旅行前日、俺は珍しく外に出てきていた。
バイトである。
もっと正確に言えば、バイトの面接である。
何故引き篭もりである俺がわざわざバイトなんてものをしようと思ったのかには明確な理由がある。
それは、金だ。
いくら引き篭もっていたくても金がなければ何もできない。ゲームが買えない。
家からの小遣い?そんなモノはない。足りないのではなく、全くない。
そう、川神院では小遣いが貰えないのだ。
次期総代の長女だろうが、努力家の次女だろうが、引き篭もりの長男だろうが、そこは関係なくびた一文貰えない。
事実、ワン子は新聞配達のバイトをしているし、姉貴は色んな知り合いに借金してそれを返すために工事現場とかで日雇いのバイトをしてたりする。
かく言う俺も昔はワン子と一緒に新聞配達をしていた。というか中学生ぐらいで出来るバイトってそれくらいしかない。でもあれは朝早いからキツイ。時間的に寝起きか徹夜明けのどちらかにならざるを得ないから中学卒業くらいにやめてしまった。高校入ってから別のバイトしようとか考えてた。
しかしよく考えてみると、学生のバイトは接客業である事が多い。飲食店しかりカラオケ屋しかり。知り合いがいる所ならまだいけるかなと思ってキャップに聞いてみたんだが、キャップが働いてる所は大抵人員が埋まっていてバイトの募集はしていないのだそうだ。
そもそも人見知りである俺としては出来るだけ外に出たくないのだが、それだと金がすぐにでも尽きてしまう。以前にモロや大和からアフィリエイトがどうのという話を聞いたがよくわからなかった。そもそもブログとか毎日書けるほどマメではないし書くこともないし。
どうしたものかとボケーッと悩んでいる間に、結構な時間が流れていたのだが、それを見かねた大和がちょっとした小言を言いながらもバイト先を紹介してくれた。昨日の話である。
流石に急すぎる話だったので文句を言ったら色々と理由をつけてうやむやにされた。ちなみにその時、京がいたので、
「ごめんなさいアナタ、私の育て方が悪かったばかりに……」
「もう我慢の限界だ。別れよう」
「ちょっとした妄想にすら辛らつなリアリズムが……」
というミニコント状態になった。いつも通りだった。
大和の紹介があるとは言っても、一応面接して採用するかどうかを決めるらしい。けどよっぽどのことがない限り大丈夫らしい。……俺、大丈夫か……?
そして目的地である親不孝通りにあるビルを見上げる。
「ここか……宇佐美代行センター……」
仕事内容は社名を聞いての通り、代行屋。要は何でも屋みたいなものらしい。
それにしても宇佐美ってどっかで聞き覚えがあるんだけど……
「……まあいいか」
時間を確かめて、失礼しまーす、と声をかけてから宇佐美代行センターの扉を開けた。
「お、よく来たな」
「あ、あれ、ヒゲ先生?」
そこにいたのはヒゲ先生……もとい宇佐美先生であった。何でここにいるの?……ん?宇佐美?
「……って宇佐美代行センターの宇佐美って、もしかして先生の事?」
「お前気付いてなかったのかよ。もう何回かお前んトコのクラスで授業したよな?」
「いや、その……教師の名前まだちゃんと覚えてなかったんで……というかヒゲ先生はヒゲで覚えてました」
というかそもそも教師が会社運営してるとは思ってなかった。大和言っとけよ。
「おいおい、一応これから面接すんのにそんなにぶっちゃけていいのか?」
「いや、えっと、その……面接より雇われた後のこと考えると、嘘つかない方がいいかなって、思って」
「まあ確かに面接で真っ赤な嘘吐くのは論外だがな、少しはお世辞とか言えるようになった方がいいぞ。じゃなきゃ受かるもんも受からなくなるぜ。あ、履歴書貰うぞ」
「あ、はい」
……その後、いくつか質問をされてあっさりと面接は終わった。というかこの前の人間力測定の結果をヒゲ先生が持ってたんだけどいいのか? いや、確かに必要なのかもしれないけどさ。
「うーん、能力的にはまあ悪くはないんだが、人見知りっていうのがなぁ……そこら辺はしばらく誰かと組ませて慣れさせればいいか。ということでお前、採用な」
思っていた以上にあっさりと決まってしまった。
「あ、ありがとうございます!」
「そんな固くならなくてもいいって。あ、そうだ。勤務外の時は別にいいんだけど、仕事中は一応上司に対しては敬語な。将来就職した時の練習だと思え」
「う、うっす!」
「とりあえず、誰と組ませるかなんだが……これも後で決めればいいか。なんか聞いておきたいことあるか?」
「え、えと……そ、そういえば先生よく俺のこと覚えてましたね。一生徒の顔なんて……」
しかも授業中はあんまり目立ってなかったはずだし。
「ああ、それな。お前授業で全然発言してなかっただろ? あれ、普通の座学とかならともかく、ディベートとかの授業だったら逆に結構目立つんだよ。コイツやる気ねぇなーってのが一発でわかる。それにお前の場合、川神百代の弟っていう前情報もあったしな」
成程……姉貴の弟という前情報とやる気のない生徒という印象があったからきちんと覚えてたってわけか……それって第一印象最悪じゃね?
「ま、そんな事は置いといて、あと仕事についてたが……確か明日から旅行行くんだってな」
「あ、はい。二泊三日で」
何で知ってるのか気になったが、おそらく大和から聞いてたんだろうな。
「じゃ、とりあえず6日に色々と詳しい話するから一回来るように。今日はもう帰っていいぜ」
「りょ、了解しました。で、では、失礼します」
「おう、お疲れさん」
……とりあえずこれで金の心配は何とかなりそうだった。
◆◆◆◆◆◆
島津寮にてまゆっちお手製の昼ごはん(シンプルな炒飯、しかし美味い)を皆で食べていると、クリスが突拍子もなくいきなりこんな事を訊いてきた。
「なあ、十夜はどうして武道をしていないんだ?」
その言葉に、その場にいた俺、京、まゆっち、クッキーは思わず動きが止まってしまっていた。ちなみにゲンさんはバイトでキャップは何故か一足先に箱根に下見に行った。
「……それを聞くのか」
「む? 何か不都合でもあるのか?」
不都合は……まあ、ある。主に俺に、だが。
もちろんいつかは話さないといけない事だし、話す事自体もそう問題はないのだが、出来れば十夜本人がいる環境で話すのが俺にとってベストなのだ。
ということで何とか誤魔化してみる。
「いや、十夜本人に聞けばいいんじゃないか?」
「前に十夜に聞いたら逃げられたじゃないか。皆も見ていただろう」
前……ああ、クリスの加入時の時か。確かに脱兎の如く逃げていったけどさ。
「あれはまだクリスに慣れてなかったからで今聞けば普通に答えてくれると思うぞ?」
「しかし、何というか、あの時の十夜自身あまり話したくなさそうな態度だったのだが……」
コイツ……! 普段は空気読めないくせに、十夜の機微は読めてやがる……!
確かに十夜はあの頃の話はあまり自分でしたがらない。おそらく自分で話すと昔のトラウマが蘇るのだろう。故にその話をする際は、他の誰かが笑い話として面白おかしく話すようになっていた。
「あの……私も聞きたいですけど、まずは十夜さん本人の許可を取る必要があるのではないでしょうか?」
「む……確かにそうだな。自分の秘密を人に勝手に話されるのは嫌だろう」
ナイスだまゆっち! これでこの場は逃れられる!
「――てなわけで大和今すぐTELして許可貰っちゃいなYO!」
……ああ、そこまでして聞きたいわけね。
「大和、話してあげたら?十夜なら普通にいいって言うと思うよ」
「そうだよ。僕が聞いた時はすんなり話してたじゃないか」
「……まあ、しょうがないか」
たまには昔を振り返ってきちんと反省するとしよう。
「実を言えば十夜は武道をしていた。それも大人顔負けの強さを誇っていた」
「え? そうなのか?」
「やはりですか」
二人の反応が分かれたのが気になったが、構わず続ける。
「だが、小学生の時に起きたある事を切っ掛けに、十夜は武道をやめてしまったんだ」
「い、一体どんなことが……?」
「その原因の一端だったのが……」
少しの間溜めてから、はっきりとソレを口に出した。
「――姉さんだ」
◆◆◆◆◆◆
十夜が引き篭もりになったのは小学生の時であった。
その頃の十夜は自信に満ち溢れていた。武術の腕は鰻上りに上がっていき、調子に乗っていた時期である。
事実、その頃の十夜は途轍もなく強かった。大人ですらその腕っ節には敵わず、川神院でも並ではない腕を持った修行僧でなければまともに組み手が出来なかった程である。
そんなある日、同じく風間ファミリーである直江大和にこう言われた。
「今の十夜なら姉さんに勝てるんじゃないか?」
いつもの大和ならば間違ってもこんな事は言わないだろう。しかし、この時は積み重なる姉貴分のワガママについ魔が刺してしまったのだ。
ちなみにだが、百代が大和を舎弟にした理由は、十夜をパシリに出来なかったことにある。
川神院の兄弟子達に散々パシリとして使われていた百代は、弟である十夜が正式に入門した際に自分も十夜にパシらせようとしたが、総代でありその前に祖父である鉄心に「姉が弟に使いパシリをさせるでないわ」と理不尽にも叱られて、フラストレーションが溜まっていたのだ。そこへやってきたカモの大和。哀れ大和は深く考えずに百代と舎弟としての契約を結んでしまい、弟分になったのだった。
……話を戻そう。
普段ならば十夜もその口車に乗らなかっただろう。明らかに大和の鬱憤を晴らしたいがための提案だとわかりきっていた。
しかしその時の十夜は凄まじく調子に乗っていた頃だったので、その大和の提案にまんまと乗ってしまったのだ。
この不運な噛み合いが、十夜の運命を大きくズラした。
大和の口車に乗り、さらに調子にも乗りに乗っていた十夜は百代に勝負を挑んだ。
姉・百代はそんな弟・十夜の調子に乗った様子が気に入らず、どうしようもなくムカムカして、容赦なくボコボコにした。骨とかもボキボキにした。後で鉄心に「幾らなんでもやりすぎじゃ、阿呆がっ!」と肉体言語込みでしこたま叱られたほどだ。要は半殺しである。
伸びに伸びていた鼻っ柱を根元から折られた十夜は、その百代の暴力行為によって想定以上の恐怖が植えつけられていたのか、ケガが完治した後も部屋に引き篭もり続けた。
その際、ファミリーの皆が何とか十夜を立ち直らせようと各々動いたのだが、この時師岡卓也が持っていったゲームに十夜が嵌ってしまったのがさらなる堕落の切っ掛けであった。
現実世界に恐怖し、逃避していた十夜にとって
かくして川神十夜は更なる引き篭もりへとレベルアップしていったのだった。
ちなみに、十夜が百代に挑んだ原因でもある一言を言った大和はしばらくの間百代にいつも以上に扱使われ、堕落していく原因になったゲームを持って行った卓也も百代から理不尽なお仕置きをされかけた。卓也の場合はあくまで好意の結果だったので実際にお仕置きするのは流石に途中で思い直したが。
幸い、岡本一子が川神家に養子に来たことにより、弟となった十夜を外に自然に引きずり出し、十夜の引き篭もりが緩和され始め、徐々に社会復帰をしていくことになる。
ちなみにこの一連の事件は、日本神話になぞらえて『天岩戸事件』と呼ばれることになった。主に元・厨二病の大和によって。
◆◆◆◆◆◆
「――という事があったのさ」
「ちなみに私がファミリーに入る前の事だから十夜がどれくらい強かったのかは知らないよ」
主観を交えた昔話を終えて、ひとまず茶を飲んでのどを潤す。
「おい、直江大和……」
「どうした? フルネームで呼ぶなんて他人行儀だなぁクリス」
何やらクリスの様子がおかしい。フルネームで呼ぶなんて転校初日のようじゃないか、HAHAHA。言いたい事があるなら遠慮なく言ってくれよ
「他ならぬお前が原因ではないか!!」
……クリスに遠慮なく、ばっさりと言い切られた。
だがそれに対してただ俺は黙ってるわけにはいかないので口を開いた。
「……ああ、そうだよ。だからこそ俺からは話したくなかったんだよ!」
あえて言い訳なんてせずに、ぶっちゃけた。
ああ、自覚してるよ! 普通に話したらこうして責められることも知ってるし、仕方ないことだとも思うさ! それでもただ非難されるのは辛いから、せめて本人とかいる中で笑い話にするなりにして話したかったのに……!
「あの……何と言えばいいのか……」
「何て言うかさー、大和の昔って黒歴史多いよねー。今の話とか中二病とか」
「こら松風! 大和さんの古傷を抉ってはいけませんよ」
「ぐはぁっ!?」
まゆっちと松風(実質一人なんだが)の口撃が辛い!
確かにまゆっちの卑屈さがなくなってきたのはいい事だけどこれは辛い……!
「あれ? 京、怒らないのかい?」
普段ならフォローに回るのに今回は何も言わない京にクッキーは不思議に思ったようだ。
「まあ、アレは確かに大和が悪かったわけだし、それを大和本人もわかってるんだから何も言わないよ。それで庇っても大和がつらいだけだよ」
要は、それが悪いことだと認識して既に反省してるのに、その行為を庇われると、庇われた側がどうしようもなく惨めに感じてしまうから何も言わない、というスタンスを京は取っているのだ。
「ありがとう、京…………お友達で」
「ただ黙って付き従う、これも良妻の務めだからね…………って先読みされた!?」
……しかし十夜の昔話をしただけでクリスとの距離が離れた気がする。これは早いうちに何とかしないとな……