Fate/Next   作:真澄 十

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Act.39 意気衝天

「……状況は芳しくないわね」

「ええ。でも、やるしか無い。遠坂さん、そうでしょう?」

 

 待機していた私たちにセイバーから状況が伝えられた。セイバーはライダーと邂逅。そのまま戦闘になったことは疑う余地もない。つまり士朗さんは一人でアサシンと対峙することを余議なくされている。

 いくら相手が丁々発止の戦闘を得意としないアサシンであっても、人間とサーヴァントの戦闘能力を比べるべくもない。なぜならサーヴァントとは伝承の英雄である。伝承に残る人物は英雄、反英雄を問わず規格外の戦闘能力を持つ。伝承に名を残すでもなく、また優れた戦闘能力を持たない例外も確かに存在するだろうが、それは極めつけのイレギュラーだ。つまり極めて少数の非英雄を除けば英雄と人間が戦うなど自殺行為にも等しい。

 士朗さんは優れた魔術師だ。研究者としてではなく、戦闘者として優れている。宝具さえも複製する投影魔術は唯一無二のものであり、そして強力無比の火力を発揮する。しかしそれでもサーヴァントと対峙するべきではない。少なくとも一人で対峙してはならない。

 その結論に至ったならば、私たちがすべきことは明白だ。一刻も早く、士朗さんの助勢に向かわなければならない。

 

 しかし、だ。私たちが行ったところで何ができるのか。

 私の同一化魔術は使えてあと数回。もしかすると一回の使用にも耐えられないかも知れないのだ。加えて、同一化を行なってもサーヴァントを打倒するほどの戦闘能力は発揮できない。投影を行なわない状態の士朗さんを倒すのがやっとなのだ。士朗さんが投影を行なえば私は叶わないし、ましてやサーヴァントなど。遠坂さんだってサーヴァントを倒すほどの能力はもたないはずだ。策略を巡らせれば一矢報いる程度の実力はあろう。だが倒しきることができるかどうか。よほど相性が良い相手でなければサーヴァントを超えることなど出来ないだろう。

 

しかしそれでも行かなければならない。ここで震えて縮こまるのは簡単だ。だけど、それでは誰も助けられない。『正義』とは何なのはかまだ見つからないけれど、助けを求める手を振り払うことが正義な筈がない。それだけは分かる。セイバーが伝えてくれた士朗さんの窮地を知りながら無視できるほど、私は達観しきれていない。

士朗さんに渡された『勝利すべき黄金の剣(カリバーン)』を強く握る。手のひらに汗が滲んでいるのがわかった。

 

「そう、やるしかないわ。アサシンがどんな相手かわからないけれど、僥倖だったと思うべきかも知れないわ。私たちが相手するべき相手がライダーやバーサーカーだったら、きっと私たちに勝ち目はない」

「ええ。アサシンが相手なら士朗さんの火力があればゴリ押しでどうにかなるかも。私たちがそれをバックアップする。これならどうにかなるかも」

「多分、それ以外にプランは無いわ。問題点は……山ほどあるから無視する。とりあえず、アイツの足にどうにかして追いつかないとね」

 

 おそらく士朗さんは今もアサシンに向かって疾走している筈だ。狙撃手を相手にして、無為に立ち止まることが危険なことは私でも分かる。そうなると常に移動する士朗さんと合流することは難しい。士朗さんの運動能力はかなり高い。私たちの足ではきっと追いつけないだろう。無論、徒歩に限った話だが。

 

「私の原付を使いましょう。二人乗りだとかなり速度が落ちるけど」

「いや、確か藤村組からメンテナンスを頼まれたバイクがガレージにある筈。それに乗りましょう。……澪、大型二輪の免許は?」

「……一度も乗ったことが無いのだけれど。遠坂さんは?」

「私も無いわ。機械の類は苦手でね」

 

 遠坂さんは機械類が苦手なのは知っていたが、精密機械だけでなく乗り物にも適用されているのは初耳だ。いや、多分苦手意識があるだけだろう。バイクもデリケートな部分はあるが、コンピュータの扱いと別種のものだ。その気になれば乗れる……と思う。

 

「私が運転するわ。ある程度は知識もあるから、なんとかなる筈」

 

 遠坂さんと私を比べれば、運転技術は私に軍配があがる。普段原付に乗っている分、公道の走り方、二輪の曲がり方、そして慣れのアドバンテージがある。原付と大型二輪では勝手が違うのは当然だが、それでもなんとかしなければならないのだ。

 そうと決まってからの行動はお互いに早かった。必要な装備を数分で整える。その数分が命取りかも知れないが、丸腰で出るわけにはいかない。私はカリバーンを腰にベルトで留め、遠坂さんはありったけの宝石を装備する。バイクウェアは無かったので、関節にサポーターを身につける。遠坂さんにも装備させた。もし転倒した際、これがあると無いのでは大違いだ。

 ガレージ内で鎮座ましましていたのは「ホンダCBR-1000RR」というらしい。傍に置いてあった仕様書にはそう書いてあった。総重量211kg、999㎤エンジンを搭載、そして滑らかなフォルム。どれをとっても原付とは比較にならないほどの性能だ。色は夜に溶け込むほど黒い。しかし外装からのぞく銀がガレージの光を反射させながら眠るその様は、さながら得物に飛びかかる直前の獣を彷彿とさせた。

 

「藤村組の若い衆から預かったものなのだけど、車検があるから無改造に戻してあるらしいわ。もともと化け物みたいな改造を施していたらしいけれど、これなら澪にも運転できるはず。はい、鍵」

 

 傍に置いてあったらしい鍵を受け取る。私はそれを受け取りながらも仕様書に素早く目を通す。エンジンのかけ方と扱い方、燃料消費率、そして原付には無い変速機構。これらについて、僅かでも理解を深めなければならない。こんなこと、同一化が使えればわざわざ調べる必要もないことなのに。同一化魔術の利便性を痛感する。

 知りたい項目にはざっと目を通した。仕様書を元の場所に戻し、車体に跨る。そして車体を支えていたサイドスタンドを仕舞い、完全にコントロールを私の五体に移す。そこで初めて気がついたことがある。

 

「……背が高い」

 

 原付に比べ、なんと視点の高いことか。ハンドルや計器の大きさ、車体を支える足に伝わる重量感。どれをとっても原付とは比肩しえないスケールだ。

 だがそれに圧倒されている暇もない。キーを差し込み、エンジンを始動する。次の瞬間、眠っていた獣が野性の唸りを上げた。999ccにも及ぶ排気量は驚くほど低い音を響かせ、ビリビリと肌を刺激する。まるで釣り上った目のようなデュアルヘッドライトは、ラインビームタイプの閃光を放ち、その精悍な顔立ちを強調している。この貌は猛獣などではない。これは――猛禽だ。まるで鷹のような、鋭く、力強い目をしていた。

 ゆっくりとアクセルを捻る。思いのほか素直な動きでガレージから出てくれた。これならいける。安全運転は望むべくもないが、とりあえず走ることは可能だ。大型二輪を運転した経験は無いが、原付の延長でどうにかなる。

 

「いけそう?」

「いくわ。後ろに乗って、腰に手をまわして」

 

 フルフェイスのヘルメットを装着する。タンデム用なのか、ヘルメット内部にはヘッドセットが内蔵されてあった。どうやら遠坂さんのヘルメットと通信できるらしい。これならば遠慮なくエンジンを吹かしても会話に支障はない。携帯に繋げば通話だってこなすだろう。

 夜を斬り裂くヘッドライト。唸るエンジン。それらすべてが私を後押しする。これなら、大抵の窮地は走りぬけられる。そう確信するに足る確かな気配がこの車体からは発せられていた。

 遠坂さんがしっかりと捕まったことを再度確認し、それを発進させる。エンジンの唸りはさらに大きくなり、車輪に伝わるエネルギーが増幅し、驚くほどの加速で景色を背後に追いやる。

 士朗さんの整備が良いのか、肩すかしを食らうほど扱いやすかった。正直に言えば直進することすら難しいかと思っていたが、成せばなるものだ。いや、正直に言おう。初めて乗るはずなのに、既にどこかで乗ったことのあるような感覚。何となく、感覚のみで次にどうするべきなのかが分かる。

 それが何故なのか、思い当たる節は一つあった。私の同一化魔術は、既に私自身の自我を崩壊させつつある。今のところ自分と他者の境界があやふやになるという、一般人でも発症し得る精神病程度の症状しか見えていなかった。だが、それは突き詰めると既に他者との意識が半ば混在しかかっている状態に他ならない。

 つまりである。私は、私自身であるときでも、少しだけ他者を内に取り残してしまっているのだ。誰かの意識の「残りカス」が私を崩壊させつつあり、それが思わぬ副産物をもたらした。すなわち、同一化魔術を使わずとも、過去に同一化した人物の知識やスキルをある程度再現できてしまうのだ。

 それは非常に些細な変化だ。今まで乗れなかった自転車にある日突然乗れるようになるという程度に過ぎない。だが、素晴らしきかな騎士王、セイバーのサーヴァント。「騎乗」のスキルから得た操舵法の知識。アーサー王がどういういきさつで大型二輪の操舵法を取得したのかは知らない。わざわざ記憶を掘り返す意味もない。だが、無意識のうちに私に取り残されたこの知識はまるで長年連れ添った莫逆の友のごとく、CBR-1000RRの扱い方を教えてくれる。

 どのように重心を移動すればコーナーをスムーズに通過できるか。どこまでの速度であればハンドルが暴れずに済むのか。私の身体能力と合わせて考えた場合の、この車体の限界はどこにあるのか。

 私がこの猛禽を難なく扱えるのは偏にその恩恵によるものなのだ。ここまで崩壊が進んでいるのかと驚く一方、この恩恵には感謝しなければなるまい。いずれ、私は自分が誰なのか分からなくなり、そして何者でも無くなってしまうかも知れないが、今だけはこの力に感謝しなければならない。私という色を取り除いて無色になった後、私は何者にもなれる。今、私は大部分が「私」で、残りの一部が「騎士王」なのだ。

 メーターは既に100の値を大きく上回っている。市街地で出すには狂気の沙汰だろう。だが、不思議な確信を以って私はアクセルを捻りこむ。大丈夫、絶対に事故なんかしない。目の前に子供が飛び出してきたって、きっと回避しきってみせる。

 

「澪……ッ、スピード出しすぎ……!」

「スピードを落としていたら手遅れになるかもしれないわ! フルフェイスだから息は出来るでしょう!? 少しだけ耐えて、リン!」

 

 遠坂さんを「リン」と呼んだのは、本当に無意識のことだった。腰に留めたカリバーンが騎士王の人格を刺激するのだろうか。同一化魔術は使っていないのに、私はもう半ば「アーサー王」だ。だが、それを嘆く心も次第に失せていた。

 早く。もっと早く。助けを求める誰かの元へ。市街地を抜け、大通りへ出る。この速度で走行していれば、仮に狙撃手がこちらを狙っても狙撃は不可能だろう。何せ常に100キロオーバーで走行する二輪だ。車ならともかく、圧倒的に小さく高速で移動する標的を狙撃できたとしたら、それはもう人間が可能な所業ではない。アーチャーのサーヴァントでもない限り不可能だ。

 大通りの通行は既に皆無であった。前日の病院爆破事件はテロ組織による犯行であろうと警察が結論付けたことにより、夜は外出を控える旨が冬木全域に通達されている。おかげでこんな夜更けに通る車は居らず、無人の道路を疾走できた。

 そろそろビルまでの道は折り返し地点にきたか。ならばそろそろ士朗さんと合流できるか。そう考えた矢先、後方から制止を求める声が投げかけられた。

 赤い回転灯に耳を劈くサイレンですぐに気付く。警察だ。テロ事件と暫定的に決定したため、周囲の巡回は強化されている。一般道を100キロオーバーで走行する大型二輪を見逃す要素は皆無だ。

 

「厄介なのが出たわね……」

「構っているヒマは無いわ。撒きましょう。どうせ人のバイクだし、ナンバーを見られても構わないわ」

「澪、アンタなかなか良い性格しているわね」

 

 それはどうも。

 相手は警察の警ら車両だ。一般的なセダン車をベースにした白黒の車両に、赤い回転灯。相手にとって、不足は大アリだ。こちらはスーポースポーツ車両。加速の伸びも、小回りも、何もかもこちらが上だ。自ら制止しない限り、こちらが負ける要素はない。

『そこの黒い大型二輪。直ちに減速し、道路左脇に停車しなさい。危険な走行は直ちに止め、こちらの指示に従いなさい』

 

「お断りね」

 

 方向指示器も出さず、通りを左折する。左折した先で180度ターンする。これで次に左折してくるであろうパトカーを待ち受ける形になる。目論見通りパトカーは左折してくる形になるが、こちらは既にパトカーとすれ違うような形で直進している。そしてさらに左折して元の通りに戻った。パトカーは左折した先で取り残される形になっている。すれ違うとき驚いてブレーキを踏んだためスムーズなコーナリングは出来まい。あちらがようやく元の通りに戻ったころにはこちらは遥か遠くである。

 だが。空しく響くサイレンの音を遥か背後に置き去りにしようとしたとき、その姦しい音が不意に途絶えるのを感じた。それだけではない。まるで、金属が拉げるような嫌な音さえも響いた。

 不思議に思い、停車して後方を確認する。そして運転に集中するために閉じておいた探査魔術を起動させる。

 このときの驚きは筆舌に尽くしがたい。不運を嘆けばいいのか、それともこれだけ喧しく走行していれば当然であると達観すればいいのか。

 

「■■■ァァァ■■■ァァッ!」

 

 今や、バーサーカーはこの冬木の王である。いや、城内と言って良い。よって、バーサーカーの領域内で何か大きな動きがあれば、それは即ちバーサーカーの知るところになるだろうと予測はしていた。しかし、魔術的なものにも依らない、ただの騒音で嗅ぎつけるとは思ってもみなかったのだ。いや、これだけ静かな夜なのだ。気づいてもおかしくは無いのかも知れない。

 遠坂さんが呟く。

 

「最悪だわ……」

 

 全くもってその通りである。最悪だ。次々と作戦に障害が現れる。アサシンと士朗さんの対決はある程度織り込み済みだった。だが、その後にセイバーがライダーと邂逅し、その後に私たちがバーサーカーに遭遇するなんて、こんなことあってたまるか。

 いや――これはある意味予想されて然るべき事態だったのだ。バーサーカーが今まで私たちに襲撃をかけなかったのは、その時々でバーサーカーが他に優先すべき事柄があったに過ぎないのだ。機さえあればすぐさま私たちを襲撃することは目に見えていたのだ。それがたまたま今であった、それだけなのだ。ライダーにしたってそうだろう。あの豪放な雰囲気からして、夜な夜な外を徘徊しているに違いないのだ。特にライダーのサーヴァントは優れた移動手段を持つのだから、それを十分に発揮することだろう。だから、移動中のセイバーと邂逅する可能性は十分にあったのだ。

 不運なのは間違いない。だが、有り得ないほどの事ではない。目先のアサシンに囚われ、他のサーヴァントの存在を考えなかった私たちが悪いのだ。だから、この状況を嘆く前に、打開する方法を考えなければならない。

 

「……逃げるわ。私たちが叶う相手じゃない。遠坂さん、背後は任るからアイツの足をどうにか止めて」

「無茶言ってくれるわね。仮にもアーサー王と同じ存在を足止めなんて」

「■■■ァッ■ァァァ!」

 

「私たちという獲物を横取りしようとした不埒な輩」を一瞬で排除したバーサーカーは警官らのものと思しき血で全身を濡らし、しかしなお血を求めて私たちを睨みつける。

 氷のような殺気を浴び、私はアクセルを捻りこんだ。すぐにCBR-1000RRは猛烈な加速を行ない、10秒ほどの所要時間で最高速まで達する。マシンの性能は300キロメートルオーバーだが、私が扱うとなると200が限界である。それ以上になると暴れるハンドルを抑えることは難しく、さらに恐怖が胆力よりも上回ってしまう。加えていえば、リアシートに人を乗せている状態での最高速度は無謀の極みと言うほかない。

しかし200キロメートルで疾走したときに目に映る世界はもはや別次元だ。あまりの速度に視界が狭まる。フルフェイスのヘルメットでなければ、目を開けることも息をすることも難しいだろう。

 しかし、それほどの速度であるにも関わらず、あろうことかバーサーカーは食らいついてきた。信じられるか、二足歩行の人類が200キロメートルを超える速度で走行する車両に食らいついてくるのだ。これはもはや人類の限界を突破しているとしか思えない。何か宝具の力を頼らねば不可能だ。

 だとすれば、バーサーカーには何か身体能力強化の宝具を持つに違いない。地味だが強力で、それ故にその存在が露呈しづらい。ただでさえ狂化で身体能力が底上げされているというのに、さらに身体能力を強化する宝具を持つとなれば、こちらがスーパースポーツバイクに跨っていることにどれほどのアドバンテージがあるというのか。しかしそれでもこの機体を信じて疾走する意外に道は無いのだ。それも、出来るだけセイバーや士朗さんから遠ざけなくてはいけない。

 ライダーと戦うセイバーのもとへバーサーカーを引き連れることなどできない。バーサーカーがどちらを標的に定めるか不明だが、最悪の事態を想定すればこれが最大の愚策であることは間違いないのだ。戦いの基本は一騎討ち。先の読めない乱戦は死んでも避けるべきなのだ。士朗さんのところに連れていくのは愚策を通り越して戦犯である。バーサーカーに獲物を献上するようなものだ。

 

 だからこそ遠ざからなければならない。だがどこへ逃げればいいのか。どこでなら逃げ切れる。バーサーカーは自身の宝具により、この地で起こることごとくを直観的に知ることが出来るだろう。その力がどこまで及ぶのか知る由もないが、どこに居てもバーサーカーの脅威に晒されるという覚悟で臨まなければならない。

 そのバーサーカーから逃げ切らなければならないのだ。この停止することを知らぬ獣と。いわば猛牛である。追う猛牛に対し、こちらは自転車で逃げているも同然なのだ。

 それほどの実力差がありながら逃げ切れる場所はどこか。まず市街地においてそれはあり得ない。あまりにも見通しが良く、身を潜める場所すらない。一瞬たりとてバーサーカーの視界から消えること叶わないだろう。

 可能性があるとすれば、この際バイクの走行に不向きでも良いから視界の多くが遮られるような場所。この際バイクは捨て置いてもいい。とにかく視界が悪い場所だ。そして一般人が居ない場所でなければならない。そしてさらに重要なことだが、あまり離れすぎればバーサーカーの追撃を受けるだろうことだ。遠ければ遠いほどこちらが不利である。

 そうなれば自ずと答えは決まる。柳洞山しかあるまい。寺が存在するが、それさえ避ければあそこは追手を撒くのに最高の場所だろう。加え、あそこには結界が存在する。わずかばかりでもバーサーカーの歩が鈍れば、それ即ち勝機となる。

 

「柳洞山まで突っ切るわよ! バーサーカーは私たちでなんとかしなくてはいけない!」

 

◇◆◇◆◇

 

 幾合か打ち合った後、セイバーとライダーは距離を置いて睨みあった。

青天の霹靂とはこういうものか。いや、これはあるいは必然か。セイバーはこう考えた。神は自分を試しておられるのだ。自分と、自分に周囲のものに試練を与えているのだ。主は我らに敵を与え、これらを見事打倒すべきだと言っておるのだ。その真意など知らぬ。人が神の真意を知ろうとするなどおこがましいことだ。だが、これが試練であるというなら乗り越えなければならない。主は、乗り越えることの出来ない試練は決してお与えにならないのだから。

 

 腰のデュランダルを構えなおす。折れず、曲がらず、欠けない不滅の剣は不滅の神の威光を宿していた。そう、デュランダルは不滅の神の威光の象徴である。デュランダルの柄の中には三人の聖人の聖遺物が封印されているのだ。

 

「負ける気がせんぞ、セイバー。俺が勝ち、そして貴様は敗れる」

「あるいはそうかも知れん」

 

 セイバーはそう言うとデュランダルを天に向ける。まるで天を穿たんとしているかのごとく、澄みつつも鋭い覇気を放っていた。

 

「だが、この私――未だ帰るべき場所と、やるべきことがある。それが我が使命ならば、神はここで死ぬ定めとせぬと信じている」

「なるほど、それが貴様の天祐か。……あの素晴らしきランサーも、貴様と同じように『神』とやらを信奉しておった。俺にはその『神』とやらは分らず、また天の実態も知るに至らず。しかし、敵の武勇を測ることはできよう。セイバー、貴様はあのランサーに匹敵するものだ。なればこそ、俺は最大限の一撃を以て貴様を切り伏せる。貴様を斬ることは俺の誉れとなろう」

 

 その言葉は、一種悲痛なものを含んでいた。ランサーとの一戦をアサシンに邪魔され、あろうことかランサーを撃破されてしまったからこそ、セイバーとの戦いは憂いの残らぬものであって欲しいという悲願である。

 ライダーは青龍刀を握り締め、それを振りかざし、その穏やかざる胸中を吐き出す。その言葉にセイバーは虚を突かれた。あろうことかサーヴァントが自らの名を明かしたのである。

 

「我が張遼、字は文遠! セイバー、貴様は名乗らずとも良い。これより斬る敵の名に興味などなし! 貴様が何者であろうと、何をしようと、俺は『天』に至るッ! 我が天命は未だ分からずとも、それを求める主がいる。ゆえに、俺は天を掴む!」

 

 ライダーには魔法の何たるかが分からない。サーシャスフィールから第三魔法「天の杯(ヘヴンズフィール)」を説明されても何のことやら分からない。彼が理解できたのは、『天』の一文字のみ。

 ライダーは、自らの主は天を目指すものでなければならぬと信じている。呂布奉先然り、曹操孟得然り。最高の武の先に天は在り、武の真髄こそが天に在るのだ。武の頂点を目指すものは天を知らずにはいられない。

 故に、ライダーは天を渇望するのだ。そして自らに負けず劣らず『天』を求めるサーシャスフィールを心から敬愛する。だからこそライダーはサーシャスフィールに従い、彼女のために命をかけて戦うのだ。自らの武を天へ導くために、主を天に導くために。

 

「静かなれども意気衝天、我が精鋭に告ぐ!」

 

 そのとき、死角という死角からか騎馬が姿を現す。その数は十を数える。アインツベルンのホムンクルスの中から選りすぐった二十から、さらに白眉たる者を厳選した末の十騎である。セイバーはその者たちに覚えがあった。あの大橋の上で邂逅した際に見た姉妹兵の一部に相違ない。

 その者たちは斬りかかる様子はない。しかし、その手に持つハルバードの切っ先は、命あらば今すぐにでも斬りかかると雄弁に語っていた。

 

「我が一刀で蒼天を穿つ! 散開し、我が目となれい!」

 

 黒兎がその健脚を存分に発揮し、目にも止まらぬ速度で突進する。ここにきてライダーの一撃はより激しさを増していた。否、それはセイバーの錯覚である。ライダーの宝具『遼来々(リョウライライ)』は己の存在と名を武器と化す宝具である。ライダーと対峙したものはその身が竦み、名を聞いたものは震えを抑えることが出来ない。これは、本来サーヴァントにとって致命的な弱点になり得る真名を開示することで、相手のステータスを低下させる宝具なのだ。ゆえにセイバーは、その名を聞いたことにより、さらに体に枷を強いられた。ライダーを視界に収める限り、セイバーは以前の身体能力を発揮することは不可能である。

 

 セイバーは黒兎の突進を回避する。馬を狙った一瞬の隙にライダーは首を刎ねるだろう。一瞬であっても馬上のライダーから視線を逸らすことは許されない。

 すれ違いざまにライダーは落雷のような一撃をセイバーに振り下ろした。それを件の腹で受け止める。通常の刀剣であったら、否、聖剣や魔剣の類であっても得物の格によってはへし折られていたかも知れない。

 ライダーの気炎を受け止めたセイバーは、返す刃が来る前に姉妹兵の動向を確認した。一瞬のみ視線をずらして姿を確認したに終わったが、ライダーと姉妹兵の連携の如何はすぐに知れた。

 姉妹兵は言わば斥候である。ここは市街地だ。如何なる妨害があるか分からない。結界や魔術の類を持ち合わせないライダーがこの地で存分に剣を振るうには、事前に露払いをする存在が必要なのだ。また、セイバーの一挙手一投足をライダーの死角から監視する役目をも担っている。姉妹兵がセイバーと戦うには荷が勝ちすぎているが、一定の距離を保って援護を行なうことは出来る。おそらく、視覚もある程度共有しているのだろう。言わばセイバーは、姉妹兵とライダー合わせて十一人、都合二十二個の目で見られていることになる。

 

 その証拠とばかりに、先ほどの一撃を受けてセイバーがたたらを踏んだその瞬間に、ライダーは首元を狙って剣を薙いだ。馬上、かつ肉薄している状態ではセイバーの下半身の動きは完全に死角である。それにも拘わらずそれを狙い澄ました一撃は、姉妹兵から見られているとしか考えられなかった。

 ライダーが魔術を理解するとはセイバーには思えなかった。ならばこれは、マスターか姉妹兵のいずれかからの入れ知恵に違いない。

 

 ライダーの剣戟は常に的確であり、迅速かつ破格の重さ。さらに人馬一体の馬術。それに加え、十を超える視線での監視。セイバーの一挙手一刀足は全てライダーに見られ、隙とも言えないような隙でさえ致命的なものに転化されてしまう。

 厄介などという言葉で表現が出来ないほど、セイバーは追い込まれつつあった。

 

 しかしセイバーは宝具を使うわけにはいかなかった。デュランダルに加えてもう一つセイバーが所持する宝具は制御が非常に困難な上に周囲を巻き込む。市街地で使える宝具ではない。しかしここから移動することも困難である。全方位から視られていては、背を向けた瞬間に斬られてしまうだろう。一発逆転の奇策があったとしても、事前に察知されてしまうのは必至である。

 

 長得物でありながらライダーの剣戟は、もはや刃を返す瞬間を察知できないほどである。過剰なほどに幅広で重厚な刃、さらに大きな龍の装飾を持つ青龍偃月刀であるにも関わらず迅速な一撃。

 しかしそれと剣を合わせることが可能なセイバーもまた卓越した剣術であった。まともに受け続けていては死ぬは必至と悟ってからは、ライダーの剣を流し、いなし、かわすことに専念する。だが、誰の目から見ても防戦一方であった。

 

「そのいじけた構えで、この俺を斬れるのかッ!」

「見ているが良い!」

 

 セイバーは虚勢を張るが、必殺の一撃の剣戟を立て続けに放たれては手も足も出ない。しかし諦めてはいなかった。ここで闘志を折られるほどセイバーは軟弱ではない。しかし体は見る間に切り刻まれていく。捌ききれなかった一撃は、セイバーを絶命させるに足らずとも身を裂くには十分に苛烈であった。剣を合わせること既に百を超え、セイバーの体は血で染められつつある。もはや刀傷の無い部位を探すほうが困難である。いや、未だ立っていることのほうが信じられないほどだ。

 

「どうしたセイバー! もはや目も霞んできたか!?」

「黙れッ!」

 

 ライダーの一撃を紙一重で回避し、ライダーが刃を返すよりも素早く刺突を放つ。まさしくそれは閃光の一撃であった。ライダーはそれを弾こうとしたが、渾身の力を込めて放った一閃を叩き落とすには至らず、ライダーの腿を裂いた。

 しかし、一矢報いたとセイバーが考えるよりもライダーが青龍偃月刀の石突で肩を突くほうが早かった。青龍偃月刀のこの部位には刃が無い。肩は鎧で覆われていることもあって致命的な傷を負うには至らなかったが、鎖骨に罅が入った。完全に折れた訳ではないが、この痛みは尾を引く。一方ライダーのほうも、唯一の負傷であるが、無視できるほどの浅さでもない。腱を断たれたわけでもなく、大動脈を断たれたわけでもないが、騎乗の際には腿の力で上体を支えているのだ。ここに浅くない傷を負えば、騎馬全体の動きに支障が出る。

 

「腿にも鎧を着込んでおるのに、それをも裂いてしまうとは……。その剣の鋭利さは俺の想像を超えておった」

「……何せ、大理石をも叩き斬る剣であるので」

「ほう、それは凄い。俺が使っておったならば、あるいは生前で天を掴んでおったかな」

「それは恐ろしいが、この剣は貴方には使えまい。貴方の剛力で振るうには、この剣は役不足だ。貴方にはその剣が似合う」

「確かにその華奢な剣では俺の膂力に似合わん。ふむ、やはり俺にはこの得物が良いか」

 

 今一度ライダーは青龍偃月刀を眺める。そしてその切っ先をセイバーに付きつけ、不敵な笑みを浮かべた。

 

「では、そろそろ終わらせよう。この後、バーサーカーとアサシンも斬らねばならんのでな。……この程度の傷で、この張遼の一撃が軽くなると期待せぬほうが良いぞ。

 遼来々ッ! この(ライダー)が行くぞ!」

 


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