煌きは白く   作:バルボロッサ

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前回投稿からかなり間があいてしまいましてすいません。
原作の方でアルマトラン編が終了したようなので次話投稿となりました。

間があいたのでざっくり時期を説明しますと、マグノシュタット暗黒点での戦い後、煌帝国に帰還して後の話になります。
原作ではアリババたちがシンドリアに戻ってから、バルバッドへと赴いている頃です。






第30話

 剣閃が煌く。

 全てを斬り裂くその太刀筋が、今また一人を一つの人形へと変じさせた。

 

「はぁ、はっ、はっ…………」

 

 一体幾つ、幾十の人形を斬り捨てただろう。

 乱れる息を整える間に、目の前には次々に湧いて出てくる魔道士たち。その姿は見事に統一されたように見える……というよりも全く同一の存在と言ってもいいほどに同じだった。

 その中にあって孤立する二つの存在。

 疲弊しつくしていながらも己が愛刀・桜花を構える皇 光。

 

 そして

 

「ふふふ。やはりもう残されてはいないみたいね、光?」

 

 無数の人形たちの奥で哂うこの国の、いや、今はこの世界の頂に立つ存在。

 

 煌帝国第三代皇帝。

 “アルマトランのマギ(・・)”練 玉艶。

 

 すべてが偽りでしかないこの世界でただ一人、実体を伴った存在。

 

 かつて見たのとも似た遺跡群。

 マギによって創造された異界。

 世界から切り離された玩具箱のような世界で、いつ終わるとも知れぬ戦いが続いていた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 

 あの依り代との激戦の後。

 紅炎たちは帰還の途についていた。その中で光は自ら直訴する形で紅炎と同席していた。

 

「――――……前に言っていたよりも早いな」

「皇光が思っていたよりも、俺は弱かったということだろうさ」

 

 

 激戦のあと、そして落胆してもおかしくない戦果だったにもかかわらず紅炎の様子は表面上には変わらなかった。

 光から告げられた言葉を聞いても、淡々とその鋭い瞳で見つめ返しただけだった。

 

 光は自嘲するような笑みを浮かべた。

 

 

 捧げた願いの重さが軽かったとは思わない。

 皇光が捧げたものは確かに彼にとって魂を賭けるほどに重い誓いだったのだから。

 

 ただ、想定していたよりも、ずっと世界は混沌としていたということだったのだ。

 

 

 組織の闇は想定していたよりもずっと深く。

 世界に満ちた闇は想定していたよりもずっと広くにまで侵食していた。

 

 

 予定ではもっと時間があるはずだった。

 そして、少なくとも彼女の道に見通しだけでも作るつもりだった。

 

 だが、彼にはそれすらもできなかった。

 

 

「紅炎殿は、例の組織をこの世界においてどういう位置づけで捉えているんだ?」

 

 煌帝国に来て、彼女を大切に思っている兄弟がいることが分かった。 

 だから、その彼が帝位につくまでは頑張るつもりだった。

 彼女を守るために、彼女を守ってくれる人を少しでも多く、少しでも先に進めたかった。

 

 けれどその最も要になるだろう紅炎は、帝位に就けなかった。

 就いたのは最もあってはならない人物。

 

 彼女は、彼らはたしかに紅炎を始め煌帝国の諸将に力を与えた。 

 だがそれは決して、情などの為故ではない。

 ただ世界を混沌へと導くため。

 

 あってはならない世界の毒。

 それが光の出したあの“八芒星の組織”に対する見立てだ。

 

 しかしそれに対して紅炎はすっと眼を細めた。

 

「別に奴らが世界に害意を持っていたとしても構わん。例えそうだとしても、その全てを呑込むまでだ。この世界に生きる者としてそれら全てを受け入れることこそが真の王だ」

 

 彼とて“組織”には親族を幾人も手にかけられている。依り代との戦いで紅覇がこれ以上肉親を殺されたくないと叫んだように、紅炎もまた肉親に対しては情があるのだろう。

 そうでなくては、癒しのジン・フェニクスの主に選ばれるはずはないだろう。

 肉親を手にかけられ、国を玩具にされてそれでもなお、世界の毒を身の内に飼い、己が力としようとする。

 それを器の違いと捉えるのかもしれない。

 

 しかし

 

「なるほど、貴方らしい。だが…………」

「なんだ?」

「紅炎殿が気づいていないということは、違う、か……?」

「なにがだ」

 

 言いよどむ光に紅炎は睨み付ける眼差しを向けた。

 それは己の直感に自信がないようにも、それが信じたくない考えのようにも見える苦悩の表情だった。

 煩悶するように瞳を閉じた光が決意したように眼を開き、それを告げた。

 

「確証はないが……本当に玉艶皇帝は白瑛の母親なのか?」

「……どういう意味だ?」

 

 光の言葉に紅炎は眉根を寄せて訝しげな眼差しを向けた。

 

 先帝の妃でありながら、夫の死後、娘息子(白瑛と白龍)の身を守るために自ら紅炎の父、紅徳帝の妃となった美しき皇妃。

 それが仮面であることはすでに分かっている。

 白徳帝から紅徳帝、そして自らへと権力を移していき、“八芒星の組織”と結託して煌帝国を弄ぶ妖妃。

 だが彼女は紛れもなく、白瑛と白龍に血を分けた母であるはずだ。

 

 ぴくりと眉を動かし光と視線を合わせる紅炎。

 二人の会話が聞こえない距離に浮かぶ絨毯からこちらを見ている彼の眷属たちは主の雰囲気が険を帯びていくのを察してか、殺気を帯びた眼差しを向けてきている。

 

 呑込むということは無闇と信頼を置くことではない。

 “組織”が信の置けない怪物たちであることなど紅炎たちとて知っている。だが、全てを疑い、否定するのは王のなすべきことではない。

 それが紅炎の考え方だ。

 

 だが、だからこそ。

 自らの身の内に飼っているものが、実は全くの別物かもしれないというのは、それこそ体の中で蟲が蠢いているようなものだ。

 

 紅炎の突き刺すような眼差しが全力で説明しろと物語っており、光は自分の中で言葉を纏めるように黙してから口を開いた。

 

「……おそらくアラジンの、“あの”マギの知識は、アルマトランの知識に由来するものだろう」

「……おい。なぜお前が滅びた世界のことを知っている」

 

 光の口から出てきた言葉に、先程とは別の意味で紅炎の表情に険が宿る。

 

 ずっと以前。

 紅炎が光に滅びた世界の古文書について問いただした時、光は歴史には詳しくないと自ら言っていたのだ。

 だが今の口ぶりでは、まるで滅びた世界(アルマトラン)のことを知っていたかのように聞こえる。

 探し求めていたものを知る奴が実は近くにいたのだ。なぜ今まで黙っていたと憎々しげにその瞳が語っている。

 本題からずれたところに食いつかれて思わず光はバツ悪そうに苦笑した。

 

「大分、殻が剥がれかけているからな」

「…………」

 

 光がアルマトランの事について知らなかったのは嘘をついていたわけではない。

 知っているのは光本人ではない。皇 光という偽りの器(・・・・)がほとんど壊れかけた今、その知識を有する本来の意識がかなり表に出てきてしまっているのだ。

 だが、語ることはできない。

 

 

「組織のことも幾らかは知っているだろう。だが、推測が正しければ、貴方が呑込もうとしているのは毒どころではないかもしれない」

 

 王とは頂に立つ者だ。

 下の者全てに信を置けなどとは言わない。けれども、それらを受け入れるのが王だ。

 だからこそそれに対処するのは臣下の務めだ。

 紅炎が親族や重臣に信を置き、紅覇や白瑛たちがさらにその下の者たちを束ねる。

 紅明のような男が欺瞞や疑心に対処する。

 

 できるのならば、それを輔ける一つとなるつもりだった。

 

 紅炎や世界のためではなく。

 その世界で彼女が幸せに、穏やかに暮らせる世界のために

 

 だが

 もうそれはできない。

 

 ――「もうすぐ器が壊れる。次に戦場に立つことはもう、ない」――

 

 時間がない。

 

「今の俺の残りの命を全て、貴方に預ける。その時間で、紅炎殿が探している真実の一欠片を掴む。だから――――」

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 煌帝国帝都禁城。

 その箱は初代、先帝が居た時とは変わってはいない。だが、その中身は正真正銘の魔伏殿と化していた。

 

 魑魅魍魎の如き政争などというものではない。

 

 練 玉艶が皇帝に即位し、“組織”の神官たちがその輔佐として中枢を固めるに至って、文字通り、魔の巣食う穴蔵となっているのだ。

 

 皇 光はそこに居た。

 

 紅炎に、そして練家の者には最早ここを探ることはできないだろう。

 だが紅炎が求めているモノの一欠けらは間違いなく“ここ”にあるはずなのだ。

 

 

 潜入した“そこ”はまさに異界だった。

 

 比喩ではなく、まるで誘い込まれたかのように、常の人は誰一人居らず、いつの間にか周囲の景色は見慣れた煌風の様式の屋内から、古代のものへと変わっていた。

 

 “マギ”の力。

 迷宮という名の異界を創り、閉じ込める力。

 

 初めはただ偵察のつもりだった。

 戦闘すれば最後だということは分かっていたから極力戦わず、情報だけを持ち帰るつもりだった。 

 だが、通常の世界から隔絶されたそこに知らぬ間に囚われた光は、無数に湧き出てくる黒の魔導士たちを次々に斬り捨てた。

 

 魔装を使うことなく、最低限の操気術のみで幾人もの魔導士と渡り合っているのは、和国の武人の中でも秀でた力を持つ光だからこそだろう。

 だが、最低限とはいえ徐々に擦り減っていく魔力と体力。対する相手は次から次へと器を変えて湧き出てくる。

 

 

 

 そして

 

 

 

 かつり、かつりと沓の音を響かせて現れたのはこの異界の創造者にして支配者。

 

「魔装する力も残されていないのに、随分とやってくれるわね、光」

「……練 玉艶」

 

 練玉艶が悠々とその姿を見せた。

 艶めかしいほどの笑みを浮かべて光を見下ろす玉艶。その顔は親子だけあって、白瑛の面差しとよく似ている。

 だが、その身から漂う黒い気は、清純でまっすぐな白瑛とは対極。

 全てを呑み込み、全てを黒く染める闇のような黒だ。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 

 ここまで潜り込まれた以上、光を返す気はないのか、それとも既に玉艶にとって光は用済みとなっていたのか、一気に数を増して湧き出たヒトガタ達が光へと襲い掛かった。

 

 魔導士たちの放つ魔法を振るう桜花で薙ぎ払い、距離を詰めては魔導士を人形へと還していた。

 

「まったく、残念だわ。貴方ならいい駒になったでしょうに」

 

 次々に斬られていく人形たち。その一方でこの場の王である皇太后は愉しげに物見高く光が足掻くさまを眺めている。

 

「あいにくと、俺の振るう刀は人形遊びのためにあるのではないのでな」

「人形遊び? ふふ、ふふふ! ほほほほほほほ!!!」

 

 杖を振りかぶっていた一体を躱しざま斬り捨て、皮肉の言葉を投げつけると玉艶は痛烈に愉快なことを聞いたとばかりに哂い声を上げた。

 

 光は刀を振るいながらもその姿を睨み付けるように一瞥し、そして思考を加速させていた。

 あの時、紅炎に告げたあの推測の言葉。

 当たって欲しくなかったその予想。

 

 だが、今この状況において、いや、本当はここに至るまでにすでに分かっていた。

 

 

 昔、まだ幼く、白瑛と笑い合えていたあの頃。

 白瑛は嬉しそうに語ってくれた。

 強い父のことを、兄たちのことを。少し泣き虫で、でも心優しい弟のことを。そして、慈愛に満ちた母のことを。

 

 だが、白瑛の語ってくれたその姿と、この練 玉艶は同じではない。

 

 国に、世界に、全てに混乱と災禍を齎す存在。

 傾城、傾国などというものではない。

 あたかも世界全てを憎むかの如くの振る舞い。

 

「貴方が人形遊びとはよく言えたものね、光。あの娘は知らないのでしょう?―――― 

 

 ――――貴方が皇 光などではないことを。ただの人形でしかないことを?」

 

 その口から、今また、一つの毒が吐き出された。

 白瑛には知られたくないこと。知らせるべきでないこと。

 

 一瞬、光の動きが止まり、その隙を衝くように魔導士が襲い掛かり――――

 

「…………それは貴方も同じだろう。“異世界の亡霊”」

 

 剣閃すら見えない煌きによってその器が断ち斬られた。

 

 光の言葉は、魔女にとって、いや、ヒトガタたちにとっても意外だったのか、玉艶の眉がピクリと動き、魔導士たちの顔が険を帯びた。

 

 狂気の笑みが――――

 

「参考までに、どうして気づいたのか伺いたいわね」

 

 ――――浮かび上がった。

 

 

 

 

 遥かな昔

 最早世界の誰もが覚えていない彼方

 一つの世界があった

 

 その世界にはたくさんの種族が暮らしていた。

 異なる言葉を話し、異なる体を持ち、異種族同士互いに争い合っていた。

 

 だがやがてその世界は一つの転機を迎えた。

 ――大いなる意志――

 運命と呼ばれたその流れが、一つのある弱者を選んだ。

 

 世界は変わり、移ろい――――そしてまた変わった。

 

 

 

 “理想郷”

 そう呼ばれた世界があった。

 かつてある王が求めた世界。

 全ての種族が分かり合い、平等に暮らす世界。

 

 数多の犠牲と嘆きの果てに築き上げられた世界があった。

 

 だが、それを認めぬ者たちがいた。 

 その世界を創るためにこそ抗い続けた者たちが、その世界を否定するために立ち上がったのだ。

 

 

 語り継がれない失われた大戦があった。

 追放された大いなる意志と唯一の王の意志。

 

 ぶつかる思いは大きな悲劇を生みだし。

 そして一つの決着を見た。

 

 

 抗うために立ち上がった者たちは異次元の彼方に封じられ、そして世界の物語は再誕を迎えた筈だった。

 

「聞いていたものと違うのもあるが、白瑛や白龍の母にしては気が違い過ぎる。入れ替わっているのだろう? 白徳帝を殺した時、いや。あの組織を迎え入れる前に」

 

 だが、遥かな歴史の果てに、壁は綻び、意識は再び浮上した。

 異次元の彼方から意識だけの存在となって再び結末を求め蠢き始めたのだ。

 

 これはその大きな蠢きの一欠けら。

 

 壊れた殻から溢れ出た過去の記憶だ。

 

 ここにはない皇 光ではなくアルマトランの王を選定する者。 

 72の種族の一つの長としての。

 

 

 

「ふふふ……ほほほほほ!!! まったく。愚かな存在ね! 皇 光!!」

 

 異世界のマギの意識が宿る瞳は、同じ世界の存在が漏れ出ていることを見抜き、狂ったような哄笑を上げた。

 

 愚かしい限りの行い

 神を追放して意志を捻じ曲げたかつての王の行いも

 それに従った72のけだものたちも

 終わった世界に留まり狂わされた流れを見届け続ける選定者たちも

 

 すべてが愚かしい。

 

 目の前のこの男はその中でも極みつけの愚かしさだった。

 捻じ曲がった流れの中で、さらにはみ出して這いつくばっている。 

 

「正直なところね。私は白瑛と白龍。どちらでもよかったの。むしろ最近では白龍の方がいいかとも思っているくらい。それなら要らないあの娘は処分してしまってもいいと思わない?」

 

 この男の願い

 ――その身を焼き焦がす願いは、与えられたものでしかなく

 

 この男の行い

 ――初めから結末など決まっているものでしかない

 

 

 

 

 光は、玉艶の――白瑛の母であった“モノ”の歪んだ微笑を見つめていた。

 その顔は、まるで母の慈愛に満ちたもののようでありながら、しかし口の端に昇った言葉は真逆だった。

 

 

 白瑛と白龍

 

 練玉艶という器に近しい、新たなる器。

 “アレ”にとって、二人はそんなものでしかなかったのだ。

 

 その身にふりかかった絶望も、嘆きも、全ては黒い意志に馴染ませるためのもの。

 

 だから―――――片方はもういらない

 

「でもそうね……貴方が望むならずっと白瑛の躰の傍に居させてあげてもいいのよ?」

 

 玉艶の言葉は、甘い甘い毒のように光に垂らされた。

 

 あたかも愛を紡ぐ吐息のように。

 あの愛しい白の笑顔を幻視するかのように美しく。

 

「中身は別で、か……」

 

 手にした桜花の柄に力を込めて、光は玉艶を一層睨み付けた。

 

 深い深い、引き込み呑み込むような笑み。

 

「貴方のことはこれでも少しは気に入っているのよ? 世界のことよりも一個の存在に執着するその浅ましさ。貴方も同じ。神の意志を捻じ曲げて定められた運命を呪った。貴方もあの子たちと――私たちと同じなのよ」

 

 

 大きな嘆きがあったのだ。

 

 彼らは全て、唯一の王を戴いていた。

 全ての種族を平等に、世界を一つに――――彼らはその思想に共感していたのだ。

 

 だが、運命は違った。

 傲慢な王の決定により平等と言う名のもとに力は奪い取られた。

 “どうでもいい多種族”のために大切な仲間が、家族が、愛する者たちの命が奪われた。

 

 だから抗ったのだ。

 敬愛する王に。

 その王が望んだ世界を、運命を壊すために。

 

「手を取りなさい、光。貴方の愛するあの娘の躰で存分に貴方を可愛がってあげるわ」

 

 すべてではなく、愛する者のために運命を捻じ曲げる。

 その在り様は、まさに、彼らと同じだ。

 

 美しく、優雅に――――

 歪に、狂愛を帯びて――――

 

 差し伸ばされる掌。

 

 

 すでに人の身ならざるものに変わりつつある王の器はその手に

 

「同じにするな。干乾び果てた唯の亡霊ごときが」

 

 剣を差し向けた。

 互いに向けられる掌と剣。

 

 

「例え躰が同じでも中身が違う。心が違う。俺が守ると誓ったのは、あの白瑛の魂だ!!」

 

 大切なのは彼女の在りよう、その心だ。

 

 痛々しい程にまっすぐで

 身を削る程に優しい彼女の心。

 

 それを愛しいと思った。

 守りたいと思った。

 

 牙を剥く世界の全てから守りたい。

 

 

「そう。なら――――

 

      ――――貴方も要らないわ」

 

 

 紫の輝きが桜花を取り巻き、器の体に纏いつく。

 黒の嵐が吹き荒れて、マギの力によってルフが可視化される。

 

 

 決別は当然で、もとより同じ先を向くことはない。

 

「罪業と呪怨の精霊よ。我が身に纏え――――」

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 舞い散る花風はとうに盛りを過ぎ去り、残りわずかとなった花弁の最期を散らしていた。

 

「…………これで……最期だ」

「ああ」

 

 枯れかけた大樹のもとで二人の影が向かい合っていた。

 

 一人は世界の王。

 

「後悔は、ないか……?」

「あるはずない…………あるとすれば、それは心残りがあるだけだ」

 

 影の問いに、王は答える。

 

 全ては自身が選んだことだ。

 例えそこに他の選択肢がなかったとしても、それでも選び、歩むことを決めたのは自分の意志だ。

 

 彼女を守る

 唯一つ

 それだけが、あの時選んだ想いだったのだ。

 

 

 心残りはある。

 

 だから…………

 

「後は、頼む―――――」

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「――――――――ガミジン」

 

 嘶く命の鳥(ルフ)が、紫の八芒星に集い、王の姿を変えていく。

 

 偽りの姿から真なる姿へ

 

 王の器は壊れ、宝玉の容れ物へと変わる。

 

「そう…………今ここで、あの時の続きを演じるのね――――冥獄のジン」

 

 揺らめく紫の輝きは陽炎のように、疾駆する汗馬の鬣のように

 

「我が王の宝珠をかけた最後の望みだ。堕ちたソロモンのマギよ。これ以上、あの時の続きは繰り返させはしない」

 

 

 もはやここに王の器は存在しない。

 ただ、あの時願った、彼の王の、皇 光という王の器の、望みを叶えるための存在(ガミジン)だ。

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 

 ――――願いを込めろ

 

 ――――お主の器の一部に願いを込めよ。我は対価を糧に、その願いを叶えるモノとなろう。

 

 ――――だが、それがお主の最後だ。

 ――――死せるお主の運命を捻じ曲げる対価に、お主は宝珠を対価に捧げることとなる。

 

 

 望んだのはただ一つ。

 彼女を守ることだ。

 

 ――――ならば

 

 ――――それがお主の対価となろう。

 

 

 


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