長谷川千雨の過負荷(マイナス)な日々   作:蛇遣い座

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11時間目『それじゃ、また』

『なーんてねっ。嘘嘘っ、騙されたー?』

 

無邪気な笑顔を浮かべる球磨川さん。それを聞いて、ようやく私の硬直した身体と心がほぐれる。先ほどの『えーと、誰?』というのは冗談だったらしい。他の連中はただならぬ気配を放つ球磨川さんを前に、緊張したように押し黙っている。

 

「じ、じゃあ私のことを覚えてくれていたんですね!」

 

『うん。兄さんから聞いてるよ。確か、長谷川さん……だったよね』

 

「お兄さん?え、じゃああなたは……」

 

『僕は球磨川禊の双子の弟で、球磨川雪って言います!』

 

「え、マジですか……?」

 

球磨川さんと瓜二つ、っていうか違う部分が見えないんだが。カメラ越しとはいえ、毎日観察している私にも分からないなんて……。困惑した表情を浮かべる私に、球磨川さんが満足したように笑う。

 

『あは!というこれも冗談でしたー』

 

「はは……相変わらずですね、球磨川さん」

 

『ひさしぶりだね。千雨ちゃん、元気だった?』

 

「はい。球磨川さんのおかげです」

 

知らないうちに私の顔にも笑みが浮かんでいた。なごやかに再会を喜び合う私達に、周りから何とも形容しがたい視線が集まる。しかし、夢見心地の私にはそんなものは全く気にならない。視界は球磨川さんのみで占められていた。自分でも表情が蕩けきっているのが分かる。

 

『それにしても、お友達はずいぶんと過激な格好だね。目の遣り場に困るよ』

 

「え?きゃああああっ!」

 

「きゃっ!見ないでください~!」

 

困ったように首を傾けながら発した球磨川さんの言葉に、私以外の全員がはっとしたように自分の格好を思い出し、一斉に悲鳴を上げた。そういえば他の連中は全裸だったな。顔を真っ赤にして恥ずかしそうに身体をよじっている。両手で胸と股間を隠そうとしているが、焼け石に水。あごに手を当て、球磨川さんはじっくりとその天国のような光景を眺めていた。

 

『もう少し眺めていたい気分だけど、嫌がる女子中学生を視姦する趣味はないからね』

 

「って、こっちに近寄らないでくださいです」

 

こちらへ歩み寄ってくる球磨川さん。そのまま私達を捕らえている水球の表面に手をかざすと――

 

「えっ?」

 

――水球が消滅していた

 

「あれ?何で私たち制服を着てるの?」

 

「え……どうなってるアル」

 

何事もなかったかのように周囲を覆っていた液体が消え去っていた。同時に他の連中が全裸からいつもの制服姿に変わる。狐に化かされたかのような感覚。

 

「千雨さん、腕……」

 

「なっ……!?」

 

いつの間にか自傷したはずの左腕が治っている。傷の跡すら残らずに、まるで怪我なんてしなかったかのように。そんな馬鹿な!何の感触もなかったのに……。でも間違いない。物理法則を無視したかのようなこの現象。

 

 

――これこそが球磨川さんの過負荷(マイナス)

 

 

唖然とした表情で固まる私の顔を、球磨川さんはニヤニヤと楽しそうに見つめている。

 

『その顔が見たかったんだ。満足したよ。わざわざ監視カメラの前では過負荷(マイナス)を隠してた甲斐があったぜ』

 

「き、気付いてたんですか?」

 

『上手く隠してたけどね。でも僕みたいな弱者は、他人の視線には敏感なんだ』

 

「すみませんでした。失礼なことをしてしまって」

 

惹き付けられ、引き込まれるような錯覚。底知れない闇の深淵に魅入られるようなマイナスのカリスマ性を感じていた。これを知ってしまえば何かが終わってしまうという確信。初めての感覚だった。他人の隠された内面を知りたくないと思うのは――。しかし、夢のようなひと時は背後で立ち上がったヘルマンによって覚まされる。

 

「……これは一体どういうことかね」

 

無傷のヘルマンが頬を引き攣らせ、困惑した様子で自分の左腕を眺めている。ネギ達からも驚愕の声を上がった。それも当然だろう。

 

――即死したはずのヘルマンが生きているのだから。

 

しかも、桜咲に消滅させられたはずの左腕が元通りに戻っている。球磨川さんの過負荷(マイナス)は治癒能力なのか……?いや、過負荷(マイナス)とは自身の内面が反映されるもの。球磨川さんからそんなスキルが生まれるはずはない。

 

『うん?怪我してたみたいだったからさ。元に戻(なお)しておいてあげたんだよ』

 

「いいのかね。私は彼女達の敵なのだが」

 

『あはは、何か勘違いしてるみたいだね。まさか僕が、囚われのお姫様を助けに来た王子様にでも見えるてるの?』

 

ヘルマンの疑問を面白そうに笑い飛ばす。

 

『学校見学をしてたんだけど、道に迷っちゃってさ。途方に暮れていたところなんだよ。いやー、やっぱりこの学校すごく広いね』

 

「ちょっと待ってください!あなた、いったい何をしたんですか!?」

 

とうとう我慢できなくなったのかネギが大声で叫ぶ。その顔には得体の知れないものを見たかのように歪んでいた。

 

「あなたからは魔力を全く感じません。それなのに結界の解除や治癒まで……」

 

「えっ……どういうことや。あいつの使った能力は西洋魔術やないのか?気や東洋呪術でもないで!」

 

ネギと犬神の顔に警戒の色が浮かび上がる。物理法則を覆す魔法や気を知るがゆえに、過負荷(マイナス)へ対する警戒や困惑は大きかった。

 

『魔法に呪術に気、ねぇ。まるで漫画の世界に入り込んじゃったみたいだね。ま、でも取り込み中だったみたいだし、僕はもう帰らせてもらうよ』

 

「あっ!そういえば!」

 

慌てて復活したヘルマンへと振り向くネギと犬神。ここまでしっちゃかめっちゃかにかき回されて、すでに戦う気分など消え失せていたようだが、かろうじて互いに構える様子だけは見せることに成功した。しかし、それに割り込むように男の声が響く。

 

「悪いけど、――この件はもうお開きで頼むよ」

 

「ぬっ……ぐがぁああああああ!」

 

突如、ヘルマンの身体がベキベキと鈍い音を立てながら吹き飛ばされた。暴風のような衝撃が通り過ぎる。強烈すぎる不可視の一撃にヘルマンが瀕死の重傷を負わされてしまった。十数メートルほど先に着弾すると、ゴロゴロと転がり、そのまま無慈悲に活動を停止した。次第に身体が薄くなっていき、術者の元へと送還される。

 

「な、何が……」

 

トンッと靴音が鳴る。そこには両手を白スーツのポケットに入れた元担任教師、高畑の姿があった。その瞳に普段の優しげな色はなく、ただ鋭く球磨川さんを見据えていた。

 

『あれあれ?一体どうしたの……うぐっ!』

 

「止まりなさい」

 

「動かないでください。逆らえば折ります」

 

現れた高畑に気を取られたその瞬間、球磨川さんが地面に組み伏せられた。背中で腕を極められ、首筋には日本刀の刃を突きつけられている。空繰と葛葉先生だ。それを合図に、周囲に大勢の人々が現れはじめる。数十人を超えるスーツや制服やシスター姿の人間達。

 

「なんやこいつら!?」

 

「タカミチに茶々丸さん!?それに他の先生たちも……。一体どうなってるの?」

 

「ネギくん。悪いけど説明は後にしてほしい」

 

「それに……学園長まで……」

 

球磨川さんを囲むように出現した魔法先生、生徒たち。その輪の中から歩み出てきたのは、この麻帆良学園の長である学園長だった。そして、同時に学園最強の魔法使いでもある。

 

「さて、球磨川禊くん。三年前は言葉を交わすことすらできなかったのでな。改めてお願いさせてもらおうかね。今後、この学園の敷地に足を踏み入れないでもらいたいのじゃ」

 

『それはお願いじゃなくて脅迫っていうんじゃないの?』

 

「ほっほっ……その通りじゃよ。三度目は無いと警告しておる」

 

好々爺然とした態度だが、その瞳は老人とは思えないほどに鋭い。多人数で囲み、拘束し、暴力を背景に脅しを掛ける。さすがは魔法界の重鎮。平和ボケした教師連中とはまるで別物だ。

 

『うーん。どうしよっかなー』

 

しかし、相手は球磨川禊。暴力や迫害は慣れっこである。この絶体絶命の状況でもニヤニヤと笑顔は崩さない。

 

『ねえ、あなたが学園長なんでしょ?僕のポケットから取って欲しいものがあるんだけど。取ってもらえないかな』

 

「ほぅ……構わんぞ」

 

ツカツカと靴音を立てながら近寄っていく学園長。その距離が数メートルほどに縮まった瞬間、いつの間にか拘束から逃れていた球磨川さんが襲い掛かった。

 

『なーんてね!』

 

「学園長!下がってください!」

 

意識の隙をついた攻撃に学園長は反応することができない。巨大なネジが顔面に迫る。しかし、その寸前に球磨川さんの身体が膝から崩れ落ちてしまった。ガクリと地面に倒れこむ。慌てて球磨川さんは周囲を見回した。

 

『ぐっ……狙撃!?膝を撃ち抜かれた!?』

 

よろよろと片足だけで立ち上がろうとする球磨川さん。しかし、もう片方の膝も撃ち抜かれ、今度こそ地面を舐めさせられることとなる。両膝を潰され、みじめに地を這う球磨川さんに私の怒りの限界が沸点を超えた。ナイフを構えて学園長に殺意と共に斬り掛かる。

 

「てめぇら!球磨川さんに何してやがん……なっ!?」

 

強制的に全身の動きが止められた。手足を拘束され、地面に引き倒されてしまう。私の手足に絡まるこれは……糸、か?

 

「貴様も動くな。ただでさえこの男相手に気は抜けないんだ。これ以上、過負荷(マイナス)は関わるな」

 

「……マクダウェル!」

 

「それにしても、貴様相手で過負荷(マイナス)には慣れたと思っていたが……。やはりこの男は別格か」

 

拘束から逃れようと暴れるも、やはり簡単に解けるものではなさそうだ。悔しさに唇を噛み締める。頼みの過負荷(マイナス)も、すでに私の認識を弄られ発動することが出来ない。こんなときに球磨川さんの役に立てないなんて……!

 

『ひどいなー。ただの高校生に実弾をぶち込むなんて、人間のやることとは思えないよ。そうは思わないかい?』

 

両足から血を流しながら、球磨川さんは笑顔で周囲の教師達へ声を掛ける。しかし、同情を誘うはずのその言葉は虚しく響くだけだった。この場にいる全員が、ずりずりと腕だけで地を這いずる球磨川さんの姿に言葉を失っている。あまりにも醜悪で見るに耐えない光景。混沌よりも這い寄る過負荷(マイナス)に、教師陣でさえ思わず短い悲鳴と共に後ずさっていた。

 

『いったーい。これ一生歩けなくなっちゃうかなー。膝の腱が切れちゃってるよ。骨も砕けちゃってるし。あ、でも少し痛くなくなってきたかも。治ってきたのかなー?それとも壊死する兆候かなー』

 

動作も声も、その全てが気持ち悪い。凍りついたような沈黙がこの場を支配する。再び球磨川さんと学園長の距離が詰まり、手を伸ばせば届く距離になったとき、ついにその両腕までもが撃ち抜かれてしまった。

 

『うぐっ……』

 

両手両足を撃ち抜かれ、とうとう沈黙する球磨川さん。しかし、その顔には変わらずに笑みが浮かんでいた。まるで銃撃されることなど日常の出来事に過ぎないという風に。はじめは高校生を多人数で囲んで銃撃することに拒否反応を示していた者も、いまでは納得せざるを得なかった。これはただの人間ではない。常識どころか非常識ですら超えるマイナスだと。

 

『ねえ学園長。僕のポケットから取って欲しいものがあるんだけど』

 

「……」

 

『僕を信じてよ。ねえ、お願いだからさ』

 

「……いいじゃろ」

 

「が、学園長……!?」

 

再び球磨川さんに近付いていく学園長に、周りの教員達が悲鳴を上げる。そのまま球磨川さんの前に座り、学ランの上着のポケットに手を入れた。そこから取り出されたのは、白い封筒だった。

 

『開けていいですよ』

 

「これは……!? 麻帆良学園への転入許可証、じゃと!?」

 

驚愕の声と共に顔を引き攣らせる学園長。それが示す事実に、この場の全員の顔が歪み、不安の渦に突き落とされることとなった。

 

『はい。つい先日、僕の通っていた水槽学園が廃校になってしまいましてね』

 

「しかし、誰がこんなものを……」

 

『過負荷(マイナス)のことを周囲に隠してきたのは失敗でしたね。何も知らない高等部の教頭先生が書類を受理してくれましたよ。すでに僕は正式にこの学園の生徒ということです。まさか、侵入者でもない自分の学園の生徒に、これ以上の暴行を加えたりはしませんよね?』

 

そう言葉を発した途端、地面にぶちまけられていた血の海が消失した。同時に、手足に負った怪我までもが完治する。何事もなかったかのように立ち上がった球磨川さんは、踵を返して去っていこうとする。

 

「なっ!?一瞬で傷が消えて……それにボロボロの制服までもが!?」

 

『明日からご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いしますね。先生方』

 

ゆっくりと去っていくその姿を止めようとする者は誰もいなかった。道端に捨てられた猫の死体に遭遇したときのように、これほど最低(マイナス)な人間と関わってしまった自身の不幸を嘆いていた。明日からの悲惨な未来を想像し、誰もが渋面を浮かべている。例外は蕩けたように表情を緩ませている私くらいのものだろうか。そんな他人の気も知らず、球磨川さんは去り際に手を上げて無邪気に微笑む。

 

 

『それじゃ、また』

 

 

 

――これが負完全、球磨川禊の壮絶すぎる初登校の顛末であった。

 

 

 


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