煌きは白く   作:バルボロッサ

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第20話

 星の輝く夜空が白み始めた払暁。

 煌帝国西征軍北方兵団の駐屯地の一角は俄かに騒ぎ始めていた。

 

「なに!? 我が隊の者が襲われた!?」

 

 待機状態となっていた呂斎のもとに、伝令が来たのだ。その内容は、呂斎指揮下の千人隊の者が何者かに襲撃を受けたということなのだ。

 

「はっ。なんとか陣までたどり着いた者に、練将軍が襲撃の状況を尋ねておられます」

「この状況での襲撃……ふん、なるほど黄牙の者どもか。所詮野蛮な異民族。話し合いなど無意味なのだ!」

 

 伝令の言葉に呂斎はバンッッ! と強く机を叩き激した声で怒鳴り、“予期していた通りの事態”に、呂斎は内心の笑みを怒りの形相で隠した。

 

「将軍より、千人長はすぐに幕舎にとのことです」

「ふんっ。お優しい白瑛将軍も今度のことで目を覚まされたことだろう」

 

 千人長、という呼称にピクリと苛立ったように反応した呂斎だが、すぐにそれを隠して立ち上がった。

 戦争を嫌う将軍に対する侮りを口にしながら、呂斎の顔には隠しきれない笑みが、ほくそ笑むようにこぼれ出ていた。

 

 

 将軍の幕舎に向かいながら、呂斎は次の絵図面を思い描いていた。

 聖者ぶった世間知らずの姫将軍が交渉というものの汚さを味わってどう動くか。蛮族の行いに憤り、戦争の口火を切るか。それとも何かの間違いと信じ、交渉を継続するなどという戯言を口にするか……

 

 いずれにしてもお楽しみの時はすぐ間近まで迫っていた。

 例えあの甘ちゃんが戦争を拒もうとも、もはや放たれた矢が戻ることはない。

 

 もうすぐ見られるのだ。

 口では戦が嫌いだとぬかす馬鹿共が、怒り狂い、醜い本性をむき出しにして殺し合う、大好きな戦争が。

 

 

 あともう僅かの命である仮初の将軍の幕舎へと到着した呂斎は、周りの共の者に幾つか指示を出し、表情を常の仮面に切り替えて幕舎へと入った。

 

 どのように転び、醜い争いを演じるのか、その内心を隠していた呂斎は幕舎の中の光景に目を見開いた。

 軍の者が襲撃を受けたのならば、当然地形図が机の前に広げられ、戦端をどのように展開するのかを決めているはずだ。少なくともその準備はなされている筈だ。だが、呂斎の目の前には、縛られた数人の兵士と冷徹な瞳を向ける和国の特使。そして厳しい顔をしている将軍だった。

 

「なっ! 皇殿! これはなんだ!!?」

 

 驚きの声を上げる呂斎に、光は射る様な視線を向けた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「さて、主だった者が揃ったところで、詮議を始めてもよろしいか、白瑛将軍?」

 

 呂斎の入室に、光は口を開いて白瑛に問いかけた、白瑛は瞳を閉じてこくりと頷いた。

 

「詮議!? なんの真似だ、これは!!?」

 

 自分の知らないところで何かが致命的に食い違ってしまった。それを察した呂斎が慌てて声を上げて事態について尋ねた。

 ここには軍議、もしくは黄牙の者たちの対処について話すために来たのだ。だが、これではまるで身内の者の処罰を行う軍法会議のようではないか。

 ざっと顔を蒼ざめさせた呂斎に光が答えた。

 

「つい先ほど、和平交渉中の黄牙の村に独断で襲撃をかけた不届き者を捕えた。奴隷商人と通じ、煌皇帝の威を汚した愚か者どもだ」

「っっ!!」

 

 光は腰に帯びた刀をすらりと抜くと、微かに怒気の込められた声とともに拘束している兵士、そして商人らしい一般人に刀を突きつけた。

 光の中にあるのは紛れもなく怒りの感情だった。

 それは黄牙の民を奴隷にしようとしたという倫理的なものゆえではなく、ただ白瑛の理想とするものを汚そうとしたことだ。

 

「さて、それでは改めて尋ねよう。誰の命で奴隷狩りを行った」

「ひっ! わ、わしは知らん!! わしは取引を持ちかけられただけだ!」

 

 皇光という男は善者でもなければ、賢人・聖者でもない。その手を血で濡らしてきた武人だ。幾人もの人の血を吸ってきた死神の刃。光の持つ刀を突きつけられ、そして冷酷に見下ろす光の視線を受けて、一介の商人がそれのもたらす恐怖を抑えることなどできようはずもない。

 目の前の刀の鋭さに商人の男は、命乞いするように口を開いた。

 自分ではない。自分はただ商売を持ち掛けられただけだ。

 無論扱おうとしていたのが奴隷というモノであるのだから、幾ばくかの後ろめたさはあるのだろうが、ただ今は自らの命の方が大事だった。

 喚くように助命を乞う男。光は冷たい眼差しのまま、追及の矛先を同じく拘束されている兵士に向けた。

 

「では、襲撃をかけたのはお前らの独断か?」

「…………」

 

 光の詰問を受けた兵は額から大量の汗を流しながら、上目づかいに視線を向けた。

 その先にはぎしりと歯を噛み威しかけるような呂斎の姿があり、その視線を受けては歯に扉を立てるしかなかった。

 

「独断ではない、か。この期に及んで口を閉ざすとは、愚か者ではあっても、ただの不忠者ではないか」

 

 首を刎ねるのは容易い。だが、流石にこの場で彼らを処断する権限は光にはない。嫌な役目を負わせるようではあるが、それでも光は責務として白瑛へと視線を向けた。

 視線を受けた白瑛は、瞳を閉じ、俯かせていた顔を上げた。

 

「黄牙の民との交渉は本国から与えられた任務です。それを私掠をもって蔑にし、皇国の名を汚した罪は重い。口を閉ざすのなら、逆賊として死をもって償うこととなる」

 

 慈愛の心を持つ白瑛。

 だがその在り様は紛れもなく上に立つ者。なによりも志と誇りがあるからこそ、奴隷狩りによって未来の煌帝国の民を苦しめた罪は許しがたい。

 揺れることなく冷徹に告げるその言葉に兵の顔がザッと青ざめた。

 

 戦に踏み切ることもできない甘ちゃんのお姫様。

 賊ですら処断することなく抱え込んだお人好し。

 

 だが今、処断を決めた“将軍”の瞳は、紛れもなく為政者としてのそれだった。

 心を殺し、仇なす者を切り捨てる。その身に流れる高貴な血からくる誇り高さ、それを前にし、その眼差しを受けてまで、口を閉ざすことは一介の兵にはできなかった。

 

「りょ、呂斎殿!! 話が、呂斎殿の命で我々は!!」

「黙れ!!!」

 

 口が回り始めた兵士の言葉を遮るように、呂斎の一喝が轟いた。

 怒気を発する眼差しは呂斎一人のものではなかった。怒りの感情が幕舎に満ちて、軍を指揮する者たちの視線が絡み合う。

 

 何かを喋ろうとしていた兵は呂斎の怒声にビクリと体を震わせて舌を萎縮させた。光は兵に向けていた桜花の切っ先を外し、呂斎に体を向けた。

 

「くくく。まさか、この段階でバレるとは思っていませんでしたよ」

「呂斎。なぜこのような事を?」

 

 怒りの形相の呂斎は、皮肉気に口を歪めると狂気に歪んだ目を“敵”へと向けた。

 その視線に、事の真偽を信じるほかなくなった白瑛は秀麗な表情を曇らせて問いかけた。

 

「なぜ? 好きだからですよ、戦争が。奴隷狩りされ、侮辱された蛮族が怒り狂い、皇女に襲いかかる。あわよくば、不幸な討死を遂げられた姫に代わり、私が、この軍の指揮をとり、蛮族を皆殺しにする! その予定だったのですがねぇ」

「貴様……」

 

 争いを好む性質をしているとは思っていた。だが、仮にも世界統一という志を持つ煌帝国の軍にある以上、最低限の誇りは持っていると思っていた。

 だが、今狂気に満ちた歪んだ笑みを浮かべる男は、明らかに白瑛とは異なる道を歩いている存在だった。

 呂斎の言葉に、白瑛の従者である青舜も、怒りの眼差しを向けた。

 

 思惑とは異なるが、戦端が開かれたことを悟った呂斎は、光や青舜に詰め寄られる前に、身を翻し、背を向けて幕舎から駆けだした。

 

「待て!!」

 

 逃亡をさせまいと白瑛と青舜が追いかけ、光も追って幕舎を出た。

 

 

 幕舎を飛びだした3人は、すぐに呂斎の行方を探そうとしたが、だがそれは探すまでもないことだった。

 呂斎は居た。逃げてはいなかったのだ。

 

「…………」「これは……」

「予定は変わりましたが、結果は変わりませんよ。ご存知ですかな姫様? 前線に居る兵の多くは、私直属の兵なンですよ!」

 

 不敵な笑みを浮かべる呂斎。その周りには彼に付き従う兵がそれぞれの武器を白瑛たちに突きつけていた。

 

 白瑛たちの味方が軍に居ないわけではない。だが、その多くは軍団編制の際に、後続や遊撃、つまりは本陣であるここからは多少距離のある位置に配されていた。

 すぐには援軍は来ない。騒ぎを聞きつければ動く者も居るかもしれないが、こちらから伝令を送れない状況では迅速な動きは望めないだろう。

 今の状況は多勢に無勢。

 白瑛は兵力差よりも、こんなにも呂斎の思考に賛同する者がいることにこそ衝撃を受けているように顔に険を宿した。

 

 怒りの感情を宿していながらも、その怒りは呂斎のものとは出処が真逆、気高い誇りに由来していた。

 この状況にあって、それでもなお、そして怒りを感じていながらなお、凛とした秀麗さを失わない白瑛。

 

 呂斎は白瑛の眼差しに、侮蔑感を覚えた。

 血に宿る気高さか、目指すモノに対する誇りゆえか。まさしく格の違いを見せつけられるようなその眼差し。言葉がなくとも、白瑛の意志が伝わるようだった。

 

 ――愚かな――と……

 

「お前さえ、お前さえ来なければ! この西征部隊の将に抜擢されたのは私だったンだ!!」

 

 白瑛の眼差しに呂斎はカッと血を上らせた。

 

 呂斎を苛む劣等感。

 将としては絶対に自分の方が有能であるはずだった。

 

 幾つもの戦を経験し、勝利を経験してきた。現皇帝に信任されるほどの将になっていたはずだ。にもかかわらず、重要な征西軍の将に選ばれなかった。

 選ばれたのは、自分が監視する前皇帝の娘。堕ちた皇女。どのように取り入ったのか、第1皇子に認められ、神官などというわけの分からぬ者たちに贔屓され、迷宮攻略などという怪しげな功績を上げた女。

 

 憎い。

 自分が得るはずだった栄誉を奪った女。

 

 湧き上がる憎悪を鎮めるには、あの白をどす黒く穢さねば気が済まない。

 反吐のでる綺麗ごとを、現実で砕き、絶望を味あわせ、無様に地に這いつくばらせる。

 

 だが、その計画は阻まれた。

 

「言いたいことはそれだけか?」

「ッッ」

 

 鬼の住む国と噂される和国の特使。

 憎い女の守護者気取りの蛮人。

 

 

 光の剣気に、怯みを見せる呂斎。

 白瑛は戦を忌避する心を封じ、白羽扇を手に前を見据えた。 

 

「逆賊呂斎。皇国の名を汚す者よ。死をもって償えよ」

 

 敵を断じる覚悟。

 将とは認めていなかった皇女の、明確なる将としての意志をその瞳に感じ取って呂斎はたじろぎ、それを覆すために声を上げた。

 

「くたばれ、クソ女!!!」

 

 呂斎の怒号に造反した兵たちが応えて、弓を放った。

 

 雨のごとくに降り注ぐ矢を前に、白瑛は白羽扇に魔力を込めた。

 包み込む風。害意を阻む白き風。

 

「呂斎殿!」「矢が……まったく当たりません!」

 

 白瑛の魔力に反応して顕現した風は、一つたりとも矢を通す事無く、宙で叩き落とした。

 目に映らぬ風が、徐々に強さを増して逆巻いていく。

 

「迷宮攻略者め。怪し気な術を使いおって……構わず討ち取れ! いかな迷宮攻略者でも、この状況、覆せるものか!! 討ち取れば名誉と恩賞を与えてやる!!」

 

 苛立った下知とともに周囲を囲んでいた兵が動きだし、それぞれの武器を手に雄叫びを上げた。

 圧倒的な人数差。

 だが、

 

「眷属器・双月剣!!」

 

 人数差が戦力差につながるとは限らない。

 白瑛の眷属である青舜が迎え撃つように前面に駆け出し、腰に帯びた双剣を引き抜いた。双剣によって切り裂かれた風が、鎌鼬となって襲い来る敵を打つ。

 

「なっ」「がっ!」

 

 練白瑛のジン・パイモンが眷属・李青舜。

 その力は双剣に宿る風の剣。

 

「まったく、気の無駄使いをさせてくれる」

 

 青舜に続いて光も、すらりと桜花を抜いた。

 最初の勢いは青舜の一撃で挫いている。そして光の剣の技量を知る兵は、抜かれたその和刀の脅威に、たじろいだ。

 溜息交じりの光の言葉に、白瑛はちらりと光を見遣った。ただの愚痴ともとれる光の言葉。だが、その言葉に白瑛は見過ごせないなにかを感じ取っていた。

 

 あの和国の老剣士との戦いから既にかなりの時間がたち、早い段階で光の傷は癒えているように見えた。

 だが、白瑛は違和感を覚えていた。

 以前よりも光の覇気とも言える何かが弱っている。

 

 今も、刀を抜きこそしたが、魔装のための魔力を練ろうとはしていない。

 

「いかがいたしますか、姫様?」

「青舜、光殿。時間を稼いでください。私が蹴散らします」

 

 ゆえに白瑛は下知を求める青舜の問いに、冷徹な瞳で二人に命を下した。

 

 あの戦いが、光にとって譲れない戦いだったのなら。

 今回の戦いは白瑛にとって譲れない戦い。

 戦禍を消したいと願う白瑛と戦禍を巻き起こしたいと願う呂斎。今回の戦いが白瑛の願いから招いたものなのだとしたら、白瑛にとって今回の戦いは決して放り投げてはいけないものなのだ。

 どれだけ戦いが嫌でも、平和を望んでも、それでも戦いは起きるのだから。 

 

「狂愛と混沌の精霊よ。汝に命ず。我が身を覆え。我が身に宿れ。我が身を大いなる魔神と化せ!」

 

 ――パイモン!!!

 

 呼び覚ます言霊と共に旋風が白瑛の体を覆っていく。

 

 高貴を現す白き装束。白羽扇は三つ又の槍に。

 

「逆賊呂斎よ。煌帝国第一皇女、練白瑛が刑に処す……覚悟せよ!!!」

 

 混沌より出で、混沌を鎮めるために戦う力となりし精霊。

 戦禍を生み出す者を裁くために、今、ここに練白瑛が魔装 パイモンが顕現した。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 内包されつつも、ここまで絶妙なバランスで保たれていた西征軍の天秤が大きく崩れていたころ、攫われた娘たちを救出した黄牙の戦士たちは、出迎えたババとともに集落へと帰還していた。

 敵兵を殺せば戦争になる。そうなればみなで暮らせなくなる。ババが懸念し、戦士たちに念を押していたことは守られた。

 “戦士たちは”一人も傷つけることなく家族を救いだしてきた。……のだが…………

 

「あくまでも一部の者の仕業であり、あの皇女はそれを止めようとした、ということじゃな……」

「ああ」

 

 黄牙の若者たちはざわざわと囁きあいながら、疑わしそうに光雲たちを見ていた。

 

「信じられるか……」「今更そんなことを……」

 

 ざわめきは不信感に根差していた。ただ昼間とはことなり、敵愾心を声高には叫ぼうとはしない。

 家族が攫われたということがありながら。いや、だからこそ、家族とともに過ごしていくことの大切さを思い出し、実際に奴隷狩りを止めようとしたところを見てしまったから。

 

「……俺たちとて、元は煌帝国に仇なした賊軍だ。地方の役人の不正に苦しみ、生き残るために武器を取って反旗を翻した」

 

 光雲たちは別に黄牙の民の説得を命じられている訳ではない

 ただ、同じには思われたくなかっただけだ。

 

「だが、あの将軍はそんな俺たちを国軍に招き入れた。世界を変えたいと、平和をもたらしたいと思うのならば、今は共に来いと。それがただの綺麗ごとに終わるかは分からん。だが、少なくともあの将軍は、自分で武器を振るい、それとともに傷つけた者の重みを受け止めることのできるヤツだ」

 

 光雲たちにも煌帝国の侵略の仕方が正しいかは分からない。ただ、少なくとも練白瑛という皇女は、信じるに値するだけのものを見せてくれたのだ。

 

 

 チャガンは目の前に居る煌帝国の兵たち。奴隷狩りの兵を倒していた兵の隊長と思われる男の言葉に聴きとめた。

 偽りなき思いの言葉。

 その言葉にチャガンは瞳を閉じた。思いを遠く過去へと馳せた。

 長いチャガンの生の昔。生まれ出よりも昔。先人たちが受け継いできた誇り。

 

 チャガンが決めようとしているのはもしかしたら、彼らの思いを踏みにじる行為かもしれない。

 この選択肢は、もしかしたら愚かな過ちかもしれない。

 それでも、今、チャガンは決断をした。 

 

「分かりました……我々は帝国に降りましょう」

 

「ババさま……」

 

 長の言葉に、黄牙の戦士たちが泣きそうな表情で顔を俯かせた。

 戦士として、矜持を持つがゆえに、剣を交えることもなく屈することは耐えがたい。だが……

 

「一族の誇りを守る戦で、数え切れぬ同胞が命を落した。どんな理由であれ、戦を起こせば人は死ぬ……我々が守るべきは命。国ではなく、一族の誇りでもなく、家族の命。今を生き、そして次代の子らに平和な暮らしをつないでいくことじゃ!! そのために、今は、一族全員で心の戦をせよ!!」

 

「……はいっ!!」

 

 失うための戦いではなく、次を守るための戦い。

 選んだのは、過去ではなく、今、そして未来への決断だった。 

 

 

 

 黄牙の村の勇気ある決断を、人々を導く役目を負った存在が見守っていた。

 この村に来て、自身を子と言ってくれるババと出逢って、マギという存在について聞くことができた。

 

 創世の魔法使い、マギ。

 もしかしたらそれが自分なのかも知れない。アラジンは薄らとそうだと予感していた。

 

 だが、この村で為すことは何もなかった。

 彼らは導かれるのではなく、それぞれが勇気をもって、己が道を、未来のための戦いを選ぶことができる者たちだったから。

 

 ただ見守る。

 それだけで、アラジンの心は、不思議と勇気づけられるようだった。

 村のみんなを見守っていた、アラジン。不意に、その胸に下げられた金の笛から光が奔った。

 

「ウーゴくん……?」

 

 アラジンは光輝く笛からルフの導きによる一本の筋のようなモノが指し示す先を見上げた。

 東の方向。

 “昨夜”訪れた煌帝国の軍が陣を敷いている方角だ。

 

「呼んでいるのかい?」

 

 彼には大切な友達がいる。

 笛の金属器。ジン・ウーゴくん。

 

 今は笛の中にいるけれども、たしかにアラジンの友達として触れ合った大切な、初めての友達なのだ。

 その彼に頼まれたことがある。

 彼と同じジンの金属器を探すこと。

 

 光が導く。この感覚をアラジンは以前にも見知っていた。

 だからなんとなく、分かったのだ。

 

 呼んでいる、と。 

 この光の筋は、彼の仲間であるジンが近くに、そして魔力を高めている証なのだろう。 

 

「そなたには見えておるのだろう、アラジン?」

「おばあちゃん」

 

 光の行く先を見ていたアラジンに、優しげな笑みを浮かべたババが声をかけた。

 

「大丈夫、お主は一人ではない。お主はマギなのじゃろう……伝説にあるように、幾億の生命と共に生き、皆を導いて世界を創るマギ、そして、わしらの子じゃ」

「……うん」

 

 人とは違う出自。自分は他の人とは違う。

 親のいないアラジン。故郷のないアラジン。

 自分が何者なのか分からなかった。

 

「心配はいらんよ。例えどれだけ離れようと、どんな使命を帯びようとも、わしらはそなたとともにある」

 

 それでも、知ってくれる人がいる。

 友達がいる。

 

 たくさんの大好きなもので溢れるこの世界が、アラジンは大好きだから。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 大嵐の風が旋風となり、巨大な魔神を形作って、裏切りの兵たちを薙ぎ払っていた。

 

「ぁああああっ!!!」「呂斎殿、呂斎殿ォ!!」

 

 ただ風を操っていたころよりも格段に向上した風の操作。魔装化した白瑛は、巨大な風の魔神を具現化し、魔神が振るう風の鞭により、大規模な風を意のままに操る風の女王となっていた。

 三つ又の槍により接近戦にも対応できるようになった魔装だが、そもそもこの場においては、どれほどの雑兵が居ようとも白瑛に近づくことすらできなかった。

 

「はぁっ!!」

 

 双月剣を振るい、近づく敵を倒し、あるいは武器を弾く青舜。

 ただの双剣であればその間合いは槍を持つ兵によって押されていただろう。だが、鎌鼬の刃を繰り出して中距離を制覇する青舜に、兵は攻めあぐねていた。

 

 そして

 

「囲め、囲んで討ち取れ!!」「なっ! がぁっ!」

 

 光は繰り出された槍を見切りによって紙一重で躱し、その腕を斬りつけた。緩んだ手元から槍を奪い取ると、薙ぎ払いによって周囲の兵ごと吹き飛ばした。

 左手に槍、右手に和刀を持つ光は、単身突出しながらも雑兵の剣を躱しながら敵を倒し、接近を続けていた。

 白瑛の近くでその身を守る青舜。離れた位置で自身を囲ませて次々に敵を斬り伏せる光。たった3人とは言え、一騎当千の3人を相手に、急ごしらえの陣容で太刀打ち出来るものではない。

 

「なっ、なにをしている! 小さな島国の蛮人! 近づけさせるな!!!」

 

 兵の無力化を図る白瑛とそれを守る青舜に対し、光の狙いはただ一人。

 従うべき主も見失った愚か者に用はない。ただ、進むのに邪魔だから斬り捨てていくだけだ。

 今、本当に許せないのは一人。

 白瑛を亡き者にしようとした。

 ただその一点だけで、光が牙を剥く理由には十分だった。

 

 数を頼りに複数でかかってきた兵を相手に光は桜花を一閃。脚を薙ぎ払うように斬撃を放ち、足元の崩れた兵たちの頭上を越えて槍を振りかぶった。

 左腕を弓のようにしならせ、気を纏わせた槍を呂斎目掛けて投げ放った。弓の如くに飛翔した槍は、狙い違わず呂斎を貫かんとした。

 

「っ!!?」

「呂斎殿っ、がっ!!」

 

 だが、咄嗟に反応した近くの兵が身を呈して呂斎の前に身を躍らせた。気の込められていた槍は、構えていた盾を貫き、兵の体を貫いて呂斎へと迫ったが僅かに届かず、馬上から崩れる兵と共に地に落ちた。

 

「ひっ!」

「ちっ。不忠者には勿体無い忠臣がいたものだな」

 

 着地し、槍を失った光の隙をつくように兵が襲い掛かったが、背後からの奇襲に対して光はそれを一瞥もせずに躱し、右手の桜花を煌かせた。

 本来の光であれば、今の一投、槍に込めた気が充分に練られていれば、例え盾を持った兵に邪魔されたとはいえ、そのまま仕留められたはずだった。

 だが、それができなかった。

 光は舌を打ち、血風を吹き荒させながら呂斎を睨み付けた。

 

 苛立った光の眼光が呂斎を貫く。その気のこもった視線をまともに受けた呂斎は短く悲鳴を上げた。

 

 迷宮攻略者の力の源泉は金属器であり、金属器に溜めておいた魔力さえ使い切れば、無力となる。島国の蛮人が使う操気術なる怪しげな術も、所詮は魔力を使ったまやかし。数で包んで消耗戦を仕掛ければ、すぐに何もできなくなる。

 

 そのはずだった。

 

「く、来るな……来るなぁっ!!!」

 

 だが、今、島国の蛮人は、ほとんど魔力を消耗していない。

 ほとんど周囲の兵から武器を奪い取り、使い捨てるように次々とそれを取り換えて、薙ぎ払っている。

 鬼神のようなその力を前に、迫りくる死の刃を前に、呂斎は悲鳴を上げて背を向けた。

 

「逃がすか」

 

 降り注ぐ刃を躱しながら数人を返り討ちにした光は先程主を失った馬の手綱を掴むと一気に馬上へと跨り呂斎を追った。

 

 一瞬にも満たない刹那、光は守るべき(白瑛)に視線を向けた。

 錯覚かと思えるほど短い時間、視線を交わした二人。

 光は傍にあることを選ぶのではなく、背を向けて馬を走らせた。白瑛はそれを追うのではなく、金属器へと魔力を込めた。

 

 白瑛が求め、力を宿した白羽扇へと

 

 寄り添うだけが二人の形ではない。それぞれに為すべきことをするために。

 

 光の背後で巨大な竜巻が吹き荒れた。地上を裁く大いなる神風の顕現。その風は罪ある者たちに鉄槌を下すかのように。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 全てが狂っていた。

 当初の策略では、蛮族をけしかけ、世間知らずの愚かな姫を適当に葬り、本来あるはずだった軍の全権を自分が掌握するはずだった。

 だが、策略は崩れた。

 けしかける手はずだった一手目を邪魔され、掴まれた尻尾から一気に暴かれた。

 だが、まだ取り戻せるはずだった。

 念のためにと、あらかじめ陣の配置、その中枢を自身の派閥に近い者、あの女の唱える呆けた穏健路線に反発する者で固め、それを持って弑すればいいだけのことだった。

 

 だが、なんなのだこのざまは。

 たった三人を討ち取ることもできず、大将である自身にまで危害が及ぶにまで至った。

 

 だが、まだ終わったわけではない。

 蛮族の村にけしかけた兵。そして近くに配置していなかった部隊の中にも、まだ自分こそが将軍だったと思っている者はいる筈だ。

 あれだけの数の兵。討ち取ることはできずとも掃討するには時間がかかるはずだ。あのような連中でも足止めくらいはできるはず、その間に増援を引き連れて戻れば、魔力を消耗させて、無力となった姿を晒すはず。

 

 

 これは逃亡ではない。そう言い聞かせる呂斎の背後で、轟っ!! と巨大な竜巻が現出した。

 あれほどの風、近くにいれば、一部隊まとめて壊滅していてもおかしくはあるまい。蒼褪める呂斎の顔が、追撃を仕掛けてきた男の姿を認めて恐怖に引きつった。

 

「っ!! くそっ、くそっ!!」

 

 白刃に煌く片刃の刀を片手に、馬を駆る和国の男。たかだが小国からの貢物風情の分際で、第1皇子に取り入った男。忌々しい蛮族の男。

 

 全てを斬り裂くその刃が、今は自分を狙っている。その恐怖から呂斎は馬を叱咤して、逃げる脚を加速させた。

 逃亡者にとって幸いなことに、島国の武人である光は馬を操ることがそれほど得手ではないのか、先行する呂斎との距離はなかなか縮まっていない。

 

 どこまで行けば逃げ切れるのか。その恐怖に押しつぶされそうになりながらも、ただ距離が縮まらないことを希望として駆ける呂斎だが、その前に影が落ちた。

 

「おぉぁわぉ!!! な、なんだこれは!!?」

「……? おじさんは……」

 

 青い体の巨人。首から上が無い筋骨隆々の裸体に、褌だけの巨体が呂斎の目の前に現れ、その行く手を阻んだ。

 いや、巨人にとってはただ、竜巻の起こっていた場所へ向かおうとしていただけなのだろう。“たまたま”道が重なってしまっただけ。

 巨人の上にはターバンを巻いた子供、アラジンが乗っており、慌てた様子の呂斎を見下ろしていた。

 狼狽する呂斎の、馬の脚が止まった。

 先行していたとはいえ、追撃戦の最中での停止。それはまさしく致命的な時となった。

 

「ここまでだ、呂斎」

「くっ! お、おのれぇ!!!!」

 

 光の馬が呂斎へと追いつき、状況が呑み込めずに二人を交互に見るアラジンを他所に、呂斎は光へと振り向いた。

 剣の腕では圧倒的な力量差がある。金属器とやらの力もある。だが、馬上戦で、金属器を使わないのであれば、まだ……

 

 呂斎は剣を振り上げ、光へと迫った。

 馬を駆けさせた光、雄叫びを上げて剣を振りかぶる呂斎。

 

 二人が交差するようにすれ違い、呂斎の剣が砕けると共に馬上から崩れ落ちた。

 

 呂斎が倒れる音を背後に聞き、光は桜花を鞘に納めた。目の前には、異形の青い巨人。それを前に、光は巨人の上に乗っているアラジンへと声をかけた。

 

「…………さて。こんなところまでわざわざご足労いただけるとは痛み入るな……マギよ」

 

「! おにいさんは――――」

 

 光の言葉に、アラジンは僅かに目を見張った。

 自身ですら判然としかねていた、自分がマギであるということ。そのことにただ一度の会合のみで気付いていた。そのことにアラジンは驚いた。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

「はぁ、はぁ…………」

「ご無事ですか、姫様?」

 

 広域魔法により敵兵の大半は蹴散らした。首魁であった呂斎が逃亡し、反乱軍も半壊した以上、戦意の喪失は免れず、また巨大旋風を起こしたことにより、離れた位置にいた白瑛傘下の兵たちも気づいて集ってきた。

 

 白瑛の魔力量は、紅炎はもとより光と比べても決して多くはない。極大魔法ほどでないにしろ、かなりの風を使い、さらには大魔法を放ったことにより魔装は解除された。

 荒い息をつき、肩で呼吸をする白瑛に、青舜は無事を確認する声をかけた。青舜の声に白瑛は顔を上げて問いかけた。

 

「呂斎を追った光殿は……?」

「まだ戻られません…………あっ!」

 

 呂斎を追撃した光の姿は今ここにはない。よもや後れをとったということはないだろうが逃げられた可能性はなきにしもあらず。一応、集結した兵の一部をそちらに回しはしたものの、単身であまりに深く追撃していてはよもやの事態も起こりえないとも限らない。

 白瑛の心配に青舜は遠くを見回し、見えた人影に声を上げた。

 青舜の声に白瑛も顔を上げた。

 見たところ傷一つなく馬に跨る光。なぜだかその馬上には小さな子供、アラジンの姿があるのだが、気のせいか追撃する前よりも凛とした感が強くみられる気がした。

 

「光殿! 呂斎は?」

「心配いらん。遅れてきた兵に任せた。こっちも鎮圧できたようだな」 

 

 ほっと息を吐いた白瑛は、将として今回の件の首謀者について尋ね、光は期待に違うことなく片付けたと答えた。

 騒動の鎮圧に一息つく二人。

 

「光殿、そちらは……?」

 

 青舜は光の連れてきた見覚えのある少年のことを問うように視線を向けた。

 

「……マギだそうだ」

「マギ……!!?」

 

 光はアラジンを一瞥し、この少年が魔導師の最高位に位置するその位階にあることを告げた。

 覚えのある呼称。

 白瑛を迷宮へと導いた“あの”神官と同じマギ。白瑛ははっと驚いたように声を上げ、青舜も目を見開いた。

 

「やあ! おにいさんとははじめましてだね。僕はアラジンさ」

 

 少年は朗らかな笑みで自分の名を告げた。長い三つ編み、頭部にはターバンを巻き、そこから額に赤い宝石が飾られている。

 

「こちらの方に探し物があるということだ。白瑛とは昨夜話をしたということだが……」

 

 光が確認するように言い、白瑛が頷いた。アラジンの声に反応したかのように、白瑛の胸元の帯に差しこまれた白羽扇が輝いた。

 

「!? 扇が……」

「! お姉さん。ちょっとそれに触らせてくれないかい?」

 

 アラジンが首にかけている金属の笛に呼応するように光る白羽扇。不思議そうに手に取った白瑛にアラジンは手を伸ばしながら許可をとった。

 恐る恐る、いや、ドキドキとしたように手を伸ばすアラジンは、白羽扇の柄の根元にはめ込まれた宝玉。そこに刻まれた八芒星に触れた。

 その瞬間

 

「なっ!?」「!?」

「…………」

 

 膨大な魔力が溢れた。

 王の器である光や白瑛はもとより、紅炎とも比べ物にならないほど膨大な魔力。草原に小さな太陽が生まれたかのような輝き。

 反射的に瞳を閉じた青舜や白瑛。輝きに加えて、白羽扇から溢れた魔力が、金属器の属性に惹かれて白い輝きとなり、風を生み出す。

 旋風などではない。竜巻と見紛うばかりの風は、しかし誰も傷つけることなく、何かを具現化するように形を作っていく。

 唖然とする白瑛と青舜。金属器を手に入れて以来、このような事態に直面したことなどなかった。

 光はその異常事態に、少し険を深くした顔で実体化していくその姿を睨んでいた。

 

 風が小さくなる。

 呆然とする白瑛たちの視線の先には、2度目となる青い巨人が存在していた。 

 

「ごきげんいかが? みなさん。ワタシはパイモン。狂愛と混沌よりソロモンに作られしジンよ。主は女王、練白瑛」

 

 体のあちこちにピアスによる意匠を施した装い。額には人外の証のように第3の瞳が開いており、全身は青い。

 

 狂愛と混沌の精霊 パイモン

 白瑛に力を与える風の支配者。

 

 異形の女性は“この世界”に自身が実体化したことを僅かに不思議そうにあたりを見回し、一人の少年に目を止めた。

 

「あら? マギじゃない!」

 

 突然の事態とはいえ、現出したのが白瑛や青舜にとっては見覚えのあるジンであったために、呆然とした反応で済んでいるが、周りの兵などは突然謎の巨人が現れたことに恐々としている。

 この事態を引き起こしたアラジンは、こんなことになるとは予想していなかったのか、彼自身驚いたようにパイモンを見上げており、しかしパイモンの視線に反応するかのように、今度はアラジンの胸元の笛が光り輝いた。

 光が薄れた、と思いきや、次の瞬間には笛から青い巨人。筋骨隆々で頭部のない巨人が屹立していた。

 最早驚きに声もでない白瑛たちが成り行きを見守るおうに唖然とする中、パイモンもまた驚いたように口を開いた。

 

「あらまぁ! 珍しいお方に会えたわ!」

 

 その声は本当に懐かしそうで、少し嬉しそうにも聞こえた。

 顔のない巨人は、当然ながら口が無く、話すことはできないし、目もないのだが、パイモンと視線を交じ合わせるように対面し

 

「……」「?」

 

 展開について行けない白瑛たちの前で、パイモンは巨人をからかうように指で弄りだした。全身青一色だった巨人は、パイモンに触れられた瞬間、なぜだか分からないが体を朱くして、たじたじになり、しどろもどろといった様子で何かを身振り手振り、伝えようとしている。

 目を丸くしている白瑛の隣では、目を細めながら真剣な眼差しで光が巨人たちを見上げていた。

 声はないが、時折ちらりちらりと視線を光の方に向けつつも、しばらく何かを話していたが、話は終わったのかパイモンはシュルシュルと巨体を縮め、白瑛よりも二回りくらいの大きさになったところでしだれかかるように白瑛に身を寄せた。

 

「なるほど、事情は分かったわ……世界で異変が起こっているようね。でもそんなの関係ないわ。ワタシは、ワタシが王の器と惚れ込んだ白瑛ちゃんに力を貸すだけ。そのためにワタシは作られたの……ガミジン(・・・・)も同じでしょう?」

「…………」「?」

 

 パイモンの言葉に光はすっと眼を細めた。

 マギと同じように、器を見抜くジンを誤魔化すことができないのは分かっていた。ただ、“昔からの付き合いである”ジンには一段深く、読み取られてしまっているようで、混沌という性ゆえにか、茶目っ気を見せるように余計な一言を付け加えられた。

 

 少しの違和感を覚えた白瑛はスッと光に視線を向けたが、光は何も語る様子はなく、パイモンに視線を向けていた。

 

「? 王の器……?」

 

 パイモンの流し目と光のやりとりに首を傾げたアラジンだが、もう一つ気になる言葉に呟くように疑問を口にした。

 

「ふふ。そうよ。白瑛ちゃんだって、王の候補として煌帝国のマギに選ばれたんだから」

「えっ!? マギ!?」

「…………」

 

 パイモンの言葉にアラジンは驚いたように声を上げた。

 白瑛はどこか厳しい眼差しでパイモンを見ていた。

 

 自身に力を貸すこのジンが世界のことなどどうでもいいと言ったのもあるが、それとともに煌帝国のマギについて口にしたからだ。

 白瑛は決して愚鈍な女性ではない。聡明で、光には幾分劣るものの勘も鋭い。

 自身が信を置く光が煌帝国のマギ ジュダルを警戒していることを白瑛は言われずとも感じていた。そのジュダルを、母である玉艶が幼い頃より可愛がっていたのも知っている。それと前後するように優しかった母が変わってしまった事も知っている。

 

 全てを懸けて自分を守ろうとしてくれる光。

 自身に力を与えてくれたジュダル。

 どこか変わってしまったものの、この世にたった一人しかいない実の母、玉艶。

 

 全てを信じたい。でも……なにかが、狂っている。何か、決定的な何かを、白瑛だけが分かっていない。そんな気がするのだ……

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 争いは終わった。

 

 黄牙の民は過去よりも今を、そして未来を選び煌帝国に降ることを選んだ。そこにどれほどの葛藤があり、どれほど果敢な決断だったのか、国や民族というものに属したことのないアラジンには分からない。

 だが、奴隷狩りの苦渋を味わい、それでもなお平和の為の戦いをすることを選んだババや黄牙の人たちの思いの尊さは分かるつもりだ。

 

 巨人ウーゴの肩に乗り、揺られながら黄牙の集落へと戻っているアラジンは、先程のパイモンとの対面を思い出していた。

 

 頑丈な部屋を出た時、アラジンは友達であるウーゴと約束を交わしたのだ。

 

 ――外に出たら、彼の仲間であるジンの金属器を探して欲しい――

 

 黄牙の集落へと来る前、アラジンはもう一人のジンと会っていた。

 

 第7迷宮のジン、厳格と礼節の精霊、アモン

 

 頑丈な部屋を出て初めてできた友であるアリババと共に攻略した迷宮で、アラジンはジンと会っていたのだ。

 青く、厳めしい表情の老人のようなジン。

 その時にもウーゴは、パイモンの時と同様、何かを相談、あるいは忠告するかのように、アラジンには聞かせないように内緒話をしていた。

 

 気にならないと言えば嘘になる。だが、それでも無理に聞き出そうとは思わない。

 アラジンの友達には、彼には言えないことがたくさんあることを、もう知っているから。ただ、もう一つ気、パイモンとの事以外に気になることもあった。

 

「あれでよかったのかい、ウーゴ君?」

 

 金属器に宿る彼の仲間に会う事。それはアラジンが世界を旅する目的の一つでもあるのだが

 

「パイモンさんとは会えたけど、もう一人のジンには会えなかったね……」

 

 今回、なぜだかウーゴは二つの機会の内の片方としか会話をしなかったのだ。

 少なくとも、アラジンにはしなかったように見えた。

 

「なんであの人の金属器からはでなかったんだろうね?」

 

 紫色のルフを僅かに纏わせた不思議な雰囲気の人。

 海を越えたところにあるワ国というところから来たという人。

 

 無尽蔵の魔力を持つマギたるアラジンが、その魔力を顕現のために注ぎ込んだにもかかわらず、彼は現れなかったのだ。

 

 そして

 

 

 ウーゴはそれを承知していた。

 

 まるで、話しはちゃんと聞いていたと言わんばかりに

 

 


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