煌きは白く   作:バルボロッサ

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第38話

 

「…………………」

 

 アリババは彼らを先導して黙々と歩く案内役の彼が、白龍に見せる敵意にも似たまなざしの理由を思い出していた。

 

 ――「正直なところ、私は彼女が、彼女と光を関わらせることになった煌帝国を恨んでいます」――

 

 その理由を問いかけた時、それまで淡々とした素振りだった彼から、まるで刃を突き付けらえたかのような殺気があふれ出した。

 

 

 ――「私には、なぜ閃王子と国王があなた方を迎え入れたのか不思議でなりません」――

 

 

 アリババはそれを聞いていたはずだった。

 この世界に戻ってきて、初めて再会した人――紅明たちに。立花融という従者の主が辿った運命を。

 

 ――「できるのならば、この剣で彼女の首を落したいくらいです」――

 

 

 それは白龍や青舜にとっては理不尽で、

 

 

 ――「光を、私の主を壊した彼女が、憎くて仕方ありません」――

 

 

 けれども、ぶつけどころのないその怒りの行き場は、間近にいた白龍に向かわざるを得なかったのも理解できてしまった。

 

 

 ――「あなたたちさえ、煌さえ、最初からこの国に来なければ……」――

 

 

 ガミジンの力は死と願いを司る。

 死の間際にあった光は、自身の器を割って、片割れの器に中身を込めることで、願いを果たす力を持たせた。

 彼の願いは練 白瑛を守り抜くこと。

 そのために与えた中身とは、もっとも大切なものとの関係性。

 練 白瑛にまつわる全ての記憶を器に込めた。

 

 そして片割れは願いを叶え終えるまで消えず、その間光は眠りにつき、その体は魔法によって維持された。

 

 その願いは終わることが無い。

 その願いが終わるのは、願いが叶わなかったことと同義だから。彼女が死ぬことが、願いの終わりだったから。

 

 だが、それでも限界は訪れる。

 器に罅が入り、やがてその中身が全て漏れ出てしまうように。傷つけば傷つくほど、その力を使えば使うほど、片割れは消滅へと向かっていた。

 

 光が起きた時、それは片割れが消えたことを意味していた。

 そしてその時、光には練 白瑛に関する全ての記憶がなくなっていた。彼女自身の記憶も、あなたと関わったことで得た記憶も全て…………

 

 器が割れたことによる影響も、それが何かは分からないが何らかの形で出ていた。

 

 それは明言化できるほどに明らかではなく、しかし幼馴染でもある融が気づかないほどには小さなものではなかった。

 

 だからこそ彼は練 白瑛たちを憎んでいるのだろう。

 彼の主を、幼いころから共に育った友を、壊してしまったから…………

 

「あの、融さ」「もうじき――――」

 

 だからだったのか、アリババはつい声をかけて沈黙を打破しようとして、けれどもその言葉は途中で遮られた。

 

「森を抜けます。森を抜ければすぐに港に入ります。“彼ら”を幽閉している島への船は準備しておりますが、引見するのは国際同盟の律令から外れた行為です。くれぐれもそのことを念頭において、余計な騒ぎは決して起こさないようにしてください」

 

 相変わらず彼は、感情の見えないような淡々とした態度でアリババや白龍たちを先導している。

 和国内では閃王子たちの統制がとれているとはいえ、国際同盟の目がどこにあるかわからないのは、身に染みて知っている。

 

 彼らは今、煌帝国の、ひいては七海連合と敵対した大罪人――練紅炎、紅明、紅覇たち兄弟と会うために森を歩いていた。

 今は金属器を没収されてはいるが、彼らは優れた金属器使いであり、やり方は違っていたとはいえ大陸で最大の版図を誇った煌帝国の統治者であった。それは世界の趨勢を考えていた人物たちであるともいえる。

 現在の世界の頂点に君臨しているシンドバッドが、この世界の仕組みそのものを破壊しようと企み、それにアラジンたちが反対している今の状況では、シンドバッドとは思想の異なる紅炎たちを味方につけること、少なくともその意見を聴くことには意味があると判断してのことだった。

 

 だがそれはそれとして隠れるようにして行動していることの理由も分かってはいる。

 特に今は、アルバによって深手を負わされたアラジンを匿っている最中での行動でもあるし、目的自体も国際的に決められたルールに違反しようとする行動だ。

 

「…………」

 

 ただ、黙然として道案内を務める彼と、白龍たちの間に漂う冷たい空気は、このまま彼とともに行動していいのかと疑心を抱かざるを得ない。

 

 今のところ、アラジンは融に堕転の兆候を認めていないようだが、恨みなどの負の感情は堕転に誘われ易い。

 アリババもそれを幾度も目の当たりにしてきたし、ほかならぬ白龍も、一度は堕転した身だ。

 

 それに堕転でなくとも、白龍や青舜(練 白瑛の関係者)に敵意を抱いている者が道案内というのは懸念材料でしかない。

 ただ、そうは言ってもこの国に対する土地勘はアリババやアラジン、モルジアナはもとより、白龍や青舜にもそれほどない。

 融の言うように、森の終わりが近づいているのか、木々の影が続いていたこれまでの道から、行く先に光が照らすようになってきており、森を抜ける―――

 

「えっ。融さん?」

「お兄さん?」

 

 その寸前で、融は先導する歩みを止め、片手をあげてアリババたちの歩みも止めさせた。

 突然の停止に訝し気に彼を見て―――――その前方を見て、行く先に一人の剣士が立ちふさがっているのに気がついた。

 

 今はまだ納刀した状態で、逆光になっているがためにその表情が今はどうなっているのかは分からない。

 ただ―――――

 

「…………よく、ここが分かりましたね…………光」

 

 向けられている激烈な敵意だけは、間違えようがなかった。

 

「光、殿……ッッ」

 

 叩きつけられる敵意、戦意――剣気ともいえるそれを受けて、名前を呼んだ青舜の喉が引き攣る。 

 

 主とともに在った時以来の再会に、思わず青舜が呼びかけるが、返ってきたのはいままで青舜が向けられたことのないほどに鋭い眼光だった。

 

「煌帝国の元皇帝にその従者…………融、そいつらをどこに連れていくつもりだ?」

 

 煌帝国で、敵と相対した時――白瑛を害そうとした者たちに向けられていたそのまなざしが今、彼女の従者である青舜と弟である白龍へと向けられていた。

 

「閃王子の命により、金属器使いたちの会合の場へと赴いております」

 

 問う必要のない問いと、答える必要のない答え。

 その会話は、幼馴染で、誰よりも信頼し合っていた主従の関係とは到底思えないほどに冷ややかな会話だった。

 

「ここに居られるのはマギであるアラジン殿です。彼らのもたらしていただいた情報によって、シンドバッド王の企みが明らかになりました。貴方の読み通り、煌の金属器使いたちとのつながりが必要になっているのです」

 

 声音こそ固いものながら、それでも融は微かな期待に働きかけるようにして告げた。

 

「ふん。煌帝国とのつながりか。国を潰しかけた元皇帝と、それに力を与えるマギ(王佐)か。そいつらがこの国に来てから見ていたし、こうして直に見ると、一層よく分かる……練 白龍、そいつは消すべきだ」

「なっ!?」

 

 驚きの声は青舜たちのもの。あまりにも異なる光の態度と、到底彼のモノとは思えない言葉。

 だがそれは融にとっては予想外のことではない。

 

 ――やはり見ていたか……――――

 

 本来であれば、融がアラジンや白龍たちを紅炎たちのもとへと案内し、その間に閃王子が光に対処するはずだった。予定外であったのはそのことだ。

 

「それは貴方の直感ですか?」

「そうだ。閃の兄上の考えと異なったとしても、俺はそいつがこの国の害悪になると見なした」

 

 すらりと引き抜かれた和刀。

 刀身に曇りはなく、刃に宿る剣気は冴え冴えとして冷たい。

 

 止めることはもうできない。

 そのことを光の剣気が雄弁に語っていた。

 融もまたキチリと鯉口を切り―――

 

「待って!!」

 

 それを押し留めたのはアラジンの切羽詰まった声だ。

 

「話を、聞いてくれないかい、お兄さん?」

 

 傷だらけの体に包帯と止痛の符を貼り付けている痛々しい姿。

 年若い魔導士のその姿に、光は目を細めた。

 抜いた和刀はそのままに、けれども斬りかかる様子は今のところなく、それはアラジンの言葉に耳を傾ける気はあるようであった。

 

 融もちらりと視線をアラジンと合わせ、こくりと促した。

 

「今、世界には異変が起こっているんだ」

 

 そして語り始めた。

 世界で起こり続けている異変。

 特異点と繋がり、世界を意のままに改変しようとしている存在がいることを。

 

 

 

 アラジンはかつて光と会ったことがある。

 マグノシュタットでは共に暗黒点と闘ったし、その前にも会話をしたことがある。

 それは今の光ではなく、ガミジンの力によって編まれたものだが、あれは完全なる別存在ではなく、つながりをもった存在。

 

 だからこそ、大切なものを失いはしても、心の在り様までは変わらないと思っていたし、きちんと説明すれば、今彼らが争い合っているような事態ではないことを分かってくれると、思っていた。

 

 

 

「アルバさんの、アルマトランの知識を手に入れたシンドバッドおじさんは、それを使って世界の在り方そのものを変えるつもりなんだ。おじさんにとって都合のいい世界。そんな世界にはしたくないんだ。だから、それを食い止めるために、お兄さんも力を貸しておくれよ」

 

 だが、アラジンが必死の思いで言葉を紡ぐ間も、光の冴え冴えとした冷たいまなざしが揺るぐことはなく。

 

「世界の異変、か」

 

 そしてその反応もまた、アラジンの思いに、期待に反して冷淡なものであった。

 

「そんなものは知ったことか。この国に戦争を持ち込むな」

 

 明確な拒絶の言葉。

 それはシンドバッドの企みに加担する言葉ではなかったけれども、世界のことなど関係ないという言葉は、世界の行く末を思うアラジンからすれば危機的にも思えた。

 

「この国のことだけじゃないんです! 今、シンドバッドさんを止めなければ、この国も、煌帝国も、他の国も、世界すべてが変えられてしまうんですよっ! アナタの大切なものだって!」

「だから? シンドバッドではなく、そこの練白龍を王に抱く世界なら満足か?」

 

 アラジンの言葉を継いで、言い募ろうとするアリババの言葉を遮るように、光は刀を白龍に向けた。

 

「大陸に戦禍をまき散らし、奴隷と悲劇を量産した国の皇帝。それも兄弟を裏切った挙句にジンの力で兵士を壊して傀儡にした王を戴く世界など、さぞや滑稽なものになるだろうな」

「…………」「――ッッ」

 

 嘲弄するように、けれども紛れもない事実を突きつける光の言葉に、白龍は苦痛を堪えるように顔を険しくし、青舜は悲痛に顔を歪めた。

 青舜も認めざるを得なかった。もはや白瑛を愛した、白瑛が愛した皇 光は別者になってしまったのだと。

 

「この国に災禍が来ると言うのなら、この国の者が立ち向かう。俺には貴様らがその災禍を持ち込もうとしているようにしか見えんな」

「光殿。貴方は――――」

「融。そもそもお前は、俺が煌帝国を嫌いなのはお前も知っているだろう」

 

 青舜の、それでも縋りつくような言葉をさえぎって、決裂ともいえる言葉で融に問いかけた。

 なぜこいつらと共にいるのだ、と。

 

「……………そうですね」

 

 立花融は和国の武人であり、光の家臣であり、幼馴染でもある。

 皇帝位にあったとはいえ、他国の元皇帝に付き従う理由はないし、光と戦ってまで守るべきではない。

 

 だが、融はすらりと和刀を抜き、光の前に立ち塞がった。

 

「融さん…………」

「アラジン殿。白龍陛下方も、手を出さないでください。面倒なことになりますので」

 

 金属器の槍を、使えぬ眷属器の双剣を、魔道の杖を構えようとする白龍たちを制して、まるで守らんとするかのように立つ融。

 その姿に、光の眉がピクリと反応を示した。

 

「そこをどけ、融」

「どきません」

 

 断固たる言葉とともにすぅと和刀が引き上げられ、その切っ先が向くはずのない方向()へと向けられる。

 幼馴染の思わぬ拒絶に、光が明確に眉を顰めた。

 諫言が多い間柄ではあるが、それだけ信頼している証左でもあるし、なによりも家臣であるよりも以前からの友なのだ。ほかの誰よりも預ける信頼は重い。

 

 だが、その言葉にも退く様子を見せないとなれば…………

 

「命令だ、融。そこをどけ」

 

 主従という関係であっても、友だからこそ、そこまで言わずとも分かってくれると信じていた。

 ゆえに、あえて命令と断言したことに、それだけ光の怒気が感じられた。

 

 しかしそれでも

 

「……聞けません」

 

 光は主の命令を拒否した。

 右手で構える和刀の峰を左腕に乗せる、融得意の刺突の構え。

 そこに融の本気の意思を感じ取った光は、溜息をついて刀を降ろした。

 

 霧散する戦気。

 強大なプレッシャーが弱まり、アリババたちは怪訝に思いつつも、だが刀を降ろされたことに一息をつこうとした―――――瞬間、視界から光の姿が消えた。

 

「えっ!」

 

 呼吸する一瞬の虚。

 次の瞬間には、光は白龍の至近にまで迫っており、無防備なその首に刀を振るっており

 

 ギンッッ!!

 

「なっ!?」

 

 その刀が、白龍の首を刎ねようとした瞬間、そこに影が割り込んだ。

 

「今の貴方のやりそうなことは、大体予想がつきます」

「……………………お前は」

 

 刃に気を纏わせた光の和刀と拮抗する融の操気剣。

 ギリギリと気刃を迫り合わせながら、にらみ合う光と融。

 

「お前は……俺の味方だと思っていたのだがな」

 

 その言葉には、先ほどまでの憤怒以上に、悲し気な響きが込められていた。

 

 ――――信じていた。

 主従という間柄を超えて、それでも幼きころに約した繋がりは色あせないと。

 決して違えられない、違えられるはずがないと――――

 

 だが、今刃を重ね合わせているのは紛れもなくその友であり、従者であった。

 

「一応、俺はお前の上司でもあるんだがな」

 

 感情を振り払い、吐き出された言葉には先ほどまでの悲し気なものはなくなっていた。

 

「その俺の命令が聞けないのか! 立花融!!」

 

 第1王子である閃の命令は、たしかに第2王子である自身の命令よりも重いかもしれない。けれども融ならば兄よりも自分を優先してくれると信じていた。

 

 

 それが裏切られ、けれど裏切ったはずのその友は、ギシっと苦渋を噛みしめるかのようにして、苦悶の言葉を紡ぎ出した。

 

「俺に命令したのは―――あんただよ、光」

 

「なに?」

 

 

 

 

 ―――――【その時、俺は今の俺じゃなくなっているかもしれない。そのことを覚えていないかもしれない。それでもお前だからこそ頼みたいんだ】

 

 それはまだ光が光であったころ、器が欠ける前の、それを彼が予期して、覚悟していたころの約束。

 

【お前の刀の届く範囲でいい。お前に国を飛びだせと言っているわけじゃない。ただ、もしもお前の近くに彼女が来て、その時お前の刀が届くのならば彼女を守ってくれ。彼女との繋がりを、切らないでくれ】

 

 彼は知っていたのだ。予期していたのだ。

 ガミジンの力を使えば、きっと彼は自身でそれを切ってしまうことを。

 練 白瑛(最愛の人)との繋がりを自身で断ち切ってしまうであろうことを―――――

 

 

 

「【練白瑛を、彼女との繋がりを守れ】 それが貴方が俺に命じた言葉だッッ!!!」

 

 本当はこんなことをしたくなんてない。

 融とて、その刃の向きを変えて練白龍を斬り捨てたい。練白瑛を斬りたい。

 主を変えてしまった、壊してしまった煌帝国の姫と、その縁にまたも縋ろうとしている厚かましい皇帝たちを斬ってしまいたい。

 

「覚えがないな」

「…………でしょうね。でもっ、俺は覚えてる。だから、どきません。あの方との繋がりである、白龍陛下たちを、貴方に斬らせはしません!」

 

 けれどもこれは、光の最後の命令。

 命令なんてほとんど口にしなかった、融が友として、主と仰いだ光の命を懸けた命令で、頼みなのだ。

 

「分かった……命令を撤回してやる。だから―――そこをどけ。立花融」

「どきません」

 

 絶対に、この繋がりは斬らせない。

 他でもない、皇 光の刀では、絶対に。

 

 

 拒絶の言葉と共に、競り合っていた刃が互いを弾き飛ばし、二人は弾けるように跳ねた。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 

 ポチャン……ポチャン……

 

「なんだ、融。随分と覇気がないな」

「光…………」

 

 在りし日の記憶。まだ子供のころ。

 手近な石ころを無気力な様子で川面に放り投げていた子供に、友達の少年が声をかけた。

 

「この間の猪退治のことで達臣にでも叱られたか?」

 

 からからと笑いながら声をかけてきた少年は、腰に差していた小太刀を外して隣に腰掛けた。

 そして彼の真似をして手近な石ころを手に取り、ひゅっと鞭をしならせるように投擲した。

 石はピッピッと川面を切って跳ね、3回、4回と跳ねて沈んだ。

 

「…………父上から、そろそろいい年頃なのだから、殿下との礼をしっかりしろって、お前はあの方々の部下になるのだからいつまでも殿下のご友人で済ますなって…………」

「……………」

 

 ぽつぽつと、両膝を抱えて拗ねるように告げる友人の言葉を聞いて、2個目の石を選んでいた手が止まった。

 

「……ああ。そう言えば兄上もそんな感じのこと言っていたな」

「………………………」

 

 友人の、第2王子である光の言葉に、王子の遊び相手であった融はむすっとして抱えた膝に顔を沈めた。

 

 そんな友人の拗ねた様子に、光はふっと微笑んで――先ほどよりも大きな石を、両手で抱えるくらいの大石を持ち上げて両手で川面に放り投げた。

 

 ――ド、ボンッッ!!

 

 水のかからないくらいには遠くに、けれども水切りよりは圧倒的近くに放り込まれた石の音。

 融は大きな水音に驚いて顔を上げた。

 顔を上げて、両手を振り切った体勢の光を見た。

 ニッとしたいつもの笑顔。その顔はいつも融を困らせて、わくわくさせる冒険へと誘うときの顔。

 

「心配するな! お前は俺の友達だろ? 俺はお前を単なる部下だとは思わない。友達だ!」

「光……」

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 気を纏い振るわれる二本の和刀。互いの刀身が重なるその度に、一方の気だけが削り取られていく。

 

「ッッ!」

「…………」

 

 光を向こうに回しては、客人たちを気にかける余裕はない。

 彼らに和国内で騒動を起こさせるわけには、まして王族相手に死闘を演じさせるわけにはいかない。

 

 まともに剣と気をぶつけ合わせたのでは、圧倒的に魔力量の少ない融では光の剣気を破ることができないし、力尽きるのは融が先になるのは明らか。

 刀身の刃紋に集中させていた気をさらに研ぎ澄まし、切っ先の一点へと極限集中させて得意の突きを放つ。

 一気三閃。

 一筋の閃光が走る中で、三度の神速の突きが放たれる。

 以前よりも格段に速度の増した突きの三閃は、しかし以前と同じく紙一重で躱され――

 

「ちっ」

「くっ!」

 

 ――光の首筋に一筋の傷を走らせた。

 しかし、切っ先に集中させた分、剣気は分離したも同然。

 気の纏っていない和刀では、斬り払う光の和刀とまともに切り結ぶことはできないため、融は突きの突貫力をそのままにして掻い潜るように避けた。

 

 紙一重の差。

 それはかつてと今と、融と光の間に横たわる歴然の差。

 

 だが今は、その差を前にして膝を屈するわけにはいかない。

 繋がりの絆を、ほかでもない彼に断ち切らせないためには――――

 

「ッ、橘花―――――」

 

 遠間の距離は斬撃主体の光よりもむしろ突撃を得意とする融の距離。

 距離をおいたことで千載一遇の間合いを得た融は、和刀を握る手から渾身の剣気を流し込み

 

「桜花―――――」

 

 同時に、光も剣気を集中させ―――――

 

「「―――― 一閃ッッッ!!!!」」

 

  互いの必殺の一撃が、刎頸の友へと放たれた。

 

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

 樹上に一人の少年が腰掛けていた。

 少年は一人前の武人が佩くことのできる和刀を手にしており、抜身の刀身を晒してその刃の鋭さをぼぅっと眺めていた。

 

「よっ、と。どうしたんです、光?」

「ん? 融か……いや……」

 

 そこに下から登ってきた友人が、声をかけてきて、光は刀身を鞘に納めてチャキっと音を鳴らした。

 

 登ってきた少年――融はそれを見て珍しいものを見るような顔になって、光の隣に腰掛けた。

 光の和刀の扱いは同年代では屈指のもので、将軍クラスにも引けをとらないほどだともっぱらの評判だ。

 納刀、抜刀で音を鳴らすような無様をするなど常の彼とは違うと、刀が知らせてくれているようなものだ。

 

 しばし考え込むようにしていた光は、黙ったまま隣に腰掛けている融に、ため息をついて口を開いた。

 

「今日、父王から正式に話があってな。この国の後継者は兄王に決まりだ」

「!」

「まっ、元々そのつもりだったし、俺は王になる気もなかったが。宮中の連中の視線がうざったくてな」

 

 言葉通りうんざりした様子の光。

 この国の第1王子は彼の兄である閃王子であり、文武共に才気煥発と評の高い王子だ。

 光も剣士としての力量は兄にも劣らないし、将兵民草からの人気も高い。

 

「連中からしてみれば、少しでも可能性がある俺を担いでおけば、良い目が見れると思ってたんだろうし、そうでなかった連中も結構いたんだろうが。正式に決まった途端、いきなり顔色変えて、腫物扱いされるのも鬱陶しいもんだな」

「…………」

 

 どちらの王子も王になる可能性があった。だから光王子の後見を自称していた貴族やその気もないのにすり寄ってきた役人は多かった。けれど、正式に国王の後継者が決まった以上、閃王子に不慮の事態がなければ光王が即位することはないだろう。

 なによりも、光自身が閃王子を押しのけてまで王位に就く意思などなかった。

 

「ま、そいういうことだ。後々、主君になるものが決まったんならそっちについてほいた方がいいしな」

 

 ただ、泥船から逃げるが如くあからさまに自身から掌返しをした者たちを見ればため息もつきたくなるというものだ。

 

 友人であり、主君でもある彼が、王位を望んでいないのは、融がよく知っている。

 彼の父である国王様だってよく知っていたからの布告なのだろうが、きっと融だってそれに負けないくらい光のことは知っているつもりだ。

 だから……

 

「俺は……離れないぞ」

「は?」

「俺の主君は、あんただ」

 

 口をついてでてきたのは、彼にとっての宣言。

 

「おいおい。だから、俺は王になる気はないって」

「分かってる。ただ、俺はどんな時でも、光の味方でいたいんだ」

 

 主従である以前に、友人だと、昔宣言してくれた友だからこそ、彼が王族だから従っているのではなく、共にいるのではなく、ただ己が意思をもって融は皇 光に仕えたかった。

 

「……もし俺が兄王に喧嘩売ったら、その時も俺につくのか?」

「あんたが、その時正しいなら」

 

「俺が間違っていたら?」

「その時は、全力でお前の顔をぶん殴る」

 

 ただ追従するだけの存在ではない。

 光の力は、どんな分野でも融の力よりも優れていて、それでも融は光の力になりたかった。

 

「そうか……なら、間違えられんな」

 

 友の言葉に、光はにっと笑った。

 

 

 守りたかったのは誓い。

 

 遠い昔に誓った約束。

 

 絶対にこの人を裏切らない。国の王ではなく、友であるこの人にこそ剣を捧げよう。何が何でもこの思いは曲げない。それが、自分にとっての誇りの形だから。

 だから――――――――――

 

 

    ✡  ✡  ✡

 

 

 

「――――――ッッ!!!」

 

 逆袈裟に振り下ろされた光の斬撃は、融の剣気を込めた刺突の一撃を和刀ごと砕き、その体に剣閃を刻み込んだ。

 砕ける和刀と吹き上がる鮮血。

 

 ――光…………っ――

 

 ガクンと膝から力が抜け、立花融は地に倒れ伏した。

 

 

 

 

 

 友の鮮血が滴る和刀を下げて、光は眼前で倒れ伏した融を見下ろした。 

 

「バカが……」

 

 勝てるはずなどなかったのだ。

 融が光を本気で斬り殺すことなどできるはずがないことは分かっていた。であれば、残るは剣術と操気術の力量の差。

 融のそれが光に及ばないことなど分かり切っていたことだった。

 

 そもそも、融とて思いは同じだと感じていたのに。

 主である光が感じているのと同じく、融からは煌帝国に対する、練白龍元皇帝とその従者と思しき者たちに対する嫌悪の感情が見えていた。

 そしていつだって融は、最終的には光の直感と判断を信じてきてくれた。

 だからきっと今回だって……

 その考えは、最初の攻防で剣を交えた時から無駄な希望なのだと分かっていた。

 和刀を通して、込められた気を通して融が本気で光を止めようとしていることが分かってしまったから。

 決定的に、なにかが違ってしまっているのだと、分かってしまっていた。

 

 それが何かは分からない。

 考える気にもなれない。

 何があれば、あの立花融が自身に反旗を翻すようなことになるのか。

 

 ぴっと和刀を一振りして血糊を弾き飛ばし、融から視線を外した光は、その視線の先にいる敵を見据えた。

 練 白龍 元煌帝国皇帝、そしてその従者である双剣使い。他にも埴輪のような動く人形やマギだという魔導士、そして赤髪の少女。

 

 だが問題となるべきはやはり練白龍だろう。

 彼は金属器を持ってこの国にやって来て、そして大罪人として島流しにしたかつての皇族たちに目論見をもって接近しようとしている。

 

 

 向けられる敵意と殺意を感じ取って、手出しと和国内での騒動を止められていた白龍たちも応戦しようとそれぞれに剣を、杖を構えた。

 

 

 非常に危険な、すぐにでも斬り捨てるべきであり、光は躊躇いなくそれを行動に移すべく、足を進めようとし―――――――――その足がなにかに引き留められた。

 

「?」

 

 足元を見てみると、血の海に沈み、意識を失い、それでもなお融が光の足を掴んでいた。

 左手に光の足を握り、右手には刀身の砕けた和刀を放さない。

 

「離せ、融」

 

 気を失っているのだろう。融はなんの反応も示さず、それでも決して手を離そうとはしなかった。

 その声はゾッとするほどに冷酷な声音。

 

「やめろ……」

 

 アリババが呟いた。

 

 アリババは皇 光という人のことをあまり知らなかった。

 マグノシュタットで共に戦ったことくらいしかこの世界では面識がなかった。けれどもあの世界で思いと言伝を託されて、それで何かが変えられると思っていた。

 母に会いたがっていた幼子、兄に会いたがっていた魔導士、妻に会いたがっていた魔導士。彼らとは少し違っていたけれど、あの世界からの言伝によってたしかにアリババは融と、そして和国の王子たちと繋がりを結ぶことができた。

 

 だが、それによって導かれたこれが運命だというのだろうか。

 

「そうか…………その腕はいらんか」

「!!」

 

 光の瞳が感情を映さない冷たい色を帯び、手に持つ刀を振りかぶった。その腕が足をつかむ融の腕に振り下ろされようとした瞬間、

 

「ヤメロォォッ!!!!!」

 

 絶叫と共にアリババが飛び出した。

 手にするは針のような短剣。それで振り下ろされる和刀を受け止めることはできないだろう。

 止めるためには本人を止めるしかない。

 バルバット流剣術。

 和刀による刺突とは異なる突きを変則的な曲線の突きを主体にした王宮剣術。金属器がなくとも、その剣術は長年鍛え続け、そして幾度もの戦いでアリババを支え続けた力。

 だが―――――

 

 

「ちっ、邪魔だ!」

 

 尋常ではない直感と反応速度によっていち早く襲撃に気づき振るわれた和刀とは間合いが違いすぎた。

 本来の体も、本来の剣もない今、手にしているのは針のような針剣で、使い手もろくなリーチのない埴輪人形。

 それでどうにかできるはずもなく

 

「アリババくん!」

 

 アラジンたちが目にしたのは、アリババの体を和刀の刃が通り過ぎ、彼の体を真っ二つに分断した姿だった。

 


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