――麻帆良大停電の当日。電灯の明かりが消え去り、辺りは闇に包まれている。今夜こそがマクダウェルとネギの決戦であった。そして、私はマクダウェルからある仕事を任されている。
「よ、ネギ先生。準備はOKかい?じゃ、マクダウェルの元へと案内するぜ」
「ま、待ってください!どうして長谷川さんが!?」
「あん?決まってんだろ。私はマクダウェル側の人間だからだよ。いいから来いって。停電はいつまでも続くもんじゃねーんだからよ」
困惑するネギを連れて夜の街道を進んでいく。学園全域に渡って電気の供給が停止しているため、外には人の姿は無い。私とネギの二人だけがマクダウェルの待つ場所へと向かって歩いていた。といっても、それほど距離がある訳でもない。案内なんて面倒な手順を踏むのには大した理由はない。自分からネギの元へ赴くのは吸血鬼としてのプライドが許さないらしいというだけだ。弱者の方が挑んでくるべき、だとか。とはいえ、待ちに待った全力を出せる決戦だ。おそらく今か今かと待ちわびていることだろう。しかし、指定された場所まであと数百メートルという地点で、私は足を止めた。そのまま振り向かずにネギに声を掛ける。
「なぁ、私が命令されてんのは、あんたをマクダウェルの待つ地点まで案内することだ。その場所はこの先を突き当たり右に行ったところになる」
「え?は、はい。わかりました。あとは僕だけでという訳ですね」
「いいや、違う」
私を置いて先へ進もうとするネギの腕を掴む。不思議そうな顔をするネギに言葉を続ける。
「あんたの記憶から考えると、ナギとやらはまだ生きてるんだろ?マクダウェルの恋を成就させるためにはあんたの血が必要だ。学園を出るためにもな」
「でも僕は!」
「マクダウェルはあんたとの決闘で勝負を着けるつもりだ。だけどさ、その前に――」
私の口元に薄気味悪い笑みが浮かぶ。さりげなく右手を自分のポケットへと潜らせた。
「――あんたの腕一本くらいは貰っとこうと思ってさ」
右手に握ったナイフを突き出した。月明かりを反射して白刃が闇夜に踊る。虚を突かれたネギは呆然とした表情を浮かべたままだ。完璧な奇襲。
――喰らえ!
「危ねぇ!旦那!」
しかし、その奇襲はどこからか聞こえた叫び声によって失敗に終わってしまった。無難に肩を狙ったのが悪かったのか。反射的に身体を捻ったネギに間一髪で回避されてしまう。奇襲を感知した存在はというと、ネギの肩に座っていたマスコットのオコジョだった。そのネギの顔には驚愕と恐怖の感情が浮かび上がっている。
「だがっ!」
避けたはいいが、ネギの体勢は大きく崩れている。手首を回し、返す刀でネギの二の腕を切り裂こうとナイフを振るった。無防備な身体に一刺しできると思ったが、しかし、それは魔法使いというものを甘く見過ぎだった。
「風花(フランス)……風障壁(バリエース・アエリアーリス)!」
「ぐっ……」
呪文と共にネギの前方に生じた風の塊が、あっさりと私の斬撃を弾き返す。逆に自分の腕を後方に吹っ飛ばされた私の体勢が崩れてしまう。
「旦那!今だ!やっちまえ!」
「で、でも……」
「じゃあ拘束魔法でもいいから!早く!」
再び呪文を唱え始めるネギ。崩れた体勢を立て直し、ネギへ向かって突撃を掛ける。呪文詠唱前に届くか……?
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル……」
「はあっ!」
「風花武装解除(フランス・エクサルマティオー)!」
わずかに私の方が遅い。呪文詠唱が完了した瞬間、私の全身が木っ端微塵に破裂した。いや、それは私の勘違いで、着ていた衣服と手にしていたナイフが弾け飛んでしまっていた。衣服がバラバラに千切れ、風に流される。全裸に剥かれた私に戦闘を続けることはできなかった。やれやれと溜息を吐いて両手を挙げる。
「降参だ、降参。これ以上はただの無駄死にだ。さっさと先に行けよ」
「え?あの……服……」
野外で全裸のまま両手を挙げている私に、ネギは顔を赤くしてあわあわと慌てていた。裸の女子を外に放り出していくことに危険を覚えているのだろうか。だけど、別に私にとっては慣れたものだ。この程度で屈辱を感じるほど幸せな人生を送ってない。
それにしても、格闘経験すらない小学生に襲い掛かって傷ひとつ負わせられないとは……。さすがに自分の不甲斐なさに反省せざるを得ない。
「停電が終わっちまうだろうが。さっさと行ってくれないと困るんだが」
「でも……そんな格好のままで」
ネギが急いで自分のローブを脱ごうとするが、ハッと気付いたようにその動作をやめた。そのローブの内側には、今回の決戦のために買い揃えた魔法道具が詰め込まれていたからだ。いいから、先に行けと言おうとしたとき、私の頭上からヒラヒラと黒い布が降ってきた。
「どうも遅いと思ったら、やはり余計な真似をしていたか。くだらん横槍を入れるなと言っただろうが」
「エヴァンジェリンさん!?」
私の頭上には宙空に佇んでいるマクダウェルの姿があった。黒衣に包まれ、その圧倒的な風格はまさに人間の上位種族というに相応しい。そして、私は降ってきた黒衣のローブを身体に巻きつけて裸身を隠す。
「長谷川千雨。貴様はもう決闘には関わるな。あとは追っ手や邪魔者が来た場合に足止めをするだけでいい」
「わかった」
マクダウェルの言葉に首肯し、この周辺に隠された気配を探知する。そして、私から注意を外したマクダウェルは、愉しそうにネギへと目を向けた。ネギも決意を込めた瞳で目の前の絶対者を見つめ返す。
「さて、ようやく待ち望んだ機会が訪れたか。ククッ……始めようか」
「はい!行きます!」
その言葉と同時にネギは杖にまたがり、闇夜の空へと高速で飛び上がった。そのまま距離を取るように後方へと飛翔する。
「ほぅ、何か考えがあるようだな。乗ってやろう」
逃げるネギを追って空中を疾駆するマクダウェル。二人は学園内での空中戦に突入した。すぐに私の視界内から消え去ってしまう。その高速戦闘を見物したいところだったが、私にはその様子を眺めることはできそうもない。なぜなら――
「来たか、神楽坂」
「え?千雨ちゃん?」
走ってきた神楽坂がこの場に現れたからだ。神楽坂明日菜がネギと契約したことはすでに掴んでいる。正確には仮契約らしいが……。ちなみに、仮契約とは魔法使いの従者となる契約のことで、魔力による身体強化や固有のアーティファクトを得られるなどの様々な利点がある。しかし、今のところは身体強化を行っていない素の状態のようだ。
「どうして千雨ちゃんが……。もしかしてエヴァちゃんの仲間なの!?」
「そういうことだ。あと、二人はもういないぜ。どっかに飛んで行っちまった」
ときおり夜空に光点が見えるので、大体の居場所は分かるけどな。しかし、私の仕事はここで神楽坂を足止めすることだ。落ちていたナイフを拾い、冷静に彼我の戦力差を測る。
こちらは、何の格闘経験もない子供にあっさりとナイフを避けられた運動不足の女子。もう一方は運動神経抜群の元気娘。子供の喧嘩とはいえ、殴り合いの経験も豊富だ。武器有りのハンデ戦だけど、戦力差は……
「とりあえず仕掛けてみるか」
軽い調子でつぶやくと、神楽坂の懐へと飛び込み、ナイフで胴を薙ぎ払った。
「きゃっ!千雨ちゃん!危ないって!」
「チッ……」
首、心臓、太股、手首。続けざまに斬りつけていく私だったが、それを後ろに下がりながら全て回避されてしまう。完全に見切られている。やはり武器有りでも戦闘力は相手の方が勝っていた。
「危ないって言ってんでしょ~!」
「ごふっ……」
堪忍袋の緒が切れたのか、神楽坂が大声で叫びながら放った蹴りが私の腹に突き刺さった。一瞬、息が止まる。あまりの威力に肺の中の空気が強制的に吐き出された。蹴り飛ばされた私は、そのまま地面をゴロゴロと転がっていく。とても素人とは思えない威力。腹に鈍い痛みが走る。しかし、私は何事も無かったようにあっさりと立ち上がった。痛みなんて私にとっては隣人にすぎない。ましてや殴られたり蹴られたりなんて、かつては日常の出来事だったのだ。しかし、神楽坂は立ち上がった私を心配そうな目で見つめていた。
「あ、ごめんね。つい思いっきり蹴っちゃった」
「いや、いいぜ。痛くもかゆくもないさ」
すまなそうに謝る神楽坂に、平静を装ったまま軽く言葉を返す。
「そう、じゃあいいけど。千雨ちゃんも魔法使いって奴なの?」
「いいや。だけど、遠慮はしなくていいぜ。全力で来いよ」
まるで苦痛を感じさせない表情に、私が何らかの不思議な力で身を守ったのだと信じたのだろう。ほっとした風に息を吐いた。さすがに一般人である神楽坂は、他人を全力で攻撃することなんてめったに無い。しかし、私が魔法っぽい力を持つ超人だと思っているいま、次の一撃は本当の全力で来るはず。それが私の狙いだった。
「いっくわよぉ~!」
私に向かって走ってくる神楽坂。それに対して私は腰を落とし、両腕をだらりと下へ降ろした。無防備な顔面。そこへ向かって神楽坂は全力の跳び蹴りを放つ。肉食獣のようなバネのあるしなやかな動作。
――速い
目の前に靴の踵が迫ってくる。相当な威力を予感させる蹴りだった。このタイミングでは回避することもできない。しかし、そもそも私には回避するつもりなんてなかった。私の目的は神楽坂をネギの元へと向かわせないこと。そのためには、必ずしも勝利する必要なんてないのだ。特に、過負荷(マイナス)の私にとっては敗北こそが日常。負け方については知り尽くしている。私は眼前に迫る靴の裏を前にして――
――自分の顔面を前に突き出した
「えっ?」
神楽坂の口から声が漏れる。強烈な蹴りをモロに受けて勢いよく吹き飛ぶ私の身体。グチャリと自分の顔面から鈍い音が響く。わざとカウンターで喰らった渾身の跳び蹴りは、私の顔面に相当の被害を与えていた。想像以上の手ごたえならぬ足ごたえに、神楽坂が驚きの表情を浮かべているのが視界に映る。
「うぐぅぅぅ……ひどい。ひどすぎるぜ、神楽坂ぁ」
倒れた状態からよろよろと立ち上がる。ぐにゃりと気持ち悪い動きで上体を戻していく。その幽鬼のような雰囲気に神楽坂の血の気が引く。
眼鏡のレンズは割れ、フレームも半ばからへし折れていた。そして、私の鼻骨は折れ、潰れた鼻からはドボドボと血が流れ出る。怪我を大きく見せるためにあえて出しておいた舌も半ばから噛み切られ、大量の血液が口元からゴポリと溢れ出している。自分で言うのも何だが、端正な顔がぐちゃぐちゃに潰れた顔は、普段とのギャップもあって見るに耐えない無惨なものとなっていた。
「痛い……痛いよ…どうして…」
「ひっ……!ご、ごめんなさい……」
「許さない。私の顔を、こんな滅茶苦茶に壊して」
恨みと憎しみの篭った瞳で神楽坂を下から覗き込む。目を背ける神楽坂に強制的に目を合わせてやる。その瞳は恐怖と嫌悪に染まっていた。隠された記憶はともかく、一般の世界に暮らしている現在の神楽坂にとっては暴力は禁忌である。大怪我を負って血塗れにも関わらず、平然と自分を見つめてくる負の存在に、神楽坂は得体の知れない暗黒を感じていた。
「あ……うあぁぁ……」
全身に鳥肌が立ち、膝がガクガクと震えている。あまりにも不気味な存在に神楽坂の脳は真っ白になってしまっていた。しかし、それも無理からぬ話。私も過負荷(マイナス)と呼ばれるほどのマイナスな存在である。正面から向き合って、過負荷(マイナス)の気持ち悪さに耐えるというのは至難の業。歪みきった精神を目の当たりにした神楽坂の脳内には、すでにこの場から逃げ出したいという思考だけが渦巻いていた。
ただし、私にはここで逃がすつもりは無い。さらに、私はキスできるほどの距離にまで顔を近付けていく。神楽坂は怯えたようにビクリと身体を跳ねさせた。無理矢理にお互いの目と目を合わせて、私の醜悪で無様な姿を直視させてやる。神楽坂の瞳に映る私の姿は、我ながら腐敗しきった死体のように気持ち悪かった。もう少し。あと一歩で神楽坂の戦意は粉々に砕かれるという確信があった。しかし、それは男の声によって遮られる。
「これ以上、彼女に手を出すのはやめてくれないか」
それと同時に、私の頭部が衝撃を受けて激しく揺さぶられた。思わずガクリと地面に膝を着いてしまう。脳がかき混ぜられた感覚に小さく呻く。
「ぐっ……これは」
気力で立ち上がろうとするも、その瞬間、さらに二度三度と衝撃が脳天に伝播させられた。身体の支配権を失った私は地面に倒れ伏す。ピクリとも動けずにうつ伏せのまま、神楽坂の逃亡を見逃すしかなかった。そして、神楽坂が去ったのを見計らって物陰から現れたのは、元担任教師の高畑。魔法世界では英雄と謳われる戦士である。当然、私のような貧弱な人間では勝負にすらならない。
「生徒に向かって、ずいぶんと非道いことするんですね」
「……立ち上がれるのか。そのまま寝ていなさい」
再び顎先に衝撃。結構距離が空いていたんだけど、高畑にとっては関係ないのだろう。それほどに実力に天と地ほどの差があった。今の攻撃も卵に触れるように優しく、壊れ物を扱うような力加減だったに違いない。的確な打撃により一撃で脳震盪を引き起こされた。しかし、それでも私は立ち上がる。執念とも怨念とも呼べるそれに、わずかに高畑の顔が歪んだ。
「女の子の顔をこんな無惨に破壊しちゃったんですよ?どうして加害者の神楽坂を庇うんです……。私だって同じ生徒じゃないですか。特別扱いされない生徒は泣き寝入りするしかないんですか?」
「……そうだね。明日菜くんに代わって謝るよ。すまない。君の怪我については、僕達で責任もって治療させてもらう」
「高畑先生に謝られてもね。神楽坂を呼び戻してもらえませんか?」
「悪いが明日菜くんにはやってもらうことがあるんだ」
会話をしながら、高畑の隠し事を読み取っていく。そして、予想通りの結果に心の中で舌打ちをした。現在、マクダウェルとネギとの決闘は学園長の監視下に置かれているらしい。数人の魔法先生によって見られており、高畑もそこへ向かう途中であった。神楽坂も無事に合流し、すでに二対二の戦闘が行われている。
――だったら、高畑だけでも足止めしておくか
他の魔法先生はマクダウェルにとって物の数ではない。しかし、高畑だけは別格。マクダウェルが全盛期の力を維持できるのは、停電中という時間制限付きなのだ。こいつを向かわせてしまうと、さすがにマクダウェルの勝利は危うくなってしまう。戦闘スキルを有しない私が学園でもトップクラスの高畑を足止めする方法。それが一つだけある。
「女子中等部の保健室に行ってくれれば、怪我を治せる先生がいるはずだから。エヴァに聞いたのか?とにかく、魔法についてはすでに知っているようだし、魔法先生に治療を頼んでくれ」
「そうですか。わざわざありがとうございます」
そう言いながら私は手にしていたナイフを逆手に持ち替える。その様子を視界に捉えていた高畑の緊張感がわずかに高まった。しかし、私が気も扱えない素人だというのも知っているし、距離が空いているのもあって、特に向こうから動きを見せる様子は無さそうだ。襲い掛かっても容易に無力化できるという確信からだろう。そして、それは私にとっては好都合だった。
「高畑先生って魔法使えないんですよね?」
「ん?そうだよ」
「それはよかった」
――ズブリと自分の腹へとナイフを突き立てた。
直後、全身に走る激痛。さすがの高畑も予想外の出来事に一瞬、虚を突かれて動きが止まった。これは千載一遇の好機。呻き声を上げながらも、力を込めて腹に刺したその刃で左右にぐりぐりとかき混ぜる。内臓がぐちゅりと損傷する感触が手に残った。
「なっ!?何をしているんだ!」
私の目の前に瞬間移動した高畑が、ナイフを握っていた両手を振り払った。しかし、もう遅い。腹の中を蹂躙したナイフの根元からはどくどくと大量の血液が溢れ出している。私の足元には真っ赤な鮮血による水溜りができ、刻々とその面積が広がっていた。魔法の使えない高畑が応急処置をできる限度を超えている。それを確信した私は口元を吊り上げ、薄気味悪い笑みを浮かべた。
「ねえ、高畑先生。ちゃんと私を助けてくださいね?まさか、教え子を見殺しになんてしませんよね?大丈夫です。人命救助のためなんだから、マクダウェルの元へ向かうのが遅れたって誰も咎めたりしませんよ」
高畑の表情がゾッとしたように凍りついたのが、霞んでいく視界に映った。『自分を保健室へと運ばせるため』。それだけのために、私は自分の腹をナイフで刺し貫いたのだ。下手すれば死ぬかもしれないほどの重傷。内臓もいくつか裂けただろうし、出血多量でこの瞬間にも死ぬかもしれない。しかし、そんなマイナス要素を恐れないのが私たち過負荷(マイナス)なのだ。
そして、そこまでして成し遂げた高畑の足止めも虚しく、マクダウェルはネギに敗北したと知らされたのは、保健室のベッドで目を覚ました翌日の昼過ぎのことであった。