Fate/Next   作:真澄 十

19 / 56
Act.18 眠り姫

 夏の凛とした月光が冬木の町に降り注ぐ。

 

 教会での間桐臓硯との戦いから丸一日経つ。キャスターは間違いなく討ち取ったとはいえ、何か事態が好転したのかといえば、衛宮邸に身を寄せる者達にとって必ずしもそうではなかった。

 

 澪が重厚な金庫を粉砕するほどの爆発に身を晒し、その結果意識不明の重態だ。

 

 命があるだけ儲けものと思うかも知れない。確かに全身は重度の火傷を負い、肉は抉られ骨どころか内臓まで露出していたようにも思える。即死しなかったのは幸運ゆえだろうか、それともとっさに肉体の強化を施したのか、それも分からない。

 

 澪は一向に目を覚まさなかった。

 

 傷は完全に治療されている。あのまま放置していれば一分で命を落としていただろう傷は、しかし『全て遠き理想郷(アヴァロン)』によって完治せしめられている。

 アーサー・ペンドラゴンが持つエクスカリバーの鞘。持ち主を癒し、傷から守るこの宝具を投影していなければ、澪は助からなかったかも知れない。他にも治癒効果を持つ宝具は存在するが、治癒効果などを鑑みてこれを選択した。その選択に間違いは無い筈で、投影にも失敗は無い筈だ。

 

 だがしかし、やはり澪は目を覚まさない。

 

 士郎は澪にあてがった部屋で看病をする。看病といってもそこで見守ってやるぐらいのことしか出来ない。

 

 ベッドの上には眠り姫がタオルケットに覆われている。その胸の上には『全て遠き理想郷(アヴァロン)』が置かれ、金色の微光を放ちながら今も澪を癒しているはずだ。

 確かに、オリジナルとは見劣りするかもしれない。不完全な投影かもしれない。

 だが治癒効果は間違いなく発揮されている。そうでなくてはココに転がっているのは死体だ。

 だが、どうしても目だけが覚めない。臓硯が何か魔術を施したのだろうか。いや、それは考えづらいか。

 

「士郎、入るわよ?」

 

「遠坂か、入ってくれ」

 

 本来の部屋の主に断りもなく遠坂が入室する。手には何か薬奏なものを満載した皿と、すり鉢を持っている。

 

 目線でそれは何かと尋ねると、何でもないように答えてくれた。

 

「気付け薬よ。脳にも異常は無い以上、精神や魂に何か異常があるとしか思えないわ」

 

 なるほど、それは確かに考えられることだった。

 

 アヴァロンの効果は、確かに対象の傷を完全に癒すだろう。それこそ神の子の血を受けた聖槍に匹敵するほどの回復力だ。聖槍と違い、それを手に取った者の傷しか癒せぬといっても、それでもやはり破格の宝具なのだ。

 

 しかしその効果は、持ち主の傷を癒すのみだ。精神や魂に異常をきたせば、アヴァロンでは癒しきれないのだろう。

 いや、仮にそれすらも癒すとしても、士郎の投影ではここまでが限界だった。

 

 もしかすると、澪の魂は半ば肉体から離れかけていたのかも知れない。澪にそれを引き戻すだけの力が残っていないとすれば、アヴァロンでも癒せない可能性は高い。

 

 それを正すための薬らしい。簡単な解説によれば、魂や精神をあるべき場所に戻すための薬らしい。古代の魔術師は魔除けにも使っていたという話だ。精神や魂に介入する薬などおっかなくて仕方がないが、ここは任せてみるしかないのだろう。

 

 自慢のうっかりが作動しないことを期待するのみだ。

 

「とは言ってもさほど強い薬じゃないわ。これ以上のものを作るとなると、錬金術の分野になるわ。アインツベルンの森まで行ってみる?」

 

「……いや、いい。遠坂の薬でやってみよう」

 

 この地に存在する最高の錬金術師は、言わずもがなアインツベルンだ。だが、今回のマスターであるサーシャスフィールとは面識こそあるものの、完全な敵同士である。

 イリヤならばあるいは手を貸してくれたかも知れない。だがサーシャからは完全に敵視されており、森に踏み込んだところであの騎馬隊に襲われるか、あるいは不利と見て退散するかのどちらかだろう。時間の無駄だ。

 

 凛がすり鉢の中に草をいくつか放り込み、擂り粉木でごりごりと擂り潰す。思ったよりも草には水分が多く、数分もすれば擂鉢の中身には濃い緑色の液体で満たされている。

 しかもかなり粘性が高く、臭いがきつい。臭いは気付け薬なのだからある種当然ともいえるのだが、この粘性は不快感を刺激する。

 

 凛はそれを指先に掬い、澪の上唇の辺りにそれを塗る。気化したそれを間近で嗅がされた澪は息が詰まったようで、苦しそうな声を一度だけ上げたが、それだけだった。

 

 少なくとも魔術的な効果のある薬である。臭いは慣れてしまったとしても、全く効用が見られないというのは眉を顰めざるを得ない。

 

「……はあ。もっと強い薬じゃないと駄目かしらね」

 

「遠坂、これ以上臭いが強いと澪が死んでしまうぞ」

 

 部屋の隅に退避してもこの臭いである。味など恐ろしくて確かめたくもない。

 

「そうかもね。よく分からないけれど、澪は臭いに敏感みたいだし。……士郎、今晩はどうする?」

 

 断じて浮ついた誘いではない。聖杯戦争の話だ。

 

「…………外に出よう。間桐邸に行く」

 

 たっぷりと悩んだ後、すっと立ち上がる。

 

 澪が目を覚まさないのは気になるが、だからといって聖杯戦争がストップするわけではない。

 本音はずっと看病しておきたいのだが、だからといってこちらを疎かにしていい訳ではないのだ。

 

 桜は無理を言ってこの屋敷に泊めた。藤ねえが付随してきたのが誤算といえば誤算だったが、これから強襲をかけようという間桐邸に帰すわけにはいかない。

 

 しかしこの原因になった間桐臓硯を完全に滅ぼしたところで、おそらく澪は目を覚まさないだろう。状況から考えて、間桐臓硯が澪に何か術を施す時間はなかったはずだ。これは澪の問題であり、臓硯は関係ないといっても過言ではない。

 

 それでも打ち倒すべき敵だ。もうマスターではないし、その目的もよく分からないが、あのまま放っておいていい相手でないことだけはわかる。

 

 報復などという殊勝な考えではない。ただ、あの翁を放っておくよりも倒してしまったほうが良いだろうと冷静な判断を下しただけのことである。

 

 もしも七年前の彼なら、聖杯戦争を放って看病していたかも知れない。目の前で苦しんでいる人が居るのに、それを放っておくなど言語道断だと切り捨てたかも知れない。

 だがそれを割り切れてしまう程度には、彼は『正義の味方』に近付いていた。

 

 それは悲しいことなのだろうか。凛には分からない。

 少なくとも、寂しいと思った。何だかあの赤い弓兵みたいに、するりと指の間をすり抜けてどこかへ行ってしまいそうで。

 

 ずっとそこに居たのだろう。セイバーが実体となって現れる。

 部屋着の甚平ではない。鎧を着込んだ戦装束だ。

 

「私はここに残るぞ。主を守るのも騎士の務め。悪いが、澪が目を覚ますまでは同伴できん」

 

「勿論よ。澪をしっかりと守ってね」

 

「頼んだ、セイバー」

 

 目線で硬い誓いを交わし、セイバーは目を伏せる。その姿にはどこか力が無かった。

 

 士郎と凛が退室する。これでこの部屋に居るのはセイバーだけだ。

 窓から差し込む月の光だけが、二人を照らしていた。銀の光を甲冑が反射する。

 

 額に乗っているタオルの水が乾いているのを見咎め、傍にあった水面器に浸して硬く絞る。タオルが引きちぎれる程に、強く。

 

“――――何が英霊か!”

 

 そっとタオルを額に置く。だがその拳はまだ力が込められたままだ。

 

“主を守れずして、何が騎士か! 私はまた、守れなかったのか!”

 

 正座したままの体勢で、強く腿に拳を打ち付ける。骨が折れるかと思うほど痛かったが、それでもセイバーの気持ちは収まらない。

 

 思えば、一度も澪を守り通したことなどない。セイバーに咎があるかと言われれば、万人が否と言うだろう。今までこれといった傷を負っていなかったのだから、役目は守り通したと言うだろう。だが、それでもセイバーの責任なのだ。

 

 必ず主を守り通すと誓ったものだけが背負うべき、セイバーだけの咎だ。

 

 召喚されたときには既に手傷を負っていた。しかしそれにも関わらず主から離れて戦闘を行い、挙句ライダーのマスターに襲われたという。

 下手をすれば澪は死んでいただろう。

 

 最初のキャスター戦のときもそうだ。後に聞けば、命を落としていても不思議ではなかった。澪が何か得体の知れない力を使っていなければ全滅だっただろう。

 あのとき主を逃がしたのは間違いでは無かったと思う。だが、他にも方法があったのではないだろうか。

 

 今回の翁との戦いもそうだ。目の前の蟲を切り捨てるのではなく、一貫して澪の護衛に努めるべきだったのだ。澪は戦闘が出来ない。だというのになぜ、一人にするような状況を作ってしまったのだろうか。

 

 結局、生前も死後も、誰も守れないのだ。

 

 ――――最後に立つは我のみぞ。

 

 彼の宝具は、後にこのように意味付けされた。この宝具の意味を知れば、彼の最後も自ずと見えてこようというものだ。

 彼が命を落とした戦いでは、最後に生き残ったのは彼だけだ。誰も彼もセイバーより先に死に絶えた。敵も、味方も。

 

 友の屍を乗り越えた先には、何も無い。誰も守れない騎士など存在する価値もない。

 後の人々は、セイバーは敵の凶刃に斃れたと伝えるだろう。だがそれは違う。

 

 自分で命を絶った。どの歴史もそうは伝えてはいまい。

 だがこれほど無双の剣を振るった男が、あの程度のことで死ぬわけが無い。

 

 しかし戦上手な彼は、大切な友を守ることは出来なかった。

 彼は強い。しかしそれゆえに敵を呼んでしまう。

彼の敵は味方にも居た。いや、味方こそが真の敵だったのかも知れない。その者は敵の手のものでもなければ、権力の簒奪を狙っていたわけでもない。それはよく知っている。

 

 だが、ほんの少し恨みを買ってしまった。ゆえに生存が絶望的な任務に就くことになってしまった。

それに付いてきてくれた友だけでも守ろうと密かに剣に誓いを立てたのに、それすらも出来ない。

 

 本当にお笑い種だ。

 何が剣の英雄(セイバー)か。自分がこの剣で何を為したというのだろうか。

 

 そしてセイバーが散った戦いは、後に大きな戦乱へと至る。

 セイバーが何を為したかといえば、戦乱の種を撒いたとも言えなくは無いだろう。

 セイバーが直接関わった訳ではないが、それを止めようともしなかったのは間違いなく咎であったように思う。

 

 澪の上唇についた薬をふき取る。効果が無いのならばこのような悪臭を嗅ぎ続けることはないだろう。

 心なしか表情が穏やかになったようにも思える。やはりこの薬は苦痛でしかなかったのだろう。

 

 胸に置かれた鞘を見る。

 その黄金の微光は、月に負けまいと光を放つのだった。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 ここは何処だろう。

 

 周囲を見回しても何も無い。ただひたすらに広く、白い空間に漂う。

 

 まるで母の子宮の中に戻ったようだ。温かな羊水に包まれ、穏やかな抱擁。

 どこかへ流れるような感覚を覚えるが、そもそも私の体も既にあやふやだ。

 

 目を瞑れば、浮かぶのはどこかの風景。私の知らない場所だ。だが、どこか懐かしい。

 流されるたびに色々なものが瞼の裏に現れる。

 

 想像もつかないほど昔のものもあれば、そもそも日本では無い風景もある。それらは規則性もなく瞼に現れては消え、現れては消える。

 

 ああ、きっと、私は夢を見ているんだ。

 

 ここにいると、何が現実でどれが夢なのかわからない。覚めない夢は現実と一緒だ。帰るべき場所は、覚めるべき現実はどれだろう。

 

 中世の騎士が王に頭を垂れているこの風景だろうか。

 赤い外套を身に纏い、何かと戦っているこの風景だろうか。

 それとももしかして、帰るべき場所など無いのだろうか。

 

「よもや此処に来ようとは。これは喜ぶべきか、それとも憂うべきかのう」

 

 声がして目を開ければ、そこには一人の女性が居た。年の頃は私と同じくらいなのだろうか。何となく顔立ちが似ているかな、なんて愚にもつかないことを考えた。

 

 服装は現代ではまずお目にかかれないものだ。凄まじく古風な印象を受ける。サーヴァントなんて連中である程度見慣れたつもりだったけれど、それを上回る古さだ。

 

「貴方は?」

 

 もう何年も声を出していなかったのだろうか。一言発するのにも意外な労力を要求された。

 

「今は澪子と。さて、そちは何故此処にいるか分かるかの?」

 

 首を振る。そもそも此処がどこか分からない。思ったことが顔に出るタイプでは無いと思っていたがどうやらそうでも無いらしく、澪子という女性は私の答えを待たずに続けた。

 

「此処が何処かも分からないか。それが分かっておれば、そちは堂々と八海山を名乗れるのにのう。いや、嘆いても詮無きことよ」

 

 そこでおもむろに一つの方角を指差す。そこを見るが、やはり何も見えない。

 

「目を閉じてみよ」

 

 言われるままに目を閉じる。

 例の如く瞼の裏に風景が浮かぶ。知っている風景だった。

 

 冬木市だ。冬木の教会だが、微妙に細部が異なっている。風景は町の様子に切り替わるが、やはり微妙に違う。

 潰れた筈の定食屋があった。今は撤去された筈の公衆電話を見つけた。

 

 これは、過去なのだろうか。

 

「これはある者の記憶じゃ。以前、そちはこれを手に取ったのだが、覚えてないかの」

 

 もう一度首を横に振る。

 その反応は予期していたのか、さして驚くでもなく落胆するでもなく、淡々と続けた。

 

「ま、当然かの。……少しばかり、指南してやっても良いのかも知れん」

 

 やや長い逡巡の後、その女性は語りだす。

 しかし何故だろう。この女性は初対面のような気がしない。どこかで会ったような、そんな既視感。

 

「死んだ人間は、どこへ行くと思う?」

 

「え?」

 

 およそ脈絡が欠落した質問に面食らう。死んだ人間が何処に?

 

 地獄とか、天国とか、あるいは煉獄といわれるものだろうか。だけど宗教によってはもっと別の場所も用意されているはずだ。仏教だったら畜生道であるとか修羅道であるとかが六つ用意されてあり、六道と呼ばれている。解脱という考えすらもあり、単純な二択では収まらない。

 

 その他にも輪廻転生を認めるものや、そうでないものもある。死んだ人間がどこに行くかなんて答えようが無い。少なくとも現代の日本人では即答できる答えを持ち合わせた人間は少数派だろう。

 

「うむ。解釈は色々ある。今の魔術通説では、死者は世界の一部となり転生を待つのであったか? これは時代によって様々に解釈されてきた故、確かなことは誰にも分らん。確かなことは、『在ったモノが消える』とき、此処に置き土産を残していく。一言で言えば、魂の名残のようなものだ。人が死ぬとき、霊が消滅するとき。現世に現れていたものが幽世に行く際には、必ずここに落し物をする。これはもう、世界のシステムのようなものだ」

 

 置き土産……魂の名残?

 どういうことだろうか。言っている意味がよく分からない。

 

「何でこんなものが在るのか、それは誰にも分からない。世界が我らを観測していた記録、ある意味では『アカシックレコード』と呼ばれるものが近いか。もしかするとそれそのものかも知れんが」

 

 アカシックレコード……。聞いたことがある。アカシャとも呼ばれ、宇宙や人類の過去から未来までの歴史全てがデータバンク的に記されているという一種の記録をさす概念だ。

 

「『いたこ』というものを知っているかの」

 

 また文脈が乱れた質問だ。だがそれは聞いたことがある。黙って頷いた。

 

 死者を呼び寄せる、口寄せと呼ばれるものを使う巫女のことだ。魔術ともいえなくはないのだが、そもそも魔術の体系に乗っているとも言いがたく、魔術とは別系統として扱われることもままある。

 

「彼女らは、この場所……便宜上アカシャと言おうか。アカシャを覗き、他者の魂の残骸を自己に降ろす。……まあ、まだ神秘が世に溢れていた時代の話よ。今はアカシャを覗ける人間などそうは居まい」

 

 それはそうだろう。そんな人間がそう居てたまるものか。

 

 アカシックレコードへのアクセス。それはもう、魔法に近い所業だ。

 未来すらも見通せるアカシックレコード。それにアクセスするなんて、そんなことが出来る魔術師、いや人外を合わせても片手で十分数えられる程度しか存在しないだろう。

 

 ……いや待て、この話からすると。

 

「……ここは、アカシックレコード?」

 

「知らん。余にも分からんといっただろう。少なくとも未来など見えたことは無い。ここには過去しかない」

 

 ならばアカシックレコードの、過去の記録野ということだろうか。確かに、未来のことを見るよりも難易度は落ちる……のだろうか。

 

 いや、眉唾ものだ。信じられない。信じてたまるか。

 

 そんな魔法に近い所業を、私が? 一体何故、どうやって?

 

 いやいや待て。この女性、澪子はこう言っていた筈だ。『それが分かれば堂々と八海山を名乗れる』と。だとすれば、八海山の一族は皆ここに来られる、のだろうか……?

 

「いやいや、そうは行かん。太古はそうであったかも知れんが、昨今でここに来られたのはそちだけよ。先祖返りかと思うばかりじゃ。……そろそろ時間かのう。そちは未熟ゆえ、ここに居続けては帰れなくなるぞ。どれ、送り届けてやろう」

 

 とん、と胸元を押される。

 水の中のようで、重力など感じないこの場所ではその程度の力でも彼方へ押し出されてしまう。手足をばたつかせて抗うが、どうにも出来なかった。

 

 どんどんと遠くに流され、澪子の姿もそれに比例して小さくなる。ついには鉛筆の先端よりも小さくなり、見えなくなる。それでも私は流され続ける。

 

 そして次第に眠くなっていき、夢の中にも関わらず眠りについてしまった。

 

 

 

 

 

 何も見えなくなったそこで、澪子は一人漏らした。

 

「色々と嘘をついてしまったのう。久しぶりに人と話すと、つい大法螺を吹いてしまう」

 

 本当のところ、澪子はここが何処か知っているし、アカシックレコードなどでは無いことも知っている。

 何故なら此処は、彼女が作り出した世界だからだ。だがそれでもアカシックレコードに限りなく近い空間である。

 

 大法螺といったが、半分は本当なのだ。ただ説明するのにそう表現するのが手っ取り早かっただけである。

 

 人と話すのがだんだんと億劫になる。悪い癖だ。足りない言葉でつい惑わしてしまう。

 

 いや、今回はこれで良かったのかも知れない。彼女は少々この空間と波長が合いすぎる。

 どうやら現実で死に掛けたのだろう。この空間に魂が引き寄せられてしまうのも、無理はなかったのかも知れない。しかしこのまま長居させれば確実にこの世界に定着してしまう。

 

「さて、いずれちゃんと余を口寄せてくれよ。そうすれば何もかも分かるであろ」

 

 もう見えなくなった澪の姿を求めて、ずっと彼方を見つめていた。

 

 

  ◆◇◆◇◆

 

 

 間桐邸は光が完全に落ち、人の気配が全く感じられなかった。

 それどころか動くものさえ感じられない。だが油断は出来ない。紛う事無き魔術師の屋敷である。そこはまさしく死地というに相応しい備えがあるに違いないのだった。

 

 ぐるりと屋敷を見て回る。

 

 やはりこういうときに澪の探索魔術が無いと不便に思う。彼女ならここに何か居るのかどうか、踏み入るまでもなく察知できる。直接戦闘は出来ないが、サポートとしては優秀なのだ。

 

 さて、どうしようか。

 

 単純に間桐臓硯を討ち取るだけならば遠くに離れて宝具を射るのが最も効率的なのだろうか。しかし屋敷内に居るとも限らず、そもそも屋敷を破壊すれば桜が帰る場所が無くなる。

 

 ちなみに桜のためにも屋敷をあまり壊したくないと言ったときに、凛から『心の贅肉』というお言葉を頂戴したのは余談だ。

 

 

 直接乗り込むのが良いのだろうか。

 

 内部はある程度知っている。慎二とそれなりに交流があった頃にはたまに遊びにいっていたからだ。だがその慎二も、もう居ない。

 

「…………」

 

 拳を固める。慎二は死ななければならなかったのだろうか。

 

 臓硯の口ぶり。慎二をあんなモノにしたのは臓硯だ。しかしあれは本当に必要な行動だっただろうかと考えれば、必ずしもそうではない。

 私情抜きでの意見だ。慎二よりも、よほど臓硯のほうが戦闘向きだったように思う。相性の問題もあったのだろうが、冬原だって慎二が相手ならば圧倒していただろう。

 

 言うなれば、臓硯の気まぐれで死んだということだ。

 

 それは許されるのか。死ぬ必要が無かった人が死ぬ。

 

 許せない。被害者であった慎二の命を刈り取ったこの手が。

 だからそれに報いるために、自分が殺した人の死が無駄にならないように、自分は『正義の味方』でなくてはならないのだ。

 

 勿論、人の為に自分の力を使うという考えが消えたわけではない。ただ、そこに別の理由が付随されただけだ。

 今なら分かる気がする。エミヤシロウ(アーチャー)が絶望しながらも『正義の味方』を辞めることが出来なかった理由だ。ここで自分がやめてしまえば、殺めた人たちの命を蔑むようで、止まることが出来ないのだ。

 

 こんなモノになるべきじゃなかった、そうは思わない。だがもしも自分と同じ道を行こうというに人が居るのなら、きっと必死に止めるだろう。

 今だからこそ分かるが、もしかしたらエミヤシロウ(アーチャー)は自分を正義の味方というモノにさせまいと、だけどこのままじゃ確実にソレになることが分かっているから、自分を殺そうとしたのかも知れない。

 あのまま死んでいたのと、生きて手にした現状。どちらが幸福かと問われれば、即答できないかも知れない。

 あれはアーチャーの慈悲だったのかも知れない、と思うのだ。勿論自分のために剣を執っていたのだろうが、それに付随してこういった理由があるのかも知れないと、月を見ていると考えてしまう。

 

「結界、剥がせたわよ」

 

 長い時間が掛かっていたが、どうにか屋敷に張られていた結界は解除できたようだ。

 

 ここからは闘争の時間。雑念は脳から追い出し、これより衛宮士郎は剣を振るう一つの鉄となる。

 

 心は熱く、思考は研ぎ澄まし、体は淀み無く。

 

 それは一つの焼けた鉄。鋳鉄の魔術師、いや魔術使いに相応しいあり方だ。

 

 鉄に迷いは要らない。曇りなどあってはならない。

 

「|投影開始(トレース・オン)、『|害為す焔の杖(レーヴァテイン)』」

 

 屋敷をなるべく破壊しないようにと決めたばかりであるため、火力はやや抑える。一度決めたならば、それを曲げることもなく、決して省みず。

 

 凛が宝石を手に取る。冬原から頂戴した宝石はどうやらかなりの良品だったらしい。中世の貴婦人の持ち物だったものも多いらしく、以前の持ち主の思念が残っている文句なしの品だったそうだ。

 

 といってもそれほど魔力は込められていない。一日程度で充填できるほど気安い宝石ではないのだ。

 

 ゆえに今回凛は、宝石に頼らない戦いを心がける必要がある。

 つまりガンドと|サーヴァント(バーサーカー)を効率良く運用しなければならない。ガンドはともかくバーサーカーは相当に魔力を食う。あまり頼っていると自滅は必至だ。

 

 まあ、バーサーカーが出れば否が応でも屋敷を破壊することになるだろうが……多少は目を瞑る他無い。命あっての物種である。

 

 さて、これより魔術師の領域に飛び込もう。慎二の無念を晴らすためにも。

 慎二の無念は間桐臓硯の凶行に起因する。仇討ちといえばそうかも知れない。だが慎二のような犠牲者をこれ以上出さないためにも、間桐臓硯は討ち取らなきゃいけない。

 

「おおおおッ!」

 

 敷地内に吶喊する。遠坂がガンドで正面玄関の重厚な扉を爆砕する。粉塵立ち上るそこを通り抜け、見知った屋敷の中に進入した。

 

 どこに潜んでいたのだろう。昨日も見たような蟲が一斉に飛び上がり、暗いエントランスに犇く。

 

 だがこんなものは二人の敵ではない。

 

 士郎の剣が踊り、炎が舞う。凛の手が微光を放ち、質量を持った呪いを放つ。

 

「■■■ァァ■■ォォォッ!!」

 

 バーサーカーが踊りかかる。暴風じみた斬撃が蟲を陵辱して地に落とす。

 

「間桐臓硯、姿を見せろ!」

 

 蟲の羽音が響く音に負けまいと声を張り上げる。夜の屋敷にその声はどこまでも空虚に響くのだった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。