煌きは白く   作:バルボロッサ

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第10話

 幾つかの地方の反乱を、ある時は武力を以て、ある時は交渉を以て鎮めてきた白瑛や光たちは、再び帝都へと戻っていた。

 

 

鍛練場

 

「っおお!!」

「ふっ」

 

 鍛練用の大剣を鋭く振るう男、菅光雲の一撃は細身の木刀を持つ光によって受け止められた。模造剣とはいえ明らかに重量のありそうなその大剣から繰り出される一撃は、直撃すれば容易く骨を砕いて殴殺できそうな一撃だが、光は技量によって一撃の軸をずらしていなした。

 

「っ! くっ! ぬぁあ!!」

「おお?」

 

 いつもであればいなされた勢いを立ち直らせることができずに追撃の一撃を受けて終わっていたが、光雲は膂力をもって強引にいなされた剣の軌道を薙ぎに切り替えて光の追撃を阻んだ。

 思わぬ反撃に光は右手に持っていた木刀の腹に左手を当ててその一撃をしのぎ、合わせて吹きとばされることでその威力を軽減させた。

 

「おおぉお!!」

「!」

 

 着地した光の体勢を整えまいと、光雲は強引に踏み込んで撃ち下ろしの斬撃を放った。体勢を崩していた光は相手に視線を向けた瞬間、追撃が迫っていることを見て取り、驚きに顔を染めた。

 崩れた体勢では先程のように斬撃をいなすことはできない。しかし彼我の武器の差を考えれば防ぐことは危険。そのため光は、踏み込まれた一歩からさらに内側に踏み込んだ。

 

「! がっ!」

 

 木刀を振る暇はない。そのため光は右手で持っていた木刀の柄を光雲の右手首に打ち込んだ。

 振り下ろしのスピードを交差法で受けた光雲は手首から走る激痛に苦悶の声を漏らし、しかしその大剣は振り切っていた。

 痛む手のままに振り下ろされた大剣の一撃は、光の残像を切り裂くようにその真横を通過して地面を穿った。

 

「づっ! おおぉ!」

「ぬっ!?」

 

 大剣の威力を出す利き手を封じられた光雲はしかし、雄叫びと共に左手一本で大剣を切り上げに振るった。さしもの光も近接からの強引なその一撃に驚いた表情となり、

 

「あ、しまっ……」

 

 気づいた瞬間には光は、振るわれた左手を掴んで円の軌道で合わせてそのままの流れで光雲を投げ飛ばしていた。

 投げ飛ばされた、というよりも地面に叩きつけられた光雲が潰れた蛙のようなうめき声をあげたことでハッと我に返った光だが、地面に伸びている光雲は完全に目を回している感じだった。

 

「……さて。次」

 

 些かばかりやり過ぎてしまった気はしたが、鍛練の場でのことだからと、さらりと流して光は次の稽古の相手に視線を向けた。

 そこには前回の遠征における討伐対象だった者たちの内の、いくらか武に自信のある者がいたが、大将だった者が眼を回している姿に、たじろいでいた。

 

「ん? いないのか?」

 

遠征先で白瑛との“交渉”によって降伏した元賊軍の将である光雲は、兵役という罰を受けることによって一団の者たちと共に軍属へとなっていた。

 

 呂斎は色々と諫言をいれてきたが、テコでも聞き入れそうにない白瑛の様子に、ひとまず賊軍は帝都での判断を仰ぐということ、つまりは実質的に軍務を取り仕切っている紅炎(もしくは紅明)に委ねることに決まった。

 

 現皇帝の派閥であり、白瑛の勢力を牽制する目的らしい呂斎の思惑とは逆に、紅炎は白瑛の意見を聞き入れて、光雲たち鈴羽団をその旗下に置くことを了承した。

 

 もっとも、つい先日までただの賊だったのだから、当然軍の訓練は必要であり、専ら光や光雲および、武に自信のある面々を叩きのめし、そこからさらに下に下にと教育していく形となっていた。

 

 この数日、散々叩きのめした成果からか、光の武力はかなり知れ渡り始めており、今も目を回している光雲を見て、及び腰になっており、光は志願する者がいないかとぐるりと見渡し、

 

 

「では、私もお願いします」

「……白瑛殿か。報告書の方はまとまったのか?」

 

 たじろぐ配下の者たちをよそに、志願してきたのは白瑛だった。

 討伐の報告もだが、新たに軍属となった者たちの書類もまとめなければならず、少しばかり鍛練場から足が遠ざかりかけていたのだが、どうやらそちらは一段落ついたようだ。

 

「はい」

「ふむ。光雲、起きれるか?」

 

 書類仕事続きで疲れているかとも思ったが、揺るがぬ微笑を向ける白瑛。光はその様子に頷くと倒れている光雲へと声をかけた。

 

「……ああ、なんとか」

「よし。それじゃあ、各自鍛練を再開してくれ」

 

 むくりと起き上がった光雲を見て、光は周囲の面々に声をかけてから、白瑛との稽古へと移った。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

 練白瑛、そして皇光。その二人は菅光雲にとって、今でこそ主になっているが、初めは討伐対象と討伐軍という関係だった。

 

 元々光雲が居たのは中原の東部、戦乱の絶えない地域ではあった。だが、近年煌、吾、凱の三国を統一した煌が、光雲の故郷もわずかな期間で支配下に収めた。

 

 度重なる戦乱に田畑は荒れ、多くの民はその日の食料もなんとか確保するのでやっとという暮らしだった。

 故郷が煌に支配されたが、今までにも何度も支配者は変わっていたから、光雲たちにとってそれはあまり実感のわかない事だった。

 強いて言うならば、強大な帝国となった煌ならば今までのように戦で田畑が荒らされることが無くなるかもしれないという期待はあった。

 

 その期待は長くは続かなかった。

 煌帝国の支配領域に組み込まれ、帝国から派遣された県令は民に重税をかけた。

 お題目はいくらでもあった。

 

 度重なる徴税に光雲たちの我慢は決壊し、彼らは立ち上がった。

 

 苦しむ民の惨状を少しでも知らせるためにと赴いた統治者の館は、光雲たちの想像とはまるで違った。

 食うや食わずの者であふれる農村。痩せ細った者ばかりの農民の、みすぼらしい村の暮らしとは異なり、同じく煌に支配されたばかりのはずのそこは、すでに別世界に変わってしまっていた。

 

 民の窮状を聞いたはずの統治者は、それに対して碌に関心を抱かず、ただ己が蓄財にしか興味を抱かなかった。 

 民の暮らしなど、生き死になど興味が無い。ただ、税を収めよ。

 その扱いに、彼らは決意した。

 

 支配者が民を救わぬのなら、彼らが民を救うと。

 

 光雲は他の者よりも力があった。ある程度知恵も回った。だが、なにも帝国を打倒しようだなんて大それたことは思っていなかったし、そんなことを夢想するほど愚かではなかった。

 

 だが、光雲たちの行動によって救われた民、志を抱いて集った仲間たちの膨れ上がった期待は止められなかった。 

 県令の館を襲撃すれば、もう後には引けないことは分かっていた。

 

 だから、本国から討伐軍が来ることを知って、驚きはなかった。

 

 

 自分たちの行いが正義であるとは思っていなかった。

 ただ、生きていくために必要なことだと割り切っていた。

 

 居城にしていた砦に注進してきた見張りから、討伐軍の規模が自分たちの数倍であり、掲げられた旗からそれを率いているのが、練の字を持つ、皇帝の血縁の者だと知った。

 戦となれば負けなしである煌帝国。その皇帝の血族が来ているからには、この討伐軍は様子見などではなく、殲滅目的の軍であるという事だ。

 

 

 軍の規模を考えても勝つ目は無い。

 少しでも多くの者が生き残るための戦い。

 その可能性があるのは……

 

「お頭が一騎打ち!?」

「そうだ」

 

 戦の前に、玉砕覚悟で突撃を仕掛けるべきだという主張が出る中、団の者たちに戦の方針を、たった一人で戦を行うことを告げた。返ってきたのは騒然とした困惑と、無謀を引き留めようとする声だった。

 

「受けるはずねえ! 出てった所を弓矢で打たれて終わりだぜ!」

「お頭!」

 

 団とは言っても、無法者でしかない。それでも団員の者たちは光雲を慕っていた。

 

「皇帝の血族の者が来ている以上、相手は本気だ。だが、だからこそ武人としての矜持に訴えればそう無下にはできまい」

「しかし……」

「勝つことができればそれを足掛かりに、民の窮状を訴える。それがこの羽鈴団の意義だ」

 

 負けたとしても、戦をするのが自分一人ならば、もしかすると……

 

 

 

 一騎打ちに持ち込むところまでは上手く行った。

 だが、出てきた相手は、自分の想像をはるかに超える力量の男だった。

 

 細身の武器を、その刀身すら見せずに光雲の持っていた鉄の大剣を両断し、光雲自身にも一撃で深手を負わせた。

 致命傷に至らなかったのは、光雲の頑丈さなどのためではなく、ただ相手が加減していただけなのがありありと分かった。

 

 

 血に塗れた光雲に対して男は容赦ない刃を向け、しかしその刃が振り下ろされることはなかった。

 

 

「あなたに世界を変えたいと思うほどの気持ちと、多くの人を動かしていく力があるのなら、私たちと来て下さい」

 

 そう言って手を差し伸べたのは、煌帝国の皇女だった。

 初めは憤った。

 自分はもちろん、その皇女とともに軍を率いてきていたらしい呂斎という男も。

 

 戦争を起こしている帝国のありように不満を持って反乱を起こしたのに、その自分たちを戦争に用いるというのだから。

 呂斎もまた、独断で反乱軍の者たちの処罰を決めてしまおうとしている皇女に怒りを露わにしていた。

 

 それに対して、皇女はだからこそ罰になるということを告げた。そして少しでも早く、このようなことが繰り返されない世界にするためにこそ力を振るえと

 

 綺麗事にしか聞こえなかった。上に立ち、のうのうと暮らし、戦争を起こす。そんな立場の者の世間を知らない綺麗事。そう、言い切ってしまいたかったのに……

 

 そいつの瞳はあまりにまっすぐで、その在り様はただただ気高かった。

 

 

    ✡✡✡

 

 

 結局、光雲を始め、多くの者は軍に編属することを選んだ。

 

 意外だったのは、皇女とやらの立ち場の悪さだ。下っ端軍属の光雲たちにはさして気にするようなものではないが、それでよくあんな独断行動をとれるものだと、後で聞いて感心したものだ。

 呂斎が憤っていたが、あれはともすれば皇女にとってもそうとうに危うい橋だったのではないだろうか。

 

 意外と言えばもう一人

 

「はっ!」

 

 その皇女殿と剣を交えている皇光。和の特使と名乗ったあの男の立場もなかなかに奇妙なものだった。

 

 これも後になって聞いたのだが、どうやらあの時名乗った肩書は、あの男が持っているいくつかの中でもっとも低い立場の肩書らしい。

 特使とは言ったが、本来は和国の王族。しかも第1皇女の婚約者。さらには迷宮攻略者。

 一番ぞっとしたのは最後のものだ。もしもあの時、出会いがしらにその力を振るわれていたら、誇張でもなく全滅もありえたとのことだ。

 

 もっとも剣の力だけとっても、あの男は大したものではある。

 あれほど細身の剣だというのに、大剣も戦斧も偃月刀も、どのような武器相手にも弾かれることも砕かれることもなく、技量で受け流し、一度として攻撃を受けていない。

 

 剣が砕かれないのは気という力を微かに纏わせているかららしいのだが……それでもその剣技がずば抜けているのは分かる。

 

ちなみに

 

 呂斎という男と、皇女の確執は、帝都に戻って収まることはなく、続いていたりする。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 光が煌に来てからしばらくたち、白瑛や光たちは幾度か軍属として派遣されたり、帝都に戻り日々を過ごしていた。

 だが、帝都における日々も必ずしも平穏ではなく、時に気まぐれな神官の言葉により、時に皇帝の命により騒動は起きる。

 

 

「私は反対です」

「従者風情は黙っていろ。白瑛殿、これは陛下の命でもあるのですぞ」

 

 この日、煌帝国第一皇女、練白瑛は神官ジュダルの誘いにより帝国領内に出現した第9迷宮“パイモン”の攻略に赴くことになった。

 迷宮攻略は、金属器という強大な戦力を得ることも目的の一つだが、迷宮内にある数多の財宝や迷宮道具による軍備の増強も重要な目的となる。

 

 得てして戦には金がかかる。

 兵の常備にも金がかかるし、軍備を整えるのにも必要となる。煌帝国の軍費は主に迷宮攻略による財宝と貿易、そして外貨の獲得によって準備されている。

 

和国との同盟が重要だったのは、征西にあたり後方の憂いを取り除くのが目的だったことの他に、貿易ルートと貿易品の獲得が重要だったというのもある。

 和国は、優れた航海術を持っているだけでなく、優れた工芸技術ももっており、和国の品は西方において高値で取引されているのだ。

 

 そして、なによりも重要な軍費獲得手段である迷宮攻略は、光のように個人の思惑で行われるものでなく、煌帝国においてはもはや国事とも言えるものとなっているのだ。

 そこには神官たちの判断だけでなく、皇帝の意図も汲まれている。

 

 白瑛は神官ジュダルに見込まれた王の器ではあるが、政争に興味のないジュダルはともかく、呂斎を始め、現皇帝もあまり白瑛に自由に動かせる力を持たせたくないという思いはある。

 とはいえ、そろそろ戦費獲得のために迷宮を攻略する必要があるし、ジュダルに見込まれた者の中で、今適任なのは唯一白瑛のみだ。

 そこで皇帝は、お目付け役である呂斎を迷宮攻略につけることを命じたのだが、白瑛の従者である青舜はそれに反対していた。

 

「私としては、古くからの従者である青舜を同行させたいのですが……」

 

 そして、白瑛自身、あからさまに侮蔑感を抱いている相手と命がけの迷宮に行きたいとは思わないだろう。だが、皇帝の命も含まれている以上、明確に断ることはできない。ちらりと光に意見を求めるように視線を向けた。

 

「経験者として言わせてもらえば、白瑛と青舜で行った方がいいと見るがな」

「私では力不足と?」

 

 助言をいれた光の言葉に、呂斎がじろりと視線を向けた。

 たしかに迷宮攻略者としての意見は貴重だが、光が白瑛寄りなのは明らか。

 

「まさか。呂斎殿の力が優れているからこそ、だ」

「? どういうことですか?」

 

 不機嫌そうな呂斎に対して光は肩を竦めて答えた。光の答えに、侮られたと感じたのか呂斎はますます眉根をよせ、白瑛は逆に、呂斎を評価する光の言葉に尋ねた。

 

「迷宮は挑戦者の実力に応じて姿を変える。無闇に人が増えれば逆に難度が増すだけだ。挑戦する人数は最小かつ連携と信頼のある者だけで行くべきだな」

 

 白瑛と呂斎の間に信頼も連携もないのはお互いに明らか。そして迷宮の実態についてはたしかに帝国内における経験者から漏れ聞く話とも一致している。

 

「ですが、姫様に従者一人つけて、死なれでもしたら我が国にとって大いに損失。先達であるあなたが案内でもして下さるのですかな」

 

 呂斎の抗弁に、青舜はどの口がほざくかと言いたげに睨んでいるが、光は呂斎の返しに少し困ったような顔になる。たしかにそういう風にも聞いているが、煌帝国の迷宮攻略者、紅炎は多数の部下とともに迷宮に赴いて攻略してきたという事実がるからだ。ただし、“信頼のおける”多数の部下ではあるのだが。

 

 

「残念ながら」

「そいつは連れて行ってもらってはこちらが困るな」

 

 呂斎の挑発めいた問いに光が拒否を口にしようとしたところで、後ろから聞き覚えのある男の声が拒否を述べた。その男の姿を見とめた呂斎が慌てて膝をついた。

 

「だ、第1皇子殿下!」

「紅炎殿?」

 

 征西軍の将軍候補である呂斎にとって、紅炎は直属の上司にあたる。それでなくとも現皇帝の長子であり、炎帝とも称されるほどに戦好きの性格と噂される紅炎は恐れ多い存在だ。青舜もまた、慌てて膝をついて礼をとっており、白瑛と光も膝をつこうとしたが、紅炎はそれに手を振って制した。

 

「迷宮の前までは同行すればいいが、中には白瑛と、光殿以外に選んだ者で入ればいい」

「し、しかし皇子殿下……」

 

 通りがかったというよりも、このことをどこかから聞いて伝えに来たというところもあるのかもしれない。光の見立てでは、意外にきょうだいに対しては情け深いのではないかと見ていた。

 だが、皇帝の命がある以上、呂斎としてもはいそうですかとすんなり了承するのにも抵抗があるのだろう。青い顔で言葉を続けようとするが、

 

「そこの男と同じく迷宮攻略者としての意見だ。皇帝には俺から伝えておく」

「わ、分かりました」

 

 すっと眼差しを変えて見下ろす紅炎の威圧感に呂斎は了承する外の選択肢をもたなかった。

 

 

 紅炎の王気に追い出されるように呂斎がその場を離れると白瑛は、先程の採決で気にかかっていた点について紅炎に問いかけた。

 

「ありがとうございます、紅炎殿。しかし」

「光殿も迷宮攻略者だからな。お前が遅れをとるとは思わんが、ジンの判断によっては、ジンが白瑛ではなく、光殿を選ぶ可能性があるからな」

 

 白瑛の問いを遮り、紅炎は光の挑戦不許可の理由を告げた。

 迷宮攻略者は、狭義には迷宮内の宝物庫に到達したものに与えられる称号ではなく、迷宮の主、ジンに選ばれた者のことをさす。

 

 ジンはそれぞれの性情に応じて、己が従うに相応しい王を選ぶ。

 純粋に白瑛と光の力比べではなく、ジンの性情によっては、パイモンが光を選ばないとも限らない。

 

「そういうことだ。すまんな。一緒に行けなくて」

「いいえ。あの時の約束。私はまだ果たしておりませんから」

 

 紅炎の言葉は、光が拒否しようとした理由でもあるのだろう。申し訳なさそうに謝罪する光に、白瑛は自らを守ると約束してくれた男を見上げて答えた。

 

「この迷宮攻略で、守られてばかりの私ではないことを証明します」

「ふっ。そうだったな」

 

 いつか交わした約束。

 それを証明するために、白瑛は光と同じ力へと手を伸ばした。

 

 

 

    ✡✡✡

 

 

 

「意外だな」

「何がだ?」

 

 白瑛の部屋を出た光は、紅炎に連れられて、ともに書庫を訪れていた。

 

「てっきり止めるか、あるいは無理にでもついて行こうとするかと思ったんだがな」

 

 紅炎は先程のやりとりを思い返して微かに笑みを浮かべながら光に問いかけていた。

 迷宮攻略に死はつきものだ。というよりも生きて帰ってくることが奇跡的なものなのだ。白瑛を守るためにやってきたと言い切るからには、到底その白瑛の迷宮行きなど賛同するはずはないと思うのが普通だからだ。

 ただ、問いかける紅炎の顔は、そういう事態も予想していたと言わんばかりの表情だが。

 

「迷宮攻略か……白瑛が選んだことなら止めはせんし、マギに選ばれた器なのだろう? なら簡単には死なんさ」

「大した信用だ」

 

 マギは自らが選んだ王の器を持つ者を迷宮に誘う。迷宮で命を落とす大部分は選ばれなかった者なのだ。

 ただ、煌帝国のマギ、ジュダルの選んだ器の一人である、ということもあるが、それ以上に光自身が白瑛を信頼しているのが大きいのだろう。

 

「それで、こんな所に連れてきて何の用だ?」

「なに。お前も気になると思ってな……トラン語は読めるか?」

 

 紅炎が連れてきたのは、書庫の一角の中でも光一人では立ち入りを禁じられている区域。皇子としての権力でも使ったのか、紅炎は光を連れてそこに立ち入り、いくつかの巻物を広げて見せた。

 紅炎が広げた巻物には、普段光や紅炎が使う言語とは全く異なる文字で書かれた碑文を記したモノがあった。

 

「……残念ながら」

「そうか……俺もまだ調べている途中なのだが、お前ならあるいはとも思ったのだが……」 

 

 この世界言語は基本的に一つの民族を除いて一つの言語で統一されている。そこから派生した文字に違いはあれど、その一つを除いて同じ言葉を話し、どれだけ遠くにいる国の者とも同じ言葉で会話することができるのだ。

 

 その一つの例外こそがトラン語。

 トランの民と呼ばれる種族のみが使う言語だ。

 

「みかけによらず歴史好きなのか、紅炎殿は?」

「趣味と実益を兼ねて、だ。誰が作ったかも分からん強大な力を放置しておくわけないだろう」

 

 戦争好きの炎帝

 それが他国で知られる紅炎の姿だ。それは間違いではなく、自国に居る間、戦のないときの紅炎はボーっとしていることが多い。だが、それでもなすべきことはなしている。この場に光を連れてきたのも、得体のしれない強大な力を持つ他国の王子を知るためなのだろう。

 

「もっともだ。それで、どういう風にとらえているんだ?」

「……マギが選ぶ王の器とはなにか。王ならばなぜ複数の王が必要なのか。なぜ俺たちは一つの言語を有しているのか。そのあたりに鍵があると思っているが……まだ分からん、が為すべきことは分かっている」

 

 和国の王子には、読めないトラン語で書かれた巻物。其れに眼を落す紅炎の気には、確たる思いがあり、揺るがぬ信念が感じられた。

 光の抱いた願い。たった一人を守ると……それだけを願った光とは異なり、その目は遥かな高みをのみ見据えていた。

 

「それは?」

 

 二つの王の器が、その器に満たした願い。光の尋ねる問いに紅炎は試すような眼差しを向けた。

 

「そのうち教えてやる」

「そのうち?」

「お前が敵ではないと確信できたとき、だ」

 


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