画家が描く!   作:絹糸

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第10話:百獣の女王と背中の少年

 

「タツミ! 今回は引くぞ!」

 

 

 逡巡の末、レオーネがとった行動は“戦術的撤退”だった。

 ここは不利。たとえ標的をみすみす見逃すことになろうとも、無駄死によりは一旦引いて体制を整えたほうが良い。

 そう判断して天井裏に潜むタツミを連れて逃げるため両足に力を込める。

 

 決して脆くはない床をぶち抜くほどの跳躍。

 しかし己の腕にタツミの体を抱え込んだその瞬間、レオーネは後ろ髪を力強く引き戻され天井から落下した。

 

 

「姐さん!」

 

 

 腕の中でタツミが叫ぶ。

 振り返るのもまどろっこしく背後の何者かに肘打ちを見舞ってやれば、人体ではありえぬその硬度に、おそらくはエイプマンだろうと検討をつける。

 巨体の吹き飛ぶ気配。見るまでもなく下した判断は間違っておらず、部屋どころか外の建物の壁にめり込んだ相手は、間違いなくそうであった。

 

 思わずこぼした舌打ちを、再度部屋の床に着地した音がかき消す。

 先ほどよりも離れた場所で、この危険種の操り手――ルカ・サラスヴァティーは微笑むことも睥睨することもなく、ただ微睡みにも似た無表情でこちらを凝視していた。

 

 

「逃がしませんよ。美人のケツを追っかけるのは得意なんです」

 

 

 呪われた弦楽器を奏でるような、不気味で麗しい声だった。

 鬱々しいとか辛気臭いという言葉が骨の髄まで沁み込んで、一生かけても拭い去ることはできないだろう雰囲気をしたこの青年は、しかし美しかった。

 酷いクマ、青白磁にも似た血色の悪い肌、寝乱れたとしか思えぬ髪、焦点のはっきりしない患ったような瞳。欠点にしかなりえないその全ても、彼の作り物じみた顔立ちを邪魔する結果にはならない。

 むしろ彼のその容貌により、かえって病んだ雰囲気や荒んだ感じが強調され、一目見れば「はたしてどのような過去を背負ってきたのか」と悲惨な人生を想像をせずにはいられない。

 これはこれで一種の魔性だった。

 

 

(くそっ……やりづらい!)

 

 

 レオーネは心中で吐き捨てる。

 状況的には相手が有利で、しかも殺しにかかってきたのはあちら側。

 だというのに、まるで自分が弱い者いじめでもしているような、そういう不快な気分にさせられる。

 他人への同情心に満ちあふれた人間ならば、もはや彼を視界に入れただけで涙を流すのではないだろうか。

 

 なんてことを考えながら、レオーネは両腕で抱きかかえていたタツミを地面に下ろす。

 周囲には未だ9体の危険種。先ほどぶちのめしたエイプマンも時間を置けば復活して再び参戦してくるだろう。

 自分一人ならばどうにか逃げきれる可能性がある状況だが、しかしタツミを庇いながらとなれば話は別。

 かなりキツイ。どころか、ほとんど無理だといっても差し支えない。

 さらには、これから危険種がどんどん追加されていって戦局がさらに悪化する恐れもある。

 

 だが、レオーネの中にタツミを見捨てるという選択肢は無かった。

 

 まだ20にもならぬ年端のいかぬ少年。

 帝都で一旗上げることを夢見て上京してきたこの少年を、紆余曲折あってナイトレイドに誘ったのは自分だ。

 責任感とか、けじめとか。

 そういう大それたものではない。ただ、己の懐に入れたものを手放すことが気に食わない。

 勝手に汚されるのも気に食わないし、傷つけられるのも気に食わない。ましてや自ら置いて行くなどまっぴら御免だ。

 レオーネにとって、それは金だろうと人だろうと同じことだった。

 

 

(――だから私は、タツミを置いてってなんかやらん。一度私の懐に入ったモノは、たとえ相手が誰だろうと奪わせやしない!)

 

 

 覚悟を決めて、己の拳をぐっと握り締める。

 腰を落として眼前のみならず四方八方に殺気を撒き散らすその姿は、まさしく百獣の王と呼ぶに相応しい闘志に満ちていた。

 

 真正面からそれを受けて、ルカは「あ、」と何かを思い浮かべたように手を叩いた。

 首をかしげる。やたらと色の濃い黒髪がさらりと頬にかかって、そのコントラストでことさら肌が青白く見えた。

 

 

「アカメちゃんに一度されたことのある質問なんですけど。レオーネさんは、今の帝都ついてどう思ってます?」

「……この状況でその質問をすることの理由は?」

「人が何らかの行動をとるときの理由なんて、突き詰めていけば『それが気に入るから』と『それが気に入らないから』の二択だと思うのですが」

 

 

 答えになっているのかいないのか微妙な内容。

 しかしレオーネは「そうかい」と納得したような口ぶりだった。

 毛色は違えど、お互い善人でも悪人でもなく『人でなし』であると自身を認識する者同士、なにか通じ合うところがあったのかもしれない。

 

 

「どう思うも何も、ムカつく悪党が多いからぶっ殺して回りたいってだけさ。正義の味方になったつもりはないし、だからといって自分が断罪されるべき犯罪者だとも思わない。どう生きたって死ぬときゃ死ぬし、死なない時は死なないよ。アンタも私もね」

 

 

 レオーネの発言に、ルカはその常時ハイライトが無い虚ろな目をパチクリさせて、それから心底惜しむようにまぶたを伏せた。

 

 

「残念です。レオーネさんの容姿も思想も僕好み。これで僕を愛してくれそうなら、命を懸けて貴方に求愛していたのに」

「そりゃあ無理な話だね」

「ええ、そうでしょうね」

「だって私は――」

「だって貴方は――」

 

 

 ――お前が嫌いだ。

 ――僕が嫌いです。

 

 二つの言葉は文字の羅列こそ異なれど意味は同じで、つまるところ、この二人の仲が取り持たれることは決して無いということだった。

 

 いずれが再戦の合図となったのか。

 ルカは右腕をひらりと上げてその手に幾本のバタフライナイフを煌めかせると、それに呼応するように危険種たちがレオーネとタツミに向かって飛びかかる。

 タツミは剣を抜いて応戦しようとするが、そんなタツミと危険種たちの間にレオーネが立ち塞がった。正確に言うとタツミを背に庇う状態で危険種たちと戦い始めたのだ。

 

 二体のエイプマンから振るわれる挟み撃ちの拳を最低限の動作でかわし、まずは右方のエイプマンの顔面を鷲掴んで思い切り後頭部を地面へと叩きつける。

 ぐちゃりと脳味噌の潰れるような音がした。それを気にした風もなく、再び迫り来る左方のエイプマンに対しては渾身の後ろ蹴りをかます。今度は脳味噌どころか頭部が丸ごと爆ぜるように吹き飛んだ。

 次いで奇襲を仕掛けてきたトリケプスは、振り向き様にツノをひっつかんで壁へと容赦なく叩きつける。ダメージに耐え兼ねてか、自慢のツノはぽっきりと折れていた。

 一連の動作に武道や格闘技のような洗練された要素はなく、しかしそれでいて、ただひたすらに強く勇ましい――まさしく獣の狩り姿である。

 

 いつの間にか増えている危険種の数々。危険種どもの隙間を縫ってルカの手から鋭く投擲されるバタフライナイフたち。

 それら全てを避けることはさすがに適わず、レオーネの体はすぐさま傷だらけになった。その傍からライオネルの治癒力によって傷が塞がっていき、ただ服に染み込んだ流血だけが彼女が今まで負ったダメージの量を物語っていた。

 

 今日何度したかわからぬ舌打ち。いくら怪我が治るといっても流した血液までが元に戻るわけではない。あきらかに霞んできた視界としびれを感じてきた四肢。敵は減らした分だけいつの間にかルカの手によって補充されている。

 あきらかな劣勢だった。標的だった密売組織の奴らも既に逃げ出している。

 

 

「姐さん! 俺も戦うよ!」

 

 

 レオーネの背後に庇われ続けていたタツミが焦れたように叫ぶ。

 目の前で仲間が傷つけられているのを見て無感情でいられるほど、この少年はスれても腐ってもいなかった。

 剣を構えて今にも飛び出そうとするタツミに、レオーネは「動くな!」と怒鳴った。

 

 

「いま下手に動かれた守りきれない!」

「でも……!」

「なんとか隙は作ってみせるから、そしたらタツミ! アンタは逃げな!」

「なっ――そんなこと出来るわけないだろ!?」

 

 

 戸惑うような、怒るような、泣くような、そういう様々な感情が入り混じった表情でタツミはレオーネの背中に声を投げつける。

 対するレオーネの反応は豪気なものだった。

 

 

「なァに、タダで死ぬ気はないよ。あの辛気臭い美青年も絶対に道連れにする。首と胴体が離れたって顎だけであいつの喉を喰い千切ってやるさ」

 

 

 気休めではなく本気でそう思っている声と表情だった。

 だからといってお気楽な訳ではない。軽さの中に重さを孕み、明るさの中に暗さを滲ませ、それなのにいつも凛々しく決して屈することのない百獣の女王。

 ナイトレイドのレオーネとは、そういう女であった。

 

 

「お見事」

 

 

 と、ルカが嘲りの感情の無い本心を口にする。

 手に持つ武器をバタフライナイフからアーティスティックに変え、どことなく嬉しそうな表情でレオーネとタツミを一瞥した。

 

 

「僕を愛しちゃくれないけれど、それでも素敵な女性が命を懸けてまで相手してくれようってんだ。僕も応えますよ」

 

 

 呟いて。何を思ったか、ルカは己の右手首をとつぜん窓に押し付けた。

 戦闘による建物へのダメージでガラスの割れたその窓に柔らかな皮膚を思い切り宛てがえば、当然、そこは残ったガラス片の尖りによって切り裂かれる。

 ドクドクと右手首から滴り落ちる赤い鮮血。動脈ごと掻き切ったのだろう、その真紅の流れは留まる気配を見せなかった。

 突然の行動に目を見張る二人に対し、ルカは茫洋と口開く。

 

 

「千紫万紅アーティスティック、奥の手――」

 

 

 ああ、そこから先の言葉を、一体なんと続けるつもりだったのか。

 発動されるかと思った彼の帝具の奥の手は、しかし不発だった。

 なんらかの問題が彼に生じたわけではない。

 彼は己が耳から入った情報によって、自ら行動を止めたのだ。

 

 大きく破壊された壁から見える夜の景色。

 その闇色の世界に紛れて、かすかな高音が響いてくるのを、レオーネたちもまた感じ取っていた。

 そう、例えば遠くで誰かが笛を吹いているような。

 

 

「この音……警備隊の笛だ……ひょっとしてセリューちゃんに何かあった?」

 

 

 ルカの言葉には今までとは違い、若干の感情の乱れが含まれている。

 表情も心なしか心配の色を浮かべているようだった。

 これを好機とみなして襲いかかろうかとも思ったが、しかし危険種たちは相変わらずこちらに狙いをつけている。焦りは禁物だ。

 

 そのまま数秒ほど俯いて黙り込み、手首から流れ続ける血など気にする様子もなく何かを考えるルカ。

 そして顔を上げた彼は、二人に向かってこう宣言した。

 

 

「作戦変更。二人とも殺すつもりだったけど、やっぱり人質になってください」

 

 

 「はあ?」と思わず目を剥くタツミ。眉を寄せるレオーネ。

 ルカは双方のリアクションに別段構うこともなく、アーティスティックを二度三度に渡って大きく振り回した。

 再び飛び散る朱墨。壁から天井から床から調度品から障子から隣家の屋根から外の石道から、続々と湧いて出てくる危険種たち。

 

 その数はざっと見積もっても三ケタは下らない。

 四方向を囲む壁のうち二つをぶち抜かれてほとんど吹き晒しになった部屋の内側と外側を、うじゃうじゃと凶暴な面構えの危険種たちが埋め尽くしている様はいっそ圧巻とも言えた。

 

 これで“仕込み”のほとんどを出し切った。

 そう小さくこぼしたあと、ルカは己の生み出した危険種たちにこう命令を下した。

 

 

「タツミくんは適度な暴行で気絶させたあと全身厳重に縛り上げて連れてきて。レオーネさんは、捕縛なんて無理だから四肢をもぎ取るしかないや。それでもライオネル発動中は死にはしないだろうしね」

 

 

 甚振るつもりも慰めるつもりもない。

 ただこれから行うことを淡々と述べる、それだけの語調。

 それがむしろレオーネたちの背筋に、なにか恐ろしくぞっとするものを走らせた。

 

 




三人称視点だとなんかルカが意味不明な行動をとっている奴になります。
と思っていましたが、よく考えれば一人称視点でもそこそこ訳のわからん奴でした。


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