ラスボス系少女愛歌ちゃんが征くFate/EXTRA(仮) 作:暁刀魚
パッションリップという存在は、きっと不幸によって象られているのだろうと、漠然と少女は思っていた。
そうするしかなかったから、何もできなくて、何もしたくなくて、ただただ身を任せているしかない存在。
それを不幸と呼ぶには、それを不幸と呼べるのは、きっと彼女だけの特権だ。
何せ、誰もが彼女にとって自身を虐げるものなのだ。
例外ならばいる、彼女の特性は人間にだけ向けられるもの、とすればNPCは――誰かをいじめるなどという発想を持たないAIならば。
けれども、そんな彼らはパッションリップを愛せない。
当然だ彼らは愛がわからない。
彼女をいじめる者は思うだろう。
その不幸は、己の責任によって招いたものである、と。
何せ非常に面倒臭いのだ、この少女。
何かをしろといいつければ、途中で面倒だからと放り出す。
サボり魔で、要領も悪くドン臭い。
そのくせ問い詰められれば出てくるのは嘘か言い訳、まったく悪びれるということをしないのだ。
それでは他人を苛つかせてしまうのは当然のことで自覚がない分余計たちが悪い。
しかし、そんな彼女を愛おしいと思うものは居るだろう。
なにせあの容姿に豊満な胸、男を惹き寄せるには十分である。
実際パッションリップの性格は他人を苛立たせる厄介さを持つ。
が、同時にそれはどうしようもなく彼女にひと目を惹き寄せる誘蛾灯でもあるのだ。
魔性にして純白、白に染まりきった淫猥とでも呼ぶべきか。
サクラ、という表現は彼女に対して的確である。
パッションリップ自体は、他人を愛し、他人を害さない存在だ。
あくまで誰かに守られてそれでいてその誰かを愛してくれる存在。
あなたのために微笑みます。
純潔にして美麗、サクラのように愛らしい少女。
ただ、彼女は同時に異常でもある。
誰かを愛さなければ、誰かに愛されなければ存在できない精神性。
生まれでたばかりの無垢に、更に輪をかけて異常故の周囲の苛烈さ。
そんな彼女を守るのが、その両の手の代わりに据え付けられた鉤爪だ。
少女を守る剣の象徴、それゆえに、リップの清純さは、決して侵されぬモノへと昇華するのだ。
リップの胸が、あらゆるデータをもう二度と手の届かぬ場所に“消化”していくのと同様に。
けれども、それがリップにとって唯一確かな不幸であった。
リップは両の手の爪を“認識”できない。
自分のバケモノ性を理解できない。
自分が異常であるとわからない異常。
即ち、それこそがリップが己を不幸だとする最大の根拠。
唯一彼女が、単なる被害者で居られる領分。
ただそれがあるがゆえに、決定的に彼女は人と分かり合えない。
その爪は誰かを傷つけてしまうから。
その理由に、リップは永遠に辿りつけないことが解っているから。
あぁ、なんて不憫なパッションリップ。
誰も彼女を愛してくれない、愛されなくてはならない少女は愛を知れない。
だから少女は、自分の中で愛を作らなくてはならない。
何の愛も知らないというのに。
母の愛も、友の愛も、異性の愛も、少女は何も知らないというのに。
そうして生まれた不幸の愛。
叶わぬ夢、届けられぬ思い、悲恋の道は、かくも無残に幕を上げる。
――――話をしよう。
これは、やがて朽ち果てる少女の恋。
恋を知らぬ乙女の愛。
乙女が恋に敗れて愛を知る。
その、短くもはかない、青春のお話。
◆
パッションリップの下に“彼女”がやってきたのはリップがBBからの“お叱り”を終えた直後のことだった。
BBB――――対愛歌、セイバー用の攻勢プログラムを破壊したことを咎められ、更には自身が異常であることを咎められ――
それが終わり、一息ついた時の事だった。
現れた彼女の名は沙条愛歌。
リップの愛する、恋の相手。
「あら、リップったら、こんな所にいたのね。今日はお機嫌いかがかしら」
優しげな少女は、リップにその優しそうな笑みと同じように声をかけてくれる。
それだけで、彼女はリップをいじめて来た者達とは違うのだと、そう認識させてくれる。
言葉一つで胸を打つ、これこそ恋の証ではないか。
あぁ、何て素敵な瞬間なのだろう。
リップと愛歌はいくつか他愛もない言葉を交わした。
リップの言葉に、愛歌は必ず楽しげに相槌を打ってくれる。
その中でリップが言葉に詰まったら、かわりに言葉を探してくれる。
話が途切れたら、今度は愛歌の言葉の番だ。
「ねぇリップ、貴方、お料理には興味ある?」
「は、はいあります! とっても、美味しい料理は、好き、です」
「その腕でか?」
愛歌の隣にいるセイバーが突っ込むが、当然それが耳に入ることはない。
実際のところ、もしも耳に入っていれば地雷どころの話ではないのだが、聞こえていないのは解っているのでセイバーの言葉は好き勝手だ。
「私もね、作るのも、食べるのも、どっちも好きよ。特に朝は、どんなご飯をつくろうかって、ワクワクしちゃうこともあるわね」
ただ、そのために手間をかけるのは少し嫌いだ、と愛歌は言う。
それは確かに、とリップも同意。
リップの場合、やろうと思って台所にたち、少しそこを滅茶苦茶にした辺りで飽きてしまう、というのが実際なのだが。
「お料理はね、工夫よ。作り方一つでどんな難しい料理も楽しく簡単に作れる。食べる方も、基本は同じ」
料理は楽しまなくちゃ、と愛歌はそう言った。
そんな言葉に、リップは想いを馳せるのだ。
朝食を作る愛歌、その手伝いをするリップは、しかし謝ってお皿を割ってしまう。
けれども愛歌はそれを咎めることはせず、リップの手に怪我はないかと注意を払う。
あぁ、何て素敵な光景であることか。
目の前で愛しい人が笑いかけてくれる。
沙条愛歌が、無償の愛を与えてくれる。
「……奏者よ」
コレこそが楽園だ。
コレこそがパッションリップの必要としていたもの。
――――自分に真に必要なものに気が付かず、リップは幸福のみを受領する。
「そうねぇ、そろそろね」
不幸なんていらない。
耳に痛いことなんて聞きたくない。
ただただ素敵な時間が過ごせればいい。
だから、
だから、
「――ねぇリップ、貴方、私たちの記憶について、何かしらないかしら」
ナンデ、ソンナコトヲイウノ?
「……知りません」
パッションリップは、即座にそんな言葉が口に出た。
意識したわけではない、それでも、常に彼女が言い訳を口にするように、するりとそれは口に出た。
「そんなの、知りません。知りたくもありません。だって必要のないものだから、センパイが知ったら、ダメなものだから」
「あら、そんなことはないわ。だって忘れるって、とっても辛いことだもの、愛したことも、愛されたことも、忘れてしまったら無に還る。……私はそんなの、耐えられないわね」
意味がなくなるなど、考えられない。
愛歌はリップにそう告げる。
なぜなら自分は特別なのだから、そうでなくとも、自分に多大な意味を見出しているのだから。
「そんなこと、ない、です。記憶を得るって、つまり、変わるっていうこと、だから。きっと今のママが、幸せ、です。何も変わらないのが、幸せ、です」
変わりたくない、普遍でありたい。
それの何処がおかしなことか。
当然の願いではないか、人は死にたくないから生きるのだ。
変わって、成長して、今あるものを失って、かわりに得られるものは束縛で。
老いて、縛られ、なんにもできなくなっていく。
そんなの、耐えられるはずがないではないか。
「そうであっても、自分は自分だ。パッションリップ、貴様には解らんかも知れんが、人というのは前を向いて生きる存在ではない、後ろを振り向きながら生きる存在だ」
後悔もするし、やり直したくだってなる。
けれども、それは“変わりたくない”からではない。
現状維持をしたいから、ではない。
既に変わったから、それを惜しんでいるだけなのだ。
「つまり人は変わることそのものは恐れない。変わってしまったから、恐れるのだ。前提が違うのだ、そこがまず、認識として違うのであろう」
「…………」
パッションリップの眼は、そんなセイバーに向いていた。
恋する乙女としての自分がよりにもよって沙条愛歌に害されたから、今のリップは多少なりとも冷静だ。
故に、セイバーの言葉にも耳を傾けられる。
ただし、それによって思い浮かべる感情は最悪以外の何者でもないのだが。
「ナンデ……ですか」
「何故、とは異なことを言う。決まっておろう、貴様のそれは単なる怠惰、怠慢、そこに幸せはない。そもそもそれは、人が語るべき論ではない――!」
「そうじゃ、無いです。……ナンデ、邪魔、するんですか。私は、センパイと、話がしたいのに……」
セイバーの啖呵を、しかしリップは最初から意味が無いと断ずるように吐き捨てた。
今、リップは確かにセイバーを見ている。
だがそれは、必要がない邪魔な異物に向けられるもの。
そもそもリップに、会話の意思があるはずないのだ。
「――――ねぇ、リップ」
そこへ、愛歌がそっと近づいていく。
リップの言葉に敵意を感じったセイバーを抑えて、あくまで言葉を剣の代わりにしながら。
「貴方は誰かに変わってほしくないのよね。それは何で? 変わることが悪いことだと思っているから?」
「――そうです。だって、私を好きになってくれた人は、必ず最後には私を嫌います。私のことを、知らない人は、きっと私を、嫌いになります。変わるって、そういうことです」
結局のところパッションリップは愛を知らない。
今、彼女が抱いている感情は妄執だ。
断じて愛でも、恋でもない。
しかし、しかしである。
恋する乙女――恋は人を盲目にする。
とすれば、元からその者の心が“盲目”であるとするならば。
もしも、そのものが、恋に近い感情を抱いてしまうなら。
――――それは、もはや恋と一体何の違いがある?
未来の見えない者にあるのは今しかない。
過去を知らない者には現実以外は与えられない。
だから彼女は変わりたくないという、変わることを悪だと言い切る。
――ならば、それに愛歌は何と答える。
ほとんど意識せずとも、リップはそんなことを考えた。
リップは期待している。
それこそ、二人目の衛士、ラニ=Ⅷと同じように、愛歌に期待を押し付けている。
違うとすれば、両者があきらめているか否かの違い。
ラニは裏切られるとは思っていない。
リップは――最初から、裏切られることを前提にしている。
これまでもそうだったから、これからもきっとそうなのだ。
何も変わらない、変わらないのなら――成長なんてありえない。
そうすることでリップの言葉が、絶対的に正しいのだと彼女の中で証明される。
結局のところ、リップの中には自分自身しかいないのだ。
自分は被害者、他人は加害者。
それは絶対に変わらない、何がどうなろうと、常にそうであるのだから。
徹底した独善性、揺らぐこと無く、故に彼女は単なる被害者でいられる。
そう、少なくとも、
「――――そう、ならきっとそれは悪いことなのでしょうね」
今、この時までは。
ゆっくりと、沙条愛歌はパッションリップに近づいていく。
セイバーが止めるが、もう遅い。
やがてリップと愛歌は、互いに抱きつけるほどに距離を詰めた。
迷宮第九層。
パッションリップ最後の階層にて、両者は相対している。
敵としてではなく、恋する乙女とその恋のお相手として。
「私は、変わることが嫌なことだとは思わない。変わったことを忘れたくだってない。――だから、私は私の記憶を欲する」
やさしく包み込むように愛歌は笑う。
それこそ、愛を囁く騎士のよう、とすればそれは、パッションリップの求めるモノそのもののはずなのだ。
だけれども。
「――――え?」
パッションリップは、首を傾げるだけで、何の反応も返さない。
混乱している、完全に、現状を理解できていない。
「それでもね、貴方のそれは肯定したいと思うのよ。変わってしまうことで、誰かに嫌われてしまうなら、確かにそれは悪いことだわ。そう、なら何も貴方は悪くないのね」
欲しかったはずのもの。
手に入れられないと諦めていたもの。
それを目の前にして、パッションリップは硬直してしまった。
理解できなくなってしまった。
「辛かったでしょう? 全てが貴方にとっては敵だもの。どれだけ貴方が傷つけられたことかしら。でも、強いのね、貴方は――今まで、大変だったでしょうに」
言葉とともに――――
――――やさしく、リップの
片手は爪に、もう片方の手のひらは、パッションリップの頭の上に。
愛しい貴方にしてほしかったこと。
リップは愛歌の指に眼を奪われる、何てきれいな指先なのだろう。
こんな指に、こんな手に、頭を撫でられ愛でられることを、一体どれほど望んだだろう。
それと同時、愛歌の手が体に触れることで、リップの感覚は過敏にそれを己に告げる。
つまるところそれは、リップが頭を撫でられた感情を増幅する、ということで。
――――熱とともに浮かんだ感情は、嬉しい、ではなく、“理解できない”、という感情だった。
急に始まるポエミーな話から、リップの予想を斜め上を行く愛歌ちゃんのキチっぷり。