画家が描く!   作:絹糸

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第14話:サロメティック・サディスティック

 

「なるほど……お前がここ半年の間に新しく入った帝具使いか」

 

 

 ――氷の女王。

 見る者を惑わす美しさと、魂まで凍りつかせるような威圧感を併せ持つ者。

 寒緋桜の唇が織り成す笑みは冷ややか。

 水底まで透き通って見える湖の様な青を湛えた髪と瞳はもっと寒々しく、見ているだけで体温が下がってきたような錯覚さえ感じてしまう。

 肌は皮膚の代わりに薄く叩き伸ばした真珠を敷き詰めたかと思うばかりの白さだ。

 この肉体を見てしまえば、修行を積んだ坊主も色香に目がくらんだろくでなしの老人に堕すだろう蠱惑的なボディラインは、しかし一目で上等とわかる縫製の軍服に颯爽と包まれている。

 

 そう、軍服。

 彼女は紛うことなき軍人であった。

 名をエスデス――エスデス将軍。

 

 すなわち帝国最強と名高いあのサディスト美女である。

 

 

「お初にお目にかか、ります」

 

 

 緊張感からか、発声を変なところで区切ってしまった。

 ずっと口の中が乾きっぱなしで心臓がバクバクとうるさい。

 はっきり顔を合わせたのは最初の一瞬だけなのに、頭を垂れている今ですら冷や汗が頬を伝って髪を張り付かせてゆく。

 体中が彼女と自分との実力差を感じ取って「逃げろ」と叫んでいるようだった。

 敵対せずともこのプレッシャー。なるほど、まさしくドSだ。もはや存在だけで一種の責めになっている。

 

 

「帝都警備隊所属、ルカ・サラスヴァティー。エスデス将軍のお噂はかねがね。今日は偶然なれど御身にお会いできたことを心から幸福だと感じております」

 

 

 慣れない言葉を使いながら心の中でオネスト大臣にストレス発散する。

 骨付き肉であの肥えた頬を往復ビンタする妄想でなんとか精神を落ち着かせながら、僕はこうなるに至った経緯を思い返していた。

 

 そう、全てあのオネスト大臣が悪いのだ。

 

 ことの始まりは数時間前――――。

 

 

 

 

 

 

      ◇      ◇      ◇

 

 

 

 

 

 

「エスデス将軍の恋の相手探し……で、ございますか?」

「うむ。将軍も年頃だからな。恋をしてみたくなったそうだが、なにせ相手の条件がとんでもなく厳しいのだ」

 

 

 片膝をついて恭しく跪く僕の目の前には、未だ幼いこの国の皇帝陛下が悩ましげな様子で鎮座していた。

 

 皇帝陛下とも、その隣でベーコンなのか生ハムなのかよく分からない肉をクチャクチャと喰らっているオネスト大臣とも、会うのは無理やり帝都警備隊へと入れられるはめになった半年前以来だ。

 ……いや、大臣のほうは遠くから姿を見かける機会くらいはあったのだが。

 

 いつ見ても変わらぬでっぷりとした腹。

 限りなく円形に近い肥満体型。

 だというのにそこまでの不潔さは感じさせないあたり、ひょっとしたら痩せればダンディーなおじ様に見えるくらいの顔立ちをしているのかもしれない。

 「痩せたら可愛い」と「痩せたら格好良い」は、つまり「今は魅力的じゃない」という意味となんら変わりないのだけれど。

 

 しかし、急にお呼びがかかって王宮に正装で参るはめになったと思えば、まさか話の内容がエスデス将軍の恋人に相応しい条件の男を探してこいだとは。

 帝都は思ったよりも平和なのだろうか。なんて血迷ってしまいそうである。

 

 

「帝都の民にも軍人にも、お前の所属する警備隊の者にまで手を伸ばしたが、やはり将軍の好みに適う男はいないようなのだ。しかし彼女に望む褒美をやらぬわけにはいかない。ならば地方にまで足を運んで貰うしかないと思ってな」

「なるほど。しかし、その……陛下のお言葉に不平がある訳ではございませんが……なぜ私を? 畏れ多くも、陛下をお慕い申し上げている兵士は数え切れぬほどおります。どこの馬の骨とも知れぬこの私をわざわざご起用なさらずとも」

 

 

 私(わたくし)なんて一人称を使ったのもやはり片手で足りる程度の回数だけだ。

 我ながらよく舌が回るものだと思いつつ、『ああ、自分のような下賤の身の者が皇帝陛下にご意見するなんて……でも言わなければならない! 陛下のためにも!』みたいなオーラを醸し出しつつ質問させていただいた。

 設定の細かい演技は僕の得意分野である。

 これと哀れまれ体質の掛け合わせによりネガティブなもの限定で大抵の人間に見破られないレベルにまで演技力が昇華しているが、ものすごく稀に違和感を持たれることもあるのでまだまだ完璧とは言い難い。

 

 

「そこまで己を卑下せずとも良い。だが、それは大臣に聞いてくれ。お前を推薦したのは彼なのだからな」

「オネスト大臣が?」

 

 

 いったい何のつもりだ。

 目を付けられるようなことは良い意味でも悪い意味でもしていないというのに。

 

 

「ヌフフ……恋人探しのほうは“ついで”ですよ」

 

 

 薄切り肉を頬張り壇上からもったいぶった動きで降りてくる大臣。

 距離があっても太ましいのに、近距離で見るとなおさらそれを感じる。

 あの腹の中に三つ子を孕んでいると嘯かれても半ば信じてしまいそうなほどだ。

 

 

「実は、帝都を外れて南に突き進んだ田舎で『帝具らしきものを所持した賊が暴れまわっている』との目撃情報が無視できない件数寄せられていましてねぇ」

「……賊の殲滅および帝具の回収任務でございますか」

 

 

 相手の本題を察して、僕は内心げんなりとしながら相槌を打った。

 断じて警備隊の仕事内容じゃあねぇ。もちろん画家の仕事でもない。

 

 

「理解が早くて助かります。賊のせいで帝国の民が苦しんでいるのを見過ごすわけにはいかないでしょう?」

「さすがはオネスト大臣。ご聡明かつ慈愛に満ちあふれたお方ですね。貴殿さえ付いてくださっていれば皇帝陛下もさぞ安心して治世に励めることでしょう」

 

 

 わざとらしい大臣の言葉に、こちらもわざとらしいくらいの世辞で返す。

 お互い笑顔だ。本心からの笑顔ではないが、だからといって牽制しあっているわけでもない。

 強いて言うなればこれは確認行為。

 大臣は僕がこういう方面にどれくらい使えそうな奴かを試して見定めようとしているだけだし、僕は僕でその意図を見抜いた上で貴方に仇なすつもりはありません、と状況だけで主張している。

 もちろん大臣は僕に見抜かれていることを見抜いているに違いない。

 

 僕の応対は及第点だったらしい。

 どこか満足げに喉を鳴らして、オネスト大臣は立ったままふんぞり返った。

 反対に僕は深々と頭を下げ直す。

 跪くとか平伏すとか、そういう窮屈な姿勢はわりと落ち着くものだ。

 

 

「本当は北の異民族制圧から帰還したエスデス将軍の部下、『三獣士』に任せるのが良いのでしょうが、あいにく彼等には別の用を将軍から頼んでくださるようお願いしたばかりでしてねぇ。同じく帝具持ちの貴方に任せることにしたんですよ」

「承知いたしました。不肖ルカ・サラスヴァティー、必ずや賊を討伐し、この国の新たな力となる帝具を持ち帰ってご覧に入れましょう。出来ることならばエスデス将軍の恋人候補も見繕って参ります」

 

 

 言いながら、やっべぇ僕こういう言葉スラスラ出てくるわー、マジでよく回る舌だわー、と妙なテンションになる。

 

 それから「もう一人の帝具使いを用意しておきました。中庭で待機させているので、合流して今すぐにでも行ってください」との催促を受け。

 カシコマリマシタータイシュツサセテイタダキマスゥーなんてペコペコしながら広間の扉を抜け、言われた通りに宮殿の中庭に足を踏み入れんとしたところで。

 

 

「その筆、文献にあった千紫万紅アーティスティックか。ならばお前が例の――」

 

 

 

 

 

 

      ◇      ◇      ◇

 

 

 

 

 

 

 ――あれ、別にオネスト大臣そこまで悪くもないや。これただタイミングの問題っぽい。

 

 回想で今さらの真実にたどり着いて愕然としつつ、エスデス将軍に声をかけられたシーンまででとりあえず追憶を切り上げる。

 

 とにもかくにも、中庭でエスデス将軍にお声をかけられた僕は、その瞬間から本日二度目の片膝着き状態でずっと緊張しっぱなし。

 エスデス将軍は超がつくほどの美女であらせられる。ぶっちゃけ物凄く創作意欲を刺激される。今すぐにでもキャンバスにそのお姿を描き殴って悦に浸りたい。

 が、なにせ立場が違うのだ。不用意に口説いたり詩人ばりの賞賛を始めたりすれば、その日の彼女の機嫌次第で僕の命は一瞬のうちに終わることになるだろう。

 だから堪えるしかない。ここで死んだらもうセリューちゃんといちゃつけない。コロくんともじゃれあえない。

 

 

「そう固くなるな。私は王族でも何でもない」

「あ、ありがとうございます」

 

 

 下げていた頭をおずおずと上げる。

 ぶっちゃけ王族相手にはそこまで緊張しない。エスデス将軍だからこそこんな態度になってしまっているのだ。

 

 背後から声をかけられたあと振り向き様に跪いたため、さっきはエスデス将軍のお姿を一瞬しか見ることが叶わなかった。

 が、改めて眺めてみると本当にとんでもない麗人である。雪魄氷姿にして氷肌玉骨。ただそこにいるだけで否応もなしに視線を惹きつけるその存在感は、まさしく絶世の美女と呼ぶに相応しい。

 

 そんなエスデス将軍は、何故かこちらの顔を凝視して「ほう」と愉しそうに唇を吊り上げる。

 単純な恐怖と、美貌の微笑みを見られたことへの感動とで、冷たいんだか甘いんだかよくわからない複雑な震えが背筋に走った。

 

 

「お前、中々そそる容姿をしているな。いたぶり甲斐がありそうだ」

 

 

 跪いたままの僕の顎を、足を覆うブーツの爪先でくいと持ち上げ、さながら敗戦国の捕虜を目の前にした猟奇趣味の女王様みたいな表情を浮かべる将軍。

 僕はうろたえながらもなんとか口を開いた。

 

 

「お戯れを。僕なんて虐めたところで、エスデス将軍ほどのお人には何の面白みもございませんよ」

「そうか? お前、見たところ痛みや恥辱にはかなり慣れているクチだろう?」

「……人並みには」

「そういうった手合いを相手するのには、敗者を蹂躙することとまた違った楽しみがある」

 

 

 ……僕の『哀れまれ体質』は、人によって良い影響を及ぼしたり悪い影響を及ぼしたりとマチマチなものだ。

 しかし。相手がサディストだった場合に限り、100%悪い影響しか及ぼさない。

 誰にとって悪いかって、もちろん僕にとってだ。

 善悪とかじゃなく、都合が悪い。

 

 要するに、僕の容姿や雰囲気はサディストの嗜虐を誘うものであるらしい。

 一般人なら「可哀想! 私が助けてあげる!」となるところを、サディスト連中は「可哀想! もっと可哀想にしてあげる!」なんて感じでS心が疼いてしまうようなのだ。

 

 将軍の爪先が僕の顎から外れる。

 どこかうっとりと、サディズムに濡れた眼差しで僕の手首を掴み上げたエスデス将軍は、まるで荷物を扱うような乱暴さで僕を無理やりひっ立たせつつこう言った。

 

 

「まあ、悪いようにはせん。コミュニケーションの一環だと思って少しだけ付き合え」

「え、あの、ちょっと」

 

 

 この付き合えは確実に「今からお前を虐める宣言」だとみなして間違いない。

 困る。僕はサディストじゃないが、マゾヒストでもないのだ。っていうか大臣の言ってた帝具使いの人をずっと待たせることにもなるし。

 プライド無いから靴の裏だろうと床だろうと平気で舐める僕けど、だからといって痛いのや恥ずかしいのに興奮する性癖は持っちゃいない。

 

 けれども妙に嬉しそうなエスデス将軍を振りほどいて逃げるほどの力量も度胸も僕にはない。

 ……仕方ない。生きたまま腹をかっ捌いて内臓を素手でこねくり回されるくらいはまでは覚悟しておこう。

 なんて諦めの境地に達しかけたところで、救いの声は突然背後からやって来た。

 

 

「エスデス様。我ら三獣士、任務より帰還しました」

「経験値はあまり稼げなかったな」

「僕はコレクションも増えたし満足してるよ。というか、その変な格好した男はどうしたんですか?」

 

 

 




三獣士が登場するとは言ったけど三獣士編とは言ってない(言い訳)。


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