煌きは白く   作:バルボロッサ

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第26話

 それは後になってみれば動乱の激化を告げる号令だったのかもしれない。

 

 ――煌帝国2代皇帝、練紅徳 崩御――

 

 征西の最中に世界に広まった凶報。それは様々な国、組織の思惑をより深く絡ませた。

 

 

 訃報から一月後。

 東大陸に散らばる皇女、皇子は一路帝都への帰還の途についていた。

 

「征西軍北方兵団、練白瑛将軍。間もなく帰還!」

 

 比較的近くの国へと嫁いでいた皇女やシンドリアへの留学から一足早く帰国していた紅玉、留守を任されていた紅明を除いて、将として出払っていた中で最も早く帰還したのは北天山の西端にあった白瑛たちだった。

 

 帝都近郊に生粋の煌帝国国民ではない多数の騎馬隊が出現し、帝都の民は俄かにざわめき立った。

 

「なんだ、この蛮族共は……」

 

 特に大帝国となって帝都から出ずに宮中のみで生活している文官たちは武装した黄牙の民の姿に恐々とした眼差しを向けてひそひそと侮蔑の言葉を呟いていた。

 

 全ての民を纏め上げるという理念。

 だが、白瑛の父が思い、彼女が引き継ぎ、紅炎が為そうとしているその理念は煌帝国の全ての人間に統一されているとは言い難い。

 生まれながらに煌帝国民である者たちはその誇りからか黄牙の民を、ひいてはそれを率いる白瑛や光に蔑んだ視線を投げかけていた。

 そんな只中を歩んでいた白瑛は、驚いた様子で駆け寄ってくる義兄の姿を認めた。

 

「白瑛殿! あまりに早い期間に皆驚いていますよ。それにその者たちは一体?」

 

 第2皇子、練紅明が金属器である黒い羽扇を持ち、眷属である従者を引き連れながら白瑛を出迎えた。

 帰還が遅れていた皇族は白瑛を入れて4人。その中で天山高原という要所に阻まれている白瑛がもっとも早くに帰参できるとは思っていなかったのだろう。白瑛の引き連れる武装兵たちの姿に紅明も驚いたように尋ねた。

 

「はい。彼らは黄牙の騎馬兵……私に力を預けて下さる。私の眷属です」

「これだけの数の眷属器使い!?」

 

 白瑛の答えに紅明は目を丸くした。

 光も驚いたことだが、通常の眷属の数を圧倒的に上回る白瑛の眷属部隊には軍師・紅明も驚きを隠せないのだろう。

 

「私のパイモンは女性のジンだからでしょうか、どうやら多産型のジンだったようで。彼らの力もあって、私は今日まで戦ってこられました」

「すばらしい。白瑛殿は眷属の数と戦力なら煌帝国随一ですね!」

 

 従妹の成果に紅明は隠す事無く笑みを浮かべて賛辞の言葉を述べた。

 その後ろでは紅明の眷属が渋い顔をしているのは、彼女が政治的に見れば内部の敵に相当する可能性もあるからだろう。

 だが、紅明にとっては白瑛はかつては自分よりも位階が高く、美しく聡明で勇敢な身内だ。今でこそ立場は逆転してしまったが、昔抱いた憧れにも似た思いはそう簡単には覆せないのだろう。

 煌帝国の軍師としても、身内(・・)の戦力増強は喜ばしいことだ。

 

「皇殿も壮健なようで。それに半年前、弟君も旗下に加わったとか?」

 

 紅明はもう一人の金属器使いである白瑛の守護者もまた変わらぬことを見て声をかけ、光はそれに一礼して応えた。

 だが付け加えるように言われた言葉に白瑛は顔を曇らせた。

 

「! ……はい。白龍も、じきに到着します……」

「? どうされました……?」

 

 白瑛の顔が沈鬱な表情になったことに紅明は訝しげな表情となり、もの問いたげにちらりと光を見た。だが視線の先の光も憮然とした表情をとっており、答えを得ることはできそうにない。

 ますます訝しむ紅明の背後で眷属がピクリと何かを感じ取って外壁の外を見た。

 

「紅明様。あれを……」

「なんだ……?」

 

 主に呼びかけ、眷属の指さす方向を眺めた紅明は、視線の先の空が何か黒いもので覆われているのを見た。

 

「なんだ!? この化け物共は!?」

 

 驚きの声を上げる紅明。あたりでは黄牙の騎馬隊を目にした時以上に文官や兵たちに動揺が走っており、半ば恐慌状態にもなっている。

 

 煌帝国では迷宮生物を戦争に用いることもある。その多くはたしかに化け物といってもいい姿をしているのだが、紅明の前に現れたそれらは、迷宮生物ともまた違う異形を為していた。

 頭上を覆い尽くす怪物たち。

 その姿が、紫色の輝きを一瞬放ち掻き消える。

 その中から飛び降りるように一人の男が紅明の前に降り立った。

 

 左の腕に異形を宿し、周囲に怪物たちを従える男。

 白瑛や光と同じく黒髪を持ちながらも、その瞳はこの世界を憎むかのように憎悪を宿している。

 その姿に白瑛は痛みを堪えるような表情となりながらも口を開いた。

 

「アレは白龍の眷属です……といっても、ザガンの能力でしもべにした生物たちにすぎないそうですが……」

 

 白瑛の説明に、紅明は黒羽扇で口元を隠し、先程までとはまるで別人のように瞳を険しくしていた。

 

 白瑛たちがわずかな期間で天山越えを為すことができた理由。

 それは黄牙の騎馬の力に加えて、それが活かせない山岳部においてはザガンのしもべたちの飛翔能力を使ったためだ。

 

 ザガンの力は、それを操る白龍の力はたしかに凄まじかった。

 長々と抵抗を続けていた北方の異民族たちが、たったの3日で白龍一人の前に次々と屈服していった。

 

 ただし、そのやりようは白瑛のそれとは対照的とも言えた。

 まずは交渉ありきで、叶わない場合は敵味方の損害を少なくしつつも、人の力で戦おうとした白瑛。

 それに対して白龍は、全てを力でねじ伏せた。金属器という超常の力で、味方の力を必要ともせずに、ただ独り、逆らう者たちを容赦なく殲滅していったのだ。

 白龍の、ザガンの通った跡は戦場というよりももはや虐殺の跡地となるほどに陰惨なものだった。

 

 かつての白龍は心優しい少年だった。

 武芸を嫌い、痛みを厭う、よく泣く少年だった。

 だが知らぬ間に変わってしまっていたのだ。

 

 まるで心をどこかに置き忘れていたかの如くに、冷たい瞳を白瑛にすら向けるほどに。

 

 ――俺たちにはこれから、もっと力が必要になるんです。今はただ、俺に従ってください――

 

 白龍のやり方を咎めようとした白瑛に、彼は血に塗れた顔に冷酷な視線を向けてそう告げた。

 

「征西軍総督閣下! 練紅炎殿! ご帰還!!」

 

 違えてしまったなにかを思い悩む白瑛は物見の告げる総督帰還の報せにビクリと身を震わせた。

 

 居並ぶ武官文官が列を作り、出征から帰還した総督、練紅炎を出向かた。

 その威風が見えた瞬間、先ほどまで白瑛たちに蔑みの視線を向けていた者たちが一斉に膝をつき、首を垂れて拱手を掲げた。

 出迎えの任にあたる紅明は兄王へと近寄り、白瑛と光は部下に指示しながら自分たちも膝をついて礼の形をとった。

 

 だが

 

「! 白龍!!」

 

 隣に“立つ”白龍が膝をつくことも礼に則り拱手することもなく、双頭の槍を手にしたまま紅炎を睨みつけていることに気づき白瑛はざっと顔を青ざめて叱責の声を上げた。

 

 本来膝をつく必要のない光ですら白瑛の立場を鑑みて膝を屈しているのに、その弟である白龍がまるで対立するかのように立ちはだかる姿はまるでこれから起こる対決を暗示するかのようでもあった。

 その姿に紅炎の派閥である諸官が無礼な。と声を上げるがそれに構わず紅炎は白龍の横まで堂々と歩き、ふっと笑いかけた。

 

「片腕を失くしながらも迷宮を攻略したと聞いた……よくやった」

 

 軽く肩に触れるように置かれた手。

 何事もなかったとはいえ第4皇子のあまりな振る舞いにざわめきが起こるが、それに構わず紅炎と紅明は喪の段取りを軽く話しながら歩み去って行った。

 紅炎から叱責がなかったことに白瑛はほっと息を吐くが、光は別の方向から向けられている視線を感じてそれを追うように視線を空へと流した。

 

「光殿?」

 

 光の意識がここから別のところに向いたことを察した白瑛がうかがうように声をかけ、光はそちらから視線を戻した。

 

「嫌な、気が流れているな……」

 

 万魔巣食う伏魔殿の屋根の上から、魔道の頂に立つ男がこれから起こる愉しい出来事を期待するように見守っていた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 結局、その日のうちに参殿するのに皇子の中で第3皇子でありマグノシュタットへと赴いていた紅覇だけ帰還が間に合わず、葬儀の式典は明日執り行うこととなった。

 昼間の件でやはり思うところがあったのか、白瑛と白龍は紅炎からの呼び出しを受けて彼の居所へと赴いており、光は光雲やドルジたちとともに待機していた。

 

「実際、皇帝の崩御というものの影響はどうなんだ?」

「まあ名だたる大国の皇帝の死だ。世界の引き金になるのは間違いないだろう」

 

 出来うるのならば光雲やドルジたちは宮中の政争になど加わりたくはない。だが、それでも彼らの直属の主が皇位継承権を有する第1皇女であるからにはその情報をある程度は知っておく必要がある。

 光雲の問いに現在の、混沌深まりつつある世情を鑑みて光は答えた。

 

「跡継ぎ問題か?」

 

 皇帝 練紅徳には世継ぎが多い。3人の実子、そして1人の養子の皇子。そして多くの皇女。継承権問題で揉める要素はなくはない。

 

「いや。それはあまり問題ではないだろう」

「そうなのか?」

「おそらく次の皇帝は紅炎殿で決まりだ」

 

 あっさりと、光は自らの姫である白瑛には芽がないと告げた。

 

「征西軍の総督。第1皇子か? 皇帝になれば征西が中断するのではないか?」

「紅炎殿なら親征することも可能だろうし名代を置くにしても紅明殿、紅覇殿と将には困らんだろう」

 

 光にしろ白瑛にしろ、そういった権力欲があるとは思ってはいなかったが、こうもあっさり言われると呆気にとられる。光雲は思っている疑問をこの際口にして尋ねた。

 練紅炎は優秀な男だ。

 王の器としても将としても非常に優れている。その総督が皇帝の座に就くということは現在の任である征西を中座するということにもつながりかねない。だが、そのような心配は無用というものだろう。

 紅炎は一人で戦おうとしているわけではない。国内の勢力を出来うる限り己が物にして、それを力に変えて進んでいける男だ。

 

「その第2皇子や第3皇子は?」

「その二人をはじめ、宮中の勢力もほぼ紅炎殿の派閥だ。能力的にも紅炎殿を押しのけてまで他の皇子をたてることはないだろう」

 

 兄弟が多いと言うのは、政争においてはデメリットとして働くことがままある。権力争いに祭り上げられ、互いが互いを蹴落として国力を落とす。

 そのようなことは実際、煌が滅ぼしたかつての小国においても見られたことだ。

 だが紅炎に関してはその心配はしてはいない。

 彼の実弟である紅明はじめ、紅覇やほかの有力な将軍たちは皆、彼を王として見なしているのだから。そしてそれは白瑛も同様であり、光にとっても彼は王として、兄として信頼に足る人物だとみていた。

 

 だが

 

「白龍皇子もか?」

 

 続けられた問いかけに光は言葉を詰まらせた。

 

 小国を帝国にまで押し上げた偉大な白徳皇帝の血を受けるただ一人の男子にして、白瑛とただ一人血を分けた実弟。

 その彼の見る先に、皇帝国の玉座があることは光はもとより紅炎もとっくに承知のことだろう。

 

「白龍は……可能性は0ではないだろうが、皇帝が推しているだろう理由には乏しいし、宮中にも盛り立てようとする勢力はほとんどいないだろう」

 

 確かに初代皇帝の唯一の直系という血筋はあるが、その初代皇帝の派閥はすでに瓦解。後ろ盾はなく、白龍自身政治力には乏しいのも大きい。

 なによりも世界統一を見据えて道を進む紅炎の器は白龍とは比べ物にならないほどだろう。

 

 紅炎以外が皇帝になる芽はない。

 そのはずだ。理屈ではそう分かっている。

 だが帝都に漂う不穏な気配は、なにか不安を掻き立てるように光の心に細波を立たせていた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 その日、煌帝国帝都禁城では大々的な葬儀が開かれていた。

 三国を統一した兄の意思を引き継ぎ、西へ西へと版図を広げていた練紅徳皇帝陛下。その葬儀だった。

 死因は病死だったらしく、生前より後継者に関して遺言を残していたらしく今頃宮中では葬儀とともに遺言の開状、そして皇位の引継ぎが行われていることだろう。

 皇后である練玉艶を実母にもち、先代皇帝の子として、また養子とはいえ現在も皇位継承権を保持する白瑛や白龍、そして昔からの煌帝国の家臣の家系である青舜などは葬儀に参加しているが、元賊軍である光雲や異民族出身の黄牙の者たち、そして他国の王子である光も葬儀には参加できずに外で控えていた。

 もっとも兵卒である光雲たちとは異なり、軍内でも立場のある光は葬儀場にこそ入れなかったものの宮中の一角に控えることは許されていた。

 

 屋外を見晴るかせる廊下のただ中で、世界の行く末を見つめるようにしていた光は不意に感じた気配に向けて言葉をかけた。

 

「話すのは2度目ですね…………マギよ」

 

 荒れ模様の曇天の空の下、煌帝国の民族衣装とは異なる衣装。そして喪中とは思えないほどに礼のない軽装。彼の天敵たるマギ・ジュダルが降り立った。

 

「相変わらず勘だけは鋭いみてーだな、木偶人形」

 

 常よりも敬意を払う光の言葉にジュダルはくっくっと笑いながら言い捨てた。

 

 木偶人形

 マギである彼が光のことをそう呼び捨てる理由が、彼には分かっていた。

 

「愛しの白瑛の傍に居なくてもいいのかよ?」

「生憎と外様なもので。むしろ貴方こそ皇帝陛下の葬儀に参列しなくてもよろしいのですか? 次代皇帝が決まる場に神官不在は都合が悪いのでは?」

 

 にやにやとしながら投げかけられた揶揄の言葉に光はさっくりと返した。

 神官の中でも別格の地位にあるというマギ。その存在は煌帝国にとってなくてはならないものであるからして、皇帝の気紛れな寵ひとつで揺らぐようなものではないだろう。

 だが、彼は神官という肩書とは別に、紅炎たち煌帝国の金属器使いの導き手でもあるのだ。次の皇帝である紅炎の傍に侍るのはむしろ当然の事だろう。

 

「次の皇帝、か……知ってるか? 煌帝国はシンドリアと戦争をする。世界中を巻き込んだ大戦争だ!」

 

 光の問いかけにジュダルは鼻で笑うようにして流し、楽しそうに煌帝国の行く道を、世界の混乱への道を指し示した。

 ジュダルの言葉に光の瞳に険が宿る。

 

 ジュダルがシンドリア ――シンドバッドに宣戦布告した。

 その報せは天山高原に居る時にすでに受けていた。

 白龍がザガン攻略に赴いている間に、煌帝国を抜け出していたジュダルはシンドリアの結界を破壊、組織と動きを同じくしてその領内へと乗り込んだらしい。

 しかも多勢に囲まれ、覇王シンドバッドを前にしながら堂々と「シンドリアを滅ぼす」宣言。

 その報告を聞いた紅炎は笑いながらジュダルの行動を認めたとのことだ。

 

 だが 

 

「そうかもしれませんね。炎帝(・・)殿は戦争好きだ。……ですが、俺は兄としての紅炎(・・)殿を信じている。彼が帝位につけば俺の目的は叶うだろう」

 

 戦好きの炎帝。

 紅炎のその評はおそらく正しい。

 大きな志のためにはどのようなことでもしてみせる。それは正しいとは言えないかもしれない。

 だが、それでも練 紅炎という男は、家族を、弟妹たちを信じようとする男だ。

 

 練 紅炎が為政者となれば、絶対に白瑛に惨劇をもたらすことはない。

 それだけは信じられた。

 

「はっ。あの女を守る、か」

 

 やはりと言うべきか。

 この男には視えている。

 

 皇 光がガミジンに託した想いを。

 

 “何に変えても練 白瑛を守る”

 

 その意味を。

 

「いいこと教えてやるぜ木偶人形。次の皇帝は紅炎じゃねえ」

「なに?」

 

 分かっていながら、ジュダルは愉悦の表情を浮かべて告げた。

 

「次の皇帝は―――――」

 

 この世界がさらなる混迷へと向かおうとしていることを。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 宮中にて、葬儀の最中に開示された紅徳帝の遺言。

 誰もが紅炎こそが次の皇帝だと信じて疑わなかった結末は、神官の口によって悪夢のように否定された。

 

「煌帝国、第三代皇帝は……練玉艶。並びに帝国『神官』一同、是を輔けよ。国事を委す」

 

「はぁぁ!?」「なっ!!?」

 

 ざわつく文武百官。兄王を支えんとしてきた紅覇や白瑛も驚愕に表情を一変させた。

 中でも紅炎に忠義を尽くす4人の眷属は今にも玉艶に襲い掛からんばかりに殺気立ち、前へと進み出た。

 

「やむを得ぬ措置なのです。本来、皇位を継ぐべきは紅炎……しかし。彼は今、征西軍大総督という大任を拝命する見。これを解くは陛下の志しを半ばで踏みにじる愚行。ゆえに、この私が。大陸平定までの間、臨時皇帝の座につくのです」

 

 納得のいかぬ家来(・・)に言い聞かせるように、滔々と理と意志をもってこの顛末を説明する玉艶。

 

「これが、陛下のご意志です」

 

「ほざくな、女狐」

 

 涙を滴らせ、さも悲しげに告げる新皇帝(・・・)の言葉に紅炎の忠臣ともいえる眷属、大柄の武人である楽禁が憤怒の表情を見せて身を乗り出した。

 強大な力を持つ眷属。

 それだけではなく、紅明、紅覇といった金属器使いの皇子たちもすでに戦意を滾らせており、紅炎を盛り立てている家臣団と不気味に統一された神官たちとの対立の構図は最早決定的だ。

 

 このままでは紅炎を推したててきた派閥と神官たちとの派閥で宮中が割れる。

 それは大乱の幕開けともなりかねない、絶対に防がねばならない事態だ。

 

「は、母上! どうかご再考を! 陛下のご意志とはいえ、これでは――」

 

 血の繋がった自分ならあるいは、と白瑛は対立の只中に身を割りこませ膝をついて母である玉艶を仰ぎ見た。

 自分と血を同じくし、天華の統一という志を抱いた父の伴侶であった母であればきっと。

 焦燥を覚えながら口にしようとした諫言は、スッと身を割りこませた白龍に遮られた。

 

 白瑛と同じく、母の血を分けたただ一人の実弟。

 思いを同じくしてくれていると無条件に信じているその弟は

 

「皇太后陛下!」

 

 白瑛と同じく膝をつき拱手して声を上げた。

 だが

 

「玉座にお着きください。あなたの他にはおりませぬ!」

「なっ……!!?」

 

 紡がれた言葉は白瑛の、皆の思いを裏切るものだった。

 驚愕に目を見開き振り返る白瑛や紅覇。

 

 対立の構図とは言え拮抗していた宮中は、白龍の言葉で大勢を決した。

 

  ――玉座にお着きください。皇太后陛下!!――

 

 賛美するように唱えられるその言葉は、この場における、いや世界の流れを決定づけようとするものだった。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「な、に…………」

 

 目の前の男は、明らかに組織と関わりを持つマギだ。

 運命を呪った存在。

 その口から語られた言葉に、光は言葉を失った。

 

 世界の流れが、想定していたものよりもずっと悪い方へと向かおうとしている。

 

 紅炎ならばそれを止められるはずだった。

 やり方はともかく、紅炎は間違いなく、その流れを止めるべく戦おうとしている王なのだ。

 そんな彼だから、王としての器を持ちながらも、白瑛たち弟妹たちを大切に想ってくれる彼だからこそ、任せられると思っていた。

 

 残りわずかな時間。

 それを使ってでも、白瑛の運命を、過酷だった運命が安定へと向かうことを夢見たのだ。

 

 だが

 

 立ったのは紅炎ではない。

 

 世界の流れはより混沌へと向かう。

 白瑛の戦いはより苛烈なものへとなっていく。

 

「それに。どうやらもう一つ、運命が狂う(・・・・・)みたいだぜ」

「!!」

 

 ニヤリと嗤う呪いの子。

 その顔が告げていた。

 

 ――お前も堕ちてしまえと

 

 光は、自分の存在意義(・・・・)に何か亀裂のようなモノが奔ったのを感じ取り、バッと虚空に振り向いた。

 

 背後には隙を見せてはいけない天敵。

 だが、光はそちらを一顧だにすることなく駆けだした。

 

「楽しみだぜ。器の割れた、残り少ない木偶人形がどこまで運命に抗えるかがな」

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 分からない。

 

 なぜこうなってしまったのか。

 

 いや、きっとあの時。父が亡くなり、兄たちが逝ってしまったあの時から、芽吹いていたのだろう。

 自分はそれに気付かなかったのだ。

 その笑顔に騙されて。なんでもないという言葉に目を曇らせ。

 

 ――父上と兄上たちを殺したのは母上です――

 

 “なにか”がおかしいことは白瑛とて察していた。

 急激に乱立する迷宮。

 煌帝国が戦に乗り出す前から世界中で蔓延する憎悪と混乱の嵐。

 

 父から義父へ。そして義兄である紅炎にまで媚び寄ろうとする母の変貌。

 加えて先程の皇太后陛下就任という誰一人として予想だにしなかった波乱。

 

 母のなにかが変わってしまっていたことは分かっていた。

 

 ――その背後にいる神官集団こそ、この国を操る“アル・サーメン”――

 

 そして今、急激に変わってしまった白龍の、その憎悪に満ちた瞳。

 

 ――奴らを滅ぼす。俺と姉上で。そして正常な国を取り戻す……!!! そのためだけに、俺は今日まで生きてきました!!――

 

 かつて父は語った。

 分裂され、争い、滅びようとしていた天華の民を救うため、三国の統一を、と。

 

 そして昨日、義兄は語った。

 分断され、争いの末に死に絶えぬように、世界を一つにする。

 そのためには一人の王が、世界を統べねばならない。この志が正しいかはまだ分からないが、それでも、世界の謎を解き明かし、おまえたちを「ただ一つの世界」の高みへと連れていきたい。

 そのために力を貸して欲しい、と。

 

 それを聞いていたはずだ。

 その言葉を理解したはずだ。

 世界を見て、戦場を見て、父と兄を失って、争いの続く世界の悲しみを知ったはずだ。

 

 なのに

 

 ――あいつのきれいごとは矛盾してますよ。あいつのやってることは結局、力による他国の侵略じゃあないですか――

 

 なぜそのようなことを言うの。

 

 ――姉上だって、黄牙の村を力づくで占領したじゃないですか!!――

 

 言葉が刃となって突き刺さった。

 ずっと同じ方向を向いていると思っていたのに、あの子は私たちと同じ方向など見てはいなかった。

 争うことだけではない、志という思いで道を束ねる。

 そうやって戦ってきたはずだったのに、身近にいてくれるはずの肉親からそれを否定されたくはなかった。

 

 —―恨みは消えない!! 恨んだ相手は、消すしかないんです!!――

 

 なぜそんな目をしているの。

 一体いつから、自分はこの弟の姿を勘違いしてしまっていたのか。

 

 

「白瑛!!!」

 

 悔恨と悲しみと怒りと嘆き。様々な感情が入り乱れてぐちゃぐちゃになっていた白瑛の耳に、切羽詰ったような声が届いた。

 俯いていた顔を上げて前を見るとこちらを心配するような顔で見ている光の姿があった。

 

「なにが、あった?」

 

 どこかに急いでいたのだろうか、その息は乱れており、しかしただ一心に白瑛のことだけを見ていた。

 

「光殿……私、私は……」 

 

 揺れ動いていた心が、その声に反応するかのように決壊した。

 

「白瑛?」

 

 とすん、と近づいてきた光の胸元に顔を隠して身を寄せる白瑛。

 今までに一度しか見たことがないほどに、細く折れてしまいそうな白瑛のその姿に光は伺うように声をかけた。

 

 泣く顔は見せたくはない。

 いつだって凛とありつづけたい。

 それは武人としての生き方を選んだ自分の矜持でもあるし、ただ一つ残った女としての矜持。

 この人の好いてくれる、この人と同じようにまっすぐな自分でいたいから。

 

 だが、それを貫くにはあまりにもいろいろなことが一度に起こりすぎた。

 

 政局的な混乱。

 今まで自分に隠されてきた真実。

 憎悪に歪んだ実弟。

 

 痛いほどにまっすぐだと評されたそのありようが、今はただただ痛々しいほどにキズをつくろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 不安があるのだ。

 

 唯一つ。

 絶対に信じられると思っているこの温もりですら――

 

 

 ――本当はまやかしではないかという…………

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 黒い闇の中、紫弁の花を散らせる桜の大樹が佇んでいる。

 

 ――どうすればいいのか。

 残された時間はあまりにも少ない――

 

 桜の花弁はとうに満開を過ぎ去り、今はもう半分近くまでその花を散らせている。

 

 ――おそらくあと数回。

 それがこの器に満たした願いの残量――

 

 

 

 ずっと見ていたいと願った。あの真っ直ぐな姫の隣で、彼女の笑顔を。

 

 みんなが笑い合う世界で。

 花のような笑顔を向けてくれて語り合う。

 いつか盛りが過ぎ去って、次の子らに世代が渡り、変わっていく世界の中で一緒にそれを見続けたかった。

 

 穏やかなあの時にはもう戻れない。

 花樹は荒れ狂う嵐の中へと放り出されてしまったのだから。

 

 どんなに無様でもいい。どんな形でもいい。

 ただ、いつか折れてしまいそうなほどに、それでも凛と咲き誇ろうとするあの華を護りたかった。

 

 最期まで守りきることももう難しいかもしれない。

 それでも……まだ…………

 

 散り行く花の最後の一欠けらまで足掻き続けてみせる。

 

 

 




ここまで読んでいただきありがとうございます。

今回は原作の描写が多めなのとかあって、色々と反応が怖いです。
マギの世界観的に暗くなるのは仕方ないのかもしれませんが、原作のあの絶妙に挟まれるコメディーパートがすごく難しいことを最近痛感しております。

 というわけで、次回、ペース調整も兼ねて番外編となります。
 重めの話から一転、本編とは“ほぼ”かかわりのない所でのラブコメパートです。本当はマギペーパーみたいなのも予定していたのですが、中々上手くまとまらなかったため、別の主人公、ヒロインの物語になります。
 本編主人公の皇光とは全く異なる主人公です。
 ヒロインは最近、私の中で株価高騰中のあの人。女子力(物理)の高い赤髪のあの子!
 おバカな感じのストーリーを考えております。

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