煌きは白く   作:バルボロッサ

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第13話

帝都、禁城の一室。

 

「なー、紅炎。暇じゃね?」

 

 煌帝国の神官ジュダルと第1皇子の練紅炎が話していた。煌帝国において皇帝を除けば名実ともに重鎮クラスの重要人物二人だが、一方のジュダルは暇を持て余したように気だるげな様相を見せており、しゃくりと手に持っていた桃を口にした。

 

「んー。暇ではないが……次の戦争までまだやることがあるからな」

 

 他方紅炎は、皇族筆頭であるとともに有力な将軍であるので平時においてもいろいろと書類仕事をこなしているが、口調もいまいち覇気に欠け、ぼーっとしたように書類に眼を落していた。

 軍務、実務ともに有能な皇子ではあるのだが、戦争好きの噂通り、戦時に於いては鮮烈な覇気を放つものの、平時に於いてはぼーっとしていることが多い。

 

「暇なら迷宮行こうぜ」

「迷宮か……この間、白瑛が第9迷宮を攻略したところだろう」

 

 ジュダルの神官としての務め、マギとしての役割は、これと見込んだ煌帝国の将を迷宮に誘い、王の器、ジンの金属器の担い手とすることだ。また、迷宮の攻略は、迷宮内に存在する数多の財宝や迷宮道具、迷宮生物など様々な恩恵を攻略者にもたらす。戦争国家である煌帝国にとって迷宮攻略は重要な財源であるとともに、戦略上重要な戦力を得るためのものでもある。

 もっともジュダルが迷宮攻略に誘うのは半ば趣味のようなものでもあり、娯楽のようなものでもあるようだが……

 

「いいじゃねえか。お前なら3つ目もいけるって。バカ殿は7つ。器ならお前も負けちゃいねえって」

 

 現在煌帝国には4体のジンと3人の王の器。そして加えて1体のジンとその担い手が存在している。そのうち2体のジンが紅炎に力を与えている。

 

 世にも稀な複数迷宮攻略者

 現在確認されているのは七海の覇王・シンドバッドと炎帝・練紅炎の二人のみだ。ただし、ジュダルの言うように、7体のジンを従えるシンドバッドに対して紅炎はまだ2体。

 そしてジュダルの見立てでは、紅炎にはまだ先があると見ていた。

 

「3つ目の迷宮攻略か……そうだな」

 

 ジュダルの誘いに紅炎は手にしていた書類から視線を上げて外を見た。

 紅炎の私室からは見えないが、外ではジンの担い手の一人が義妹に稽古をつけているはずだ。

 紅炎や白瑛とはまた違う王の器を持つはずの男。

 

 剣技は優れている。魔力操作能力と組み合わせたそれは、一騎打ちでは煌帝国の将の中でも抜きんでているかもしれない。

 そのほかの能力を見ても紅炎自身にそうそう引けをとらないだろうことが分かる。

 強いて言うならば内包する魔力の量が紅炎に比べて少ないことだ。だがそれは紅炎の量が規格外なのであって、他の者と比べれば、例えば白瑛や紅覇に比べれば圧倒的に上回っている。

 

 だが器ではない。

 なぜだかそんな予感がするのだ。

 

 紅炎の視線の向く先を察したのか、ジュダルはにやりと笑みを浮かべて身を起こした。

 

「攻略者っつたら、白瑛のとこのやつだけど、あいつは器じゃねーぞ」

「ほう……なぜ分かる?」

 

 まさに紅炎が抱いていた予感を裏付ける答えをジュダルは言い、紅炎はジュダルに視線を向けた。

 マギであるジュダルが王の器ではない。と言えば、それは単なる予感では済まない。もしかすると他のマギにとっては違うのかもしれないが、少なくとも煌帝国においては王の器ではない。

 

「おいおい、俺はマギだぜ? 漂ってるルフを見ればだいたい予想はつくさ。なんせあいつから漂うルフは―――――」

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 煌帝国領土の一角

 

 聳え立つ古代王朝の遺跡。ジュダルによって世界に現出させられた迷宮の一つに、今二人の挑戦者が挑んでいた。

 

 

「行ったぞ」

「ふっ!」

 

 襲い掛かってきた猿のような迷宮生物は外見通りの素早さをもって侵入者を翻弄するのだろう。だが、二人の侵入者はその格というものがまるで違った。

 二人のうちの一人、両刃の剣を持つ赤い髪の男、紅炎が平静のような声音でもう一人に注意を促し、もう一人の男、光は一瞬の抜刀で迷宮生物を両断した。

 

 二人の周りには無数の迷宮生物のなれの果てが転がっており、見渡せる範囲に於いて最後の1匹を切り捨てた光は残心しつつも息をついた。

 

「迷宮は久方ぶりだが……一人より二人の方がしんどいというのも難儀な話だ」

「踏み込むものの力量に応じて難易度が変わるんだ。仕方ないだろう」

 

 紅炎も持っていた剣を一振りして、汚れを払った。

 紅炎と光。二人の迷宮攻略者が、マギを伴わず、そして眷属などを伴わずに迷宮に踏み込んでいた。

 

「なるほど。ならこれは紅炎殿のせいということだな」

「ふん。それほど苦労しているようにも見えんが?」

 

 紅炎の眷属や彼を慕う部下たちに睨まれながら迷宮に入った光だが、それは彼自身が立候補したわけでも希望したわけでもなく、唐突に白瑛の元から駆り出されたのだ。

 

「紅炎殿の眷属やら煌の将軍やらに睨まれてまで入りたくはなかったな。眷属も配下も連れずに二人っきりで入るなんて、どういうつもりだ?」

「なに。暇を持て余しながら報告を仕上げるくらいなら、今後うまくやっていくためにも義弟と共同作業をする方が益があると思っただけのことだ」

 

 迷宮に入る前の紅炎の眷属の眼差しと言ったら、主と二人きりで迷宮に挑むという光に警戒心を露わにして見ており、冷ややかな眼で紅炎を見やると、当人は知れっとした顔で、要はヒマつぶしだと言わんばかりに嘯いていた。

 

「バカだと言われないか?」

「特に覚えはないな」

 

 暇を持て余して、という訳でも……完全には無いわけではないが、部下に無断で迷宮攻略をしたり、盗賊退治をやっていたりした過去を考えて光は、彼の幼馴染に散々言われた言葉を問いかけてみた。

 

「なんだ。幼馴染とかいないのか?」

「なるほど。言われたな?」

「……」

 

 だが、どうやら紅炎には光にとっての融のような者は居なかったようで、あるいは居なくなったようでしれっと返した挙句に図星をつかれて光は沈黙した。

 

 昔幼馴染に口を酸っぱくして言われたことを思いだしてか、それともその時のことを懐かしんでか、光はむすっとしたまま迷宮を進んだ。その表情にくっくっ、と笑っていた紅炎は不意に表情を真剣なモノにして口を開いた。 

 

「ここに来たのは、お前と話したかったからだ」

 

 変わった声音と雰囲気に光は振り向いて真剣な眼差しを紅炎に向けた。紅炎と光、二人のジンの担い手がしばし互いを探るような視線を交わし、次に口を開いたのは紅炎だった。 

 

「近く俺は征西軍の総督として戦にでる」

「ほぅ」

 

 出てきた言葉は、これからのこと。戦争のことだった。大陸の極東に位置する煌帝国からすると東にある和国とは同盟関係。世界の覇権を握るために進出していくならば当然西に征進するものだし、白瑛の迷宮攻略によって戦力の増強や軍費をまかなうあてができた以上、戦を始めるのは ―それを厭う白瑛には皮肉なことに― 流れとも言える。

 

「西に征くルートはいくつかあるのだが、その中でも北方兵団の将を誰にするかで意見が分かれていてな」

「おいおい。それで他国の人間に意見を求めるのか?」

 

 光の頭に浮かんだ皮肉を無視するように紅炎は言葉を続けた。だがその内容は本来軍議や閣議、国内の重要案件として禁城で話すべき内容であり、光は呆れたような表情をしてみせた。

 

「まぁ聞け。お前にも関係のあることだ」

 

 相手が呆れたようなフリをしてみせていることを分かっていながら、紅炎はそれを片手を挙げて制して続けた。

 西に赴くなら東の島国である和国とはまあ関係が薄い。しかし関係があるということは、“増強された戦力”が光と関係が強いからだろう。

 

「候補者の一人は呂斎。お前も何度か会ったことがあるだろ?」

「ああ」

 

 まず出てきたのは、あまり関係のない名前。

 

 呂斎

 その思想はまさに、侵略国家の煌帝国の将というに相応しいもので、光が(名目上)仕えている白瑛とは折り合いが悪い。ただ、戦に関しては有能で、目に見える戦果をあげてきているだけに今の将軍の中ではなかなかに覚えのめでたい男だ。

 

「皇帝の近くでうろついていた昔からの幕僚のやつらが主に推していてな」

「用兵術には長けているし、皇帝陛下の信任もあるのなら別に問題ないだろ」

 

 呂斎の戦術面での有能さは光も目にしたことがあるし、宮中に於いては、危険分子である白瑛たちの監視を任されるほどに信任されている。配置によっては監視役を変える必要が出るかもしれないが、それはまさに宮中で決めることで光や白瑛がとやかく言えるものではない。

 

「まあそうなんだが、ここにきてもう一人候補者がでてきてな」

「……」

 

 だが、それだけで終わるではなく紅炎は、試すような眼差しを光に向けた。紅炎の試すような眼差しの意図、次にあげられる名前を予測しているかと言えば、予測はできていた。

 ここまでの話の流れと、わざわざ白瑛を守ると宣言している光に話すことからも、そして増強された戦力であることを考えれば、自ずと分かる。

 

「予想はついているようだが、白瑛だ」

「迷宮を攻略したからか?」

 

 出てきた名前は予想通り、もっとも出て欲しくない言葉ではあった。分かっていながら、一応光は足掻いてみた。

 迷宮の攻略は煌帝国の意志であり、また白瑛自身の望んだことでもある。

 

 正しい力と心を持つ、唯一の王が世界を一つに治めるために、

 誰も死なぬ世の中を創るために

 

 志半ばで死んでしまった先王、父の意志を継ぐために

 

「そういうことだ。主に神官たちが推していてな。そのせいでいい顔はされていないが、意見としては大きくなっているんだよ」

 

 白瑛自身が世界の王になる望を抱いているとは光も思っていない。彼女はただ、その世界を統べるに相応しい者の助力になりたいと願っているのだ。そしてそれを紅炎に向けられるかもしれないとも。

 

「……問題があるようには感じんな。総督が紅炎殿だというなら紅炎殿次第だろう。貴方が悩んでいるようには見えんな」

 

 そんな白瑛の思いも知っているだけに光は答えた。事実目の前に立つこの男が他人に判断を依拠する男には見えないし、それを求めているとも思っていない。

 

 そして、世界の覇権争いなどに乗り出す気のない和国に比べて、煌帝国の、その中でも練紅炎という男は、光から見ても王の器の大きな男だと見ていた。

 白瑛が自らの道として、この男を王に立て、自らは武人としての道を歩くというのなら、光はただ、その傍らで彼女を守るために力を尽くすだけだ。

 

 それが――――――

 

「そうでもない。北方には異民族が多くてな。ああ、そういえば大黄牙帝国の末裔も北方に居るな。そういう意味でもお前とは縁があるな?」

 

 思考が別の方向に逸れかけていた光だが、紅炎の話は続いており、一応は悩んでいるふりをしてみせた。というよりも悩んでいるのは紅炎ではなく、周りの、白瑛を危険視したい連中を大人しくする口実を求めている、といったところかもしれない。

 

「どれだけ昔の話だと思っている。そんな身に覚えもないような昔の縁など、縁になるか」

「それもそうだな。まあ、それはいいとして、他にも少数ながら屈強な民族の抵抗が多数予想されていてな。できるだけ犠牲少なく進めたい。そのためには金属器の力を持つ白瑛を将とした方がいいという意見があってな。お前ならばどちらを選ぶ?」

 

 わざわざ関係性を強調して、試すための意見を求めてくる紅炎にバッサリと言い返すと、紅炎はあっさりと質問に移った。

 

 征西軍の一方面団の将としてどちらを選ぶか

 

 彼らと同じジンの金属器使いである白瑛か

 宮中における信任のある呂斎か

 

 光が口にした名前は

 

「……白瑛だ」

「ほぅ」

 

 自らが守ると約した女の名だった。

 

「意外か?」

「意外だな。お前は金属器の力など考慮に入れんと思っていたし、むしろ白瑛を戦から遠ざけると思っていたがな」

 

 紅炎はあまり意外に思っていなさそうな声音で、ただ演技のつもりかわずかばかり顔には驚きのようなものを張り付けている。

 

「俺が紅炎殿の立場なら、だろう? それならば金属器が無くとも白瑛を選ぶ」

「理由を伺いたいところだな」

 

 それに対して光は、迷宮攻略者としての練白瑛ではなく、皇女・練白瑛としての資質をこそ見ていることを告げた。それは単なる戦術的なものや、個人の持つ武力が故にではない。

 

「呂斎は用兵術には長けているが、統治力がない。戦の犠牲を減らせても、統治した地域からの協力が得られん。そういったところでは白瑛の方が長けている。戦局だけ見るなら兵団の将に据える必要はない。方面軍の将として任じるなら呂斎は選べん」

 

 戦に関しては呂斎の腕前はたしかに中々のものがある。だが、他者を侮り、無闇と戦闘を好む呂斎では将には向かない。将ならば、特に異民族平定の任を帯びる方面軍の将は、その地域の一時的な統治や異民族からの信用を得て、そこからの戦線維持を行わなければならない。

 それを考えると、他国の者や目下の者を侮ることを隠そうともしない呂斎は不適格と言わざるを得ない。対して白瑛は戦運びにこそ若干の不安はあるものの、賊軍ですら配下に組み込んだという実績と度量の大きさがある。戦運びに関しては、周りの者が補うことができても、トップに魅力がなければついてはこない。呂斎にはそこが致命的に欠けている。 

 

「ほーぅ」

「意外そうな顔をするな。どうせ紅炎殿も同じ考えだったのだろう」

 

 戦争好きという点では、呂斎は紅炎と通じる所があるかもしれないが、その中身は大きく異なる。

 

「そうかな? 俺は戦好きだからな。むしろ呂斎を推しているかもしれんぞ?」

「いや。貴方は白瑛を推している」

 

 戦争で人を殺すことを、人と人とが争うことを楽しむ呂斎とは異なり、紅炎は戦争好きではあっても目的のためのものとしての戦であり無闇とは起こさない。収められるものならば、無傷で収める。

 

「ふん。相変わらず感が鋭いな」

 

 見透かされているようで不快に思うかと思いきや、鼻を鳴らす紅炎は、存外に面白そうだとでも言いたげな表情を浮かべていた。話が一区切りついたことで光は迷宮を進む歩みを再開し、視線を外した。

 

「それで、話したいことというのは今のか?」

「いいや? むしろここからが本題だな」

「……」

 

 だが、今までの話は、これから始まる本題のための単なる前菜にすぎなかった。続いた言葉に光は再開した歩みを止めて紅炎に振り向いた。その顔からはすでに笑みが消えており、指すような視線が向けられていた。

 

「今から話すのは煌帝国でも限られた者しか知らん機密だ」

「そんな話を他国の人間に聞かせるべきではないだろう」

 

 炎帝・練紅炎。その通り名の如くに、苛烈な燃えるような瞳が向けられており、光はこちらも一応足掻いてみた。

 

「中から色々と調べられるのは正直鬱陶しくてな。しかもお前ほどの相手だ。立ち位置をはっきりさせておこうかと思ったまでだ」

「……」

 

 だが、返ってきた言葉は、その体から発せられる威圧感と共に光を沈黙させるには十分だった。

 

「自分を餌にしてたヤツがそんな驚いた顔をするなよ」

「かかった獲物が大きすぎてな」

 

 バレていないなどと甘い期待は抱いてはいなかった。むしろ誰が敵か分からないため、どのように動くかを誘っていたところはある。

 資料探し、鍛練場、何気ない風な日常。

 

 練紅明、練紅覇、練紅玉、ジュダル、練紅徳

 呂斎、李青舜、練白龍、練玉艶……

 

 様々な相手に隙を見せつつ、接触してみた。どのみち敵の懐に飛び込む以上、そしてその懐に白瑛がいる以上、隠れてこそこそし続けることなど不可能だ。

 

「これでも、お前のことは気に入ってはいる。敵にし、味方にしろ、どちらの位置でも楽しめそうだが、はっきりせんことにはやりづらい。」

 

 気に入っているというのは、本当なのだろう。そして、それ以上に、気になっている、というのもあるのかもしれない。

 

「そうだな。最初から話すのも面倒だ。どこまで調べた?」

 

 紅炎のなんでもないような口調の問いかけに、光はその内面を見透かすように眼を細めた。

話すと言っているのは、なにも自分を味方と見定めたからとは限らない。むしろ敵と見定めてのことの可能性の方が大きい。そのことは紅炎の瞳が雄弁に語っていた。光が紅炎を見透かそうとしているのと同様、紅炎もまた光を見定めようという眼差しを向けている。

 

 下手なことを口にするとこの場が戦場となるかもしれない。迷宮攻略者同士の戦場に。

 

 

 しばしためらった光は、意を決して口を開いた。

 もとより覚悟の上で煌帝国に足を踏み入れているのだ。

 

「……はっきり分かっているのは煌帝国の建国にある組織が絡んでいることくらいだな」

「ほぅ」

 

 煌帝国が魔窟のような状況になっているのは、当の昔に知っていた。

 だからこそ、そこに無防備に飛び込んできたなどということは、いくら光でもしない。そんなことではなにも守れない。

 

 だが外から調べるだけでは限度がある。そのため、特使が来たのだ。

 結果、わかったことは、誰が白瑛の味方で、誰が敵でもおかしくはないという事だ。

 

「……父王や兄王が八芒星の組織と呼んでいる集団がなにやら煌帝国の影でやっているというのは知っている。あの神官は間違いなく当たりだろうが、ほかに誰が繋がっているのかはまだ分かっていない」

「八芒星の組織、か……俺達は単に『組織』と呼んでいるが……ふむ。そこまでは分かっているか」

 

 仇敵を指す、光の -和の- 呼び方に対して返した紅炎の答えは、笑みを象る口元とまったく笑っていない瞳とによって、敵なのか味方なのか、判然としかねるものであった。

 

 『組織』

 歴史の裏に、影に、闇に巣食い、操ろうとする組織。決して一つの名を名乗ろうとはしない、謎の目的をもった集団。

 

 

 そして

 

 

「なら叔父上、前皇帝が亡くなられたのは亡国の敗残兵の仕業などではない、というのは?」

 

 続けられた紅炎の言葉に光の気が、すっと冷たさを増した。

 

「……確信は持ててなかった。だが後の状況を見ればその可能性は大きいとは思っている」

「では、誰が、というのは?」

 

 話の流れを解せないほど鈍感ではない。

 組織の話をわざわざ初代皇帝暗殺の話に捻じ曲げたのだ。その意味するところは、明白だった。

 

 静けさがあたりを覆った。

 

「……」

「……そこまでは掴めなかった。来る前は迷宮攻略者のどちらかかと思ったんだがな」

 

 しばらくの沈黙の後、言葉になったのは、目の前の男か、その弟こそが真犯人だと推測していたという事実だ。

 

 紅炎と紅明。

 

 初代皇帝暗殺の前後に力をつけた、前皇帝の下では皇位継承権のほぼない下位の皇族。現皇帝勢力では継承権筆頭の二人。

 

 敵とあたりをつけた相手に、それを答えたのは

 

「ほぅ。それで、のこのことついて来たのはどういうわけだ?」

「……なんとなく違う気がした、といったところだ」

 

 実際に紅炎を見ての勘だった。

 それで外れていたとして、別に困りはしない。

 

 迷宮というのは外界から隔絶し、死者がでてもなんらおかしくない。むしろ生還できる方が奇跡的な場所。

 つまり暗殺が公然と行える所なのだ。

 

 もっとも、

 

「俺だ、と言ったらどうする?」

「…………」

 

 それは逆のことも言える。

 暗殺することを主眼に置いていたからこそ、光をここに誘い込んだ。

 

 紅炎の一言に、場の空気が凍てついていた。

 光の表情から色が消え、紅炎の纏う空気も好戦的なそれへと変わる。

 

「白瑛の父と兄とを殺し、今なお白瑛たちの命を狙うのが俺だ、と言ったら?」

 

 裂帛の気迫が大気を満たし、ピシリ、ピシリと壁や床に亀裂を作っていく。

 不意に重圧のような気配が薄れ、

 

 

「ギャあああ!!!!」

 

 一瞬の内に光の姿が消え、次の瞬間、断末魔の叫びが上がる。納刀していた状態からの一刀は剣閃どころか身のこなしすら目に映ることが無く、

 

「ほぅ」

「斬る」

 

 紅炎の背後に忍び寄ろうとしていた化け物を両断した。

 

 背後の存在に気づいていながら、紅炎は対応の素振りを見せなかった。強圧な殺気を放つ光が、今、自分を斬ることはなく、話の途中で死なせるはずはないという計算というなの信用の上で。

 もっとも、それはすなわち信頼関係があるというものではなく、紅炎の打算通り、事の真偽を、少なくとも紅炎が知り、光が知らない情報を聞き出すまではというものだ。

 

 二人を取り巻く空気が濃密な剣気に覆われていく。

 

 

 眼差しだけで、そこに込められた気だけで人を殺さんばかりの視線を受けている紅炎は、不意に笑みを浮かべ、緊迫を解いた。

 

「ふっ」

「……知っているのか?」

 

 そこに込められた笑みの意味を理解した光は、眼差しは鋭いままに、剣気を緩めた。

 この男が、少なくとも、この状況でそんなことを暴露する男ではない。

 やるとすれば、真実を交渉材料とすること

 

「ああ……」

 

 光の眼差しを受け、紅炎は頷きを返した。

 

「前皇帝、白瑛の父、練白徳を殺し。大火に見せて白雄、白蓮の二人を殺したのは」

 

 煌帝国に深く深く根付く闇の大樹。その母体となる名。

 

「練玉艶。白瑛の母だ」

 

 紅炎の口から紡がれたその名に、光は一度眼を閉じ、再び開いた時には内に秘めた激情を隠しきっていた。

 

 何人の人間が紅炎の持つ真実に辿り着いているかは分からない。だが恐らくこの真実を白瑛は知らないだろう。知ればいかに真っ直ぐな気を持つ白瑛と言えど、否、真っ直ぐだからこそ、変わらずにはいられなかっただろう。

 

「思ったより驚いたようには見えんな」

「全く予想していなかった訳ではない。ただ、それを答えにはしたくなかった」

 

 感情を制御しきった光の様子に紅炎は、少しだけ感心したように言った。あるいはこの男ならこの結論に達しているかもしれないという期待があったのかもしれない。そして光の反応は、紅炎が予想していた中では最良の反応だったのだ。

 

「答えを知ってお前はどうする?」

「……別に変りはせん。前にも言ったように、白瑛を守る。それだけだ」

「できるのか?」

 

 そもそも、紅炎がこれをわざわざ光に告げたのは、他の者以上にこの男が信頼できるからでは決してない。ただ、この男が敵に回った時の厄介さを考えれば、まだ御しやすい白瑛のもとに縛り付けて置いた方が得策であり、そのための一手として最善だったからだ。

 探していた答えを知って、それでも以前と変わらぬ言葉を口にする光に紅炎は鋭い視線を向けた。

 

「……どういう意味だ?」

「ヤツラの力は強大だ。その力を利用して力を得る算段だが、知れば知る程ヤツラの深さは底が知れなくなる」

 

 外からでは探りきれなかったと光は言外に言ったが、それは間違いだ。紅炎を以てしても、内部からでもその実態を掴みきるには至っていないのだ。

 どこまで手を伸ばしているのか、どこまで奴らの思惑の内なのか

 

「協力でもするのか?」

「さて、な。ともかく俺は話した。歩み寄りたければお前も話せ。お前の隠す秘密を。お前の違和感の正体を」

 

 そして、この交渉の意義はもう一つ。

 感じていた違和感。マギ・ジュダルの語ったことの真偽。

 

 それを確かめること。

 

 この男が本当に(・・・)王の器たる皇光なのか

 

「…………」

 

 紅炎の一手に光の眼に剣呑な色が宿る。

 

 たしかに先に差し出された情報の価値は大きい。事の真偽を確かめることはできないが、警戒すべき相手であったことには違いないし、少なくとも紅炎は光、そして白瑛を自陣営に取り込もうとしているということは分かる。

 そして紅炎ほどの男が味方につけば、それは宮中における立ち回り的にも大きくメリットがある。

 

 厄介なのは

 

 この男に多大な力を授けているマギは真っ黒だということだ。

 

 ただ、いずれにしてもマギに眼をつけられた時点で、この(・・)光の隠したいことはすでに露見していると見ていいだろう。

 

 だから 

 

「俺は――――――」

 

 白瑛にすら告げていない真実を、告げてはいけない言葉を紡いだ。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 早馬から紅炎たちが帰還しているという報告を受けて、紅炎を慕う者たち -彼の配下、紅明や紅覇たちが城外を見守っていた。一応、もう一人の挑戦者である和の特使の帰還を待ち望む者もいないではないが、それは9:1にもならない比率差、9割9分9厘ほどが紅炎の方のみに関心を抱いていた。

 

 数少ない少数派。光のことも気にかけている白瑛や光雲たちもまた少し遅れて報せを受けて集っていた。

 

 やがて数人の眷属を伴って、空飛ぶ絨毯が遠くの空に姿を見せた。

 迷宮道具であるその絨毯には、迷宮攻略の証である数多の財宝とともに、無事な二人の姿もあった。

 紅炎と光。どちらも全くの無傷のように見える姿だ。

 

 二人の、といっても大多数は紅炎の無事な姿に安堵の息をもらし、気の早い数人は歓声をあげている。

 白瑛もまた光の帰還にほっと安堵の息をついた。

 

 光の強さは知ってはいても、それでも迷宮に挑んだ彼に対する心配はあった。  

 

 空飛ぶ絨毯は段々とその姿を大きくし、待ち受ける者たちの下へと無事に着陸した。

 

「炎兄!」

 

 紅炎を慕う紅覇を筆頭に、紅明や配下の者たちが降りてきた紅炎を取り囲み、期待に満ちた眼差しを向けた。

 その輪から外れたところでは光が、軽く手をあげて白瑛に無事な帰還をアピールしている。

 

「おかえりなさい、光殿」

「ああ」

 

 いつも通りの笑みを向ける白瑛に、光はふっと微笑を返す。そのやり取りを見ている白龍はむっとした様子になり、その横で青舜が苦笑いを浮かべる。

 

 そして

 

「それで、紅炎様! ジンは……」

 

 紅炎を囲む輪の一部から遠慮がちに問いが為された。

 絶対的な信頼をおく紅炎に対するものだからこそ、その問いは、問いかけてもいいものか不安を抱えたような声音だった。だが、その声音とはよそに、あたりはその質問によってシンと返答を求める間を作った。

 

自らの答えに期待に満ちた眼差しを受け、紅炎はちらりと光に視線を向けた。

光は紅炎の方を見ようとはせず、その態度は結果報告を紅炎に任せているようだ。

白瑛や白龍も二人の迷宮攻略者の優劣とも言える今回の挑戦の結果を聞こうと紅炎に視線を向けた。

 

紅炎の答えは、

 

「俺だ」

 

 明瞭なたった一言だった。

 だがその一言に、紅明は安堵の息を漏らし、紅覇や眷属たちは喜びの声を上げた。

 

「流石炎兄!」

「紅炎さま!!」

 

 紅炎と光。迷宮に挑んだ二人は、ついっと互いに視線を外し、紅炎は城内へと、光は白瑛の方に体を向けた。

 

「今度は選ばれなかったのか」

「二つあっても使わん。必要ないと思っているのに選ばれるはずなかろう」

 

 選ばれた紅炎には配下の者たちが喝采とともに付き従い、選ばれなかった光には光雲が問いかけた。

 それに対して光はあっさりと答え、すっと白瑛に向けて手を差し向けた。なにかを手渡すような素振りに白瑛は反射的に手を胸の前に差し出してそれを受け取った。

 

「光殿、これは?」

「迷宮土産だ。攻略者殿には許可をとってある。手伝った報酬代わりだ」

 

手渡されたのは円筒状の金細工の髪飾り。筒の中ほどに紅玉だろうか、赤い宝石がはめ込まれておりそれほど白瑛の黒い髪によく映えるだろう。

少し驚いたようにきょとんとしていた白瑛は、光の向けてくる微笑ににこりと笑みを返した。

 

「ふふ。ありがとうございます」

 

 ちなみに、微笑む白瑛のその横では、白龍がなんだか血でも吐きそうな顔で光を睨んでいたりする。

 

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 皇帝への報告を終え、迷宮攻略に関わる雑事を終えた紅炎は、ようやく一息ついて自室へと戻った。

 その部屋の中では、

 

「よう」

 

 暇を持て余したジュダルが気だるげに桃を食べていた。

 本来であれば神官と言えど、紅炎の私室に無断で立ち入ることなど許されるはずもない。だが、

 

「言ったとおりだったろ?」

「……ああ。たいしたものだなマギの眼は」

 

 今回は紅炎もまたジュダルと話したいことがあった。

 

 皇光

 

 和国に現れた迷宮を攻略した王の器……だったはずのもの

 

 だがこの男は言った。

 

 あの男は王の器ではない、と

 

なんせあいつから漂うルフは―――――

 

 

紫色だからな―――

 


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