「………………………あの、馬鹿が……」
紅明が言った通り、アリババと立花融の会合の時期は遠からずおとずれた。
紅覇たちは基本的に食料に関しては自給自足を旨としているが、それでも決して大きくはない島内では必要な物資に足りない物は幾つもある。
そのため数か月に一度、生活物資を補給する舟が来るのだが、その舟に乗ってくだんの融もやって来た。
初めは喋る埴輪人形に胡散臭そうな顔をしていた融だが、紅明たちの一応の説明とアリババが受け取ったという伝言を受け取るにあたり、頭痛を堪えるかのように頭を押さえた。
深い深いため息とともに吐き出された言葉には、単なる主従というだけでなく、それを超えた様々な関係が二人にはあったのだと容易に知ることができた。
「言伝は……感謝します。たしかに貴方は、あの方とお会いしたのですね」
――あの時の約束を……頼む、融…………――
告げられた言伝は、やはりどこまで行っても
不吉な未来を示唆したそれは、違うことなくその未来を手繰り寄せ、そして今、その命令を口にした男はそのことを忘却してしまっている。
いや、忘却というのは正しくないだろう。
記憶がない。過去がない。その頃の思いは、もはやルフにすら残っていないのだから。
だがそれでもあいつはそれを望んだ。
もしかしたら、そこに居たのはまさしく残骸であったのかもしれない。
捧げた願いの、その想いだけによって構成された
最も大切にしていた“宝”をそれにまつわるすべてを失い、器の壊れた
果たしてどちらが、
懊悩は深く、結論が出ることはないだろう。
ただ、今はそれを切り替える時であり、その伝言を伝えてくれたアリババへと礼を述べ、会話を続けた。
「それでアリババ殿。貴方の当面の目的は、アラジン殿という、マギに会うことでしょうか」
今のアリババは自身の身体を失い、仮初の人形に魂を宿しており、おそらく肉体を保護しているであろうアラジンと合流するのは必須事項だ。
「ええ。アラジンと、モルジアナ、オルバやトト……それにバルバッドがどうなったかも、実際に見て確かめたいし、あと…………」
それにそんな事務的なことだけでなく、アリババにとってアラジンは友であり、彼以外にも寄り添いたいと思えた唯一の少女や、自身を主として慕ってくれている仲間たち、それに彼が救おうとした彼の故国のことだって気になる。
そして言葉にならなかったのは、彼を殺した、彼と殺し合った彼の友だちのことだって気になる。
兄たちを打ち破り、皇帝になったという彼は、果たしてどうなっているのか。
黒く堕転したまま、憎しみに囚われたあの目のままに皇帝となっているのだろうか。それとも………………
「アラジンという方に関しては多少心当たりがあります」
懸念に沈むアリババに、融が探し人の一人に関しては心当たりがあることを告げた。
「本当ですか!?」
「はい。煌帝国に、マギと思われる魔導士が滞在しているとのことです」
世界に四人いたマギの一人、白龍のマギ・ジュダルはアラジンとの戦いによりこの世界の彼方、宇宙の彼方へと飛ばされてしまった。
ソロモン王の使っていた究極の力魔法――世界の物理法則を支配するその力により、だれにも止めることのできない、アラジンにすら止めることのできない彼方へと逝ってしまったのだ。
そのため白龍帝は正式にジュダルの葬儀まで執り行っており、現在この世界にマギは三人しかいない。
「ユナンというマギに関しては分かりませんので確実ではありませんが、レーム帝国では現在もティトスというマギが司祭として君臨しておりますので、確実とは言えませんがおそらくは…………」
ユナンは世界を放浪しているとも言われるマギで、もとよりその所在が明らかではないが、レーム帝国にいるマギ・ティトスについては確かな情報だ。
前の司祭であるシェヘラザード亡き後、革新的な提案を次々に行い、多くの反発を招きながらもレームの軍事権を担うムー・アレキウスと協力してレームを導いている。
ユナンが宗旨替えをして煌帝国に組したという可能性がないわけではないが、それよりも去就不明であったアラジンというマギが、かつての旧友であった白龍と手を組んだとみる方が繋がりという点で可能性が考えられた。
もっともそれには、白龍皇帝がアラジンの王の器であるアリババを殺害したという点を乗り越えなければならないが……
「ただ、バルバッドの方は、煌帝国が現在混乱していることもあり、お連れすることは難しい状況です」
「混乱!? それって……反乱が起きているってことですか?」
その問題点よりもアリババの関心をひいたのは彼の故国であるバルバッドで今まさに起きている問題であった。
「……元々、今日ここに来たのはそのことの続報を貴方方にお伝えするためでした」
融にとって、今日ここを訪れたのは予定になかったアリババと会話するためでは当然ない。
煌帝国で現在勃発している問題、内紛の続発状況について、かつてかの国を治めていた皇族の者たちに伝えるためだ。
「煌帝国領内の各地で独立戦争が勃発しておりましたが、バルバッドもその一つです。他にもいくつかの小国が独立を企図し、新たに入った情報では、本国でも杭州、許苅、寿秋、憲業……首都を除く幾つもの地方都市で反乱が同時多発的に発生しました」
「杭州や憲業はともかく、寿秋は三国の時からの土地。許苅に至っては白徳大帝の生地! そんなところでまで反乱が!?」
伝えられた情報に紅覇が驚愕の声を上げ、紅明も絶句して目を見開き、紅炎は苦痛を堪えるように顔を顰めた。
元々煌帝国は侵略によって版図を広げてきた新興の大国だ。
ゆえに支持者の多かった紅炎が居なくなって以降、その統治に問題が起こるであろうことは早くから予想がついていた。
しかし白龍皇帝は予想に反して上手くやっていた。
少なくとも正統な血統である白龍が、その父である白徳大帝の故郷で反乱を起こすことなど予想もつかないほどには、うまく国内を治めていたのだ。
「閃王子もこの同時多発的な反乱には何らかの意図――戦略が組み込まれていると睨んでいるようです」
ゆえにこそ、そこには何らかの大きな企図があるのだという予想は、大局観を持つ一国の王族であれば抱いてしかるべきだった。紅炎や紅明しかり、そして和国の王族である和王や第一王子も同様。
「七海連合は煌帝国の加入後、名称を国際同盟と改めレーム帝国や和国とも改めて同盟関係を締結し、世界の安定という目的のために動いていました。ですが煌帝国にとってはそれが逆に問題を悪化させたのです」
「悪化?」
「煌帝国は同盟への加入とともに、兵役制と奴隷制の廃止を求められ、それを受け入れました。その結果、広大な領土を維持するだけの兵力は失われ、反乱を治めるだけの軍事力がなくなってしまったのです」
「ッッ…………………」
アリババの知る、継承戦争時までの白龍であれば、おそらくどれほどの反乱が起きようとも鎮圧できたであろう。
ザガンとベリアルの力――圧倒的な金属器の力をもって謀反人を殺し、兵を殺し、民を殺し、鎮圧しただろう。
だが紅炎の“処刑”を通じて、皇帝としての在り方を、煌帝国の練家の武人としての在り様を見つめなおした今の白龍には、そんな治め方はもうできなかった。
国を想い、導かんとする皇帝は、しかしそのために続発する反乱に対して乏しい戦力での鎮圧を余儀なくされた。
そのことに紅覇や紅明は険しい顔をしたまま黙然とした。
白龍の変化はよい変化といえるだろうが、それがために民が乱に巻き込まれて治平を享受できないのは受け入れられない。
それらは彼らが戦争に負けてしまったからこそ起きた事態であり、予想していたよりも白龍はずっとよくやってくれている。
煩悶とする紅の兄弟たち。アリババもまた、白龍が最後に自分が会った時とは良い方向に変わったことを感じ取ってはいた。
でなければ戦争に負けた紅炎が生きていることはないだろう。
母を殺し、兵士たちを傀儡にし、義兄を、確執を抱えた姉をも殺すことを厭わないと宣言していた白龍とは違うのだ。
そのことにアリババは安堵し、しかしそれゆえに白龍が陥っている苦境に顔をうつむかせた。
「続けます。そのため、事態を重く見た七海連合が事態収拾のために派兵し、紛争は沈静化に向かっております。遠からず内紛は終結する見通しとなっております」
「シンドバッドさんたちが!?」
埴輪のアリババの顔が上がる。
アリババにとってみれば、シンドバッドという人は、死の直前に袂を分かち、シンドリアのために紅玉にゼパルを仕込んだ卑怯な手も使うが、彼に任せれば大丈夫だという絶対的な安心感をもたらしてくらる人だ。
ただ、それを聞いた紅明たちは顔を暗くした。
「ですが、それにより白龍帝の統治はより難しいものとなるでしょう。自国を守るのは皇族の責務。あるいは帝位交代の可能性もあるのではないかと思われます。」
戦争によって継承権を主張した皇帝が自国の内紛を治められず、他国から武力を借り受ける。
そのことがもたらす意味を理解できてしまったからだ。
アリババもまたサルージャの家名を負った者――バルバッドの王族だ。庶子であり、王政を廃止することを目指していたとはいえ、その責任の重さは理解している。
一度はそこから逃げ出し、そして戻ったからこそ、なおさらに故国を守りたい、守れる存在でありたいという願いは強かった。
それはもしかすると白龍も同じ……いや、あるいはアリババよりもずっと強いかもしれない。
ずっとずっと、国を取り戻そうと心に秘めて耐え続け、力を求めて抗い続け、世界を、姉を、友をも切り捨てる覚悟をもって運命に叛乱した。
それはアリババが持ちえなかった覚悟であり、堕転を悪だと、悲しいことだとは思いながらも、心のどこかではそれほどの覚悟をもった白龍のことを……
「なんとか……なんとか煌帝国に行くことだけでもできませんか!?」
行ってなにかができると思っているわけではない。
もしかするとまた、あの時説得できると思って洛昌に行った時と同じ結末を招くことだってあり得る。
けれども、行かなければなににもならない。
会えなければ、何も伝えられず、何も話し合えず、なにもできない。
友のことを思うアリババの、絞り出すような懇願の問いかけに、融は眉をしかめた。
「難しいですね」
融の言葉に、埴輪姿のアリババはがっくりと肩を落とし――肩がないので地面に両手膝をついて沈んだ。
「そもそも、紅炎殿たちは和国の客人ではなく、煌帝国の罪人です。私は紅炎殿たちの世話係ではありますが、同時に監視者でもあります。そこから――失礼ながら――不審な物を持ち出して煌帝国に運ぶというのは好ましくありません」
追い打ちをかけるわけではないが、融の説明にさらにアリババは影を落とした。
一度死んでしまい、“あの”世界から戻ってくるためには仕方なかったとはいえ、今のアリババの体は動く不思議人形そのもの。
それは間違いなく怪しく、怪しげな組織――“アル・サーメン”が跋扈していた国にそんな人形を運び込むのは余計な厄介を持ち込むことに他ならないことを認めなくとも認めざるを得なかった。
「それと…………私の主の状況についてはご存知ですか?」
それに、理由はなにもアリババだけのものではない。
今度は融の方が影を落とした表情で問いかけた。
アリババはちらりと紅明に顔を向けて、目を伏せて応えた紅明の反応を見た。
「……はい。金属器の影響で、白龍のお姉さんとの記憶がなくなっていると聞きました」
願いの終わりとともに、敵となってしまった男。
「それは正確ではありません。代償に捧げたのは記憶ではなく、関係性です」
「?」
だが、アリババの理解はそのすべてではなかった。
「私も、おそらく光も、ガミジンの力を見誤っていたのです」
皇 光は、ただあの人のことを忘れてしまったわけではない。
「光から失われたのは練白瑛様に関する記憶だけではないのです。彼女と関わることになった経緯に関する記憶も、彼女と関わることで関わった人たちとの記憶も、彼女に関わる全ての過去……そして未来までも」
「未来?」
記憶がなくなったのであれば、再び紡げばいい。
光の中に記憶がなくとも、彼女の中には、ほかのみんなの中には二人のかかわりの記憶がある。
「皇位争奪戦争の際、光が白龍陛下の陣営に組して戦ったのは、たしかに和国としての決定に依るものでもありましたが、それだけではありません。白瑛様が属していた陣営を無意識化、いえ、本人すらも認識する以前から敵と見做していたのです」
けれどもそれは紡げない。
捧げたモノは記憶ではなく、関係性。
過去に紡いできたものだけでなく、これから紡いでいくことも、その意思も、もてはしないのだ。
「そして今は、白瑛様の弟君である白龍陛下を敵視している」
「それって…………」
戦争時、白瑛将軍は紅炎の陣営から七海連合へと鞍替えをしたことで、奇しくも和国と――光と同じ陣営に属することとはなったが、“本来であれば”紅炎の陣営である白瑛とは敵対関係となるところであった。
「白瑛様に連なる関わりすべてを消し去ろうとしているのです。こうして紅炎殿たちの監視役の任に私がつけているのは、すでに紅炎殿たちが白瑛様との繋がりを失っていると見做されているからに過ぎません」
そして今は白瑛が紅炎とは袂を完全に別っているからこそ、光はかろうじて紅炎との繋がりを続けることができている。
もっともそこに、白瑛との関係から生み出された関係性はなく、彼には紅炎たちと戦場をともにした記憶はない――というよりも、戦場をともにしたのは、光本人ですらなかったのだが…………
「それですら、光自身は私の行動を良くは思っていませんから。それに紅炎殿たちの眷属はあの戦争で軒並み収監されました。それ以外の主だった部下とも、光と国際同盟の目をかいくぐって繋ぎをつけることは難しい。ですので、紅炎殿たちの伝手を使って煌帝国に渡りをつけるのは現在ほぼ不可能と思ってください」
加えて紅炎たちは内戦に負けたのだ。
粛清の嵐こそ吹き荒れはしなかったものの、紅炎に近しい、彼や紅明、紅覇の眷属たちが表舞台に立つことはない。
少なくとも七海連合の――国際同盟の目がある内は、その繋がりを頼ることはできないだろう。
「……そう、ですか…………」
不可能な理由をつきつけられたアリババは、沈思するようにうなだれた。
なんとかこの世界に戻れさえすれば、アラジンたちと会えて、まだ世界のために何かできるはず。
無意識にそう思っていたことは否定しようもなく、けれども実際には人形のような体では満足に戦うこともできないし、国を、海を越えることもできない。
国のためにも、友のためにも、できることはなく、ただ伝言を伝えたことだけが、この世界に帰ってきて為せたこと……………
「ただし、それはこちらから繋ぎをつける分に関しては、です」
「え?」
気落ちしていきそうになるアリババに、しかし拾う手を差し伸べるかのように、いわくありげな言葉がかたむけられた。
✡ ✡ ✡
シンドリア王国沖の南海上空
一人のマギと一人の王が、大波を荒れさせ、竜巻を起こし、雷鳴が轟かせて、一人のマギに襲い掛かっていた。
一人のマギ――槍のような三日月状の杖を携えた白瑛が、杖を滞空させ、胸元で交差させた両手に魔力を集中させた。
その魔力はかつての練白瑛のものとは桁どころか、次元の違う領域で、
――
その魔力のままに振るわれた両腕は荒波の海に二筋の極太の裂爪を刻み込んだ。
「ぐっ……!!」
海を割り、マギであるアラジンのボルグですらも易々と破壊した裂爪撃は、アラジンの体にも深手を刻み付けた。
傷に手を当てて出血を抑えようとするが、そんなものは気休みにもならず、息はきれ、激痛が魔法への集中を途切れさせる。
「終りね、アラジン」
「くっ……」
あまりにも無様。
ソロモンの写し身であると祀り上げられ、聖宮の番人でありアルマトランの天才魔導士であるウラルトゥーゴが大切に大切に育てた至高のマギ。
その全知たる“知恵”によりアルマトラン最強の力魔法すらも修得して、ジュダルをすらも倒したはずのマギが、今、血を流し、ただ宙に浮かぶことがやっとという有り様なのだ。
「がっかり。ウーゴが大事に育てたあなたも、ソロモンには遠く及ばない使い手か」
まさしくがっかりといったように、白瑛はため息をついた。
「私ねぇ、アラジン……あの人のこと、神さまかもしれないって思ってた時期もあったのよ」
懐かしみ、昔日を懐かしむように告げる
ウフフと不気味に笑うその顔は、かつてのその人物――練 白瑛とは到底同一人物の顔には見られなかった。
――もう……白瑛さんじゃない……ッッ――
核心とともに絶望が深まる。
黄牙の村でアラジンは初めて白瑛と会った。
初めて見る金属器の使い手で、痛いほどに真っすぐなルフを持った綺麗な人。
その傍らには守護し、寄り添うように紫色のルフを――命の金属器の力によって現界していた“彼”が居た。
「さよなら」
けれどももはや隣にいるのは“彼”ではなく、彼女もまた別人となっている。
可憐な唇から紡がれるのは、終わりを告げる言葉。
負った傷は深く、
「待て!!」
「!?」
しかし
「シンドバッドおじさん……」
魔装フォカロルを纏ったシンドバッド王。その彼が片手をあげて白瑛を制した。そしてアラジンへと向き直り、その真摯な表情を向けて訴えかけた。
「アラジン、わかってくれないか。彼女はすでに“アル・サーメン”ではない。俺たちは敵じゃないんだ。君も俺の“マギ”になってくれ! 彼女のように、アルマトランから来たマギとして! 一緒にこの世界を良くしよう!」
その言葉には偽りなど感じられず、表情にも、ルフにすらも偽りの感情は見られなかった。
ただただ一途にこの世界を良い方向に導こうとする使命感と正義感、そしてそれができるという自信に満ち満ちていた。
だが、この世界の生んだ偉大なる王にして指導者のその誘いの言葉をアラジンは振り切るように首を横に振った。
「…………断るよ。“アル・サーメン”は関係ない。僕は、おじさんがやろうとしていることに賛成できない」
困ったように、しかし顔には面白がるような笑みを浮かべているアルバと、薄々感じていたアラジンからの猜疑の心を明確に受けたシンドバッド。
「……アラジン。シンドリアに居た時から、君だけは俺に心を開いてはくれなかったな。俺の国の“マギ”になってくれと誘った時も……」
思い返せば、シンドバッドに任せておけばいいと誰しもが感じていた時にも、アラジンはそれに疑惑を抱き続けていた。
「そんなことないよ。おじさんのことは好きだよ。ただ、僕はおじさんがこれからやろうとしていることには賛成できないんだ」
――シンドバッドのことが怖い――
そうアラジンに語ったのは、シンドバッドを“王の器”に選んだマギ・ユナンであった。
彼があまりにも“王の器”に近しい存在だから、と。
「なぜだ、アラジン? 君は今のこの不完全な世界を救いたいとは思わないのか!」
アラジンの拒絶を、心底から理解できないとばかりにシンドバッドが尋ねた。
戦争、貧困、奴隷、暴君――それ以外にもこの世界には、世界に悲劇をもたらしうる要素が幾つもある。
それらを無くすことで、世界をよくできる、不完全なこの世界を完全な形にすべきではないか、と。
「一人の賢明な王が世界をよくしようとも、その王が倒れた後は同じことの繰り返し。君も世界中で見ただろう!!? だがこの連鎖は止めることができる……“ソロモンの知恵”で“聖宮”へ行けば!」
今ならばそれができる。
シンドバッドも保有する金属器とは、アルマトラン時代の神杖――
その機能の中には元々、聖宮へとルフを導く機能がある。
多数の金属器が彼の傘下、手中にあり、アルマトランの知識と力を有しているアルバ、そしてルフシステムを管理している“聖宮”へのアクセス権限をもつ“ソロモンの知恵”を持つアラジンが居れば……
「そこで何をするつもりだい?」
「ルフシステムの根本を書き換えるんだ!! そうすればいかなる不幸も降りかかることのない永久に幸せな世界を創れる。やる価値があると思わないか!? アラジン!!」
大仰に手を広げ、熱い語調で説得を試みるシンドバッド。
しかしアラジンの顔色は、痛みと出血以外の理由によっても険しくなっていた。
「……………………おじさん。ごまかさないでおくれよ。根本を書き換えるって誰がだい? おじさんがだよね」
アラジンの核心に満ちた問いかけにシンドバッドは沈黙を返して肯定した。
「つまりおじさんは……おじさんが良いと思うことを世界中のみんなに、未来永劫やらせようとしている。そして、おじさんが悪いと思うことは永久にやらせない。それがおじさんのやろうとしていることだよね」
それは酷く独善的な正義であろう。
かつて練紅炎は武力をもって世界を統一し、思想を統一することによって世界から争いを無くそうとした。
シンドバッドは、それこそが争いの根源だと紅炎を非難し、アル・サーメンともども紅炎たちこそが世界の悪だと定めた。
シンドバッドが行おうとしているのは、武力によるものでこそないが、誰かの許可を得ることもなく、誰に相談するのでもなく、ただただ自分の考えと意思のみによって、彼の“志向”に世界を均一化するというものなのだ。
そこに意見の衝突もなければ、武力の衝突もないであろう。
「……………………ああ。それのどこが悪いんだ!?」
ただ一つ。
「おじさん。僕はおじさん一人の価値観で、世界中の人たちを永遠に縛っていいとは思えないんだよ。いつか、おじさんが死んだ後の世界の人たちは、その時代に何が良くて、何が悪いのか、自分たちで決めていいはずだ」
今この瞬間、“
「ダメだ」
だがそれも、シンドバッドにとっては意見を変節させうる事柄ではない。
「なぜ?」
「俺だけに、“運命”の流れが見えるからだ」
聖宮へと行き“ルフ”を書き換える。
それは彼にとっては、もはや“シンドバッド”が辿るべき“運命”であり、この世界の終末への必然なのだ。
「生まれた時から見えていた。物事がどんな方向へ進むのか、体でわかるんだ。俺以外は持ち得ない力だ。だから俺が導くべきなんだ」
力強く、確信に満ちた言葉。
それは疑いようのない、この世界の真理を告げるような語調であり、
「力を持って生まれたものは責任を果たすべきだ。アラジン、君も“マギ”としてそう生きてきたのではないのか!? その意味で俺は君を尊敬しているんだよ!!」
それがなぜ分からないのか。それこそ、この世界で最も真理に近しいアルマトランのマギ・アラジンならばわかって当然だと言わんばかりの剣幕であった。
激しさを、そして自己への確信を増していくシンドバッドに、アラジンは肉体のではない痛みをこらえるように顔を険しくした。
「……運命はただそこにある。誰かが脚本を書いて操っていいものじゃないんじゃないかな?」
かつて
爪も牙ももたない脆弱なる存在として人を生み出し、しかし魔力と魔法という他種族にはない力を与え、栄え、死に、生きる、その流れを作り出していた
それはソロモン王によって手綱を奪われ、そして希望をもって前に進もうと生きることこそが運命だと決定づけられて世界は様々な思想を持つようになった。
各々が最善と思う、善かれと思うそれが、争いを生む世界。
「ソロモン王の創ったこの、だれも手綱を握らない世界は、憎しみと戦争の繰り返しでボロボロじゃないか!!!! 唯一の指導者は必要だ。ソロモン王は責任を放棄した!!」
彼が創ったこの世界は、この世界の人々の思惑はバラバラだ。
良かれと思う未来がバラバラで、そのせいで争いが絶えず、大きな希望の代名詞のような王が生まれても、それは長続きせずにまたバラバラになって争い合う。
そんなものを、もう千年以上も続けている……いや、きっとこの世界はそんな悲惨な“運命”をこのままでは永遠に繰り返していくことになるだろう。
「俺は、逃げない。この世界を導いてみせる!」
だから必要なのだ。
絶対的な指導者。唯一この世界を導く存在――大いなる意思、第一級特異点、シンドバッドが……その責務として運命を書き換えていくことが。
「…………おじさんはたしかに世界一すごいのかもしれない。それでも、おじさんが選ぶ道を間違えないとどうして言えるのさ? おじさんの身に、今まで不幸が降りかかったことはないのかい?」
決意を込めたシンドバッドの言葉に、アラジンは息を乱しながらも問いかけた。
「それはあった。だが俺にはわかった――――これは必然だったのだと」
かつてシンドバッドは商会を立ち上げ、そこで取引に失敗して奴隷にされたことがあった。今のシンドリア王国を創る前に、創った国を滅ぼされたことがあった。死に行く民の嘆きを受け継ぎ、堕転したルフをその身に宿すことだってした。
「全ては必要なことだったんだ! 今の、そしてこれからの平和な世界を創り上げるために」
全ては運命の流れのままに。
それらの過酷な運命――不幸な出来事は、彼が選択を誤ったことが原因で起こった出来事ではない。未来の――百年後、千年後の未来を創りあげるシンドバッドに必要な出来事だったのだ。
だが、
「違うよ」
それを一言に否定した。
「ではなんだ?」
運命を創ったソロモンの息子。そんな神の子とも言えるアラジンの否定に、シンドバッドはわずかに苛立ったように尋ねた。
「それはおじさんが失敗した結果だよ。おじさんでも間違えることがあったんだよ」
間違えるはずなんてない――運命の流れが見えているのだから。
間違えていいはずなんてない――この世界の全てを背負っているのだから。
「――――――ッッッ」
「でも当たり前じゃないか!! おじさんだって普通の人間なんだから!! おじさんひとりで背負わなくてもいいんだよ!! 間違って、苦しんで、他の人たちに助けてもらって! みんなで前に進んでいけばいいじゃないか!!」
痛烈なアラジンの言葉に、ぎしりと歯を咬んだシンドバッド。
たたみかけるように、アラジンは必死の思いで言葉を紡いだ。
あなた一人が世界を背負っているわけではない。
あなた一人が特別なのではない。
あなた一人が、運命を決めていいわけではない。
みんなで――――
「俺は、そうは思わない」
アラジンの必死の言葉に、しかしシンドバッドは明確な否定を返した。
「だから……僕はおじさんに力は貸せないんだ」
「…………アラジンが父親と同様に責任から逃げるような器だったとは残念だよ。だが彼の力は必要だ。気が変わるのを待つさ」
アルマトランのマギであるアラジンとの会合は不首尾に終わった。
しかしシンドバッドは、それに対して焦るでもなく悠然としたように、逃げていくアラジンを見送った。
全ては運命の流れのままに。
それが“見えている”シンドバッド王だからこそ、今アラジンを見送ったところでなにも問題はないと判断した――わかっているのだ。
「シンドバッド様は甘いわ。アラジンの精神を乗っ取ってでも“ソロモンの知恵”を手に入れるべきなのよ。今すぐにでも――――――――アラジンは白龍の元に留まっていたはず」
それを、シンドバッドは分かっていたのかもしれない。
当然だろう――――運命の流れが見えるのだから。
千年を超える怨讐の亡者と化した脅威が、その牙を剥こうとしていた。