煌帝国北方兵団駐屯地
交渉から帰った白瑛たちは部隊の主だった者を集めて今後のことを話していた。
こちらの要望は伝え、3日の猶予の後、再度会談を行う。その方針を知らされた部隊長の反応は概ね2つに分かれていた。
「体の頑丈さと、馬と戯れるしか能のない蛮族風情に、猶予を与えなさるとは。っはぁ~。やはり姫様には戦事は御向きになられないのでは?」
「慎まれよ! 呂斎殿!!」
一つは呂斎を筆頭に好戦的な者たち。もう片方は比較的白瑛の、ひいては紅炎の意を組む者たち。
圧倒的な武力背景を持ちながらも、一度の交渉で降伏させることができず、そして戦端を開くこともできない白瑛を侮るような呂斎たち。それは彼らが本来この北方兵団の将軍は呂斎であったという自負からきているものも多少なりあった。
もともと呂斎を推していたのは純粋に戦果によって武功を上げた者たち、そして現皇帝に取り入っていた者たちだ。
対して白瑛の後ろ盾になっているのは第1皇子である紅炎や金属器使いとして評価している神官たち。
西征軍総督でもある紅炎に面と向かって抗することはできないが、遠く離れその威光の届かない陣地にあっては、白瑛の監視役として皇帝の意を受ける呂斎が増長するのも無理からぬことだった。
「……再交渉は3日後。これは決定です。その後の方針については明朝までに決め、追って通達します……今日は兵に食事と休憩を取らせなさい」
揺らがぬよう、纏められるよう、毅然とした態度を崩さず、白瑛は通達を告げて集めた部隊長たちを解散させた。
幕舎の中には白瑛と光のみが残った。
皆の足音が遠のき、声が小さくなっていく。
白瑛は長く深いため息をついた。その顔には先程の毅然とした様子が崩れ、張り詰めていた糸が緩んだ姿が見えた。
その様子に光は歩み寄って肩に手を置いた。置かれた手のぬくもりに、白瑛は淡く微笑を向けた。
「揺れては、いけませんよね」
平定軍の将として、毅然と皆を纏め上げる皇族。期待されている姿は分かっている。だが、それでも自身の思い描く理想と、現実に向けられる思いとの隔絶は白瑛の気丈な精神をすり減らしていた。
戦争などはしたくはない。ただ傷を創り、怨恨を生むだけの、悲しみを生むだけの戦いなどしたくはない。
兵の期待に応えて将軍としてあらなければならない。時に戦争を始める決断を行い、命を奪う命を下さなければならない。
揺れ動きそうになる思いを、白瑛はなんとか見せまいとしている。
「心を殺そうとするな。将だろうと王だろうと心はあるのだから」
光は白瑛の肩においた手に少しだけ力を込めて、自身に引き寄せた。
とすんと白瑛の体が、預けるように光の体に寄りかかり、白瑛は一瞬、身をこわばらせ、だが、すっと力を抜いて瞳を閉じた。
「心配するな。白瑛殿の信念は誰もが願うはずの綺麗な理念だ」
誰も悲しまない世界を作りたい。
そのためには崇高なる心と理念をもった王が世界を統一するべきだ。
その道が大きな矛盾を孕んでいるのはちゃんと分かっている。悲しまない世界、戦のない世界を創ろうとして、やっていることは侵略のそれなのだから。
「光殿や……紅炎殿も、思い悩むことはあるのですか……?」
不安に潰されそうになる。
自分はなぜこんなにも弱いのかと。
強く、凛とありたいと願っている。
決して揺れない芯を持つ光のように、絶大な器を見せつける紅炎のように。
「あるさ。自分の無力を歯がゆく思うことも、ままならぬことをもどかしく思うことも」
光の答えに、白瑛は昔を思い返した。わずかな痛みを伴う過去。今はもう喪ってしまった家族たち。
苛烈な征服者として突き進み続けた先代の皇帝はどうだったのだろうか。
その父の後継者として、そして兄としてあり続けた白雄。兄を輔けるために励みながらも、自分たちには優しさを見せてくれた白蓮。
最期の姿を看ること叶わなかった彼らにも、自分の弱さを悩み、揺れそうになったことはあったのだろうか。
「将として、王として、時には人を殺すことも必要だろう。その数に思い悩んでいては潰されそうになる。心を殺してしまった方が楽になる」
自分の言葉で、振るう力で命が散っていく。守りたいと思うはずの命のなんと軽いことだろう。自分のせいで散らしてしまう命の重みを考えたとき、心はその罪の重さに囚われそうになる。
他国へと戦争を続け、靡かぬ国を滅ぼしていった先代。世界を統一する必要があると言って戦争をしていたあの人も、そうだったのだろうか。
炎帝として戦争好きと噂される紅炎殿もそうなのだろうか。
「だが、心無い王に人はついては来ない。綺麗なだけでやっていくことはできんだろう。だが、それでも俺は貴女のその思いを守っていきたいと思う」
だが、だからこそ、忘れてはいけないと、光は白瑛に告げた。
強き心こそが、王に、将に、必要なことであり、ジンに選ばれた証左なのだから。
そして、そんな白瑛だからこそ、光は守りたいと、選んだ道に誤りはなかったと信じているのだから。
「貴方のその思いは、きっと間違ってなどいない」
「……はい」
絶対に守る。
強い意志と心。それこそが光が持つ強さの一つなのだ。
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白瑛の許を辞去した光は光雲とその部下たちとともに幕舎の一つで秘密裏に地図を広げていた。
「奴隷狩りか……動くとすれば直近というのは分からんでもないが、この広い高原では闇雲に探すのも限度があるぞ」
話しているのは白瑛が懸念していたものの一つ。黄牙の民を襲っている奴隷狩りについてだ。
付近の大まかな地形図の上には軍の陣地、黄牙の集落に見立てた駒が置いてあり、襲撃ルートを想定していた。
光が白瑛たちに告げたのと同じ理由を光雲に告げ、その部下たちとともに奴隷狩りに通じている軍の者の対策を練っているのだが、幾分かの理屈と大部分が光の“勘”により方策を組み立てるのは難しい。
光雲は顔を顰めて地図を睨んだ。
元々光雲は国の在り方に不満を抱いて反乱を起こしたこともある男だ。国軍の一部が非道な行動に通じているとなれば許せない思いは強い。
なんとかしたいという思いはあるが、どうにかできるのかという問題が光雲を悩ませていた。
「闇雲じゃない。いくつか想定はできる」
「なに?」
顰め顔で地図を睨み付けている光雲に光は流れを読むように目を細めて告げた。
「奴隷狩りが軍の内部か外部の者かはともかく、戦の大義名分を作ろうとするのなら、好戦派としては向こうがこちらに手を出してきたという状況を作りたいはずだ」
それは仮の前提ではあったのだが、光は先程の軍議での“あの男”の様子からその確信を高めていた。
罪業から生まれ、欺瞞と虚偽とを見抜くジンの主としての直感。そして運命の流れを漠然と読み取る光の直感が告げていた。
クロだ、と
ゆえに光は、直感通り、奴隷狩りに通じている者の思考を好戦派の者と関連させて読んだ。
「だが、白瑛やその直参の者たちには見つかってはマズイ」
「皇女の直参が全体の数として非常に少ないから、あまり絞れていない気も……いや……」
ここが街道の整備された国内であればある程度的を絞ることもできるが、しかしここは天山の高原。整備された街道というものがそもそも少ないし、馬を使えばかなり行動ルートは増える。
地形図にある西征軍の布陣範囲はその軍容そのままにかなり広い。
そして元々軍を取り仕切ることを推されていた呂斎の派閥の者も居るため、白瑛の支配下に置かれた勢力範囲は決して多くをカバーしている訳ではない。
だが、それでも絞り込むキーがないわけではない。
「見つかってはマズイのだから、白瑛の耳に入らないルートで自分たちの警邏範囲に入れられる最短ルート。黄牙の集落の位置と合わせれば……」
軍の中でも皇帝よりも紅炎の派閥に与し、比較的白瑛を将として認識している者たちは奴隷狩りからすれば味方ではない。つまりそのルートは完全に白瑛の味方ではなくとも、相手にとっても通ることのできないルートだ。
そして運搬しているモノからするとなるべく早く人目のつかないルートを通りたい、ともなれば、西征軍と黄牙の集落の位置関係と併せて考えれば……
「なるほど。たしかに大分絞られはするな。問題は何時かだが」
浮かび上がるルートに光雲は得心したようにもう一つの問題を口にした。
再交渉まで3日。
好戦派はそれまでに火種を撒く必要があるが、 自分たちの警邏範囲外をそう頻繁うろついていては、こちらの動きを知って相手も警戒してしまうだろう。
こちらへの警戒心が最大にならない内に現場を取り押さえたい。
そう思って口にした光雲だが、
「今から行くぞ」
「なに!?」
その次に光が出した言葉は流石に予想外だった。
たしかに遅れるよりは早い方がまだいいが、早すぎては相手の警戒を招くだけなのだ。そのことが分かっていないはずはないのだが。
「勘が告げている。急ぐぞ。恐らく相手も奇襲部隊だ。数は少なくていい」
数は少なくていい。ただ、信頼できて腕の立つ者を選べと。
流れを視る光の言葉に光雲は反論を封じた。ただ、その代わりに苦言を呈するように口を開いた。
「……お前は王族のくせにいつもそんなにほいほい動き回っているのか?」
「俺が覚えた兵法では兵は拙速を貴ぶというんでな。身軽なやつが動くのが一番いいんだよ」
光の足回りの軽さに光雲は呆れたように尋ね、その答えに光雲は呆れの色を濃くした。
身軽なヤツと嘯く当人は、和国の王子にして皇女の婚約者。2国間の和平のために遣わされた存在なのだ。身軽などという立場とは縁遠い存在なのは光雲ならずとも自明のことだ。
「……お前が和国に置いてきた副官とやらの苦労が少しわかった気がするな」
お前のどこが身軽なやつだと言いたくなるのをぐっと堪えて、光雲は移動し始めた光の後を追った。白瑛に従う、今動ける者の中から、光雲はかつて賊軍と呼ばれていた者たちと共に動いた。
かつてと同じく、不義を犯した国軍を倒すために。
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三日月が上る高原の中、2台の馬車が疾走していた。
「へへへ、うまくかっぱらえたぜ」
馬車の中には鎧姿の煌帝国の兵が数人、下卑た表情で収穫を眺めていた。
嘗め回すような眼差しを向けられているのは黄牙の民の女性たち。男衆が今後の動向について会議を開き、その分の仕事をしていた彼女たちは、忍び寄ってきた男たちによって拘束され、猿轡を噛まされて馬車に乗せられている。
「いい値で買ってくださいね、商人さん。なんでもこいつらは剣なんかで刺されてもなかなか死なねえってな丈夫な一族だそうで……ちょっと試してみましょうか?」
獲物の怯えた顔などまったく興味がなく、それが同じ人であることなどという意識は欠片もないのだろう。売捌く相手である商人に値をつり上げるためのデモンストレーションをしようと気軽に言っていた。
男たちの言葉に囚われの彼女たちの体がびくりと強張った。
たしかに黄牙の民は比較的強い身体を持っているのは事実だが、痛みを感じないわけではない。血を流さないわけではない。
「やめとけ。こいつらはもっと末永い金儲けに使うんだからな」
デモンストレーションの刃が女の一人を傷つけようと揺れたとき、それを止めるように声が上がった。
肉厚な両刃の剣を手入れしている男。
「末永い? こいつらを一体どうするんで、隊長?」
男の言葉からすると制止の言葉をかけたのはこの小隊の隊長なのだろう。部下の問いに隊長と呼ばれた男はニタリと笑みを浮かべた。
「延々と子供を創らせるんだよ。大量に繁殖させれば俺たちはずっと儲けられるだろ。永いこと可愛がってやるぜぇ、お嬢ちゃん」
ぺたぺたと剣を胎へと当てられた黄牙の女性は涙を流しながらギュッと瞳を閉じた。
人ではなく家畜を見る目。だが、それは家畜よりも使い勝手がよかった。高く売れる値。そして女として使える体。
「ん~、でもおたくの将軍様は、お許しにならんのでは~?」
商品の使い道を説明する男に対して、違法を尋ねる商人。だが、それは人の倫理観を気にしてのことではない。
ただ、自分の身の安全が確認できていないことを心配しているのだ。
奴隷商人などということものに手を出している以上、完全な安全などは求めてはいない。だが、幾らなんでも戦場近くで、正規軍と敵対してまでやりたいとは思わないのだ。
「いーんですよぉ。あんなお姫様」
商人の心配を他所に、兵たちは楽観的に自分たちの上官を侮るように笑った。
だが、
「隊長!!」」
「ん~?」
「前にっ!」
前方の御者席から何かを知らせる大声がかけられ、商人との話が遮られた。兵たちにもこれが違法であり、軍法にも叛いているという意識はあった。ゆえに周囲への警戒はしていたし、なるべく人の目につかない経路を選択したのだ。
「どうし」
問いかける言葉は途中で途切れた。
疾走する密室。その匣に一瞬で閃が入り、次の瞬間には真っ二つに斬り裂かれたのだから。
✡✡✡
「止まれ」
高原の街道を馬で駆けていた光が光雲たちに合図を送り、馬を止めた。光について来た光雲と元羽鈴団の者たちは合図に従い馬を止め、光に視線を向けた。光はなにやら馬から降りており、光雲たちの見ている前で地面に耳を押し当てた。
「なにをしているんだ?」
「ちょっと黙ってろ」
訝しげに問いかける光雲。光はそれに短く返し、何かを聴くのに集中するように目を閉じた。
1秒、2秒……数秒がたち、光雲が再び口を開こうとすると、光は目を開き、すくっ、と身を起こした。
「まさか、馬の疾走の音でも聞くつもりだったのか?」
耳を地面に押し付けていたことから、ほんの冗談のつもりで問いかけた光雲だったが、光は真剣な眼差しのまま街道の先を見据えた。
「ああ。どうやらこの道で正解だったようだ」
「…………ほんとか?」
返ってきた答えは首肯だった。
たしかに物見の兵の中には、聴覚で軍馬の駆ける音を探知する者がいないではないが、それはあくまでも軍馬。つまり大勢の馬の集団が駆ける音だからだ。
視界の広いこの高原で数頭しかいないであろう馬の駆ける音を聞き取れるかと言われれば少なくとも光雲にはできない。
「こっちに馬車が向かってきている。が、予想が少し外れていたようだ」
「なんだ?」
話しているうちに光雲にも見えてきた。遠くから荷車を引く2頭立ての馬車。目視できる限りにおいてそれが奴隷狩りをした自軍の兵のものとは限らないが、光の勘を信じるのならばまずあたりだろう。
ただ、意外にも光は予想が外れたと口にした。
「てっきり1台だと思っていたんだが、随分と欲を張ったらしいな」
「2台、か」
人目をはばかる奴隷狩りだけに、光は馬車を使ってもせいぜい一台だけだろうと踏んで、機動性重視の少数で来たのだが、予想外に馬車は2台。
「それに……まあいい。とっとと済ませるぞ。1台は俺がやる。光雲は兵ともにもう1台をやれ」
「簡単に言ってくれる」
1台の馬車とは言え、疾走して勢いに乗る馬車だ。ましてこちらの人数は少ない。囲んで勢いを止めることは難しいだろう。
もっとも、それを言うなら一人で、下馬した状態で馬車に向き合おうとしている奴の方が無茶だとも言えるが、そちらに関しては最早諦めのように任せておくことにした。
疾走してくる馬車。その御者席に座る兵は予想通り煌帝国の鎧に身を包んでいる。
こちらが馬車を視認したように、どうやらあちらでも光たちを視認したらしく、御者が中に呼びかけている姿が見えた。
光の狙いは2台の内の先を走る1台。
どうやら光が狙う馬車は、下馬している光を轢き殺すつもりらしく、馬に鞭をうって速度を上げた。
疾駆する馬車の音が高原に響き渡り、見る間に光との距離を縮めていく。
光は納刀した状態の刀の柄に右手を当て、迫りくる馬車を見据えた。
馬を操る御者が吐き捨てるように光に何かを喚くが、光はただ斬るべき狙いを定めるために集中を高めた。
馬車の中には、斬ってはいけない者が居る可能性が高い。狙いは馬車の脚を止めること。
間近に迫る馬車を前に、光は静かに鯉口を切った。
「死ねぇ!!! ……え?」
疾駆する馬が光に接触する。その寸前、光の姿が御者の視界から消えるように跳んだ。
すれ違う御者と光。抜刀の鞘走りで速められた剣閃は一瞬で二筋の煌きを描いた。
一太刀目で御者の手綱を切り、続く二太刀目は音もなく荷台の中央に筋を入れた。
宙にある光はそのまま馬車に激突……することはなかった。
「なっ!!?」「んん――ッ!!!」
斬り裂かれ二つに分かれた馬車が倒れる。その只中を通り過ぎた光は納刀した状態で地に着地した。斬り裂かれた馬車の中から驚きの声とくぐもった悲鳴が上がる。
予想通り、中には攫われた黄牙の民が ――手を縛られ猿轡を噛まされた数人の女性が居た。
「貴様っ! 和国のっ!!」
一方で馬車内にいた兵が光の姿に怒鳴り声を上げた。
光が白瑛の側の者だというのはすでに明らか。そして今のこの状況からしても、奴隷狩りである自分たちを邪魔しようとしているのも、明らか。
馬車に乗っていた兵は御者を含めて5人。最初の横転で御者は行動不能になっているが、中にいた4人は意識を保っていた。
いずれも煌帝国軍の鎧に身を包む兵だ。そのうちの一人が体勢を整え、剣を構えようとするが、
「がっ!!」
「ひぃっ!」
光は剣を構えようとした兵に一瞬で詰め寄り、納刀した桜花を再び抜刀、勢いそのままに柄で額を打ち付けた。
一撃を額に受けた兵は潰れたような声を上げて昏倒し、近くにいた男が悲鳴を上げた。
光はちらりとそちらを見た。白い髭を蓄え、一見すると好々爺といった風にも見えなくもない男。着ている衣裳は兵のような軍属の衣裳ではなく、黄牙の民の者とも違う。
「商人か……」
腰を抜かしている男を非戦闘員と即断した光は、ひとまずそちらを無視した。一瞬で一人をやられて逃走しようと背を見せている兵に振り向き、その延髄に柄を叩き込んで昏倒させた。
「うわぁ! くそがぁ!」
光について来た兵がもう一台に向かっているためにこちらの馬車の相手にいた者を相手取っているのが光独りだということに気がついたのか、それとも瞬く間に二人をやられ恐慌状態に陥ったのか、手にしていた剣をやたら滅多らに振り回して光を近づけまいとした。
「来るな、来るなぁっ!!」
光は振り回される剣を脅威とも思わない歩みで近づき、切りつけようとした剣を紙一重で避け、桜花を一閃。振るわれていた剣を手から弾き飛ばした。
「ひっ! がっ!!」
当たる気がしないとはいえ、振るっていた暴力の象徴たる剣がその手から消えたことで、一層恐怖に顔を引きつらせる兵に光は掌底を一撃、顎に直撃させて意識を刈り取った。
―――3人目、あと一人。
次々に兵を無力化していた光が素早く視線を走らせた。残る一人は這う這うの体で逃亡しようとしており、追いつくのはさして難しくない。だが、問題は……
「ちっ」
もう一台の馬車。そちらに向かっていた光雲たちは、馬上戦であることを活かしてまず脚を止めようとしたようだが、それがゆえに奇襲戦ではなくがっつりと組みあうように交戦状態に陥っていた。
舌を打ちそちらの援護へ向かおうとした光だが、
「! 時間切れか!」
もう一つの勢力が怒涛の如くに迫り、馬車に駆けて行くのを目にして大声を上げた。
「光雲、兵を下げろ! 黄牙の民だ! やりあうな!!」
自軍の兵と争っている最中に来襲した別の勢力。騎馬としての威力を発揮して駆けてきたそれに光雲は反射的に応戦しようとしたが、光の怒声が聞こえたのか、周りの兵に指示をだして馬車から僅かに距離を置いた。
黄牙の騎馬の力に、馬車単体では応戦することもできずに瞬く間に奴隷狩りは制圧された。
黄牙の男たちの何人かは、攫われた仲間の女性たちに駆け寄りその安否確認に回っているようだが、多くは光たちに警戒の眼差しを向けていた。
「お前は……あの時、村に来ていた和国のやつだな」
「ああ」
馬を巡らして光の前面に展開する黄牙の民たちが猜疑心に満ちた瞳で光に向け、その中の一人が問いかけた。
光はここが未だ戦場に準じる場であることを理解しながら、刀を鞘に納め、非戦の意思を示した。
先ほど馬車の存在を認識した際、光はそれを追尾してくる一段の存在も感じていた。馬車よりも遠くに、しかしその馬の数は多く、格段に迅い。
それゆえに戦闘状態をなるべく早くに終えておきたかったのだが、予想外に彼らが早く到着してしまい、あわやのところで混戦状態となってしまった。
もっともそれは光たちが手間取った為というよりも、むしろ彼らの騎馬での移動速度が光の想定よりも大きく上回っていたためだ。もしも彼らに攫われた仲間の奪還以上の意図があれば、光雲たちがすばやく手を引いたとはいえ交戦状態に陥っていただろう。
「おい、皇。どうするんだ?」
「とりあえずここで交戦するわけにはいかん。全員武器を納めろ」
奴隷狩りを行っていた兵の拘束を終えた光雲が光の傍に来て問いかけ、光は自身がしたのと同じように武器を納めるように指示をだした。
相手方が殺気立っている前で武器を下すのは難しい。配下の兵は少し逡巡したそぶりを見せて、一応武器を下した。
「奴隷狩りをしてきたやつらが、どういうつもりだ?」
黄牙の者も駆けつけた時にはすでに交戦状態で、それが収集するなり武器を下した光たちに戸惑いは覚えているらしく、声音は少し荒くなってはいるが、問答無用で交戦する意思はないようだ。
「こちらの軍の一部が奴隷商人と通じていて、それを粛清したところだ。面倒をかけたことは謝罪しよう」
今回の騒動。光たちにとって裏切者がしでかしたことではあるが、黄牙の側からしてみれば、明らかに悪いのは煌の側であり、その点に関して光は謝罪を口にした。
だが、傘下に下そうという相手を前に、その交渉中に卑屈な態度をとるわけにはいかず、結果的に光の態度は黄牙の側をわずかに煽った形となった。
「てめえっ!」
「よせ!」
いきり立つ黄牙の戦士たちだが、リーダー格らしい若い男が、攫われていた女とともに前へ進み出てきた。
直前まで攫われるという恐怖を受けていた女性だが、今は戦になりそうな雰囲気を察してか心配そうに進み出た男をちらちらと見ており、黄牙の男は強い意志を感じさせる眼差しで光と対面した。
「奴隷狩りは一部の者のせいで、自分たちは関係ない。そう言いたいのか?」
「……そうだ。と言いたいところだが、そう言うわけにもいくまい。この件はきっちり片をつける。こちらの将軍にもその旨を伝えよう」
一見冷静そうに見えるリーダー格の男だが、その瞳には紛れもなく怒りの色が潜んでいる。怒りと、それを押し留めようとするなにか、強い意志。
切り合いになることも覚悟していた光だが、話の余地がありそうな様子に意外感を覚えつつ答えた。
「……今さら信じられると思っているのか!?」
“今さら”。それはつまり、信用される余地は、少なくとも奴隷狩りの件がなければ皆無ではなかったのだろう。
とは言え、この状況になってしまえば、冷静さを残してはいても不信感は拭えない。
「もっともだ……光雲。そいつらを白瑛のところまで連行して、首謀者を吐き出させろ」
「……お前は?」
光は拘束した兵たちを連行するように光雲に命令した。だが、まるで自分は戻らないと言っているような口ぶりに光雲は眉を顰めて尋ねた。
「このまま引き下がってはあちらの気も治まるまい」
訝しげな視線を向けてくる光雲に光は和刀を納刀したまま腰から外して差し出した。押し付けられるように手渡されたそれを、反射的に受け取ろうとした光雲だが、渡されているものに気づいて顰めていた眉をさらに険しくして光を睨み付けた。
「おい」
光雲が知る限りにおいても、光が和刀を誰かに預けたところは見たことが無い。思い入れがあり、代えのきかない武器であるということもあるし、金属器という破格の力でもあるのだ。それこそ肌身離さず持ち歩いているほどのはずだ。
「交渉の時まで俺が黄牙の村で事情でも説明しておく。煌がまた何か仕掛けて来た時は、俺の首を落とすなり、人質として押し出すなり好きにしろ」
殺気立つ集団の中に無手で赴く。体術でも十分な強さを持つ光ではあるが、おそらく本気で戦闘の意志はないのだろう。
「これでも煌にとっては重要な同盟国の特使だ。将軍も無碍には扱えんぞ?」
いきなりの光の申し出に、殺気だっていた黄牙の戦士も意表をつかれたように戸惑い、顔を見合わせている。
先程からの様子を見るに、黄牙の戦士としても、奴隷狩りは許せなくとも戦争を起こす意志はないのかもしれない。
そこまで見越しての申し出なのか、そうでないのかは光雲には分からない。ただ……
「だからお前がそんなにひょいひょいと身を危険に晒すな」
「おい」
ただ、自分で守るべきものがあるはずなのに、それから簡単に離れ、立場などお構いなしに命を賭け金にでもしている馬鹿に苛立った。
光雲は押し付けられた和刀を強引に持ち主に押し返して前に進み出た。
「あいつら連れていくのはお前がやれ。置物には俺たちがなる」
羽鈴団だったころの配下の半数を引き連れ、残り半数に連行するように命令した。
かつて自分たちは、何かを正したいと願った。でもそのやり方が分からなくて、ただ生きることしかしようとしなかった。
そんな自分たちに道を示し、真に世界を変えようと動く奴ら。
それができるかどうかは分からない。ただ、その志の尊さは分かる。だから、その手助けをしたい。
「こんな下らんことを仕掛けたやつはきっちり落とし前をつけろ、いいな!」
少しでも世界のためとやらに、自分のできることを役立てたい。そう、思ったのだ。