Fate/Next   作:真澄 十

33 / 56
Act.31 少年は悩む

 彼にとっての正義とは、まさしく悪を滅ぼすことである。

 自分が正義の味方であるなどと騙る気などは無い。むしろ、おそらくその対極にあるのだろう。

 ――そしてそれ故に、彼は正義である。

 幾度もその引き金を引いた。これがこの世で最後の流血になると信じ、喉から込み上げる嗚咽を飲み込んで銃弾を放った。

 この身は救われた身である。救われた命である。ならばこの命は、きっと誰かのために使うべきなのだと、そう信じて銃を執った。

 魔術はその手段に過ぎなかった。魔術師にとって魔術とは、本来ならば目的である。魔術を練磨し高みへ目指すことが至上。それを手段に使うのは、これ以上ないほどの外道である。しかし、彼は魔術師の家系に生まれながら、不幸な境遇により外道へと成った。

 それに後悔など無い。むしろ、その境遇に感謝している。

 

 しかし、もしも自分が道を踏み外しているとすれば、あのときにおいて他は無い。

 自分の行動は正しいと思う。あのとき、肉親を殺すという倫理に則れば到底許されない行為が、間違っていたと思ったことなど無い。

 だがもしも自分が誤ったとすれば、あのときなのだ。あれは、まさしく人生の転機であったからだ。そのときから、衛宮切嗣は正義を行う機械になったのだ。

 

 そう、機械である。

 悪を自動的に滅ぼさんとするシステム。正義を理性(プログラム)によって実行する機械である。

 そこに感情など無い。感情など持つ余裕は無い。ただ、悪と認識したものをその銃弾で打ち抜くための存在だ。

 その身は、およそあらゆる戦場に姿を現した。戦争の理由は様々であるが、彼にとってその全てが許容しかねるものだった。それゆえに、彼は二束三文のはした金で雇われ、一日でも早い決着の為に戦った。――目の前に現れた敵は、悉く撃ちぬいた。

 正義を求め、その果てに殺戮を行った。

 彼のことをよく知らない人は、彼のことをこう呼んだ。狂人である、外道であると。

 他人にとって、彼の行動はまさしく殺人嗜好者のそれに他ならなかった。命を賭けるに足るとは到底思えない金で、ただひたすらに戦うその様は、悪鬼にしか写らないだろう。

 

 しかし、それが彼の正義なのだ。

 正義とは、悪を滅ぼすことである。悪を悉く撃ち抜いてこそ、正義を示せると、ただそれだけを信じた。戦うことで、いつか誰も泣かずに済む世界が手に入ると、本気で信じていた。

 なぜなら、それが彼の知る正義の味方の姿であるからだ。それしか知りえないからだ。

 それは決して間違いではない。それもまた、正義である。もとより、正義とは悪との対比によってでしか証明できないものなのだ。

 しかし、それによって平和を求めたとき、それは最良の道ではない。暴力によって得られる幸福など、ありえない筈なのだ。

 それをわかっていながら、彼は戦い続けた。自分がこの世全ての悪を担えば、この世はもっと良くなると信じた。

 それゆえに、彼は過去の英雄というものを嫌悪した。何故なら――まるで自分と同じだったからだ。

 戦ったその先に、より良い未来があるから戦う。この闘争は尊い。剣に誇りを。

 その向かう先は違えど、根本は同一と言っても良かった。結局、彼らもまたより良い明日の為に戦っていたのである。

 つまるところ、同族嫌悪以外の何物でもないのだ。

 

 ならばきっと、十七年前に彼とその従者は分かり合えた筈だ。その根本は、誰かを守るという点で一致していたし、取った手段も同じだ。彼は戦いに誇りを見出すのは殺戮者に他ならないと断言するが、誰かを守るために殺戮を許容せざるを得ないという点において、彼もまたその行為に意義を見出している点では同一なのだ。

 殺戮そのものは許容できないが、何かのためにはそれを行わなければならない。彼はそれに苦悩し、そして彼女らはその先に規範となろうとした。戦闘を殺戮にさせないために、模範となるべき存在として騎士となった。

 両者の本質は違わない。彼女(セイバー)は殺戮を許せないからこそ、騎士道を望んだのだ。

 

 しかし両者の正義は、ついぞ分かり合えなかった。

 どちらも正しい。殺戮を頑として拒む気持ちと、それを防ぐために規範とならんとする気持ち。甲乙などある筈も無いし、どちらもその根本を同じくし、そして両者ともに尊い。

 しかし正義を求める暗殺者は騎士王を許せず、騎士王はそれに涙した。

 何度だって言おう。どちらも穏やかな日々を望んだことに、違いなどある筈が無い。

 

 そうだ。彼が彼女を殺戮者と呼んだように。彼もまた他人から殺人嗜好者と呼ばれる存在なのだ。そこに違いなどある筈があろうか。

 ならば何故分かり合えなかったのだろうか。ならば何故――分かり合おうとしなかったのか。

 

 悲しむべきは、これについて考える存在が今となっては居ないことである。もしもの話であるが――これについて悩むことができるモノが存在するとすれば、それはアサシンが記憶を取り戻したときだろう。

 

 

 

 

 

 

「旦那、ボーっとしてどうしたんだ? 例の頭痛かい?」

 

 景山悠司はアサシンの言葉に従順に従っていた。外出を禁じられてから既に一週間になるが、元々出不精である。そろそろ退屈を覚えているようだが、さほど苦痛には感じていないようだった。

 しかしそのせいか、ことあるごとに彼に言葉をかけるようになった。初めは警戒心からか殆ど言葉を交わさなかったというのに、それに慣れてしまったのか、もはや単なる同居人程度にしか考えていない様子であった。

 アサシンにとってそれは不都合ではないが、どちらかと言えば干渉されないほうが好ましい。この質問も無視したい。だが、仮にもマスターである。変な反感を買って令呪を使用されてはたまらない。一応の愛想は保つ必要はあった。

 

「……ああ。生前から頭痛持ちだった、なんてことは無い筈だけどね。どういう訳か、発作的にひどい頭痛に悩まされるよ。何が理由なんだろうね」

 

 実のところ、理由はおそらく分かっていた。確証すらないが、確信はある。昨晩の戦闘において、この頭痛の理由は無いだろう。召喚されてからずっと頭痛が続いているが、今日は特に酷かった。昨日と今日の違いは、それを置いて無い。

 あのアインツベルンのホムンクルスの顔を思い浮かべる度に、耐え難い頭痛に苛まされる。あのバーサーカーの顔を思い出す度に、頭が割れそうになる。

 きっと、この頭痛は警鐘だ。

 思い出さないほうが良い。思い出せば、きっと自分が許せなくなる。そういう類の、自分に対する無意識下での防衛行動なのだ。記憶を無くした経緯すら不明だが、思い出したくない気持ちは、おそらく否定できない。

 しかし、そう思う一方で思い出さなければならないという気持ちはある。思い出さなければ、せっかく得た何かが零れ落ちるような焦燥感にも襲われる。その得たものが何か分からないが、失うことに恐れを抱かなかった自分がそう思うのだ。失ってはならないものに違いないのだ。

 

「サーヴァントって、幽霊だったな。幽霊にセデスって効く?」

「……いや、鎮痛剤は要らない。それに、それは眠くなるから好きじゃない」

 

 言われるがまま、景山悠司は一度棚から取り出した市販薬を戻した。しかしそれでも気になるらしく、棚を引っ掻き回して効きそうな薬を物色し始めた。

 確かに鎮痛剤は精神面から来る頭痛にも効く。単に痛みを和らげるだけでなく、「薬を飲んだから大丈夫だ」という安心感を与えるからだ。

 しかし、そのようなことで治るような類の頭痛ではないことは分かっていた。これは防衛反応なのだ。それこそ眠ってしまえば頭痛は治まるかも知れないが、そんな一時的な気休めでは意味がない。

 いっそ、思い出してしまえば頭痛は治まるのだ。

 

 もう一度だけ、と自分に課して昨晩を思い出す。あの二人の顔を。

 一人は、雪のような銀髪の女。一人は、紅い装束に身を包んだ女。

 前者は、どこか愛しみさえ覚える。決して彼女自身は知らない。だが、良く似た人を知っている気がする。そう、まるで長年連れ添ったかのような気安さだ。

 銀の髪に、整った顔立ち。その線の細さに似合わず、紅い瞳の奥には揺るがざる鋼のような信念がある。

 あれはそう、アインツベルンのホムンクルスだ。アインツベルンがこの戦いに参加することと、その製造品の特徴は調査すればすぐに分かった。あの銀髪と紅い瞳こそアインツベルンのホムンクルスたる証。それは、同じ製造ラインに見られる普遍的な特徴な筈なのに――あの顔は、絶対に誰かに似ているのだ。

 それは誰だ? ――分からない。あのとき、確かに一つの言葉が浮かんだ。それは、確か「アイリ」。それが人の名前か、ホムンクルスの名前か、それとも何か物の名前なのか、それすらも分からない。ただ、一つの手がかりであるのは間違いないだろう。

 

 そしてもう一人。紅い装束の女。バーサーカーのサーヴァントだ。

 それに対して抱くのは、複雑な感情。憎悪か、憤怒か、それとも贖罪か懺悔か。あるいはそれら全てか。分からない。あらゆる感情が複雑にもつれ、もはや解くことが出来ない。

 だが、それでもやはり確信できる。彼女を知っている。

 生前の記憶に、あのような人物が居るはずがない。目は血走り、髪をかき乱し、血管が浮き出ている。それはまさに狂戦士(バーサーカー)だ。紅い装束は血を思わせるし、手に持った剣は華美でありながら凶暴性を隠そうともしない。

 しかしそれでも――忘れがたい人物だと思うのだ。あの顔立ちに、自分はきっと見覚えがあるのだ。

 

 名前など思い出せない。もとより、自分の記憶にある人物とは別人であると直感で理解できている。両者ともに良く似た別人だ。

 だがそれでも、その良く似た人物を頼りに記憶を探る。

 そして何か掴めそうになって――またしても耐え難い頭痛によって思考が遮られる。

 それに声も上げず耐える。眉間に皺を寄せ、脂汗を流しながら、思考を止めてそれが収まるのを待った。

 

「大丈夫か、旦那。気休めでも薬を飲んでおくかい?」

「……ああ。やはり貰っておくよ」

 

 先ほどは断ったが、気休めが欲しい気分になったために今度は素直に受け取った。それを水で一気に飲み下す。薬を飲んだから安心だという気休めの効果は無かったが、少なくとも意識は僅かながら昨晩から離れた。おかげで少しだが頭痛は和らいだ。それら全てを含めて薬が効いたともいえる。

 深く深呼吸をして、自身のコンディションを確認する。これといった負傷は無い。昨晩の戦闘は命を落としてもおかしくないものだったが、幸運にもほぼ無傷で帰還できた。

 疲労も無い。肉体面と精神面ともに健常だ。薬による眠気も無い。もとより、市販薬の効果程度ならば魔術師であればその効能の程をコントロールできる。眠気成分は吸収されているが、精神から眠気をカットすればいいだけだ。景山悠司に眠くなるから嫌いだと言ったのは断るための詭弁にすぎない。

 その他諸々の事項を確認し、今晩の行動に支障は無いと結論付けた。

 

 もうじき、この長い戦いは幕を閉じるだろう。

 もはや拮抗状態で停滞する段階ではない。拮抗を形作っていた因子が一つ、また一つと倒れて逝った。もはや拮抗など存在せず、あるのは一気呵成の終結へ向かうのみである。物事の終わりはいつでも急だ。荒事となれば特にその傾向は顕著である。彼はヒットマンとしての経験から、この戦いの終結は近いと感じ取っていた。

 アサシンの戦いの基本は、序盤において間諜に徹することである。直接戦闘において勝機など存在しないのだから、当然の選択だ。だが中盤以降は、まさしく暗殺者として戦うのが至上。闇に紛れ、誇りなど求めずに、相手がそれと気付く前に葬る。

 衛宮切嗣は間諜としての役割を終えたがゆえに、アーチャーのマスターとランサーのマスターをその手にかけたのである。狙うはサーヴァントではなくマスター。それが最上の策である。

 そしてサーヴァントではなく人間が相手となったとき、強力な武器が存在する。ここ数日、いや召喚されて以来、彼はそれを入手するべく奔走していた。

 

 おもむろにアサシンの懐から電子音が鳴った。取り出したのは携帯電話だ。それが正規の契約に基づいたものなのか、それとも不法な手段によって入手したものかは景山悠司には判断できなかったが、あえて聞かないことにした。少なくとも自分の口座や現金で購入されたものでないことは確かだった。

 僅かな言葉が交わされる。景山悠司には理解できない言葉だった。少なくとも英語ではないとしか理解できない。だが言語の印象からして、イタリア語かロシア語ではないだろうかと思った。

言葉を交わすその表情から察するに、ろくな話ではないに違いない。いや、少なくとも自分に害のある話ではないのだろうが、首を突っ込む気にはなれなかった。

 

 電話が終わるなり、彼はアパートから出て行ってしまった。もはや夏は目前であるというのに、相変わらずのコート姿である。そのコートの中に、愛用しているらしい銃を押し込むのを景山悠司は確かに見た。ますます危なげな話である。

 何も言わず急に出て行ったしまったため、景山悠司はしばらく釈然としないまま時間を潰すことを強要された。訳の分からない男ではあるが、景山悠司にとって衛宮切嗣は唯一の話し相手である。電話やメール、さらにはインターネットなど外部とコミュニケーションを取れるツールは軒並み禁止されている。別に取り上げられているわけではないが、言いつけを破ると後が怖そうなどで素直に従っているのだ。よって彼が外出してしまうと、手持ち無沙汰極まる状況になる。精々が窓から外を見下ろし、気楽そうに散歩をする老人やカップルで自転車を走らせる高校生に呪いを振りまくことぐらいだ。テレビもずっと見ていたから既に飽きた。

 

 そうやって長くはないが短くもない時間を無為に過ごした後、ようやく衛宮切嗣はアパートに戻ってきた。ただいまの一言もなく、ただ無造作に扉が開けられただけの素っ気無いものだが、話し相手に飢えている景山悠司はすぐさま飛びついた。

 

「旦那、お帰り。どこへ行っていたんだ?」

「ちょっと買い物にね。ほら」

 

 見れば確かに大きな荷物を持っていた。それはゴルフクラブを入れるケースである。アサシンがそれを床に置くと、ガチャリと音を立てたことから中身は入っているらしい。

 だが、この男がゴルフに興じるような男ではないことは今までの経験から分かりきっている。ゴルフどころか、娯楽すらまともに知らないに違いないのだ。

 

「それは……?」

「見るだけだよ。あと、騒がないでくれよ」

 

 衛宮切嗣がそれを見せたのは、これの中身を詮索されて騒がれるよりよほど良いからだと考えたからだ。内緒で隠すには物が大きすぎるし、こういった類のものは拠点に置いておきたい。結果として、快く見せるしかないと結論したからだ。

 ゆっくりと横たわったゴルフケースのファスナーを下ろす。最初に景山悠司が感じたのは臭いだ。すぐには思い出せなかったが、小学生の頃に運動会などでよく使う、紙のような火薬を爆発させてスタートを切るあの道具の臭いだと思った。名前は確かスターターピストルだったか。

 次に、その色と形状を認識した。物体は二つ。両方ともくすんだ黒に、細長い形状をしている。一つはもう一つよりもやや長かった。

 それが、大部分が鉄で一部が木によって作られていると認識した次の刹那には、それの名称が稲妻のように現れた。

 ――銃である。

 

「――こいつはすげえ」

 

 ここで驚愕の悲鳴を上げなかったのは、彼にとって銃は初めて見るものではないからだ。衛宮切嗣の持つコンテンダーを何度か目にしている。

 しかし、それと目の前に鎮座する二丁は全く別の気配を持っていた。衛宮切嗣の銃が骨董品のそれを思わせるのに対し、目の前のこれらはまさしく実用品のそれだ。

 すげえ、という景山悠司の感想は至極まともだ。その存在感はコンテンダーとは一線を画すものだ。その重量感や僅かに漂う火薬の匂いが、まさしく人殺しのための道具であると強烈に主張している。

コンテンダーのようなピストル型の銃というのは、実のところ殺傷能力にあまり期待して設計されたものではない。無論、コンテンダーほどの大口径になれば人を十分に殺しえるが、本来拳銃の口径は小さいものだ。急所に当たらなければ死に至ることは難しく、それゆえに敵の殺害よりも行動不能に陥らせることが重要とされる。マン・ストッピングパワーというものだ。銃とは我々一般人が考える以上にひ弱な武器なのである。

 しかし目の前のそれは違う。大口径によって確実に相手を殺すための道具だ。口径も装填数もコンテンダーとは比較にならない。コンテンダーは小さめのライフル弾を単発で撃つのが限界だが、これはそれを何発も撃つことを想定されたものだ。

 

「こっちの大きいほうはドラグノフだ。比べて小さいほうはカラシニコフ。古い銃だけど、どちらも中東で未だに現役の銃さ」

 

 カラシニコフとは正式名称をAvtomat Kalashnikova-47といい、AK-47とも呼ばれるアサルトライフルである。その頑丈さと少ない部品数による修繕の容易さ、さらには安価さが相まって傑作の一つに数えられる銃である。

 ドラグノフは正式名称をSnayperskaya Vintovka Dragunovaといい、SVDとも呼ばれる。AK-47を基盤に作られただけあって、これも高い耐久力と信頼性を誇る狙撃銃だ。

 どちらも世界大戦以前のロシアで作られた銃でありながら、中東などの紛争地帯で未だ現役として多くの人の命を奪い続けている銃である。今回、なかなか武器ブローカーと交渉できなかったためにここまでずれ込んでしまったが、イタリアマフィアから密輸された正真正銘の本物である。この二丁の銃は、ほんの数ヶ月前まで実際に中東で使用されていたものだ。それをイタリアマフィア経由で切嗣が買い取ったのである。

 景山悠司は実際に見るのは勿論初めてだが、その名前はゲームなどで聞いたことがあった。その殺傷能力も、それらから察することが出来た。

 

「どうやって……」

 

 手に入れたのか、と景山悠司は聞こうとした後に後悔した。こんなものは非合法な手段によって手に入れたに決まっている。しかも、資金を持たないはずの彼がこんなものを買える金があるとは思いがたい。気味の悪いことだった。どこかの口座から不当に金を下ろしていると言われても納得せざるを得ない。いや、そうであるに違いないのだ。生前の自分の口座だといわれても、どうせその金自身真っ当ではないに違いない。

 そもそもどうやって武器ブローカーなどと話をつけたのか。どうやって日本に運び込んだのか。

 

「色々とね。コツがあるんだよ」

「……」

 

 もはや景山悠司は沈黙するしかなかった。

 彼が黙している間に、衛宮切嗣はゴルフケースの中から色々なものを取り出し、その品質を確認していった。まず弾薬。質素な紙の箱がこれでもかと言うほど出てきた。その中身はライフル弾である。彼の胸にある、苦労して鎖を通した真鍮製の空薬莢のアクセサリーとは比較にならないほど大きい。両者の銃の間では弾丸に互換性があるのか、特に弾丸に違いは見られない。それがざっと見積もって数百発。過剰とも思えるほどの量である。

 次に取り出したマガジンに、それらを込める。マガジンもかなりの数があった。それらに弾丸に粗悪品が混ざっていないか確認しながら丁寧に押し込む。銃の扱いなど知るはずもない景山悠司にとっては、その作業だけでも何かの弾みで暴発するのではと冷や汗を流した。

 最後に、スコープとレーザーサイトである。それらを手際よく取り付ける。スコープはドラグノフに、レーザーサイトをカラシニコフに取り付けると、洗練されたという印象をより強く受けた。レーザーサイトを衛宮切嗣は試しに点けてみる。銃が向けられている部分だけにぽつりと赤い点が浮かんだ。

 レーザーとは基本的に収束している光である。拡散しないため、その軌跡は人間の目には映らない。結果として光が物体に当たったときのみ拡散して目に映るのである。これが光源の全く無い夜間であれば薄く軌跡が見えることもあるし、粉塵などが舞っていればくっきりと軌跡が浮かび上がるのだが、日中ではそんなものは全く見えずに簡素な赤い点が標的に浮かぶのみである。景山悠司は、こんなもので狙われたら絶対に気付けない上にどんな素人でも命中を得られるだろうと思うと恐怖した。

 

 正直なところ、彼にとってレーザーサイトは必ずしも必要とはいえないが、何の装備もしていない銃というのも頼りない。手に入る機会を得たからついでで入手したようなものだったが、存外に幸運だった。

 昨夜のカーチェイスじみた戦闘のような状況に再び見舞われたとき、これは役に立つだろう。車体で移動しながら射撃するのは相当に難しいのだ。再びライダーのマスターと出会う可能性を加味すれば、全く無駄な買い物ではないはずだ。備えあれば憂いなし、とはよく言ったものである。

 

「今夜もどこかへ出かけるのか? その……ソレらを持って」

 

 恐る恐るといった様子で二丁の銃を指差す。まだ日が昇ったばかりだが、今夜さっそくその銃が使用されると考えると、景山悠司は怖気を禁じえなかった。

 景山悠司にとって、胸の空薬莢は一種のお守りである。自分は不幸だが、その空薬莢の中身を食らった人間は、その瞬間に限れば間違いなく自分よりも不幸な目に会っているに違いないからだ。

 だがその二丁の銃弾が孕んだ銃弾は景山悠司が持つそれよりもはるかに凶悪である。それはもう、不幸というよりも無残だ。その掃射を身に浴びれば一瞬でボロ雑巾のようになって死ぬのは目に見えている。景山悠司の持つ薬莢の銃弾では死体は綺麗に残るだろうが、ドラグノフはともかくカラシニコフが相手ではズタズタにされるだろう。

 ドラグノフはドラグノフで、反撃を許さない射程から一方的に攻撃を加えるという点はカラシニコフに負けず劣らず凶悪である。

 

「ああ。今日はセイバーのマスターが標的だ。アインツベルンの城に侵入するのは困難だし、バーサーカーのマスターは未だ不明だ」

 

 彼はキャスター戦の一部始終を見守っていたのだが、その際にセイバーのマスターが誰かは把握している。しかし遠坂凛はそのときバーサーカーを用いなかったため、衛宮切嗣はバーサーカーのマスターが誰か確認できていない状態だった。

 正確には遠坂凛は既にバーサーカーのマスターではないため、彼女を殺したところでバーサーカーは消えない。バーサーカーを間接的に殺すとなれば土地そのものを壊滅させるしかないのだが、そのようなことを彼が知るわけもなかった。

 

「場所はもう知っているんだ?」

「ああ。かなり早い段階で見つけていた」

 

 その答えに景山悠司は少なからず疑問を感じた。まだ短い時間しか経っていないが、この男のことはある程度知っている。敵の本拠地を知ったならば真っ先に潰しにいくだろう。この男は、病院を吹き飛ばす程度ならば平気でする男だ。

 あのときは知らされなかったが、ニュースを見れば明らかだ。あの時間、自分はこの男の指示によりトランシーバーでどこかに通信した。その行為の意味は分からなかったが、ちょっと考えれば分かる。おそらくこの男は自分を起爆装置に利用したのだ。

 

 だがそれに対して罪悪感を覚えない程度には、景山悠司は歪んでいた。

 

「旦那らしくない。旦那なら、そういうのは真っ先に潰すかと思った。病院を吹き飛ばしたみたいに、ドカンと一発」

「……色々と事情があるのさ」

 

 その点は、衛宮切嗣にとっても疑問であった。

 何故自分は、あの家を襲うことに対してここまで嫌悪感を抱くのだろう。どうしてあの家に近付くと頭痛がするのだろう。

 だが、その疑問もこれまでだ。近付くと頭痛がするというのなら、近付かずに仕留めればいい。ドラグノフの射程は六百メートル。そこまで離れれば頭痛もしない。

 セイバーのマスターの顔は覚えている。髪を後ろで束ねた女性だ。その眉間を打ち抜いて、それで終わり。魔術に拠らない直接攻撃だ。セイバーは反撃しようと試みるだろうが、こちらの正確な位置などわかる筈もない。

 気がかりといえば、彼女の探知能力である。以前の斥候の際、こちらの存在が危うく露呈しかかった。

 しかしそれは百メートルほどまで接近していたからだろう。その六倍まで離れれば知覚はできまい。その遠距離からの攻撃となればなおのことだ。そもそも、音速を超える弾丸に対して対処できるはずもないのだ。いくら六百メートルこちらの存在を知覚しても弾丸が到達するまで二秒もない。しかしこれはまだ現実的ではない。六百メートル先からの攻撃が知覚できる人間など、結界内でも無い限り存在する筈は無い。よってその半分の三百メートルが知覚可能な範囲としよう。そうすると一秒もない。

 サーヴァントならともかく、いかに魔術師であろうとこれに対応するのは不可能である。飛来する物体を認識し、それが危険であると理解した段階で頭を撃ちぬかれる。

 広範を見張る目があろうと、この一撃の前には無力である。障壁を張る間さえない。

 

「ま、夜まで時間はあるからさ。それまで話し相手になってよ」

「……僕は世間話なんか出来ないから、聞き手に徹するけれどそれでいいかい」

「構わないよ。ほら、その物騒なものを早くしまってくれよ」

 

 夜までまだ長い。というより、日が昇ったばかりだ。狙撃ポイントを確保するにしても早すぎる。動くべき時間になるまで、この男の話し相手になってやることで時間を潰すことにした。

 景山悠司の話に適当に相槌を打ちながら、来るべき今夜のために身体だけは休めるのであった。

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 前回の聖杯戦争は、今回に負けず劣らずの熾烈な戦いだった。しかし戦いそのものは重要な因子ではない。最も俺に変化をもたらしたのは、自分に出会ったことだ。

 それは何の比喩でもない。まさしく自分との邂逅だ。ただ一つ、時間の経過という差異を除いて全く同じ存在だった。

 自らの理想を信じ、それが自分に届かぬと知り絶望した自分の姿。しかし、あいつは決して立ち止まらず全身し続け、それゆえにその姿は借り物などではなく本物だった。理想を追い求め、絶望し、しかし立ち止まらず。今思えば、その姿は尊いのだろう。

 

 今でも断言できる。後悔なんか無い。

 聖杯戦争が終わった後、遠坂と俺はしばらく倫敦の時計塔に留学し、その後世界を回ることにした。時計塔では、遠坂はともかく俺は決して優秀な学徒ではなかった。だけど、それでも必死に学んだ。学生生活を終えれば、そこに待つのは荒野であることは知っているからだ。

 ――そう、荒野だ。

 自分が目指すのはあの荒野だ。ただひたすらに剣が居並び、火の粉舞う荒野。それこそが俺の目指すべき場所である。

 あの剣戟の残響を今でも思い出す。深い森の奥に佇む廃墟で交わした剣と剣が、火花を散らし、残響する音。その剣戟について、語るべきことなど無い。ただ、あいつは行き、俺は目指す。それだけのことだ。

 自分が選んだ道に後悔など無い。あいつだって言った。やり遂げなければ嘘だ。

 

 だけど――荒野へ至る道は、疑問という茨で敷き詰められていた。

 例えば、中東では互いの宗教観や政治的な対立によって紛争が耐えない。だからこそ俺と遠坂はここに戻る直前に中東に居た。しかし、やはりそこは疑問で満ちていた。

どちらの勢力が正しいのだろう。政府派か? それとも反政府派か? どうすればこの紛争は終わる? 両勢力が納得できる妥協点へ誘導する? それとも片方を殲滅する?

 ――俺はどうしたい?

 例えば、その戦場には少年兵が居る。それは悲しいことだ、何とかしなければならない。誰しもそう思う。だが、幼少から銃を握り、敵兵を撃つことだけを教わってきた子だ。敵兵を殺したときだけ褒められて育った子だ。戦うためだけに生きている存在だ。戦場という地獄から介抱しても、普通の職にはつけないから、結局戦場に戻るかギャングになるしかない。災厄を教わった子が災厄を振舞うようになってしまうのだ。それがその子にとって、唯一の正義だからだ。

 その少年兵を前にして、救いの手を差し伸べて連れ出すことは容易だ。だが、ずっと面倒を見ることなど出来ない。ならばどうすればいい? 近い将来、死ぬか災厄そのものになることを知りつつ見捨てるか? それとも、いっそこの場で斬り捨てるのがより世のためになるか? 救いの手を差し伸べ、自分だけが満足してその子が戦場に戻るのを許容するか?

 

 分かりやすい悪ばかりではない。むしろ、正義と正義の対立がこの世の殆どだ。

 無論、明らかな悪も存在している。狂った魔術師が、街を一つ死都にしてしまったこともある。それを打倒し、被害の拡大を防いだこともある。――その魔術師は、自分の行為の正当性を最後まで主張していたが。

 このよう分かりやすい悪もあるが、殆どの場合において悪など存在しない。当事者であれば敵は明確な悪だろうが、第三者にはとっては両者ともに正しい主張だという状況が非常に多い。

 この世に悪など居ない。この世全ての悪など幻想に過ぎず、悪とは正義が正当性を主張するための方言である。きっと今の自分は、そう言われても納得できてしまうだろう。

 あのいけ好かない神父も言った。正義には明確な悪が必要だと。

 だから悩む。悩んで、悩んで、結局剣を執る道しか見つからず、それを執行する。後悔など無い。しかし、疑問は残る。

 これが最良の道だ。だけど、自分の知らない選択肢は存在しなかったか?

 

 それをいつも考える。決して後悔ではない。過去に後悔などしないし、未来に何があっても乗り越える。だが、振り返ることはしてしまう。

 遠坂は、胸を張りなさいと言う。そう在りたいと思う。だけど、俺は親父のような顔をできるだろうか?

 助けられたのは俺のはずなのに、まるで救われたのは自分であるかのような顔。あの安堵の顔。

 俺の原点はそれだ。あの在り方に憧れ、そしてそれを目指した。

 それは借り物だとあいつは言った。でもそれを貫けば本物である。もとより、偽物が本物に劣る道理など無い。偽者が本物を越えることもある。

 だけど俺は、今本物なのだろうか。

 多くの人を救った。それこそ、もはや数え切れないほどの人類を救っただろう。だけど、分母が大きくなるほど、零れ落ちた数も大きくなる。常に確率は一定ならば、分母が大きくなれば分子も大きくなる。それが、どうしても許せない。

 俺は、百のために一を捨てる選択は取りたくない。やむをえないこともあるが、目に付く全てを救いたい。

 だけどそれは難しいのだ。例えようもなく難しい。全てを救おうとして、結局誰も助けられなかったこともある。

 どうすれば全員を助けられたのだろうかと、一晩中考えたこともある。だけど、明確な答えなど無いのだ。

 全てを救える手段。何でもいいから、誰も泣かないで済む世界が欲しい。誰しもが幸せであってほしい。

 その為に、俺は剣を造り続けた。

 その反動で髪は部分的に白髪になってしまった。メッシュというヤツだが、意図してそうなった訳ではないから、ちょっと気にしている。肌の色も、ずっと日差しの強い中東に滞在していたからか、随分と焼けてしまった。

 

 自分の顔にあいつの面影を見たとき、強い焦燥感に駆られる。

 あいつの様にはならないと啖呵を切った。今でもそう思っている。だけど、自分の顔と目の奥にあいつの面影を見たとき、このままあいつになってしまうのではないかと不安に襲われる。

 

 そもそも俺は――正義の味方になりたかったんじゃないのか。

 じゃあ正義の味方って何だ。

 こんな悲しそうな顔をしながら人を救うやつが、正義の味方なのか。

 

 そんな思いに駆られたとき、決まって一つの歌が思い出される。子供ならば誰でも知っている歌だ。

 

 何が君の幸せ? 何をして喜ぶ?

 分からないまま終わる。そんなのは嫌だ。

 

 ああ――確か遠坂に言われたっけ。そんな辛い目にあったのならば、幸せも無ければ嘘だと。

 でも、俺は人を救いたい。人を救うのが自分の喜びと信じて疑わない。それは人として破綻しているというけれど、それでも俺はいいんだ。

 でも――それならば、何故俺は人を救ったときにこんなにも悲しい顔をしているのだろう。こんなんじゃ、救われたはずの奴が救われないじゃないか。

 俺の唯一の感情は、正義の味方になること。それに一歩近づけたのに幸せになれないのは、助けられなかった人のことを思うからか。それとも、対立した別の正義の正しさに悩むからか。

 

 これが正しいと信じて、剣を造り続けた。正義のために剣を造り続けた。だけど、本当は自分の正義の姿が見えていないのではないだろうか。

 地盤が固まらない土壌の上に、塔を作ろうとしているようなものだ。正義が見えていないのに、正義を成そうとしている。だから苦悩するのだろうか。

 でも、自分の正義が見えたところで、また別の正義と対立するだけだ。それはもう、長い流浪の旅路で学んだことだ。でも、やはりそれを見つけなければならないのだろう。

 分からないまま終わる。そんなのは嫌だ。

 

 

 

 

 

 

「……難しい顔をしているわね、士郎」

「え? ……ああ、考え事をしていたみたいだ」

 

 皿にサラダを盛る手が止まっていたようだ。見れば食卓で待ち構えている遠坂がこっちを訝しげな目で見ている。

 料理の際には考え事をしないように気をつけていたというのに、気が抜けていたみたいだ。包丁を持っているときや火を扱っているときに呆けていたら一大事になる。今の作業が大皿にサラダを盛るという、どう転んでも安全なもので良かった。

 各人の座る位置には既に焼けた卵とカリカリに焼いたベーコンがあり、それとは別の皿に厚切りのトーストが置かれている。ジャムは生憎と無いが、バターならばたっぷりと用意してある。あとはサラダがあれば準備は完了だ。さすがにサラダは各々が自分に皿に取り分けるようにしてもらう。

 典型的な洋風の朝食だ。澪や俺は和食のほうが好きだが、たまには遠坂の要望も通しておくべきだろう。

 

「どうせ、アイツのことでも考えていたんでしょ?」

「違う……と思う。いや、違わないのかな」

「ははん。分かったわ。自分は本当に『正義の味方』なのか、なんて悩んでいたんでしょ」

「まあ……そんなところだ」

 

 こういうとき、長年行動を共にした存在というのは厄介だ。隠し事を一瞬で見抜かれてしまう。別段隠し立てする必要は無いのかもしれないけれど、あまり明るい話ではない。わざわざ朝っぱらからする話ではないだろう。

 だから遠坂もそんなにこの話を続けるつもりはないらしく、その表情からあまり真摯さは感じなかった。朝に弱い遠坂らしく、まだ若干眠そうだ。頬杖をついたまま、手をひらひらさせて彼女は答えた。

 

「あんたは間違いなく正義の味方よ。胸を張りなさい」

「……そうかな」

「そうよ。断言できるわ。あんたは他の何者でも無い、正義の味方よ。

 危なっかしくて、見ていられないけれどね。でも死都になりかかった街を救ったこともあるし、災害で苦しむ村に手を差し伸べたこともある。これを体現する言葉は正義の味方以外に無いわ」

 

 これで話は終わり、とばかりに大あくびをする。

 だが、本当にそうなのだろうか。遠坂の言うとおり、今の俺を表現する言葉は正義の味方以外には無いのかも知れない。だが、それはそれ以外に表現が無い、ということであってそれそのものでは無いのだ。

 俺は正義の味方のようなものではなく、正義の味方そのものになりたいのだ。

 この身は誰かのためにならなければならない。親父に救われたこの命は、誰かのために使うべきだ。

 親父は、もしかしたらそれを悲しむかも知れない。せっかく救った命であるのにと嘆くかもしれない。

 それでも、俺はそれに憧れた。それに成るべく、俺は今まで血が滲むのも構わず前進し続けたんだ。

 だけど、終着点が見えない。救っても、救っても、俺は親父のようになれているのか分からない。終わりなんか無い旅路なのかも知れない。それでも、そうしていればいつかは親父のようになれると信じている。

 そうすれば、いつか誰も悲しまずに世界が手に入ると信じている。

 

 机にサラダボウルを置いたタイミングで今の襖が開けられた。実に丁度いいタイミングでセイバーと澪が来てくれた。パンと卵が冷めずに済んだ。

 さあ、辛気臭い頭を一転しなければならない。これは俺の問題だ。澪やセイバーにまで余計な心配をかけるような真似はしたくない。

 

「お、丁度準備が出来たところか。おはよう、リン。相変わらず朝は弱いか」

「おはよう。私にとって朝は天敵よ。ミオもおはよう」

「おはよう。……洋食でも相変わらずホテルの朝食みたいね。一人暮らしでは有り得ない品数だわ」

 

 そういえば澪はつい最近まで一人暮らしなんだった。女の子でも、一人暮らしとなれば朝食は食べないことが多いと聞くし、そういうものなのだろう。そこからのギャップを考えればこの程度でもホテルの朝食と比喩されるもの当然かも知れないな。

 とはいっても、俺と遠坂だって、こういうちゃんとした食事はこっちに帰ってきてからだ。倫敦に居たときや人里に滞在しているときはともかく、中東なんて今日食べるものに困っているような地域もざらにある。災害地でもそうだ。そういう場所では、俺達だって一日何も食べないことだってあるのだから、この食事は恵まれていると感じる。

 本当に日本は過ごしやすい国だ。

 

 洋風の朝食でも、澪とセイバーには好評だった。和食好みの澪からも良い言葉が聞けたのは嬉しい。洋食では桜に追い抜かれてしまったが、俺もまだまだ捨てたもんじゃないさ。

 ……そういえば、桜はどうしているのだろう。機会があれば一度面会に行きたいものだ。身の安全はあの怪しげな――というより怪しい神父が保障してくれたが、それでも不安は残る。

 ちゃんと食べているのだろうか。泣いてはいないだろうか。そもそも教会の安全は保たれているのだろうか。

 

「なあ、今夜あたり教会に顔を出さないか? 桜の様子が気になるんだけど」

「あ、私は士郎に賛成ね。養子縁組の書類に目を通しておいて欲しいし」

「うむ。それが良いだろう。……聖杯戦争もそろそろ佳境だろう。今夜を逃すともう行く暇が無いかも知れん」

「私も異論無いわ。遠坂さんと士郎さんが邪魔だって言うなら留守番するけどね」

「邪魔なんてコトあるわけ無いだろ。桜の件は、本当に感謝してもしきれないぐらいだ」

 

 これは本心からの言葉だ。そもそも澪が居なければ桜のことは気付けなかったかも知れない。身近に、苦しんでいる後輩が居るというのに、それに気付くべき俺は気付けなかったんだ。代わりに気付いてくれた澪には本当に感謝している。

 澪は照れくさいのか、曖昧に笑いながら頭を掻いた。その仕草は大学生らしく、何だか好感が持てた。初々しいとでも言おうか。

 その横に座っているセイバーはと言うと、大方食事を終えていた。セイバーがよく食べるのは知っていたから、あらかじめトーストは二枚置いておいたというのに。食べるスピードだけで言えばセイバー《アルトリア》にも匹敵するかもしれないな。

 セイバーの真名はローランだ。あの剣は聖剣デュランダル。以前、あの剣を見たときに解析したことで分かった。

 今のところ、それは隠し通せていると思う。遠坂にも秘密にしている。マスターの澪が知らないのだから、遠坂に教えるのはアンフェアだろう。

 とは行っても、既に知っているかも知れないというのがネックだ。分かりやすく真名開放するという場面があったわけでもなく、しかもその割には二人が単独でいることも多かった。既に知っているといってもおかしくないが、こちらからそのことを聞くのは裏があると解釈されそうで何だか気が引ける。

 何はともあれ、ローランもまた世界中で多く知られる優れた英雄であるには違いないのだ。これで三枚目のトーストを要求しなければ、もっと素晴らしい英雄なのに。居候、三杯目にはそっと出しという言葉を是非知ってもらいたい。

 

 

 

 セイバーは結局トーストを四枚平らげた。しかも一番食べたにも関わらず最速で食事を終えたのもセイバーだ。だけど、先に席を立つようなことはせずに全員が終わるのを礼儀正しく待っていた。やや遅れて、全員の朝食が終わる。誰も皿に食べ物を残していないし、あれだけあった大皿のサラダも綺麗に無くなっていた。

 それを待ちわびたとでも言うように、セイバーが口を開いた。

 

「シロウ。聞きたいことがある」

「ん? 今日の桜の所に見舞いに行く話か?」

「違う」

 

 その時、一番泡を食ったのは澪だった。何か慌ててセイバーに小声で話しかける。小声なのは間違いないのだが、あまり広くもない食卓だ。焦りもあってか、小さく聞こえた。セイバーは地声が大きいので内緒話にしては大きすぎるというのもある。

 

 ――その話を何も今話すことは無いでしょう……!? その……「正義」の話をするつもりなんでしょう? 今ここで問答をするつもり!? 空気を読みなさいよ!

 ――先ほどの例の話か。安心しろ、別件だ。

 ――本当に? 信用するわよ?

 ――何なら令呪を使うか? ……ああいや、冗談だ。怖い顔をするな。神に誓って、それとは別件の話だ。

 

 小さくだが、正義という言葉が聞こえた。

 考えれば、英雄というのはすべからく自分の正義を持つものだ。正義の味方を目指す身としては、セイバーの正義の話を聞いてみたいと思った。

 セイバー(アルトリア)の正義とは、民を守ることだった。民のために戦い、民のために身を粉にしてきた。人間ではなく、民を守る一つの装置となって戦い続けた。それは途方も無く尊く、眩い。

 ではローランはどうなのだろう。この男は何のために戦い、何を望み、その果てに何を得たのだろう。

 ――いや、セイバーは確かに言っている。何度も、『その果てに何も無かった』と言っている。

 それはもしかすると、アイツにも似た感情なのかも知れない。あの赤い弓兵と同じような過去を持っているのかも知れない。少なくとも、伝承に残る「ローランの歌」の逸話からは想像できないけれど。

 違うとすれば、アイツは理想という道を否定し、ローランは否定しないことだ。忠告はされたが、後押しをしているようにも思えた。

 

「私は聞きたいことはだな――」

 

 どんな問いが来る。おれ自身、自分が何をしたいのか未だ曖昧だ。アイツという結果だけが与えられ、その過程が分からず右往左往している。

 だが、答えなければならないのだろう。答えられなければ嘘なんだ。

 身を固くして身構えて、次の言葉を待つ。

 さあ来い。英雄ローランは、一体どんな正義を掲げ、俺に何を問う?

 

「いや、前に話していた“聖杯戦争の裏側”の話。あれが中途で終わっていたように思えるのだが」

 

 セイバーが俺に問うたのは、一週間前にやり残した話だった。そういえば、その話は後回しになっていたなと、今更ながら思い出したのだった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。