Fate/Next   作:真澄 十

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Act.51 戦いの終わり

 冬原春巳は、ボロ雑巾のようになった『彼女』を乱雑に放り投げた。冬原自体も無事では済んでいないが、目立った外傷はない。対して、遠坂凛の怪我は目を覆いたくなるようなものであった。

 ほぼ全身、余すところなく打撲による内出血が起こっており、元の美しい肌は見る影もない。内臓を破裂させられてこそない――というより、彼女自身が肉体強化の魔術によりそれをかろうじて防いでいたのだが、致命傷を負っていないことだけが救いだ。鼻血を流し、肋骨も折られ、髪は元の髪型が分からぬほど乱れ、呼吸もか細い。それでもなお、瞳の奥の闘志だけは変わっていなかった。逆に言えば、それ以外は殴られ続けたことにより痛々しく変化してしまっている、と言える。

 しかし、彼女は一度たりとも意識を失いはしなかった。常に戦い続けた。

 だが、それももう限界なのだろうか。凛は起き上がろうともがくが、手足が言うことを聞いてくれなかった。上体を起こすのが精いっぱいで、起き上がることは出来なかった。

 

「……まったく、しぶとい女の子ねえ。そういうのって素敵だと思うけれど、女の子がすることじゃないわね。お化粧どころか、顔が変形しちゃっているじゃない」

 

 冬原はそう言うと、自分の額から流れる血を拭った。凛の投石により、不覚にも切ってしまった傷だ。自らの顔を傷つけられた冬原が激昂した結果が、彼の前に横たわる凛の姿だった。

 

「まあ、ちゃんと治療を受ければ治るでしょ、たぶんね。最近は傷跡もレーザー治療なりで綺麗に治るらしいし。……まあ、ちょっとやりすぎたかも知れないけど、私の顔を傷つけた罰よん、これは。目には目を、歯には歯をってね」

「……それは復讐を肯定する言葉じゃないでしょ」

「あらん、まだ喋れるの」

 

 凛は口内も切っているため、流暢には喋ることができないが、それでもはっきりとした声だった。だがそのか細い声からは、当人の感情を読み取ることは難しかった。怒りや憎しみの色を含ませようにも、それが困難である。

 

「貴方の罪は同等の対価をもってしか償えないでしょ? だから、その綺麗なお顔をボッコボコにしてあげたのよ。おわかり?」

「反吐が出るわ」

「血反吐の間違いでしょ」

 

 そう言うや否や、冬原は凛のわき腹をけり上げた。決して本気ではないが、肋骨が折れている凛には地獄の苦痛でしかないだろう。

 冬原は澪を見る。未だ起き上がる気配はない。彼は彼女のことを憐れに思うものの、かける情けなど持ち合わせてはいない。

 無抵抗のものを嬲る趣味は無いが、それでも放置するわけにはいかない。彼女もまた魔術師であるからこそ、確実に無力化するまで安心はできない。

 とは言え、何も殺す必要はない。詠唱が出来ぬように歯を折り、猿ぐつわを噛ませ、手足の腱を切断するだけでいい。

 気分の良い仕事ではないが、それも致し方なしと澪に近づく。魔術の代償として昏睡していることは知っているが、なんとも憐れな姿だ。自らの意志ではなく、謀の類ではなく、ただ自我を汚染されたが故に最愛の人を手にかけた、その姿。ただ眠っているだけの筈なのに、どこか魂が抜け落ちているかのようだった。

 

 澪の胸倉を掴んで持ち上げ、反応を窺う。ここまでしても、一切の反応がない。死人ではないかと思うほどだ。

 手始めに歯を叩き折ろうかと腕を振り上げる。しかし、弓のように引き絞った腕を掴むものが居た。言うまでも無く、凛だった。

 

 冬原が振りむくと同時に、凛は冬原の顔面に拳を叩きこむ。よろめいた冬原にガンドの掃射を浴びせるが、冬原はすぐさま体勢を立て直しそれを撃ち落とした。

 

「まだ動けるなんて、本当にしぶといわね。予想外よ」

「……怪我ばかりする阿呆が身近に居るものでね。治療魔術は、わりと上達したのよ」

「なるほど、自己治癒の魔術ね。とは言っても、自慢の治癒でも立つのが精いっぱいかしら? あんな蚊が刺したみたいなパンチで、私が倒せるとは思ってないでしょうね?

 勝算はどれぐらい? このまま寝ていたら、命だけは助けてあげても良いのに、愚かなことね」

「よく喋るわね。それに、私たちは負けないわ。決して負けない」

「気概こそ良いけど、そんなボロボロじゃあね。何か秘策でもあるのかしら、怖いことね」

「澪は必ず帰ってくる。必ず目を覚ます。私はね、それを信じているのよ。

 だったら、ここで私が諦めるわけにはいかないじゃない。負けるわけにはいかないじゃない。だから『私たち』は、絶対に負けないわ」

 

 澪にはこれと言った戦闘能力があるわけではない。つい最近まで、魔術こそ知っているものの普通の大学生と変わらない生活を送っていたのだ。

 しかし、彼女には唯一と言っていい力がある。同一化魔術は、バーサーカーを倒し、セイバーを倒し、サーシャスフィールを追い詰めるほどの力がある。

 有利な条件が揃っていたとはいえ、それは凛には出来ないこと。

 

 思えば、此度の聖杯戦争は澪が居なければ立ちいかないことばかりだった。そもそも凛のサーヴァントはバーサーカーであり、最終局面まで運用できる保証が皆無であった。加え、士郎はサーヴァントを召喚できなかった。聖杯が士郎を許さなかったからだ。

 彼女自身はか弱い女子大生に過ぎない。だが、彼女の傍にはセイバーが居て、その補助として彼女は能力を発揮して、実に良いコンビだった。彼女自身も、他者を己に呼び込むことで、限定的ではあるが高い戦闘能力を発揮できた。

 

 だからこそ、ここまで辿りついたのだ。セイバーと澪がいなければ、きっと早期に脱落していたことだろう。

 

 そうだ。こと今回に関して、凛たちは救われてばかりだ。桜のことにしたって、感謝したってしきれない。

 彼女はたまたま特異な魔術を有していただけ。でも、それが無ければ桜は未だ暗闇の底だっただろう。

 

 だから、このまま諦めるわけにはいかない。ここまで澪にお膳立てしてもらって、勝たなければ嘘だろう。

 彼女が闘えるときは、私たちが全力で補佐する。彼女が戦えないときは、私たちが闘う。

 私たちが持っていないものを彼女は持っていて、彼女が持っていないものを私たちは持っている。

 

 ――なんだ、私たちも結構いいコンビじゃない。

 

 だったら、やはりここで気張らないといけない。得がたい仲間が、帰ってこようと闘っているのに、自分だけ諦めるわけにはいかない。

 凛は満願の思いを込めて、冬原に言った。貴方を倒す、と。

 

「……そうね。有利な条件が揃っていたとはいえ、バーサーカーを倒したのは貴方達。でも勘違いしちゃダメよ。バーサーカーを倒したのは八海山澪であり、貴方じゃない。

 セイバーは『もうじき』消えるわ。彼はこの場所を知らないし、知っていたとしてももう間に合わない。令呪でも使わない限り、ね」

 

 ――もうじき。つまりまだ生きている?

 

 その時、澪の指先が僅かに動いた。

 凛はその反応を見逃さなかった。また暴走を始めるのかも知れない。しかしその考えは、ある感情の後に沸いたものだった。

 最初に思ったのは、澪が帰ってこようとしている。眠っていても耳は聞こえているのだろうか、肉体が彼女の魂を呼び戻そうといているのだろうか。

 いや、何でも良い。彼女は帰ってくるために足掻いている。ならば、手を差し伸べてやらなければ。

 そうじゃなければ、正義の味方のパートナーとして、失格ではないか。

 

「澪! 聞こえているんでしょ! セイバーはまだ生きているのよ! 貴方を救うために死と闘っている! 貴方、彼の最後を見届ける義務があるでしょ。そこで寝ていて良いと思っているの!」

「その口を閉じろッ!」

 

 冬原は直感した。ここで凛と澪を倒さなければ、死ぬのは自分である、と。

 間合いを詰め、凛の腹へブローを叩きこむ。凛は防ぐことができず、その場に倒れこんだ。呼吸すら困難であろうが、しかしそれでも言葉を続けた。

 

「澪! 帰ってきなさい! セイバーが貴方を待っているのよ!」

 

 その言葉に応えるように、澪の目がゆっくりと開く。寝ぼけ眼のようでいて、しかし明確な意志をその目は宿していた。

 セイバーがまだ生きているのなら、今すぐ起きて闘わないといけない。その目はそう訴えていた。

 

「そのまま寝ていなさい!」

 

 冬原は標的を澪に変更する。澪を目覚めさせてはいけない。彼女自身は無力だが、『彼女の周囲の者たち』はそうではない。セイバー然り、彼女が再現できる人格たちも然り。

 立ち上がろうとする澪に、強烈な蹴りを放つ。だが、背後からの攻撃によりそれは阻まれた。凛が冬原にガンドを浴びせたのだ。

 凛は小さく呟く。ようやく当った、と。

 倒れ込む冬原と対照的に、澪は起き上がる。そして周囲を見回した後、澪は言った。

 

「……ただいま」

 

 その言葉に安堵の表情を浮かべながら、凛は答えた。

 

「おかえり」

 

 澪は凛に言いたいことが山ほどある。ようやく自分を見つけた、無茶をしてごめんなさい、待っていてくれてありがとう、セイバーが生きているとは本当か、今どこにいるのか、私が刺した記憶は本当なのか。他にもたくさんあるが、それら全て飲み込んだ。

 今はするべきことがある。

 

 右手には、未だ一角の令呪が残っていた。

 

「セイバー! 貴方の力を貸して!」

「させない!」

 

 冬原はすぐさま起き上がり、不慣れな黒鍵を懐から抜いた。柄だけのそれは、しかしすぐに刀身を構成し、澪の令呪を切り落とさんと唸りを上げる。

 だが、澪の眼前に現れた次元の歪から現れたソレにより、全て叩き落とされた。

 砂金を零したかのような髪、澄んだ瞳、細身で華美な剣。見紛う筈もない。そこに現れたのはセイバーだった。

 

「剣の騎士、セイバーがローラン! 姫君の願いにより、ここに推参!」

 

 澪はセイバーの姿を見た途端、今にも泣き出しそうな顔になった。再び会うことが出来た喜びと、彼を刺した悲しみが同居した、複雑な表情であった。

 

「セイバー……!」

「澪、待たせたな。そして待っていたぞ、よくぞ戻ってきた」

「ごめんなさい……! 私、貴方を……」

「良いのだ。幸いにも心臓は逸れていた。不死身と称された私だ、この程度の傷、焼いて塞げばまだ闘える! そしてこの少ない命、ミオのために燃やしつくすことができるなら、この上ない喜びだ! さあ、命じてくれ、マスター! 私はまだ闘える、お前のためなら!」

 

 セイバーは澪たちと別れた後、オリファンの力を使って自らの傷を焼いて塞いだ。そして一秒でも長く生き延びるため霊体となり、目と耳を閉ざし、命の消費を抑えることに専念した。

 全ては澪が再び帰ってきたときのため。来るであろう、再び自分の力が必要とされる時のために。

 

「ごめんなさい。私、今まさに死んでしまおうとする貴方の命を、使い切ろうとしている」

「それでこそ騎士が華。……今度こそ、友を――愛した人を守って死ねるのだ。私の願いは、ようやく叶う。だから悲しむことはない」

「セイバー……私、貴方を愛しているわ」

「私もだ、澪」

 

 セイバーと澪は、その場で口づけを交わした。愛の証であり、別れの儀式であり、別れを惜しむ心の現れでもある。

 愛し合う二人は、およそそれらしい事をしないまま別れることになる。手を繋いで市井を練り歩くことも、体を寄り添わせて眠ることも、他愛のない与太話で時間を潰すことも。

 二人が愛し合った証は、このキスだけだった。しかし、二人にとってはこれで十分なのだ。これ以上は何も望まない。

 

 だからこそ、その短いキスの後には、二人とも覚悟は決まっていた。

 澪は、セイバーと別れることを。そもそも聖杯を破壊すれば、セイバーはこの世に留まることができない。聖杯の補佐なしでサーヴァントを限界し続けられるほど、澪の魔力は多くない。

 しかし、問題はそこではない。自らの意志で、セイバーの命を使い切ることを覚悟したのだ。聖杯を壊すべきであるとか、人々のためであるとか、そのような理由ではない。彼がそれを望んでいるから。もはや助からない命を、澪のために使いたいと言っているから。だから彼女は、それを受け入れ、彼女もまたそれを望んだ。

 セイバーは、澪と別れ、ここで倒れることを。助からぬ命、この短い時を澪と共に過ごしたいという気持ちは少なからずある。しかし、それでは己の願いは達せられない。セイバーは、澪を守りたいのだ。自分が闘うことを放棄して、澪を連れてこの場から逃げることは簡単だ。しかし、それでは澪は後悔する。自分もまたそれは望まない。

 だからこそ、澪のために、両者が共に後悔しない道を選んだ。

 

「セイバー。聖杯を破壊して。障害を物ともせず、……自らの命を顧みず、貴方が為すべきこと、成したいことを成して」

「確かに承った、澪。ならば今すぐここから逃げるといい。……宝具を使う。私の全てを燃やしつくし、聖杯もろとも全てを焼く。ここに居ては巻き添えを食うぞ、早く逃げろ!」

 

 澪はセイバーの目をじっと見る。ややあってから、短く頷き、凛を抱えてその場を離れた。澪はここまで来た経緯を詳しくは覚えてないが、元より出入り口は横穴一つのみ。それも一本道であるため、迷う余地など元より無かった。

 セイバーは澪の足音が聞こえなくなるのを確認した後、冬原に向き直った。

 

「澪を逃してくれたこと、感謝する」

「……礼を言われる筋合いなど。私は元より、あの子たちには帰って欲しいと思っていたのよ。むしろこちらが礼を言いたいくらいだわ」

「……闘う意志が無いというのなら、貴方もここを離れると良い。ここに居ては、確実に命を落とすぞ」

 

 その言葉は、セイバーのせめてもの抵抗だった。セイバーとて、人殺しをしたい訳ではない。己の意志を貫くために、剣を振るうのは、既に本意ではないのだ。

 例え、冬原がこの場を離れないことを分かっていても、そう言わざるを得ないことだった。

 

「あらあら、死に損ないが何を言うのかしら。きっちりと地獄に送り返してあげるから、覚悟しなさいな」

「地獄なら、もう見あきた」

「まだまだ見られるわよ。地獄にてさらに千年、次の召喚を待つと良いわ! 愚かなパラディン、ローラン!」

 

 冬原はセイバーに向かって疾走した。それはまさしく死に向かう行軍であった。

 分かり切っている。いくら死に損ないとはいえ、セイバーを倒すことなど出来ないということは。

 自分の拳が届くより早く、セイバーは宝具を使うだろう。

 だが、それでも冬原は立ち向かった。己の死に場所はここと決めているから。

 冬原の本心は――聖杯は破壊されるべきという考えである。だが、それはできない。教会に背くことはできない。教会は聖杯を破壊されてはならないという考えだ。

 その板挟みの中、自分の思いを貫き、教会からの指示に従う方法はただ一つ。聖杯を壊しに来たものと全力で戦い、そして敗れて死ぬこと。

 死を以てしか、彼の願いは成就しない。

 セイバーはそれを察していた。だからこそ、こう思った。なんと不器用な男なのだろうか。

 

「……これでこの愚かな戦いも終わりだ。全てを飲み込め、『最後に立つは我のみぞ(オリファン)』!」

 

 腰に帯びていた角笛を抜き放ち、その真名を告げる。

 角笛はそれに応え、その真の姿を曝け出す。この世に存在するどんな炎より高貴で、それでいて凶悪なその姿。燃え盛る炎の礫は、今まさに周囲の喰らい尽くさんと唸り声を上げていた。

 

「……さよなら、澪」

 

 次の瞬間、炎球は猛烈な勢いで爆ぜた。岩を砕き、砂を溶かし、明りの乏しい洞穴を朱で照らす。決して広くはないその空間の酸素を瞬く間に奪い、そこに存在するモノ全てを食らいつくし、塩に変えていく。

 冬原は、最初の爆発になぎ倒され、四肢の骨が砕けた。次の瞬間には、容赦なく襲いかかる炎に瞼を焼かれた。しかし、炎だけは吸い込まぬよう、肺を焼かれないように口を手で覆い続けた。そのおかげで即死を免れる。どのような一撃が来るかわかっていれば、最低限の対処はできる。

 だが、そのささやかな抵抗が無駄であることは、本人にも分かり切っていた。だがそれでも、諦めてしまっては教会に背くような気がして、抵抗を続けた。

 光も音も既に閉ざされた。瞼は焼け焦げてしまい、もう開くことはない。耳の鼓膜は爆発の衝撃で破れてしまった。彼が感じることが出来るのは、身を焼く炎の熱さだけだった。

 

 冬原の意識がしだい遠のく。この地獄のごとき猛火に晒され続けて、生きていられる人間など居るものか。ライダーやランサーが異常なのだ。並みの人間なら最初の爆発で命を落とし、運よく生き残っても後続の炎に焼かれて絶命する。最後に生き残れるのはセイバーのみ。

 ――最後に立つは我のみぞ。あの血戦でのローランの姿を現す名であり、宝具の力をこの上なく表すものである。

 

 セイバーは地に伏せて炎に耐える冬原に近づいた。

 全身が焼け爛れていて、もはや余命いくばくも無いことは明らかだった。セイバーが近づいても気付く様子がない。

 もうこれ以上苦しませる必要はない。せめてもの情けと、セイバーは彼の心臓に剣を突きたてた。冬原は苦しみの声すら上げず、ただ力を無くして絶命した。命を無くし、ただの肉の塊となった冬原は、体の末端から塩の塊へと変化していく。

 オリファンは、『封印:狂える炎熱(オルランドゥ)』の力で圧縮しない限り人間やサーヴァントを塩に変えることはできないが、無生物なら話は別だ。

 塩に変じ始めた彼の体は、その命が付きたことを如実に語っていた。

 

 セイバーは冬原が完全に塩になるのを見届けた。

 その時、喉の奥から上がってきた熱い何かを堪えることが出来ず、床にそれをぶちまけてしまう。それは赤い血だった。

 セイバーは、自分もまた最後の時が近いことを悟った。元より、瀕死の身であったのだ。澪に心配をかけまいと気丈に振る舞ってみせたものの、もはや令呪の力を以てしても覆せぬ死の運命、それを意地と気合で先延ばしにしたに過ぎない。

 だがそれも限界。宝具の使用に体が追いつかなくなった。だが、それでいい。ここで死ぬ定めであるならば、どんな無茶も許容される。

 

 セイバーは、未だそびえ立つ光の柱を睨んだ。これが聖杯の根源であることは疑う余地すらない。ならばこれを破壊しなければならない。

 見れば、その光の柱は炎の脅威をものともせず、未だ堅牢にそびえ立っていた。

 そうはさせない。耐えさせてなるものか。

 

 セイバーは光の柱に近づき、その基盤に足を踏み入れた。直感的に、足元の魔法陣こそが本体なのだと悟る。魔法陣を睨むと、やめろという声が聞こえてくるかのようだった。

 そうはいかない。これで、この馬鹿踊りも終いにせねばならない。

 多くの者が死んだ。希望を胸にし、野望を握り締め、血で染まった者がいる。過去に犠牲になった者のためにも、これを破壊しなければならない。

 

「最後の仕事だ、デュランダル。……私の命も、体も、全て炉にくべてやろう! 怨嗟の根源を焼きはらえ、デュランダルよ! オリファンよ! ――『封印:狂える炎熱(オルランドゥ)!』

 

 そう言って掲げた宝剣に、神の炎が収束を始める。剣の内部に炎を孕み、セイバー自身の理性をも一緒に封印し、そしてその度に剣は輝きを増す。

 太陽のごとき白い輝き。薄暗い洞穴を、昼よりもなお明るく照らす剣。

 己が正義のために、大罪をも許し、血を許容した炎。人々の正義を集めて炎となした輝き。その誉れ高き名を称えよ。その名は――オリファン。

 

「□□□□□□ァァァッ!」

 

 セイバーは剣を足元の基盤に突き立てる。突き立てた個所が赤熱し、溶けて始める。溶けた岩が自らの足を焼くのも斟酌しない。ただただ、柄に力を込め続け、もっと深く刺し入れることしか考えない。

 足元を焼く溶岩が、ごぼりと弾けた拍子に、その飛沫がセイバーの衣服に火を付けた。その炎は瞬く間にセイバーの全身を舐め始めるが、それでも力を緩めることはしなかった。

 そして刀身の半分以上が基盤に食い込んだ頃、やおらデュランダルから輝きが失われた。炎が噴出し、再び角笛の形に戻り始める。オルランドゥの効力が切れたために、剣に炎熱を封印できなくなった為だ。

 そして、未だ炎に焼かれ続けるセイバーはその場に倒れた。もはや指先すら動かす力はない。このまま炎に抱かれて死ぬのを待つのみだ。

 しかし、最後の力を振り絞り、眼前の風景を睨み続けた。聖杯が破壊されるのを見届けなければ、身を焼いてまで剣を振り下ろした意味がない。

 

 デュランダルは未だ岩盤に刺さっている。そして、そこを起点として、冷め始めた溶岩が塩へと変わっていく。塩化の速度は、炎がセイバーを焼きつくすよりも早かった。加速度的に魔法陣を侵食し始め、奇跡の結晶を無垢な塩へと還す。

 禍々しい光を放っていた魔法陣は光を失い、その光で出来ていた柱も消滅を始めていた。

 

 ――私はやり遂げた。澪、私はやったぞ。

 

 セイバーは、もはや動かぬ口の代わりに、心でそう訴えた。

 安心したのか、セイバーの四肢から力が失せて行く。それに対応するように、体の末端からセイバーの体は粒子となって消えようとしていた。

 

 ――澪、貴方を愛している。

 

 セイバーが最後に思ったのはそれだった。

 苦しみも、痛みも既になく、セイバーは安らかな顔で逝った。まるで幼子が遊び疲れて眠りにつくような、清らかな表情であった。

 

 セイバーが逝った直後、洞穴は崩落を始めた。この密室空間でオリファンを使ったために傷ついた地盤に加え、至るところが塩化したために自重を支え切れなくなったのだ。

 崩れ落ちる岩は、ここに在ったもの全てを覆いかくし、破壊した。

 後世の者が聖杯戦争の残骸を探そうとしても、ここにはもう何もない。聖杯は二度と目覚めることはない。それらは全て塩となり、厚い岩石に覆われた。

 

 数百年に渡った戦いは、サーヴァントの全てと多くのマスターの命を引き換えにし、確かに今終わったのだ。

 

 ◇◆◇◆◇

 

 澪と凛の姿は横穴の終着点近く、即ち学園内にある出入り口付近にあった。

 セイバーが逝ったことは、澪にはすぐに知れた。令呪を見ると、そこにすでに跡すらなく、聖杯戦争に巻き込まれる前と変わらぬ様子であった。

 

「セイバー……」

 

 遅れて、足元に伝わる振動。きっと、あの洞穴が崩落した音に違いはない。

 それが意味するところは、「聖杯の本体」の破壊は成されたということだ。士郎、凛、そして澪の願いは成就した。

 出入り口に辿り着くと、そこには姉妹兵が居た。ここまで二人を送ってくれた、あの姉妹兵だった。全身に酷い傷を負っているが、命に別状はなさそうだ。あの代行者達を相手に、ここまで戦い果せたのだ。大金星と言っていい。

 姉妹兵の手を借りて、二人は地上へ上がる。代行者の姿は既に無かった。聖杯が破壊されたことを知り、引き上げたのだろうか。聖杯が破壊されてしまった以上、戦い続ける理由はない。そう考えるのが妥当だろう。

 

 澪は、凛を柔らかい芝生の上に寝かせた。彼女はすぐに病院に搬送すべきだ。澪は携帯電話から救急車を呼んだ。怪我の原因を聞かれるだろうが、そこは適当にごまかすしかあるまい。澪は、暴漢に殴られたことにしておこうと考えた。

 

 救急車を待っていると、士郎が血相を変えて走ってきた。二人はパスで繋がっている。凛が瀕死の重傷を負ったことを、士郎はパスを通じて知った。居場所は、横穴から出る前に凛が士郎に伝えたのだった。

 

 澪は凛には休ませて、士郎に彼女の容態を伝えた。士郎は魔力がほぼ完全に枯渇していたため、治癒が可能な剣を投影することは出来なかったが、代わりに包帯を投影して凛に応急処置を施した。

 傷口の止血をしたら多少楽になったのか、凛が口を開く。

 

「終わったわね」

「ああ……これで、こんなバカな戦いは終わりだ」

 

 これからが忙しいんだけどね、と凛は呟いた。澪はその真意を凛に問う。

 凛は口内が痛むのを堪え、それに応えた。

 

「魔術協会に、色々と報告しないといけないでしょ。それに、聖杯戦争の完全終結――根源に至るために聖杯を利用しようという一派は、協会内に少なからず居るわ。そんな派閥を解体するために、もう少しだけ闘わないとね」

「ロンドンへ行くの?」

「ええ。もっとも、この傷が治ってからしましょうか」

 

 澪は俯いて、何かを考えている様子だった。ややあって顔を上げたとき、そこには不屈の意志が宿っていた。

 誰が何と言おうが構うものかという、強い意志だった。

 

「私も、ロンドンに連れて行って」

「……何を言っているの」

「私、この力を使いこなすために、もっと学ばないといけない。そのためにはロンドンへ、魔術協会へ行くべきだと思ったの。

 それに、凛さんと士郎さんの手伝いをすることは、きっと私にとっても正しいことだと思うの。私は、私に出来ることを投げ出して日常に戻るなんてしたくない。私は、現実と戦うの」




 残すところ、エピローグのみです。
 既に書きあがっているため、予約投稿にて、一時間ほどの誤差の後に投稿するつもりです。

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