今回は本編の流れから少し過去に戻って2章と3章の間くらいの物語です。
――ある日の煌帝国――
和国特使、皇 光。
白瑛の旗下の一員として有事には武将として戦う光だが、その肩書の示す通り、外交官としての一面も当然ある。どちらかというと和国から煌帝国に将としての側面強く貸し出されているものの、執務室もきちんと与えられていたりする。
その執務室にてさらさらと筆をとっていた光は、同室している男についと視線を向けた。
「前々から気になっていたんだが光雲。なんでお前は俺の副官のような真似事をやっているんだ?」
男の名は菅光雲。
以前には義賊として暴れていた彼だが、今は彼を討伐した白瑛将軍の旗下の一員として煌帝国の組織下において、元義賊の兵たちとともに将兵として働いていた。
そう、あくまでも彼の直属の上司は光の名目上の上司でもある白瑛だ。たしかに序列的には光の上だが、光自身の部下というわけではない。にもかかわらず、自分の執務所においてまるで副官のように自分の執務を見ている。
見られているからといって作業が鈍るわけではないが、一人がりがりとやっている横で監視するように見つめられているのも中々に鬱陶しい話だ。
「皇女とその副官の青舜様からお前の補佐をするように言われたからだ」
光の問いに光雲は上司からの命をそのまま答えた。
「補佐?」
「お前はなかなかに無茶をするから、皇女も気になったのだろう。お前の副官としてつけと言われたんだ」
「…………」
訝しげに眉根を寄せた光に有無を言わさぬように畳みかけた。
白瑛の命ならば光は断らないだろう。光雲の予想は当たっていたのか光は睥睨したように光雲を見返した。
「なんだ皇女の判断に不服か?」
「いや……」
余計なものがついたと言わんばかりの表情なのは分かるが、白瑛が自分の身を案じての事だということが分かるだけに反論できないのだろう。そっぽを向いて手元の作業に戻ろうとした。
「ん? いや、俺の副官なのに、お前ほとんど俺の作業を手伝わないじゃないか」
だが、戻ろうとして、しかし先程から副官がぼうっと自分の作業を見ているだけなのに気がづいて不満を述べるように言った。
「俺が手を出すよりお前一人でやった方が何倍も早い。早く終われば、鍛練場に顔も出せるだろう?」
光の不満に、光雲はもっともらしく言葉を返した。
たしかに、光雲は武力一辺倒とまではいかないまでも、彼が光のやっている書類仕事をこなそうとすれば、その倍以上は時間がかかるだろう。
あまりに量が多すぎれば手伝わせるところだが、どうせ後は兵の鍛練関係の計画書と報告書だ。
彼が言うように早く終わらせて自分の鍛練に時間を当てたいところではある。
光は不承を顔に浮かべながらも書簡に眼を戻した。
光もちょっと休憩代わりに話しかけたに過ぎなかったのだろう。
だが……ふと、数日前に鍛練場で耳に挟んだ話を思い出し、窓から外を眺めてみた。数週間前から冷え込みが酷くなった寒空。
ただ、そんな気温にも負けず、帝都ではどこかにぎわいを見せていた。
戦乱が遠くに退き、迷宮攻略による財や交易などにより得られた財により帝都は活気に満ちていた。
どこぞの誰かたちの思惑はともかく、愚鈍と揶揄されることもある現皇帝も、そしてなによりも政務を取り仕切る紅炎や代官の紅明などは自国領内に於いては民にとっては善政を敷いている。
そして……
「…………よし」
光は手にしていた書簡を机に戻し、顔を上げて光雲を見た。
「今日はお前に、俺の副官につくということを教えてやろう」
「?」
首を傾げる光雲。
この後は鍛練だという予定は、遠く過去のものと決められたことを彼はこの数分後に知ることとなる。
同時に、和国において彼の幼馴染だったという副将の苦労もまた……
✡✡✡
城のとある一室。
質素な調度で仕立てられつつも、部屋の主らしい。慎ましく花の香りのする女性らしい部屋。
煌帝国第一皇女、練白瑛が執務を行っていた。
同室の机では副将である青舜が仕上がった書簡をまとめており、もう間もなく本日の必要な作業は終わろうとしていた。
さらさらと筆の音が流れる部屋に
こんこん
と、来室を告げる音が響いた。
特に来客の報せは受けていないが、白瑛と青舜は作業の手を止めて顔を上げ、互いに顔を見合わせた。
「はい?」
青舜が部屋の扉を軽く開け、来客の姿を確かめた。
「光殿。どうされたんですか? 姫様になにかご用が?」
「そろそろ白瑛殿の仕事が一心地つくころかと思ってな」
扉を開けたところに居た光に来訪の要件を尋ねる青舜。返ってきた答えに、青舜は確認するように室内の主に振り向いた。
「ええ。そうですね。少しお待ちいただけますか、これが片付いたら休憩にしようと思っていたころですから」
部屋の主、白瑛の仕事も折よく一段落つく頃合いだったのか、にこりと微笑を返した。
「ああ」
部屋の主のお言葉に甘えるように、光は室内に入り、しばしの間白瑛の流れる様な筆蹟を眺めていた。
淡々と残りの仕事を片付けていく白瑛と終わった書簡を纏めていく青舜。
…………
ほどなくして、白瑛はことりと筆をおいた。
主が「ふぅ」と息を吐くと同時に、青舜は仕上がった書簡を確認して出来上がった分とともに抱えてまとめた。
「お疲れさまです、姫様。執務はもう終わりですね。お茶をお持ちします」
青舜は休憩時間に入る白瑛のためと、二人きりの時間を創るためだろう、いつもの朗らかな表情を二人に向けて部屋を後にした。
室内に残された二人。
扉から出た青舜の足音が遠ざかり、それを確認したようなタイミングで光が白瑛に問いかけた。
「白瑛殿、今日はまだ何か予定があるのか?」
やはりというか、それが来訪の要件だったのだろう。光の問いかけを予想していた白瑛は机の上を片付けていた手を止めて光の方を向いて答えた。
「さしあたっての分は片付いたので鍛練に顔を出そうかと思っているのですが」
「よし」
白瑛の返答に満足そうに頷いた光。
時間があるようならば鍛練を申し出ようと思っていた白瑛は、光の悪戯をしようとしているような顔に小首を傾げた。
「白瑛。ちょっと出るぞ」
「はい?」
…………しばらくして
「姫様。光殿。今日は冷え込みますので温かいものを……姫様?」
頃合いを見計らって、温かい飲み物をもって部屋へと戻ってきた青舜が見たのはもぬけのからとなった室内と机の上に置かれたちょっとした言伝。
<ちょっとでかける。光、白瑛>
「………………」
こんな走り書きのような言伝一つで皇宮を抜け出す姫と王子に置いてきぼりをくらった青舜は目を点にした。
✡✡✡
「青舜に告げなくてよかったのでしょうか?」
「ちゃんと知らせる一筆は残しただろう。街中を見て回るのも仕事のようなものだ」
お忍び、にもなっていないいつも通りの格好で街を歩く白瑛と光。
比較的簡素な衣服ではあるが、異国風のため目立つ光と一見して身分の良さが分かる白瑛の衣裳は周囲の注目を引いていたが、二人ともそこには特に頓着していなかった。
光は街の様子をきょろきょろと見ているし、白瑛は幼馴染兼副官に無断で出てきたことを懸念しているようだ。
ちなみに同じように副官には無断で出てきている光はそちらにも気をかけていない。
「それに偶には二人で出かけるというのもいいだろう?」
「ふふ。それでは今日はそうしましょう」
もっとも、光にしろ白瑛にしろ、ただの王子や姫ではなく金属器使いであり、れっきとした武人でもある。殊に剣の腕に関しては並みの兵など足元にも及ばぬ実力なのであるから、護衛の必要は特に感じていないのだろう。
ここ数日では一番の冷え込みの中、二人連れ立って歩いているが、その街の中はいつもよりも賑やかな装いを見せていた。
「それにしても随分街が賑やかですね。たしか今日は……」
あたりから聞こえてくる囃子の音。
賑やかなそれは楽しげに街を湧き立たせており、白瑛もそちらに興味が湧いたように視線を動かした。
「祭りなのだろう? 鍛練場で兵たちが話していたのを思い出してな」
祭りの雰囲気にあてられてか、光の眼差しはいつも以上に優しげで愉しそうだ。
半歩ほど前を歩く光のその姿に、白瑛は光がいつか語ってくれた思い出を思い出し、在りし日を見た気がした。
――お祭り、ですか?――
――ああ。灯桜の祭りがあってな、融という友人と出かけたんだが……――
今のように前を歩く幼いころの光とその後ろを困り顔で、でもどこか嬉しそうについて行く幼馴染の男の子。
楽しげな思い出として語ってくれたあれも、きっと今のように悪戯心とちょっとした冒険心と、連れ立つ相手を楽しませようという思いだったのだろう。
くすりと笑う白瑛。
「どうした?」
「光殿が以前、幼馴染と祭りに行ったという話を思い出したのです」
「ま、その代りだな。春の祭りではなく、冬の祭りなのがなんだが」
白瑛の微笑ながらの言葉に、光はぽりぽりと頬を掻いた。
なんだか自分の心がその優しげな眼差しで見透かされているようで、少し気恥ずかしかったのだろう。
「このお祭りに来たのは……もう随分と久しぶりです」
「そうか……」
普段はあまり見せない光の子供っぽさを久しぶりに見た気がして、白瑛は連鎖するように懐かしさを思い出していた。
あの思い出を語ってくれた頃、冒険のようなお話を聞かせてくれた遠い過去。
大切なものを思い返すような白瑛の顔を光は見つめた。
「……かなり冷えるが寒さは大丈夫か、白瑛?」
「はい。ですが、青舜の淹れてくれたお茶を飲み損ねましたから、どこかで温かいものでもとりたい気分ですね」
「そうだな。よし、どこかの店に入るとするか」
にこりと微笑みながら答える白瑛に、光は苦笑して白瑛と連れ立って歩みを再開した。
戦いとは無関係に穏やかに過ぎていく日々。
皇光が守りたいと、彼女をそこに戻してやりたいと願った一日の物語。
✡✡✡
ほんのりと温かな時間を過ごした光と白瑛。
街の中では変わらず祭りの陽気な空気が漂っており
「ん? あれは……」
「どうされました? ……あれは、紅覇殿?」
そんな中、義弟である紅覇の姿を見かけて二人はそろって不思議そうな表情となった。
別に街中で紅覇を見かけた偶然がおかしなことではない。
兄弟姉妹の中でも、とりわけ美容とオシャレに気を使う部類の彼は、市井に御用達の店まであるくらいだから、ちょくちょくお忍びをしているのだろう。
不思議なのは彼の行動。
傾いて見えるほどに自己を表現する彼が、なぜか今はこそこそと何かから隠れるように物陰からどこかを見ている。
その横では同じようにして彼の従者である魔道士が“二人”、何やら頬を染めて紅覇と同じ方向を注視している。
「紅覇殿。このようなところでどうされたのですか?」
「ん? なんだ、白瑛に皇 光じゃん。何、逢引の途中?」
見て見ぬふりをしてもいいのだが、顔を見合わせた二人は紅覇へと近づいて白瑛が声をかけた。
誰かが近づいて来ているのは気配で察していたのだろう。だが、それが親族であることに声をかけられて気づいた紅覇は連れ立ってあるく許嫁同士の様子に尋ね返してきた。
「せっかくのお祭りですので。それで紅覇殿はなにを?」
あっけらかんとした紅覇の問いに、苦笑しながら光は再度尋ね直した。
するとちょっと気まずそうな様子で先程見ていた方向へとちらりと視線を向けた。どうやら先ほど問いかけに答えずに尋ね返したのもあまり答えたいことではなかったらしい。
「ちょっと家来の一人が人生の岐路に立っててねぇ。見守りに来たの」
「岐路?」
ただそれほど重要な隠し事というわけではないのか、溜息をついてから答えを告げた。
返ってきた答えに光と白瑛が首を傾げると、紅覇は促すように先程隠れ見ていた人物を指さした。
そこには真っ赤な顔をして緊張した面持ちの男性とやや小柄な女性がいた。
髪を両側で結び、胴回りには呪符のようなものが大量に貼られた包帯を巻いている仏頂面の女性。
どこかで見た覚えのある姿を思い出そうとしていると、紅覇の近くにいる二人の女性従者を見て思い出した。
紅覇の臣下である魔道士の女性。あの小柄な女性もその一人だ。
ただ男性の方はちょっと見覚えがなかった。遠巻きに見た雰囲気的に、今しがた出会ったばかりといった様子ではなさそうだが……
一緒になって様子をうかがっていた光と白瑛に紅覇が今度は男性の方をちょいちょいと指さした。
「あっちの男の方。そう、あいつが僕のとこに来てね~。仁々と婚約させてくれって言ってきたんだよ」
「は?」「婚約、ですか?」
仁々、というのはあの小柄な女性の名だろう。
紅覇の口から出てきた言葉に二人は少し驚きを見せた。
別に紅覇の家臣の恋愛事情に口を挟むつもりもないが、紅覇が家臣の恋愛事情に首をつっこもうとしているのが意外に感じたのだ。
ただ、それも無理からぬことなのかもしれない。
あの女性、そして今も紅覇の傍に控えている二人の女性は普通の魔導師ではない。
胴に巻かれた仰々しい符。他の二人にも同様に、それぞれ両手や頭部を隠すように覆われた符。
煌帝国の実験によって生み出された
「笑っちゃうよね~。仁々は僕の家来っていってもちゃんと一人の女なんだから。僕に言っても仕方ないのにねぇ」
貶したようなことを口にしながら、しぶしぶといった風を装いながらもここに来て、隠れるようにその家来を見守っていることが彼のことを表している。
そのことに光は呆れるでもなく、ただふっと微笑んだ。
練紅覇は皇帝の器ではない。
宮中の“日向”でそう囁かれているのは光も白瑛も聞いている。
正気を失った母君の影響で歪んでしまい、歪なものを集めることに執着する変わり種。幼少時より血を見ることを好む性格。
その配下にはおぞましく汚らわしい者どもばかりを選んでいる。
卑賤の仕事に携わり続けた一族の剣士、謀反を企てた武将の一族の戦士……そして、人工魔導士実験の失敗作。
日陰で生き続けてきた歪なモノばかりを寄せ集められた紅覇の家来。
日の下で生きる者たちには選ばれない。
だが、それでも彼は紛れもなく日陰に生きる人たちの王なのだ。
選ばれぬ者たちが頂く王。
あの紅炎ですら持ち得ない王の器。
それが練紅覇という男なのだ。
言動や振る舞いから狂皇子ととられることの多い紅覇だが、その心が狂気に染まっているわけではないのは彼の“家来”、そして彼の武を見ればよく分かる。
「それで。結果が気になってこっそり後を尾けている、ということですか」
「…………」
「あの方にもそう見えるほど、紅覇殿は彼女を大事にされておられるのですね」
光の言葉と白瑛の言葉。
二人の指摘に紅覇は無言の視線を返した。
揃いもそろって見透かしたように言ってくれる。
紅覇は面白くなさそうに口を尖らせた。ただ……反論する気にはなれなかった。
家来が大事だなんて彼にとっては至極当然のことだし、そんなのをムキになって否定してみせるのはいかにも子供っぽくて嫌だった。
似たような二人の、似たように温かな視線に紅覇は「はぁ」とため息をついて口を開いた。
「まぁ、あいつは僕の家来の中でもとりわけ頑張ってくれてる奴だからね~。……ああ、はいはい。純々、麗々。勿論お前たちもだよ」
言葉の途中で顔を真っ赤にして「紅覇様ぁ~」と抱き着いてきた純々と麗々をあやしながら優しく声をかけた。
普段共に連れている三人の女魔道士。
その中の一人があの仁々であり、それだけ大事な彼女が幸せを手に入れようとしているのだ。
実験の失敗だかなんだか知らないが、異形に変じた自らを醜い化け物と蔑んで宮中の影で泣いていたようなやつが、一人の女として見てくれる男と出逢えたのだ。
そこらの有象無象とは違う、誇れる強さを掴むための生き方をしてきた彼女が、強さとは別に幸せを掴もうとしているのだ。
その幸せを望まないなど、彼女たちの主がすべきことであろうはずがない。
紅覇は抱きついている二人をよしよしとあやしながら様子を見るように仁々と男性の方へと顔を向けた。
仲の良い、という以上に強固な思いで繋がれた主従だ。
その主である紅覇が見ているのと同じ景色を白瑛と光もちらりと見て、そこに嬉しそうな男性と無表情ながらもどこか頬を染めたように見える女性がいた。
これ以上邪魔をするのも無粋なように感じられて、二人はどちらからともなく離れようとした。
「おまえたちの結婚式も、戦地で適当に、とかじゃなくてちゃんと教えなよ~。盛大に祝うんだから」
そんな二人に、特に顔色を変えるでもなく、茶化した様子もなく、当然のことのように紅覇は告げた。
思ってもみなかった義弟の言葉に、白瑛と光は揃って顔を紅覇へと向けた。
びっくりしたような二人の顔を見て、紅覇は少し気分を害したように顔を顰めた。
「な~にぃ、その顔? 身内の幸せも祝えない男だと思われてたの、僕?」
「いえ、そういう訳ではないのですが……」
きょとんとした様子の二人に紅覇は心外そうに不満を言うと白瑛が少し慌てたように否定しようとした。
白瑛と紅覇は直接的には血の繋がりがない。無縁、ではないのだが、直接の血縁ではなく、義理の姉弟だ。
しかも元々は白瑛の方が上だった立場が故有って逆転してしまったようなものだ。
お互いにどこか遠慮のようなものを感じずにはいられない間柄。
だからだろう、無意識に結婚を祝われるとしても儀礼的な者にしかならないと漠然と予想していたし、そもそも光と白瑛のは恋愛というよりも政略結婚が発端だ。
当人や近しい者たちならともかく、あまり話していない第3皇子が盛大な祝い事とし扱おうとしていたとは思ってもみなかったというのが正直なところだ。
まあ国家間同士の政略結婚なのだから盛大な祝事になるのには違いないのだが……
「政略結婚、っていってもお互い好き合ってる同士なんでしょぉ? せっかくの良い縁なんだから大事にしなよ~」
紅覇の言葉に今度こそ二人は目を丸くした。
二人のことを直接祝おうという気持ちを示してくれた親族は、紅覇が初めてだったから。
初代皇帝のことがあってから、和国の王や兄王ですら国のことがあるために純粋には喜びを述べられなくなっていたし、家臣たちにしてもそれは同じだ。
そして煌帝国では紅徳帝も白瑛の母も、立場を慮ってか、それ以外の理由があるのか純粋な祝いの言葉を述べることはなかったし、姉への思いが強い白龍も心から祝福の言葉は述べてくれなかった。
そもそも二人の関係を思えば、国のことを無関係にした祝い事だなんて思えるはずがない。
それでも
――政略結婚、っていっても――
その言葉は、それ以上に大事なことがあると思っているからこそ出てくることができた言葉だ。
光と白瑛はお互いに顔を見合わせて微笑んだ。
「ありがとうございます。そうですね。それでは紅覇殿のご結婚の際も是非お招きください」
「はぁ~~??」
「こ、紅覇様がごご、ごけっこッッ!!?」
返礼のように返した光の言葉に紅覇は顔を歪めてがばっと振り返り、その隣では純々が奇声を上げた。
✡✡✡
紅覇と別れて再び二人で祭りを楽しんだ白瑛と光。
他人のものとはいえ婚約の話を聞いたこともあり、また紅覇の言葉もあって、さしもの二人もどこか気恥ずかしさを覚えはしたが、だからこそこの寒空の下にあって温かなモノを感じていた。
「さて……ん?」
次はどこを見て回ろうか。そう言おうとした光の鼻先にはらりと白いものが舞い落ちた。
空を見上げる光。同じように白瑛も空を見上げた。
はらりはらりと舞い降りてくる白き華。
瞬く間に溶けて消えいく淡き冬の精。
「冷え込むと思ったら雪、か……」
「ええ。そろそろ降り始める時期でしたが、本格的に降りそうですね」
少しずつ少しずつ、降る量を増していく雪を二人は見つめた。周りでは振ってくる雪に興奮した子供たちが駆けまわったり、目に見えて寒さを増していく季節感に困ったような大人たちもいた。
「天山高原は、帝都よりも寒いのだったな」
「はい。山岳部の方は天然の要害で、冬季は通行もままならないとのことです」
平地にある帝都に雪が降る。それならばもうじき赴くという天山ではさらに寒さが厳しく、肌を刺すものとなるだろう。
「そうか……雪中は厳しい行軍となるな」
和国でもその王都周りはあまり大量の雪は降らない。
だからあまり雪中での戦闘は得手とはいえない。特に寒さは触覚を鈍らせるため、それもあって光は少し顔を曇らせた。
「そう、ですね…………ただ」
どこか思うところがあるような白瑛の言葉に、光はついとそちらを向いた。
はらはらと舞い散る雪の中に立つ白の公主。溶けてしまいそうなほどのその白は、しかし凛として咲き誇るように佇み、淡く溶かすような微笑を光へと向けていた。
「今この時。貴方と見る雪はどこか特別なもののような気がして、私は好ましいと思いますよ」
その言葉に、そこに込められた思いを感じ取った気がした。
しんしんと降る雪の向こう側に、愛しく思う白の宝玉を見た。
「今日、貴方と見られたこの雪の景色の思い出は、きっと忘れないと私は思います」
黒い髪に、抱えたいほどに細い肩に、降りていく粉雪。
吐く息は白く、向けられる眼差しは優しい光をたたえている。
「そうだな。例え消えるものだとしても、思い出は消えない、か……」
少しずつ、少しずつ積もっていく大切な思い出
少しずつ、少しずつ散り溶けていく花
あと何度、こうして二人の思い出を胸に刻みつけられるだろう。
あと何度、この愛しい人に触れられるだろう。
雪になれば、愛しいあの人の肩に止まれるのにと願う歌があった……
けれど、その雪は決して消えることを望みはしないだろう。
こうして触れ合えるところに居る。
その手の中で、淡く消えることを望むことなどできるはずがない。