Fate/Next   作:真澄 十

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Act.2 開幕

 その男は、運が良かった。

 

 まず、彼が魔道の家に生れ落ちたこと。

 

 その真理を探求しようなんて気はさらさら無い。男の家の嫡子は兄だ。そんなものは兄に任せれば良いと男は考えている。

 

 男は兄の所有する魔術書から知識を盗んだに過ぎない。が、聖杯戦争について知るには十分だった。

 

 次に、彼の兄が優秀な魔術師だったこと。男は兄が令呪を宿したことを知った。――だから殺して奪った。

 

 最後に、英霊の遺物が見つかったこと。令呪を奪って暫くの後、英霊を召喚するための遺物が届けられた。男は自らが殺した兄に頭が下がる思いだった。

 

 その男は、今はリビングを我が物顔で占拠している。そして時折、手の令呪を眺めては恍惚の表情を浮かべる。

 

“聖杯は、俺の手中にあるも同然だ――!”

 

 酒の入ったコップを呷り、それを乾かす。口元には笑み。

 

 狂気を滾らせたその笑みは、見れば怖気が走るであろう。幸いにして、それを見る人間はそこには居ない。――人間は、だが。

 

 傍らには、男が召喚したサーヴァント。古めかしい鎧を着込んだ男だ。白い衣服の上に鎧を着込んだその姿は、静かな威厳に満ちている。

 

「……魔術師殿。何も春に赴くことは無いのでは?全てのサーヴァントが揃うのは、半年以上も先の見込みでしょう。」

 

「ランサー、考えてみたまえ。狡猾なマスターなら、その時期に来日した者を狙う。コンチネンツァ家は名門とまではいかないが、歴とした魔術師の血筋だ。なおさら狙われるだろう。」

 

 だから少し早めに行くのが良い。早めに行って、慎ましい生活を送っていれば当分マスターだと露呈することは無かろう。

 

 男は自らの髭を撫でる。普段よりも饒舌なのは、興奮している故だろうか。

 

 ランサーと呼ばれた英霊は思った。腹に蓄えた脂肪は贅沢の産物だ。果たしてこの俗物に慎ましやかな生活など出来るのだろうか、と。

 

「…御意。」

 

 男は新たな酒瓶を空ける。サーヴァントを召喚してからずっとこれだ。

 

 地図を購入して、作戦を練るなり拠点を決めるなりすれば良いのに、とランサーは思う。そもそもランサーはこの男が不服だった。

 

 酒を呷り、貪るように食い、外へ女を買いに出る。欲の塊のような男だ。

 

 それは彼の最も嫌う人物像。別に酒や女を否定するわけではない。しかし度が過ぎれば醜悪というものだ。

 

 だから醜悪なものから目を背けようと、霊体となってその場を去るのだった。

 

 

 

 自らのサーヴァントの気配が消えて、男は清々したと言わんばかりに悪態をつく。

 

「ふん。使い魔風情が、主に意見しやがって。」

 

 男もまた、自らのサーヴァントが嫌いだった。あのサーヴァントが纏っている雰囲気が、殺した兄と何やら似ているのもある。

 

 だがそれ以上に、主である自分のことをそう呼ばないことが腹立たしかった。

 

 主従関係に執着しているように思われるのも不愉快極まるので、言及することは無い。しかし内心は穏やかならざるものがある。

 

 

 “しかしそれも、あと半年の辛抱だ。”

 

 男は、ランサーが聖杯に託す願いなど微塵も興味は無い。どうせ消えて無くなる存在だ。

 

 他の6人のマスターをくびり殺した後、男は自らのサーヴァントを殺すつもりでいる。

 

 彼に宿った令呪の力は、サーヴァントの意思を超えた行動を強制する。『自刃しろ』と命ずれば、即座に自らの獲物で心臓を穿つだろう。

 

 いわずもがな、男の目的は起源への到達などではない。それならば自身のサーヴァントを贄にする必要など無いが、男がそれを知ったところで考えは変わらないだろう。

 

 故に彼はランサーの願いなどどうでも良いのだ。奇跡とて有限なのは間違いない。あんなモノに奇跡を分け与えるのは馬鹿げている、というのが男の考えだ。

 

 では、男の願いは何かというと―――彼らしいと言えば聞こえは良くなるのだろうか。要約すれば自らの欲望を満たし続けたいというだけの事だ。

 

 極上の酒に極上の女、この世全ての快楽を賜りたいというのが男の願いだ。

 

 酒瓶をまた一つ空ける。

 

 アルコールを摂取しすぎた体は貪欲に睡眠を求める。男はそれに抗うこともなく、惰眠を貪るのだった。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

アインツベルンの城の前には、広大な森がある。その一部を切り開いて、そこを厩舎と訓練所としていた。

 

 白い衣服を着たホムンクルス達が、馬に跨り駆け抜ける。設置された障害物を乗り越え、些かの迷いもなく手綱を握っている。

 

また別のグループは、実戦訓練を兼ねて馬上試合を行っている。

 

「ほう。皆乗馬が上手いではないか。…ふむ、女ばかりであったから不安だったが、これなら大丈夫か。」

 

 ライダーが感嘆の声をあげる。相変わらず鎧は脱いだままだが、表は寒いのか厚手の着物に身を包んでいた。

 

 ―――これならポロリの危険は無いだろう。

 

“…あんなモノを拝むなんて二度と御免です!”

 

 思い出しただけで頬が引きつる。

 

「うん?何だ、沙沙は不満であるか?…確かに、まだ足りないのは間違いないなぁ。」

 

 何やら盛大に勘違いをしている様子。わざわざ訂正する気にはなれないが。

 

「…足りない、とは?」

 

「うーん…何というかだな。ただ乗馬が上手いだけではいかん。それだけではただの遊戯であって、戦場では殆ど役に立たん。」

 

「…なるほど。」

 

 ―――“可能な限りの馬と兵を用意しろ”

 

 ライダーは今後の方針を決める際、こう言い放った。以来、私は基本的にライダーに戦闘の方針は委ねている。

 

 おそらくは、マスター狩りで使用するつもりなのだろう。サーヴァント相手では、絶対に通用しない戦力だ。傷一つ負わせることは出来ない。

 

 しかしマスターが相手なら、騎馬による攻撃も有効だろう。武装した騎兵は強力な戦力に成り得る。…それが使える場所が広い平地に限られていて、しかも目立ちすぎることを度外視すればだが。

 

「あと半年で、サーヴァントと戦える程度にまで仕上げなければ。」

 

「…はい?」

 

「はは、何を素っ頓狂な声をあげている。…あれ、もしかして説明してなかったか?」

 

「全く説明されていません!サーヴァントを相手にとは、貴方彼女らを犬死にさせるつもりですか!?」

 

――いや、確かに武器に魔術的な強化を施せばサーヴァントを傷つけることも可能だろう。だがそれは無謀だ。

 

 例えるならば、赤子が徒手空拳で熊に挑むようなもの。絶対に勝ち目はない。

 

「そんなにおかしい話ではなかろう。俺は騎兵を率いる武将だった。これが俺の戦い方なのだが…」

 

「いくらなんでも無謀です!彼女たちはサーヴァントでは無いのですよ!?心中のつもりなら一人でなさい!」

 

「はっは。沙沙は優しいな。ホムンクルスをそこまで気遣うのはあの翁にはできまい。」

 

 サーシャスフィールの顔がみるみる赤くなっていく。鍋でも置けば湯が沸かせるに違いない。

 

「そ、そういう意味ではありません!大体―――」

 

「まあ、乗馬の腕は上々。次の段階に入っても良いだろうな。」

 

おもむろに走り終わった馬へ近づくライダー。話を折られたサーシャスフィールは激昂する。

 

「聞いているのですか!」

 

 その背中を追いながら問う。ライダーは激した主をよそに、飄々とした態度を崩さない。

 

「聞いているとも。まあ、こいつを見てから無謀かどうか判断すればいい。…くれぐれも刮目するがいい」

 

 首だけ振り返り、にやりと笑った。

 

 

 

 

 その馬の騎手は自身へと寄る主とそのサーヴァントの姿を認めると、馬上から降りようとしたが、それをライダーが手で制した。

 

「馬上でいい。お前は良い走りをするな。馬も騎手も優秀である。」

 

 ライダーは馬の頭を優しく撫でる。馬の扱いには慣れているらしく、馬も気持ちよさそうに目を閉じる。

 

「……」

 

 量産されたホムンクルスは言葉を発せない。だが礼を伝えるべく、深く頭を下げた。

 

「よし、この素晴らしい駿馬に俺が名をやろう。」

 

「?」

 

 サーシャスフィールはライダーの意図が汲めない。確かに彼女とこの馬は、最も優秀だ。だが、わざわざ話を折ってまで名を与えようとはどういうことか。

 

「…『黒兎(こくと)』。うむ、いい名だ。」

 

 ―――刹那の後、その駿馬に異変が起きた。

 

 

「「――――!?」」

 

 その驚愕は、サーシャスフィールと騎手両方のもの。

 

 馬の筋肉は膨れ上がり、より強靭な肉体になる。肥大した筋肉は、一部血管を浮き上がらせる。

 

そしてその黒い毛並みは、一部が紺に変色する。それは紋様を描き、まるで刺青を施したかのように馬を飾る。

 

「これは―――!」

 

 サーシャスフィールは理解する。これがこのサーヴァントの宝具の力だと。

 

 そう、これこそが万里を名馬で駆け抜けてきた彼がもつ宝具。

 

 地に足をつけていた時間よりも、馬上で過ごした時間のほうが長いかも知れない。そう言っても過言ではないほど、人生の多くを馬上で過ごした男。

 

 常に軍を率い、勝利を掴み取った将としての力。

 

 そんな彼が、聖杯戦争でも軍を率いるために得た宝具。

 

「―――『騎兵の軍こそ我が同胞(はらから)』、だ。」

 

「この馬……宝具化した…?」

 

 魔術師であり、マスターであるサーシャスフィールには理解できた。その馬の存在が、人智を超えた存在にまで押し上げられたことを。

 

「然り。さしずめ対馬宝具とでもいうべきか。馬に俺が名をつければ、ランクC相当の宝具となる。まあ、馬の能力で多少は上下するが。ちなみに、何度でも発動できるぞ。」

 

「―――。」

 

 サーシャスフィールはごくりと唾を呑む。確かに、これなら十二分に他のサーヴァントに対抗できるだろう。

 

「だが、これの弱点は騎手までは強化できんことでな。実力でどうにかしてもらう他ない。」

 

 確かに、こうなると騎手の脆弱さが目立つが――それを補って余る能力だ。それにいざとなったら馬だけで蹂躙攻撃をすればいい。つまるところ、ライダーは所有する馬の数だけ宝具を抱えていることになるのだ。ランクCとはいえ、物量で押せば大抵の相手は屠れる。

 

「あとは、これが一番の問題なのだが…百聞は一見に如かず、だ。ほれ、ちょっと乗り心地を試してこい。かなりやんちゃになっておるから注意しろよ。」

 

 騎手はこくりと頷き、宝具となった馬を駆る。

 

 その蹄は地を抉る。

 

 (いなな)きはまるで百戦錬磨の戦士の雄叫び。

 

 炎熱をもった蹄は容赦なく雪を蹂躙する。

 

 その疾走はまるで矢のよう。

 

 その筋肉の雄雄しい脈動はまさしく地震そのもので―――騎手を振り落す。

 

 意地で食らい付いてはいたが、その努力もむなしく落馬した。

 

「あ。」

 

 サーシャスフィールは合点がいった。確かにこれは問題だ。いかに強力な馬といえども、それを駆る騎手が必要だ。馬はその背に人を乗せてこそ、その真価を発揮する。

 

「…騎手の膂力が足りんとこうなる。宝具馬はとてつもなくやんちゃだ。」

 

「……そうですね。魔力放出や魔力による筋力の水増しで解決するしかないでしょう。」

 

「うむ。…悪いが俺にはそれは教えられん。任せていいか?騎乗は俺が教える。」

 

「いいでしょう。」

 

 かくして、半年間に渡る練兵が幕を開けたのであった。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 そして半年の後、練兵は幕を下ろす。本当はもっと長い時間をかけたいのだが、仕方がない。

 

 もう戦いは目の前まで迫っているのだ。ここまで引き伸ばしたが、いい加減に冬木へ行かねばならない。

 

「結局、23騎しか使い物にならなかったですね。」

 

「仕方あるまい。23もいたなら上出来だ。…ところで、馬はどうやって送るのだ?この飛行機とかいう乗り物に積んでいるのか?」

 

「馬23頭はこのチャーター機では無理です。貴方と私の馬は乗せていますが、他の馬と姉妹兵は海路になりますね。私達は一足早く冬木へ行くことになります。」

 

 彼らはドイツ発のチャーター機の中にいる。目的地は冬木最寄りのF空港だ。

 

 ライダーも現代風の格好に着替えている。これはアインツベルンお抱えのテイラーが仕立てたのだが――その規格外のサイズに度肝を抜いていた。

 

「なんじゃ、一緒に行けば良いのに」

 

 今、彼は毛皮のファーをあしらったコートを脱いでいる。アインツベルン城は常冬の地なのでコートは欠かせないが、日本は夏だ。近づくにつれ暑くなったのだろう。

 

 というか、何でこいつは霊体化を嫌うのだろう、とサーシャスフィールは思う。曰く、霊体だと酒が呑めないと言っていたが、冗談だと信じたい。

 

「ぎりぎりまで練兵に時間を費やしましたからね。もう大方のマスターは揃っているでしょう。不戦勝など笑いものにもなりません。」

 

「そういうものか。…ところで、飛行機の原理が分からん。何故鉄が空を飛ぶ?妖術――沙沙のいう魔術ではないのか?」

 

「いいえ。そういった類ではありません。訓練を積めば一般人でも操縦できますよ。」

 

「はー…俺の時代にこれがあったらなあ」

 

ライダーの騎乗スキルがあれば本当に操縦できるのだろうが、おそらく彼の時代にこれを持ち込んだとて、誰も操縦できまい。いや、そもそも燃料が無い。サーシャスフィールはそう思ったが、黙っておくことにした。

 

 ライダーはしきりに窓の外を眺めては感嘆する。やれ、天下はこんなにも広大だったのか、などと言っているが、聞き流すに限る。

 

 そうやって落ち着きのないサーヴァントと空を飛ぶこと数時間、ライダーはおもむろに口を開いた。

 

「ふむ。そろそろか?」

 

「ええ。何故です?」

 

「黒兎が嘶いた。あやつは戦場の空気に敏感なようだな。何か匂いを嗅ぎつけたのかも知れん。」

 

 唯一この航空機に乗せているのは雌雄の馬の片割れ、彼が最初に宝具化した雄馬だった。結局、黒兎が最も優秀な宝具馬となったので、ライダーの愛馬とするに至った。

 

「そういうものですか。」

 

「何だ。気のない返事だな。戦場にあって、戦士は滾るものだがな。」

 

「…私は基本的には魔術師ですから。…でも、これでもかつて無いほど高ぶっているのですよ?」

 

 にやり、と笑ってみせる。

 

「ほう。そうは見えんが。」

 

「ふふ。そのうち分かりますよ。」

 

 なるほど、これから戦場に赴くというのにその余裕。大物なのは間違いないな、とライダーは思う。

 

“…殿に似てきたか。…俺の影響かも知れんが”

 

「…楽しみにしとこう。」

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 その男がしていることといえば、やはり酒瓶を空けることだけだった。

 

 根城にしているホテルの高層階のスウィートに陣取った時点で覚悟はしていたが、こうも予想通りだと逆に開き直れるというものだ。

 

 男が敵の情報を自ら探すことは無い。使い魔を放ってはいるが、それは受身の姿勢だ。

 

 もっと積極的に動き、敵を叩くべきだ―――ランサーはそう考えると心中穏やかではない。

 

 だから彼は、あちこちを回って地の利を調べ、少しでも有利になるように単身で奔走していた。夜が終わり、空が白み始めた為それを断念し、今は帰還しているところである。

 

 建築物の屋根から屋根へ、飛翔するように駆け抜ける。

 

 霊体となっていないのは、マスターに視覚共有を行っているからだ。彼は時折、思い出したかのように視覚を傍受する。

 

 それが結局、彼にこの土地を把握させることに繋がるのだから構わない。その真意はよく分からないが。

 

 ―――いや、本当は大方予想がついている。彼は自分の粗を探し、それを出汁に自分を罵倒したいだけなのだろう。

 

 控えめに言ってもマスターとの関係が良いとは言えない。ランサーにできるのは、その軋轢が大事な局面で足枷にならないことを祈るだけであった。

 

 

 

 その姿を、遠くから眺める人影がある。鷹の眼をもつそれは、相手に気取られない距離を保ちつつ、その根城を突き止めようとしていた。

 

 白衣の騎士は高層ビルの壁を駆け上がり、霊体となってある一室の中へ滑り込む。

 

“…襲撃は次の機だ。無策では拙い。”

 

 動きやすさを重視したのだろう、軽装の鎧。皮でできたそれは、要所のみを鋼鉄で覆う。

 

 銀の籠手、銀の胸当て、銀の脛当て。銀に輝くその鋼鉄は、その長身と端整な(かんばせ)によく似合う。

 

 音もなく姿を消し、帰還する。

 

 ―――そこに残ったのは、活気が灯り始めた街並みだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――かくして、役者は揃った。マスターになるべき人物はみな冬木に集結した。愚かなる戦いの火蓋は、今まさに叩き切られて落とされたのだ。

 


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