった。
「ここに来る途中で何かあったのかな……」
声に滲む感情が苛立ちではなく心配であるあたりに、ボルスという男がいかに温和で気遣いのできる人物かがうかがい知れる。
ずっと中庭の端で待っているのもそろそろ落ち着かなくなってきた。
広々とした場所だし、ひょっとしたら建物の死角になっていてこちらからはよく見えない位置で、自分と同じように待ちぼうけている可能性もある。
探しに行ってみよう。
そう決心したボルスがとりあえず中庭を一周するため三歩ほど足を進めたところで、ジャラジャラ、ズルズルと、鎖で繋いだ重いものを引きずりながら歩いてくるようなそういう音が聞こえてきた。
(何かな……大きな犬の散歩? いや、でも引きずってる音だよね)
疑問を抱きながら振り返る。
しかしそこで目撃した光景のあまりの場違いさに、彼は思考を停止させるしかなかった。
(え……ちょ……何アレ)
ボルスが見たもの。
それは首輪を嵌められ両腕を背中で縛り上げられ、もはやボロ切れとしか呼べないあちこち破けまくったスーツから見える皮膚に真っ赤な傷や真っ青な痣でサイケデリックな模様を刻んだ青年が、死んだ目で力なく半笑いしながら引きずられている姿。
そして、その青年の首輪に繋がった長い鎖の先を片手に握り締め、一仕事終えた後のように満足げなホクホク顔で青年を引きずって歩いてくるエスデス将軍の姿だった。
「あはは……こんなねちっこい責め方されたの久しぶり……懐かしさでホームシックになりそうです……」
「私の相手をしてそれだけ軽口を叩けるならまだ余裕だな。かなり楽しめたぞ。今度はノーマル拷問BコースではなくCコースで可愛がってやろう」
「……そのコースはどこまで続くんでしょうか」
「ハード拷問Zコースまであるが、そのレベルになるともう五体満足では済まないからな。お前とのじゃれあいで行うならハード拷問Aコースまでで抑えてやろう」
「うわぁい……えすですさまおやさしい……げほっ」
血反吐混じりの湿った咳の音がこちらまで届いた。
ほぼレイプ目と言っていい目つきで抑揚のない言葉をこぼす青年は、痛ましいし可哀想ではあるのだが、しかし将軍の口にする通りどこか余裕が見受けられる。
時おり眉をしかめる仕草も呻き声を漏らす様子も、果てには苦痛を含んだ吐息のこぼし方さえも、本当は結構平気なのに相手を喜ばせるための芸の一つとして“わざと”やっている、なんていう風に見えるのだ。
普通なら痛がっているフリで済ませるなんて真似、サディスト側の怒りを煽るものでしかないのに、彼の場合は『こんなことが上手くなってしまうような生き方をしている可哀想な相手を嬲っている』ということへの悪趣味な快感が勝って満更でもなくなるのだろう。
彼なりの処世術なのかもしれない。
が、そういう演技を上達させざるを得ないような環境で育ってきたのだろうと思えば、彼がまだ20歳前後の年若い青年であることも相まって、人格者の部類に入るボルスは居たたまれない気持ちを感じていた。
オロオロするボルスをよそに、ドSで名の知れたエスデス将軍と青年はわりと気軽に会話を続ける。
「まあ、テンションが上がってやりすぎたとは反省している。この詫びは今度、現金か黄金で支払おう」
「いえ、お金は別に大丈夫です。こう見えて画家としての僕に付いてくれているパトロンは結構いるので。代わりにお願いが」
「何だ? 言ってみろ」
「お互いの休暇が被る時があったら、その時に僕に貴方の絵を描かせて欲しいんです。お金はいらないので、お時間ください。それで値千金です」
全身、獣に喰われかけたみたいにズタボロの青年が発した言葉のあまりの珍しさにか、エスデス将軍は一瞬きょとんとした表情を浮かべたあと、「やはりお前は面白い」と愉しそうに哂った。
「よかろう。時間が空いたら来ると良い」
「ありがとうございます」
地面に転がされたままの青年はその状態から器用に腕を使わず起き上がったあと、ぺこりと頭を下げて礼を述べた。
エスデス将軍はそんな彼をいじめ足りない心残りでもあるのか、妙にちらちらと視線を配りつつも立ち去っていった。
その先で、彼女の部下と思しき三人組が待っている。合流して中庭から離れていく三人とエスデス将軍。
内一人に「ねぇお兄さーん! 今度はボクにもいじめさせてねー!」なんて声をかかけ残されて、青年はやはり血の滲んだ唇に乾いた笑いを浮かべていた。
「まあ、あの少年はビジュアル可愛いし、絵を描かせてくれるなら別に良いかな……」
冗談ではない響きでそう呟き、下がり気味だった頭をやっと上げた青年は、そこでやっとボルスの存在に気付いたらしい。
血の気の失せた肌の上に己の返り血をこびりつかせた顔で、それでも呑気としか称しようのないどこかぼんやりとした表情。
目を丸めていることだけが唯一のリアクションと言えるかもしれない。
青年はきっとボルスのことを指さそうと思ったのだろう。
しかし己の両腕が縛られたままであることに気付き、膝だけでずりずりとボルスとの間にあった数メートルの距離を詰めたあと、どこか申し訳なさそうな表情で彼を見上げてこう切り出した。
「……あの、たぶんですけど、僕が待たせてた帝具使いの人ですよね?」
「え、あ、うん」
「すみません。話すと長くなるんですが、ちょっとした運命の悪戯がありまして。遅れてしまいました」
「大丈夫だよ。今の光景で大体のことは察したから……」
運命の悪戯というか、運命の虐待というか。
とにもかくにも彼の拘束を解いてやらねばならない。
しゃがみこんでその背後に回り、「ちょっとごめんね」と一声かけてきつく結われた縄に手をかける。
凄まじく複雑な結び方をされていて、ちょっとやそっとのことでは解けそうにない。いっそ引きちぎってしまったほうが早い。
そう判断して縄の両端をぎゅっと握り締め、そのまま特に力むこともなくぶちぶち豪快に縄を破っていく。
「おお」と、どこか幼さを漂わせる感嘆の声。素直に凄いと思ってくれたのだろう。それに気恥かしさと嬉しさとを同時並行で感じつつ、ボルスは青年の首輪も革のほうを千切ることで彼の拘束を完璧に取り払った。
「ありがとうございます。いやぁ、あのまま縛られ続けてたら半日で手首が腐って落ちることろでしたよー」
自由になった腕をぐるぐる回し、あっけらかんと語る青年にボルスは「そっか……大変だったね」と優しい声で返すしかなかった。
たぶんこの青年、変人の部類に入る。精神的にタフというかキンキーというか、きっと己がいま味わった状況をあまり重々しく感じていないのだろう。
(どうしよう……すぐにお仕事行けって言われてるけど、このまま連れて行くわけにもいかないよね……日を改めて貰えるかな……)
満身創痍の青年を案じるボルス。
しかしそんな彼の心中などいざ知らず、立ち上がって腕の柔軟体操を終えた青年は、「よし」と手を叩いてボルスに目を合わせた。
「それではおじ様、お待たせいたしました。早速お仕事に向かいましょう」
「え? だ、大丈夫なの? そんな怪我してるのに?」
「鞭打ちって皮膚はイかれまくりますけど、内臓はそうでもないので問題ありませんよ。アレで怖いのはショック死だけです」
「そ、そうなんだ……」
今日何度目か数えられない困惑がボルスを襲う。
日常会話感覚でとんでもない話題をブッ込んでくる青年であった。
「僕は帝都警備隊所属のルカ・サラスヴァティーと申します。おじ様のお名前は?」
「焼却部隊のボルスです。よろしくね、ルカくん」
がっしりと握手を交わす二人。
片や半裸でムキムキのガスマスクを被った男、片や血まみれでボロボロのスーツを着た青年。
場所が平和な中庭だということが余計にその異様さを引き立てる二人組であった。
とにもかくにも、ルカ・サラスヴァティーとボルス。
後にイェーガーズとして共に戦いに身を投じることになる二人の、ファーストコンタクトはこんな感じであった。
三銃士の声は別に救いの声にはならなかったようです。
ちなみに前回の話でニャウくんがルカを「変な格好」だと言っていたのは、こいつはスーツにベレー帽の組み合わせだったからです。
もちろん皇帝陛下の前じゃ脱いでましたが。